N「黒羽の怪我:全治三週間※一週間経過」
N「総体県予選:三週間後」
寮の食堂のカレンダー。六月一日の欄に「県予選」の文字。
颯希M「同室の後輩に恋させる:なるべく早く?」
シーン①大山高校
颯希(えらいことになった……)
二年の教室。六時間目。
颯希、溜め息を吐く。
数学の教科書の下に、雪哉のリハビリスケジュールを書いたノート。
颯希(「全治」は、「治療の必要がなくなるまで」って意味だ。県予選で怪我前みたいに走るには、三週間よりもっと早めないと。そのために、恋……)
思案が行き詰まり、ぽわぽわの髪を掻き乱す。
颯希(どうやって恋するのかもわかんないのに、恋させるなんてもっとわかんないだろ!)
教師「どうした緑野、レシピのバリエーション切れか?」
颯希「違いますっ」
教師「じゃあ立ってろ~」
先生が心配してくれたのかと思いきや、叱られる。
やっぱり授業を聞いていなかったので、肩身狭くも立ち上がる。
颯希(とにかく、僕にできることをやろう)
颯希M「駅伝部寮を、出ていく前に――」
シーン②高校グラウンド/同日放課後
列をなしてトラックを走る部員たち。
雪哉、監督と共にゆっくり歩いてくる。監督の手にはクルマのキー。
颯希(帰ってきた!)
雪哉、弱っているところを他の部員に見られたくなくてぶすっとした顔。右ふくらはぎにはテーピング。
監督が他の部員を見始めるや、雪哉に駆け寄る颯希。
颯希「病院どうだった」
雪哉「肉離れしたとこ、新しい組織で埋まったそうです」
颯希「よし。理学療法士さんは何て?」
ミニさつきの解説M「理学療法士:動作回復の専門家だよ」
自分のことのようにガッツポーズ。
雪哉「今週はストレッチと、歩く練習はしていいとか」
理学療法士にもらったリハビリメニュー表を、颯希にぽいっと渡す。
雪哉「なんだよ歩く練習って」
ぼそりと言う。
颯希、訳知り顏で宣告する。
颯希「新しい組織はかさぶたみたいなもんで、筋肉とは別物なんだ。なのに走ったらまた同じとこ怪我するからな? 僕が見張ってやる」
雪哉「……」
また怪我、と言われて言い返せない。
颯希「はいじゃあストレッチ」
一緒に、筋肉をゆるめるストレッチから始める。
颯希M「日々のリハビリに付き合うのも、マネの役割だ」
颯希「次」
正しい足の動かし方を再確認するように歩く。
雪哉、しぶしぶ従う。
颯希「次は、僕がやってた足の裏のトレーニング」
ストレッチマットの上で裸足になり、つま先でタオルをたぐり寄せる。
雪哉「……何これ」
地味過ぎるトレーニングで、過去最高に表情が死んでいる。
颯希、苦笑を浮かべる。
颯希「つまんないのはわかるよ。でも、黒羽には怪我悪化させたり繰り返したりしてほしくないから」
雪哉、颯希自身は怪我を悪化させ繰り返したと思われる言い様に反応して、顔を上げる。
雪哉「先輩、」
颯希の手首のスポーツウォッチのアラームがなる。
颯希「飯つくりに行かないと。続きは102号室でな」
内緒話のように言い置く。
雪哉、颯希にみんなの飯でなく自分のリハビリを見てほしくて、簡単に「はい」と言えない。
雪哉「なんかその言い方えろいですね」
颯希「は!? 恋の前に性欲出すなっ」
雪哉の気も知らず、そそくさと歩き出す。
颯希(黒羽のスイッチ、ぜんぜんわかんないな)
雪哉「緑野先輩」
颯希「なんだよ」
背中に声を掛けられる。
雪哉「右手と右脚が一緒に出る、だめな歩き方してます」
颯希「ほっとけ!」
恋させる側の自分ばかり意識しているようで居たたまれず、変な歩き方のままずんずん去る。
シーン③駅伝部寮/同日
十九時、寮の食堂。
颯希「はい」
相変わらず両手を伸ばし、雪哉にトレイを手渡す。
全員着席。
剣「いただきます」
雪哉「……ます」
いただきますを発声するようになった雪哉、箸を持ち上げる。
白米は半分量。追加の一品を見て、「ん?」という顔になる。
颯希、厨房のカウンターから雪哉を窺い、ふふんと得意げにする。
颯希(旬じゃないけど、特別に入手したんだ)
N「~今日の追加の一品:ヒラメの干物~」
颯希(怪我を食べてやっつけちゃおう作戦!)
