『明けましておめでとう。今年もよろしく』
ぽんっと通知がきて、スマートフォンを見れば頼からだった。凪はフライングキャッチよろしくスマートフォンごとベッドに一回転ダイブする。
「ハハッ、変なスタンプ付きだ」
凪は実家の自分の部屋にいた。日付は1月1日の元旦。時刻は午前8時。2026年最初のメッセージが頼からだなんて幸先がいい。今年は良い年になるに決まっている。
『期末試験俺が勝ったし、凪に1つ聞いてほしいことがあるんだけど』
そうだった、まだ願い事を聞いていない。
「ええっと。明けましておめでとう。こちらこそよろしく。聞いてほしいことってなに……送信っと』
しばらく待っていると、返信が来た。その内容に凪は素っ頓狂な声を上げ、ベッドの上に立ち上がる。
「お、俺の部屋に遊びに来たいだとぉっ!」
とりあえずイエスの返事をし、家族に「友達遊びにくるから」と伝えると、家政婦も真っ青のレベルで凪は掃除をし始めた。
「どるあぁぁぁおりゃおりゃぁぁぁっぁ!」
別に見られて恥ずかしいものは置いてないはずだ。だけれども少しでも綺麗に見せたかった。散らかった漫画や本を本棚に戻し、食べかけのポテトチップスは捨て、床に掃除機をかける。
「お兄ちゃん朝からどうしたの?」
小3の弟が顔を出した。
「今から友達が来るんだよっ」
「へぇ。どんな人?」
「爽やかイケメン」
「さっぱりつけめん?……ぐふっ」
弟は自分の言ったことにウケてどこかに消えていった。
「お兄ちゃん朝からどうしたの?」
続いて中一の妹が顔を出した。
「今から友達が来るんだよっ」
「えっ。お兄ちゃん友達いたの?」
「しばくぞコラ」
妹は「嘘だよ~!きゃ~!お化粧しなくちゃ~!」とか言って出て行った。わが妹弟ながらキャラが濃ゆい。
「って、せっかく爆盛れしたのに必要なかったじゃん!お兄ちゃんのバカ!」
「ごめんて」
そしてその日の午後、凪は妹にぷりぷり怒られていた。てっきりその日のうちに頼が遊びにくるものと思い込んでいたのだが、よくよくやりとりを確認すると『三が日は家族団らんするだろ? 4日にお邪魔できたらなって思ってる。ご家族は甘いもの好き?』と続きが来ていたのだ。見落としていた。
「明明後日にうち来るからさ。行儀良くしてくれよ」
「もうっ、お兄ちゃんのポカホンタスゥ!」
……ポカホンタス?
 
――と、いう話を凪は頼に語って聞かせた。
「はっ、はっ、はっ、やっぱりキョーダイは似るんだな、腹いてぇ」
「めっちゃ笑うじゃん」
「だっておもれーもん」
あっという間に1月4日が訪れて、凪は頼を我が家に迎え入れていた。絶賛笑われ中だ。この日は早起きをしてもう一度念入りに整理整頓をし、しわのない服に着替え、頼を最寄り駅まで迎えにいった。すぐに見つけた。
頼はタートルネックの白セーターにグレーのパンツをあわせ、ブラウンのチェスターコートを着ていた。遊園地に行った時も私服姿を見たのに、今のほうが無性にドキドキする。二人で逢坂家に到着し、家族に紹介したときは「こんなにかっこいいやつが俺の親友なんだぞ」と誇らしい気分になった。
「あらまぁ、ここのカステラ、大好きなのよぉ。ありがとうね、伊坂くん」
実際、菓子折を受け取った母親はすぐに相好を崩した。父もまた、
「頼くんと言ったかな。いつもウチの凪と仲良くしてくれて、ありがとうね」
「とんでもありません。仲良くしてもらっているのは僕のほうです」
という会話を交わし、その好青年ぶりから頼のことをいたく気に入っていた。
「お兄ちゃんお兄ちゃんっ」
「ん?」
妹はちょっと離れたところから頭だけひょっこりだして様子を伺っている。目がまぁーるくなっていた。
