体育祭が無事に終わり、花ノ宮学園には平穏な日々が戻っていた――ただこの二人を除いては。
「おい伊坂、お前数学の問題集何ページまで終わった?」
「240。お前は?」
「おっそ。俺は248」
「悪ぃ250の間違いだったわ」
「オマエ、シバク、ゼッタイ」
相変わらずの関係だ。互いに憎いはずなのに、揃って寮の部屋の勉強机に向かっている。それもこれも来たる期末試験でより良い成績を取るためだ。
そもそも凪は奨学生だ。この制度は150名を超えるひと学年のうちたったの5名しか利用することができない。だから勉強に力が入るのは当然のことだった。プラスして、頼に勝ちたいという激烈なモチベーションがある。
一方の頼もそんな凪の姿を見せつけられてはいてもたってもいられなかったのだろう。負けじと課題をやりだした。かくして二人は黙々と――時にぎゃあぎゃあ喚きながら勉強していたのである。
「今に見てろよ。次は俺が学年一位をいただくからな」
「ふん。言ってろ」
カリカリ、というシャーペンの音が響き渡る。同じだけ二人もカリカリしていた。
だがそんな関係にも変化が起きた。それは7月の初旬。きっかけはたらたらと勉強をする柿下のぼやきだった。
「いいよねぇ、二人は。ほんと羨ましいよ」
「…羨ましい?」
学習意欲の高い凪や頼とは違って、柿下は勉強があまり得意ではない。中間試験の結果も芳しくなく、いくつかの科目で補習に引っかかってしまった。期末試験が見えてきたこともあり、先生からどっと課題を渡されたのだと嘆いている。
凪、頼、そして柿下までもが机に向かうとなると、部屋は一気に勉強モードだ。自然と宇田川も問題集を開くようになり、この日も4人で机に向かっているところだった。
その途中で凪は手を止めた。
「柿下、何が羨ましいんだ?」
「だってさ、逢坂くんも伊坂くんも、この学年のトップでしょ?僕と違って試験なんて楽ちんに決まってる。授業だって簡単なんじゃないの?いいよねー、頭がいい人は」
「……は?」
思わず低い声が出た。持っていた赤ペンを置き、柿下を見据える。
「お前、今、なんて言った」
「やめろ逢坂」
柿下の言う通り、成績だけ見ても凪と頼は頭一つ抜きんでた学年のツートップだ。加えて体育祭でかなりの活躍を見せた実績がある。いつの間にやら築かれたスクールカーストの中では、揃って一年生の頂点に君臨していた。
やっかみがあるのも知っている。だからといって何の苦労もしていないというような言い方は、いくらルームメイトでも許せない。
「撤回しろ、柿下。そんなふうに言うな」
「逢坂やめろって」
「俺も伊坂もなぁ、血反吐まき散らすくらい努力してんだよっ!」
「っ……」
息を飲んだのは誰だったか。怒鳴られた柿下か、固まっていた宇田川か、凪に制止の手を伸ばしていた頼か。
振り向けば、信じがたいといった表情で頼がこちらを見ていることに気づいた。凪だって憎きライバルの肩を持つような真似はしたくない。それでも叫んだのにはわけがある。
ずっとずっと、頼に勝ちたいと思っていた。勝つためにはどうしたらいいか考え続けていた。そのうちに相手をよく知ることが妙案ではないかと思えてきて、頼を細かく観察するようになった。観察するようになると、凪には気づくことがたくさんあった。
(こいつだって相当努力してるんだ…)
伊坂頼――彼は非常に勤勉で、わからないところがあれば必ず授業後に質問にいく。課外活動にもまじめに参加しているし、所属している弓道部では早くも好成績を残しているらしい。なんでもできるやつなのだ。ただしそれらはすべて、本人の並々ならぬ自制と努力によって裏打ちされたものだった。
性格についても、凪以外の生徒には分け隔てなく爽やかに接するから、頼は寮での人気者だった。周りからしてみれば凪とちくちく言い争っていることのほうが解せないらしい。
「なぁ、柿下。弱音を吐くのはいい。だけど人を妬むばかりじゃいいことなんてねぇよ。こうなりたいって思うことがあるなら、歯を食いしばってでも食らいつくべきだ。俺はそう思う」
「逢坂くん…」
凪が椅子から立ち上がると、柿下が体をびくつかせた。怒られると思ったのだろう。口が「ごめん」の「ご」の字を形作った時、被せるように凪が言った。
「どこがわからないんだ」
「え?」
きょとんと柿下の目が丸くなる。
「教えてやるよ。一緒に勉強しよう」
「い、いいの……?」
「おう。ただし理社は俺が、英数国は伊坂がな」
「はぁ?」
つい隣には豆鉄砲を食らった鳩さながらの顔をした頼がいて、はからずも凪は思い切り吹き出してしまったのだった。

勉強会が始まって幾日目。凪、頼、柿下、宇田川の四人は額をつき合わせ、数学の証明問題に取り組んでいた。
「うぐぅ、僕じゃさっぱりわかんないや。大輔、わかる?」
「全然。そもそも逢坂と伊坂でわからないものが、俺にわかるわけないだろ」
「………」
凪は無言だった。頼も無言だった。その心中は測りかねるが、少なくとも凪の頭の中は悔しさでメラメラと燃えていた。
(くそっ、もうちょっとで解けそうなのに……っ!)
