「……ついて来な」

 案内された先で、シャーロットは息を呑んだ。そこは、まさにトマトの楽園だった。

 背丈近くまで伸びた茎に、大小様々なトマトが実っている。真っ赤に熟したもの、まだ青いもの、そして見たこともない黄色やオレンジ色のトマトまで。プチトマトは房なりに実り、大玉トマトは掌に余るほどの大きさに育っている。

 独特の青臭い香りが、辺りに満ちていた。それは、シャーロットにとっては懐かしく、愛おしい香りだった。

「素晴らしい……」

 思わず感嘆の声が漏れる。キラキラと目を輝かせながら、シャーロットはトマトたちを見て回る。

「これだけあれば、オムライスもトマトソースも作り放題!」

「待ちな」

 ガンツの低い声が、シャーロットの夢想をさえぎった。

 振り返ると、老人は腕を組んで難しい顔をしている。

「確かにわしはトマトを作っとる。二十年以上もな。だが……」

 ガンツの視線が、愛情と諦めの入り混じったものに変わる。

「町に出荷しても『毒々しい』『酸っぱくて青臭い』と誰も買わん。最初は『いつか分かってもらえる』と思っとったが……」

 老人の肩が、わずかに落ちた。

「自分で食うだけのために作るのも馬鹿馬鹿しくてな。そろそろ止めようと思っとったんじゃ。結構育てるの大変なんだわ、これが」

 二十年の苦労と孤独が、その言葉に滲んでいた。

「いやいや、トマトは最高に美味しいんです! たくさん買いますから、ぜひ作り続けてください!」

 シャーロットは身を乗り出した。

 しかし――――。

「じゃが、お嬢ちゃんが買っても、お客が食べなかったらゴミになるだけなんだぞ?」

 ガンツは冷徹な視線を投げかける。

「だっ、大丈夫です! トマトの美味しさを私がみんなに紹介します!」

 シャーロットは両手のこぶしをグッと握りブンと振った。

 その熱意に、ガンツの硬い表情が少しだけ和らぐ。

「ふむ……」

 顎髭を撫でながら、じっとシャーロットを見つめる。やがて、その瞳に挑戦的な光が宿った。

「そこまで言うなら……一つ条件がある」

「な、なんでしょう?」

「わしは今まで、トマトは生で食うか、せいぜい塩をかけるくらいしか知らん」

 ガンツは、にやりと笑った。

「もし、本当に美味い『トマト料理』とやらを食わせてくれたら……、考えてやってもいいが?」

 挑戦状を叩きつけられたシャーロットの目が、炎のように輝く。

「お任せください!」

 いきなり降ってきた試練だが、シャーロットは勝利を確信していた。それだけトマトのポテンシャルを信頼しているのだ。


       ◇


 ガンツの家は、農場の隣にある石造りの質素な建物だった。

 台所は意外にも整然としていて、年季の入った調理器具が丁寧に手入れされて並んでいる。シャーロットはエプロンを身につけると、早速調理に取りかかった。

 まず、ガンツが差し出してくれた真っ赤なトマトを手に取る。

(いいトマトだわ。愛情を込めて育てられたのが分かる)

 鍋に湯を沸かし、トマトのお尻に十字の切り込みを入れた。沸騰した湯にさっとくぐらせ、すぐに冷水へ。

「ほう……」

 ガンツが興味深そうに覗き込む。

 するりと皮が剥けるトマト。それを手際よく刻んでいく。果肉からじゅわりと果汁が溢れ、まな板を赤く染めた。

 フライパンにオリーブオイルを注ぎ、みじん切りにしたニンニクを投入。火にかけると、たちまち香ばしい香りが立ち上る。

「ニンニクの香りが移ったら……」

 刻んだトマトを一気に加える。

 ジュワァァァ!

 勢いよく水分が蒸発し、甘酸っぱい香りが台所中に広がった。木べらで優しくかき混ぜながら、トマトが煮崩れていく様子を見守る。

「なんだなんだ、この美味そうな匂いは……」

 ガンツの声には、期待が混じっていた。

「トマトは加熱すると旨みが出てくるんですよ」

 塩、胡椒で味を調え、スプーンですくって味見をする。

「うん、美味しい! ふふっ」

 その嬉しそうな表情に、ガンツも思わず笑みをこぼす。

 別の鍋では、パスタが踊るように茹で上がっていく。タイミングを見計らって湯切りし、真っ赤なトマトソースと絡める。仕上げに粉チーズをたっぷりと振りかけ、摘んできたバジルの葉を添えた――――。

「さあ、召し上がってください」

 シャーロットは最高の笑顔で、湯気の立つパスタをテーブルに運んだ。

「えぇ……こんな真っ赤なパスタ……大丈夫かよ、おい……」

 ガンツは眉をひそめながら、恐る恐るフォークを手に取る。

 くるくるとパスタを巻き取り、ゆっくりと口に運ぶ。

 その瞬間――――。

「こ、これは……!」

 老人の目が、まるで子供のように見開かれた。

「どうですか? ふふっ」

 シャーロットは期待に胸を膨らませて見守る。

 ところが――――。

 ガンツはズルズルと勢いよくパスタをすすった後、急に腕を組んで黙り込んでしまった。眉間に深い皺を寄せ、何やら考え込んでいる。

「あれ? お気に召しませんでした?」

 不安になったシャーロットが首をかしげた、その時。

 ガタン!

 ガンツが突然立ち上がり、そのまま何も言わずにドアを開けて飛び出していった。