授業終了のチャイムが鳴り、教室がとたんにざわつき始める。
「だからさ、太陽、頼むって」
「合コンとか、よくわかんないからいやだ」
「そこをなんとかっ!!」
昼休みになっても、懲りずに食い下がる山本に困りつつも、無心で弁当を食べる。
「いいか、太陽。お前のその異常なコミュ力の高さを遺憾なく発揮できるのが合コンなんだぞ。ここは、世のため人のため、合コン文化復活のために頑張ろう!」
「それって単に山本のためだろ。絶対にいやだ」
「いや、そうだけども! これもお子様の太陽がひとつ大人になるための登竜門! 一緒に大人の階段、登っちゃおうぜ!」
「そんなうさんくさい階段、俺は登りたくない」
「お、お前、まさか、全女子、独り占めする気なのか!? 人畜無害みたいな顔してこのひとでなしっ!」
「意味がわからないから、この話、終わりっ!」
「くっそー、許さん、太陽っ!」
山本に絡まれかけたところで、流星が「そういえばさ」と口をはさんだ。
「太陽、さっき生徒会室にいただろ。たしか昨日も生徒会に呼び出されてたよな?」
いつの間にか流星が目の前に座って、弁当を食べている。
「流星、よく知ってるな」
「太陽はどこにいても目立つんだよ」
……流星のほうが、よっぽど目立つと思うけど。
「で、太陽は生徒会室でなにしてたんだよ」
そう軽い調子で言い放った山本が、
「まさか、お前……」
と目を見開いた。
「コミュ力おばけの太陽が、生徒会に立候補?それで人気票で一気に生徒会長!? 本当に恐ろしいやつだな、お前は!!」
勝手に想像してうろたえる山本に、弁当を食べながら聞いてみる。
「あのさ、俺が生徒会長に推薦されると思う? 俺の成績、ビリのビリだよ」
「あ、そうだった。太陽が生徒会長とか、ありえないか」
つか、ひどいな、ほんと。
「生徒会から文化祭の交渉係を頼まれたんだ」
「文化祭の交渉係? そんな係、あったっけ?」
「んー、クラスからひとりずつ選出する実行委員とはべつに、個人的に頼まれた」
「へえ、太陽の顔の広さをかわれたんだ。入学してまだ三か月なのにすごいな。
で、太陽は、なにを交渉する係?」
「各部活への連絡全般とか、ミスコンの企画とか、いろいろ」
「ふーん、大変そうだな。……ってか、顔が広いと言えばさ」
山本がじとーっと湿った目を俺に向ける。
「なんだよ」
「太陽って、中学の卒業式で十人以上に告白されたってホント?」
いきなり話題を変えた山本から、顔をそむける。
「……知らない」
「隠してもムダだぞ」
「隠してるわけじゃないけど。……どうして山本がそんなこと知ってるんだよ」
「うちの中学まで、その噂が流れてきたから。ほら、白状しろ。おごってもらうから」
「なんだよそれ」
ほらほらと、しつこく粘る山本を押し返した。
「告白してくれた子に悪いから、俺の口からそういうことを軽々しく話しちゃダメだろ。だから、もうこの話はしない」
「くっそー、太陽はそういうところがイケメンなんだよなっ。お子様でバカのくせに」
「結局、悪口じゃん」
「『僕は下心なんて持ち合わせてません』って無邪気な顔して油断させて、全校の女子と知り合いになりやがって~! くそお、太陽のくせにっ!」
「太陽の場合は、下心がないんじゃなくて、中身が親切な小学生なだけだろ」
呆れ半分に傍観していた流星が、俺をフォローする。
いや、それってフォローになってるのかな?
小学生って、やっぱりただの悪口じゃないかな?