ミニさつきの解説M「ヒラメ筋の肉離れ⇔ヒラメの干物※なにげに高たんぱく低カロリーだよ」
雪哉、ふっと小さく笑い、ばくんと口に運ぶ。
他の部員たち、雪哉が笑った……? と二度見する。
夕食後、一緒に102号室に戻る颯希と雪哉。
颯希「おまえさ、人前でリハビリすんの好きじゃないだろ」
雪哉の小六マラソン大会のエピソードを踏まえ、切り出す。
颯希「だから毎晩部屋でやろう、秘密の特訓」
机に置いていた、リハビリメニューをメモしたノートを掲げる。
雪哉、自分のためにこんなに調べてくれたんだ、と思うも顔には出さない。
雪哉「やっぱえろ、」
言い終わる前に、ノートではたいて黙らせる颯希。
颯希「てことで、怪我してないとこのトレーニングな。腹筋三百回、背筋三百回。ついでに性欲も発散しろばか」
雪哉、走る練習ができずうずうずしていたのもあり、素直にストレッチマットに横たわる。
颯希「いち、にい、」
雪哉「先輩もやれば」
腹筋を始めながら、誘う。
颯希「いや僕はマネだし、性欲問題児じゃないし、」
雪哉「でも、走りたいんでしょ」
颯希「!」
さらりと続いた一言に、絶句する。
颯希「なん、で」
まさか言い当てられると思わず、ノートを持つ手が震える。
夜のグラウンドで雪哉が何か言い掛けたのはこれか? と思い返す。
雪哉「見てたらそうかなって。飯のトレイの渡し方とか」
トレーニングを止めず、こともなげに答える。
颯希、自分の右足甲を意識する。
トレイの渡し方が襷の渡し方になっていたのは無意識だった。
颯希(そうだ。そうだよ。駅伝部の寮に居座ったのは――チームの一員でいたい、だけじゃない。もう一度、走りたいから)
マネとして練習をサポートしながら、もどかしげに部員を見つめる自分の姿がフラッシュパックする。
颯希(走りたい)
本当の願いを認める。
ザッザッと規則的な足音、頬を撫でる風の感触、土の匂い、額を伝う汗の温度、飛ぶように流れていく景色、ぐっと踏み込んで身体が加速する昂揚感を、断片的に思い出す。
颯希(けど、僕はもう)
去年のカレンダーの十月に「駅伝県予選」の文字。
焦って復帰しようとしては再び怪我してしまい、「まただ」と寮で泣く自分の姿も脳裏を過ぎる。
颯希「……僕の怪我、第二中足骨疲労骨折っていって、治りにくいんだ」
ミニさつきの解説M「第二中足骨:足の甲の骨。疲労骨折:繰り返しの動作でかかった負荷による骨折。
栄養を運ぶ血管が少ない部位なので治りにくいよ」
雪哉、静かに聞いている。
颯希「なのに、全国高校駅伝の県予選直前の時期だったから、焦って悪化させちゃってさ」
頭ではわかっていても過ちを犯してしまった、自嘲の笑みを浮かべる。
颯希(もう、走れな――)
雪哉「半年マネやってたなら、治ってますよね」
背筋しながら、颯希の自嘲を掻き消すように言う。
雪哉「オレが怪我したとき、いちばんに走ってきたし」
颯希、夢中で駆けつけたのを思い起こす。
言われてみれば走れた。
颯希「でも、半年走ってないってことだ、」
らしくなく、なおも怖気づく颯希の足の甲に手を当てて黙らせる雪哉。
雪哉「来月の県予選走りましょ、一緒に」
静かだが力強い誘いに、とくん、と心臓が高鳴る。
颯希(黒羽と、一緒なら)
ふたり同じユニフォームを来て走る姿を想像する。
颯希(栄養担当マネとして貢献できないなら、しがみつけない。でも走れたら、寮を出ていかず済む?)
新たな希望が生まれ、不思議なくらい力がみなぎるのを感じる。
雪哉「ただしオレは先行きますけど」
走るときは独りスタンス半分、湿っぽくしないように半分で付け加える。
颯希「言ったな? やってみろ」
躊躇いを吹っ切り、雪哉より速いペースで腹筋し始める。
颯希M「こうして、102号室での『秘密の特訓』が始まった」
シーン④高校グラウンド/別日
朝、朝食の準備前に一人で高校外周を走る颯希。
N「県予選まであと二週間」
放課後、高校のグラウンド。
着々とトラック練習を進める部員たち。
颯希「暑くなってきたし、こまめに水分補給してください」
休憩時に、飲み物を配り歩く。
颯希「ほいよ。県予選でベスト出せそうか?」
中原「おう。手応えある」
中原にプラスチックコップを手渡す。
雪哉、別メニューで桜並木沿いを早歩きしながら、じーっと颯希を見ている。
オレには持ってきてくれないんですか? と念を送るも、颯希はちっとも気づかない。
シーン⑤駅伝部寮/同日
夕食後、102号室。
体幹を鍛えるバランスボードを部屋に持ち込み、二人揃って乗っている。
雪哉「先輩。オレと恋愛するのさぼってません?」
颯希、唐突な指摘を受け止めきれず、バランスを崩してばたーんと倒れる。
颯希「おまえと恋愛するとは言ってないし」
雪哉「でしたっけ? あー治りがよくないな」
その実順調な回復だが、うそぶく。
颯希(順調だろうが)
ぐぬ、と押し黙り、バランスボードに乗り直す。
颯希「てか、おまえを惚れさせられたとして、五番目? それもやなんだけど」
雪哉「いや三番目ですね」
どっちもどっちな訂正を入れてくる。
颯希「え? 三、四番目の彼女は」
雪哉「怪我して走れないかっこ悪いオレには、興味ないそうです」
あっさり言ってのける。
颯希「はぁ? 特製緑汁を飲ませちゃろうか」
ミニさつきの解説M「栄養満点だけど不味いよ!」
颯希のほうが義憤が募り、ストレッチ用のゴムバンドをぐぎぎと引っ張る。
雪哉「敵に塩送ろうとしてる」
颯希「うう、でも薄情だろ」
彼の言うとおり、雪哉が彼女と別れたなら自分にとって都合がいいはずだが、割り切れない。
雪哉「人間そんなもんなんで、どうってことないです」
ベッドに座り、カーフレイズ(ふくらはぎのトレーニング)に取り掛かる。
表面上はけろっとして見える。
颯希「やっぱ性欲も信頼できないじゃんかよ」
低くつぶやく。
腹筋を始めながらも、考え込む。
颯希(こいつが一番は置かずに何人も彼女つくってるの、気持ちを分散して傷つかないようにだったりする?)
