翌日、編入手続きのことで学校に呼び出された。
生徒会室の前を通りかかると、聞きなれた名前が耳に飛び込んできて足を緩めた。
「太陽、どこにいるか知ってる?」
「あー、追試で呼び出されて、虫の息で進路指導室に行ったよ」
「へえ、あいつ、死ぬじゃん、ただでさえ文化祭で忙しいのに」
「追試なんて、せめて文化祭のあとにしてあげればいいのに」
追試って大丈夫か、あいつ。
……いや、きっと大丈夫じゃねえな。
「そういえば、太陽くんが職質かけられてたってほんと?」
足を止めて、耳を澄ました。
……太陽が職質?
「あー……あの子、最近、遅い時間に駅裏の治安が悪いエリアをぶらついてるらしいね。そのことでこの前、職員室に呼び出されてたよ」
「職質かあ、悪い輩に引っかからないといいけど」
「私が見かけたときも、ちょっと怖い系のお兄さんに声かけられてたよ。心配だよね、コロッと騙されちゃいそうで」
「太陽って二年の獅堂ともたまに絡んでるだろ」
ふいに名指しされて、心臓が鳴った。
「太陽くんみたいな素直な子は危ないかもね。簡単に染まっちゃいそう」
「この前も妙な外車に乗ってたし。あの子には純朴に育ってほしかったのになー」
「親心じゃん!」
「ははっ」
そんなたわいもない会話に、冷や水をかけられた気分だった。
妙な外車は、おそらく巧のことだ。
まさか太陽は毎晩、あの地下室に行ってたのか?
俺がいないからと、職質かけられるような時間まで駅裏をうろうろと?
これまでにも地下室にこもって絵を描いて、ふらりと駅に行くと偶然、太陽に会うことがあった。
もしあれが偶然じゃないとすると……。
太陽はあのあたりを毎夜ぶらついていたことになる。
……ダメだろ、それは。
と、忙しなく歩いてきた奴と出会い頭にぶつかりそうになって、踏みとどまった。
「わっ、すみませんっ」
勢いよく頭を下げられて、「ああ」と軽くいなして通りすぎると、後ろから腕をつかまれた。
「あの、レオ先輩……ですよね?」
流れ込んだ風に、そいつの前髪が浮いて、エメラルドグリーンの瞳が見えた。
……誰だ、こいつ?
「俺、春野太陽の幼なじみで成宮流星っていいます」
「ああ」
こいつが、太陽の幼なじみか。
翠がかった碧眼に、さっぱりと整った顔立ち、すらりと背の高いその佇まいは雑然とした空気のなかでも、ひときわ目を引く。
「あの、いきなりすみません。俺は、太陽が一方的にレオ先輩に憧れて追い掛け回してることを理解してます。こんなことを俺が言うべきじゃないってことも、わかってます」
水面のように煌めく碧眼が、まっすぐに俺を見据える。
「太陽にとっての『特別』はレオ先輩だけなんです」
「……なんの話だよ」
「太陽は昔から色彩感覚が豊かで、俺には退屈でたまらない美術鑑賞も太陽は目を輝かせて楽しむし、日常の風景や街並みに大きく心を動かすようなところがあって」
「ああ、そうかもな」
燃えるような夕焼けを熱心に見つめていた太陽を思い出す。
「俺は、太陽のその気持ちをわかってやれない。けど、レオ先輩が作り出すものは、太陽の心を震わせて、興奮させて、感動させる。太陽にとっての『特別』なんです。ふたりは出会うべくして、出会ったんだと思います」
その澄んだ瞳がまっすぐに俺を捕らえて、強く見据える。
「俺は、太陽がしんどいときに、太陽の力になれなかったんです。あのとき、レオ先輩の絵だけが太陽を救うことができたんです」
太陽のことを深く理解しているその姿に、胸のうちがうっすらと苦しくなって、戸惑った。
「べつに、あいつのために描いたわけじゃない」
「目的もなく描いたものが人を救えるなら、なおさらすごいことです」
……さすが、太陽の幼なじみだな。
真っ正直で真摯な態度では太陽に引けをとらない。
「それで、こんなことは俺が言うべきじゃないってわかってるんですけど」
碧眼を伏せて、流星がためらいがちに口を開いた。
……太陽から離れろとか、そんなところか。
「レオ先輩が思っている以上に太陽は……」
ひとつ息をついて流星が続ける。
「バカです」
──は?
