シーン①大山高校男子駅伝部寮/翌朝
颯希M「僕のつくる飯を『不味い』と言いやがった、問題児と同室になって一夜――」
五時。時計のアラームが鳴り、もそもそ起き上がる颯希。
颯希(問題児、叩き起こして朝練の前に罰走させてやる)
寝癖をつけたまま、雪哉のベッドを見る。
もぬけの殻。薄暗い中、ベッドの下や抽斗の中を探すが、いない。蒼褪める。
颯希(まさか外泊? 無断外泊のペナルティって……一か月部活禁止とかだっけ)
颯希「そんな大違反する部員いなかったから覚えてないよ!」
雪哉の手の掛かりぶりに、髪をぐしゃぐしゃ掻き混ぜる。
だが時計を見て、ばたばた部屋を出る。
颯希「朝食の準備しなきゃ」
颯希M「駅伝部の朝練は六時から七時半まで」
共同洗面所へ行って顔を洗い、食堂へ。
颯希M「寮に戻ってきて即食べられるようにしないと、八時半の授業開始に間に合わない」
食堂の電気をつけたことで、寮の玄関前の影に気づく。
颯希「ひぃっ、熊!?」
かと思いきや、準備運動する部員。
部活動仕様に着替えた雪哉だった。
颯希(帰ってたんだ)
ほっとする颯希には気づかず、ジョグで走り去る。
颯希「自主練……、いや自主罰走か」
不真面目なんだか真面目なんだか、複雑に感じる。
気を取り直し、朝食の仕込みに取り掛かる。
颯希(授業を乗り切れるように、しっかり食べてもらわないと)
鮭を焼く。乳製品や果物も用意する。
ミニさつき解説M「ランナーに欠かせない、カルシウムとビタミンだよ」
N「~今日の朝食メイン:焼き鮭みぞれがけ~」
食堂に部員が集まってくる。
トレイを手渡していく。雪哉はいない。
颯希(自主朝飯抜き? は見過ごせない)
颯希「皆さんは食べててください」
トレイを持って、雪哉を探しに行く。
102号室の扉を開けると、シャワー上がりで上半身裸の雪哉がふつうにいる。
へその斜め下に小さい傷跡。
颯希「のわ!?」
不意打ちで変な声が出てしまい、赤面する。
颯希(男の裸なんて見慣れてるのに)
雪哉「もしかしてそれオレのですか?」
落ち着こうと深呼吸していたら、雪哉から声を掛けてくる。
颯希「そうだよ。ちゃんと食べな、きゃ……」
雪哉にトレイを渡そうとして、机にコンビニの袋があるのに気づく。
おにぎりの殻と、「朝練頑張ってね♡」といかにも女子の字で書かれたふせん。
颯希「おまえ! 無断間食!」
雪哉「朝飯です。今日の朝飯抜きって言ったのそっちじゃないですか」
悪びれず制服を着込み、タオルで髪を拭く。
颯希「ぐぬ……」
咄嗟に言い返せず、奥歯を噛み締める。
雪哉「昨日の外出、黙っててくださいね」
その間にも畳み掛けてくる。
雪哉「見逃したあんたも同罪ですし」
颯希「え!? 僕まで一か月部活禁止?」
たちまちうろたえる。
雪哉、んなわけあるかよと思うが口には出さない。
雪哉「期待の新人が練習できないのは痛手でしょ。マネが足引っ張ったりしないですよね?」
ふてぶてしい表情で言い放つ。
颯希(そうだけどそうだけど……っ。何もできないの、悔しい)
トレイをぎゅっと握り締める。
雪哉、颯希の手の力みに目を止め、肩にかけていたスクバを下ろし、椅子に座る。
突っ立っている颯希の手ごとトレイを机に置かせる。
颯希(のわわ!?)
雪哉、もくもくと食べ始める。
颯希(……何だよ、問題児のくせに)
ついじーんとしてしまい、触れた手を撫でる。
颯希「僕の飯なしじゃいられない身体にしてやるからな」
改めて宣言する。
颯希(そしたら外出もしなくなるだろ)
雪哉、ぱちりと瞬きして、
雪哉「……見かけによらず積極的」
と茶化す。
颯希、はっとする。
颯希「違うわ! おまえは恋より部活を考えろっ。うちの高校に何しにきたんだよ」
雪哉「いちばん速く走りにです」
即答され、対照的に言葉に詰まる颯希。
颯希「ったく、真面目なんだか不真面目なんだか」
雪哉、そんな颯希をちらりと見上げる。
雪哉「うちの部、恋愛禁止ではないですよね」
颯希「え」
盲点をつかれて固まる。
雪哉「恋は飯だけじゃなく部活にもいい影響あるんじゃないですか。部長だって彼女いるし」
颯希「え!?」
颯希(剣部長に、彼女? いつから?)
