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 最愛の人に振られた。初めて、こんな僕の全てを受け入れてくれた人だった。

 デザイナーの仕事をしている僕は、子どもの頃から絵を描くのが好きだったけれど、使う色はいつも暗い色だった。幼稚園の時に両親をテーマにした絵を描いた時、僕の絵を見たクラスの子は“気持ち悪い”とか“ゾンビみたいで怖い”と言って、中には泣き出す子もいて、先生にはもっと綺麗な色を使いなさいと描き直すよう言われた。

 だけど、なかなか難しい。僕に見える色で、描いたのだから。僕は、色覚異常だった。

 両親とも、先生や周りの友達とも見える色が違う。赤信号の赤が、僕には茶色に見える。緑色の芝生も、茶色。青い空は、紫色だった。

 色覚異常が判明してから両親は、世の中には僕が知らない色が沢山あるからと36色入りの色鉛筆をプレゼントしてくれたけれど、僕には緑や赤がどうしたってその名前の通りの色には見えないし、グラデーションの微妙な色の違いは分からない。
 
 だけど、色が分からないと言うと両親は怒る。父も母も、それが治ると信じているみたいに、僕がわざとやっているのだと思っているみたいに、赤、緑、青、黄緑、オレンジ、黄色、紫、さぁ、言った通りの色を選んでみてと色鉛筆を指差す。でも、僕には見えないから、ほぼ当てずっぽうで示された色鉛筆を握った。そして間違えると、手を叩かれた。僕の左手の甲は、いつも青みがかった灰色のまだら模様ができていた。

 僕が描く絵は僕以外にはギョッとするようなものだと理解した時は、落ち込んだ。小学生の頃は、“気持ち悪い絵を描く奴だ”と言われ虐められて、絵を描いた紙を目の前で破られたり、上級生の廊下に張り出されて見せ物にされたりした。

 それでも、そんな目に遭っても僕はどうしても絵を描くことが好きだった。中学生になり、僕は人前に出さなきゃいけない絵は白黒で描くようにした。そうしたら、周りは“カッコいい”と褒めてくれた。僕は、それは嬉しくはなかった。

 高校生になって、美術部があったから入りたかったけれど色弱のことはバレたくなかったので部活には入らずに本屋でバイトをした。そのバイト先で、明良と出会った。明良は同い年で、僕が通っていた高校の斜め向かいにある高校に通っていた。明良は、僕が今まで出会った人の中でも底抜けに明るい人だったから、根暗な僕はちょっと苦手だったし、なんでこんな陽キャが本屋でバイトしてるんだと疑問だった。
 
 ある日、僕が休憩時間にノートに絵を描いているのを明良に覗き見された。それは本屋のレジから見える景色をイメージした色を使ったイラストだったので、僕はまた“気持ち悪い”だの“怖い”だの言われると思った。

 でも明良は、僕の絵をまじまじと見て『……遊井って、天才?前世、ピカソ?いや、北斎?』って、もの凄く真面目な顔で言ってきた。

 それが可笑しくて僕は腹抱えて笑った。冗談言うならもっとマシなのを言えと言ったら、明良は『冗談じゃない。すごいよ、俺感動してるんだ』とこれまた大真面目な顔で言う。僕はまた可笑しくて笑った。後半は、照れ隠しだった。僕の色が載った絵をこんな風に褒める人は初めてで、それが嬉しくて、本当は泣きそうだった。