「こんなにイケメンだなんて聞いてないんだけどっ!」
「あれ、言ってなかったっけ?」
「もうサイアクゥ~!盛れないまつげのほう付けてきちゃったじゃぁん!」
「知らねぇよ。てかちゃんと挨拶、しろ」
「うッ…」
恐る恐るといった感じで、妹が姿を現した。その背中には弟がくっつき虫のように繋がっている。それに気づいた頼は優しい笑みを零し、先に声をかけてくれた。
「はじめまして。凪の友達の伊坂頼っていいます。今日はお邪魔するね」
「あっ、ええと、いもいも妹の、逢坂茜です」
「お、おっとっと弟の、逢坂昴です」
「茜ちゃんと昴くん。会えて嬉しいよ。これからよろしくね」
「グゥ、眩しい……ッ」
茜はそう言うと、「目がァ、目がァ~」と騒ぎながら脱兎のごとくリビングに避難した。人見知りの昴も一緒だ。なんかごめんな、と頼に謝る。茜は絶賛厨二病に片足を突っ込んでいるし、昴も茜の影響を色濃く受けているところがある。
「ま、とりあえず、俺の部屋来いよ」
2階へ上がると、2部屋ある子ども部屋のうちの1部屋に入った。残りの1部屋は茜の部屋だ。昴には部屋がなく、寝る時は凪の部屋にある二段ベッドの上で寝るという感じで、茜の部屋で宿題をしたり凪の部屋で遊んでいたりと気の赴くまま神出鬼没に生活している。多分前世は猫だと思う。
「へぇ、綺麗にしてるんだな」
「ま、まぁな。座ってくれよ。飲み物、オレンジジュースでいいか?」
「おかまいなく。と言いたいところだけど、喉渇いてるしありがたくいただくよ」
「おっけ」
凪がオレンジジュースの入ったグラス二つとカステラのスライスを2つ持って戻ってくると、頼はラグの上であぐらをかいて座っていた。興味深そうに部屋の中を見回している。
凪の部屋はおよそ六畳で、入って右手の壁には本棚と二段ベッド、左手には勉強机や衣類棚、バッグ類、収納ケースなどが置いてある。正面の壁には出窓が付いており、グリーンのカーテンが下がっていた。
「あんまり人の物とか見るのよくないってわかってるけど、凪の部屋新鮮でつい見ちまうわ」
「全然いいよ、見てくれて」
「マジ?」
(そ、そ、掃除しといてよかったぁ~)
凪は内心安堵のため息をついた。
「あ」
あのマンガ俺も読んだことある、と本棚を見た頼が言ったのは、少年マンガのシリーズもので、同じ作者の別シリーズもめちゃめちゃ面白いぜとおすすめした。
「これはなんだ?」
「ん? それは……ソレハッ!」
頼が本棚の一番下の段から手にしたものを見てハッとする。凪は奪おうと手を伸ばすも盛大にすかされた。頼がニヤリと笑う。凪が悲鳴を上げる。
「やめ、やめろ!それは見るな!」
「どうしたんだよ凪、そんなに慌てて。見られちゃまずいものなのか?」
「ウワーーッ」
抵抗むなしく、分厚いフォルムをしたそれは開かれた。
「お、これ中学生の凪?」
「ウッ」
そう、卒業アルバムだ。中1の時に行った鎌倉研修のページを開き、頼が「うわ、今と全然変わらねぇーのな」なんて言うから、凪はムカッときてかみついた。
「変わってるぞ!身長も伸びたし!声変わりもしたし!」
「声変わりしたかどうかは写真じゃわからないだろ」
「うっせ!文句言うならもう見るな!」
「文句じゃねぇよ。嬉しいんだよ。俺の知らない凪をたくさん見れるんだから」
「うっ…」
屈託無く言われると反論に困る。頼は実際にこにこと楽しそうに見入っているから、好きにさせてやるかという気分になった。凪も一緒に見ることにする。
「うわ、懐かしい。中2の修学旅行だ」
「へぇ。これ、京都?」
