翌年の夏に、私のアパートに遊びに来た姉の額と腕に痣を見つけて、どうしたのかと問いただしたら、当時姉のアパートに転がり込んだ彼氏から暴力を受けていると打ち明けてくれました。それまで姉は決して私の前で弱音を吐かなかったから、もっと早く教えて欲しかったと伝えたら『私は伊都のお姉ちゃんだから、しっかりしないと』と痣のある顔で笑った。
私は気が付いたら、姉のアパートにいてその男の頭をフライパンで殴ってました。気を失った男に、今度は包丁を突き出した時に姉から止められて、姉は泣きながら私に『もうやめて』と懇願しました。『彼が死んじゃう。だから、やめて』と、私に抱きついて制止しようとしていた。
「今でも、自分がどうしてあんなことをしたのか分かりません。ただ、私が姉の“妹”でなければ、姉はもっと早くに、私に弱音を吐けたのかもしれない。私が、姉と付き合ってきた男を否定していたから助けてと言えていたのかもしれないという、悔しさみたいなものでいっぱいだった気がします。正気を取り戻した時、自分自身が怖かった。やっぱり、私は異常なのではないかと思いました」
それから姉は、私に恋愛のことを話してくるのを控えるようになりました。私も、それでよかったと思った。
私は専門学校を卒業して、地元から離れた今の会社に就職しました。それからは姉と会う頻度は減り、姉が東京のデザイン会社に就職すると、もっと会う頻度は減りました。最後にまともに会ったのは、ふたりとも社会人になった21歳の誕生日に、姉が行ったみたいと言っていた東京の洋食店でお祝いをしたときでした。
本当なら、昔のように自分のことなら何でも話して共有して、笑い合いたかった。他の姉妹がするように、お金を貯めて一緒に旅行にも行ってみたかった。でも、私は臆病者だから、自分が傷付きたくないから、姉を遠ざけました。姉と会わない期間、私は穏やかだった。姉への気持ちに蓋をして、普通で真っ当であるフリをするのがそこまで苦しくなかった。
けれど、たまにその蓋がずれてしまう時があっても、SNSで断片的に切り取られた姉の生活を覗き見ることがありました。そこに映る姉が楽しそうに過ごしていると分かるだけで、やはり姉は私と一緒にいたら幸せになれないのだと自分に言い聞かせることができた。姉が、私以外の人との間で感じている幸せは、羨ましかった。
「姉と最後に会ってから一年ほど経った頃、久しぶりに姉から連絡がありました。その時私はひとり残業をしていました。姉は優しい声色で私に元気かと聞いてきたんです。私は疲れもあったのかもしれないけど、久しぶりに聴いたその声に涙が堪えきれなかった。でも、そんな弱気に感じられる様子を見せてはいけないと、努めて冷静に、元気で、会社でも上手くやっていると言いました。姉は安心したように、それなら良かったと言いました」
私も、姉に元気かと尋ねたら、変わらない声で『元気だよ』とだけ聞こえました。私はそれを聞いて、やはり姉への気持ちが自分の中で変化していないことに絶望しながら、それでも元気であるなら充分、それだけで良いのだと思って、“姉にまだ仕事があるから、また時間がある時に”と伝えて電話を切りました。
その翌日、姉が死んだと母親から連絡が入りました。橋から飛び降りて、自殺をしたと。



