シーン①大山高校裏山~寮/五月
颯希M「問題児の100%の『美味い』を引き出せないまま、ゴールデンウィークを迎えた」
 大山高校の裏山。
 細長い列で山道を走る駅伝部員。みな汗を掻き、必死の形相。
颯希M「駅伝部は、地獄の集中練習だ」
 ザッザッという足音と、葉擦れの音。
N「大山高校名物:裏山走」
 颯希、コース途中の木陰でストップウォッチ片手に練習を見守る。
颯希「一年生、できるだけ前についてくよー! 下向かない!」
 ずるずる遅れだした下級生に声を掛ける。
颯希(筋力と持久力鍛える裏山走、入学したての一年生にはきついよな)
 自分もきつかったので共感する。
 はるか上方に、雪哉の背中が見える。不整地も力強く駆けていく。
颯希(期待の新人には、朝飯前か)
 眩しさといけすかなさ半々の表情。
 雪哉の「オレに恋しないとだめでしょ」の言葉と、女子対応時とは違う意地悪フェイスを思い出してしまい、頭から追い出す。
颯希(黒羽だけは、ない)
 最後に通過した部員のタイムを記録ノートに書き込むと、救急バッグなど荷物を抱え、山道を下りていく。
颯希(ただ、恋してみるっていっても、ぜんぜん相手候補がいないんだよな)
 平地に出て、寮へ向かう。
颯希(女子マネは家族みたいなものだし)
 普段自分の周りにいる女子を思い浮かべる。
颯希(クラスの女子は、休み時間にちょっとしゃべるだけだし)
 授業終了後すぐ部活に行く自分の行動を振り返る。
颯希(男……)
 オレ男もいけますよ、という雪哉が脳内に走り込んで来ようとするのを阻止する。
 寮の厨房に入る。時計は十六時半。
 届いている食材の、ぶ厚い豚ロース肉に目を輝かせる。
颯希(きゃ~! 肉にいちばんときめくっ)
ミニさつきの解説M「毎月の寮費に収まるよう発注してます」
 ひとまず調理に取り掛かる。
 ロース肉をやわらかくすべく、嬉々として叩く。
颯希(今日の夕食は、疲労回復に効くビタミンBたっぷりのトンテキです)
ミニさつきの解説M「お酢を使ったタレでさっぱり味!」
 作業台に並べた皿に、盛りつけていく。
 食堂に、午後練習を終えた選手が集まってくる。
 授業がある日より一時間早い。
 颯希、両手でしっかりトレイを手渡す。
剣「集中練習一日目、お疲れさま。いただきます」
 十八時、剣部長の号令。
 さすがの雪哉も、ハードな練習で無表情に輪が掛かっている。
 だが、食べっぷりはかげりなし。
 がぶっ、あぐっ、とトンテキを咀嚼する。
颯希(この一週間は、体調管理が特に大事だ)
 自分の食事もそこそこに、部員の様子を見守る。
 下げにきた皿もチェックする。
颯希(大量に食べ残してる部員はいない。よし)
 片づけを終え、102号室へ。
 風呂上がりの雪哉がまた上半身裸で髪を拭いている。
颯希「のわ。服着ろよばか」
雪哉「着てますけど」
颯希「パンツじゃなくてTシャツも!」
 雪哉、口うるさ、という顔でTシャツを着る。
颯希(腹に傷痕ある? てか、なんか僕だけぎくしゃくしてる)
 雪哉に「オレに恋しないと」と言われて以来、調子を狂わされている。
颯希(恋……)
 机につく。時計は二十時前。
 強豪大学駅伝部のレシピ本を開く。部員から寮母への感謝コラムが綴られている。
 ぱっと振り返る。
颯希「思ったんだけどさ」
 雪哉、セルフストレッチ中。返事はしないが、顔を上げる。
颯希「おまえが僕に恋すればよくない?」
 この名案をなんですぐ思いつかなかったんだ、という顔。
 動きを止めた雪哉、自分が何を言っているかわかっていなさそうな颯希に、小さく笑う。
雪哉「見かけによらず自信満々」
 ストレッチを再開。
颯希(……あれ? 僕今口説いた!?)