初耳で衝撃を受ける。
その間に完食した雪哉、トレイとスクバを持ち上げる。
雪哉「じゃ、歯磨いて登校しますね」
颯爽と部屋を出ていく。
時計を見ると八時を過ぎている。
颯希「ちょ、僕も飯と片づけと、あああ!」
ばたばたと支度に追われる。
シーン②大山高校、同日昼
二年の教室。
授業を受ける颯希。手もとにはレシピノートを隠している。
颯希(恋かあ。……栄養あるのかな)
鯉を思い浮かべてしまい、慌てて掻き消す。
レシピノートの材料欄に「恋」と書いてみる。
颯希(恋とか考えたことなかった。あの恋愛脳問題児と真逆で、部活一筋だったし)
雪哉の走りと、寮部屋での憎たらしい様子とを思い返す。
颯希(てか「三番目」って、あいつどんな恋愛してるんだよ!)
悔しさがぶり返し、シャーペンの芯が折れる。
颯希(それに部長も彼女いるって。入学したばっかの黒羽も知ってるのに、知らなかった)
憧れの人が遠ざかったようで、寂しく感じる。
教師「――野、次のページ読んで」
名を呼ばれるが、上の空で気づかない。
中原がシャーペンで背中をつついても効果なし。
教師「緑野! まぁたこっそりレシピ研究か」
叱られ、やっと指されているのに気づく。
狼狽で赤面する。クラスメイトは「いつものか」と爆笑。
颯希「きょ、今日は違います」
教師「今日はって。立ってろ~」
授業を聞いていなかったのは確かなので、しおしお立つ。
窓の外に目をやれば、体育の授業中の一年生が目に入る。
よりによって雪哉がおり、「何したんですか?」とぷげらせんばかりの表情をされる。
颯希(おい! 女子の前以外では表情筋死んでるくせに。立たされたのおまえのせいだけど!?)
同じく表情で返そうとする。
教師「緑野、よそ見すな」
颯希「はい……」
雪哉はまだ颯希を見上げているが、女子に話し掛けられそちらに向き直る。
シーン③駅伝部寮/数日後
颯希M「恋について考えること、数日」
放課後、ジャージ姿で高校から寮への道をぱたぱた走る颯希。
颯希(十七時から管理栄養士さんとのオンライン面談……!)
食堂に駆け込み、タブレット端末を設置する。
壁の時計は十六時五十分。
颯希M「駅伝部は月二回、栄養の専門家のサポートを受けてる」
N「監督の大学時代の同級生」
颯希M「他校の寮は調理も外注で、マネがつくってるのはうちだけ」
タブレット画面に、報告用の毎日のメニュー写真を表示させる。
颯希(食事の内容と……恋の効能も相談してみるか?)
一年部員A「平気か? ガンタンク」
一年部員B「そのあだ名やめろや」
一年部員A「いや走り方が力強いのよ」
考え込んでいたら、廊下から声がする。
颯希(誰か怪我したのか)
心配して立ち上がる。
一年部員A「そういや緑野先輩って、一人だけ男子マネだよな」
練習を抜け、寮一階の医務室へやってきた部員二人。
一年部員B「元選手らしいよ。それも一般入学」
一年部員A「練習ついてけなくて、ってやつか。正直かわいそ」
一年部員B「な、飯つくるだけとか」
颯希、立ちすくむ。
颯希(……はは。過去の話出回るの早いなー。まあ隠してもないけど)
笑い飛ばそうとするが、うまく笑えない。
颯希M「去年の秋、僕は怪我でマネージャーに転向した」
外周走でひとり遅れる自分、右足首にギプスを巻く自分の姿がフラッシュバックする。
颯希(このチームに貢献したかった。まだこのチームで……)
ぐ、と拳を握り締める。
雪哉「おまえらもマネになりたいの?」
突然、もうひとつの声が割り込む。
颯希(黒羽? なんで寮に)
はっと顔を上げる。
雪哉「あの人以外に男のマネいらないんだけど」
顎を上げて言い放つ。
一年部員たちは、自分よりタイムの速い雪哉に言外に「サボるな」と言われ、ばつが悪い。
一年部員A「す、すぐ練習戻るよっ」
一年部員B「自分だってサボってるくせに」
ぶつぶつ言いつつ、足のマメ用の絆創膏を手に退散する。
颯希、雪哉の背中を見つめる。
颯希(おまえには関係ない話、なのに)
いちおうマネとして存在を認められてたんだ、と受け取る。
颯希(かわいいとこあるじゃん)
ふっ、と吹っ切れた笑顔になる。
颯希「黒羽」
雪哉「うわ」
颯希がいるのに今気づいた、という顔で振り返る。