「それなら見た目も小学生ならよかったのにな。そしたら太陽、名探偵になれたじゃん」
「いや、見た目も心も小学生なら、それってただの小学生だろ」
「あ、なるほどね」
「……え? つまり俺は?」
「ただの小学生」
流星と山本が異口同音で答えた。
「おいっ、どうしてそうなるんだよっ!」
こうして恐ろしくくだらない話をしている間に、昼休みが終わった。
放課後、部活の掛け声が飛び交う校庭脇の歩道を流星と並んで歩く。
木々の葉は柔らかな淡い緑から深く濃い緑へと移り、歩道のコンクリートに木漏れ日が細かくちりばめられる。
「で、合コン、すんの?」
「するはずないだろ」
「太陽が企画したら、都道府県単位のスケールにはなりそうで怖い」
「流星まで変なこと言うなよ……そういえば、昨日、おばさんからリンゴもらった」
「あー、玄関に段ボールでリンゴが届いてたな」
うちの父ちゃんと流星のおじさんは高校の同級生で、幼いころから家族でBBQをしたりと家族ぐるみのつきあいが続いている。
そんなことを話しながら歩いていたら、どこからか名前を呼ばれた。
見上げると、二階の教室の窓からレオ先輩が気だるそうにこっちを見下ろしている。
「レオ先輩!」
驚きすぎて、声が裏返った。
朝、家に帰ったはずのレオ先輩がどうして教室にいるんだろう?
そんな疑問が頭をかすめたけど、すぐに先輩のいる教室の窓の下まで弾むように駆けつけた。
ゆるく片手を上げたレオ先輩は、夕陽を浴びて金色に染まり、光の中に溶ける幻みたいだ。
いつも暗い場所にいることが多いから、陽だまりのなかにいるレオ先輩の姿は新鮮で、
光に縁どられた先輩は神聖ですらあって、その姿に思わず見惚れた。
「おい、太陽。ボケっとして大丈夫か、お前」
「あ、えっと、レオ先輩、お疲れさまですっ!」
「全く疲れてねえよ、じいさんか、俺は」
「俺よりひとつ、じいさんです」
「お兄さんといいなさい」
窓から身を乗り出すレオ先輩に、軽く敬礼。
「レオ兄ちゃん、さようなら」
いつもはピリっとしている先輩の空気がふいにほころんで、嬉しくなる。
「おう、気を付けて帰れよ」
「はいっ」
思わず挨拶しちゃったけど、もし先輩が学校にいるならもう少しレオ先輩と話したいな。
振り返ると、流星は校門へ向かって歩き始めている。
レオ先輩と流星の背中を交互に見て、走って流星を追いかけると、よかったな、と流星が先に口を開いた。
「流星、あのさ、俺っ」
「レオ先輩のところに行くんだろ。ほら、早く行って来い。あの先輩、めったに学校に来ないんだから……ただ、気をつけろよ」
「わかってる。ありがとな、流星!」
それだけ伝えると、風を切る勢いで校舎にもどり、すれ違う先生たちに睨まれないギリギリの歩幅と速さで二年の教室に向かって、その扉を開けた。
……いない。
けれど、そこに先輩の姿はなくて、がらんとした教室ではカーテンが風にそよいでいる。
先輩、もう帰っちゃったんだ……。
ふと業者用の裏門から出入りしているレオ先輩を思い出し、教室を飛び出すと素早く階段を下りて、廊下を滑るようにして裏門に向かった。
「あれ、太陽? さっき、昇降口にいなかったっけ?」
「あ、うん。ごめんな、急いでて!」
すれ違う知り合いに返事をしつつ裏門へ急ぐと、遠くにレオ先輩の姿を見つけた。
夕方の日差しに、レオ先輩のゆるく結んだ髪が銀糸のように輝いている。
「レオ先輩!」
ありったけの声で叫ぶと、レオ先輩が足を止めた。
名前を呼ばれたレオ先輩はゆっくりと振り返り、俺に気づくと眉をひそめた。
夕陽に染まりレオ先輩の表情はよく見えないけれど、俺を見て困惑している……気がする。
