【レオside】

 昨日は太陽の家から地下室に向かったものの、集中できずすぐに家に帰って眠った。

 ったく、どんな顔して太陽に会えばいいんだよ。
 
 昨日の太陽の驚いた顔を思い出して、短く息をついた。
 他人に踏み込まれるのも、距離を詰められるのも疎ましく感じていたはずなのに──。
 太陽と一緒にいると自分が少しずつ変わっていく。
 
 ずっと自分に価値などないと思って生きてきた。
 これから先の人生もどうせ霞んだものだろうと諦めていた。
 その想いを太陽は無邪気な笑顔で簡単にひっくり返す。

 レオ先輩は俺の憧れです、と会うたびに繰り返し、ほんの一瞬、目が合っただけで笑顔をほころばせる太陽に、俺の中のぽっかりとした暗い空洞が光で満たされる。

 気づけば、他の誰にも抱くことのなかった感情が太陽に湧き上がるようになった。
 太陽と一緒にいると、ふかふかと心地のいい空間にいるようで、心がくつろいでいく。

 太陽が悲しそうな顔をしていると、放っておけなくて、太陽に辛い思いもさせたくなくて、あのパーティで太陽が水をかぶったときには、怒りを抑えられなかった。
 太陽を不当に扱った奴らが、許せなかった。

 まさか、自分以上に大切に思える存在が現れるなんて、思ってもいなかった。
 真っ白いキャンバスのような太陽の純真さを汚したくない、俺が守ってやりたいと思う。
 一方で、太陽を自分だけのものにしたいと強烈に思う。

 こんな気持ちになるのは、太陽だけだ。

 太陽に抱くのは恋とか愛とかそんな綺麗に飾られたものではなくて、本能に近い衝動と、強烈な支配欲で、最近はそんな自分を持て余している。

 さすがに、重すぎるだろ……。


 学校から呼び出されて職員室に向かった帰りに、正面から太陽が顔を輝かせてやって来た。

 こいつが犬だったら、ぶんぶんしっぽを振ってんだろうな。
 そんなことを考えておかしくなった。

「先輩、学校にいたんですね!!」

 今にも飛びかかる勢いの太陽を制して、そのおでこをピンと指ではじく。
 なんで!?と目を潤ませる太陽の頭を、ぐしゃぐしゃになでた。

 つか、太陽はいつも通りだな……。

 どうにも胸のうちがむずがゆくて、
「なんでもねえよ」
 と顔をそむけても太陽は喜んで俺を追いかけてくる。

 そんな太陽を可愛いと思う自分に、まだ戸惑いはある。
 けれど、太陽は俺の戸惑いも躊躇いも屈託のない笑顔でぶち壊して、懐に飛び込んでくる。

「先輩、今日はどうして学校に?」
「事務手続きで、めちゃくちゃ待たされたんだよ」
「それなら、呼んでくれればよかったのに」

 そう言って、太陽が嬉しそうにスマホをかざす。

 太陽に連絡先を聞かれたのはつい最近のことだ。
 卒倒寸前の顔をして「先輩に聞きたいことがある」と言うからなにかと思えば連絡先を教えてくれと息絶え絶えに言われて、気が抜けた。

「……お前、いつもそんな瀕死の状態で人に連絡先聞いてんのかよ」
「そ、それは先輩だから! だって、先輩は俺の憧れで、手の届かない存在だったんですよ!? まさか連絡先を教えてもらえる日が来るとは思わなかったから」

 消え入りそうな声で、大きな丸い瞳を潤ませて太陽がそうこぼした。

 たかが連絡先くらいでと呆れつつも、「あー、汗かいた……」と長く息を吐いた太陽の手のひらが、本当に汗ばんでいて驚いた。
 スマホをかざして操作するときにも、太陽の手は震えていた。

「……お前、本当に緊張してたのか?」
「あ、当たりまえじゃないですか! 俺、先輩と一緒にいるとき、いつもドキドキしてますよ」
「へー……」
「え、引かないでください」
「べつに引いてねえけど」
 
 引いたんじゃなくて、ドキリとしたんだとは言えなかった。

 太陽は俺がこれまで経験したことのない感情を次々と引き出して、そのたびに、俺は戸惑いながらも太陽の透明さに惹かれていく。

 連絡先を伝えると、それはそれは(おごそ)かに、まるで宝物に触れるように太陽はスマホを扱っていた。
 そんな太陽に、毒気を抜かれて聞いてみた。

「お前さ、俺のどこがいいわけ?」

 呆れ半分でたずねると、全部です、と満面の笑みで返された。

 話にならねえ、と乱暴に返しても太陽はニコニコと笑っている。
 太陽の笑顔は、ふかふかの布団のような心地よさで、一緒にいると肩の力が抜ける。
 そのうちに心の(おり)までとり払われるような不思議な力がある。