汗だくで、手には着替えのTシャツ。
雪哉「……さっきの」
颯希「あいつらの言うとおりだよ」
傷ついていないか窺ってくる様子の雪哉に、淡々と告げる。
颯希「僕が栄養担当になったの、朝晩の調理のために退寮せず済むからでさ。練習補助だけなら女子マネと同じ、通いでいいだろ?」
私欲を隠して庇われるのはよくない、と考える。
雪哉「まあ、はい」
確かに、という顔。
颯希「結局自分のためだから美味い飯がつくれないのかも、なぁんて」
後輩に見透かされた自分の浅さを受け止める。
ストップウォッチを襷のように斜めがけしているのを、じっと見る雪哉。
颯希「それはそれとして、おまえは他の部員に対する言い方選べな? チームなんだから」
食堂のガラスケースに飾ってある、駅伝大会の賞状やトロフィーを指差す。
部員同士の仲をフォローしてやったつもりが、雪哉は納得いかない表情になる。
雪哉「――走るときは独りですけどね」
突然、Tシャツを脱ぐ。
颯希「のわ!?」
途端、寮の前に集まっていた女子ファンがきゃあきゃあ沸く。
颯希(ファンサかよ)
颯希「おまえなあ」
おまえこそ真面目に練習しろ、と説教を垂れようとしたところ、
栄養士『緑野く~ん。お疲れさま!』
タブレット端末から栄養士の声が聞こえてくる。
雪哉「誰、この女」
颯希「この女とか言うな。栄養士さんだよ」
失礼なことを言う雪哉を注意し、あたふた応答する。
着替えた雪哉、練習に戻っていく。
前のめりでタブレットに向かってあれこれ話す颯希を振り返り、「雪哉くん?」と女子に不思議がられる。
シーン④大山高校/別日
昼休み、三年の教室の廊下。
颯希(三年の教室、緊張する~)
レシピ研究ノートを手に、壁に張りつく颯希。
颯希(でも、自分が寮にいる意味は、毎日の飯だ。できることはやろう)
教室から、清楚な美人先輩が出てくる。
颯希「あああ、あの!」
かちこちで突撃する。
先輩「? どうしたの」
颯希「駅伝部マネ、緑野と申します。教えていただきたいことがあり……」
先輩「勉強なら、わたしより剣くんのほうが」
N「部長は定期テスト学年一位」
颯希「いえ、あなた様にしかできません」
N「剣部長の彼女さん(中原に教えてもらった)」
颯希「寮で出すメニュー、美味しくしたいんです。どうか!」
颯希(恋は美味いの隠し味らしいので……!)
わらにもすがる思いで頭を下げていたら、ふふ、と笑う先輩。
先輩「そこまで言うなら。でも、参考程度にお願いね?」
颯希「ありがとうございます!」
ぱあっと顔を輝かせる。
颯希M「庇ってくれたからってわけじゃないけど、あの問題児の言うこと、聞いてみる気になったんだ」
中庭のベンチに座り、レシピ研究ノートを見てもらう。
颯希M「恋する自分はぜんぜん考えられない。でも、恋してる人に話を聞くことはできる」
別の日の昼休み、中庭で別の女子に話を聞く颯希。
颯希「美味しくつくるコツありますか」
N「野球部エースの彼女さん」
また別の日、男子にお弁当の写真を見せてもらう。
N「女バスキャプテンの彼氏さん」
颯希「昼のお弁当つくってあげてるんですね。どんな工夫してますか?」
ミニさつきの解説M「駅伝部の昼は購買部の定食弁当推奨だよ!」
その様子を教室の窓越しに、購買部の弁当と女子ファンが差し入れてくれた栄養ゼリーを食べながら見る雪哉。
ばか素直でおもろ、という表情。
颯希、活き活きと料理トークし続ける。
シーン⑤駅伝部寮/夜
数日後、寮の厨房。
颯希M「恋についてリサーチした結果」
三角巾とエプロンを身に着け、夕食の調理を進める颯希。
颯希M「恋と部活を両立してる人、結構いるってわかった」
レシピ研究ノートを開き、きょろきょろと辺りを窺ってから、手ハートをつくる。
颯希(美味しく食べて、勝てますように)
念を込め、フライパンに飛ばす。
颯希(彼氏彼女さんたちがやってるっていう隠し味、試してみた、けど)
調理スタッフ「可愛いことしてるわねえ」
颯希「のわ!?」
ドキッ、と心臓が口から飛び出しそうになる。
まんまと目撃されており、和まれる。
颯希「こここっち見ないでください!」
大赤面で夕食の仕上げを進める。
颯希(だからって寮抜け出してデートをいつまでも黙っててはやらないけどな!?)