 「美味い」のためのはずが口説くみたいになっているのにやっと気づき、羞恥にさいなまれる。
颯希「ちが、てかおまえだって」
 「オレに恋しないと」と言ってのけたのを指摘しようとするも、無駄にキラキラなフェイスに、思い出し目潰しされる。
颯希(こいつ、見かけはアイドルだった……っ)
 言い返せない。
 その間にさっさと寝支度する雪哉。
 身体で隠してスマホを持ち、彼女たちとLINEする。
 だが、気づかずレシピ研究ノートを開く颯希をちらりと振り返り、「もう寝る」と切り上げる。

シーン②駅伝部寮/翌朝
N「集中練習二日目」
颯希M「とにかく集中練習中は、恋は保留だ」
 寮の廊下で、あくびしつつ朝練に出ようとする部員に声を掛ける。
颯希「朝練前に、体組成計乗ってくださーい」
 食堂前に体組成計を出している。
ミニさつきの解説M「体重チェックは、体調管理の基本だよ」
 以前「ガンタンク」と呼ばれていた一年部員、躊躇いが見える。
 剣が率先して乗ってくれる。
颯希(176センチの部長は――58キロ)
 記録ノートに書き込む。デジタル表示部分に手製カバーをかけ、颯希と本人だけ見えるようにしている。
颯希「普段どおりですね」
剣「昨日消費したエネルギー、トンテキで補えたよ」
 剣、微笑む。颯希、尊敬の眼差し。
中原「部長何キロですか?」
颯希「こーら。見れるのは本人と僕と監督だけ」
 中原がノートを覗き込もうとするのを、ひょいっとかわす。
颯希(「重過ぎ」「減り過ぎ」とか他の部員に知られて、無理なダイエットやドカ間食につながったらよくない)
雪哉「乗らないならどいてください」
 中原を押し退け、体組成計に乗る。
 中原、苦笑い。
颯希「言い方」
 注意しつつ、表示を見る。
颯希(178センチで、60キロ。期待の新人だわ)
雪哉「どうですか」
颯希「いんじゃない」
 言うことなし、のつもり。
 だが雪哉は剣をちらりと見る。剣へのコメントと比べて不満な様子。
雪哉「……言い方」
颯希「は?」
 廊下の端で、一年部員がじっと颯希のノートを見ている。

シーン③高校グラウンド
 快晴。温度・湿度をチェックする颯希。
颯希(九時なのに二十℃越えてる。熱中症気をつけないと)
剣「集合」
 部員たち、監督のもとに集まる。
監督「午前練は、ビルドアップ走十キロな」
 さらりと言う。部員は「はい」と言いつつどんよりした雰囲気。
ミニさつきの解説M「ビルドアップ走:徐々にペースを上げる。きついよ」
一年部員A「いきなりきっつ……」
中原「まだまだ。二区みたいなもんだぞー」
 高校の外周を走り始める部員たち。
 颯希、自転車で並走する。
颯希「はじめの二キロは、一キロ四分半でいきます」
 メガホンで伝える。ハンドルにタイマーをつけて計っている。
颯希(僕がペースメーカー。責任重大だ)
 最初はゆったりめのペースで走る。
N「二キロ経過」
颯希「ここから、一キロ四分二十秒で」
 部員がザッ、とペースを上げる。颯希も自転車のペダルを踏み込む。
N「四キロ経過」
颯希「一キロ四分十秒ー」
N「六キロ経過」
颯希「一キロ四分。ここからですよ!」
 一年生、苦しそうな表情。
颯希(後半の粘り出せるようにって練習だ、頑張れ)
一年部員B「すみ、ませ……っ」
 一年生がペースについていけず脱落する。
 一人遅れると、ぱらぱら遅れていく。
颯希(メンタル力も必要になる)
 雪哉は楽なほうに流れず、走り続けている。
N「八キロ経過」
颯希「ラスト、一キロ三分五十秒で!」
 ぐん、と速くなる。
 精神力で何とか走っている様子の中原たち。
颯希「はあ、はあっ」
 颯希も汗を拭う。
颯希(あれこれ叫びながら並走は、息が切れる。こんなんじゃ……)
 弱気を振り絞り、メガホンを口に当てる。
颯希「あと一キロです!」
 雪哉、走りながら颯希の奮闘を見ている。
N「ゴール」
 選手たち、ぜえはあ言いつつ、校門近くを歩いてクールダウンする。
 颯希、自転車を下りてへたり込みかける。
颯希「ぎゃ!?」
 冷たい飲み物をぴとりと項に当てられ、叫ぶ。
 雪哉だった。
颯希「ありが……」
雪哉「マネなのに、よく選手みたいにできますよね」
颯希「は?」
 飲み物を持ってきてくれた御礼の気持ちが引っ込む。
颯希(マネなのに、へたるくらい自転車漕いで、って言いたいのか?)