顔も知らない彼女三人に囲まれる雪哉を想像する。
颯希(小六のマラソン大会だって、その日まではアイドルみたいにちやほやされてたはずだ)
トレーニングに取り組む雪哉の顔を盗み見る。
颯希(この顔だし。それが、心配してくれるどころか「負けろ!」って盛り上がられたの、ショックだったよな。だから予防線張って……)
颯希「僕は絶対手のひら返さないからな」
雪哉「?」
勝手に同情して、告げる。
雪哉は話のつながりが見えず、きょとんとしている。
そこにスマホのバイブ音が響く。
雪哉「出ていいですか?」
険しい表情でトレーニングを中断する。
手に取る前から、発信者が誰かわかっている口ぶり。
颯希「緊急時以外、寮内スマホ使用禁止ですけど」
忘れたか? とばかりに注意する。
雪哉「緊急時です」
颯希「おい」
雪哉、注意を受け流し、スマホを耳に当てる。
雪哉「もう連絡してくんなって言ったでしょ」
颯希(おいおいおい、修羅場か!?)
雪哉の一言目にびっくりして、腹筋を止めざるを得ない。
颯希(二番目……実質一番の彼女とは、別れてないんだよな)
雪哉「あんたに構ってる暇ないんで」
言葉を継ぐ。女子相手だと思われるのに無表情。
颯希(黒羽って、恋人にも塩対応することあるんだ?)
つい成り行きを窺ってしまう。
電話口から、「雪哉くんを支えてあげたいよ」と健気な女子の声が聞こえてくる。
雪哉「……間に合ってる。同室のマネが口うるさいから切る」
少しだけ考えたもののばっさりと斬り、会話を終わらせる。
颯希「ちょ、僕のせいにした?」
雪哉「そう、先輩のせいですよ」
含み笑いして、リハビリを再開する。
雪哉「先輩みたいにあきらめ悪い人はそういません」
颯希「言い方」
雪哉が恋より部活を取ったようなのを、不思議に思う。
颯希(よく考えたら、恋の力で怪我治すなら彼女と別れないほうがいいのに。なんでわざわざ僕指名なんだよ)
もやもやと期待も込みで考えてしまうのを、腹筋で発散する。
シーン⑥駅伝部寮/別日
日の出前、一人でランニングする颯希。
N「県予選まであと十日」
食堂前の廊下に体組成計を出す颯希。ランニングで汗を掻いたTシャツは着替えている。
颯希(普段は週一測定だけど)
颯希「黒羽、毎朝体重計乗って。走る練習できなかったぶん、飯で体重管理しないと」
雪哉「……。はい」
朝練の支度済みの雪哉、颯希をじろじろ観察したのち、素直に従う。
颯希(59キロか。筋肉量が減っちゃってるな)
険しい表情で数字をノートに書き込む。
中原「緑野ー、部長が呼んでる」
颯希「お、わかった。黒羽はもう朝練行っていいよ」
ノートを厨房の作業台に置き、部長の部屋を訪ねる。
剣、一人で待っている。
颯希「なんでしょう?」
剣「どう? 黒羽の怪我の回復具合」
単刀直入に問われる。
颯希「っ、順調です。今日からジョギング始めて、少しずつ距離とスピード上げます」
監督にも共有されると考え、咄嗟に少し盛って答える。
剣「よかった。来週のタイムトライアルで、総体県予選の5000mの最終エントリーを決める予定だから」
颯希(部員全員がエントリーできるわけじゃない。タイム上位三人だけ。あとはオープン参加になる)
ミニさつきの解説M「オープン参加:記録は残るけど、全国大会には進めないよ」
颯希、背筋を伸ばす。すう、と息を吸う。
颯希「あの、部長」
剣「うん?」
颯希の緊張を察した上で、柔和な笑みを絶やさず耳を傾けてくれる。
颯希「来週のタイムトライアル、僕も走らせてもらえませんか」
剣「うーん……」
一転して心配げな顔になる。
颯希、許可お願いします、と祈る。
