街が夕闇に沈むころにやっと文化祭の打ち合わせが終わり、いつもの廃ビルへと急いだ。
だけど、レオ先輩は街のどこにも見当たらない。
連絡もつかないし、今日は諦めた方がいいのかな。
肩を落として駅に向かいながらも、あふれる人込みについレオ先輩の姿をさがしてしまう。
どれだけ混んだ場所にいても、レオ先輩はすぐに見つけることができる。
先輩は、人込みのなかにいてもひときわ目を引くから。
迫力のある彫りの深い顔立ちも鋭い眼光も、近寄りがたい不機嫌さも、そのすべてに心を奪われる。
孤高の天才……ってきっとレオ先輩みたいなひとのことを言うんだろうな。
無気力そうでいて、レオ先輩はいつも激しくなにかを求めているような、そんなひりついた空気を纏っていて、近づきがたいのに目が離せない。
レオ先輩は俺にとって唯一無二の特別なひとだ。
文化祭が数日後に迫り、校舎は熱気とざわめきに包まれている。
今日明日は文化祭準備のため授業は行われないので、どの部門も急ピッチで準備を進めている。
すると、講堂から渡り廊下へ足を踏み出したところで、レオ先輩を見かけた。
「レオ先輩! 学校に来てたんですね!」
ぱたぱたと駆けつけると、レオ先輩が振り返る。
「担任に呼び出されてたんだよ」
「あの、先輩はこれから……」
「いつものとこ」
地下室で、絵を描くんだ!
文化祭には全く興味がなさそうなレオ先輩だけど、その瞳の奥は気迫が渦巻いている。
レオ先輩の貫くような視線の先にあるのは、あの廃ビルの汚れた壁だ。
「先輩、文化祭の準備が終わったら俺も地下室に行っていいですか?」
レオ先輩の顔をみたら文化祭の疲れなんて一瞬で吹き飛んだ。
ついつい浮かれて前のめりにたずねると、
「……来るなよ、邪魔」
冷たく一蹴さ(いっしゅう)れた。
───え?
まさか、拒絶されるとは思わなくて、笑顔を張り付けたまま固まった。
「しばらくひとりで描きたいんだよ。もう十分、見学しただろ」
「……あの、俺、なにかしましたか?」
思わず腕をつかんで引き止めた。
だって、先輩の様子がいつもと違う。
苦しそうに顔をゆがませるレオ先輩に胸騒ぎがする。
「あのな、今学期で高校、辞めることになったんだよ」
高校を、……やめる?
「ど、どういうことですか!?」
「アメリカに留学する。早ければ来週には出国だ」
「出国……って……」
そう繰り返してみても、頭のなかは真っ白で、言葉がでてこない。
だって、来週って……。
ついこの間だって一緒に、夕飯食べて、それで……。
「深夜早朝にふらふらしてる素行不良の息子が目障りなんだろ。親が勝手に決めてきたんだよ。体のいい厄介払いだ」
「厄介払いって、そんな……」
「そういう親なんだよ」
「けど、だからって……」
「家、出たいんだよ。向こうに行って俺がなにをしようと親は興味ねえよ。けど、ここにいる限り、親の監視から逃れられないからな」
俺には手の届かない遠い世界を先輩は望んでいて、俺が口出しできることなんて、なにひとつないのかもしれない。
けど……。
ぐっと奥歯をかみしめて、言葉を絞り出す。
「先輩は、……俺の憧れなんです。カリスマで、ずっと憧れてた幻のひとで。レオ先輩に学校で声をかけてもらえるようになって、俺、すごく嬉しくて。レオ先輩が同じ高校の先輩だって知った時、本当に嬉しかったんです。なのに……」
そこで黙り込むと、なんだよ、とレオ先輩が眉を上げる。
「……留学しちゃったら、もうレオ先輩に会えなくなる」
「またどっかで会えんだろ」
「……先輩は、もう日本には帰ってこない。そんな気が……するから」
「お前、よくわかってんな」
やっぱり。
レオ先輩は帰ってくるつもりはないんだ……。
「だから、太陽、もう俺のところには来るな」
「……どうしてですか?」
声が、震えた。
それでも、じっと先輩の目を見つめてたずねると、
「正直、迷惑」
その一言に心を刺された。
そんなこと言われたら、もう、なにも言えない。
「じゃあな」
