生徒会室で打ち合わせを終えて、席を立つ。

「それじゃ、この資料の確認、よろしく。当日の進行表が入ってるから」
「了解です」
「それから、美術部と装飾部にも確認をお願いしていいかな?」
「はい……っつ、くわあ」

 眠気が襲ってきて、ぎりぎりと歯ぎしりをしてあくびをかみ殺す。

「太陽、大丈夫か?」

 生徒会長に指摘されて、「ちょっと寝不足で」と笑ってごまかした。
 ここ数日、レオ先輩と会えない日が続いている。
 学校では全く見かけないし、地下室に自由に出入りしていいと言われて浮かれたものの、あの廃ビルに行ってもなかなかレオ先輩に会えない。

って、まだ三日会ってないだけだけど。
 
 今日はレオ先輩に会えるといいな。
 そんなことを考えながら教室に戻ると、壁に貼られたポスターの前に人が集まっている。

「もうすぐ花火大会じゃん。太陽も行くだろ?」

……そっか、もうそんな季節か。

 山本は相変わらずの賑やかさで花火大会に行くメンバーを募っている。
 最近、学校では文化祭の準備に追われ、放課後は廃ビルの地下室や駅の周辺で過ごしていて、花火大会のことをすっかり忘れていた。

 近所の河川敷で行われる花火大会はなかなか盛大で、出店も並んで、このあたりの夏の一大イベントだ。
 ふとレオ先輩と花火大会に行けたらな、なんて甘い妄想を繰り広げて、ふるふると頭をふった。
 先輩と一緒に花火を見るなんて夢のまた夢の話だ。

「あ、太陽くん、ここにいた。ごめん、生徒会室に来てもらえる? あの古い倉庫の例の壁、あれも生徒会が対応することになっちゃってさ。もー、これ以上、無理」

 生徒会の副会長に声をかけられて頷いた。

「え、また太陽、生徒会室に行くのかよ」
「ん、行ってくる」

 山本にそう伝えると、すぐに生徒会室に向かった。
 忙しいほうが、気が紛れるし。
 油断するとついついレオ先輩のことばかり考えちゃうからな。


 放課後、上履きを履き替えながら、ふうっと息を吐く。
 今日もレオ先輩は学校に来てなかったな。
 地下室に行っても会えないし、駅の周りでも見かけない。
 いったいレオ先輩はどこにいるんだろう?
 そんなことを考えながら校門を通りすぎると、行く手をふさがれた。

「よっ、太陽くん♪」
「え、巧さん?」

 ぎょっとして足を止めると、派手なスーツを身に着けた巧さんが、ひらひらと手を振っている。

「巧さん、あの、レオ先輩なら学校には来てないと思いますけど」
「今日は、太陽くんに用があって来たんだよ。あのさ、太陽くん。バイトしない?」

 ──え?

「……バイト、ですか?」
「太陽くんにしかできない仕事だから、バイト代は弾むよ。悪いようにはしないからさ」
「巧さん……、それって、悪人の常套句です」
「ははっ、太陽くんって面白いねー」

 なにを言ってものらりくらりとかわされて、気づけば車に乗せられてホテルの最上階にあるフレンチレストランに連れていかれた。

 まだ閑散としているフロアには、食事やドリンクが粛々と用意されている。

「今日さ、友達のお別れ会を企画してるんだけど主役が来る気がなくてさ。だから太陽くんに協力してもらおうと思って」

 はあ、と曖昧に頷いて、その光景に目を見開いた。

「すごいですね。どこかの国の王様でも来るんですか?」

 冗談半分で聞いたのだけど、「王様、来るよー」と巧さんが平然と答えて絶句した。
 豪奢(ごうしゃ)な店内には、巨大な氷の彫刻や、カービングフルーツ、それにチョコファウンテンがならび、冗談じゃなさそうなのが怖い。

「ものすご~く怖い王様が、太陽くんにおびき寄せられて来るはずだから楽しみにしててね」

 って、なんで俺?
 勢いでここまで来ちゃったけど、急に不安になってきた。

「あの……巧さん、俺、あんまり危ないことは……」
「とりあえず、太陽くんはスタッフ用の制服に着替えて、トレイにジュースのせて立っててくれればいいから」
「いや、でも……」

 俺なりに必死に抵抗したものの「まあ、まあ」と背中を押されて更衣室に連れていかれ、気づけば白シャツに黒ベストを身に着けて、ソムリエエプロンを腰にまいていた。

 俺が流されやすいのか、巧さんの押しが強すぎるのか。

 とりあえず、トレイにジュースを並べて手に持ってみたものの、その光景に呆気にとられた。
 ゲストもお店のスタッフもキラキラしている……。
 キラキラというか、ギラギラというか。