気恥ずかしさをまぎらわせるように豪快にフライパンをふるい、盛りつけていく。
N「~本日の夕食メイン:赤身牛肉と野菜の中華風炒め~」
ミニさつきの解説M「オイスターソースが効いてるよ!」
部員の様子を窺う。
颯希「あの、今日の出来どうですか?」
たまらず訊く。
剣「いつもと同じように美味しいよ」
模範的な答えをくれる。他の部員もうんうんと頷く。
颯希「いつもと同じ……」
複雑な表情にならざるを得ない。工夫が効いていない。
颯希(自分が恋しないとだめか?)
雪哉も、いつもと同じくわしわし食べている。
皿洗いや片づけを終えて、厨房を出る。
颯希「てか、僕だって駅伝に恋してるようなもんですけど?」
嘆きつつ、102号室に入る。
雪哉は不在。机にスマホがあるし、窓には補助鍵を取り付けたので、無断外出ではないはず。
颯希「はあ。どうしたら美味しい勝負飯がつくれるんだろ」
机で栄養学の本を開き、ヒントを探す。
棚には栄養や料理のテキストが並んでいる。
ガチャ、とドアの開く音。
雪哉、医務室での身体のケアを終えて帰ってくる。
颯希「どこ行ってたの?」
雪哉「言う必要あります?」
マイペースにストレッチマットを敷き、ルーティンのストレッチを始める。
颯希(はいはい、問題児め)
溜め息を吐くも、切り替える。
颯希「あのさ、おまえが言うから恋について考えてみたんだけど。そもそもほんとに飯と相関ある?」
雪哉、ストレッチしながらきょとん顔になる。
デートに行く口実に過ぎなかったので、こんなに真面目に受け取られると思っていなかったのは隠す。
颯希、真剣に答えを待っている。
普段なら男との雑談は無視だが、おもしろいので応じる気になる。
雪哉「確かめるために、オレのこと好きになってみたらどうですか」
髪を括り始める。
颯希「……は?」
またしても予想外な答えに、声が裏返る。
雪哉が何を考えているのか、まったく読めない。
颯希(黒羽を好きに……?)
「不味い」の一言、見下ろす視線、ふてぶてしい態度の数々が思い出される。
颯希「おまえだけはない」
ジト目で指を突きつける。
雪哉「いちばん速いのもいちばんかっこいいのもオレなのに。あとオレ、男もいけますよ。オレのこと好きな子なら」
颯希「え!?」
さらりと言われ、両手を自分の身体に回して防御体勢を取る。
颯希(こいつ、彼女だけじゃなく彼氏もいるのか?)
雪哉と自分のいちゃらぶシーンを想像しかけ、赤い顔をぶんぶん振ってやめる。
颯希(いや、ない。ないない)
雪哉「自意識過剰」
独り相撲ぶりに、ピアスをつけながら鼻で笑う雪哉。
颯希「おまえが言い出したんだろ」
雪哉「まあ、あきらめるならそれでいいですけど」
短パンの上からスウェットを穿く。
颯希「だっ、誰があきらめるか」
あきらめるという単語に反応し、立ち上がる。
雪哉「オレに美味いって言わせたかったら、オレに恋しないとだめでしょ」
アイドルフェイスに至近距離で微笑まれ、言い返せない颯希。
颯希(問題児のくせに、いちいち説得力あるんだよな)
颯希M「恋と飯。相関はまだ要検証だけど」
颯希「……恋すること自体は、考えてみる」
視線を彷徨わせつつ、譲歩する。
雪哉「じゃあ、オレは四番目にできた彼女に会いに行くので」
その隙に窓を開け、足を掛ける。
颯希、雪哉が外出の身支度していたことにようやく気づく。
颯希「補助鍵つけたのに!?」
雪哉「内側につけても意味ないでしょ」
あっさり突破し、ひらりと飛び越える。
颯希、そんな、とふがいなく思いつつ窓に駆け寄る。
颯希「無断外出やめたら、明日の朝飯のサンドイッチの卵、増量してやる」
雪哉「……」
交渉を試みる。
雪哉、前回と違って足を止める。
雪哉「今回は彼女で」
結局朝食を選んでもらえず、走り去られてしまう。
颯希、ぎゅっと窓枠を握り締める。
一瞬でも問題児と恋する可能性を考えた自分が腹立たしい。
颯希「おまえに恋とか……、誰がするかぁ~!」
翻弄されて戸惑う声が、二人部屋に響く。
颯希M「僕のつくる飯を『不味い』と言いやがった、問題児と同室になって一夜――」
