N「県予選まであと一週間」
レシピや栄養学、長距離走の本がずらりと並ぶ颯希の机。
ノートに、雪哉のリハビリスケジュールと颯希のトレーニングスケジュールが書き込まれている。
颯希M「タイムトライアルを目標タイムで走れたら、選手復帰。走れなかったら、退寮。その覚悟を決めた」
シーン①高校グラウンド
放課後。雪哉、他の部員とは別メニューながらトラックをジョギングしている。
颯希、女子マネに声を掛け、「うん」「はい」とサムズアップを返してもらう。
ストップウォッチを斜めがけし、雪哉に走り寄る。
颯希「僕も一緒に走っていい?」
雪哉「好きにすれば」
つんと顎を逸らす。走るペースも変えない。
颯希(厨房で「退寮」って単語出してから、入学当初の問題児に戻っちゃった)
雪哉の横顔を見上げる。
寮の部屋では会話なく、スマホを使い、夕食後の皿洗いにも来ない雪哉を思い返し、苦笑する。
颯希(四月ならいらっとしたけど、なんか憎めない)
自分のせいでもあるので、責められない。
たったっ、という雪哉の足音を聞く。自分もリズムを合わせる。
颯希(楽しいなあ。走るのって)
胸がどきどきしてくる。
颯希(もう走れないって思ってた。雪哉のおかげで、踏み出せた)
自分の足を見下ろす。痛みなく走れている。
颯希(タイムトライアルの結果が出たら、好物つくってやって仲直りしよう。……って僕、雪哉の好物知らなくない?)
ん? と首を傾げる。
颯希(栄養ばっかり考えてた。こういうとこか)
走りながら表情がくるくる変わる。
雪哉、サングラス越しに、隣を走る颯希を見る。
シーン②高校グラウンド/別日
N「県予選まであと五日」
放課後。雪哉、念入りにウォーミングアップする。
剣、集合をかける。
監督「今日は5000mタイムトライアルだ。ここまでの練習の成果を見せてほしい」
部員たち「はい!」
ミニさつきの解説M「5000m:総体の最長種目だよ」
空気が張り詰める中、みなスタート位置に着く。
颯希も最後尾に並ぶ。
颯希(邪魔にならないよう、持ちタイムが速い順に並ぶ。今の僕はいちばん遅い。まずはしっかりついていこう)
一年部員たちは「なんでマネが?」と胡乱な顔。
中原、振り返ってぐっと拳を握ってくれる。
女子マネ「位置について」
ブーッとタイマーを鳴らす。
ザッ、とみなの足音。
中原が前に飛び出す。
颯希(スピード派だもんな。みんなを引っ張ってる)
雪哉は怪我明けなのもあり、張り合わない。
女子マネ「四周目です」
颯希、目にかかる汗を拭う。
颯希(5000mは、トラックを十二周半する。楽しいけど、苦しい……)
雪哉の背中をじっと見つめ、足を前に出す。
部員の列が長く伸びていく。
女子マネ「八周目」
中原の前半のリードがなくなり、部長が前に出る。
颯希(ペースが速くなった)
雪哉は全体の真ん中あたりにいる。
その背中が徐々に遠くなる。息も上がってしまう。
颯希(ついて、いけない……)
ダントツのビリだが、あきらめはしない。
女子マネ「十二周目!」
ラスト一周、雪哉がスパートをかける。前をどんどん抜いていく。
周回遅れの颯希と、一瞬一緒に走る形になる。
颯希「勝て!」
短く声を掛ける。
雪哉、口もとがほころぶ。部長も抜いて、一位でゴールする。
監督、「おお」と目を瞠る。
颯希(タイムも怪我前並みだ。すごいなあ)
いちばん速いのはオレです、とばかりに堂々としている雪哉に見惚れる。張り合う気も起きない。
颯希(一緒に走れるレベルじゃ、なかったな。選手復帰は、あきらめなきゃ)
自分の実力を思い知り、よれよれとゴールする。
目標に遠く及ばないタイム。
それでも二・三年生やマネたちが労いの拍手をしてくれる。
颯希(マネとして、このチームに貢献しよう)
フィールドの端で大の字になっていると、顔に影ができる。
雪哉「クールダウンしなきゃでしょ」
飲み物と氷嚢を持ってきてくれた、雪哉だった。
颯希、がばりと上体を起こす。
颯希「あ、ありがと」
雪哉「オレののついでです」
無表情だが、行動には優しさがこもっている。
踵を返す雪哉の背中に、声を掛ける。
颯希「ラスト一周まで、八割に抑えて走ってたよな? 偉い偉い」
雪哉「……」
返事はしないが、言い当てられたので足を止める。
颯希「スパートしても怪我する気配なくてよかった。本番まで、調整気抜くなよ」
雪哉、自分の右ふくらはぎをちらりと見る。
颯希M「黒羽・剣部長・中原が5000mに正式エントリーとなった」
箱に入れられた栄養学の本。
颯希M「僕は県予選の後、監督に退寮を申し出よう」
シーン③駅伝部寮/別日、夜
N「県予選前日」
剣「しっかり食べて寝て、明日に備えよう。いただきます」
N「~今日の夕食メイン:力うどん~」
ミニサツキの解説M「エネルギーの素たっぷりで、消化もいいよ!」
颯希、厨房のカウンター越しにみんなを眺める。
颯希(レシピ考えたり飯つくったりは、明日で最後かな。栄養士さんと調理のおばちゃんたちに任せよう。別に、マネをやめるわけじゃない)
一人しんみりしてしまうのを、切り替える。
雪哉、うどんをずずっと啜り、餅をもむもむ頬張る。
雪哉「う」
颯希、耳をそばだたせる。
雪哉「……どん」
颯希(美味いじゃないのかよっ)
しかし思っていた単語ではなく、ずっこける。
颯希(あいつの100%の「美味い」、引き出せなかったか)
心残りに思いつつ、他の部員のうどんのおかわりに応じる。そのために、
雪哉「ごちそうさまでした」
颯希「あ、」
雪哉の空になったトレイを受け取りそびれる。
何だか襷が途切れたような気持ちで、カウンターに置かれたトレイを見やる。
雪哉「……」
その憂いの眼差しに調子を狂わされ、むしゃくしゃと髪を掻き上げる。
夕食の片づけを終え、102号室へ。
雪哉、ふくらはぎをセルフマッサージしている。
颯希「手伝う?」
雪哉「いいです」
あんたはあんたのことやって、というつもりだが、こちらも言葉が足りない。
颯希(塩だ。まあ、県予選に集中してもらおう)
苦笑して、明日の持ち物チェックする。
颯希(準備万端!)