「そう。京都と奈良。奈良公園で鹿にモテモテだった友達がいてさ――」
当時のエピソードを面白おかしく話す。記憶が蘇ってきて、凪は思わず口許をほころばせていた。
「あまりにもモテすぎて、そいつが移動するたびに鹿も付いてくるわけよ。修学旅行が終わる頃にはそいつのあだ名アシタカになってたよね」
「ははっ」
頼が笑ってくれたのが嬉しくて凪の胸がきゅんとした。ああ、幸せだな。自分の部屋に好きな人がいるなんて夢みたいだ。
中3の文化祭のページになると頼が「なにこれ?」と手を止めた。
「ん?ああ、これはイベントステージ。日頃思ってるけど言えないこととか、今だから言えるやらかした話とか、大勢の前で主張するんだ。中には好きな相手に告白する人とかもいて何組かカップル誕生してたっけなぁ」
まさにその、想いの丈をぶつけている瞬間を切り取られている1枚が、アルバムにはピックアップされていた。
「凪もされたりしたのか?」
「いいや。この場ではされなかった」
「この場では?」
バッと振り向かれる。頼は少し怖い顔をしていた。
「この場じゃなかったら告白されたことあるのか」
「そ、そりゃ、3年間のうちに2度や3度はあるだろ……」
「付き合ったのか?」
「…ま、まぁ?すぐ別れたけどな。ってかなんだよ、お前だってこれまで彼女いたことあんだろ?何人いたんだよ」
「ノーコメントで」
「は?ずりぃ!教えろよ!」
「それで、凪の元カノはどこに映ってる?」
「わー!やめろやめろやめろ!」
ぎゃーぎゃーわめきながらアルバムを取り合った。頼の手からなんとか奪ったそれを凪が抱きかかえて死守しようとすると、その上から頼が覆い被さってきて脇腹をくすぐられる。
「あっひゃっひゃっひゃっひゃ、ず、ずりぃぞ頼ィ!ヒッ」
「やめてほしけりゃそいつを渡せ」
「ああんお代官様ァ~おやめくださいましィ~ああーん」
「きもちわるい声すな」
ぺしっとデコピンを食らう。久しぶりのそれは前より力が優しい気がした。
その時、テンションの高い声が二人を呼びに来た。
「お兄ちゃんとお兄ちゃんのトモダチ!お母さんが、ご飯だって!」
バーンと扉が開いて立っていたのは昴だ。冬なのに半袖半ズボンの高体温お化けは、凪と頼に声をかけると「チャハァーンなんだから早くしてッ」と叫んでびゅんと下に降りていった。頼が小首をかしげる。
「チャハァーンってなに」
「たぶん、チャーハンのことだと思う。昴の好物なんだ」
「おお」
妙に納得した頼を連れて二人はリビングに降りた。チャーハンにはおせちの残り物であろうかまぼこやチャーシューなどが細かく切られて混ざっており、美味しかった。
「お兄ちゃんとお兄ちゃんのトモダチ!お姉ちゃんが、ゲームしよだって!」
「お、いいね」
ご飯を食べ終わると、茜と昴に遊びに誘われた。茜は頼にかまってほしいのだろう。魂胆はわかっている。だが4人でゲームするのもいいかと思って凪と頼はリビングへ移動した。
リビングソファに座る茜の顔には驚いた。
「お、お、おまえ、ソレどうした……?」
「あっ、お兄ちゃんとお兄ちゃんのお友達さん。こっちどうぞ。今起動したとこです」
茜の両目には今にも羽ばたきそうなまつげが付いている。動くたびバサバサ音が聞こえてきそうだ。おそらくこれが盛れるほうのまつげなのだろう。
「なによ、人の顔見て固まって。ほんとお兄ちゃんてデリカシーないよね」
「いや、さすがにさぁ」
「ほら早く始めるよ!」
パーティーゲームが始まった。一連を見ていた頼は凪の隣でくすりと笑っていた。みんなそれぞれ勝ったり負けたりした。楽しかった。あっという間に時間が過ぎた。
「お前んち、仲良くていいな」
