【レオside】
地下室で絵を描いていたら、担任に呼び出され学校までやってきた。
……明日は文化祭か。
段ボールが乱雑に並べられた校庭ではテントが組み立てられ、忙しなく生徒が行き交っている。
そんな光景のどこかに無意識のうちに太陽を探していて、目を伏せた。
あの花火大会の夜以降、太陽とは会っていない。
地下室にもやってこない。
それでいい、と思った矢先、太陽からメッセージが届いた。
『もし、地下室にいるなら少しだけ、行ってもいいですか?』
遠慮がちなメッセージのわりに、内容は図々しい。
あいつは人の話を全然、聞かねえな……。
『迷惑』と一言だけ返したメッセージを太陽が素直に聞くとは思えない。
もう来るなって、何度伝えればあいつは理解するんだ……。
どれだけ拒絶しても、太陽は申し訳なさそうな顔をして、ちゃっかり現れる。
いたずらを見つかった子犬のような顔で現れる太陽を見ると、本気で怒鳴ることもできなくなる。
太陽みたいな奴に出会ったのは初めてで、どうしたらいいか全くわからない。
廊下を歩くと、どの教室もいつになく賑やかな声が飛び交っていて、殺風景だった壁が色とりどりの飾りで彩られている。
太陽はきっとこの校舎のどこかで忙しくしてんだろうな。
それでいい、と自分に言い聞かせるように繰り返す。
太陽といると、その居心地の良さに自分を失う。
これまで経験したことのない独占欲と衝動に突き動かされて、抑えが利かなくなる。
太陽には太陽のいるべき世界があって、俺があいつの世界に影を落とすべきじゃない。
ふうっと短く息を吐いたそのとき、轟音が教室の窓を震わせた。
振動を伴う爆音が続いて、ビリビリと震える校舎に周囲が静まり返る。
「……なにか、爆発した?」
「やばくね……?」
「駅の近くかな」
窓のそとに目を向けると、駅の方向に赤黒い炎が吹きあがっている。
教室にいる全員が窓に視線を走らせ、その光景を呆然と眺めた。
そうしている間にも、粛々と勢いを増す炎が、空を赤く焼いていく。
「ねえ、大丈夫かな……」
消防車や救急車、それにパトカーのサイレンの音が四方八方から聞こえて不安を煽る。
「とりあえず、終わらせちゃおう」
掴みどころのない不安が校舎全体を包むなかで、廊下を進むと正面から太陽の幼なじみの流星が血相を変えてやってきた。
流星は、俺の顔を確認すると崩れるように膝に手を置いて、深く息を吐いた。
「よかったあ……、レオ先輩、学校にいたんですね。はああ、焦った……」
「いきなり、どうした」
「太陽がレオ先輩に会いに行くって言ってたんで、ひやっとして。レオ先輩がここにいるってことは、太陽もきっと校内にいますよね」
「それは、いつの話だ?」
「ついさっきです。買い出しで駅に行くから、ちょっとだけ地下室を覗いてくるって太陽が言ってたんで、まさかと思って。あの爆発って駅の近くっぽいから」
「太陽には地下室にはもう来るなって伝えてある。けど……」
……あいつが聞き分けよく、俺の話を聞いたためしはない。
そのとき、スマホに通知があった。
太陽かと思い確認すると、親からだった。
その文面に、血の気が引いた。
止まないサイレンの音が、鼓動に重なり鈍く響く。
まさか、な。
頭をかすめる恐ろしい想像をすぐに打ち消す。
まさか、……そんなことがあるはずない。
「レオ先輩、どうしたんですか?」
「……爆発したのは、……俺がいつも絵を描いてるビルだ。……ガス漏れに引火して、爆発したらしい」
「え、」
そこまで伝えると、廃ビルを目指して駆け出した。
誰の声にも意識が向かず、廊下を抜け、昇降口を駆け抜けると、一心に駅に向かう。
交差点から黒く煙る空が見えて、唇を硬く噛んだ。
(駅裏で、ビルが爆発したらしいよ)
(火の勢いがすごくて、全然消火できないんだって)
(ビルの一部が崩落しちゃって、あのあたり避難指示がでて封鎖されたらしい)
聞こえてくる会話に、心がつぶされそうになり、意識を閉じる。
……太陽があそこにいるはずがない。
あいつは文化祭の準備で忙しくしていて、あんな場所に行けるはずがない。 生徒会室や講堂を行き来していて、もしかしたらこの爆発にも気づいていないかもしれない。
買い出しなんて、さっさと終わらせて、きっと校内のどこかにいる。
そう信じたい心にすがり、それでも焦りに突き動かされ、一心不乱に走り続けた。
心臓が破裂寸前に脈打ち、呼吸があがって、額から汗が吹き出す。
どれだけ自分を落ち着かせようとしても、気が急く理由は、ひとつだけだ。
……もし、太陽があのビルにいたら。
廃ビルの前に着くと、黒煙が視界を覆い、焦げた匂いが鼻を刺し、赤く燃えた火屑が空に舞う。
おびただしい数の消防車にパトカー、救急車が並び、防火服を着た消防隊員や、警察官が険しい表情で行き来している。
「太陽!」
どれだけ叫んでも、炎の喧噪に声はかき消される。規制線が張られ、周囲は封鎖されてそれ以上は近づけない。
何度目かの爆発音とともに火の粉が舞い散った。
そのとき、規制線の近くに太陽の姿が見えた。
太陽は必死の形相できょろきょろとあたりを見回している。
よかった……、太陽は無事だ。
胸をなでおろすと同時に、妙な胸騒ぎが走る。
……けど、あいつ、なにしてるんだ?