剣「颯希は、僕の背中を追い掛けてきてくれたために、怪我してしまったよね」
颯希、ぴくりと指先が震える。
剣「他の高校なら、今も楽しく走れてたかもしれないのに」
気づかわしげな声色。
颯希(確かに、部長への憧れだけで一般受験した。こんなに練習きついって、わかってなかった。僕はここで走れる身体じゃなかった。でも)
颯希「僕は、大山高校に来てよかったと思ってます」
雪哉の一言でレシピを改善したり、一緒に秘密特訓した日々を思い返し、はっきりと言う。
颯希「まだあきらめてません。それに、黒羽のリハビリの尻叩きにもなると言いますか」
恋が絡むので詳しくは説明できませんが、という顔で、ギリギリのラインを攻める。
剣、机に飾ってある、彼女手製の「健脚祈願」御守りを見やる。
剣「ふふ。二人を同室にしてよかった」
半年前は怪我をして「ここにいられない」と泣いていた後輩がたくましくなった、と目を細める。
颯希「え? それはどういう意味で……」
そうとは知らず、問題児を見張りきれなかった夜もあるので良心が痛む。
剣「颯希の思うとおりの意味だよ」
颯希(どこまでバレてるんだ!?)
剣の意図をつかみかね、冷や汗を掻く。
剣「タイムトライアル、久しぶりに走ってみようか。ただ無理はしないで」
颯希「! ありがとうございます」
ともあれ許可をもらえて、笑顔で頭を下げる。
朝練に出向く剣を見送り、朝食の支度をしようと厨房へ取って返す。
雪哉「おいガンタンク。それに触るな」
厨房から、そこにいないはずの雪哉の声が聞こえ、たたっと駆け込む。
颯希(盗み食いか?)
雪哉と、もう一人一年部員がおり、肩を強張らせている。
颯希、状況把握できない。その間にも雪哉が一年部員を睨み据える。
雪哉「身体絞りきれてないの、監督にばれたくないのか知らないけど。走り見りゃわかる。先輩のノート捨てたって意味ない」
颯希「え……? 君が?」
弾かれたように一年部員を見る。
レシピノート紛失の犯人は彼という口ぶりの雪哉。
同じメーカーのものゆえに、ラップタイムや体重を記録しているノートと取り違えたらしい。
颯希(確かに、あんな草むらに落っことした心当たりはないけど。見つかったから気にしてなかった)
一年部員B「ふん。怪我人が何言ってんだか。ルール違反して遊んでたからだろ。いくら速くたって、走れなきゃ意味ねえ」
開き直って言い返す。いい気味、という表情。
颯希(この子、黒羽の最初のルームメイトか。一緒に部長に叱られたり被害受けてたんだな)
一年部員の反発と羨望の入り混じった様子にも、理解を示す。
雪哉、颯希が一向に叱らないので、再び口を開く。
雪哉「他人の足引っ張ったって、ガンタンクが速くなるわけじゃない」
鋭く言い放つ。
一年部員B「そのあだ名やめろや……!」
ついに揉み合いになる一年生二人。
颯希「ちょっ、こら」
慌てて間に入る。怪我しかねないし、これ以上チームに亀裂が入っては困る。
颯希「僕は県予選終わったら退寮するつもりだから、監督にチクるとかは要らない心配だよ」
体重を過度に意識してしまっているらしい一年部員をなだめる。自分のせいで争ってほしくない。
一年部員、颯希への八つ当たりだという自覚もあるので、逃げるように朝練へ向かう。
雪哉「……何それ」
一方の雪哉、厨房に立ち尽くす。
雪哉「退寮って何?」
颯希「や、考えたんだけど、さすがに居座り続けられないだろ。今回いい区切りかなって」
雪哉の迫力に、たじたじになる。
颯希(一年生なだめるために、「タイムトライアルで選手復帰の目途が立たなかったら」を省いちゃったんだけど。そっちの剣幕こそ何?)