「このままだと、太陽は放校になります」
「ほうこう……って」
「学校から強制的に退学を命じられるのも時間の問題です」
「……どういうことだよ」
「最近の太陽は授業開始のチャイムと同時に目を閉じるようになってて、体育以外の授業はほぼ爆睡。課題も宿題も全くやってない状態で、とくにここ数日の太陽はぼけーっと白昼夢を見てるような感じで、かなりヤバイです」
きっぱりと真顔で伝えられて、二の句が継げなくなった。
「このままだと太陽は、成績不良で放校されるかと」
「まあ、あいつの学力、……やばいよな、中学一年で学んだのが月と曜日の英名だけだって言ってたけど」
「それ、冗談じゃなくリアルです」
「このガッコ、一応、進学校だよな。よく太陽、受かったな……」
「俺が受けるって言ったら、『じゃ、俺もそうする!』って。そもそもがバカな志望動機だったんで」
「……けど、受かったんだ」
「あいつ、コミュ力に能力を全振りしてるところがあるんですけど、土壇場に強くて。補欠合格の最後に呼び出しがあって」
「ああ、太陽っぽいな」
要領がいいのか悪いのか、今いち、よくわからないところが。
「つまり、最下位で入学して、現状は……」
「ぶっちぎりの最下位です。歴代一位の最下位らしいっす」
歴代一位の最下位って、放校目前じゃねえか。
「太陽は、それわかってんだよな?」
「もちろんです。正直、子供のころから、太陽の成績表を見て俺のほうが泣きそうになってました。なんでこんな成績で太陽は笑ってられるんだろうって。だから、レオ先輩には」
「わかった」
最後まで聞かずに、背中を向けた。
「安心しろよ、太陽をもう誘うことはしないから」
「え、違います、そういうことじゃなくて」
「太陽にはお前がいるから大丈夫だろ。俺はもうすぐ日本を離れる。太陽も元の生活にもどる。だから心配しなくていい」
「先輩、そうじゃなくて、あの! ……って、日本を離れるってどういうことですか!?」
まだなにか言っている流星を振り切るようにその場を去った。
すっと熱が冷め、我に返った。
なにを血迷ったことを考えたのか、俺と太陽はこんなに違うのに。
俺の居心地の良さなんて、どうでもいい。
俺の存在は陽だまりみたいなあいつに影をさす。
はじめからわかりきっていたことだ。
大丈夫だ、俺がいなくなれば太陽は元の生活に戻る。
深夜に駅裏をうろつくこともなくなれば、光の届かない暗い地下室で夜を過ごすこともなくなる。
妙なパーティで太陽にみじめな思いをさせたのも、俺が太陽に関わったせいだ。
太陽には、深くあいつを理解している気のいい幼なじみもいる。
太陽には太陽の居場所があって、太陽はみんなに望まれている。
ぽかぽかと暖かな日差しに、柔らかな風、彩り豊かに花が咲く明るい世界。
それが太陽のもたらす日々のイメージだ。
俺が関わることで、全身から発光して生きているような太陽に、影をさすようなことはしたくない。
太陽の笑顔が脳裏に浮かんで、思考を閉じた。
俺は日本を離れて、あの地下室はとり壊される。
それで、いい。
それで、終わりだ。
そう思いながらも心はひりついて、目を伏せた。
裏門に向かって歩いていると、太陽が走ってやってくる。
なにがそんなに嬉しいのか、目を輝かせて全身に喜びを滲ませて、俺を見つめる。
そんな透明な太陽の笑顔が、心地よかった。
打算などひとつもなく、まっすぐに気持ちをぶつけてくる太陽に救われたのは俺のほうだ。
もう、それで十分だ。
「……太陽、悪かったな」
「え、レオ先輩、どうしたんですか?」
それだけ伝えると太陽に背中を向けて、足を踏み出した。
生徒会室の前を通りかかると、聞きなれた名前が耳に飛び込んできて足を緩めた。
「太陽、どこにいるか知ってる?」
「あー、追試で呼び出されて、虫の息で進路指導室に行ったよ」
「へえ、あいつ、死ぬじゃん、ただでさえ文化祭で忙しいのに」
「追試なんて、せめて文化祭のあとにしてあげればいいのに」
追試って大丈夫か、あいつ。
……いや、きっと大丈夫じゃねえな。
「そういえば、太陽くんが職質かけられてたってほんと?」
足を止めて、耳を澄ました。
……太陽が職質?