颯希「またばかにしやがって」
 むっとして言う。飲み物は受け取らない。
 雪哉もむっとした顔になる。
雪哉「はい、理解できません」
 雪哉、持ってきたコップを二杯とも自分で呷り、すたすた離れていく。
剣「ばかにしたんじゃなくて、感心したんじゃない?」
 クールダウンでちょうど近くを歩いていた部長に言われる。
颯希「感心、ですか?」
 首を捻る。「マネなのに」の言い草を思い返す。
颯希(よくサポートしてるね、ってこと?)
 まだつんとしている雪哉を見やる。
颯希「いやだから、言い方」
 小声で突っ込みつつ、口もとはほろこんでいる。

シーン④高校グラウンド/翌日夕方
N「集中練習三日目」
 午後練習。校門入ってすぐのスペース。
 昨日とは違う色のTシャツ姿の颯希。
 各部員のタイムや体重などを記録する用のノートを開く。
颯希(中日だ。黒羽、一年生で唯一休みなくメニューこなしてるな。何だかんだ「いちばん速い」って有言実行だ)
 グラウンド脇の桜の木陰では、痛みが出て途中離脱した一年生が、脚にアイシングしている。
女子マネ「緑野くん、ちょっといい?」
颯希「あ、はい。今行きます」
 女子マネに呼ばれ、打ち合わせする颯希を、先ほどの一年生がちらりと見る。
颯希「――おっと、飯つくり始めないと」
 振り返り、ささっと荷物をまとめて寮へ急ぐ。
 夕暮れの中、グラウンドのフィールド部分で輪になって、自重で体幹トレーニングする部員たち。
ミニさつきの解説M「補強トレーニング:筋力のバランスアップのため!」
中原「いち! ひぃ、にいっ!」
 部員の悲鳴に近い声が響く。

シーン⑤駅伝部寮/同日夕食後
 寮を月が照らす。
 颯希、プロテインの袋を抱えて102号室に入る。
颯希「黒羽、今日筋トレしたぶんの補食……」
 ここまでちゃんと練習していて偉いぞという表情。
雪哉「あ」
颯希「っておまえ!」
 雪哉、懲りずにお洒落して無断外出する気満々。
颯希「最近はおとなしくしてるって思ったら! デート行く体力残ってるのかよ。練習手ぇ抜いたんか?」
 プロテインの徳用袋でぼふぼふ攻撃する。
雪哉「手は抜いてないです」
 すかさず返される。
雪哉「でも、二番目の彼女との約束なので、優先度高くて」
 しれっと微笑んで押しきろうとする。
颯希「部活より恋優先すな。おまえ昨日より体重減ってただろ。そのぶん補わないと、……」
 記録ノートの数字を突きつけようと、練習に持って出ている鞄を開ける。
颯希「あれ?」
 一緒に入れていたレシピ研究ノートがないと気づく。鞄やポケットをごそごそ探す。どんどん深刻な顔になっていく。
雪哉「どうしたんですか」
颯希「レシピノートがない。厨房に置いてきたかも」
 部屋を出る颯希を、無表情に心配をひと匙にじませ見やる雪哉。
 ありますようにと願いながら厨房を見に行くも、ノートは見当たらない。
颯希「てか、厨房に来た時点で持ってたっけ?」
颯希(身体の一部みたいなものだから、意識してない。ないとこんなに心許ないのに)
 落ち着かず、玄関に飛び出す。
颯希(敷地内をちょっと見るだけ)
 門まで辿るが、落ちていない。
颯希(あれがなきゃ、僕は……)
 思い詰めた眼差しで、暗い裏山を見上げる。
颯希(裏山走で落とした?)
 ふらふらと足が門の外へ向く。
 その足下を灯りに照らされ、びくっと我に返る。
颯希(やば、無断外出!)