部屋に戻って再びのんびりしていると、頼が伸びをしながら言った。
「ま、悪いほうではないけどさ。全然ケンカもするし、うっとおしいと思うことも多いよ」
「それがいいんじゃん」
しみじみと言われる。凪はなんとなく察した。
「頼んとこは厳しいからなぁ。お兄さんとも距離があるって感じ?ケンカとか、しないのか」
「しないねぇ。別に、したいわけじゃないけどさ」
「うん」
カチ、カチと秒針が時を刻む音がする。凪は心の底から思ったことを言った。
「いつでも遊びに来いよ」
頼と目が合う。
「お前だったら、家族全員大歓迎だ。来たくなったら、いつでも来たらいい。次は1泊くらいしていくか?もっと逢坂家のドタバタ劇が見られるぞ」
「ははっ。それは楽しみだ」

「わ、けっこう人いるな」
「意外と有名だからなここ」
夕方になると、凪と頼は地元で有名な神社に来ていた。二人ともまだ初詣を済ませていないことがわかり、せっかくだから一緒に行こうという流れになったのだ。
凪はルンルンだ。外は寒いけれど頼からもらったマフラーはすごく温かいし、何より頼と二人で出かけるというのがイイ。夕暮れの神社というのもムードがある。
鳥居をくぐると混雑をかきわけて手水舎を目指した。キンキンに冷えた水で手と口を清める。終わった頃には凪も頼も手が赤くなっていた。
「頼、俺の手超冷たい! 触ってみて」
「あほか、俺だって冷たいわ」
そう言いつつもちゃんと乗ってくれる頼は優しい。向かい合わせで両手同士を握りあうと、どっちの手もさして変わらないことがわかった。それなのに触れた部分から、じんわりとした熱が生まれていくような気もする。
(やべ、何の気なしに、手ぇ繋いじゃった……)
ドキドキする。ど、どうしよう。
気恥ずかしくなった凪は「奥義ッ、寒風摩擦ゥ~~~!」と言って頼の手をおりゃおりゃと擦ってやった。
「いててて、いてぇ、あったかい通り越して熱いんだけどっ」
「どりゃどりゃどりゃ~っ」
おかげで凪もぽかぽかした。照れ隠しにも成功したし、ふう、と一息ついて「列並ぼうぜ」と頼を招く。
「ここの神社って何で有名なの?」
「んー、確か縁結びの神社だったはず」
頼の疑問に凪が返す。子どものころから何年も来ているが、良縁を願う若い男女の姿も多い。
(信心深いわけじゃないけど、せっかくこの神社に来れたんだから、この縁が末永く続いてくれたらいいな…)
隣に並ぶ頼を見ながら、凪はそんなことを思った。
大人しく参拝客の列に並んでいる間はおしゃべりに花を咲かせる。主に去年はどうだったとか、今年はどうしたいかとかだ。凪が真っ先に思いついたのはテスト成績で頼に勝ち越されていることだった。
「1学期中間はお前の勝ちで、期末が俺だろ?2学期は中間も期末もお前の勝ちだったから、だいぶ引き離されちまったなぁ」
「ご愁傷様。学年末も俺がいただくよ」
「させるかよ。今年の抱負のいっこめは、お前に勝つことだ」
「ふうん。二個目は?」
「二個目は……うーん、健康に過ごすこと、かな。去年は寝込んで大変だったし」
「違いない。お前、抜けてるところあるしな」
「は?俺のどこが抜けてんだよ」
「こことか?」
ふっ、と柔らかく笑いながら頼が手を伸ばしてくる。凪はビクッとした。頼の手が凪の喉元に到達し、マフラーを結び直し始めた。なるほど、ほどけかけていたのか。
「ほら、な。健康に過ごすと言ったそばからマフラーが緩んでんだ。抜けてる証拠だろ?目が離せないよ、ほんと」
「あ、あ、ありがと……」
「ん」
嬉しくてしばらく顔を伏せていた。にやけている自覚があった。凪はすんと鼻をすすると、深呼吸をしてから顔を上げた。
