姉が死んだのは、誰のせいか。私のせい、だと思う。もとを辿れば、あのとき、姉を殴っていた男を襲わなければ、姉は変わらず私に恋愛の話をしてきたかもしれない。私が姉を避けるようなことをしなければ、姉は私に会いに来られたかもしれない。私が間違いを嫌うふりをしなければ、姉は私に打ち明けられたかもしれない。私が、姉を愛さなければ……。

 そう思ってしまうけれど、でも違う。姉を騙して妊娠させた男のせいだ。あいつの、せいだ。

 でも、男を殺したところで、姉は死んだままだし、私の姉への後悔も晴れることはない。私が何もしても、もう姉はいない。“美味しいものがあるから”“珍しい展示会があるから”と会いに来て私を連れ出してくれたり、連絡をくれたりする、私の何もかもを受け入れてくれた、私が愛した人は、もういない。何をしても、もう遅い。何をしても、ただ無慈悲に現実を突き付けられる。姉がいなくなってしまったこの世は、私にとっては死んだ方が楽だと強く思わせました。死にたいと思ったのは、その時が初めてでした。

 「マンションまでやっと辿り着いたのに、結局決心がつかず、いま引き返すのが賢明だと、そう思って、男を見かける前に急いで駅に戻って帰りました。何時間もかけて何しに行ったんだろうと、自分自身に呆れました」

 帰りの電車の中で、疲れた頭で、どうやって死のうかと考えました。姉のように橋から飛び降りようかとも考えたけれど、なるべく人に迷惑をかけないような死に方が良いだろうかなんて考えて、スマホで調べました。検索に引っかかるのは、“いのちの電話”などの自殺を止めようとするものばかりだった。

 もう死ねればなんでもいいと思いながら、帰路の途中、トイレに寄りたくなってコンビニに入って、ついでに、両親に手紙でも書こうかと便箋を手に取った。夕方でレジが混んでいたからすぐには並ばずに店内をウロウロしていたら、ふと、パウチのビーフシチューが目に留まりました。姉と迎えた最後の誕生日に行った洋食店で、ビーフシチューを注文した姉が『今まで食べた料理で一番美味しい』と絶賛していたのを思い出したんです。

 『ひとくち食べてみて』と勧められたけれど、私は久々に会う姉に緊張していたこともあって、それを断りました。姉は『美味しいのにぃ』と軽く頬を膨らませた。その顔がおかしくて、私は少しだけ笑う。

 涙が出るほど優しい記憶でした。あのとき、恥ずかしがらずにひとくち貰えばよかった。こんなことになるなら、美味しいねと、一緒に喜べばよかった。

 私は知らない、姉が大好きだと言った料理の味を今更知りたいと思い、ビーフシチューと、死ぬのにも勢いが必要かと考えて普段は飲まないビールも買って帰りました。最後の晩餐だと、自分に言い聞かせた。