俺、しくじったかも。
「太陽、……なに?」
「えっと、その、」
かすれたレオ先輩の声にかすかな苛立ちを感じて、しゅわしゅわと気持ちが萎んでいく。
先輩に追いついたところで、なにか伝えたかったわけじゃない。
ただ先輩と話したくて追いかけただけだ。
「あの、レオ先輩、これから地下室で絵、描いたり……、するんですか?」
「さあな」
「あ、あ、あの! もし絵を描くなら、俺もついて行っていいですか?」
思い切ってたずねると、レオ先輩にくしゃっと頭をなでられた。
「また今度な。つうか、あのあたり、治安よくねえだろ。お前は家でいい子にしてろ」
「……先輩はいいんですか?」
「俺は悪い子だからいいんだよ」
レオ先輩の鋭い瞳がふっと緩んで、きゅっと心臓が熱くなる。
……あのときと、同じ会話だ。
レオ先輩は覚えてないかもしれないけど、俺はずっと忘れられなかった。
「俺、先輩の絵を見ると元気になるんです。嫌なことも吹っ飛ぶっていうか!」
「お前はいつも元気そうだけどな」
「レオ先輩に会えたときは、もっと元気になりますっ」
ついつい声が弾んで、笑顔がこぼれる。
「……変なやつ」
「それでも、俺はレオ先輩に会えると嬉しいです!」
わふっと飛びつく勢いで伝えると、居心地悪そうにレオ先輩が目をそらした。
「お前さ……よくそういうことを言えるな。恥ずかしくねえのか?」
「全然! 本当のことなので!」
ついつい前のめりに顔を寄せてしまって、レオ先輩にぐっと押し返された。
「……太陽、近い」
「す、すみませんっ」
それでも、レオ先輩と話せるのが嬉しくてふにゃっと頬っぺたが緩む。
「それから、手」
「え?」
首をかしげて、レオ先輩とじっと見つめ合う。
「……だから、手だよ、お前の」
ん? 手……?
ゆっくり視線を落としてようやく気づく。
わ、わっ! いつの間に!?
レオ先輩の制服の裾を、俺、つまんでる──!
「す、す、す、す、すみませんっ! ほんと、俺、なにしてんだろう!?」
「……ほんとにな」
あわてて、レオ先輩の制服から手を離すと、両手で顔をおおった。
あー、もう、恥ずかしすぎるっ……!
「くくっ、太陽、またな」
ぽんっと頭に手が置かれて、下を向いたまま頷いた。
もう少しレオ先輩と話していたかったけど、朝も放課後もレオ先輩に会えるなんて今日は最高の一日だ。
ふわふわとした気分でレオ先輩の後ろ姿を目で追うと、そこには黒塗りの外車が止まっている。
なんだかすごく派手な車だな……。
「レオ!」
すると、路上に止められていたその車の後部座席のドアが開いて、ひときわ目立つ男が現れた。
透け感のあるリネンのシャツにビンテージなのか味のあるワイドパンツをあわせた派手な装いに、高そうなシルバーのアクセサリーをじゃらじゃらとぶら下げている。
レオ先輩とその男が並ぶと、別世界の住人って感じがする。
少し離れた場所からふたりを見つめていると、その人が俺に気づいた。
「あれ、誰? レオの知り合い?」
「あ、えと」
なんて答えたらいいんだろ。
悩んでいるうちに、すたすたとその人が目の前にやってきた。
「俺、小中とレオの同級で、西園寺巧っていうんだけどさ。きみの名前は?」
「……おい、巧。そいつに声かけんな」
レオ先輩が怖い顔で割って入って、口をつぐんだ。
「べつにいいじゃん。名前、聞くくらい。なあ?」
苛立ちを露わにするレオ先輩と笑顔を崩さない巧さんに挟まれて固まっていると、「で、名前は?」と巧さんが顔を寄せてくる。
ぐいぐいくるな、この人……。
「えっと、春野太陽です」
「へえ、いい名前。親、センスいいな」
