◇◇◇
最愛の人に振られた。初めて、こんな僕の全てを受け入れてくれた人だった。
僕は子どもの頃から絵を描くのが好きだったけれど、使う色はいつも暗い色だった。幼稚園の時に両親をテーマにした絵を描く時間があった。完成した僕の絵を見たクラスの子は“気持ち悪い”とか“ゾンビみたいで怖い”と言って、中には泣き出す子もいて、先生にはもっと明るくて綺麗な色を使いなさいと描き直すよう言われた。肌は、肌色。唇はピンクでしょう。
だけど、なかなか難しい。僕に見える色で、描いたのだから。僕は、色覚異常だった。
両親とも、先生や友達とも見える色が違う。赤信号の赤が、僕にはくすんだ茶色に見える。緑色の芝生も、茶色。青い空は、紫色だった。
色覚異常が判明してから両親は世の中には僕が知らない色が沢山あるからと36色入りの色鉛筆をプレゼントしてくれたけれど、僕には緑や赤がどうしたって判別するのが難しいし、グラデーションの微妙な色の違いは分からない。
だけど、色が分からないと言うと両親は怒った。父も母もそれが治ると信じているみたいに、僕がわざとやっているのだと思っているみたいに、赤、緑、青、黄緑、オレンジ、黄色、紫、さぁ、言った通りの色を選んでみてと色鉛筆を指差す。でも、僕には見えないから当てずっぽうで示された色鉛筆を握った。そして間違えると、手を叩かれた。僕の左手の甲は、いつも青みがかった灰色のまだら模様ができていた。
僕が描く絵は気持ちが悪いのだと理解した時は、落ち込んだ。小学生の頃は“キモイ絵を描く奴”と言われ虐められて、絵を描いた紙を目の前で破られたり、別のクラスの教室に張り出されて見世物にされたりした。
そんな目に遭っても僕はどうしても絵を描くことが好きだった。左手にできた痣を見て、右手じゃなくて良かったと思った。破られた絵はテープでくっ付け直して、見世物にされた絵は、放課後にこっそりそのクラスに入って捨てられなくて良かったと安堵して持ち帰った。
絵を描くことが好きだった。好きだったけど、自分の左手と継ぎ接ぎの絵を見ている内に、もう人前で自由に描けないと思った。
中学生になり、僕は人前に出さなきゃいけない絵は白黒で描くようにした。そうしたら、周りは“カッコいい”と褒めてくれた。僕は、それは嬉しくはなかった。
高校生になって、美術部があったから入りたかったけれど色弱のことはバレたくなかったので部活には入らずに本屋でバイトをした。そのバイト先で、明良と出会った。明良は同い年で僕が通っていた高校の斜め向かいにある高校に通っていた。明良は、僕が今まで出会った人の中でも底抜けに明るい人だったから、根暗な僕はちょっと苦手だったし、なんでこんな陽キャが本屋でバイトしてるんだと疑問だった。
ある日、僕が休憩時間にノートに絵を描いているのを明良に覗き見された。それは本屋のレジから見える景色をイメージした色を使ったイラストだったので、僕はまた“気持ち悪い”だの“怖い”だの言われると思った。
でも明良は、僕の絵をまじまじと見て『……遊井って、天才?前世、ピカソ?いや、北斎とか?』って、もの凄く真面目な顔で言ってきたので、僕はそれが可笑しくて腹抱えて笑った。冗談言うならもっとマシなのを言えと言ったら、明良は『冗談じゃない。すごいよ、俺感動してるんだ』とこれまた大真面目な顔で言う。僕はまた可笑しくて笑った。後半は、照れ隠しだった。僕の見ている色が載った絵をこんな風に褒める人は初めてで、それが嬉しくて、本当は泣きそうだった。
最愛の人に振られた。初めて、こんな僕の全てを受け入れてくれた人だった。
僕は子どもの頃から絵を描くのが好きだったけれど、使う色はいつも暗い色だった。幼稚園の時に両親をテーマにした絵を描く時間があった。完成した僕の絵を見たクラスの子は“気持ち悪い”とか“ゾンビみたいで怖い”と言って、中には泣き出す子もいて、先生にはもっと明るくて綺麗な色を使いなさいと描き直すよう言われた。肌は、肌色。唇はピンクでしょう。
だけど、なかなか難しい。僕に見える色で、描いたのだから。僕は、色覚異常だった。
両親とも、先生や友達とも見える色が違う。赤信号の赤が、僕にはくすんだ茶色に見える。緑色の芝生も、茶色。青い空は、紫色だった。
色覚異常が判明してから両親は世の中には僕が知らない色が沢山あるからと36色入りの色鉛筆をプレゼントしてくれたけれど、僕には緑や赤がどうしたって判別するのが難しいし、グラデーションの微妙な色の違いは分からない。
だけど、色が分からないと言うと両親は怒った。父も母もそれが治ると信じているみたいに、僕がわざとやっているのだと思っているみたいに、赤、緑、青、黄緑、オレンジ、黄色、紫、さぁ、言った通りの色を選んでみてと色鉛筆を指差す。でも、僕には見えないから当てずっぽうで示された色鉛筆を握った。そして間違えると、手を叩かれた。僕の左手の甲は、いつも青みがかった灰色のまだら模様ができていた。
僕が描く絵は気持ちが悪いのだと理解した時は、落ち込んだ。小学生の頃は“キモイ絵を描く奴”と言われ虐められて、絵を描いた紙を目の前で破られたり、別のクラスの教室に張り出されて見世物にされたりした。
そんな目に遭っても僕はどうしても絵を描くことが好きだった。左手にできた痣を見て、右手じゃなくて良かったと思った。破られた絵はテープでくっ付け直して、見世物にされた絵は、放課後にこっそりそのクラスに入って捨てられなくて良かったと安堵して持ち帰った。
絵を描くことが好きだった。好きだったけど、自分の左手と継ぎ接ぎの絵を見ている内に、もう人前で自由に描けないと思った。
中学生になり、僕は人前に出さなきゃいけない絵は白黒で描くようにした。そうしたら、周りは“カッコいい”と褒めてくれた。僕は、それは嬉しくはなかった。
高校生になって、美術部があったから入りたかったけれど色弱のことはバレたくなかったので部活には入らずに本屋でバイトをした。そのバイト先で、明良と出会った。明良は同い年で僕が通っていた高校の斜め向かいにある高校に通っていた。明良は、僕が今まで出会った人の中でも底抜けに明るい人だったから、根暗な僕はちょっと苦手だったし、なんでこんな陽キャが本屋でバイトしてるんだと疑問だった。
ある日、僕が休憩時間にノートに絵を描いているのを明良に覗き見された。それは本屋のレジから見える景色をイメージした色を使ったイラストだったので、僕はまた“気持ち悪い”だの“怖い”だの言われると思った。
でも明良は、僕の絵をまじまじと見て『……遊井って、天才?前世、ピカソ?いや、北斎とか?』って、もの凄く真面目な顔で言ってきたので、僕はそれが可笑しくて腹抱えて笑った。冗談言うならもっとマシなのを言えと言ったら、明良は『冗談じゃない。すごいよ、俺感動してるんだ』とこれまた大真面目な顔で言う。僕はまた可笑しくて笑った。後半は、照れ隠しだった。僕の見ている色が載った絵をこんな風に褒める人は初めてで、それが嬉しくて、本当は泣きそうだった。