そうこうしているうちに参拝の順番が近づいてきていた。二人はそれぞれ賽銭用の小銭を用意する。凪は5円玉を握りしめた。 
前の参拝客の老夫婦を参考に、二礼二拍手一礼をする。賽銭を投げ入れ、ぱんと手を合わせると、凪は祈った。
(神様どうか、頼といつまでも一緒にいられますように。それから家族がみんな健康で過ごせますように。イツメンとも仲良くいられますように。……あとやっぱり、頼が実りある一年を過ごせますように。そしてその隣に俺がいられますように)
たくさん願いすぎたかもしれない。自分自身に苦笑しつつ祈りを終えると、ちょうど頼も終えたところだったのか目が合った。ふっと笑われ、凪も笑い返す。
「行こうか。後ろ並んでるし」
「おう」
そのあとは二人でおみくじを引きに行った。おみくじを買うまでにも列ができていたので、待っている間に「お前、何お願いしてたの?」と互いに聞きあう。凪はところどころぼかしながら伝えることにした。
「まずは家族がみんな健康に、だろ?あとはイツメンといつまでも仲良くすごせますようにって祈ったぜ。もちろんお前も入れてやった。感謝しろ」
「それはどうも。俺だってお前のこと祈ったぜ。凪が健康に過ごせますようにってな」
「そ、そうなのか……?」
「ああ。感謝しろ」
「マジか…」
なんだ、それならぼかして伝えなければよかった。凪だって頼のことを一番に思って願ったのに。くそ、しくった。
「なにをそんな険しい顔してんだ?順番来たぜ。百円だってさ。凪?」
「あ、ああ」
名前を呼ばれて我に返る。凪は百円を払うと、おみくじの山盛り入った箱の中に手を入れ、「キミに決めたァ」と一つをつまみ上げた。パッと開く。真っ先に目に入ったのは「末吉」の二文字。大吉じゃないのかよと気落ちしつつ、次に見たのは「恋愛」の部分だった。
 ――一生に一度出会うかどうかの人。大切にすべし。
(うわ。すげぇ、当たってる)
凪にとっての頼そのものだった。ライバルであり、親友であり、同性なのに好きになってしまった人。絶対に失いたくない人。かけがえのない人。
(こいつのおみくじにはなんて書いてあるんだろ…)
見たかった。
「なぁ、頼の見ていい? 俺の見せるし」
「ん」
手元を覗き込めば、頼もまた末吉を引いていた。同じじゃん、大吉がよかったよな、と言うと、
「末広がりの吉ってことだから、今よりもっとこの先が良くなるって意味だって昔ばぁちゃんが言ってた」
と頼はさして気落ちしていない表情を見せた。なるほど。むしろいいじゃん、末吉。
続いて恋愛の部分に視線を落とすと、「心に住み着くほどの相手ならば間違いなし。ただし期を待て」と書いてあった。凪の心臓がはねた。
心に住み着くほどの相手、か。
きっと今この瞬間も、頼の心に住み着いて離れない人がこの世のどこかにいるのだろう。たとえどんなに凪が物理的に一番近くにいようと、どんなに深く頼のことを思えど、その人には叶わないのかもしれない。
急激に切なくなった。きゅっと拳を握る。
(……羨ましい)
頼に想われるその人が羨ましい。凪だって頼の心に住み着きたい。凪の心にはいつだって頼がいるのに。
それではいけないのか。
「凪?」
はっと顔を上げる。俯いていたようだ。
「どうかしたか?」
「い、いや。ちょっとぼうっとしてた」
「ぼうっとしてた? もしかして体調悪い?」
頼が凪のおでこに手を当ててくる。心配そうな目でこちらを見てくる。その優しさが痛い。切なくて泣きたくなってくる。
好きだ。この手が好きだ。
だけど言えない。
言ってしまったら、もう友達ではいられない。