 やらかしてしまった、と振り返れない。
雪哉「この山、熊出るんですっけ?」
 隣に並んだのは、雪哉だった。
 なんでおまえが、という顔で見上げる。
 雪哉、じっと見つめ返してくる。
雪哉「熊に襲われたら、走って助け呼びにいってあげますよ」
颯希「いやそれ見捨ててるだろ」
 言い合いつつ進む雪哉につられて、門によじ登る。
 雪哉が振り返り、おもむろに手を差し伸べてくる。
 中継所での襷の受け渡しを彷彿とさせる仕草。
 その手を掴んで着地する。
颯希(僕まで問題児だ……)
 一度だけ門を振り返るも、足は止めない。
 早足で、裏山走のとき荷物を置いている場所へ。
 雪哉のスマホのライトで照らし、ガサゴソと草を掻き分ける。
雪哉「そっちは見ました?」
 何だかんだ一緒に探してくれる。
颯希「うん。でも、ない……」
 汗を拭う。そのせいで顔に土がつく。
 きょろきょろするも、見つかる気配がない。
 ものすごく落ち込むが、裏腹に笑みを浮かべる。
颯希「ごめん。もういいよ。黒羽は身体休めないと。ノートはまた作り直せば……わぷ」
 タオルで顔を拭われる。
雪哉「大事なもんなんでしょ」
 申し訳なさから強がったのを、見透かされる。
 屈んで木の陰をチェックする雪哉の背中を見る。
颯希「ていうかおまえ、デートなんじゃ」
雪哉「リスケしました。彼女みんな理解あるんで」
颯希(え、うちの高校の女子? 今日は僕を優先して……って、今そっち気にしてる場合じゃない)
 気を取り直し、目を凝らす。
颯希「あっ?」
 草むらの中に、カラフルな付箋が目につく。
 近づけばレシピノートだった。
颯希「あった~~~っ!」
 嬉しさと安堵で、土のついたノートを抱き締める。
雪哉「よかったですね」
 つられたように笑ってくれる。
 はじめて見る、優しい笑顔。
 颯希、なぜかどきっとする。
颯希(……何だよ、その砂糖対応)
 慣れないし、問題児にそんな表情を向けられたのが信じられない。
 デートよりノートを優先してくれたのも、改めて意識してしまう。
 夜闇のおかげで顔が熱いのを見られなくてよかった、と思う。
颯希「黒羽のおかげって、言えなくもなくも」
 俯いたまま礼を言おうとするが、うまくいかない。
雪哉「言い方」
 塩20%砂糖80%の声色で指摘し、踵を返す。
雪哉「ばれない帰り方教えるんで、次のデート見逃してくださいね」
颯希「ぐぬぬ……」
 塩80%に戻っており、言い返せない。
 再度、雪哉の背中を見上げる。
 まだどきどきが残っている。
颯希M「恋は保留のつもりだったけど。集中練習が終わったら、考えなくもない、かも――」

シーン⑥駅伝部寮/翌日
N「集中練習四日目」
 寮の厨房。昼食の支度をする颯希。
 作業台には、土を落としてきれいにしたものの、さらにへなへなになってしまったレシピ研究ノート。
颯希「今日の午前練は、ロング走二十キロだ。疲労もピークだろうな」
N「ロング走:ゆっくりペースで長めに走る」
ミニさつきの解説M「ちなみに全国駅伝の最長区間は十キロだよ」
 パスタを茹でる。
颯希(食欲なくても食べやすくて、消化のいいもの)
N「~本日の昼食メイン:ボンゴレスープパスタと出汁ゼリー寄せ~」
 時計は十一時半。
 疲労困憊の部員たちが、のそのそ食堂へやってくる。
 トレイを手渡していく。
颯希「はい」
雪哉「……」
 雪哉、颯希のトレイの渡し方に何か気づいた様子。
 全員、長テーブルにつく。
剣「体調に異変を感じたら、早めにマネに言うこと。では、いただきます」
部員たち「いただき……ます」
 部長ら数人を除き、食事が進まない様子。
 颯希、カウンター越しに雪哉を見る。
颯希(昨日の夜、黒羽に無駄な体力使わせちゃった。影響出てないといいけど)
 雪哉、少し痩せて顎がしゅっとしている。
 だが表情に疲れは見えず、フォークにパスタとアサリをたっぷり巻きつけ、ばくっと口に入れる。
雪哉「結構、美味い」
 大きな声ではないが、そのぶん本心と感じられる一言。
颯希(美味いって、言った……?)