五時。時計のアラームが鳴り、もそもそ起き上がる颯希。
颯希(問題児、叩き起こして朝練の前に罰走させてやる)
寝癖をつけたまま、雪哉のベッドを見る。
もぬけの殻。薄暗い中、ベッドの下や抽斗の中を探すが、いない。蒼褪める。
颯希(まさか外泊? 無断外泊のペナルティって……一か月部活禁止とかだっけ)
颯希「そんな大違反する部員いなかったから覚えてないよ!」
雪哉の手の掛かりぶりに、髪をぐしゃぐしゃ掻き混ぜる。
だが時計を見て、ばたばた部屋を出る。
颯希「朝食の準備しなきゃ」
颯希M「駅伝部の朝練は六時から七時半まで」
共同洗面所へ行って顔を洗い、食堂へ。
颯希M「寮に戻ってきて即食べられるようにしないと、八時半の授業開始に間に合わない」
食堂の電気をつけたことで、寮の玄関前の影に気づく。
颯希「ひぃっ、熊!?」
かと思いきや、準備運動する部員。
部活動仕様に着替えた雪哉だった。
颯希(帰ってたんだ)
ほっとする颯希には気づかず、ジョグで走り去る。
颯希「自主練……、いや自主罰走か」
不真面目なんだか真面目なんだか、複雑に感じる。
気を取り直し、朝食の仕込みに取り掛かる。
颯希(授業を乗り切れるように、しっかり食べてもらわないと)
鮭を焼く。乳製品や果物も用意する。
ミニさつき解説M「ランナーに欠かせない、カルシウムとビタミンだよ」
N「~今日の朝食メイン:焼き鮭みぞれがけ~」
食堂に部員が集まってくる。
トレイを手渡していく。雪哉はいない。
颯希(自主朝飯抜き? は見過ごせない)
颯希「皆さんは食べててください」
トレイを持って、雪哉を探しに行く。
102号室の扉を開けると、シャワー上がりで上半身裸の雪哉がふつうにいる。
へその斜め下に小さい傷跡。
颯希「のわ!?」
不意打ちで変な声が出てしまい、赤面する。
颯希(男の裸なんて見慣れてるのに)
雪哉「もしかしてそれオレのですか?」
落ち着こうと深呼吸していたら、雪哉から声を掛けてくる。
颯希「そうだよ。ちゃんと食べな、きゃ……」
雪哉にトレイを渡そうとして、机にコンビニの袋があるのに気づく。
おにぎりの殻と、「朝練頑張ってね♡」といかにも女子の字で書かれたふせん。
颯希「おまえ! 無断間食!」
雪哉「朝飯です。今日の朝飯抜きって言ったのそっちじゃないですか」
悪びれず制服を着込み、タオルで髪を拭く。
颯希「ぐぬ……」
咄嗟に言い返せず、奥歯を噛み締める。
雪哉「昨日の外出、黙っててくださいね」
その間にも畳み掛けてくる。
雪哉「見逃したあんたも同罪ですし」
颯希「え!? 僕まで一か月部活禁止?」
たちまちうろたえる。
雪哉、んなわけあるかよと思うが口には出さない。
雪哉「期待の新人が練習できないのは痛手でしょ。マネが足引っ張ったりしないですよね?」
ふてぶてしい表情で言い放つ。
颯希(そうだけどそうだけど……っ。何もできないの、悔しい)
トレイをぎゅっと握り締める。
雪哉、颯希の手の力みに目を止め、肩にかけていたスクバを下ろし、椅子に座る。
突っ立っている颯希の手ごとトレイを机に置かせる。
颯希(のわわ!?)
雪哉、もくもくと食べ始める。
颯希(……何だよ、問題児のくせに)
ついじーんとしてしまい、触れた手を撫でる。
颯希「僕の飯なしじゃいられない身体にしてやるからな」
改めて宣言する。
颯希(そしたら外出もしなくなるだろ)
雪哉、ぱちりと瞬きして、
雪哉「……見かけによらず積極的」
と茶化す。
颯希、はっとする。
颯希「違うわ! おまえは恋より部活を考えろっ。うちの高校に何しにきたんだよ」
雪哉「いちばん速く走りにです」
即答され、対照的に言葉に詰まる颯希。
颯希「ったく、真面目なんだか不真面目なんだか」
雪哉、そんな颯希をちらりと見上げる。
雪哉「うちの部、恋愛禁止ではないですよね」
颯希「え」
盲点をつかれて固まる。
雪哉「恋は飯だけじゃなく部活にもいい影響あるんじゃないですか。部長だって彼女いるし」
颯希「え!?」
颯希(剣部長に、彼女? いつから?)