その背中に殺気だったものを感じて、ひやりとする。
「太陽!!」
声の限りに名前を叫んでも、太陽は気づかない。人の流れが激しくて、遅々として前に進めない。
すると、太陽が一瞬の隙をついて、規制線を越えて火を噴く廃ビルへと駆け出した。
あのバカ!!
「……よう! たいようっ!」
規制線を飛び越え、走り出した太陽を、背中から羽交い締めにして、熱をもつ地面にふたりで倒れ込んだ。
砂煙があがり、耳が触れる距離に太陽がいる。
「太陽っ! このバカ! お前、なにしてんだよっ!?」
「……せ、んぱい?」
「はあ、はあ、……」
呆然としている太陽を、土の上に転がったまま押さえつけた。
「お前、規制線、越えてなにするつもりだったんだよ!?」
「……先輩があの中にいるかもって思ったら、……もう、なにも考えられなくなった」
「火事だぞ、ビル、燃え落ちてるんだぞ? 本気で言ってんのか!?」
寝転ぶ太陽の胸倉をつかんで怒鳴りつけた。
「……黒いリュックが、ビルの入口に落ちてて、先輩が、燃えてるビルのなかにいるんじゃないかと思った。レオ先輩の描いた壁の絵が燃えてて、もしそこにレオ先輩がいたらと思ったら、頭の中が真っ白になって……」
「ふざけんなよ」
声を荒げた拍子に、太陽の頬にしずくが落ちた。雨かと思ったら、自分の涙だった。
もう力が入らず、それでも片腕で太陽の頭を腕のなかに掻き抱いた。
汗まみれの胸に、太陽の押し殺した声が響く。
「どうしよう……、レオ先輩の絵が全部、燃えちゃった……」
「そんなものいくらだって描いてやる。だから……無茶するな、このバカが!」
「…めんなさい、レオ先輩。……けど、俺、もう無理だ」
腕のなかで、太陽の声がひしゃげて潰れていく。
「……俺、レオ先輩のことが、好きで、好きで、やっぱり諦められない」
俺にしがみつくその体が震えていて、太陽を強く抱きしめると、その耳元にそっと伝えた。
「俺だって、お前がいなきゃ、やってらんねえんだよ」
土埃と煙にまみれて交わした俺たちのこの想いが、恋なのか愛なのか、べつのなにかなのか、俺にはわからない。
けど、俺はもう、太陽が生きていてくれれば、それでいい。
俺はただ太陽が大切で、今はもう、それだけでいい。
太陽を抱きしめたまま仰向けに倒れた視線の先では、炎が空を赤く染め、煙がうねるように広がっている。焦げた木材の臭いが充満し、遠くで消防車のサイレンが響いている。
それでも太陽が、目の前に、……いる。
起き上がると、砂と涙にまみれた太陽の頬を手のひらでぬぐった。
「太陽、頼むから、もう、むちゃなことするな」
掠れる声で必死に紡ぐと、太陽の両手に頬を包まれた。
潤んだ丸い瞳が、じっと俺を見つめて甘く笑う。
「レオ先輩が……、無事でよかったです。俺、レオ先輩が……好きです。死んでもいいくらい、好きなんです」
「この、……バカ。お前が死んだら、俺が困る……」
絞り出した声は混沌とした現場で、掠れて消えた。
地下室で絵を描いていたら、担任に呼び出され学校までやってきた。
……明日は文化祭か。
段ボールが乱雑に並べられた校庭ではテントが組み立てられ、忙しなく生徒が行き交っている。
そんな光景のどこかに無意識のうちに太陽を探していて、目を伏せた。
あの花火大会の夜以降、太陽とは会っていない。
地下室にもやってこない。
それでいい、と思った矢先、太陽からメッセージが届いた。
『もし、地下室にいるなら少しだけ、行ってもいいですか?』
遠慮がちなメッセージのわりに、内容は図々しい。
あいつは人の話を全然、聞かねえな……。
『迷惑』と一言だけ返したメッセージを太陽が素直に聞くとは思えない。
もう来るなって、何度伝えればあいつは理解するんだ……。
どれだけ拒絶しても、太陽は申し訳なさそうな顔をして、ちゃっかり現れる。
いたずらを見つかった子犬のような顔で現れる太陽を見ると、本気で怒鳴ることもできなくなる。
太陽みたいな奴に出会ったのは初めてで、どうしたらいいか全くわからない。
廊下を歩くと、どの教室もいつになく賑やかな声が飛び交っていて、殺風景だった壁が色とりどりの飾りで彩られている。
