苛烈な愛しかいらない


 ゆるゆると気持ちのいい夢のなか。
 遠くで、誰かの声がする。

「……ん」

 差し込む光にきつく目を閉じると、
 まぶたの裏に浮かぶのは、ゆるく結んだグレージュの髪と鋭い瞳。

 大きな手で俺の頭をなでるのは、……レオ先輩だ。

 その後ろ姿に、手を伸ばしても届かない。
 声をかけても気づかない。

『お前、可愛いな』

 ふいに先輩が淡く笑って、ばくっと心臓が飛び跳ねた。って、なんで俺、ドキドキしてるんだろう?
 顔を近づけたレオ先輩に、鼓動が弾んで、混乱する。
 だって、先輩は俺にとっては幻のひとで、憧れで。

「レオ先輩……」
 と、声に出したところで、ぐらっと世界が大きく傾いた。

「太陽、起きなさい、遅刻するわよ」
「うー……、ん?」

 もう一段階、深く眠りに落ちる寸前で、目が覚めた。
 ……ヤバイ、遅刻するっ!

 時計を確認して跳び上がると、慌てて制服に着替えて歯だけ磨いて、玄関の扉を開く。
 と、母ちゃんにどデカいおにぎりをつかまされた。

「はい、行ってらっしゃい!」
「母ちゃん、サンキュ! 行ってきます!」
 
 そう声を張ると、朝陽に照らされた通学路を走り出す。
 初夏の朝の光がアスファルトに白く反射して、じわじわと体温が上がる。
 
 うわっ、間に合うかな。
 息を弾ませひたすら走って、交差点の向こうに校門が見えたところで足を緩めた。
 
 ふう、この時間ならたぶん、セーフだ。
 校門を抜けて、木立のさきの校舎へと向かうと、朝練を終えた運動部の奴らがぞろぞろとやってきた。

「おはよー、太陽。また寝坊?」
「ん」
「髪、はねてるぞ」
「え、どこどこ?」
「わりと、全部」
「そんなに寝ぐせすごい!?」
 
 ふるっと頭を振って、慌てて髪をなでつける。

「よっ! 太陽、昨日の放課後に生徒会室にいただろ」
「うん、いたいた」
 
 今度は後ろから別の声が飛んできて、返事をしながら流れに身を任せていたら、もう下駄箱だ。
 人でごったがえすなか、上履きに履き替えて、とんっと(かかと)を鳴らす。

「太陽」
「ん?」
 
 低い声に顔を上げると、ぐしゃっと頭をなでられた。

「今来たのかよ。つか、寝ぐせひでえな」
「え、……レオ先輩!?」
 
 鋭い瞳で俺を見下ろしているのは、グレージュの髪をゆるくまとめたレオ先輩だ。

「あ、あ、えっと……」

 めったに学校に来ないレオ先輩がいきなり目の前に現れて、どうしたらいいかわからない。
 ……俺、まだ夢見てるのかな?
 
 顔の造作がくっきりと整ったレオ先輩は美形の強面で、そのカリスマ性と迫力のある存在感でとびきり目立つ。
 先輩の登場に、それまで賑やかだった周囲の空気がぴたりと張り詰めて、ひそやかな歓声が、さざ波のように広がっている。
 レオ先輩の存在は、いつだって一瞬で周囲の空気を変えてしまう。

「おい、どうした?」
 
 わしゃわしゃとレオ先輩に豪快に頭をなでられて、そろりと顔を上げた。

「っと、その……」
 
 今朝見た夢が頭をよぎって、なんだか気まずいし、恥ずかしい。
 あたふたと目をそらして、それでもなにか言わなきゃと、パクパク口を動かしていたら笑われた。

「相変わらずだな、お前は」
「あの、レオ先輩、……俺、犬じゃないですよ?」

 そう言いながらもレオ先輩に頭をなでられて、じわじわと頬っぺたが熱くなる。
 だって、まさか学校で会えるとは思わなかった!
 さっきから心臓がバクバクと大暴れだ。

「よしよし、太陽は今日も元気だな」
「あ、あの、レオ先輩……」

 どうしよ、俺、きっと顔が真っ赤になってる……。
 とにかく必死に下を向いて火照る顔をごまかしていたら、甲高い声に囲まれた。

「あーっ! レオくんだあ!」
「また後輩くんのこと、いじってるっ」
「後輩くんの髪、ふわふわしてて癒されるよね。太陽くんだっけ? 目がくりくりしてて本物のわんちゃんみたいだねー」
 
 そんな女の先輩たちには目もくれず、レオ先輩はひとの流れに逆行して校門へと足を踏み出した。

「じゃあな、太陽」
「え……?」
 
 その大きな背中に慌てて声をかけた。

「レオ先輩、帰るんですか?」
「完徹してんだよ。眠いから、このまま帰って寝る」
「朝帰り、……ですか?」
「悪いか?」
「えっと、……あの、」
「ん?」

 振り返ったレオ先輩の目の下には深い影が落ちている。

「先輩、おやすみなさい。ゆっくり休んでくださいっ」
「……ほんと、お前はおもしれえな」
 
 目を細めて笑ったレオ先輩に、ぎゅうっと胸が苦しくなった。
 朝日を浴びてもなお、陰りを見せるレオ先輩には威圧的な迫力があって、流れに逆行する先輩に、誰もが道を譲っている。
 
 先輩のハーフアップに結ばれたグレージュの髪が、朝の光に(きら)めいてすごく綺麗だ。
 遠ざかるレオ先輩の後ろ姿をぼんやり眺めていると、女の先輩に囲まれた。

「ねえ、ねえ、後輩くん。レオくんがいつもどのあたりで遊んでるか知ってる?」
「さ、さあ。俺は、レオ先輩のプライベートに詳しくないんで」
「レオくんって、ほんと、謎だよね」
 
