扉まで姉弟を見送るシャーロット――――。

 トムが振り返り、その小さな手を大きく振った。

「お姉ちゃん、また来てもいい?」

 期待と不安が入り混じった声。まるで、宝物の場所を慈しむように。

「もちろん! いつでも待ってるわ」

 シャーロットの答えに、トムの顔が朝顔のように咲いた。

「やったー!」

 トムはぴょんと跳ねる。

「ごちそうさまでした! すっごく、すっごく美味しかった!!」

 今度は姉が深々と頭を下げた。その瞳には、まだ感動の余韻が残っている。

「こんなおいしいの、まるで魔法みたいでした!!」

「ふふっ、ありがとう。気を付けて帰ってね」

 シャーロットは優しく手を振る。

 トムは何度も振り返り、その度に「美味しかったぁ!」と叫んでいた。

 最初のお客が彼らでよかった。シャーロットはしみじみと子供たちの出会いに感謝する。

 人込みに溶けていく。姉弟の幸せそうな姿を見守っていると――――。

「あの子たち、天使みたいな顔してたね」
「『魔法みたい』って言ってたよ」

 いつの間にか、店の前に人だかりができていた。まるで、幸せの香りに引き寄せられた蝶のように。

「新しいカフェか。入ってみようか」
「あの匂い、たまらないな」

 扉を開ける音が、まるで楽団の序曲のように次々と響く。

「いらっしゃいませ!」

 シャーロットの声が店内に花開いた。一人、また一人とお客が入ってくる度に、店内の温度が上がっていく。それは気温ではなく、人の温もりによる熱量――――。

 注文が飛び交い、フライパンが歌い、食器が踊る。

「このオムライスはまさに革命だ! 赤い魔法だ!」

 髭面の冒険者が、まるで宝物を発見したかのように叫ぶ。その隣では、仲間たちが我先にとスプーンを動かしている。

「まあ、なんて優雅な味! 王都の宮廷料理より素晴らしいわ」

 絹の扇子を持った婦人が、うっとりと目を細める。

 厨房と客席を行き来するシャーロットの足取りは、まるでワルツを踊るよう。疲れているはずなのに、不思議と体が軽い。

 その後も賑わいに引き寄せられるように次々と来客が続く。気がつけば、窓の外は茜色に染まっていた――――。


         ◇


 一段落がついて最後のお客様を見送り、シャーロットはカウンターにもたれかかった。

 冷めた紅茶が、働いた証のように甘く感じる。

(最高の一日だった……でも)

 両腕が鉛のように重い。明日もこの調子なら、体が持たないかもしれない。

 そんなことを考えていると――――。

 チリンチリン。

 振り返ると、一人の青年が立っていた。昼過ぎに来店した時から、ずっと何か言いたそうにしていた人だ。

「あの……」

 青年は深呼吸を三回した。まるで、人生を変える告白をする前のように。

「僕、ルカといいます」

 そして、真っ直ぐにシャーロットを見つめる。その瞳には誠実な輝きがあった。

「お願いがあって来ました」

「お願い?」

 シャーロットが小首を傾げると、ルカは拳をぎゅっと握りしめる。

「僕を……僕を弟子にしてください!」

 その声は、魂の底から搾り出したような響きを持っていた。

「あのオムライスを食べた時、雷に打たれたんです。いや、違う……もっとすごい何かが、僕の中で爆発したんです!」

 ルカの頬が興奮で赤く染まっている。

「そ、そんな大げさな……」

「大げさじゃありません!」

 ルカは一歩前に出る。その勢いに、シャーロットは思わず後ずさった。

「あの真っ赤なソース! 見たことも、想像したこともなかった! 一口食べた瞬間、世界が変わったんです。まるでーーまるで天使が舞い降りて、僕を祝福してくれたみたいで……」

 あまりの熱弁に、シャーロットは困りつつも自然と笑みが浮かんでくる。

「でも、私もまだまだ未熟で……」

「未熟? とんでもない!」

 ルカは首を激しく横に振った。

「あれは神様の料理です。いや、神様でもあんな料理は作れない!」

 その純粋すぎる賛辞に、シャーロットは思わず吹き出しそうになった。

(誰かに手伝ってもらいたいのは事実だわ。明日も一人は辛いし……しかし……)

「お店の仕事は料理だけじゃないのよ? 掃除も接客も……」

 シャーロットは言い含めるようにルカの顔をのぞきこむ。

「何でもします! 床磨きでも、皿洗いでも、薪割りでも!」

 ルカは深々と頭を下げる。

「だからお願いします! あの赤い魔法を、僕にも教えてください!」

 その必死な姿に、シャーロットの心が温かくなった。

「……分かりました」

 顔を上げたルカの瞳が見開かれる。

「明日から、一緒に頑張りましょう」

「ほ、本当ですか!?」

 ルカの顔が朝日のように輝いた。

「ありがとうございます! 一生懸命頑張ります! 命をかけて皿を洗います!」

「命はかけなくていいから……」

 シャーロットは苦笑しながら、でも心の中では微笑んでいた。

 ルカがたくさんお辞儀をして帰った後、シャーロットは静かになった店内を見回す。

「朝の不安が嘘のようだわ……」

 ここは今、幸せの記憶で満ちている――――。

 シャーロットは冷たくなった紅茶をすすり、大きく息を吸った。