そう言って、すっと伸ばされた手は、いつものように俺の頭をなでることなく、引っ込められた。
そのまま背を向けて立ち去るレオ先輩を、俺はただ見送ることしかできな
かった。
あの日のキスも、可愛いって言葉も幻かもしれないと悩みながらも、もしかしたら、少しはレオ先輩の特別な存在になれたのかなって、どこかで期待していた。
……でも、俺はいったいなにを期待していたんだろう。
レオ先輩にここまで強く拒絶されたのは初めてで、どうしていいかわからない。
不愛想だったり乱暴な口調だったりするけど、初めて会ったときから、レオ先輩はそうとはわからない形で優しかった。
心のどこかで文化祭や花火大会をレオ先輩と楽しめたらいいなって期待していた。
でも、どれもこれも独りよがりな幻想でしかなかった。
レオ先輩にとって、俺は迷惑な存在でしかなかったんだ。
胸の奥がきしむように痛んできつく目を閉じた。
こうなったらと、気を紛らわせるために文化祭の準備に集中した。
各部署と連絡をとり合い、膨大な資料をまとめ、納得のいくまで打ち合わせを重ねても、ずっと心が重い。
笑っていても、ふいに涙がこぼれそうで、うまく呼吸ができなくなる。
レオ先輩にとって、きっと留学は悪い話じゃない。
俺ができることは、レオ先輩を応援することで、困らせることじゃない。
頭ではわかってる、けど、心が追いつかない。
始まりは壁に描かれた浮世絵だった。
汚れた壁に、激しく大胆に絵を描く先輩の姿は、崇高ですらあって、レオ先輩は俺にとって神様みたいな存在だった。
まさか一緒に夕飯を食べたり、笑いあったりできるなんて思わなくて、知れば知るほどレオ先輩に惹かれて、俺の世界はレオ先輩一色になった。
レオ先輩が笑ってくれると、俺の世界は明るくなった。
レオ先輩のいない世界で、俺はいつだってレオ先輩の姿を探している。
「あ、太陽くん、いた! 悪いんだけど、このあと写真部の打ち合わせをお願いしていいかな? 急ぎで!」
講堂に戻ったところで、生徒会の副会長と鉢合わせた。
「写真部との打ち合わせって、部室でしたっけ?」
勢いに任せて、無理に笑うと、走るポーズを取りながら答えた。
「助かる~! 太陽くんは、いつも元気いっぱいで、こっちまで元気になるわー」
「ははっ」
ほんとは、泣いて暴れたいほど、へこんでるんだけどな。
こうなったらと、やけになって満面の笑顔で「じゃ、行ってきます!」と駆け出した。
笑ってないと、立ち上がれなくなりそうで、必死に自分を奮い立たせる。
写真部との打ち合わせを終えると、部室の壁一面に貼られた写真をぼんやりと眺めた。
テーマは『初恋』。
生徒がスマホで撮った写真に、写真部がいくつかの賞を与えるもので、教室で話題になっていた。
「その写真、どれもすごいだろ? ものすごい数の応募があってさ。ここに貼ってある写真は選びに選んだものばかり」
「へえ」
目の前にある壁には百枚近くの写真がびっしりと貼られている。
廊下ですれ違うふたり、野球部のユニフォーム、つま先がこつんとぶつかった二足の上履き、触れそうで触れられない指先、教室にひとりで佇む先生。
どれもが甘酸っぱくて切ない。
そのなかに一枚の写真を見つけた。
グラウンド脇の歩道から教室を見上げる後ろ姿。
二階の教室から手を振るもうひとつの姿は、夕焼けに照らされてシルエットだけが確認できる。
───写真に映っているのは、あの日の自分と、レオ先輩だ。
写真を撮ったのは、おそらく流星だ。
あいつ……と思いながら、その光景にじわりと視界が潤んだ。
───初恋。
ふいに、心の奥に触れたひとひらの言葉。
どこか遠い存在だったその言葉が甘く響いて、はっきりとした輪郭を伴って、静かに心に落ちて広がった。
そっか……俺の初恋は、レオ先輩だったんだ。
ぼんやりとした想いが、今はっきりと色づいて見える。
もういなくなっちゃうけど、この先もずっと俺にとってレオ先輩だけが俺の大好きな人だ。
「……おい、太陽、どうした?」
「なんでもないです」