「あー……あの子、最近、遅い時間に駅裏の治安が悪いエリアをぶらついてるらしいね。そのことでこの前、職員室に呼び出されてたよ」
「職質かあ、悪い輩に引っかからないといいけど」
「私が見かけたときも、ちょっと怖い系のお兄さんに声かけられてたよ。心配だよね、コロッと騙されちゃいそうで」
「太陽って二年の獅堂ともたまに絡んでるだろ」
ふいに名指しされて、心臓が鳴った。
「太陽くんみたいな素直な子は危ないかもね。簡単に染まっちゃいそう」
「この前も妙な外車に乗ってたし。あの子には純朴に育ってほしかったのになー」
「親心じゃん!」
「ははっ」
そんなたわいもない会話に、冷や水をかけられた気分だった。
妙な外車は、おそらく巧のことだ。
まさか太陽は毎晩、あの地下室に行ってたのか?
俺がいないからと、職質かけられるような時間まで駅裏をうろうろと?
これまでにも地下室にこもって絵を描いて、ふらりと駅に行くと偶然、太陽に会うことがあった。
もしあれが偶然じゃないとすると……。
太陽はあのあたりを毎夜ぶらついていたことになる。
……ダメだろ、それは。
と、忙しなく歩いてきた奴と出会い頭にぶつかりそうになって、踏みとどまった。
「わっ、すみませんっ」
勢いよく頭を下げられて、「ああ」と軽くいなして通りすぎると、後ろから腕をつかまれた。
「あの、レオ先輩……ですよね?」
流れ込んだ風に、そいつの前髪が浮いて、エメラルドグリーンの瞳が見えた。
……誰だ、こいつ?
「俺、春野太陽の幼なじみで成宮流星っていいます」
「ああ」
こいつが、太陽の幼なじみか。
翠がかった碧眼に、さっぱりと整った顔立ち、すらりと背の高いその佇まいは雑然とした空気のなかでも、ひときわ目を引く。
「あの、いきなりすみません。俺は、太陽が一方的にレオ先輩に憧れて追い掛け回してることを理解してます。こんなことを俺が言うべきじゃないってことも、わかってます」
水面のように煌めく碧眼が、まっすぐに俺を見据える。
「太陽にとっての『特別』はレオ先輩だけなんです」
「……なんの話だよ」
「太陽は昔から色彩感覚が豊かで、俺には退屈でたまらない美術鑑賞も太陽は目を輝かせて楽しむし、日常の風景や街並みに大きく心を動かすようなところがあって」
「ああ、そうかもな」
燃えるような夕焼けを熱心に見つめていた太陽を思い出す。
「俺は、太陽のその気持ちをわかってやれない。けど、レオ先輩が作り出すものは、太陽の心を震わせて、興奮させて、感動させる。太陽にとっての『特別』なんです。ふたりは出会うべくして、出会ったんだと思います」
その澄んだ瞳がまっすぐに俺を捕らえて、強く見据える。
「俺は、太陽がしんどいときに、太陽の力になれなかったんです。あのとき、レオ先輩の絵だけが太陽を救うことができたんです」
太陽のことを深く理解しているその姿に、胸のうちがうっすらと苦しくなって、戸惑った。
「べつに、あいつのために描いたわけじゃない」
「目的もなく描いたものが人を救えるなら、なおさらすごいことです」
……さすが、太陽の幼なじみだな。
真っ正直で真摯な態度では太陽に引けをとらない。
「それで、こんなことは俺が言うべきじゃないってわかってるんですけど」
碧眼を伏せて、流星がためらいがちに口を開いた。
……太陽から離れろとか、そんなところか。
「レオ先輩が思っている以上に太陽は……」
ひとつ息をついて流星が続ける。
「バカです」
──は?