自分の立ち位置を考え直していたのは事実で、タイムトライアル次第なのもあり、うまく説明できない。
雪哉「チームとか言って、大事なもん捨てられても怒んないし、ほんと意味わかんない。その上退寮とか」
捨てられた子犬のような目をする。
雪哉「……ああ。オレと同室、やだったんですね」
颯希「それはちが、」
説明しようとするも、聞かずに歩み去ってしまう。
ぴしゃん、と厨房の扉が閉まる。
傍らには朝食の食材が積み上がっている。
颯希「……飯、つくらないと」
ぽつんとひとりでつぶやく。
颯希M「問題児で期待の新人に恋させるどころか、嫌われてしまったようです」
N「総体県予選:三週間後」
寮の食堂のカレンダー。六月一日の欄に「県予選」の文字。
颯希M「同室の後輩に恋させる:なるべく早く?」
シーン①大山高校
颯希(えらいことになった……)
二年の教室。六時間目。
颯希、溜め息を吐く。
数学の教科書の下に、雪哉のリハビリスケジュールを書いたノート。
颯希(「全治」は、「治療の必要がなくなるまで」って意味だ。県予選で怪我前みたいに走るには、三週間よりもっと早めないと。そのために、恋……)
思案が行き詰まり、ぽわぽわの髪を掻き乱す。
颯希(どうやって恋するのかもわかんないのに、恋させるなんてもっとわかんないだろ!)
教師「どうした緑野、レシピのバリエーション切れか?」
颯希「違いますっ」
教師「じゃあ立ってろ~」
先生が心配してくれたのかと思いきや、叱られる。
やっぱり授業を聞いていなかったので、肩身狭くも立ち上がる。
颯希(とにかく、僕にできることをやろう)
颯希M「駅伝部寮を、出ていく前に――」
シーン②高校グラウンド/同日放課後
列をなしてトラックを走る部員たち。
雪哉、監督と共にゆっくり歩いてくる。監督の手にはクルマのキー。
颯希(帰ってきた!)
雪哉、弱っているところを他の部員に見られたくなくてぶすっとした顔。右ふくらはぎにはテーピング。
監督が他の部員を見始めるや、雪哉に駆け寄る颯希。
颯希「病院どうだった」
雪哉「肉離れしたとこ、新しい組織で埋まったそうです」
颯希「よし。理学療法士さんは何て?」
ミニさつきの解説M「理学療法士:動作回復の専門家だよ」
自分のことのようにガッツポーズ。
雪哉「今週はストレッチと、歩く練習はしていいとか」
理学療法士にもらったリハビリメニュー表を、颯希にぽいっと渡す。
雪哉「なんだよ歩く練習って」
ぼそりと言う。
颯希、訳知り顏で宣告する。
颯希「新しい組織はかさぶたみたいなもんで、筋肉とは別物なんだ。なのに走ったらまた同じとこ怪我するからな? 僕が見張ってやる」
雪哉「……」
また怪我、と言われて言い返せない。
颯希「はいじゃあストレッチ」
一緒に、筋肉をゆるめるストレッチから始める。
颯希M「日々のリハビリに付き合うのも、マネの役割だ」
颯希「次」
正しい足の動かし方を再確認するように歩く。
雪哉、しぶしぶ従う。
颯希「次は、僕がやってた足の裏のトレーニング」
ストレッチマットの上で裸足になり、つま先でタオルをたぐり寄せる。
雪哉「……何これ」
地味過ぎるトレーニングで、過去最高に表情が死んでいる。
颯希、苦笑を浮かべる。
颯希「つまんないのはわかるよ。でも、黒羽には怪我悪化させたり繰り返したりしてほしくないから」
雪哉、颯希自身は怪我を悪化させ繰り返したと思われる言い様に反応して、顔を上げる。
雪哉「先輩、」
颯希の手首のスポーツウォッチのアラームがなる。
颯希「飯つくりに行かないと。続きは102号室でな」
内緒話のように言い置く。
雪哉、颯希にみんなの飯でなく自分のリハビリを見てほしくて、簡単に「はい」と言えない。
雪哉「なんかその言い方えろいですね」
颯希「は!? 恋の前に性欲出すなっ」
雪哉の気も知らず、そそくさと歩き出す。
颯希(黒羽のスイッチ、ぜんぜんわかんないな)
雪哉「緑野先輩」
颯希「なんだよ」
背中に声を掛けられる。
雪哉「右手と右脚が一緒に出る、だめな歩き方してます」
颯希「ほっとけ!」
恋させる側の自分ばかり意識しているようで居たたまれず、変な歩き方のままずんずん去る。
シーン③駅伝部寮/同日
十九時、寮の食堂。
颯希「はい」
相変わらず両手を伸ばし、雪哉にトレイを手渡す。
全員着席。
剣「いただきます」
雪哉「……ます」
いただきますを発声するようになった雪哉、箸を持ち上げる。
白米は半分量。追加の一品を見て、「ん?」という顔になる。
颯希、厨房のカウンターから雪哉を窺い、ふふんと得意げにする。
颯希(旬じゃないけど、特別に入手したんだ)
N「~今日の追加の一品:ヒラメの干物~」
颯希(怪我を食べてやっつけちゃおう作戦!)