「俺も、自分の名前は好きです」
嬉しくてにこっと笑うと、レオ先輩が目を眇める。
「巧、そいつに構うなよ」
「レオの後輩なんだろ? だったらいいじゃん」
巧さんは、見た目は派手な孔雀みたいな人だけど、悪い人ではなさそうだ。
「だからさ、太陽、頼むって」
「合コンとか、よくわかんないからいやだ」
「そこをなんとかっ!!」
昼休みになっても、懲りずに食い下がる山本に困りつつも、無心で弁当を食べる。
「いいか、太陽。お前のその異常なコミュ力の高さを遺憾なく発揮できるのが合コンなんだぞ。ここは、世のため人のため、合コン文化復活のために頑張ろう!」
「それって単に山本のためだろ。絶対にいやだ」
「いや、そうだけども! これもお子様の太陽がひとつ大人になるための登竜門! 一緒に大人の階段、登っちゃおうぜ!」
「そんなうさんくさい階段、俺は登りたくない」
「お、お前、まさか、全女子、独り占めする気なのか!? 人畜無害みたいな顔してこのひとでなしっ!」
「意味がわからないから、この話、終わりっ!」
「くっそー、許さん、太陽っ!」
山本に絡まれかけたところで、流星が「そういえばさ」と口をはさんだ。
「太陽、さっき生徒会室にいただろ。たしか昨日も生徒会に呼び出されてたよな?」
いつの間にか流星が目の前に座って、弁当を食べている。
「流星、よく知ってるな」
「太陽はどこにいても目立つんだよ」
……流星のほうが、よっぽど目立つと思うけど。
「で、太陽は生徒会室でなにしてたんだよ」
そう軽い調子で言い放った山本が、
「まさか、お前……」
と目を見開いた。
「コミュ力おばけの太陽が、生徒会に立候補?それで人気票で一気に生徒会長!? 本当に恐ろしいやつだな、お前は!!」
勝手に想像してうろたえる山本に、弁当を食べながら聞いてみる。
「あのさ、俺が生徒会長に推薦されると思う? 俺の成績、ビリのビリだよ」
「あ、そうだった。太陽が生徒会長とか、ありえないか」
つか、ひどいな、ほんと。
「生徒会から文化祭の交渉係を頼まれたんだ」
「文化祭の交渉係? そんな係、あったっけ?」
「んー、クラスからひとりずつ選出する実行委員とはべつに、個人的に頼まれた」
「へえ、太陽の顔の広さをかわれたんだ。入学してまだ三か月なのにすごいな。
で、太陽は、なにを交渉する係?」
「各部活への連絡全般とか、ミスコンの企画とか、いろいろ」
「ふーん、大変そうだな。……ってか、顔が広いと言えばさ」
山本がじとーっと湿った目を俺に向ける。
「なんだよ」
「太陽って、中学の卒業式で十人以上に告白されたってホント?」
いきなり話題を変えた山本から、顔をそむける。
「……知らない」
「隠してもムダだぞ」
「隠してるわけじゃないけど。……どうして山本がそんなこと知ってるんだよ」
「うちの中学まで、その噂が流れてきたから。ほら、白状しろ。おごってもらうから」
「なんだよそれ」
ほらほらと、しつこく粘る山本を押し返した。
「告白してくれた子に悪いから、俺の口からそういうことを軽々しく話しちゃダメだろ。だから、もうこの話はしない」
「くっそー、太陽はそういうところがイケメンなんだよなっ。お子様でバカのくせに」
「結局、悪口じゃん」
「『僕は下心なんて持ち合わせてません』って無邪気な顔して油断させて、全校の女子と知り合いになりやがって~! くそお、太陽のくせにっ!」
「太陽の場合は、下心がないんじゃなくて、中身が親切な小学生なだけだろ」
呆れ半分に傍観していた流星が、俺をフォローする。
いや、それってフォローになってるのかな?
小学生って、やっぱりただの悪口じゃないかな?