そのうちに、布団に入っている雪哉。
颯希「電気消すよ」
雪哉「……」
もう目を閉じている。
颯希(寝るの早)
電気を消し、自分も布団に入る。
しんと静か。
颯希(夜のグラウンドで、雪哉としゃべったの思い出すなあ。もう一緒に部屋抜け出すこともない。雪哉が僕のつくった飯食べてくれることも……、あれ?)
胸が引き絞られる。涙までこみ上げてきて、驚く。
颯希(さみしい、のか? 僕)
さっと目もとを拭うも、またじわりと涙がにじむ。
颯希(レシピ考えるの、最初は打算もあったけど、楽しかったもんな。本気で「美味い」って言われたかったし)
幸い雪哉は寝ているので、涙の粒が伝うままにする。
と思いきや、もぞもぞ物音がする。
颯希(走れるようになったからってデートか!? や、彼女は全員別れたよな)
すぐそばに気配を感じる。何だ? と様子を窺う。
泣いていたのを追及されたくないので寝たふり。
雪哉「颯希先輩」
颯希(颯希先輩!?)
初の呼び方に混乱する間に、目の下を撫でられる。
気恥ずかしくて目を開けられない。
雪哉「オレが、先輩の想いもつれて走ってあげます」
決意表明の言葉とともに、瞼にやわらかい感触。
いつも食べっぷりのいい、雪哉の唇が触れていた。
颯希(――え)
何が起こったか、理解が追いつかない。
気配は離れ、再びもぞもぞ衣擦れ音。静かになる。
颯希(何、今の!?)
飛び起きたいが、張本人と同室なので飛び起きられない。
颯希(僕のつくった飯たち、こんな気持ちで食べられてたんだ、って何言ってんの)
胸がどきどきして、顔が熱い。
颯希(ぼ、僕も男いけるかも……)
斜め上な発見をする。
おかげで涙も感傷も吹き飛ぶ。
颯希(男っていうか、雪哉なら?)
音を立てないよう、そっと首だけ雪哉に向ける。
颯希(問題児だったくせに。走るときは独りって言ってたくせに。こんなの反則だ)
薄闇の中、身もだえる。
ラストスパート直後みたいにどきどきが止まらない。
颯希(今さら恋しちゃって、どうするんだよ)
認めざるを得ないがどうしようもできないつぶやきが、颯希の胸の内だけに響く。
シーン④102号室/翌朝
颯希M「問題児を恋に落とすはずが、嫌われた。と思ったらキスされた。大混乱で迎えた当日」
朝六時。本番のスタート時間から逆算して起床。
マイペースにストレッチする雪哉。
颯希、朝食の準備に行く前に、
颯希「……あのさ」
ぎくしゃく声を掛ける。
昨夜起きていたのをばれないようにするつもりが、却って怪しい。
颯希「黒羽の好きな食べ物、なに?」
雪哉「は?」
予想外の問いに、毒気を抜かれる。
颯希「おまえ好き嫌いしないよな。特別好きなもんもないの?」
雪哉「……。緑汁」
颯希「嘘つくな」
雪哉「…………、甘いもんは割と好きですけど」
颯希「そっか! うんうん」
無事に聞き出せて、表情が明るくなる。
何だか不機嫌げな雪哉を置いて、厨房へ。
颯希(確かここに……、あった!)
棚から練りようかんを取り出す。
颯希(これで勝負飯つくってやろ。ちょっと贔屓だけど)
手際よく準備する。
朝練はなく、七時には部員たちが食堂に集まってくる。
中原「おはよ。えっ、トンカツ!?」
受け取ったトレイに驚き、目を擦る。
颯希「じゃないんだな」
剣「甘い匂いだ」
N「~大会朝の勝負飯:トンカツ風ようかんサンド~」
ようかんをトーストで挟み、トンカツ風にしている。
颯希(ふふん。エネルギーの素になる糖質たっぷり)
颯希のノートを捨てようとした一年部員、びくびくした様子。
颯希「君は速筋が発達してるだけ。ダイエットより、1500mとか中距離メインで走るの考えてみな」
ミニさつきの解説M「速筋:スピードが出やすい。遅筋より大きくなりやすいよ」
一年部員B「……っ、本当に、すみませんでした」
反省と、内々に収めてくれた感謝いっぱいで、トレイを受け取る。
颯希、笑顔。
雪哉、無言でやり取りを見守っている。
剣「いただきます」
雪哉「……だきます」
雪哉、いつものようにばくっとようかんサンドに齧りつく。甘みと颯希の応援を感じてほんわりする。
シーン⑤県営陸上競技場
入口に「総体県予選」の看板。電光掲示板の時計は九時。
スタンドに、複数の高校が陣取っている。応援の保護者やOBもおり、活気がある。
駅伝部ジャージ姿の颯希、スタンドで部員の荷物番をしながら、ノートを開く。
颯希(短距離種目もフィールド種目もある。5000mは十一時スタートだ)
一方、雪哉はサブトラックでウォーミングアップしている。
端に腰を下ろし、タオルとドリンクボトルとともに置いていたエネルギーゼリーを手に取る。
パッケージにマジックの文字。颯希の筆跡で「怖くない!」と書いてある。
お見通しか、と笑い、サブトラックの周りの緑を見上げる。
腹に置いたゼリーで、手術跡部分が隠れる。
十時五十分。
颯希(おっ、選手が出てきた)
5000m参加選手が、サブトラックからメイントラックに入ってきて、スタンバイする。
部長、中原とも集中している。
雪哉は相変わらずのサングラス。
颯希(六位に入れば、地方大会進出だ。頑張れ!)
