【レオside】
 
 巧に誘われて、強引に車に乗せられたものの気は進まない。
 ナイトプールだとか、パーティだとか、興味もないし、どうでもいい。
 窓にもたれて、ぼんやりと流れる景色を見つめる。
 窓の外では、街が夜ににじんでいる。

「レオ、あの子、置き去りにしちゃってよかったのかよ」
「連れていくわけにはいかねえだろ。お前の界隈に連れていったら、あいつ、ビビッてぶっ倒れるぞ」
「まあ、そうかもなあ。今日は派手な女の子たちが多いし」
「巧以上に派手なやつなんて、そうそういないだろ」
「けどさ、あの子、捨てられた子犬みたいな顔してたよ」
「なんだよ、それ」
「太陽くん、カワイソ」

 そう言いながら、巧は車のシートに体を預けてスマホを流し見している。
 シートの隅にはブランド物の紙袋が積み上げられて、車内にはほんのりと甘い香水の匂いが漂っている。
 運転手付きの車を転がして遊ぶことには余念がなく、巧は相変わらずだ。

「レオに懐く後輩くんとか珍しいよな」
「知らねえよ、あいつが勝手に追い掛け回してくるんだよ」
「ふーん、レオのいかつい姿に躊躇いもせずに? 太陽くんって、怖いもの知らずだなー。レオって綺麗なお姉さま方には人気あるけど、あの手の可愛い系には怖がられそうなのに」
「どっちも興味ねえよ」
「そうかな、可愛いじゃん。太陽くんって小動物っぽい」
「だから、興味ないって言ってんだろ」
「レオってマジで他人に興味ないよな。そんなこと言ってると、レオくん枯れちゃうよー。イケメンなのにもったいな~い」
「黙れよ」

 軽く巧の肩を小突くと、スマホから視線を外して、巧が俺を見る。

「そーれーで、留学先はアメリカだって? 高校卒業後はそのまま帰国せずに向こうの大学?」
「……おい、その話、どこから聞いた」

 まだ留学の話が決まって二週間も経ってない。

「出発は?」

 ……はあ。

「学生ビザやら諸々の書類が整ったらすぐに行く。もう日本には帰ってこない。面汚しの息子を体よく追い出せるんだから、親もせいせいするだろ」
「まあ、レオは向こうで暮らすほうが合ってるかもなー。なんつうか、レオの親ってものすごく優秀なんだろうけど、親っていうよりはブリーダーって感じ」
「ああ、そうかもな」

 家族の温かみなんて知らずに育った俺にとっては、親だろうがブリーダーだろうが大差はない。
 とにかく日本を出て自由になれるなら、それでいい。

「まあさ、悪くないと思うぜ、海外。資金は潤沢、向こうにいるほうがやりたい放題できるだろうし」

 俺だって、悪くない話だと思う。
 さっさとこんな場所は引き払って、新天地だ。
 ふと太陽の顔が頭をかすめたが、だからどうしたって話だ。

「それよりさ」

 巧ににっこりと整った笑顔を向けられて、顔をしかめた。
 ……巧がこういう顔をするときは、大抵、ろくでもないことを企んでる。

「今夜、いつものホテルで遊ぶんだけど、主賓は留学しちゃうレオだから。参加決まってるからよろしくー」

 ほらな。
 そんな話、聞いてねえし。

「……絶対に行かねえ」

 むすっと答えると、巧が拝むように手を合わせて俺を見る。

「頼む、レオ! お前を連れて来いって、みんなうるさいんだって」
「知るか」
「そもそも、レオが黙って内部進学とりやめたりするから、面倒なことになってんじゃん。俺、レオを連れていかないと、お姉さまたちの反感を買っていじめられちゃう」
「タコ殴りにされとけ」
「いいじゃん、女の子はみんな水着だし、先輩たちも来るしさ。久しぶりにレオもはっちゃけようぜ」
「だから、興味ねえって言ってんだろ。嫌いなんだよ、キーキー高い声で話しかけられんのもバカ騒ぎすんのも。ここで降りるから。またな」
「え、ちょ、レオ!?」

 信号で停止したのを幸いに、車から降りていつもの場所に向かった。

 うっすらとあたりが暗くなり街が群青色に染まる。
 夜の闇に包まれて、やっと呼吸が楽になる。
 いつもの廃ビルに着くと、地下室に降りて髪をひとつにまとめた。

 黒いマスクをつけるとスプレー缶を手にとり、「アメリカか」とひとり呟いた。
 日本を離れることに未練はない。
 そのことをまだ太陽には伝えてないし、とくに伝える必要性も感じない。
 くるくると笑ったり驚いたり、犬みたいに懐いてくる太陽を面白い奴だな、とは思う。
 ただ、太陽のまっすぐさに慣れない。
 お行儀よく敵をつくらず、適度に力が抜けてて、駆け引きに長けている。
 そんなお坊ちゃんばかりが集まる小中高大の一貫校では、巧のように社会勉ほうとう強と人脈づくりと称して、親の金で放蕩しつつ要領よく毎日を過ごしている奴らばかりだった。
 
 屈託(くったく)なく懐に飛び込んでくる太陽の素直さや、一途(いちず)に感情をぶつけてくる透明な純真さは、得体が知れなくて正直戸惑う。

 ただ……、太陽に愛嬌のある丸い瞳で見つめられると、明かりが灯るように胸のうちが温かくなる。
 俺がうっぷん晴らしで書きなぐった壁の落書きに心酔して、スプレーで描く俺を嬉しそうに見つめる太陽の姿に癒されもする。

 ……けど、それだけの話だ。
 どのみち太陽と過ごすのもあと一か月程度の話だ。

 カランと転がったスプレーを脇に置き、少し悩んで、白いペンキと筆を手に取った。