それは数学の授業で取り上げられた証明問題で、試験にも出すぞと先生に言われているものだった。花ノ宮学園ではこのように、あらかじめ問題を与えることによって生徒に十分準備をさせるような教育文化がある。
「証明手順は授業の通りだろう?まずは4で割って3余る素数が無限には存在しないと仮定する」
頼がそう言うのに対し、凪が同意した。
「ああ。4n+3が有限ってことだな。そしてその最後の数をpとした時――」
ああでもないこうでもないと考えをぶつけているうちに消灯の時間になった。凪は潔く降参のポーズをして、「今日のところは終わりだな」と机の上を片付け始める。
(明日にでも図書館に行ってみるか。先生が薦めていた参考図書にヒントがあるかもしれない)
そして翌日。
「げっ…お前、なんでここに」
「それはこっちのセリフだ」
寮および講義棟から歩いて五分ほどのところに、華やかなレンガ造りの図書館があった。そこでばったり頼と出くわしたのだ。頼は凪がちょうど手に取った参考図書の存在に目ざとく気づいたようだった。
「おい!それ授業で紹介されたやつだろ!持ち逃げする気か!」
「早い者勝ちだ!」
館内につき小声でのバトルだ。貸し出し受付を手早く済ませた凪を頼が慌てて追ってきた。図書館を飛び出し、梅雨の明けた緑の中を全速力でひた走る。
「ついてくんな!」
「俺にも読ませろ!」
ただ走っていては追いつかれると踏んだ凪は、寮とは反対方向へと旋回し、道が二股に分かれたところで思い切り踏み切った。どちらの道でもなく、体は横手の雑木林の中へと吸い込まれる。ぎょっと驚く声が聞こえる。
草木をかき分けて走れば、生命に溢れた自然の匂いで肺がいっぱいになった。蒸し暑さにシャツが肌に貼りつく。葉にこすれて手の甲が少し痛い。だが止まる気はない。後ろには頼の気配。
その瞬間、全てがスローモーションに映った。
「はぁっ、はぁっ、逢坂、捕まえたぞ!」
「……ああ……」
「っ……、なんだここ」
緑一面だった視界が開けると、寮の部屋より少し小さいくらいの空間があった。中央には古びた木製ベンチがぽつんと一つ。木漏れ日が光の梯子となって、輪郭をそっと照らしている。それは今まで目にしたものの中で最も神秘的で心くすぐる光景だった。
凪は吸い寄せられるようにベンチに近づき、座面が濡れていないことを確認した。腰を下ろす。頼もまた隣に座った。追いかけられていたことなど忘れた。
「いい場所だな」
「ああ。すごく静かだ」
膝の上で本を開く。無性にここで読みたくなった。頼がページを覗き込んできて影がかかった。凪は拒まなかった。無心で活字を追った。
「「なるほどね……」」
丁寧に綴られた証明内容は腑に落ちるものだった。そして読み切った瞬間に凪がそう零すと、頼もまた同じタイミングで同じことを言うではないか。もはや完全に毒気を抜かれてしまった。
「なぁ伊坂」
ふと知りたくなった。とても根本的なことだ。
「どうしてお前はいつも俺に突っかかってくるんだ? いったい俺がいつ何をした」
「…………は?」
静寂ののち「いや、最初に突っかかってきたのはそっちだろ!」と言われて凪は驚いた。
「嘘だろ……俺はお前に変な顔だと馬鹿にされたんだぞ! 初日に! 忘れたのか!」
「……あ、あぁっ」
パチンと指を鳴らせば頼が頭を抱えて唸った。さすがの凪もばつが悪くなり、
「思い出したわ。その件に関してはごめん。俺が悪かった」
と素直に謝罪を口にする。非を認めないほど性格はねじ曲がっていないし、思えば「奇妙な愛想笑いだ」とか「俺はお前の顔が嫌いだ」とか好き放題言った気がする。なんせあの日は超絶気持ちの悪い痴漢にあったがゆえに、気が立ってしょうがなかったのだ。 
