「いやいやいや!」

 長老は必死に手を振った。

「あんたはそう気軽に言うが、戦争するかどうか決めるのは魔王なんだぞ!?」

 唾を飛ばしながら力説する。

「魔王が! 人間に! 貴重な秘薬の提供など! 許すわけがない!」

「いや?」

 ゼノヴィアスは首を傾げた。

「許すが?」

 きょとんとした顔。

「あ、あんたの意見は聞いてない!」

 長老は苛立ったように叫んだ。

「魔王が! 魔王がどう考えるかじゃよ!」

「だから」

 ゼノヴィアスは、さも当然のように。

「余が良いと言っている」

「……へ?」

 長老の口が、ぽかんと開いた。目を細め、ゼノヴィアスをじっと見つめる。

 そこにいるのは、どう見ても二十代の精悍な青年。
 ちょっと態度は尊大だが、まあ若者にはよくあること。

 でも――――。

「あの……魔王様が特別に大丈夫って言ってくれてるんですよ!」

 シャーロットが慌ててフォローした。

「あんた……」

 長老の指が、ゆらゆらとゼノヴィアスを指差した。

「魔王?」

 まるで、信じられないものを見るような目。

「余を指差すな!」

 パシン!

 ゼノヴィアスが不機嫌そうに、長老の指をはたいた。

「し、失礼……」

 長老は混乱したまま、シャーロットの袖を引っ張った。

「ちょっとちょっと、こっち来て……」

 テントの隅へと引っ張っていく。

「はぁ……」

 シャーロットは苦笑いを浮かべながらついていった。

「彼は……」

 長老が小声で囁く。

「魔王の何なの? 息子? 弟? それとも使い走り?」

「ご本人ですよ?」

 シャーロットはあっさりと答えた。

「いやいやいや!」

 長老は激しく首を振った。

「魔王ゼノヴィアスと言えば! 五百年前にこのあたり一帯を焦土にした恐るべき魔人だよ!?」

 声がだんだん大きくなる。

「知ってますよ?」

「身の丈三メートル! 角は天を貫き! 吐く息は業火!」

「へっ? はっはっは……それは誇張ですよ」

 シャーロットはそのたくましい想像につい笑ってしまった。

「じゃぁ……本当に彼が魔王?」

 長老は信じられないという顔で、ゼノヴィアスをチラッと見た。

「そうだって言ってるじゃないですか」

 シャーロットは眉を顰める。

「ほはぁぁぁ……」

 長老の顔が真っ白になった。

 そして――。

 ドサッ。

 腰を抜かしたように、その場にへたり込んだ。

「ま、魔王……本物の……魔王……」

 ガタガタと震えが止まらない。

 気分一つで街を焼き、
 魔法一発で一個大隊を吹き飛ばす、
 史上最悪最強の人類の敵。

 その伝説が、まさか目の前の若者だなんて――――。

「誰が魔王でもいいじゃないですか」

 シャーロットは呆れたように言った。

「今は薬が大切なんです」

 そして、きびきびと続ける。

「ワイバーンが薬を持って来るので、そこの広場に降ろしていいですか?」

 長老は、もはや思考停止状態で、ただコクコクと頷くばかりだった。

 魔王が、薬を。
 人類の敵が、救いの手を。

 もう、何が何だか分からない。

 でも――――。

(薬が来る。シャーロット様がおっしゃるならそれだけは、確かだ)

 震える手で十字を切りながら、長老は祈った。

 この絶望の都に安寧が訪れますように――――。


       ◇


 テントを出て、広場に立った二人。

 夜風が、死の匂いを運んでくる。

「そろそろやってくるぞ」

 ゼノヴィアスが静かに告げた。

 そして、天に向かって手を掲げる。

 ボンッ!

 紫色の光球が、まるで打ち上げ花火のように夜空へと昇っていった。

 それは普通の照明弾とは違う、どこか幻想的な輝き。ゆらゆらと空中を漂いながら、まるで生きているかのように脈動している。

「うわぁ……綺麗……」

 シャーロットが思わず呟いた時――。

 バサッ……バサッ……。

 遠雷のような音が、夜の静寂を破った。

 重く、力強い羽ばたき。
 それは確実に、こちらへ近づいてくる。

 シャーロットは音の方向に目を凝らした。

 月明かりの中、何か巨大な影が――。

「まさか……あれが……?」

 声が震える。

 それは、想像をはるかに超える大きさだった。

 翼を広げれば、アパート一棟分はあろうかという巨体。
 鱗は月光を受けて銀色に輝き、
 長い首は優雅なS字を描いている。

 ワイバーン――伝説の飛竜が、現実として目の前に迫ってきていた。

「ギュォォォォオ!」

 咆哮が夜空を切り裂く。

 それは威嚇ではなく、主への挨拶のようだった。