 不意打ちで目を丸くする。
颯希(あの黒羽が、「美味い」って!)
 レシピノートを抱き締め、噛み締める。
 昨夜のどきどきがリフレインする。
 雪哉の一言で、グロッキーな部員も「どれどれ」とフォークを動かしてくれる。
 パスタや、野菜のゼリー寄せをちゅるっと口に入れ、「おお」「食べやすい」という顔になる。
颯希(他のみんなも食べてくれてる)
 じーんとする。
 雪哉は、別にオレは何もしてませんけど? という顔で食べ続けている。
颯希(黒羽のおかげだよ。胃袋も期待の新人)
 問題児を、ちょっと見直す。
 雪哉、なおも食べていない一年の「ガンタンク」をじろりと見る。

シーン⑦高校グラウンド/翌日
N「集中練習最終日」
 朝。颯希、昨日の雪哉の「美味い」を反芻して、すがすがしい気分でグラウンドに出向く。
颯希(今日を乗り切ったら、美味いってことは僕に恋したんじゃない? って黒羽に言ってやろ)
中原「やっと最終日だー」
颯希「明日から授業だけどな」
中原「言うなよ」
 部員たちも吹っ切れた様子で集合する。
監督「インターバル走で締めよう」
 容赦ない監督。
ミニさつきの解説M「インターバル走:ダッシュとジョグを交互に繰り返す、スピード強化練習。きついよ」
 部員は、「ええ~」と冗談で声を上げるくらいの元気はある。
監督「六月はじめに、夏総体(インターハイ)の県予選がある。仕上げていかんとだぞ」
部員「はい!」
 県予選という単語に、気を引き締める様子。
剣「一キロ三分、セット間のジョグは二分。五セットやろう」
 女子マネ、部長の指示を聞いてタイマーを設定する。
 トラックを走り始める部員たち。
 ウォーミングアップとして一周する。
女子マネ「スタート!」
 ザッ、と加速する部員たち。
 設定ペースから遅れそうになっても、「うおお!」と声を出してくらいつく。
颯希(最終日ってなると、みんな頑張れてる)
 苦笑しつつ見守る。
 部長と雪哉が先頭を走っている。釘づけになる。
颯希「張り合ってるなあ、期待の新人?」
 雪哉は無表情だが、「オレがいちばん速い」と考えているのが見て取れる。
颯希(けど、ああして並ぶと、身体つきはやっぱり一年と三年って感じ)
 二人とも細身ながら、部長のほうが体幹も脚もしっかりしている。
 しきりに汗を拭う雪哉。
颯希(あいつ、汗っかきなんだよな。前も途中で着替えてたし)
 水分補給の準備をする。
 プラスチックコップを手に、一セット目を終えてジョグに切り替わるのを待つ。
 しかし、雪哉の姿が突然消える。
颯希「……黒、羽?」
 ざっと血の気が引く。
 雪哉、倒れ込んでいる。
颯希「雪哉ッ!」
 コップを放り出し、救急バッグと氷嚢を引っ掴んでダッシュする。
 雪哉、自力でフィールド部分に避難する。ふくらはぎを押さえて、それ以上動けない。
 ブーッとタイマーが鳴る。
 他の部員が練習を中断して窺うが、
剣「みんな、ジョグを続けて」
 部長が指示する。表情はもちろん心配そうだが、手本として走り続ける。
颯希M「長距離走は、孤独な競技だ」
 うずくまり、チームメートの背中が遠ざかるのを見ているしかない自分の姿がフラッシュバックする。
 歯を食いしばって切り替える。
颯希「黒羽。大丈夫か、黒羽」
 名を呼んでも、いつもの憎まれ口は返ってこない。
雪哉「……タオルあります?」
 タオルを差し出してやると、頭にかける。表情は見えない。
雪哉「あー、かっこわりぃ」
 小さくつぶやく。みなのジョグの足音が小さくなっていく。
颯希(かっこ悪くなんか……)
颯希M「最終日のアクシデント。恋どころでは、なくなってしまった」