「あぁもう、参った。逢坂がそんなんだとこっちの調子が狂う」
「なんだよ。謝らないほうがよかったか?」
わざとらしく肩をすくめたところで、柔らかな風が吹いた。頼の黒髪が揺れ、整った額があらわになる。凪はそれをぼうっと眺めながら「でも、さ」と続けた。
「俺がお前の笑顔に違和感を覚えていたのは事実だぞ」
「違和感?」
少し迷った末、説明することにした。入寮初日の頼が無理して楽しそうな笑顔を作っているように見えたのだと。
すると頼は凪をまじまじと見て、すげぇな、と深く息を吐いた。
「正解だ。確かにあの時の俺は、学園生活をうまくやろうと必要以上に気張っていた」
「どうして」
「それは…言われてたんだよ、父さんに。花ノ宮での生活は――」
――遊びではない。外交を学ぶ場であり、将来のビジネスに繋がる布石を打つ場でもある。
実際、花ノ宮学園はお坊ちゃん学校だ。馬鹿高い私立の学費をぽんと出せる家庭は裕福と決まっていて、生徒の中には有名財閥の御曹司や政治家の息子なんてのもざらにいる。仲良くなっておけばいつの日か強力なコネになるだろう。
また、伊坂家の男児は頼の曾祖父の頃から代々花ノ宮を卒業してきており、頼の父親と兄にいたっては首席で卒業をしたという。今や父親は実業家であるし、兄も有名国立大学の院に進学している。
頼の実家が力を持った家だということは凪も聞き知っていたけれど、遊びたいざかりの高校一年生に授けられた教えとしては、いささか厳しすぎるように思えた。
「まぁ、だから、その、ありがとな、逢坂」
「え? 俺お前に感謝されるようなことしたっけ?」
「自分たちだって血反吐まき散らすくらい努力してるんだって柿下に言っただろう? あれ、嬉しかった」
頼が息を継ぐ。
「父さんや兄さんに言わせれば、どれも全部できて当たり前の世界だから」
「……ああ」
なるほどな、と思う。
(お前も大変な家に生まれたものだな、伊坂)
凪は不思議と、隣に座る少年のベールが一枚剥がれたような気分になった。同情とはまた違う感覚が芽生える。言葉は自然と溢れてきた。
「肩肘張るなよ」
「え?」
「ここには俺たちしかいないんだ。全寮制だぜ?好きに生きたっていいだろ。誰も見ちゃいない。自由だ。それともなんだ、お前の親はお前に盗聴器でも仕掛けるくらいにはヤバいのか?」
「わ、おいっ、さ……触るな!」
白シャツをまさぐれば血相を変えて抵抗された。くすぐり、くすぐられ、いつもの意地の張り合いに変わり、最後は二人して地面を転がって芝生を体中に付けながらけらけらと笑い声を上げた。
 この日、凪は初めて頼の屈託ない笑顔を見た。

「っしゃー!見たかこんにゃろー!」
1学期最終日。凪は喜び勇んでガッツポーズをしていた。期末試験の結果が寮の1階ロビーに貼り出されたのだ。結果は待望の学年1位。2位の頼とは3点の差がついている。
「ふはははは俺の圧倒的勝利に乾杯」
「どこが圧倒的勝利だ、たかが3点だろ。しかもそれは俺のささいな漢字ミスだ」
「あららぁ、かわいそうにねぇ伊坂くぅん。もっと国語の勉強したほうがいいんじゃないのぉ?」
イラッ――効果音をつけるならまさにこれだろう。悔しそうな頼を見て、凪はいっそう愉快になった。
「まぁそんな冗談はさておき。認めてやってもいいぞ、伊坂」
「あ?」 
凪はつんとあごを上げ、不遜な態度で言った。
「俺の隣を張れるのはどうやらお前だけのようだ。だから認めてやってもいい、俺のライバルだってな。どうだ、嬉しいだろ。喜べ」