「それなら見た目も小学生ならよかったのにな。そしたら太陽、名探偵になれたじゃん」
「いや、見た目も心も小学生なら、それってただの小学生だろ」
「あ、なるほどね」
「……え? つまり俺は?」
「ただの小学生」
流星と山本が異口同音で答えた。
「おいっ、どうしてそうなるんだよっ!」
こうして恐ろしくくだらない話をしている間に、昼休みが終わった。
放課後、部活の掛け声が飛び交う校庭脇の歩道を流星と並んで歩く。
木々の葉は柔らかな淡い緑から深く濃い緑へと移り、歩道のコンクリートに木漏れ日が細かくちりばめられる。
「で、合コン、すんの?」
「するはずないだろ」
「太陽が企画したら、都道府県単位のスケールにはなりそうで怖い」
「流星まで変なこと言うなよ……そういえば、昨日、おばさんからリンゴもらった」
「あー、玄関に段ボールでリンゴが届いてたな」
うちの父ちゃんと流星のおじさんは高校の同級生で、幼いころから家族でBBQをしたりと家族ぐるみのつきあいが続いている。
そんなことを話しながら歩いていたら、どこからか名前を呼ばれた。
見上げると、二階の教室の窓からレオ先輩が気だるそうにこっちを見下ろしている。
「レオ先輩!」
驚きすぎて、声が裏返った。
朝、家に帰ったはずのレオ先輩がどうして教室にいるんだろう?
そんな疑問が頭をかすめたけど、すぐに先輩のいる教室の窓の下まで弾むように駆けつけた。
ゆるく片手を上げたレオ先輩は、夕陽を浴びて金色に染まり、光の中に溶ける幻みたいだ。
いつも暗い場所にいることが多いから、陽だまりのなかにいるレオ先輩の姿は新鮮で、
光に縁どられた先輩は神聖ですらあって、その姿に思わず見惚れた。
「おい、太陽。ボケっとして大丈夫か、お前」
「あ、えっと、レオ先輩、お疲れさまですっ!」
「全く疲れてねえよ、じいさんか、俺は」
「俺よりひとつ、じいさんです」
「お兄さんといいなさい」
窓から身を乗り出すレオ先輩に、軽く敬礼。
「レオ兄ちゃん、さようなら」
いつもはピリっとしている先輩の空気がふいにほころんで、嬉しくなる。
「おう、気を付けて帰れよ」
「はいっ」
思わず挨拶しちゃったけど、もし先輩が学校にいるならもう少しレオ先輩と話したいな。
振り返ると、流星は校門へ向かって歩き始めている。
レオ先輩と流星の背中を交互に見て、走って流星を追いかけると、よかったな、と流星が先に口を開いた。
「流星、あのさ、俺っ」
「レオ先輩のところに行くんだろ。ほら、早く行って来い。あの先輩、めったに学校に来ないんだから……ただ、気をつけろよ」
「わかってる。ありがとな、流星!」
それだけ伝えると、風を切る勢いで校舎にもどり、すれ違う先生たちに睨まれないギリギリの歩幅と速さで二年の教室に向かって、その扉を開けた。
……いない。
けれど、そこに先輩の姿はなくて、がらんとした教室ではカーテンが風にそよいでいる。
先輩、もう帰っちゃったんだ……。
ふと業者用の裏門から出入りしているレオ先輩を思い出し、教室を飛び出すと素早く階段を下りて、廊下を滑るようにして裏門に向かった。
「あれ、太陽? さっき、昇降口にいなかったっけ?」
「あ、うん。ごめんな、急いでて!」
すれ違う知り合いに返事をしつつ裏門へ急ぐと、遠くにレオ先輩の姿を見つけた。
夕方の日差しに、レオ先輩のゆるく結んだ髪が銀糸のように輝いている。
「レオ先輩!」
ありったけの声で叫ぶと、レオ先輩が足を止めた。
名前を呼ばれたレオ先輩はゆっくりと振り返り、俺に気づくと眉をひそめた。
夕陽に染まりレオ先輩の表情はよく見えないけれど、俺を見て困惑している……気がする。
俺、しくじったかも。
「太陽、……なに?」
「えっと、その、」