指先でそっと目元を拭うと、スマホを握りしめた。
だけど、レオ先輩は街のどこにも見当たらない。
連絡もつかないし、今日は諦めた方がいいのかな。
肩を落として駅に向かいながらも、あふれる人込みについレオ先輩の姿をさがしてしまう。
どれだけ混んだ場所にいても、レオ先輩はすぐに見つけることができる。
先輩は、人込みのなかにいてもひときわ目を引くから。
迫力のある彫りの深い顔立ちも鋭い眼光も、近寄りがたい不機嫌さも、そのすべてに心を奪われる。
孤高の天才……ってきっとレオ先輩みたいなひとのことを言うんだろうな。
無気力そうでいて、レオ先輩はいつも激しくなにかを求めているような、そんなひりついた空気を纏っていて、近づきがたいのに目が離せない。
レオ先輩は俺にとって唯一無二の特別なひとだ。
文化祭が数日後に迫り、校舎は熱気とざわめきに包まれている。
今日明日は文化祭準備のため授業は行われないので、どの部門も急ピッチで準備を進めている。
すると、講堂から渡り廊下へ足を踏み出したところで、レオ先輩を見かけた。
「レオ先輩! 学校に来てたんですね!」
ぱたぱたと駆けつけると、レオ先輩が振り返る。
「担任に呼び出されてたんだよ」
「あの、先輩はこれから……」
「いつものとこ」
地下室で、絵を描くんだ!
文化祭には全く興味がなさそうなレオ先輩だけど、その瞳の奥は気迫が渦巻いている。
レオ先輩の貫くような視線の先にあるのは、あの廃ビルの汚れた壁だ。
「先輩、文化祭の準備が終わったら俺も地下室に行っていいですか?」
レオ先輩の顔をみたら文化祭の疲れなんて一瞬で吹き飛んだ。
ついつい浮かれて前のめりにたずねると、
「……来るなよ、邪魔」
冷たく一蹴さ(いっしゅう)れた。
───え?
まさか、拒絶されるとは思わなくて、笑顔を張り付けたまま固まった。
「しばらくひとりで描きたいんだよ。もう十分、見学しただろ」
「……あの、俺、なにかしましたか?」
思わず腕をつかんで引き止めた。
だって、先輩の様子がいつもと違う。
苦しそうに顔をゆがませるレオ先輩に胸騒ぎがする。
「あのな、今学期で高校、辞めることになったんだよ」
高校を、……やめる?
「ど、どういうことですか!?」
「アメリカに留学する。早ければ来週には出国だ」
「出国……って……」
そう繰り返してみても、頭のなかは真っ白で、言葉がでてこない。
だって、来週って……。
ついこの間だって一緒に、夕飯食べて、それで……。
「深夜早朝にふらふらしてる素行不良の息子が目障りなんだろ。親が勝手に決めてきたんだよ。体のいい厄介払いだ」
「厄介払いって、そんな……」
「そういう親なんだよ」
「けど、だからって……」
「家、出たいんだよ。向こうに行って俺がなにをしようと親は興味ねえよ。けど、ここにいる限り、親の監視から逃れられないからな」
俺には手の届かない遠い世界を先輩は望んでいて、俺が口出しできることなんて、なにひとつないのかもしれない。
けど……。
ぐっと奥歯をかみしめて、言葉を絞り出す。
「先輩は、……俺の憧れなんです。カリスマで、ずっと憧れてた幻のひとで。レオ先輩に学校で声をかけてもらえるようになって、俺、すごく嬉しくて。レオ先輩が同じ高校の先輩だって知った時、本当に嬉しかったんです。なのに……」
そこで黙り込むと、なんだよ、とレオ先輩が眉を上げる。
「……留学しちゃったら、もうレオ先輩に会えなくなる」
「またどっかで会えんだろ」
「……先輩は、もう日本には帰ってこない。そんな気が……するから」
「お前、よくわかってんな」
やっぱり。
レオ先輩は帰ってくるつもりはないんだ……。
「だから、太陽、もう俺のところには来るな」
「……どうしてですか?」
声が、震えた。
それでも、じっと先輩の目を見つめてたずねると、
「正直、迷惑」
その一言に心を刺された。
そんなこと言われたら、もう、なにも言えない。
「じゃあな」
そう言って、すっと伸ばされた手は、いつものように俺の頭をなでることなく、引っ込められた。