「なんでそんな上から目線なんだよ」
俺とお前は一勝一敗で引き分けだろうが、と頼にデコピンをされた。痛い。まったくひどいやつだなこいつは。
凪がおでこを押さえていると、横からのほほんとした声がかかった。柿下だ。
「まぁーた君たちイチャイチャしてるのー?」
「「してない」」
否定が被る。両者むっと睨み合った。そこに宇田川もやってきた。
「すごいな。また二人して学年ツートップか。おめでとう」
「「おう。ありがとう」」
もはやギィっと睨み合った。やれやれ、と頭を振りながら宇田川が聞いてきた。
「またやるのか? 例のアレ」
「例のアレ?」
「前回やってただろ。負けたほうが勝ったほうのってやつ」
「はっはっは、あたぼうよ!」
凪が力強く答えると、頼が「げっ…」とあからさまに嫌がった。
「……あのルール、まだ生きてんのかよ」
「そりゃそうだろ。お前だけ勝ち逃げなんて許すかよ」
「やるなんて聞いてねぇ」
「うっせー漢字ミスリマン文句言うな」
「くっ…」
 凪はわなわなと震える頼の肩をぽんと叩き、口角を上げた。
「いいかい伊坂くん。きみにやってもらうことはねぇ、とっても簡単なことだよ」
「そうかよ。もったいぶらずに早く言え」
「今から言う集合場所に、遅れずに来ればいいんだ」
「わかったから気持ちの悪いしゃべり方すんな」
「日時は来たる山の日。場所は中央駅改札前。午前10時集合、時間厳守な」
柿下と宇田川も来いよ、と言うと「僕たちも?」と目を丸くされた。そりゃそうだ。楽しいことは大人数のほうがいい。
「家帰ったら一応グループメッセージも入れるわ。お前ら全員忘れんなよ?」
そう、一学期も終わりとなれば凪たちは帰省をするのだ。
長い長い夏休みが始まった。
夏も盛りの約束当日、4人は人気のテーマパークに来ていた。
「ひゃっはー!夏といったらこれだねーっ!」
スプラッシュスライダーと名付けられたジェットコースターに揺られながら、凪は叫んだ。
「伊坂息してるかぁー?」
「うっせーな!なんなんだよお前ふざけんなよお前っ!」
ガチガチに緊張している頼は、可愛いくらいに安全バーにしがみついている。凪は笑った。予想した通りだ。こいつは絶叫系が苦手なんじゃないかと密かに思っていたのだ。ヒントは過去の勉強会にあった。
「二人ってさぁ、苦手なものないの?」
柿下の素朴な質問に、凪は「ううん…ゴキブリ?」と返したのに対し、頼は「俺は高いところ、かな」と答えていた。それを凪はしかと覚えていたのだ。ちなみにゴキブリに関しては「そんなのみんな苦手だよ」と笑って流されたのでちょっと切なかった。
と、いうわけで頼に何をしてもらうかは秒で決まった。遊園地へと連れだし、絶叫系に乗せまくる。あわよくばイケてる顔面が涙と鼻水でぐちゃぐちゃになるところを期待しているまである。それなのに。
「なんていうかさ、慣れたわ」
「……へ?」
「慣れた。逢坂お前さ、俺があんまりこういうの得意じゃないと思ってわざと連れてきたんだろ」
「ソ、ソレハドウカナ。ボクハ純粋ニミンナノ仲ヲ深メヨウト……」
3つほどアトラクションに乗ったあと、頼はすんとした顔で言い放ったのである。なんでも乗った経験がないというだけで、どういうものかわかればむしろとても楽しいらしい。まじかよ。
当てが外れて膝から崩れる凪を見て、柿下は「まぁまぁシンプルに遊園地を楽しもうよ」と言った。そうして乗った一番人気の木製ジェットコースターだったのだが……、
「うっ、き、きもちわるい」
見事なまでの全員ダウン。木製コースターがあんなエグい落ち方をするなんて普通思わないだろう!
