とぼとぼと歩いていると、小さな花屋の前で、ふと足が止まった。

 店先には色とりどりの花々が、鮮やかに並んでいる。向日葵(ひまわり)が太陽を追いかけるように顔を上げ、薔薇(ばら)が朝露を纏って輝き、小さな勿忘草(わすれなぐさ)が可憐に微笑んでいる。

 その花々の中で、シャーロットの視線が一点に釘付けになった。

 真っ赤な宝石のような実がいくつも実っている鉢植え――――。

「こっ、これは……!?」

 震える手で鉢植えに近づく。鼻を近づけると漂う、懐かしい青臭い香り――――。

 朝日を受けて、まるでルビーのように輝くその姿に、シャーロットの心臓が高鳴った。

「プチトマト!?」

 その瞬間、まるで宝物を見つけた子供のように重かったカゴも忘れ、弾むような足取りで店の中に飛び込む。

「こっ、この鉢植え、どこで手に入れたんですか?」

 カウンターで花の手入れをしていた女主人が、シャーロットの勢いに目を丸くする。

「ああ、それ?」

 女主人は苦笑いを浮かべながら、エプロンで手を拭いた。四十代半ばだろうか、日に焼けた頬に笑い皺が刻まれた、人の良さそうな女性だ。

「郊外のガンツじいさんが作ってる……トマトだったかしら? 変わった植物よ。『観賞用にどうだ』って持ってきたけど……」

 女主人は肩をすくめる。

「赤い実が毒々しいって、誰も買わないのよね。正直、私も処分に困ってたところよ」

「でも、これ……食べられるんです! とっても美味しいんです!」

 シャーロットの言葉に、女主人の顔色が変わった。

「食べる!? あんた、この赤い実を? 毒があるんじゃないの?」

「い、いえ、大丈夫です! 本当に美味しいんです! 甘酸っぱくて、瑞々しくて……」

 シャーロットは必死に説明するが、女主人の表情は半信半疑のままだ。でも、その真剣な眼差しに何かを感じたのか、しばらく考え込んだ後、小さくため息をついた。

「まあ、あんたがそこまで言うなら……ガンツじいさんの農場は、ここから東に向かって、丘を一つ越えたところにあるわ」

 女主人は、丁寧に道順を説明してくれる。

「ガンツのじいさんは変わり者だけど、悪い人じゃないわ。ただ、ちょっと……いや、かなり頑固なところがあるから、気をつけてね」

 シャーロットは何度も頭を下げ、震える手で鉢植えを手に取った。

「これ、買わせてください!」

「え? 本当に? でも……まあ、持ってってちょうだい。お代はいらないわ」

「えっ!? でも……」

「捨てようと思ってた物だからね。それに価値を知ってる人に貰われた方がトマトも嬉しいでしょ? はっはっは!」

 女主人は楽しそうに笑った。

「あ、ありがとうございます!」

 ローゼンブルクの人の温かさにシャーロットは泣きそうになった。誰もが笑顔でゆとりがある。計算高くあることが尊ばれる王都ではとても考えられない。

 私もこうありたい――シャーロットは心からそう思った。

 手提げ袋に大切に収めたプチトマトの鉢植え。小さな赤い実が、まるで希望の灯火のように、シャーロットの心に光を灯していた。


       ◇


 翌日早朝、朝露がまだ草木を濡らす時刻。シャーロットは期待と不安を胸に、教えられた道を東へと向かった。

 石畳の道はやがて草の生える土の道となり、町の喧騒は鳥のさえずりと風の音に変わっていく――――。

 丘を登るにつれ、視界が開けてきた。振り返れば、ローゼンブルクの町が朝靄の中に優しく佇んでいる。

 小川にかかる石橋を渡り、大きな樫の木を目印に曲がると、そこに農場があった。

 いや、農場というより――実験場?

 他の農場とは明らかに違う光景が広がっていた。畑は幾何学的に区切られ、見慣れない作物が整然と並んでいる。支柱には几帳面に番号が振られ、まるで研究者の実験圃場のような雰囲気だ。

「おや? 誰だい?」

 しわがれた声に振り向くと、畑の奥から一人の老人が姿を現した。

 日に焼けて(しわ)だらけの顔。真っ白な髭は胸まで伸び、鋭い眼光が訪問者を値踏みしている。手には泥のついた(くわ)を持ち、長年の農作業で鍛えられた身体は、年齢を感じさせない力強さを秘めていた。

「はじめまして、私シャーロットと申します」

 シャーロットは深くお辞儀をする。

「町で新しくカフェを開こうと思っていて……実は、あなたが作っているトマトを分けていただきたくて……」

 その瞬間、ガンツの表情が一変した。

 警戒と驚きが入り混じった顔で、じっとシャーロットを見つめる。まるで、幻聴を聞いたかのような表情だ。

「トマトを知ってるのかい? しかも、欲しいだと?」

 声には信じられないという響きが含まれている。

「はい! トマトは素晴らしい食材なんです! ぜひ見せていただけませんか?」

 ガンツはしばらく黙って立っていたが、やがて大きくため息をついた。