かすれたレオ先輩の声にかすかな苛立ちを感じて、しゅわしゅわと気持ちが萎んでいく。
先輩に追いついたところで、なにか伝えたかったわけじゃない。
ただ先輩と話したくて追いかけただけだ。
「あの、レオ先輩、これから地下室で絵、描いたり……、するんですか?」
「さあな」
「あ、あ、あの! もし絵を描くなら、俺もついて行っていいですか?」
思い切ってたずねると、レオ先輩にくしゃっと頭をなでられた。
「また今度な。つうか、あのあたり、治安よくねえだろ。お前は家でいい子にしてろ」
「……先輩はいいんですか?」
「俺は悪い子だからいいんだよ」
レオ先輩の鋭い瞳がふっと緩んで、きゅっと心臓が熱くなる。
……あのときと、同じ会話だ。
レオ先輩は覚えてないかもしれないけど、俺はずっと忘れられなかった。
「俺、先輩の絵を見ると元気になるんです。嫌なことも吹っ飛ぶっていうか!」
「お前はいつも元気そうだけどな」
「レオ先輩に会えたときは、もっと元気になりますっ」
ついつい声が弾んで、笑顔がこぼれる。
「……変なやつ」
「それでも、俺はレオ先輩に会えると嬉しいです!」
わふっと飛びつく勢いで伝えると、居心地悪そうにレオ先輩が目をそらした。
「お前さ……よくそういうことを言えるな。恥ずかしくねえのか?」
「全然! 本当のことなので!」
ついつい前のめりに顔を寄せてしまって、レオ先輩にぐっと押し返された。
「……太陽、近い」
「す、すみませんっ」
それでも、レオ先輩と話せるのが嬉しくてふにゃっと頬っぺたが緩む。
「それから、手」
「え?」
首をかしげて、レオ先輩とじっと見つめ合う。
「……だから、手だよ、お前の」
ん? 手……?
ゆっくり視線を落としてようやく気づく。
わ、わっ! いつの間に!?
レオ先輩の制服の裾を、俺、つまんでる──!
「す、す、す、す、すみませんっ! ほんと、俺、なにしてんだろう!?」
「……ほんとにな」
あわてて、レオ先輩の制服から手を離すと、両手で顔をおおった。
あー、もう、恥ずかしすぎるっ……!
「くくっ、太陽、またな」
ぽんっと頭に手が置かれて、下を向いたまま頷いた。
もう少しレオ先輩と話していたかったけど、朝も放課後もレオ先輩に会えるなんて今日は最高の一日だ。
ふわふわとした気分でレオ先輩の後ろ姿を目で追うと、そこには黒塗りの外車が止まっている。
なんだかすごく派手な車だな……。
「レオ!」
すると、路上に止められていたその車の後部座席のドアが開いて、ひときわ目立つ男が現れた。
透け感のあるリネンのシャツにビンテージなのか味のあるワイドパンツをあわせた派手な装いに、高そうなシルバーのアクセサリーをじゃらじゃらとぶら下げている。
レオ先輩とその男が並ぶと、別世界の住人って感じがする。
少し離れた場所からふたりを見つめていると、その人が俺に気づいた。
「あれ、誰? レオの知り合い?」
「あ、えと」
なんて答えたらいいんだろ。
悩んでいるうちに、すたすたとその人が目の前にやってきた。
「俺、小中とレオの同級で、西園寺巧っていうんだけどさ。きみの名前は?」
「……おい、巧。そいつに声かけんな」
レオ先輩が怖い顔で割って入って、口をつぐんだ。
「べつにいいじゃん。名前、聞くくらい。なあ?」
苛立ちを露わにするレオ先輩と笑顔を崩さない巧さんに挟まれて固まっていると、「で、名前は?」と巧さんが顔を寄せてくる。
ぐいぐいくるな、この人……。
「えっと、春野太陽です」
「へえ、いい名前。親、センスいいな」
「俺も、自分の名前は好きです」
嬉しくてにこっと笑うと、レオ先輩が目を眇める。
「巧、そいつに構うなよ」
「レオの後輩なんだろ? だったらいいじゃん」
巧さんは、見た目は派手な孔雀みたいな人だけど、悪い人ではなさそうだ。