頼の隣にいられない。
だったらこの想いは閉まっておかなければ。親友としてなら、一番近くにいられる。
「凪、大丈夫か?なんだか顔が赤いぞ」
大丈夫、と返すために口を開いた時だった。
「――頼?」
若い女性の声がする。振り返ると、知った顔がいた。
「…千夏」
「頼だ!嘘、こんなところで会うなんて!」
嬉々とした声を上げた千夏がこちらに駆け寄ってくる。千夏は友達と来ていたのか、置いてけぼりをくらった子たちはぽかん顔だ。
「なんでここにいるの?偶然?うそぉ!嬉しい」
「確かにすごい偶然だな」
二人は互いにどういう経緯でこの神社に来ているのかを話した。頼が「凪と一緒に来てる」と言うと千夏と目が合って、「あ、文化祭の時の…」と挨拶をされた。凪もどうもと返す。
「私たち遅めの初詣に来てるんだけど、頼もそんな感じ?」
「そうだな」
「もう参拝は済んだの?」
「ああ」
「そっかぁ。そしたら私たちこのあと皆でごはん食べに行くんだけど、頼たちも一緒に行かない?」
「え、一緒に?」
 頼がいささか戸惑いの声を出す。
「それは…このあと俺たちも約束があるから。またの機会に」
「あ、そ、そうだよね。うん。ごはんはまた今度」
残念そうに千夏が笑う。それを見た凪は健気だなと思った。
千夏は十中八九頼のことが好きだ。その点では凪のライバルといえよう。だが凪とは違って、別々の高校に通っている。会いたい時に会えるわけではない。だからこうやって無理にでも口実を作って誘い出す努力をしなくてはいけない。
「じゃあさ、おみくじは、引いた?」
「ああ。引いたよ」
「まだそれ持ってるの?」
「ん。あるな」
頼は先ほど凪と共に引いたおみくじの白い紙を出して見せた。千夏がぱっと嬉しそうな表情をする。
「おみくじ結ぶところ教えてあげる!こっち来て」
今度は返答を待たずに頼の腕を取り、引っ張っていく。強引なやり方だが仕方ないのだろう。このくらいしなくては千夏の場合物事が前進しないのも確かだ。
二人のうしろを数歩離れて追いかけると、おみくじを買った建物の反対側に大木が植わっているのが見えてきた。大木の周りには数百に及ぶ細い紐が巡らされており、そこに何千というおみくじが結ばれている。
「ほら、すごいでしょう?みんなここに結ぶの。結んだほうが御利益があるって言われているんだよ」
「へぇ。そうなのか」
頼は近くの紐の中に空いているスペースを見つけると、引いたおみくじを器用に結んだ。
「凪は?お前も結ぶか?」
「あぁ、そうだな」
せっかくだからと凪も結ぶことにした。指がかじかんで手こずっていると頼が代わりに結んでくれた。おみくじ同士がぴったりくっついて並んでいる。なんだかちょっと嬉しい。
「さてと。そろそろ行くか」
立ち上がると、頼が凪を見て言った。確かにもういい時間だ。だがそこに「待って」という千夏の声がかかる。彼女の顔はまだ諦めていなかった。
「ね、ねぇ頼。ここって縁結びの神社なの。知ってた?」
「そうらしいな」
必死に会話をつなげようとする。その切実さになんとも言えない気持ちになる。
「私ね、さっき頼にばったり会ったとき、感じたの。今日ここで会ったのは、偶然なんかじゃないのかもしれないって」
「偶然じゃない…って、どういうこと?」
「だって縁結びの神社だよ?そこで会いたいと思ってた人に会えたんだよ?そんなの、運命だって思うじゃんっ」
「千夏…」
凪は息をのんだ。千夏から熱い感情が溢れ出ているのが痛いほどにわかった。多分凪も同じ立場なら、そうやって必死にならざるを得ないはずだ。
「好きっ…」
好きなの、頼のことが、好き……っ!
