「フォカッチャと、ブルーベリースコーンが食べたいです。 匡さんも、今食べますか?」

 「うん。 僕も、スコーン食べようかな」

 「じゃあ、ちょっと焼き直しますね」

 コーヒーの芳ばしい香りとパンの甘い匂いで満ちた狭いキッチンにふたりで立つと、背中がぶつかりそうになる。匡は、こちらを向いて「いい匂い」と微笑む。私も「うん」と微笑み返した。

 ふたりでテーブルについて、私は先にフォカッチャを齧って、匡はゆっくりコーヒーを飲む。焼き直した生地は焼き立てのように香ばしくなって、あたたかくて、ものすごく美味しい。やっぱり、温かい食べ物はホッとする。

 「そのフォカッチャ、試作品だって言ってた。どう?」

 「トマトとさつまいもが、すごく合います。 生地もモチモチで美味しいから、人気になると思います」

 「よかった。 和巳さんに伝えたら、きっと喜ぶ」

 匡は、ここに住み始めた頃の数日間は、私が渡した部屋に布団と、私が貸した漫画だけを置いて過ごした。ずっと部屋から出てこないので、もしかしたら死んでいるかもと不安になったけど、きっと今はそっとしておくしかないのだろうとドアをノックしようとしていた手を引っ込めた。本当は、毎日あたたかいご飯を作ってあげたりしたいと思ったけれど、変わらず仕事が忙しくて帰宅する時間が遅く、そんな時間に声を掛けることはできなかった。

 そうしているうちに、匡はある朝から、私とともに起きてコーヒーを飲むようになった。匡が部屋から出てきた時はもともと朝はあまり食べないらしく、私が食パンにジャムを塗って食べる様子をぼうっと眺めて、仕事に向かう私の見送りをしてくれるようになった。

 そして、たまたま早く帰ることが出来た日、テーブルに肉じゃががあった。私は幻を見ているのかとテーブルの上を凝視したけれど、匡は『勝手にキッチン使って、ごめんね』と言った。肉じゃがは、匡が作ったと言うので、私は驚いて声が出なかった。

 あの日を境に匡は私と同じ時間に起きて、私の朝食風景を眺めて、夕食を作って待ってくれるようになり、私と同じ時間帯に眠るようになった。パン屋に勤めてからは私より就寝・起床時間は早くなったけれど、規則正しい時間で生活をして、夕食作りも継続してくれている。

 匡が作る料理は、ちゃんと美味しい。

 「伊都さん、今日仕事で何もなく帰れたら、外食しない?」

 私は次にスコーンを齧ろうと口を半開きにさせたまま「えっ?」と固まる。そんな私を見て、匡は穏やかに、楽しそうに微笑む。