静寂。
パン! と号砲とともに、二十人超が走り出す。
颯希(位置取り、よし)
大山高の三人とも、先頭付近につける。
他のマネと手分けして、一周ごとにラップタイムを記録する。
女子マネ「ペース速いね」
颯希、頷く。怪我明けの雪哉を心配げに見つめる。
N「六周目」
悪い予感が当たったかのように、雪哉が遅れ始める。右足を気にする様子。
颯希(ふくらはぎ、痛むのか?)
思わず立ち上がる。
大山高校の陣取るブロックに雪哉が近づいてくるや、叫ぶ。
颯希「黒羽、おまえの怪我は治ってる! 全力出すの怖がるな!」
雪哉、ぴくりと顔を上げる。
颯希(怪我明けって、また怪我するのも怖いけど、無意識にセーブしちゃうのもやっかいなんだ)
自分も怪我を経験したからこそわかる。
雪哉、表情はサングラスに隠れているが、走り方に力強さが増す。
だが三年生の実力者たちの前に出るのは叶わない。
颯希(いちばんになれる力あるのに)
N「八周目」
しびれをきらし、また叫ぶ。
颯希「黒羽ー! 僕の想いもつれてってくれるんだろうがあ!」
雪哉、今度ははっきりスタンドを見上げる。
颯希(雪哉、おまえは独りじゃないよ)
応援に必死で、昨夜起きていたと暴露したのには気づいていない。
N「十周目」
颯希「黒羽、負けんな~! チキン南蛮、ポークカレー、牛肉中華炒め!」
エールとともに、これまで食べさせたメニューを叫ぶ。他のマネや部員、雪哉も「なに?」という顔。
どう思われてもいい、と十一周目。
颯希「コラーゲンスープ! ヒラメの干物!」
雪哉、サングラスを額に上げる。目に力がある。
ラストの十二周目。
颯希「ようかんサンドー!」
他の高校の声援も飛び交う中、大きく叫ぶ。
そのタイミングでラストスパートする雪哉。
剣や他校のエースも加速し、最後の直線はほぼダッシュの状態。
雪哉、ゴールラインを駅伝の中継所に錯覚する。颯希が待ってくれているように見える。
雪哉を一心に信じてくれている表情。
襷を渡すかのごとく力強く踏み込み、一位でゴールしてみせる。
颯希「やった、一位だっ!」
雪哉、剣にチームメイトとして讃えられている。
と思うと、はしゃぐ颯希に向かって「いちばん」と人差し指を立ててみせ、晴れやかに笑う。
今まで見た中でいちばんかっこいい笑顔に、見惚れる颯希。
しかしその人差し指を唇に持っていかれ、「あっ」と縮こまる。
颯希(まるで、一緒に走ったみたい)
それでも心臓がとくとくと跳ね、いつまでも収まらない。
夕方。大会本部前に、各種目の結果が貼り出されている。
「男子5000m 一位 黒羽雪哉(一年)」の文字。
各高校、帰り支度を済ませて輪になり、監督の話を聞いている。
同じく、監督と二人きりで向き合う颯希。
颯希「栄養担当マネなんですが、」
颯希(今日でおしまいにします、って言わなきゃ)
名残惜しく、一拍置く。
監督「ああ。緑野のサポートのおかげで、黒羽が復帰できた。これからも頼むな」
その隙に、颯希を見直したという顔で労われる。
颯希「え……、はい!」
すぐには信じられなかったが、みるみる表情が明るくなる。雪哉のおかげ。
栄養担当を下りて退寮するのを撤回し、返事をする。
シーン⑥路線バス
帰路、車内はほぼ大山高生の貸し切り。
雪哉「先輩、ここ空いてます」
颯希「空いてるっていうか……」
二人掛けの席に座る雪哉、むしろ手を置いて他の部員を排除していた隣に、颯希を座らせる。
颯希、近さを意識しないよう心掛ける。
颯希「ええと。県一位おめでとう」
仲直りしたいが、どう話を持っていったらいいかわからず、ひとまず無難な声を掛ける。
雪哉「なんなんですか、あの応援」
雪哉、礼でなく追及を繰り出す。
颯希「や、飯のこと考えたら食欲の力で走れるかなって」
真面目に供述する。
雪哉、降参といったふうに吹き出す。
雪哉「相関謎過ぎ」
颯希「おまえがあるって言い出したんだけど!?」
雪哉「そうは言ってないです」
颯希「言ったよ」
雪哉「だとしても、信じ過ぎでしょ」
以前のように話せて、楽しい。
颯希(仲直りできた、って受け取っていいのか?)
