その時――。

 バン!

 扉が、まるで爆発したかのように開かれた。

「陛下! もう限界でございます!」

 転がり込んできたのは、宮廷医師団の長老。普段は背筋をぴんと伸ばし、髭を整えている老人が、今は亡霊のような姿で立っていた。

 髪は乱れ、目は血走り、かつて純白だった医師の衣は血と汚物で汚れている。

「どうした、そのような姿で」

「失礼ながら直訴させていただきます。『天使様の薬』の調達を! もはやそれに頼るしか……」

 老医師は膝から崩れ落ちそうになりながら、必死に叫んだ。

「特効薬『天使様の薬』をすぐに出してください!」
  
「天使様の薬……?」

 国王が眉をひそめる。

「何のことだ」

「ご存じ……ないのですか!?」

 老医師の顔に、絶望が広がった。まるで、最後の希望が潰えたかのように。

「この三年間、いや、もっと前から……原因不明の病から人々を救ってきた秘薬です! 薬務局からは『準備はしている』と回答があったのに全然届かないのです」

 震える手で、老医師は懐から小さな青い瓶を取り出した。空っぽだが、かすかに薬品の匂いが残っている。

「この透明な液体こそ、天使の雫、神の恵み……それさえあれば、この病も必ず――」

「待て! 薬務局長、知ってるか?」

 国王は出席している薬務局長の方を向いたが――――。

「えっ!? そ、そんな話は私の方では……把握……しておりません。至急担当のものに……」

 局長は目を白黒させながら官僚的答弁をするばかり。

「くっ! どうなってる。それを作っていたのは、誰だ!?」

 国王は老医師に聞いた。

「シャーロット・ベルローズ様です!」

 その名前を聞いた瞬間、同席していた王子エドワードの顔が土気色に変わった。

 静寂。

 まるで、時が止まったかのような静寂が執務室を支配した――――。

「嘘だ!」

 王子エドワードが、椅子を蹴倒して立ち上がった。その顔は真っ赤に染まり、額に青筋が浮かんでいる。

「あの陰気な女が! あの根暗で、つまらない女が、そんな秘薬を作れるわけがない!」

 だが、老医師は震える手で、分厚い書類の束を差し出した。

「調べました……全て、調べ上げました」

 涙が、深い皺に沿って流れ落ちる。

「石鹸の製法を『古文書で見つけた』と広めたのも、上下水道の設計図を『夢でお告げを受けた』と寄贈したのも、全て――全てシャーロット様でした」

 一枚一枚、証拠が積み重なっていく。

 匿名の寄付記録。
 深夜の実験室使用記録。
 薬を受け取った患者たちの証言。

「彼女は……」

 国王の声が震えた。

「何年もの間、誰にも知られることなく、感謝されることもなく、ただ黙々と……王都を守っていたというのか」

「はい……。そうだった……としか……くぅぅぅ……」

 老医師は嗚咽を漏らした。

「真の聖女は、シャーロット様だったのです!」

 ガタン!

 国王が立ち上がった。

 その瞬間、執務室の空気が凍りついた。老いた体から放たれる怒気が、まるで炎のように周囲を焼き尽くさんばかりに膨れ上がる。

「エドワード!」

 その声は雷鳴だった。

 天が裂け、神の怒りが降り注ぐかのような声が、王子の全身を打ちのめした。

「なぜ……なぜ追放などした!」

 王子エドワードは、まるで捕食者に睨まれた小動物のように青く小さくなった。かつて見たことのない父の怒りに、膝が震える。

「し、知らない……知らなかったんだ……」

 舌がもつれる。必死に言い訳を探すが、頭は真っ白だ。

「だ、だって! あいつは聖女様に嫌がらせを……」

「馬鹿もんがぁぁぁ!」

 国王の咆哮が、石造りの壁を震わせた。窓ガラスがビリビリと振動し、天井から埃が舞い落ちる。

「こんなに! こんなに人のために献身的に働く娘が! くだらない嫌がらせなどするわけがないだろう!」

 王の手が杖を握りしめる。古い樫の木が、ミシミシと悲鳴を上げた。

「少しは頭を使え! その空っぽの頭を!」

 その姿は、まるで裁きを下す死神のようだった。

「お前という愚か者が……お前が本物の聖女を追い出したのだ!」

「ち、違う!」

 王子の顔が恐怖と怒りで醜く歪んだ。追い詰められた獣のように、牙を剥く。

「これは陰謀だ! あの陰気な女の陰謀に違いない! 最初から全部計画して、俺を陥れるために……」

「黙れぇぇぇ!」

 ガァァァン!

 国王の杖が、まるで巨大な槌のように床を打った。大理石に亀裂が走り、破片が飛び散る。

「恥を知れ! 恥を!」

 王の目から、怒りの涙がこぼれた。