ミニさつきの解説M「ヒラメ筋の肉離れ⇔ヒラメの干物※なにげに高たんぱく低カロリーだよ」
雪哉、ふっと小さく笑い、ばくんと口に運ぶ。
他の部員たち、雪哉が笑った……? と二度見する。
夕食後、一緒に102号室に戻る颯希と雪哉。
颯希「おまえさ、人前でリハビリすんの好きじゃないだろ」
雪哉の小六マラソン大会のエピソードを踏まえ、切り出す。
颯希「だから毎晩部屋でやろう、秘密の特訓」
机に置いていた、リハビリメニューをメモしたノートを掲げる。
雪哉、自分のためにこんなに調べてくれたんだ、と思うも顔には出さない。
雪哉「やっぱえろ、」
言い終わる前に、ノートではたいて黙らせる颯希。
颯希「てことで、怪我してないとこのトレーニングな。腹筋三百回、背筋三百回。ついでに性欲も発散しろばか」
雪哉、走る練習ができずうずうずしていたのもあり、素直にストレッチマットに横たわる。
颯希「いち、にい、」
雪哉「先輩もやれば」
腹筋を始めながら、誘う。
颯希「いや僕はマネだし、性欲問題児じゃないし、」
雪哉「でも、走りたいんでしょ」
颯希「!」
さらりと続いた一言に、絶句する。
颯希「なん、で」
まさか言い当てられると思わず、ノートを持つ手が震える。
夜のグラウンドで雪哉が何か言い掛けたのはこれか? と思い返す。
雪哉「見てたらそうかなって。飯のトレイの渡し方とか」
トレーニングを止めず、こともなげに答える。
颯希、自分の右足甲を意識する。
トレイの渡し方が襷の渡し方になっていたのは無意識だった。
颯希(そうだ。そうだよ。駅伝部の寮に居座ったのは――チームの一員でいたい、だけじゃない。もう一度、走りたいから)
マネとして練習をサポートしながら、もどかしげに部員を見つめる自分の姿がフラッシュパックする。
颯希(走りたい)
本当の願いを認める。
ザッザッと規則的な足音、頬を撫でる風の感触、土の匂い、額を伝う汗の温度、飛ぶように流れていく景色、ぐっと踏み込んで身体が加速する昂揚感を、断片的に思い出す。
颯希(けど、僕はもう)
去年のカレンダーの十月に「駅伝県予選」の文字。
焦って復帰しようとしては再び怪我してしまい、「まただ」と寮で泣く自分の姿も脳裏を過ぎる。
颯希「……僕の怪我、第二中足骨疲労骨折っていって、治りにくいんだ」
ミニさつきの解説M「第二中足骨:足の甲の骨。疲労骨折:繰り返しの動作でかかった負荷による骨折。
栄養を運ぶ血管が少ない部位なので治りにくいよ」
雪哉、静かに聞いている。
颯希「なのに、全国高校駅伝の県予選直前の時期だったから、焦って悪化させちゃってさ」
頭ではわかっていても過ちを犯してしまった、自嘲の笑みを浮かべる。
颯希(もう、走れな――)
雪哉「半年マネやってたなら、治ってますよね」
背筋しながら、颯希の自嘲を掻き消すように言う。
雪哉「オレが怪我したとき、いちばんに走ってきたし」
颯希、夢中で駆けつけたのを思い起こす。
言われてみれば走れた。
颯希「でも、半年走ってないってことだ、」
らしくなく、なおも怖気づく颯希の足の甲に手を当てて黙らせる雪哉。
雪哉「来月の県予選走りましょ、一緒に」
静かだが力強い誘いに、とくん、と心臓が高鳴る。
颯希(黒羽と、一緒なら)
ふたり同じユニフォームを来て走る姿を想像する。
颯希(栄養担当マネとして貢献できないなら、しがみつけない。でも走れたら、寮を出ていかず済む?)
新たな希望が生まれ、不思議なくらい力がみなぎるのを感じる。
雪哉「ただしオレは先行きますけど」
走るときは独りスタンス半分、湿っぽくしないように半分で付け加える。
颯希「言ったな? やってみろ」
躊躇いを吹っ切り、雪哉より速いペースで腹筋し始める。
颯希M「こうして、102号室での『秘密の特訓』が始まった」
シーン④高校グラウンド/別日
朝、朝食の準備前に一人で高校外周を走る颯希。
N「県予選まであと二週間」
放課後、高校のグラウンド。
着々とトラック練習を進める部員たち。
颯希「暑くなってきたし、こまめに水分補給してください」
休憩時に、飲み物を配り歩く。
颯希「ほいよ。県予選でベスト出せそうか?」
中原「おう。手応えある」
中原にプラスチックコップを手渡す。
雪哉、別メニューで桜並木沿いを早歩きしながら、じーっと颯希を見ている。
オレには持ってきてくれないんですか? と念を送るも、颯希はちっとも気づかない。
シーン⑤駅伝部寮/同日
夕食後、102号室。
体幹を鍛えるバランスボードを部屋に持ち込み、二人揃って乗っている。
雪哉「先輩。オレと恋愛するのさぼってません?」
颯希、唐突な指摘を受け止めきれず、バランスを崩してばたーんと倒れる。
颯希「おまえと恋愛するとは言ってないし」
雪哉「でしたっけ? あー治りがよくないな」
その実順調な回復だが、うそぶく。
颯希(順調だろうが)
ぐぬ、と押し黙り、バランスボードに乗り直す。
颯希「てか、おまえを惚れさせられたとして、五番目? それもやなんだけど」
雪哉「いや三番目ですね」
どっちもどっちな訂正を入れてくる。
颯希「え? 三、四番目の彼女は」
雪哉「怪我して走れないかっこ悪いオレには、興味ないそうです」
あっさり言ってのける。
颯希「はぁ? 特製緑汁を飲ませちゃろうか」
ミニさつきの解説M「栄養満点だけど不味いよ!」
颯希のほうが義憤が募り、ストレッチ用のゴムバンドをぐぎぎと引っ張る。
雪哉「敵に塩送ろうとしてる」
颯希「うう、でも薄情だろ」
彼の言うとおり、雪哉が彼女と別れたなら自分にとって都合がいいはずだが、割り切れない。
雪哉「人間そんなもんなんで、どうってことないです」
ベッドに座り、カーフレイズ(ふくらはぎのトレーニング)に取り掛かる。
表面上はけろっとして見える。
颯希「やっぱ性欲も信頼できないじゃんかよ」
低くつぶやく。
腹筋を始めながらも、考え込む。
颯希(こいつが一番は置かずに何人も彼女つくってるの、気持ちを分散して傷つかないようにだったりする?)