雪哉、ひとしきり笑うと、遠慮なしに颯希の肩に頭を乗せ、目を瞑る。眠いらしい。
どきどきと心臓がうるさくなってしまう。
颯希(でも、恋と飯は相関ないのか……)
宙ぶらりんの恋心を持て余したまま、バスに揺られる。
シーン⑦駅伝部寮/同日
寮の食堂。
剣「県予選、お疲れ様。反省は明日からね。いただきます」
部員「いただきます! ラーメンだっ!」
N「~大会夜のご褒美飯:しらたきつけ麺~」
ミニさつきの解説M「つけ麺だと水っぽくならないよ!」
タイムがよかった部員もそうでない部員も、顔をほころばせる。
颯希「やっぱみんなラーメン好きだよな」
厨房のカウンターからにこにこ眺める。
颯希(僕は、みんなに食べてもらうのが好きだ。改めてレシピ研究頑張ろう)
再確認し、決意新たにする。
雪哉は、自分の丼とトレイを何度も確認している。特別メニューはないんですか? の顔。
颯希はちっとも気づかない。
夕食の片づけを終え、102号室へ。
颯希「あ?」
先に戻っていた雪哉、狙ったかのように、窓枠に片足掛けている。髪を結びピアスもしている。
雪哉「一番目の恋人とデートです」
思わせぶりに笑い、飛び越える。
颯希「待てっ! 県一位だからって見逃せるか!」
颯希も窓を飛び越える。秘密の特訓のおかげで足は痛まない。
着地地点に、なぜか颯希の靴が置いてある。
颯希(ん? 誰の仕業かわかんないけど、助かる)
ありがたく履いて、雪哉を追う。
雪哉は、何度かちらちら振り返りつつ走る。
高校の生垣をくぐり、無人のグラウンドへ。
雪哉、足を投げ出して座る。涼しい顔で息が切れてもいない。
颯希(グラウンドで待ち合わせなのか……? てか、一番はいないはずじゃ)
追いつくも、謎が多い。所在なく立ち止まる。
雪哉「こないだここで話したの、独り占めみたいで楽しかったですよね」
颯希の戸惑いも構わず切り出す。
颯希、グラウンドを見渡す。
颯希(孤独じゃなく、独り占めか。先頭走るやつならではだ。いい考えだな)
雪哉「いや、ふたり占めか」
雪哉、声をひそめる。
颯希を見上げた顔は、無表情から一転、切実さがにじむ。
雪哉「颯希先輩がいる意味はある。あったでしょ。だからあきらめないで、オレと同じ部屋にいてよ」
颯希、どきりとする。
雪哉にはまだ退寮撤回を話していないが、こんなふうに頼まれるとは思わなかった。
颯希(ここにいてって、ずっと、言われたかった)
熱い指先をきゅっと握り込む。
颯希(同じ部屋にい続けるなら……)
颯希「確かめたいことがあるんだけど」
雪哉「はい」
何でも答える、と言わんばかりの相槌。
颯希「他の誰より、おまえに『美味い』って言わせたい。これって恋か?」
颯希(相関、やっぱりある気がするんだ)
勇気を振り絞って、尋ねる。
雪哉、目を見開いたのち、やわらかく笑う。
雪哉「……そうです」
颯希「じゃあ、雪哉に僕以外がつくった飯食べてほしくないのは?」
雪哉「独占欲ですね」
颯希「そういう欲もあるのか……」
顎に手を当て、はじめての感情を確認していく。
実質告白になっているのにまだ気づいていない。
雪哉「オレも訊きますけど。オレの一番目の恋人、誰だと思います?」
颯希「えっ?」
突然の問いと受け止める。
颯希(うむむ。「彼女」じゃなく「恋人」って言うってことは)
ひらめきが降ってきて、以前と同じく自信ありげに答える。
颯希「長距離走!」
雪哉「あんたですよ」
即訂正され、きょとんとする颯希。
颯希「僕?」
雪哉「キスしたでしょ」
瞼を指差す。
颯希、昨夜のキスを思い出し、たちまち赤面する。
颯希「え、えっ!? 雪哉が、僕を、好き……?」
今もわざと連れ出されたのさえ、気づかない様子。
雪哉「やっぱりわかってなかった」
呆れた声色。でも、そこも可愛いという表情。
雪哉「だけど、ずっとオレのそばにいてくれましたね。先輩のことは、信じられます。オレの一番で唯一になってください」
真面目に告白される。
目に星が映ってきれいに見える。
颯希「が、頑張ります……」
嬉しさ半分、夢みたいな気持ち半分で受け入れる。
雪哉「もうなれてるんだってば。だから、先輩。退寮しないでくださいね」
颯希の手を取り、上目遣いに念を押してくる。
颯希「あ、退寮はしないよ。走れないし、栄養担当としても貢献できないんじゃ、寮にいられないって思ったけど。今日、監督にこれからもよろしくって頼まれたから」
夕方感じた嬉しさを思い出しつつ、請け合う。
雪哉「は?」
対照的に拍子抜けした顔。
雪哉「こっちがどんだけ……、はあ」
小さくつぶやき、颯希の手をぐいっと引っ張って立ち上がる。
颯希「のわ」
よろけて雪哉の腕の中にすっぽり収まる格好になり、固まる。心臓だけ先走るようにうるさい。
颯希「僕、雪哉といると、走ったときみたいになる」
雪哉「なんでかわかります?」
照れくさくて答えられない。耳が熱い。
雪哉「先輩が、オレを好きだからですよ」
甘い声で、自信たっぷりに言う。
颯希、にやけずにいられない。
颯希「……おまえは、僕がほんとは走りたかったことも、いちばん欲しい言葉も、僕の気持ちもぜんぶお見通しだな」
雪哉「そりゃ、先輩と同室で、先輩の飯食って、先輩が好きなんで」
颯希「僕も、好きだよ」
絞り出す。
途端、雪哉の心音もどっどっと速くなる。
颯希「……ふふ。102号室の秘密だ」
同じ気持ちだ、とようやく実感する。
雪哉「ところで先輩。今日の夕食、一位のご褒美デザートついてなかったんですけど」
耳に吹き込むように、不服を表明する。
颯希「そんなの用意してないよ?」
雪哉「……。部屋でいただきますね」
くれないならもらいにいきます、という顔。
颯希「間食はだめだぞ」
雪哉「主食です。オレの毎日の」
颯希、無防備に首を傾げる。
雪哉「そうと決まれば早く帰りましょ、オレたちの部屋に」
颯希「? うん」
手をつないで、ふたり占めの夜のトラックを歩き出す。
颯希M「部活と勝負飯に打ち込むうちに、同室の後輩に恋されて、僕も恋してたみたいです」
シーン⑧102号室/翌朝
カレンダーの六月十五日の欄に地方大会! の文字。
五時。朝食の準備に向かう颯希、身支度する。
颯希(恋人と同室かあ)
照れているが、先輩として平静を保とうとする。
雪哉「先輩」
朝練に行く雪哉、同じく身支度を済ませる。
颯希「ん? ……ッ!!!」
振り向きざま、頬にちゅっとキスしてくる雪哉。
颯希、真っ赤になって声が出ない。表情で「何してんだ!」と訴える。
雪哉「いただきました」
してやったりで舌を出す。
颯希「事後報告!?」
雪哉「言いましたよ、毎日部屋でもらうって」
颯希「そうだっけ……?」
素直に考え込む。
雪哉「他の男にもこうなのか?」
極小声でつぶやく。「可愛い」を越えて気が気でない表情。
雪哉「部屋の外でおかわりもらおうかな」
颯希「おい」
雪哉「部活にいい影響あるんで」
颯希「そ、それなら、だめではなくもなくも」
雪哉「……。オレ以外にはしないでくださいよ」
颯希「誰が恋人以外とキスするかぁ~!」
仲良く言い合いながら、102号室を出発する。
雪哉はスマホ使用や無断外出がきっぱりなくなり、問題児ではなくなった。
N「~今日のご褒美の一品:キス~※先着一名限定、毎日予約済み」
(了)
レシピや栄養学、長距離走の本がずらりと並ぶ颯希の机。
ノートに、雪哉のリハビリスケジュールと颯希のトレーニングスケジュールが書き込まれている。
颯希M「タイムトライアルを目標タイムで走れたら、選手復帰。走れなかったら、退寮。その覚悟を決めた」
シーン①高校グラウンド
放課後。雪哉、他の部員とは別メニューながらトラックをジョギングしている。
颯希、女子マネに声を掛け、「うん」「はい」とサムズアップを返してもらう。
ストップウォッチを斜めがけし、雪哉に走り寄る。
颯希「僕も一緒に走っていい?」
雪哉「好きにすれば」
つんと顎を逸らす。走るペースも変えない。
颯希(厨房で「退寮」って単語出してから、入学当初の問題児に戻っちゃった)
雪哉の横顔を見上げる。
寮の部屋では会話なく、スマホを使い、夕食後の皿洗いにも来ない雪哉を思い返し、苦笑する。
颯希(四月ならいらっとしたけど、なんか憎めない)
自分のせいでもあるので、責められない。
たったっ、という雪哉の足音を聞く。自分もリズムを合わせる。
颯希(楽しいなあ。走るのって)
胸がどきどきしてくる。
颯希(もう走れないって思ってた。雪哉のおかげで、踏み出せた)
自分の足を見下ろす。痛みなく走れている。
颯希(タイムトライアルの結果が出たら、好物つくってやって仲直りしよう。……って僕、雪哉の好物知らなくない?)
