まさか、いつもの通学路をレオ先輩と歩くことになるなんて。
 古びた商店街を歩きながら、じわじわと火照った頭を持て余す。

 レオ先輩が触れた頬や耳が、まだ熱っぽい。

 それにしても……。
 
 先輩と歩きなれた道をたどりながら、きゅっと唇を噛みしめた。
 もっとオシャレなカフェが並んでるような街だったらよかったな……。
 昔からある八百屋となにを売ってるのかよくわからない金物屋と、古ぼけた自動販売機。

 ……俺って、ほんとカッコつかないな。
 はあ。

 すると、怪訝そうにレオ先輩が俺を見る。

「太陽って、いつもそんなに挙動不審なのか?」
「え、俺って挙動不審ですか?」
「かなりヤバイぞ。職質気をつけろよ」
「は、ははっ」

 ……職質って、俺は先輩にどう思われてるんだろ。
 せめて可愛い後輩でいたいけど、変人に思われてるのかな……。

「あ、そういえば、俺が文化祭で忙しくしてること、どうして知ってるんですか?」
「お前は目立つからな。いつも誰かに声かけられてんだろ」
「先輩のほうが、よっぽど目立ってると思うけど……」
「俺の場合は悪目立ちだろ」
「自覚はあるんですね」
「あ?」

 怖い顔をしたレオ先輩と目が合って同時に吹き出した。
 嬉しい。
 こんなたわいもない一瞬が、愛おしくてたまらない。

 月の光に包まれたレオ先輩は柔らかな笑顔を浮かべていて、このまま世界が止まっちゃえば俺が先輩を独り占めできるのに、なんてどうしようもないことを考えていた。

「先輩は文化祭、行きますか?」
「行くはずねえだろ」

 レオ先輩と文化祭をまわれたらきっと楽しいだろうけど、先輩は文化祭で焼きそばを食べてるよりも、地下室で色彩を操っているほうが似合う。

「あ、ここです」

 似たようなデザインの家が整然とならぶそのうちの一角で足を止めた。 
 扉を開けて「ただいま!」と声をかけると揚げ物の匂いが漂ってきた。

「はいはい、おかえりなさい。ほら、手洗って」

 母ちゃんの声が響いて、玄関で靴をそろえた先輩がいい家だな、と呟いた。

「そうですか? 普通の家だと思いますけど」

 キッチンからやってきた母ちゃんに「はじめまして」とレオ先輩が背筋を伸ばしてお辞儀をしていて、その綺麗な所作にうっかり見惚れた。

「太陽くんと同じ高校の獅堂(しどう)レオです」

 ……太陽くん。

 聞きなれないその言葉に、じゅわっと顔が熱くなる。

「はじめまして、いつも太陽がお世話になってます。あら、太陽はボケーっとしてどうしたの? すごくまぬけな顔してるわよ」
「母ちゃん!」

もう、先輩の前で変なこと言うなよっ。

 むうっとふてくされていると、ほらほらと母ちゃんに急かされて、ダイニングテーブルで先輩と向かい合わせに座った。

やばい、カッコいい。
 
 髪をひとつにまとめなおして、シャツの袖をめくった先輩が真正面にいて、どこを見たらいいかわからない。
 先輩をじっと見つめていたいけど、さすがに目の前だし……と思いつつも、まじまじと見つめてしまう。
 レオ先輩の姿にくぎ付けになっていると、シャツからはだけた肌や、袖をめくった逞しい腕が視界に飛び込んできて、視線を泳がせた。

 な、なんか、やっぱりレオ先輩って色気がすごい。

 俺が(よこしま)なことを考えているなんて知らずに、レオ先輩は(とげ)を落とした柔らかい表情で、母ちゃんの質問に丁寧に答えている。

 こうしてみると、先輩って大人だな……。
 いつもの不機嫌さや鋭さはどこにいったやら、穏やかに大人びた表情で話す先輩に音もなく胸が跳ねる。

 母ちゃんとレオ先輩の会話にぽわんと聞き惚れていると、ドーンとテーブルのうえに山盛りの唐揚げが運ばれた。

「はい、召し上がれ」
「うわっ、すご」
「そうなのよー、今日ね、お父さんが同僚の人を連れてくるはずだったんだけど、急に仕事になっちゃったの。獅堂くんが来てくれてよかったわ。さもなきゃ、太陽のお弁当、毎日唐揚げになるところだった」
「え、俺は毎日、唐揚げで全然いいけど」
「すぐに飽きるわよ」
「俺、嫌なことがあっても、母ちゃんの唐揚げ食べると全部忘れちゃうからなー」
「それなら毎日、唐揚げでいけるわね。毎日忘れちゃうんだもの」
「それは違うだろ!」
「……くくっ」

 レオ先輩はさっきから笑いを(こら)えている。

「太陽って、ほんと単純なのよねえ。この子ね、幼稚園の頃からほとんど変わらないから」
「母ちゃん、余計なこと言うなら向こうにいってろよ」
「あら、本当のことでしょ。毎朝、流星くんに起こしてもらってたくせに」
「流星?」