「先輩は、これから地下室ですか?」
「あー、今日はこれから……」

 ここに巧が来るけど、太陽には会わせたくねえな……。
 どうしようかと言葉に詰まっていると太陽の顔色が変わった。

「まさか、先輩、体調悪いんですか? 昨日も俺のせいで遅くなっちゃったし……」
「疲れただけだよ」
「俺が家まで送ります」
「なんでだよ」
「心配なんで」

 眉を寄せて、唇を引き結んでいる太陽は、本気で俺を心配している。
 そんな太陽をこそばゆく感じる自分を扱いきれないでいる。
 
 いつだって、太陽は抗いようのない屈託のなさで俺の世界を変えていく。
 誰かに心配されることが、こんなにくすぐったいことだとは思わなかった。
 太陽と向かい合わせに立ち、対応に困っていると背中を殴られた。

……いてえな。

「それなら、俺が家まで送ってくよー」
「え、巧さん!?」

 目を丸くして驚く太陽を尻目に、ぼそっと巧にこぼす。

「……お前、来るのが早えんだよ」
「あ、もしかして邪魔しちゃった?」
「うせろ」
「ひどっ、太陽くん、よくこんな強面とつきあってられるね。俺ならこんな奴の後輩なんて、絶対に嫌だけどなー」
「レオ先輩は、最高にカッコよくて優しいです。むしろ俺なんかが後輩やらせてもらって申し訳ないくらいで、」

 胸を張って答える太陽にいたたまれなくなって、「やめろ、太陽」と絞り出すと、「はいっ」と聞き分けのいい犬のように、太陽が口を閉ざした。

「うわ、すごっ。ここまでレオに忠実で、レオを大切にしてくれるのなんて、この地球上で太陽くんくらいだろうな。もうさ、太陽くんを嫁にもらっちゃったら?」
「なんでだよ」
「だってさ」

 と相変わらずの軽口をたたいた巧が太陽を見て、目を剥いた。

「あー……、なんか、ごめん。太陽くん、真っ赤になっちゃった」
「あ、あ、あ、あ、あ」

 顔といわず、耳も首も真っ赤になった太陽が、「れ、レオ先輩、また!」とぺこっと頭をさげて逃げるようにその場から立ち去った。

「うわあ……あの子、めちゃくちゃ可愛いな。レオ、ほんとに太陽くんのこと嫁にもらったらいいのに……」

 真顔で呟いた巧を今度は本気で拳でなぐった。

「痛えなあ」
「自業自得だろ」

 巧の車に乗り込むと、シートに寄り掛かり、ため息をついた。
 太陽と話があったのに、邪魔しやがって。

「そういえばさ、あのビルのとり壊し、もうすぐだろ。太陽くん、知ってんの?」
「……いや」
「まあ、言いにくいか。つか、あのビル壊されたら、太陽くんと逢引する場所なくなっちゃうじゃん。そしたらいよいよ家に連れ込むの?」
「変な言い方すんな。あいつは、ただ俺の落書きを嬉しそうに見てるだけだ」
「へえ、嬉しそうにねえ、ならとり壊しを知ったらへこむかもねー。ってかさ、レオってあの子のことどう思ってんの?」
「……べつに」

 昨日の夜、衝動的に太陽にキスをして、その熱をいまだ持て余している。
 人懐こくて純粋な太陽に惹かれながらも、あいつといると、これまで知らなかった衝動に駆られて怖くなる。

「恋とか愛とかそういう感じじゃないんだ?」
「……知るか」

 もしその手の感情があったとして、それを伝えるのは巧じゃなくて、太陽だ。

 ひとつだけはっきりしているのは、俺は太陽を傷つけたくないし、悲しませたくもない。
 できるなら、寂しい思いなんてさせずにあいつらしく笑っていてほしい。
 その想いが頭にこびりついて離れない。
 日本を発つ日は迫っている。
 やるべきことは山ほどあって、太陽のことを考えると感情が波打つ。

 スマホを開くと、編入に関する事務手続きについて親からメッセージが届いていた。

 同じ親でも、太陽の親とは随分違うよな……。

 俺には家のなかで、笑ったりふざけたりして親と楽しんだ記憶がない。
 ガキの頃からつねに成果を出すことを望まれ、それは運動でも芸術でも勉強でも等しく、没頭する趣味を見つけるととり上げられた。

「で、留学の準備はすすんでんの?」 

 巧に聞かれて、口を閉ざした。
 アメリカの高校から現地の大学に進んで、向こうで就職すれば親とも縁が切れる。
 はなから正月もクリスマスも祝わない家庭で、日本に帰国する理由なんてない。

けど、今は……。

「どした?」
「いや、べつに」

 窓の外を流れる景色に目をやると、ふいに太陽の顔が浮かんで、そっと視線を落とした。

 ……留学のことは太陽にまだ言えずにいる。