ん? と首を傾げる。
颯希(栄養ばっかり考えてた。こういうとこか)
走りながら表情がくるくる変わる。
雪哉、サングラス越しに、隣を走る颯希を見る。
シーン②高校グラウンド/別日
N「県予選まであと五日」
放課後。雪哉、念入りにウォーミングアップする。
剣、集合をかける。
監督「今日は5000mタイムトライアルだ。ここまでの練習の成果を見せてほしい」
部員たち「はい!」
ミニさつきの解説M「5000m:総体の最長種目だよ」
空気が張り詰める中、みなスタート位置に着く。
颯希も最後尾に並ぶ。
颯希(邪魔にならないよう、持ちタイムが速い順に並ぶ。今の僕はいちばん遅い。まずはしっかりついていこう)
一年部員たちは「なんでマネが?」と胡乱な顔。
中原、振り返ってぐっと拳を握ってくれる。
女子マネ「位置について」
ブーッとタイマーを鳴らす。
ザッ、とみなの足音。
中原が前に飛び出す。
颯希(スピード派だもんな。みんなを引っ張ってる)
雪哉は怪我明けなのもあり、張り合わない。
女子マネ「四周目です」
颯希、目にかかる汗を拭う。
颯希(5000mは、トラックを十二周半する。楽しいけど、苦しい……)
雪哉の背中をじっと見つめ、足を前に出す。
部員の列が長く伸びていく。
女子マネ「八周目」
中原の前半のリードがなくなり、部長が前に出る。
颯希(ペースが速くなった)
雪哉は全体の真ん中あたりにいる。
その背中が徐々に遠くなる。息も上がってしまう。
颯希(ついて、いけない……)
ダントツのビリだが、あきらめはしない。
女子マネ「十二周目!」
ラスト一周、雪哉がスパートをかける。前をどんどん抜いていく。
周回遅れの颯希と、一瞬一緒に走る形になる。
颯希「勝て!」
短く声を掛ける。
雪哉、口もとがほころぶ。部長も抜いて、一位でゴールする。
監督、「おお」と目を瞠る。
颯希(タイムも怪我前並みだ。すごいなあ)
いちばん速いのはオレです、とばかりに堂々としている雪哉に見惚れる。張り合う気も起きない。
颯希(一緒に走れるレベルじゃ、なかったな。選手復帰は、あきらめなきゃ)
自分の実力を思い知り、よれよれとゴールする。
目標に遠く及ばないタイム。
それでも二・三年生やマネたちが労いの拍手をしてくれる。
颯希(マネとして、このチームに貢献しよう)
フィールドの端で大の字になっていると、顔に影ができる。
雪哉「クールダウンしなきゃでしょ」
飲み物と氷嚢を持ってきてくれた、雪哉だった。
颯希、がばりと上体を起こす。
颯希「あ、ありがと」
雪哉「オレののついでです」
無表情だが、行動には優しさがこもっている。
踵を返す雪哉の背中に、声を掛ける。
颯希「ラスト一周まで、八割に抑えて走ってたよな? 偉い偉い」
雪哉「……」
返事はしないが、言い当てられたので足を止める。
颯希「スパートしても怪我する気配なくてよかった。本番まで、調整気抜くなよ」
雪哉、自分の右ふくらはぎをちらりと見る。
颯希M「黒羽・剣部長・中原が5000mに正式エントリーとなった」
箱に入れられた栄養学の本。
颯希M「僕は県予選の後、監督に退寮を申し出よう」
シーン③駅伝部寮/別日、夜
N「県予選前日」
剣「しっかり食べて寝て、明日に備えよう。いただきます」
N「~今日の夕食メイン:力うどん~」
ミニサツキの解説M「エネルギーの素たっぷりで、消化もいいよ!」
颯希、厨房のカウンター越しにみんなを眺める。
颯希(レシピ考えたり飯つくったりは、明日で最後かな。栄養士さんと調理のおばちゃんたちに任せよう。別に、マネをやめるわけじゃない)
一人しんみりしてしまうのを、切り替える。
雪哉、うどんをずずっと啜り、餅をもむもむ頬張る。
雪哉「う」
颯希、耳をそばだたせる。
雪哉「……どん」
颯希(美味いじゃないのかよっ)
しかし思っていた単語ではなく、ずっこける。
颯希(あいつの100%の「美味い」、引き出せなかったか)
心残りに思いつつ、他の部員のうどんのおかわりに応じる。そのために、
雪哉「ごちそうさまでした」
颯希「あ、」
雪哉の空になったトレイを受け取りそびれる。
何だか襷が途切れたような気持ちで、カウンターに置かれたトレイを見やる。
雪哉「……」
その憂いの眼差しに調子を狂わされ、むしゃくしゃと髪を掻き上げる。
夕食の片づけを終え、102号室へ。
雪哉、ふくらはぎをセルフマッサージしている。
颯希「手伝う?」
雪哉「いいです」
あんたはあんたのことやって、というつもりだが、こちらも言葉が足りない。
颯希(塩だ。まあ、県予選に集中してもらおう)
苦笑して、明日の持ち物チェックする。
颯希(準備万端!)