 首をかしげたレオ先輩に、隣の家を指さした。

「ああ、幼なじみです。隣に住んでてクラスも同じで」
「あの碧眼のイケメンか」
「はい」
「この子、流星くんがいなかったら、なにもできないんじゃないかしら」
「そんなことないし」
「この前だって、太陽が授業中に居眠りばかりしてるからって、課題とノート、まとめて持ってきてくれたのよね。それなのに、この子ったら、夕飯食べたら寝落ちしちゃって」
「自分でやれるし」
「で、課題は終わらせたの?」
「……そのうち終わらせる」
「ああ、一生訪れない『そのうち』ね」
「あー、もう、母ちゃん、うるさいっ!」
「はいはい、じゃ、獅堂くん、ゆっくりしてね。お母さん、片づけしてるから」

 はあ。
 せめて、もう少し俺にカッコつけさせてくれてもいいのにな。

 それに母ちゃんにはレオ先輩の前ではもう少し、優雅なマダムっぽくふるまって欲しかった。
 ……って、母ちゃんが優雅なマダムとか絶対に無理だな。

 あれこれ苦悩している俺の隣で、レオ先輩はぱくぱくと無言で平らげていく。

「先輩、ほんとによく食べますね」

 俺の知っているレオ先輩はいつも絵を描いていて、たまに菓子パンをかじる程度で、飲み食いしてるイメージがあまりない。

「めちゃくちゃ美味いな、これ」
「へへっ」

 自分をほめられたように嬉しくて、指先で頬をかいた。
 大きな口を開けて、唐揚げを食すレオ先輩は妙に男っぽくて、ドキドキする。

「それにしても、獅堂くんのおうちはしっかりしてるのねえ」
 
 お茶を入れながら、しみじみと母ちゃんがつぶやいた。

「お箸の持ち方も食べ方もすごく綺麗。靴もきちんとそろえてあるし。なんだか、獅堂くんを見てたら、お母さん、恥ずかしくなってきたわ……」
「俺だって箸くらいちゃんと持てるし」
「そういうことじゃないのよ。獅堂くんはね、すごく所作が綺麗」
「あ、それはわかる。レオ先輩って、迫力あるのに仕草が繊細で魅了されるよな。学校でも先輩が登校すると空気がガラっと変わるんだよ」
「そうねえ、独特のオーラがあるわよね」
「それだけじゃなくてさ、この前なんて、体育館脇から軽々とスリーポイントシュート決めたりして」
「あら、すごい、運動も得意なのね」
「ほら、前に話した浮世絵、あれもレオ先輩が描いたんだよ」
「ああ、太陽が幻のアーティストだって騒いでいたやつね。同じ高校の先輩だって知って、興奮して一晩、眠れなくなっちゃったのよね。たしかに、獅堂くんってカリスマって感じがするわよね、ほんとカッコいいわ。わかる、わかる!」
「だろー!!」

 母ちゃんと盛り上がっていると、
「頼むから、やめてくれ」
 ぼそっとレオ先輩が呟いた。

 あれ、もしかして、照れてる……?

 先輩の頬っぺたが、うっすら赤く染まっている。
 ひそかに驚いていると、そんな俺の心のうちを読んだのか、レオ先輩に殺し屋の目つきでにらまれた。

「……あ?」
「なんでもないでーす……」

 背筋も凍るような鋭い目つきに、肩を縮めて答えた。

「まあ、太陽のお行儀の悪さは、私のしつけが足りてないってことだから。明日からは太陽もスパルタでね」
「スパルタって?」
「そうねえ、お皿洗いから始めて、お掃除、洗濯ってとこかしら」
「母ちゃんが(らく)したいだけじゃん」
「それも、しつけのうちよー」
「いや、絶対に違うし」

 むうっと、口を尖らせると、
「楽しそうな家でいいな」
 箸を止めたレオ先輩がふっと笑った。

「うるさいですよね、すみません」

 ばつが悪くて、うつむきながら謝った。
 ……こんなはずじゃなかったんだけどな。

 まあ、俺がカッコつけようとしたところで、どうせカッコつかないし。

「いや、楽しい。太陽がふたりいるみたいで」
「え、俺がふたり?」
「似た者親子ってことだろ」
「んー、俺と母ちゃんって、似てますか?」
「そっくり」
「そっか、それは嬉しいです!」

 そういえば、とレオ先輩が目を細める。

「あの幼なじみと仲いいんだな」
「流星とは物心ついたころから一緒にいるんで、仲がいいとか悪いとか、もうそういう感じじゃないです。怒られてばっかりですけど、いい奴ですよ」
「なるほどな」

 そう言って、レオ先輩がちらりと時計に視線を動かした。

 ……もう、帰っちゃうのかな。

 まあ、俺が無理に誘ったようなもんだし、先輩も忙しいだろうし。
 そう思いながらも、あまりに今日が楽しすぎて少し寂しい。

 すると、レオ先輩が箸を置いて、あのさ、と俺の顔を見る。

「課題、見てやろうか?」

「へ?」
「唐揚げのお礼。勉強、教えてやるよ」
「え、え、え、え、」
「驚きすぎだ、バカ」

 先輩に呆れられたけど、まさかの展開に目を見開いたまましばらく動けなかった。