初耳で衝撃を受ける。
その間に完食した雪哉、トレイとスクバを持ち上げる。
雪哉「じゃ、歯磨いて登校しますね」
颯爽と部屋を出ていく。
時計を見ると八時を過ぎている。
颯希「ちょ、僕も飯と片づけと、あああ!」
ばたばたと支度に追われる。
シーン②大山高校、同日昼
二年の教室。
授業を受ける颯希。手もとにはレシピノートを隠している。
颯希(恋かあ。……栄養あるのかな)
鯉を思い浮かべてしまい、慌てて掻き消す。
レシピノートの材料欄に「恋」と書いてみる。
颯希(恋とか考えたことなかった。あの恋愛脳問題児と真逆で、部活一筋だったし)
雪哉の走りと、寮部屋での憎たらしい様子とを思い返す。
颯希(てか「三番目」って、あいつどんな恋愛してるんだよ!)
悔しさがぶり返し、シャーペンの芯が折れる。
颯希(それに部長も彼女いるって。入学したばっかの黒羽も知ってるのに、知らなかった)
憧れの人が遠ざかったようで、寂しく感じる。
教師「――野、次のページ読んで」
名を呼ばれるが、上の空で気づかない。
中原がシャーペンで背中をつついても効果なし。
教師「緑野! まぁたこっそりレシピ研究か」
叱られ、やっと指されているのに気づく。
狼狽で赤面する。クラスメイトは「いつものか」と爆笑。
颯希「きょ、今日は違います」
教師「今日はって。立ってろ~」
授業を聞いていなかったのは確かなので、しおしお立つ。
窓の外に目をやれば、体育の授業中の一年生が目に入る。
よりによって雪哉がおり、「何したんですか?」とぷげらせんばかりの表情をされる。
颯希(おい! 女子の前以外では表情筋死んでるくせに。立たされたのおまえのせいだけど!?)
同じく表情で返そうとする。
教師「緑野、よそ見すな」
颯希「はい……」
雪哉はまだ颯希を見上げているが、女子に話し掛けられそちらに向き直る。
シーン③駅伝部寮/数日後
颯希M「恋について考えること、数日」
放課後、ジャージ姿で高校から寮への道をぱたぱた走る颯希。
颯希(十七時から管理栄養士さんとのオンライン面談……!)
食堂に駆け込み、タブレット端末を設置する。
壁の時計は十六時五十分。
颯希M「駅伝部は月二回、栄養の専門家のサポートを受けてる」
N「監督の大学時代の同級生」
颯希M「他校の寮は調理も外注で、マネがつくってるのはうちだけ」
タブレット画面に、報告用の毎日のメニュー写真を表示させる。
颯希(食事の内容と……恋の効能も相談してみるか?)
一年部員A「平気か? ガンタンク」
一年部員B「そのあだ名やめろや」
一年部員A「いや走り方が力強いのよ」
考え込んでいたら、廊下から声がする。
颯希(誰か怪我したのか)
心配して立ち上がる。
一年部員A「そういや緑野先輩って、一人だけ男子マネだよな」
練習を抜け、寮一階の医務室へやってきた部員二人。
一年部員B「元選手らしいよ。それも一般入学」
一年部員A「練習ついてけなくて、ってやつか。正直かわいそ」
一年部員B「な、飯つくるだけとか」
颯希、立ちすくむ。
颯希(……はは。過去の話出回るの早いなー。まあ隠してもないけど)
笑い飛ばそうとするが、うまく笑えない。
颯希M「去年の秋、僕は怪我でマネージャーに転向した」
外周走でひとり遅れる自分、右足首にギプスを巻く自分の姿がフラッシュバックする。
颯希(このチームに貢献したかった。まだこのチームで……)
ぐ、と拳を握り締める。
雪哉「おまえらもマネになりたいの?」
突然、もうひとつの声が割り込む。
颯希(黒羽? なんで寮に)
はっと顔を上げる。
雪哉「あの人以外に男のマネいらないんだけど」
顎を上げて言い放つ。
一年部員たちは、自分よりタイムの速い雪哉に言外に「サボるな」と言われ、ばつが悪い。
一年部員A「す、すぐ練習戻るよっ」
一年部員B「自分だってサボってるくせに」
ぶつぶつ言いつつ、足のマメ用の絆創膏を手に退散する。
颯希、雪哉の背中を見つめる。
颯希(おまえには関係ない話、なのに)
いちおうマネとして存在を認められてたんだ、と受け取る。
颯希(かわいいとこあるじゃん)
ふっ、と吹っ切れた笑顔になる。
颯希「黒羽」
雪哉「うわ」
颯希がいるのに今気づいた、という顔で振り返る。