そのうちに、布団に入っている雪哉。
颯希「電気消すよ」
雪哉「……」
もう目を閉じている。
颯希(寝るの早)
電気を消し、自分も布団に入る。
しんと静か。
颯希(夜のグラウンドで、雪哉としゃべったの思い出すなあ。もう一緒に部屋抜け出すこともない。雪哉が僕のつくった飯食べてくれることも……、あれ?)
胸が引き絞られる。涙までこみ上げてきて、驚く。
颯希(さみしい、のか? 僕)
さっと目もとを拭うも、またじわりと涙がにじむ。
颯希(レシピ考えるの、最初は打算もあったけど、楽しかったもんな。本気で「美味い」って言われたかったし)
幸い雪哉は寝ているので、涙の粒が伝うままにする。
と思いきや、もぞもぞ物音がする。
颯希(走れるようになったからってデートか!? や、彼女は全員別れたよな)
すぐそばに気配を感じる。何だ? と様子を窺う。
泣いていたのを追及されたくないので寝たふり。
雪哉「颯希先輩」
颯希(颯希先輩!?)
初の呼び方に混乱する間に、目の下を撫でられる。
気恥ずかしくて目を開けられない。
雪哉「オレが、先輩の想いもつれて走ってあげます」
決意表明の言葉とともに、瞼にやわらかい感触。
いつも食べっぷりのいい、雪哉の唇が触れていた。
颯希(――え)
何が起こったか、理解が追いつかない。
気配は離れ、再びもぞもぞ衣擦れ音。静かになる。
颯希(何、今の!?)
飛び起きたいが、張本人と同室なので飛び起きられない。
颯希(僕のつくった飯たち、こんな気持ちで食べられてたんだ、って何言ってんの)
胸がどきどきして、顔が熱い。
颯希(ぼ、僕も男いけるかも……)
斜め上な発見をする。
おかげで涙も感傷も吹き飛ぶ。
颯希(男っていうか、雪哉なら?)
音を立てないよう、そっと首だけ雪哉に向ける。
颯希(問題児だったくせに。走るときは独りって言ってたくせに。こんなの反則だ)
薄闇の中、身もだえる。
ラストスパート直後みたいにどきどきが止まらない。
颯希(今さら恋しちゃって、どうするんだよ)
認めざるを得ないがどうしようもできないつぶやきが、颯希の胸の内だけに響く。
シーン④102号室/翌朝
颯希M「問題児を恋に落とすはずが、嫌われた。と思ったらキスされた。大混乱で迎えた当日」
朝六時。本番のスタート時間から逆算して起床。
マイペースにストレッチする雪哉。
颯希、朝食の準備に行く前に、
颯希「……あのさ」
ぎくしゃく声を掛ける。
昨夜起きていたのをばれないようにするつもりが、却って怪しい。
颯希「黒羽の好きな食べ物、なに?」
雪哉「は?」
予想外の問いに、毒気を抜かれる。
颯希「おまえ好き嫌いしないよな。特別好きなもんもないの?」
雪哉「……。緑汁」
颯希「嘘つくな」
雪哉「…………、甘いもんは割と好きですけど」
颯希「そっか! うんうん」
無事に聞き出せて、表情が明るくなる。
何だか不機嫌げな雪哉を置いて、厨房へ。
颯希(確かここに……、あった!)
棚から練りようかんを取り出す。
颯希(これで勝負飯つくってやろ。ちょっと贔屓だけど)
手際よく準備する。
朝練はなく、七時には部員たちが食堂に集まってくる。
中原「おはよ。えっ、トンカツ!?」
受け取ったトレイに驚き、目を擦る。
颯希「じゃないんだな」
剣「甘い匂いだ」
N「~大会朝の勝負飯:トンカツ風ようかんサンド~」
ようかんをトーストで挟み、トンカツ風にしている。
颯希(ふふん。エネルギーの素になる糖質たっぷり)
颯希のノートを捨てようとした一年部員、びくびくした様子。
颯希「君は速筋が発達してるだけ。ダイエットより、1500mとか中距離メインで走るの考えてみな」
ミニさつきの解説M「速筋:スピードが出やすい。遅筋より大きくなりやすいよ」
一年部員B「……っ、本当に、すみませんでした」
反省と、内々に収めてくれた感謝いっぱいで、トレイを受け取る。
颯希、笑顔。
雪哉、無言でやり取りを見守っている。
剣「いただきます」
雪哉「……だきます」
雪哉、いつものようにばくっとようかんサンドに齧りつく。甘みと颯希の応援を感じてほんわりする。
シーン⑤県営陸上競技場
入口に「総体県予選」の看板。電光掲示板の時計は九時。
スタンドに、複数の高校が陣取っている。応援の保護者やOBもおり、活気がある。
駅伝部ジャージ姿の颯希、スタンドで部員の荷物番をしながら、ノートを開く。
颯希(短距離種目もフィールド種目もある。5000mは十一時スタートだ)
一方、雪哉はサブトラックでウォーミングアップしている。
端に腰を下ろし、タオルとドリンクボトルとともに置いていたエネルギーゼリーを手に取る。
パッケージにマジックの文字。颯希の筆跡で「怖くない!」と書いてある。
お見通しか、と笑い、サブトラックの周りの緑を見上げる。
腹に置いたゼリーで、手術跡部分が隠れる。
十時五十分。
颯希(おっ、選手が出てきた)
5000m参加選手が、サブトラックからメイントラックに入ってきて、スタンバイする。
部長、中原とも集中している。
雪哉は相変わらずのサングラス。
颯希(六位に入れば、地方大会進出だ。頑張れ!)