そのまま背を向けて立ち去るレオ先輩を、俺はただ見送ることしかできな
かった。
あの日のキスも、可愛いって言葉も幻かもしれないと悩みながらも、もしかしたら、少しはレオ先輩の特別な存在になれたのかなって、どこかで期待していた。
……でも、俺はいったいなにを期待していたんだろう。
レオ先輩にここまで強く拒絶されたのは初めてで、どうしていいかわからない。
不愛想だったり乱暴な口調だったりするけど、初めて会ったときから、レオ先輩はそうとはわからない形で優しかった。
心のどこかで文化祭や花火大会をレオ先輩と楽しめたらいいなって期待していた。
でも、どれもこれも独りよがりな幻想でしかなかった。
レオ先輩にとって、俺は迷惑な存在でしかなかったんだ。
胸の奥がきしむように痛んできつく目を閉じた。
こうなったらと、気を紛らわせるために文化祭の準備に集中した。
各部署と連絡をとり合い、膨大な資料をまとめ、納得のいくまで打ち合わせを重ねても、ずっと心が重い。
笑っていても、ふいに涙がこぼれそうで、うまく呼吸ができなくなる。
レオ先輩にとって、きっと留学は悪い話じゃない。
俺ができることは、レオ先輩を応援することで、困らせることじゃない。
頭ではわかってる、けど、心が追いつかない。
始まりは壁に描かれた浮世絵だった。
汚れた壁に、激しく大胆に絵を描く先輩の姿は、崇高ですらあって、レオ先輩は俺にとって神様みたいな存在だった。
まさか一緒に夕飯を食べたり、笑いあったりできるなんて思わなくて、知れば知るほどレオ先輩に惹かれて、俺の世界はレオ先輩一色になった。
レオ先輩が笑ってくれると、俺の世界は明るくなった。
レオ先輩のいない世界で、俺はいつだってレオ先輩の姿を探している。
「あ、太陽くん、いた! 悪いんだけど、このあと写真部の打ち合わせをお願いしていいかな? 急ぎで!」
講堂に戻ったところで、生徒会の副会長と鉢合わせた。
「写真部との打ち合わせって、部室でしたっけ?」
勢いに任せて、無理に笑うと、走るポーズを取りながら答えた。
「助かる~! 太陽くんは、いつも元気いっぱいで、こっちまで元気になるわー」
「ははっ」
ほんとは、泣いて暴れたいほど、へこんでるんだけどな。
こうなったらと、やけになって満面の笑顔で「じゃ、行ってきます!」と駆け出した。
笑ってないと、立ち上がれなくなりそうで、必死に自分を奮い立たせる。
写真部との打ち合わせを終えると、部室の壁一面に貼られた写真をぼんやりと眺めた。
テーマは『初恋』。
生徒がスマホで撮った写真に、写真部がいくつかの賞を与えるもので、教室で話題になっていた。
「その写真、どれもすごいだろ? ものすごい数の応募があってさ。ここに貼ってある写真は選びに選んだものばかり」
「へえ」
目の前にある壁には百枚近くの写真がびっしりと貼られている。
廊下ですれ違うふたり、野球部のユニフォーム、つま先がこつんとぶつかった二足の上履き、触れそうで触れられない指先、教室にひとりで佇む先生。
どれもが甘酸っぱくて切ない。
そのなかに一枚の写真を見つけた。
グラウンド脇の歩道から教室を見上げる後ろ姿。
二階の教室から手を振るもうひとつの姿は、夕焼けに照らされてシルエットだけが確認できる。
───写真に映っているのは、あの日の自分と、レオ先輩だ。
写真を撮ったのは、おそらく流星だ。
あいつ……と思いながら、その光景にじわりと視界が潤んだ。
───初恋。
ふいに、心の奥に触れたひとひらの言葉。
どこか遠い存在だったその言葉が甘く響いて、はっきりとした輪郭を伴って、静かに心に落ちて広がった。
そっか……俺の初恋は、レオ先輩だったんだ。
ぼんやりとした想いが、今はっきりと色づいて見える。
もういなくなっちゃうけど、この先もずっと俺にとってレオ先輩だけが俺の大好きな人だ。
「……おい、太陽、どうした?」
「なんでもないです」
指先でそっと目元を拭うと、スマホを握りしめた。