顔も知らない彼女三人に囲まれる雪哉を想像する。
颯希(小六のマラソン大会だって、その日まではアイドルみたいにちやほやされてたはずだ)
トレーニングに取り組む雪哉の顔を盗み見る。
颯希(この顔だし。それが、心配してくれるどころか「負けろ!」って盛り上がられたの、ショックだったよな。だから予防線張って……)
颯希「僕は絶対手のひら返さないからな」
雪哉「?」
勝手に同情して、告げる。
雪哉は話のつながりが見えず、きょとんとしている。
そこにスマホのバイブ音が響く。
雪哉「出ていいですか?」
険しい表情でトレーニングを中断する。
手に取る前から、発信者が誰かわかっている口ぶり。
颯希「緊急時以外、寮内スマホ使用禁止ですけど」
忘れたか? とばかりに注意する。
雪哉「緊急時です」
颯希「おい」
雪哉、注意を受け流し、スマホを耳に当てる。
雪哉「もう連絡してくんなって言ったでしょ」
颯希(おいおいおい、修羅場か!?)
雪哉の一言目にびっくりして、腹筋を止めざるを得ない。
颯希(二番目……実質一番の彼女とは、別れてないんだよな)
雪哉「あんたに構ってる暇ないんで」
言葉を継ぐ。女子相手だと思われるのに無表情。
颯希(黒羽って、恋人にも塩対応することあるんだ?)
つい成り行きを窺ってしまう。
電話口から、「雪哉くんを支えてあげたいよ」と健気な女子の声が聞こえてくる。
雪哉「……間に合ってる。同室のマネが口うるさいから切る」
少しだけ考えたもののばっさりと斬り、会話を終わらせる。
颯希「ちょ、僕のせいにした?」
雪哉「そう、先輩のせいですよ」
含み笑いして、リハビリを再開する。
雪哉「先輩みたいにあきらめ悪い人はそういません」
颯希「言い方」
雪哉が恋より部活を取ったようなのを、不思議に思う。
颯希(よく考えたら、恋の力で怪我治すなら彼女と別れないほうがいいのに。なんでわざわざ僕指名なんだよ)
もやもやと期待も込みで考えてしまうのを、腹筋で発散する。
シーン⑥駅伝部寮/別日
日の出前、一人でランニングする颯希。
N「県予選まであと十日」
食堂前の廊下に体組成計を出す颯希。ランニングで汗を掻いたTシャツは着替えている。
颯希(普段は週一測定だけど)
颯希「黒羽、毎朝体重計乗って。走る練習できなかったぶん、飯で体重管理しないと」
雪哉「……。はい」
朝練の支度済みの雪哉、颯希をじろじろ観察したのち、素直に従う。
颯希(59キロか。筋肉量が減っちゃってるな)
険しい表情で数字をノートに書き込む。
中原「緑野ー、部長が呼んでる」
颯希「お、わかった。黒羽はもう朝練行っていいよ」
ノートを厨房の作業台に置き、部長の部屋を訪ねる。
剣、一人で待っている。
颯希「なんでしょう?」
剣「どう? 黒羽の怪我の回復具合」
単刀直入に問われる。
颯希「っ、順調です。今日からジョギング始めて、少しずつ距離とスピード上げます」
監督にも共有されると考え、咄嗟に少し盛って答える。
剣「よかった。来週のタイムトライアルで、総体県予選の5000mの最終エントリーを決める予定だから」
颯希(部員全員がエントリーできるわけじゃない。タイム上位三人だけ。あとはオープン参加になる)
ミニさつきの解説M「オープン参加:記録は残るけど、全国大会には進めないよ」
颯希、背筋を伸ばす。すう、と息を吸う。
颯希「あの、部長」
剣「うん?」
颯希の緊張を察した上で、柔和な笑みを絶やさず耳を傾けてくれる。
颯希「来週のタイムトライアル、僕も走らせてもらえませんか」
剣「うーん……」
一転して心配げな顔になる。
颯希、許可お願いします、と祈る。
剣「颯希は、僕の背中を追い掛けてきてくれたために、怪我してしまったよね」
颯希、ぴくりと指先が震える。
剣「他の高校なら、今も楽しく走れてたかもしれないのに」
気づかわしげな声色。
颯希(確かに、部長への憧れだけで一般受験した。こんなに練習きついって、わかってなかった。僕はここで走れる身体じゃなかった。でも)