今にも泣き出しそうな声で千夏は訴えた。いつから好きなのか、どうして好きなのか、どこが好きなのか。きっと今日告白するつもりなんて最初はなかったのだろう。だが彼女の精一杯を凪は目の当たりにした。
正直震えた。

「凪……待たせてごめん。千夏、落ち着いて、帰っていったよ」
「そっか」
結局凪は千夏の勇姿を見届けた。頼に正面からぶつかって、思いの丈を伝えきった様は格好良かった。頼の答えはノーで、それを聞いた途端泣き出してしまったけれど、近くのベンチに座らせて泣き止むまで頼がそばにいてあげていた。そういうところが頼の残酷なくらい優しいところだと思う。
「はぁ、マジでびっくりした」
「おつかれ」
「初詣で告白されると思わなかったわ…」
深く息を吐き出し、さっきまで千夏が座っていたベンチに頼が腰を下ろす。凪も座っていた石段から立ち上がり、頼の隣へと移動した。
「頼くんや。モテる男は苦労するねぇ~」
「別に、モテねぇよ」
「嘘ばっか」
「モテねぇって。モテたい相手からは全然モテないの」
「へぇへぇ贅沢な悩みだこと」
モテたい相手――それが意味するのは頼の好きな相手のことだ。頼も片思いをしていることはわかっている。その相手から、もしも見向きもされていないと言うのなら、凪としては少しほっとしてしまう。そしてほっとしている自分に嫌気がさす。
さっきだってそうだ。千夏が振られたことに凪は安堵した。最低だ。
(俺ってクズだな。人が振られて喜んでるって。マジクズじゃん)
千夏みたいに、自分も告白できるだろうか?いや、できない。断られたあとのことを考えてしまってどうにも勇気が出ない。振られてしまったら、それまでと同じ態度で頼に接するのは無理だ。ぎくしゃくしてしまう。そうなれば自然と距離ができる。離ればなれになってしまう。それは怖い。はぁ…。
凪はバレないようにため息をついた。
千夏が振られてほっとしている自分も嫌だし、当たって砕ける覚悟のない弱い自分も嫌だ。頼のことが好きで、好きで、心から幸せになってほしいのに、同じだけ誰かのものになってほしくない。
(こんな気持ちになるのは初めてだ…)
人を好きになるって、こんなにも苦しいものなんだな。
「…なぎ」
「え?」
「おい、凪。大丈夫か?さすがに帰る時間だろ」
「あ、そっか」
声をかけられて意識が戻る。隣にはいつもと変わらない端正な顔があった。なんだかんだでもう夜の7時だ。いい加減帰らなければ家族が心配する。
帰りがけ、神社が無料で提供している甘酒をもらって帰ることにした。来たときから甘い匂いが漂っていて、気にはなっていたのだ。ただ生まれてこの方凪は甘酒を飲んだことがなかった。もちろん本物のお酒も知らない。
「これ、アルコールは入ってないんだよな?」
「ん。入ってない」
「でもなんかお酒っぽい匂いガンガンするぞ? 本当に飲んでも大丈夫なのか?」
「大丈夫だって。まずは舐めてみ? 美味いから。俺は好き」
ぺろりと舐めてみると独特の甘さが広がった。匂いはお酒っぽいが、確かに味は大丈夫そうだ。むしろおいしい。
「な?いけるだろ?」
「うん。うまい」
ごくごくと一杯目を飲み干した凪はおかわりをした。それがよくなかったのかもしれない。もしくは、他に原因があったのかもしれない。