 香水なのかヘアオイルなのか、甘い香りが鼻を突く。

「すみません、俺、もう行かないと」
 
 じりっと後ずさり、その場から逃げ出そうとするけれど、なかなか先輩たちは放してくれない。
 困ったな、……どうしたらいいんだろ。
 
 すると、背後から首ねっこをつかまれた。

「太陽、そろそろ行くぞ。遅刻する」
流星(りゅうせい)!」

 割って入った流星は、うちの隣に住む幼なじみで、隔世(かくせい)遺伝でエメラルドグリーンの瞳をしている。
 碧眼(へきがん)で涼やかな顔立ちの流星もまた校内では目立つ存在で、そんな流星の登場に女の先輩たちの攻めの手が緩んだ。

「急ぐぞ、太陽」
「う、うんっ」
 
 先輩たちにぺこっと頭を下げて、流星と教室へ向かった。

「ありがと、流星。助かった」
 
 そう小声で伝えると、さらに流星が声をひそめる。

「それより、よかったな。さっきレオ先輩と話してただろ?」
「うん、いきなりだったから、びっくりした」

流星は俺がレオ先輩に憧れていることを知っている。

「それより、マジで急がないとやばい」
「だな」
 
 流星と競い合うように教室へと駆け出した。


 チャイムが鳴る直前に教室に滑り込むと、同じクラスの山本がTシャツをパタパタ扇ぎながらやってくる。

「よーっ、太陽、流星くん。朝っぱらから賑やかだな~。ふたりともめちゃくちゃ目立ってたぞ。つうか、今日、暑くね?」
「山本は朝練?」
「そうだよ、バスケ部には朝から可愛い女子たちに囲まれてキャーキャー言ってもらえるようなハッピーアワーはねえんだよ。汗臭い男どもと、ボール追い回している地味~な朝でした。あー、くっそ、太陽がうらやましいっ!」
「え? なんで、俺?」
「どうしたら、学年、クラス関係なく全女子と仲良くなれんだ? 下駄箱で二年の爆裂美女の先輩たちともじゃれてただろ? 羨ましすぎて、もはや太陽が憎い!」
「あの二年の女の先輩たちはレオ先輩目当てだよ」
 
 危うい雰囲気と、得も言われぬカリスマ性でレオ先輩は唯一無二の存在として君臨している。

「くっそ。かえってムカつく、太陽のその無邪気な態度」
「えっ、ひどっ」
「あのさ、太陽はその恐ろしいほどのコミュニケーション能力をどうやって身につけたわけ? 気づけばあの治安悪めの先輩とも仲良くなってるしさ」
「治安悪めって、レオ先輩のこと?」
 
 首をかしげた俺に、山本が「しっ」と指をたてて、眉をひそめる。

「あの人、かなり危ない界隈とつるんでるって有名だろ。一年の俺らが気安く話せるような人じゃないよな、ほとんど学校に来てないらしいし」
「レオ先輩は見た目ほど怖くないよ」
「太陽にはな。俺は怖くて目も合わせられないね。あのひりついた強面を校舎で見かけたときには、捕って食われるかと思ったからな。なまじ美形なだけに、威圧感がすごい」
 
 レオ先輩は、確かに見た目はちょっと迫力があるけど、怖い人じゃない。
 それに、もし俺が本当にコミュ力が高かったら、きっともっとレオ先輩と仲良くなってるんじゃないかな。

「とにかくさ、真面目な話、あんまりあの先輩に深入りしないほうがいいぞ」
「けど、べつにレオ先輩は……」
「ヤバさのレベルが違いすぎるんだよ。パーカーのフード被って顔隠して、深夜に廃ビルのなかに入っていったとか、黒塗りのヤバそうな外車に乗り込んでた、とか」
「それは、……」
「それだけじゃなくてさ、早朝の街で血走った目して歩いてたとか、真昼間に(うつ)ろな感じでふらふらしてたとか。絶対にヤバイことしてるって」
「だから、それは山本が想像してるようなこととは違うんだって! まあ、俺も詳しくは知らないけど……」

 曖昧(あいまい)ににごすと、山本がしみじみと息を吐く。

「正直、俺はさ、あのヤバそうな先輩と仲がいいことで、美女ぞろいの二年の先輩たちと絡める太陽が心底羨ましい」

 え、そこ?

「それは俺じゃないよ。レオ先輩目当てだから」
「もう、なんでもいい。とにかく俺に女の子を紹介しろ!! いや、いっそ、かつての合コン文化を復活させよう! 太陽ならできるよな!?」
 
 山本に胸ぐらをつかまれ、ぶんぶん揺さぶられて、視界がゆらめく。

「山本、勢いがありすぎて怖いって!」
「それより、太陽、課題は終わってんのか?」
 
 呆れた顔で俺と山本を見ていた流星がぼそっと呟いた。

「あーっ! そうだった!! 課題!! 山本とふざけてる場合じゃなかった!」
「なんだと、太陽! ふざけてねえし! なんなら、宇宙一やる気に満ち溢れてるし!」
「もう、邪魔すんなよっ、山本!」
 
 ()()()めにしてくる山本からなんとか逃れると、息を切らして席についた。
 窓の外に視線を向けると、空がどこまでも高く澄んでいて、その快晴の青空にレオ先輩の後ろ姿を思い出した。
 
 もっとレオ先輩と話したかったな。
 
 スマホの壁紙に視線を落とすと、胸の奥がぐうっと熱くなって、初夏の涼しい風が頬をなでた。