静寂。
パン! と号砲とともに、二十人超が走り出す。
颯希(位置取り、よし)
大山高の三人とも、先頭付近につける。
他のマネと手分けして、一周ごとにラップタイムを記録する。
女子マネ「ペース速いね」
颯希、頷く。怪我明けの雪哉を心配げに見つめる。
N「六周目」
悪い予感が当たったかのように、雪哉が遅れ始める。右足を気にする様子。
颯希(ふくらはぎ、痛むのか?)
思わず立ち上がる。
大山高校の陣取るブロックに雪哉が近づいてくるや、叫ぶ。
颯希「黒羽、おまえの怪我は治ってる! 全力出すの怖がるな!」
雪哉、ぴくりと顔を上げる。
颯希(怪我明けって、また怪我するのも怖いけど、無意識にセーブしちゃうのもやっかいなんだ)
自分も怪我を経験したからこそわかる。
雪哉、表情はサングラスに隠れているが、走り方に力強さが増す。
だが三年生の実力者たちの前に出るのは叶わない。
颯希(いちばんになれる力あるのに)
N「八周目」
しびれをきらし、また叫ぶ。
颯希「黒羽ー! 僕の想いもつれてってくれるんだろうがあ!」
雪哉、今度ははっきりスタンドを見上げる。
颯希(雪哉、おまえは独りじゃないよ)
応援に必死で、昨夜起きていたと暴露したのには気づいていない。
N「十周目」
颯希「黒羽、負けんな~! チキン南蛮、ポークカレー、牛肉中華炒め!」
エールとともに、これまで食べさせたメニューを叫ぶ。他のマネや部員、雪哉も「なに?」という顔。
どう思われてもいい、と十一周目。
颯希「コラーゲンスープ! ヒラメの干物!」
雪哉、サングラスを額に上げる。目に力がある。
ラストの十二周目。
颯希「ようかんサンドー!」
他の高校の声援も飛び交う中、大きく叫ぶ。
そのタイミングでラストスパートする雪哉。
剣や他校のエースも加速し、最後の直線はほぼダッシュの状態。
雪哉、ゴールラインを駅伝の中継所に錯覚する。颯希が待ってくれているように見える。
雪哉を一心に信じてくれている表情。
襷を渡すかのごとく力強く踏み込み、一位でゴールしてみせる。
颯希「やった、一位だっ!」
雪哉、剣にチームメイトとして讃えられている。
と思うと、はしゃぐ颯希に向かって「いちばん」と人差し指を立ててみせ、晴れやかに笑う。
今まで見た中でいちばんかっこいい笑顔に、見惚れる颯希。
しかしその人差し指を唇に持っていかれ、「あっ」と縮こまる。
颯希(まるで、一緒に走ったみたい)
それでも心臓がとくとくと跳ね、いつまでも収まらない。
夕方。大会本部前に、各種目の結果が貼り出されている。
「男子5000m 一位 黒羽雪哉(一年)」の文字。
各高校、帰り支度を済ませて輪になり、監督の話を聞いている。
同じく、監督と二人きりで向き合う颯希。
颯希「栄養担当マネなんですが、」
颯希(今日でおしまいにします、って言わなきゃ)
名残惜しく、一拍置く。
監督「ああ。緑野のサポートのおかげで、黒羽が復帰できた。これからも頼むな」
その隙に、颯希を見直したという顔で労われる。
颯希「え……、はい!」
すぐには信じられなかったが、みるみる表情が明るくなる。雪哉のおかげ。
栄養担当を下りて退寮するのを撤回し、返事をする。
シーン⑥路線バス
帰路、車内はほぼ大山高生の貸し切り。
雪哉「先輩、ここ空いてます」
颯希「空いてるっていうか……」
二人掛けの席に座る雪哉、むしろ手を置いて他の部員を排除していた隣に、颯希を座らせる。
颯希、近さを意識しないよう心掛ける。
颯希「ええと。県一位おめでとう」
仲直りしたいが、どう話を持っていったらいいかわからず、ひとまず無難な声を掛ける。
雪哉「なんなんですか、あの応援」
雪哉、礼でなく追及を繰り出す。
颯希「や、飯のこと考えたら食欲の力で走れるかなって」
真面目に供述する。
雪哉、降参といったふうに吹き出す。
雪哉「相関謎過ぎ」
颯希「おまえがあるって言い出したんだけど!?」
雪哉「そうは言ってないです」
颯希「言ったよ」
雪哉「だとしても、信じ過ぎでしょ」
以前のように話せて、楽しい。
颯希(仲直りできた、って受け取っていいのか?)
雪哉、ひとしきり笑うと、遠慮なしに颯希の肩に頭を乗せ、目を瞑る。眠いらしい。
どきどきと心臓がうるさくなってしまう。
颯希(でも、恋と飯は相関ないのか……)
宙ぶらりんの恋心を持て余したまま、バスに揺られる。
シーン⑦駅伝部寮/同日
寮の食堂。
剣「県予選、お疲れ様。反省は明日からね。いただきます」
部員「いただきます! ラーメンだっ!」
N「~大会夜のご褒美飯:しらたきつけ麺~」
ミニさつきの解説M「つけ麺だと水っぽくならないよ!」
タイムがよかった部員もそうでない部員も、顔をほころばせる。
颯希「やっぱみんなラーメン好きだよな」
厨房のカウンターからにこにこ眺める。
颯希(僕は、みんなに食べてもらうのが好きだ。改めてレシピ研究頑張ろう)
再確認し、決意新たにする。
雪哉は、自分の丼とトレイを何度も確認している。特別メニューはないんですか? の顔。
颯希はちっとも気づかない。
夕食の片づけを終え、102号室へ。
颯希「あ?」
先に戻っていた雪哉、狙ったかのように、窓枠に片足掛けている。髪を結びピアスもしている。
雪哉「一番目の恋人とデートです」
思わせぶりに笑い、飛び越える。
颯希「待てっ! 県一位だからって見逃せるか!」
颯希も窓を飛び越える。秘密の特訓のおかげで足は痛まない。
着地地点に、なぜか颯希の靴が置いてある。
颯希(ん? 誰の仕業かわかんないけど、助かる)
ありがたく履いて、雪哉を追う。
雪哉は、何度かちらちら振り返りつつ走る。
高校の生垣をくぐり、無人のグラウンドへ。