颯希「僕は、大山高校に来てよかったと思ってます」
雪哉の一言でレシピを改善したり、一緒に秘密特訓した日々を思い返し、はっきりと言う。
颯希「まだあきらめてません。それに、黒羽のリハビリの尻叩きにもなると言いますか」
恋が絡むので詳しくは説明できませんが、という顔で、ギリギリのラインを攻める。
剣、机に飾ってある、彼女手製の「健脚祈願」御守りを見やる。
剣「ふふ。二人を同室にしてよかった」
半年前は怪我をして「ここにいられない」と泣いていた後輩がたくましくなった、と目を細める。
颯希「え? それはどういう意味で……」
そうとは知らず、問題児を見張りきれなかった夜もあるので良心が痛む。
剣「颯希の思うとおりの意味だよ」
颯希(どこまでバレてるんだ!?)
剣の意図をつかみかね、冷や汗を掻く。
剣「タイムトライアル、久しぶりに走ってみようか。ただ無理はしないで」
颯希「! ありがとうございます」
ともあれ許可をもらえて、笑顔で頭を下げる。
朝練に出向く剣を見送り、朝食の支度をしようと厨房へ取って返す。
雪哉「おいガンタンク。それに触るな」
厨房から、そこにいないはずの雪哉の声が聞こえ、たたっと駆け込む。
颯希(盗み食いか?)
雪哉と、もう一人一年部員がおり、肩を強張らせている。
颯希、状況把握できない。その間にも雪哉が一年部員を睨み据える。
雪哉「身体絞りきれてないの、監督にばれたくないのか知らないけど。走り見りゃわかる。先輩のノート捨てたって意味ない」
颯希「え……? 君が?」
弾かれたように一年部員を見る。
レシピノート紛失の犯人は彼という口ぶりの雪哉。
同じメーカーのものゆえに、ラップタイムや体重を記録しているノートと取り違えたらしい。
颯希(確かに、あんな草むらに落っことした心当たりはないけど。見つかったから気にしてなかった)
一年部員B「ふん。怪我人が何言ってんだか。ルール違反して遊んでたからだろ。いくら速くたって、走れなきゃ意味ねえ」
開き直って言い返す。いい気味、という表情。
颯希(この子、黒羽の最初のルームメイトか。一緒に部長に叱られたり被害受けてたんだな)
一年部員の反発と羨望の入り混じった様子にも、理解を示す。
雪哉、颯希が一向に叱らないので、再び口を開く。
雪哉「他人の足引っ張ったって、ガンタンクが速くなるわけじゃない」
鋭く言い放つ。
一年部員B「そのあだ名やめろや……!」
ついに揉み合いになる一年生二人。
颯希「ちょっ、こら」
慌てて間に入る。怪我しかねないし、これ以上チームに亀裂が入っては困る。
颯希「僕は県予選終わったら退寮するつもりだから、監督にチクるとかは要らない心配だよ」
体重を過度に意識してしまっているらしい一年部員をなだめる。自分のせいで争ってほしくない。
一年部員、颯希への八つ当たりだという自覚もあるので、逃げるように朝練へ向かう。
雪哉「……何それ」
一方の雪哉、厨房に立ち尽くす。
雪哉「退寮って何?」
颯希「や、考えたんだけど、さすがに居座り続けられないだろ。今回いい区切りかなって」
雪哉の迫力に、たじたじになる。
颯希(一年生なだめるために、「タイムトライアルで選手復帰の目途が立たなかったら」を省いちゃったんだけど。そっちの剣幕こそ何?)
自分の立ち位置を考え直していたのは事実で、タイムトライアル次第なのもあり、うまく説明できない。
雪哉「チームとか言って、大事なもん捨てられても怒んないし、ほんと意味わかんない。その上退寮とか」
捨てられた子犬のような目をする。
雪哉「……ああ。オレと同室、やだったんですね」
颯希「それはちが、」
説明しようとするも、聞かずに歩み去ってしまう。
ぴしゃん、と厨房の扉が閉まる。
傍らには朝食の食材が積み上がっている。
颯希「……飯、つくらないと」
ぽつんとひとりでつぶやく。
颯希M「問題児で期待の新人に恋させるどころか、嫌われてしまったようです」