汗だくで、手には着替えのTシャツ。
雪哉「……さっきの」
颯希「あいつらの言うとおりだよ」
傷ついていないか窺ってくる様子の雪哉に、淡々と告げる。
颯希「僕が栄養担当になったの、朝晩の調理のために退寮せず済むからでさ。練習補助だけなら女子マネと同じ、通いでいいだろ?」
私欲を隠して庇われるのはよくない、と考える。
雪哉「まあ、はい」
確かに、という顔。
颯希「結局自分のためだから美味い飯がつくれないのかも、なぁんて」
後輩に見透かされた自分の浅さを受け止める。
ストップウォッチを襷のように斜めがけしているのを、じっと見る雪哉。
颯希「それはそれとして、おまえは他の部員に対する言い方選べな? チームなんだから」
食堂のガラスケースに飾ってある、駅伝大会の賞状やトロフィーを指差す。
部員同士の仲をフォローしてやったつもりが、雪哉は納得いかない表情になる。
雪哉「――走るときは独りですけどね」
突然、Tシャツを脱ぐ。
颯希「のわ!?」
途端、寮の前に集まっていた女子ファンがきゃあきゃあ沸く。
颯希(ファンサかよ)
颯希「おまえなあ」
おまえこそ真面目に練習しろ、と説教を垂れようとしたところ、
栄養士『緑野く~ん。お疲れさま!』
タブレット端末から栄養士の声が聞こえてくる。
雪哉「誰、この女」
颯希「この女とか言うな。栄養士さんだよ」
失礼なことを言う雪哉を注意し、あたふた応答する。
着替えた雪哉、練習に戻っていく。
前のめりでタブレットに向かってあれこれ話す颯希を振り返り、「雪哉くん?」と女子に不思議がられる。
シーン④大山高校/別日
昼休み、三年の教室の廊下。
颯希(三年の教室、緊張する~)
レシピ研究ノートを手に、壁に張りつく颯希。
颯希(でも、自分が寮にいる意味は、毎日の飯だ。できることはやろう)
教室から、清楚な美人先輩が出てくる。
颯希「あああ、あの!」
かちこちで突撃する。
先輩「? どうしたの」
颯希「駅伝部マネ、緑野と申します。教えていただきたいことがあり……」
先輩「勉強なら、わたしより剣くんのほうが」
N「部長は定期テスト学年一位」
颯希「いえ、あなた様にしかできません」
N「剣部長の彼女さん(中原に教えてもらった)」
颯希「寮で出すメニュー、美味しくしたいんです。どうか!」
颯希(恋は美味いの隠し味らしいので……!)
わらにもすがる思いで頭を下げていたら、ふふ、と笑う先輩。
先輩「そこまで言うなら。でも、参考程度にお願いね?」
颯希「ありがとうございます!」
ぱあっと顔を輝かせる。
颯希M「庇ってくれたからってわけじゃないけど、あの問題児の言うこと、聞いてみる気になったんだ」
中庭のベンチに座り、レシピ研究ノートを見てもらう。
颯希M「恋する自分はぜんぜん考えられない。でも、恋してる人に話を聞くことはできる」
別の日の昼休み、中庭で別の女子に話を聞く颯希。
颯希「美味しくつくるコツありますか」
N「野球部エースの彼女さん」
また別の日、男子にお弁当の写真を見せてもらう。
N「女バスキャプテンの彼氏さん」
颯希「昼のお弁当つくってあげてるんですね。どんな工夫してますか?」
ミニさつきの解説M「駅伝部の昼は購買部の定食弁当推奨だよ!」
その様子を教室の窓越しに、購買部の弁当と女子ファンが差し入れてくれた栄養ゼリーを食べながら見る雪哉。
ばか素直でおもろ、という表情。
颯希、活き活きと料理トークし続ける。
シーン⑤駅伝部寮/夜
数日後、寮の厨房。
颯希M「恋についてリサーチした結果」
三角巾とエプロンを身に着け、夕食の調理を進める颯希。
颯希M「恋と部活を両立してる人、結構いるってわかった」
レシピ研究ノートを開き、きょろきょろと辺りを窺ってから、手ハートをつくる。
颯希(美味しく食べて、勝てますように)
念を込め、フライパンに飛ばす。
颯希(彼氏彼女さんたちがやってるっていう隠し味、試してみた、けど)
調理スタッフ「可愛いことしてるわねえ」
颯希「のわ!?」
ドキッ、と心臓が口から飛び出しそうになる。
まんまと目撃されており、和まれる。
颯希「こここっち見ないでください!」
大赤面で夕食の仕上げを進める。
颯希(だからって寮抜け出してデートをいつまでも黙っててはやらないけどな!?)