雪哉、足を投げ出して座る。涼しい顔で息が切れてもいない。
颯希(グラウンドで待ち合わせなのか……? てか、一番はいないはずじゃ)
追いつくも、謎が多い。所在なく立ち止まる。
雪哉「こないだここで話したの、独り占めみたいで楽しかったですよね」
颯希の戸惑いも構わず切り出す。
颯希、グラウンドを見渡す。
颯希(孤独じゃなく、独り占めか。先頭走るやつならではだ。いい考えだな)
雪哉「いや、ふたり占めか」
雪哉、声をひそめる。
颯希を見上げた顔は、無表情から一転、切実さがにじむ。
雪哉「颯希先輩がいる意味はある。あったでしょ。だからあきらめないで、オレと同じ部屋にいてよ」
颯希、どきりとする。
雪哉にはまだ退寮撤回を話していないが、こんなふうに頼まれるとは思わなかった。
颯希(ここにいてって、ずっと、言われたかった)
熱い指先をきゅっと握り込む。
颯希(同じ部屋にい続けるなら……)
颯希「確かめたいことがあるんだけど」
雪哉「はい」
何でも答える、と言わんばかりの相槌。
颯希「他の誰より、おまえに『美味い』って言わせたい。これって恋か?」
颯希(相関、やっぱりある気がするんだ)
勇気を振り絞って、尋ねる。
雪哉、目を見開いたのち、やわらかく笑う。
雪哉「……そうです」
颯希「じゃあ、雪哉に僕以外がつくった飯食べてほしくないのは?」
雪哉「独占欲ですね」
颯希「そういう欲もあるのか……」
顎に手を当て、はじめての感情を確認していく。
実質告白になっているのにまだ気づいていない。
雪哉「オレも訊きますけど。オレの一番目の恋人、誰だと思います?」
颯希「えっ?」
突然の問いと受け止める。
颯希(うむむ。「彼女」じゃなく「恋人」って言うってことは)
ひらめきが降ってきて、以前と同じく自信ありげに答える。
颯希「長距離走!」
雪哉「あんたですよ」
即訂正され、きょとんとする颯希。
颯希「僕?」
雪哉「キスしたでしょ」
瞼を指差す。
颯希、昨夜のキスを思い出し、たちまち赤面する。
颯希「え、えっ!? 雪哉が、僕を、好き……?」
今もわざと連れ出されたのさえ、気づかない様子。
雪哉「やっぱりわかってなかった」
呆れた声色。でも、そこも可愛いという表情。
雪哉「だけど、ずっとオレのそばにいてくれましたね。先輩のことは、信じられます。オレの一番で唯一になってください」
真面目に告白される。
目に星が映ってきれいに見える。
颯希「が、頑張ります……」
嬉しさ半分、夢みたいな気持ち半分で受け入れる。
雪哉「もうなれてるんだってば。だから、先輩。退寮しないでくださいね」
颯希の手を取り、上目遣いに念を押してくる。
颯希「あ、退寮はしないよ。走れないし、栄養担当としても貢献できないんじゃ、寮にいられないって思ったけど。今日、監督にこれからもよろしくって頼まれたから」
夕方感じた嬉しさを思い出しつつ、請け合う。
雪哉「は?」
対照的に拍子抜けした顔。
雪哉「こっちがどんだけ……、はあ」
小さくつぶやき、颯希の手をぐいっと引っ張って立ち上がる。
颯希「のわ」
よろけて雪哉の腕の中にすっぽり収まる格好になり、固まる。心臓だけ先走るようにうるさい。
颯希「僕、雪哉といると、走ったときみたいになる」
雪哉「なんでかわかります?」
照れくさくて答えられない。耳が熱い。
雪哉「先輩が、オレを好きだからですよ」
甘い声で、自信たっぷりに言う。
颯希、にやけずにいられない。
颯希「……おまえは、僕がほんとは走りたかったことも、いちばん欲しい言葉も、僕の気持ちもぜんぶお見通しだな」
雪哉「そりゃ、先輩と同室で、先輩の飯食って、先輩が好きなんで」
颯希「僕も、好きだよ」
絞り出す。
途端、雪哉の心音もどっどっと速くなる。
颯希「……ふふ。102号室の秘密だ」
同じ気持ちだ、とようやく実感する。
雪哉「ところで先輩。今日の夕食、一位のご褒美デザートついてなかったんですけど」
耳に吹き込むように、不服を表明する。
颯希「そんなの用意してないよ?」
雪哉「……。部屋でいただきますね」
くれないならもらいにいきます、という顔。
颯希「間食はだめだぞ」
雪哉「主食です。オレの毎日の」
颯希、無防備に首を傾げる。
雪哉「そうと決まれば早く帰りましょ、オレたちの部屋に」
颯希「? うん」
手をつないで、ふたり占めの夜のトラックを歩き出す。
颯希M「部活と勝負飯に打ち込むうちに、同室の後輩に恋されて、僕も恋してたみたいです」
シーン⑧102号室/翌朝
カレンダーの六月十五日の欄に地方大会! の文字。
五時。朝食の準備に向かう颯希、身支度する。
颯希(恋人と同室かあ)
照れているが、先輩として平静を保とうとする。
雪哉「先輩」
朝練に行く雪哉、同じく身支度を済ませる。
颯希「ん? ……ッ!!!」
振り向きざま、頬にちゅっとキスしてくる雪哉。
颯希、真っ赤になって声が出ない。表情で「何してんだ!」と訴える。
雪哉「いただきました」
してやったりで舌を出す。
颯希「事後報告!?」
雪哉「言いましたよ、毎日部屋でもらうって」
颯希「そうだっけ……?」
素直に考え込む。
雪哉「他の男にもこうなのか?」
極小声でつぶやく。「可愛い」を越えて気が気でない表情。
雪哉「部屋の外でおかわりもらおうかな」
颯希「おい」
雪哉「部活にいい影響あるんで」
颯希「そ、それなら、だめではなくもなくも」
雪哉「……。オレ以外にはしないでくださいよ」
颯希「誰が恋人以外とキスするかぁ~!」
仲良く言い合いながら、102号室を出発する。
雪哉はスマホ使用や無断外出がきっぱりなくなり、問題児ではなくなった。
N「~今日のご褒美の一品:キス~※先着一名限定、毎日予約済み」
(了)