「このままだと、太陽は放校になります」
「ほうこう……って」
「学校から強制的に退学を命じられるのも時間の問題です」
「……どういうことだよ」
「最近の太陽は授業開始のチャイムと同時に目を閉じるようになってて、体育以外の授業はほぼ爆睡。課題も宿題も全くやってない状態で、とくにここ数日の太陽はぼけーっと白昼夢を見てるような感じで、かなりヤバイです」
きっぱりと真顔で伝えられて、二の句が継げなくなった。
「このままだと太陽は、成績不良で放校されるかと」
「まあ、あいつの学力、……やばいよな、中学一年で学んだのが月と曜日の英名だけだって言ってたけど」
「それ、冗談じゃなくリアルです」
「このガッコ、一応、進学校だよな。よく太陽、受かったな……」
「俺が受けるって言ったら、『じゃ、俺もそうする!』って。そもそもがバカな志望動機だったんで」
「……けど、受かったんだ」
「あいつ、コミュ力に能力を全振りしてるところがあるんですけど、土壇場に強くて。補欠合格の最後に呼び出しがあって」
「ああ、太陽っぽいな」
要領がいいのか悪いのか、今いち、よくわからないところが。
「つまり、最下位で入学して、現状は……」
「ぶっちぎりの最下位です。歴代一位の最下位らしいっす」
歴代一位の最下位って、放校目前じゃねえか。
「太陽は、それわかってんだよな?」
「もちろんです。正直、子供のころから、太陽の成績表を見て俺のほうが泣きそうになってました。なんでこんな成績で太陽は笑ってられるんだろうって。だから、レオ先輩には」
「わかった」
最後まで聞かずに、背中を向けた。
「安心しろよ、太陽をもう誘うことはしないから」
「え、違います、そういうことじゃなくて」
「太陽にはお前がいるから大丈夫だろ。俺はもうすぐ日本を離れる。太陽も元の生活にもどる。だから心配しなくていい」
「先輩、そうじゃなくて、あの! ……って、日本を離れるってどういうことですか!?」
まだなにか言っている流星を振り切るようにその場を去った。
すっと熱が冷め、我に返った。
なにを血迷ったことを考えたのか、俺と太陽はこんなに違うのに。
俺の居心地の良さなんて、どうでもいい。
俺の存在は陽だまりみたいなあいつに影をさす。
はじめからわかりきっていたことだ。
大丈夫だ、俺がいなくなれば太陽は元の生活に戻る。
深夜に駅裏をうろつくこともなくなれば、光の届かない暗い地下室で夜を過ごすこともなくなる。
妙なパーティで太陽にみじめな思いをさせたのも、俺が太陽に関わったせいだ。
太陽には、深くあいつを理解している気のいい幼なじみもいる。
太陽には太陽の居場所があって、太陽はみんなに望まれている。
ぽかぽかと暖かな日差しに、柔らかな風、彩り豊かに花が咲く明るい世界。
それが太陽のもたらす日々のイメージだ。
俺が関わることで、全身から発光して生きているような太陽に、影をさすようなことはしたくない。
太陽の笑顔が脳裏に浮かんで、思考を閉じた。
俺は日本を離れて、あの地下室はとり壊される。
それで、いい。
それで、終わりだ。
そう思いながらも心はひりついて、目を伏せた。
裏門に向かって歩いていると、太陽が走ってやってくる。
なにがそんなに嬉しいのか、目を輝かせて全身に喜びを滲ませて、俺を見つめる。
そんな透明な太陽の笑顔が、心地よかった。
打算などひとつもなく、まっすぐに気持ちをぶつけてくる太陽に救われたのは俺のほうだ。
もう、それで十分だ。
「……太陽、悪かったな」
「え、レオ先輩、どうしたんですか?」
それだけ伝えると太陽に背中を向けて、足を踏み出した。