気恥ずかしさをまぎらわせるように豪快にフライパンをふるい、盛りつけていく。
N「~本日の夕食メイン:赤身牛肉と野菜の中華風炒め~」
ミニさつきの解説M「オイスターソースが効いてるよ!」
部員の様子を窺う。
颯希「あの、今日の出来どうですか?」
たまらず訊く。
剣「いつもと同じように美味しいよ」
模範的な答えをくれる。他の部員もうんうんと頷く。
颯希「いつもと同じ……」
複雑な表情にならざるを得ない。工夫が効いていない。
颯希(自分が恋しないとだめか?)
雪哉も、いつもと同じくわしわし食べている。
皿洗いや片づけを終えて、厨房を出る。
颯希「てか、僕だって駅伝に恋してるようなもんですけど?」
嘆きつつ、102号室に入る。
雪哉は不在。机にスマホがあるし、窓には補助鍵を取り付けたので、無断外出ではないはず。
颯希「はあ。どうしたら美味しい勝負飯がつくれるんだろ」
机で栄養学の本を開き、ヒントを探す。
棚には栄養や料理のテキストが並んでいる。
ガチャ、とドアの開く音。
雪哉、医務室での身体のケアを終えて帰ってくる。
颯希「どこ行ってたの?」
雪哉「言う必要あります?」
マイペースにストレッチマットを敷き、ルーティンのストレッチを始める。
颯希(はいはい、問題児め)
溜め息を吐くも、切り替える。
颯希「あのさ、おまえが言うから恋について考えてみたんだけど。そもそもほんとに飯と相関ある?」
雪哉、ストレッチしながらきょとん顔になる。
デートに行く口実に過ぎなかったので、こんなに真面目に受け取られると思っていなかったのは隠す。
颯希、真剣に答えを待っている。
普段なら男との雑談は無視だが、おもしろいので応じる気になる。
雪哉「確かめるために、オレのこと好きになってみたらどうですか」
髪を括り始める。
颯希「……は?」
またしても予想外な答えに、声が裏返る。
雪哉が何を考えているのか、まったく読めない。
颯希(黒羽を好きに……?)
「不味い」の一言、見下ろす視線、ふてぶてしい態度の数々が思い出される。
颯希「おまえだけはない」
ジト目で指を突きつける。
雪哉「いちばん速いのもいちばんかっこいいのもオレなのに。あとオレ、男もいけますよ。オレのこと好きな子なら」
颯希「え!?」
さらりと言われ、両手を自分の身体に回して防御体勢を取る。
颯希(こいつ、彼女だけじゃなく彼氏もいるのか?)
雪哉と自分のいちゃらぶシーンを想像しかけ、赤い顔をぶんぶん振ってやめる。
颯希(いや、ない。ないない)
雪哉「自意識過剰」
独り相撲ぶりに、ピアスをつけながら鼻で笑う雪哉。
颯希「おまえが言い出したんだろ」
雪哉「まあ、あきらめるならそれでいいですけど」
短パンの上からスウェットを穿く。
颯希「だっ、誰があきらめるか」
あきらめるという単語に反応し、立ち上がる。
雪哉「オレに美味いって言わせたかったら、オレに恋しないとだめでしょ」
アイドルフェイスに至近距離で微笑まれ、言い返せない颯希。
颯希(問題児のくせに、いちいち説得力あるんだよな)
颯希M「恋と飯。相関はまだ要検証だけど」
颯希「……恋すること自体は、考えてみる」
視線を彷徨わせつつ、譲歩する。
雪哉「じゃあ、オレは四番目にできた彼女に会いに行くので」
その隙に窓を開け、足を掛ける。
颯希、雪哉が外出の身支度していたことにようやく気づく。
颯希「補助鍵つけたのに!?」
雪哉「内側につけても意味ないでしょ」
あっさり突破し、ひらりと飛び越える。
颯希、そんな、とふがいなく思いつつ窓に駆け寄る。
颯希「無断外出やめたら、明日の朝飯のサンドイッチの卵、増量してやる」
雪哉「……」
交渉を試みる。
雪哉、前回と違って足を止める。
雪哉「今回は彼女で」
結局朝食を選んでもらえず、走り去られてしまう。
颯希、ぎゅっと窓枠を握り締める。
一瞬でも問題児と恋する可能性を考えた自分が腹立たしい。
颯希「おまえに恋とか……、誰がするかぁ~!」
翻弄されて戸惑う声が、二人部屋に響く。