太陽はきっとこの校舎のどこかで忙しくしてんだろうな。
それでいい、と自分に言い聞かせるように繰り返す。
太陽といると、その居心地の良さに自分を失う。
これまで経験したことのない独占欲と衝動に突き動かされて、抑えが利かなくなる。
太陽には太陽のいるべき世界があって、俺があいつの世界に影を落とすべきじゃない。
ふうっと短く息を吐いたそのとき、轟音が教室の窓を震わせた。
振動を伴う爆音が続いて、ビリビリと震える校舎に周囲が静まり返る。
「……なにか、爆発した?」
「やばくね……?」
「駅の近くかな」
窓のそとに目を向けると、駅の方向に赤黒い炎が吹きあがっている。
教室にいる全員が窓に視線を走らせ、その光景を呆然と眺めた。
そうしている間にも、粛々と勢いを増す炎が、空を赤く焼いていく。
「ねえ、大丈夫かな……」
消防車や救急車、それにパトカーのサイレンの音が四方八方から聞こえて不安を煽る。
「とりあえず、終わらせちゃおう」
掴みどころのない不安が校舎全体を包むなかで、廊下を進むと正面から太陽の幼なじみの流星が血相を変えてやってきた。
流星は、俺の顔を確認すると崩れるように膝に手を置いて、深く息を吐いた。
「よかったあ……、レオ先輩、学校にいたんですね。はああ、焦った……」
「いきなり、どうした」
「太陽がレオ先輩に会いに行くって言ってたんで、ひやっとして。レオ先輩がここにいるってことは、太陽もきっと校内にいますよね」
「それは、いつの話だ?」
「ついさっきです。買い出しで駅に行くから、ちょっとだけ地下室を覗いてくるって太陽が言ってたんで、まさかと思って。あの爆発って駅の近くっぽいから」
「太陽には地下室にはもう来るなって伝えてある。けど……」
……あいつが聞き分けよく、俺の話を聞いたためしはない。
そのとき、スマホに通知があった。
太陽かと思い確認すると、親からだった。
その文面に、血の気が引いた。
止まないサイレンの音が、鼓動に重なり鈍く響く。
まさか、な。
頭をかすめる恐ろしい想像をすぐに打ち消す。
まさか、……そんなことがあるはずない。
「レオ先輩、どうしたんですか?」
「……爆発したのは、……俺がいつも絵を描いてるビルだ。……ガス漏れに引火して、爆発したらしい」
「え、」
そこまで伝えると、廃ビルを目指して駆け出した。
誰の声にも意識が向かず、廊下を抜け、昇降口を駆け抜けると、一心に駅に向かう。
交差点から黒く煙る空が見えて、唇を硬く噛んだ。
(駅裏で、ビルが爆発したらしいよ)
(火の勢いがすごくて、全然消火できないんだって)
(ビルの一部が崩落しちゃって、あのあたり避難指示がでて封鎖されたらしい)
聞こえてくる会話に、心がつぶされそうになり、意識を閉じる。
……太陽があそこにいるはずがない。
あいつは文化祭の準備で忙しくしていて、あんな場所に行けるはずがない。 生徒会室や講堂を行き来していて、もしかしたらこの爆発にも気づいていないかもしれない。
買い出しなんて、さっさと終わらせて、きっと校内のどこかにいる。
そう信じたい心にすがり、それでも焦りに突き動かされ、一心不乱に走り続けた。
心臓が破裂寸前に脈打ち、呼吸があがって、額から汗が吹き出す。
どれだけ自分を落ち着かせようとしても、気が急く理由は、ひとつだけだ。
……もし、太陽があのビルにいたら。
廃ビルの前に着くと、黒煙が視界を覆い、焦げた匂いが鼻を刺し、赤く燃えた火屑が空に舞う。
おびただしい数の消防車にパトカー、救急車が並び、防火服を着た消防隊員や、警察官が険しい表情で行き来している。
「太陽!」
どれだけ叫んでも、炎の喧噪に声はかき消される。規制線が張られ、周囲は封鎖されてそれ以上は近づけない。
何度目かの爆発音とともに火の粉が舞い散った。
そのとき、規制線の近くに太陽の姿が見えた。
太陽は必死の形相できょろきょろとあたりを見回している。
よかった……、太陽は無事だ。
胸をなでおろすと同時に、妙な胸騒ぎが走る。
……けど、あいつ、なにしてるんだ?