 女の子は華美なドレスを着てばっちりメイクしているし、男は派手なスーツに高そうなアクセサリーを身につけていて、どこを見ても目がチカチカする。
 さすが巧さんの仲間たちだ……。

 その光景に慄きながらジュースを配っていると、黒いドレスを着た女の子に声をかけられた。

「ねえ、ねえ、バイトくん。もしかして高校生?」
「あ、はい」
「いくつ?」
「えと、高一です」
「一緒だー! 私も高一!」

 まじっすか……。
 大学生かと思った……。
 
すると腕を組んだその子が、ふーん、と査定するように俺を眺めて居心地が悪い。

「太陽くんって、可愛い顔してるねっ。女の子といるみたいで安心するなあ」
「ははっ……、俺、チビだから」
「お顔も可愛いよー」
「ども」

 悪意がないだけに、どうかわしたらいいかわからない。
 それでも、にこにこと笑いかけられて笑顔を返す。

「それよりどうして俺の名前を?」
「ネームバッジ」

 その子に指を差されて気が付いた。
 巧さんから渡されたベストには俺の名前が印字されたネームバッジがついている。
 つまり、バイトを断るって選択肢はなかったってことだ。

……どうなってるんだ、いったい。

 困惑しつつも、まあ、別世界がのぞけるのはなかなか楽しいし、と自分を納得させてバイトに励んでいると荒々しく扉が開いて、ものすごい美形が現れた。
 モデルなのか、どこぞやの国の王子なのか、世の中にはこんなイケメンがいるんだなーと驚き半分で眺めて、目を見開いた。

…………嘘だろ。

 品のあるスーツに身をつつんで会場の空気を一変させたのは、レオ先輩だった。

 髪を無造作におろしたレオ先輩は、いつもの迫力ある姿はそのままにしっとりとした優雅さを漂わせている。
 がっしりとした(たい)()のレオ先輩に、一目で物がいいとわかる外国製らしきスーツが驚くほどしっくりきていて、まるで別人のような色気を纏っている。 
 
 どうしてこんなところにレオ先輩が?……という驚きは一瞬で消えて、先輩の姿に心を攫われた。
 会場の熱量が一気にあがり、レオ先輩の登場に悲鳴があがる。
 ほつほつと顔が熱くなってレオ先輩に見惚れていると、レオ先輩が俺に気づいた。

 その瞬間、レオ先輩が巧さんにつかみかかる勢いで突進した。

「てめえ、どういうことだよ! どうして太陽がここにいるんだよ!」
「人手不足で太陽くんにバイト、お願いしちゃった♪」
「お前、なにを企んでる?」
「べつにー。太陽くんが会場にいたらレオが現れるかなと。ほら、この通り」
「巧、……いい加減にしろ。太陽をこの界隈に連れてくるな」

 ふたりがなにやら言い争ってるけど、会場が賑やかすぎてなにも聞こえない。
 すると、巧さんがレオ先輩を連れて俺の目の前までやってきた。

「ほら、太陽くん、王様が来たよ。ものすごく怖い王様のお目見えだよー」
「いや、レオ先輩は、むしろ王子様かと……」

 レオ先輩に魅入られてぽつり呟くと、巧さんが吹き出した。

 ……王様って、レオ先輩のことだったんだ。

「レオに見惚れちゃった?」

 黙ってうなずくと、巧さんが声をたてて笑った。

「太陽くんは、素直で可愛いなー。王子様だってさ、レオ先輩♪」

 よしよしと巧さんに頭をなでられて戸惑っていると、レオ先輩が、巧さんのぎょうそう手をものすごい形相で払った。
 それでも巧さんは笑顔を崩さない。
 殺気だつレオ先輩と巧さんに挟まれて身を縮めていると、はらりと顔にかかった長い前髪をレオ先輩が不機嫌そうにかき上げた。

 う、うわあ……。

 匂い立つようなレオ先輩の色気に、俺はもうぼけっと見惚れることしかできない。

「レオ、先生に挨拶するからお前も一緒に来いよ。じゃ、太陽くん、またあとでね」

 俺の心はレオ先輩にくぎ付けで、こくこくと巧さんに頷くので精一杯だった。

……まさか、こんな形でレオ先輩に会えるとは思わなかった。
 ま、まだ心臓が、ばくばくしてる……。

「ねえ、太陽くん?」
「わあっ!」

 ぼんやりとレオ先輩の後ろ姿を目で追っていたら、べたっとさっきの女の子に体をくっつけられて飛び上がった。
 ここにいる人たちは、距離感がなんだかおかしい。

「ねえ、ねえ、太陽くんも飲もうよー」

 ──え?