おかげでしばらく誰も動けず、休憩ベンチでナメクジよろしく固まること数十分。それでも腹が減るのは人体の不思議だ。凪の腹の虫がぐるる~とうめき声を上げ、笑いを買った。
「笑ってんじゃねぇよ。きもちわりー、はらへったー、きもちわりー」
「どっちだよ」
「どっちもだよ」
頼の突っ込みに凪が返す。頼は手首にはめたしゃれた腕時計を確認した。
「ま、確かに昼時はとうに過ぎてるしな。もうすぐ二時だぞ」
「えっ! 待ってそしたら僕、行きたいレストランある! ランチが三時までなんだ」 
柿下のリクエストに乗っかり、一行は園内のフードエリアへと向かうことにした。到着したのは雰囲気のあるアジアン&中華レストランだ。
「わぁどれにしよう~」
注文カウンターで順番待ちをしながらメニューをざっと眺める。カウンターの窓口は2つあり、列も2列できていた。隣に並んでいた女性客の数人がチラチラとこちらを見ていることに気づく。
一人が凪と目が合い、ぱっとそらした。頬がほんのりピンクに染まっている。
(あの人、俺と目が合う前はアイツのほう見てたよな…)
なるほど、頼のことを見ていたのがバレて気まずくなったのか。
忘れていたが、伊坂頼というやつは十人が十人イケメンだと答える部類の人間だ。今日だって朝からずっと自分たちが嬉々とした視線にさらされていることは凪も気づいていた。
頼は私服もいい。シンプルな白Tにグレーのチノパン、足下はスニーカーで、黒のクロスボディバッグを身につけている。眩しいからと取り出したサングラスは恐ろしいくらいに似合っていて、雑誌から出てきたモデルのようだった。
対する凪はタンクトップに半袖シャツを羽織り、穴あきデニムとロゴ付きキャップというザ・高校生スタイル。柿下は白と青のボーダーシャツが涼しげで、下は半ズボンを穿いている。宇田川はネイビーのポロシャツに、ワイドめのスラックスを合わせていた。
こう見るとみんなそれなりのファッションセンスなのだが、並べば頼は別格だった。なんというかこう、特別なキラキラオーラがあるのだ。
「ようし、いただきます!」
注文を受け取ってテーブル席につくと、さっそく柿下が上機嫌に食べ始める。カオマンガイとかいう謎料理が好物らしい。凪は自分の麻婆丼にかぶりついた。頼は鶏白湯ラーメンを頼んでいて、宇田川はトムヤムフォーをすすっている。
「なぁ、柿下と宇田川のに乗ってるその緑の、何?」
「パクチーだよ」
「パクチー?」
教えてもらった凪は少し味見をさせてもらった。飛んだ。すかさず頼にも「お前も食べてみろ、伊坂。飛ぶぞ」と言って食べさせる。
「けはっ……」
一房口に含んだ頼がむせたと思えば、今まで見たこともないような顔をしたものだから、凪は腹を抱えるはめになった。
「おーうーさーかーぁ…ふざけんなちょっと口直しさせろ!」
「あ、おい!勝手に俺の食うな!」
頼がむんずと麻婆丼を掴んで引き寄せる。凪の手から奪ったレンゲで大きな一口を平らげるではないか!こいつ…っ!