とにかく、ものの10分後には凪は擬似的に酔っ払ってしまっていた。ふわふわする。自分からアルコールの匂いがする気がする。
「お前、完全に雰囲気に酔わされただろ……」
頼が呆れぎみに嘆いた。実際の酒飲んだら絶対ヤバいって、とぼやいている。
「なんだよぉ、お前、今日も女の子泣かせて、こんにゃろ」
「ちょ、まっすぐ歩けって!そっち壁!」
「おう?やんのかコラ!手加減しねぇぞ!」
「勝てるわけないから!」
帰り道のコンクリート壁にタイマンを挑もうとすると、後ろから頼に止められた。
「なんだよ、やんのか、あ?」
「凪、落ち着けって」
「なぁーにが『俺には諦めきれない人がいるから千夏とは付き合えない』じゃボケェ」
「お、おい」
「俺にだって諦められない人くらいいますゥ〜っ」
我ながら支離滅裂だ。だがしゃべり出した舌が止まらない。
「お前に大切な人がいるのと同じくらいなぁ、俺だってその人のこと大切に思ってんだよぉ」
「凪」
「俺だって本当はなぁ、頼には幸せになってほしいんだ!幸せになってほしい……だけどさ」
「うん」
「俺をおいて幸せにならないでくれよ…」
「っ……」
「俺をおいて、幸せにならないで……じゃないと、寂しくて、だめだ。頼が誰かの物になるのは…いやだ…」
「うん…。わかった。大丈夫だよ、凪」
 最後のほうは自分でもなんて言ったかわからない。だがふらふらとする体を頼は支えてくれ、優しくぎゅっとしてくれたような気がした。
 ……と、いうのが約1時間ほど前の記憶だ。
(やばい、やばいやばいやばい)
多分、神社から家までは頼がおぶって運んでくれたのだと思う。気づいたら部屋のベッドで寝ていた。そして現状、すぐそこに頼がいる。おそらく凪の中学のアルバムか何かをもう一度見ている……ような気がする。
(こ、こんな時はとりあえず寝たふりだっ)
記憶をなんとか辿ると穴があったら入りたい気持ちになった。甘酒が体に合わなかったのか雰囲気に酔っ払ったのか、散々変なことを頼に言った気がする。例えばそう「俺をおいて幸せにならないで」とか、「頼が誰かの物になるなんて嫌だ」とか。頼む夢であってくれ。
「凪」
(っ……!)
名前を呼ばれ、凪はいっそう寝たふりに専念した。目は閉じているけれど、頼からの視線を浴びているのではと思ってしまう。頬が熱い。顔が赤くなってしまわないか不安だった。落ち着け、平常心、平常心。
深呼吸を繰り返し、そのまま狸寝入りを決め込んだ。するとどうだろう?ジェットコースターのような感情の起伏を体験した疲れからか、いつしか本当に眠気が襲ってきた。
「凪」
もう一度呼ばれた。霧の向こうにいるようにぼやけて聞こえる。頼は多分「もう帰るよ」と言っている。見送らなくては。そう思うのに起きられない。もはや夢か現実かさえもわからない。始めから全部、夢なのかもしれない。
ふいに、頭をなでられたような感覚がした。前髪をかきあげられ、やわらかい何かがおでこに触れた。
「好きだよ、凪」
ああ、やっぱりこれは夢だ。なんて都合のいい夢なんだろう。これが現実であったらどれだけ嬉しいか。
数時間後、凪は誰もいない部屋で目を覚ました。のそのそと起き上がる。髪をかき上げ、おでこを指先でなでた。頼の優しい顔が浮かんだ。ぽつり、想いがこぼれる。
「俺も好きだよ、頼」 
こうして冬休みが終わった。