 その子から、ぐいぐいとシャンパングラスを押し付けられて目を見開いた。

「こら、まだ高校生だろ。酒飲んじゃダメだよ」

 ほんのりと赤い顔をしているその子にこそっと伝えると、その子からシャンパングラスをとり上げるために、ジュースを載せたトレイを近くのテーブルに置いた。

「太陽くんって、真面目だねー、ってか、面白~い!」

 ろれつの怪しいその子からどうにかシャンパングラスをとり上げようと苦心していると、巧さんがやってきた。

「太陽くん、モテモテだねー」
「ちがいます!」

 冷やかすようににまにまと笑う巧さんは、その子に注意するでもなく、俺の頬を指でつついている。

 もう、どうなってんだよ、これ……。

 タチの悪いふたりに挟まれて、はあっとため息をついたその瞬間、その女の子が巧さんの足につまずいて大きくよろけた。

「わっ!」

 とっさに手を伸ばして、その子を抱き留めたものの。

 ……マジか。

 その子の手にしていたシャンパンが見事に俺の顔にかかった。
 とりあえず、手持ちのリネンで顔を拭いたものの、髪も顔も酒臭いし、ベタベタする。
 その子は酔っぱらってるのか俺を見てゲラゲラ笑っている。

「だから、酒、飲んじゃダメだって。ほら、これ飲んで酔いを覚まして」

 やれやれ、と水の入ったコップを手渡すと「は~い」と元気よく返事をしたその子が、そのコップを俺の頭上に高く掲げた。

「太陽くんも、どーぞー。酔い覚ましー!」

 あっ、と思ったときには、その子が俺の頭の上でコップをひっくり返していた。
 水と氷が俺の頭と顔を濡らし、シャツの襟元まで水がしみ込んでくる。

「あはっ、空っぽになっちゃった」

 挙句に、呆然としている俺の頭上でその子がコップから手を離した。
 カコンと間抜けな音がして、グラスが俺の頭にぶつかって床に転がっていく。

「ウケるー!!」

 ぽたぽたと頭から水をしたたらせる俺を見て、その子は爆笑しているけど。
 ……全然、笑えないって。

「やだ、悲惨」
「え、おもしろ」

 なにごとかと集まってきた他のゲストたちも、俺の姿を見るなり、声を立てて笑い始めた。

 なんなんだよ、もう……。
 つか、これ、どうしたらいいんだろう。
 びっしょりだ……。

 仕方なくシャンパンで汚れたリネンで頭を拭いていると、視界が大きな背中で遮られた。

「お前、ふざけんなよ。太陽に謝れ」
「……え、……レオ先輩!?」

 どこで見ていたのか、ふいにレオ先輩が現れた。

「私、べつに悪くないし!」
「やっていいことと、悪いことがあんだろ」

 その声はひどく静かだったけれど、ひりつくような怒りが漂っていて場の空気を一気に凍らせた。

「……お前さ、自分がなにしたか、わかってんのか?」

 レオ先輩の鋭い目がじりじりと女の子を追い詰めて、その子はヒッと息を詰めると、その場から逃げ出してしまった。
 俺を見て笑っていたゲストたちも気まずそうに視線を逸らすと、散り散りに去っていった。

「……ごめんな、太陽」
「俺は大丈夫ですよ」

 笑って顔を上げると、俺よりもずっとレオ先輩のほうが傷ついた顔をしていて、あたふたと、大丈夫、大丈夫と繰り返した。

 俺がこんな場所に来ちゃったせいで、レオ先輩に心配をかけてしまった。

「ほら、拭いてやるから、こっち来い」
「いや、大丈夫、……うわっ!」

 ―――え?

 先輩にぐいっと引っ張られて、その片腕にすっぽりと収まった。 
 片手で肩を抱かれて、もう片方の手でごしごしとタオルで頭を拭かれて、固まった。

 だ、だって、すぐ目の前にレオ先輩がいる。
 シャツ越しに先輩の体温を感じて、恥ずかしくてぎゅうっと目を閉じると、「ごめんな」とレオ先輩が俺の耳元でもう一度呟いた。

 その拍子に鼻先が先輩のシャツに触れて、ふわっとシトラスの香りが漂う。

「あ、あの! 本当にレオ先輩が悪いわけじゃないので! 気にしないでくださいっ」

 先輩の爽やかな香りにくらくらしながらも慌てて頭を横に振ると、レオ先輩に手首をつかまれた。

「太陽、帰るぞ」
「え!?」

 有無を言わせない勢いで、レオ先輩にそのまま会場から連れ出された。
 広いロビーで険しい顔をしたレオ先輩と向き合い、問い詰められる。

「で、どうしてこんな場所に太陽がいるんだよ」
「それが、俺もよくわからないまま、ここまで連れて来られちゃって」
「なんだよ、それ」
「巧さんはレオ先輩の友達だから、大丈夫かなって」
「よく知らない人間を簡単に信じるな」