「俺にも食わせろ鶏白湯!」
「待て、その煮卵は残しておいたやつだ!」
「ふぃるふぁふぉんふぁふぉん」
「おまっ……返せ!俺の卵返せ!」
「んはぁ、美味いじゃん」
「くっそ。だったらこれは俺が」
「あぁっ!」
楽しみにしていたデザートのごま団子を取られた。慌てて食べかけの半分を取り返し、自分の口の中に放り込む。
「ふぁっふぁう、ふふぁんふぉふぁんほふぁんふぃへ」
「飲み込んでから喋れ。行儀悪ぃな」
「んぐ。まったく、油断も隙もありゃしねぇぜ」
「お前がな!」
両者睨み合う。もう何百回と繰り返してきた構図だ。果たしてあと何回繰り返すことになるのだろうか。
そんなこんなで食事を満喫した四人は、腹ごなしにアミューズメントコーナーへと向かった。クレーンゲームでは凪がその才覚を見せつけ、レーシングゲームでは頼の圧勝に終わった。あまりにも運転が上手いので、
「お前、隠れて家の車無免許運転してるだろ」
と言うと「馬鹿が」と頭をはたかれた。ひどい。
「え、なんか目ん玉3倍くらいになったんだけど!?」
プリクラ機があったので、人生初のプリクラに挑戦してみた。わけもわからず撮られた最初の1枚は全員が証明写真のようになった。2枚目以降はプリクラ機に搭載されているAIから「自由にポーズを取ってみよう」とか「楽しそうに笑ってみよう」とか色々な指示が飛んできた。多分AIすら不安にさせたんだと思う。そうして何枚か撮られたあとにお絵かきコーナーで確認したデータはあまりに衝撃的だった。人間じゃない。少なくとも自分たちではない。女子だったらめいっぱい可愛くなるのだろうが、野郎4人ではダメだ。豆粒くらいの顔にでっかな目があって、ツヤツヤのたらこ唇がくっついている。
「ぎゃはは、おい、メイク機能あるぞ!伊坂をもっと可愛くしてやる!」
「てめぇ勝手に人の顔いじんなよ!」
美肌全開うるつやプレミアムとかいうメーターを振り切れさせると、頼だけでなく全員の顔が真っ白を通り越して光り始め、発光するゆで卵になった。やばい。これはやばい。
凪は面白すぎて立っていられなくなり、なんとか頼の体を掴んで支えにした。その頼もまた息ができないくらいに笑っていて体を震わせている。柿下も宇田川も言葉を発せないのか、全員がただひたすら無言で腹を抱えていた。機械が「あと十秒」とカウントダウンを始めても、誰も何もできない。当然出てきたプリクラにはゆで卵四兄弟が爆誕していて、とどめを食らった凪はひいひいと涙を流した。
「あーあ、楽しかった。こんなに笑ったのいつぶりだよ」
帰りの電車の中、ちゃんとプリクラは4等分した。もうすっかり日は暮れ、解散の時間だ。凪は最後にショルダーバッグからもぞもぞとあるものを取り出した。
「これ、よかったらやる」
「え? くれるの?」
3人の前に出したのはクレーンゲームで取ったぬいぐるみたちだ。思ったよりたくさん取れてしまった。こんなにあっても困る。
「嬉しい!じゃあ僕、これにする!ありがとう逢坂くん」
「いいよ。むしろ助かる。宇田川お前は?」
「いいのか?悪いな」 
宇田川は柿下と色違いのぬいぐるみにした。ぬいぐるみといっても手のひらサイズで、キーチェーンが付いている。
「伊坂も選べよ」
「え…あ、ああ。サンキュ」
頼は少し悩んだあと、うさぎのようなブタのような、よくわからないが愛嬌のあるキャラクターをチョイスした。柿下が「へへ、みんなでおそろっちだねぇ~」と嬉しそうに笑う。確かにそうだ。
(なんだかこういうのって、青春してるって感じがするな……)
心地よい電車の揺れに身を任せながら、凪はそんなことを思った。急激に眠気が襲う。柿下が降り、宇田川が降り、頼と二人きりになった。疲れて頼にもたれかかる。
「おい、人の肩で寝んなよ。俺だって眠い」
「むり…着いたら……起こして…」
「ふざけんな…お前が俺を起こせよな……」
かくん。揺れと共に完全に力が抜ける。意識を手放す直前、凪の頭の上にも頼の頭がこつんと落ちてきたのがわかった。
 つかのまの休息の間、凪はジェットコースターが怖くて泣き叫ぶ頼に抱きつかれる夢を見た。