その背中に殺気だったものを感じて、ひやりとする。
「太陽!!」
声の限りに名前を叫んでも、太陽は気づかない。人の流れが激しくて、遅々として前に進めない。
すると、太陽が一瞬の隙をついて、規制線を越えて火を噴く廃ビルへと駆け出した。
あのバカ!!
「……よう! たいようっ!」
規制線を飛び越え、走り出した太陽を、背中から羽交い締めにして、熱をもつ地面にふたりで倒れ込んだ。
砂煙があがり、耳が触れる距離に太陽がいる。
「太陽っ! このバカ! お前、なにしてんだよっ!?」
「……せ、んぱい?」
「はあ、はあ、……」
呆然としている太陽を、土の上に転がったまま押さえつけた。
「お前、規制線、越えてなにするつもりだったんだよ!?」
「……先輩があの中にいるかもって思ったら、……もう、なにも考えられなくなった」
「火事だぞ、ビル、燃え落ちてるんだぞ? 本気で言ってんのか!?」
寝転ぶ太陽の胸倉をつかんで怒鳴りつけた。
「……黒いリュックが、ビルの入口に落ちてて、先輩が、燃えてるビルのなかにいるんじゃないかと思った。レオ先輩の描いた壁の絵が燃えてて、もしそこにレオ先輩がいたらと思ったら、頭の中が真っ白になって……」
「ふざけんなよ」
声を荒げた拍子に、太陽の頬にしずくが落ちた。雨かと思ったら、自分の涙だった。
もう力が入らず、それでも片腕で太陽の頭を腕のなかに掻き抱いた。
汗まみれの胸に、太陽の押し殺した声が響く。
「どうしよう……、レオ先輩の絵が全部、燃えちゃった……」
「そんなものいくらだって描いてやる。だから……無茶するな、このバカが!」
「…めんなさい、レオ先輩。……けど、俺、もう無理だ」
腕のなかで、太陽の声がひしゃげて潰れていく。
「……俺、レオ先輩のことが、好きで、好きで、やっぱり諦められない」
俺にしがみつくその体が震えていて、太陽を強く抱きしめると、その耳元にそっと伝えた。
「俺だって、お前がいなきゃ、やってらんねえんだよ」
土埃と煙にまみれて交わした俺たちのこの想いが、恋なのか愛なのか、べつのなにかなのか、俺にはわからない。
けど、俺はもう、太陽が生きていてくれれば、それでいい。
俺はただ太陽が大切で、今はもう、それだけでいい。
太陽を抱きしめたまま仰向けに倒れた視線の先では、炎が空を赤く染め、煙がうねるように広がっている。焦げた木材の臭いが充満し、遠くで消防車のサイレンが響いている。
それでも太陽が、目の前に、……いる。
起き上がると、砂と涙にまみれた太陽の頬を手のひらでぬぐった。
「太陽、頼むから、もう、むちゃなことするな」
掠れる声で必死に紡ぐと、太陽の両手に頬を包まれた。
潤んだ丸い瞳が、じっと俺を見つめて甘く笑う。
「レオ先輩が……、無事でよかったです。俺、レオ先輩が……好きです。死んでもいいくらい、好きなんです」
「この、……バカ。お前が死んだら、俺が困る……」
絞り出した声は混沌とした現場で、掠れて消えた。