 呆れた顔をしているレオ先輩に、本音をこぼす。

「……本当のことを言えば、ここに来たらレオ先輩に会えるかもって期待もあって」
「俺はこんなところに来ねえよ」
「でも、会えました」

 そう伝えるそばから、ふにゃふにゃっと頬が緩んで笑顔がこぼれた。

「会場でレオ先輩を見たとき、息が止まりました。レオ先輩ほどカッコいい人なんていなかった。本物の王子様みたいでした」
「王子様って……あのなあ……」

 一瞬、言葉に詰まったレオ先輩が、深いため息をつく。

「俺がここに来たのは、太陽を攫ってバイトさせてるって、巧が連絡してきたからだよ」
「え!?」
「うちのガッコ、バイト禁止だろ。お前に妙なことさせるわけにはいかねえんだよ」
「隠れてバイトしてる奴もいますけど……」
「お前をあの界隈に引き込みたくないんだよ。……つうか、色々迷惑かけて悪かったな。とにかく、さっさと着替えて帰るぞ」

 申し訳ないと思うそばから、レオ先輩が心配してくれたことが嬉しくて、頬が熱くなる。

「あの、迷惑かけてすみませんでした。俺はひとりで帰れますから、レオ先輩はパーティに戻ってください」
「なんでだよ」
「だって、みんなレオ先輩に会いたくて集まってるんですよね? 今日のパーティの主役はレオ先輩だって、巧さんが」
「はあ? 巧が入ってるヨット部の集まりだろ。俺は関係ねえ」

 ヨット部!?

「ひどい……巧さん、すごいウソつきだ……」
「だから、あいつを信じるなって言っただろ」
「えー……」

 急に気が抜けて、しゅるしゅるとしゃがみこむと、レオ先輩の大きな手のひらが差し出された。

 その骨ばった大きな手をまじまじと見つめる。

 ──この手はいったいなんのために?

「ほら、送ってやるから、立て」
「は、はいっ」

 本当は自分で立ち上がることができたけど、先輩の手に触れたくて、その手をとった。

 ごつごつとした先輩の手にドギマギしていると「ちっこい手だな」と笑われて、挙句にその柔らかな表情に見惚れてよろけ、先輩に両腕で支えられた。

「おい、しっかりしろ」
「は、はいっ」

 至近距離でレオ先輩と目が合ってあたふたと目をそらす。

 けれど、スーツ姿のレオ先輩はとんでもない色気を漂わせていて、平常心じゃいられない。

俺、し、心臓がもたないかもしれない……。


 更衣室で着替えると、先輩と並んで会場をあとにした。
 まさか、レオ先輩とこうして夜の街を歩けるとは思わなかったからすごく嬉しい。
 交差点で信号を待ちながら、ちらっとレオ先輩を盗み見る。

「あの、レオ先輩、そのスーツって」
「ああ、祖父たちと食事してたんだよ。形式的なもんだ」
「へえ……」

 そう返事をしたものの、恥ずかしくてレオ先輩を直視できない。
 だから、じっと足下のアスファルトを見つめていたら、
「おい、青だぞ」
 ふいに顔をのぞき込まれて、目を(みは)った。

 シャツのボタンを外して乱暴にネクタイを緩めたレオ先輩は、肩で揺れるグわずらレージュの髪を煩わしそうにかき上げている。
 くっきりとした横顔はいつも以上に大人びて見えて、気だるげな空気に色香が混じっていて、レオ先輩からあたふたと目をそらした。

ああ、もう、レオ先輩がめちゃくちゃ色っぽい。

 全身が心臓になってしまったように鳴っていて、とっとっと、と覚束ない足どりで交差点を渡ると、レオ先輩に手をつかまれた。

「……お前は、交差点もまともに渡れないのかよ」
「す、すみません」

 つかまれた手首が燃えそうに熱くて、下を向いたまま謝った。

「それにしても、まさか、本当に太陽がいるとはな」
「俺も学校で段ボールくり抜いて文化祭の準備をしていた一時間後に、ホテルのレストランでウエイターをやることになるとは思いもしませんでした……」
「巻き込んで悪かったな」

 わしゃわしゃと頭をなでられて、頭を横に振った。

「レオ先輩はなにも悪くないです。俺がよく話を聞かないでついて行っちゃったのが悪いんです。それに、未知の世界を覗けてちょっと面白かったです」

 豪奢な会場を思い出してふふっと笑うと、レオ先輩に鼻をつままれた。

「お前はあんな場所、知らなくていいんだよ」
「まあ、俺だけ場違いって感じで浮いてましたから」
「そうじゃねえよ、バカ」

 口調は乱暴だけど、俺の手首をつかんで歩くレオ先輩はなんだか優しくて、ふわふわと夢を見ているみたいだった。