シーン①大山高校・駅伝部寮の食堂/夜
颯希M「ここは大山高校・男子駅伝部寮の食堂」
簡素な長テーブルに、Tシャツ&短パン姿の駅伝部員十四名が姿勢よく座っている。
壁の時計は十九時。
颯希M「そして僕の中継所、だった。あの男が現れるまでは――」
部長の剣(三年)が、凛とした所作で手を合わせる。
剣「いただきます」
全員「いただきます!」
わっと食べ始める部員たち。
N「~本日の夕食メイン:揚げないチキン南蛮~」
それを厨房のカウンターからにこにこ覗く、緑野颯希(二年)。
颯希(どんどん食べて。お米と味噌汁はおかわり自由だし)
ぽわぽわ茶毛を三角巾に収め、おかわり対応用のおたまを持っている。部員と同じくTシャツ短パン姿で華奢だが、あまり日に焼けていない。
颯希(「栄養担当マネージャー」の僕が、腕によりをかけてつくったから!)
ミニさつきの解説M「スポーツの三本柱は、練習・栄養・休養だよ。栄養大事〜」
カウンターの横に、カレンダーがかかっている。
四月四日の欄に、花丸マークと「新入生入寮&初練習!」という文字が力強く書き込まれている。
颯希(――あの一年生)
がぶっ、と大きな口でチキンにかぶりつく、黒羽雪哉に目が吸い寄せられる。
颯希(いい食べっぷり~!)
雪哉はさらさら黒髪で、耳上を刈り上げてツーブロックにしており、整ったアイドルフェイス。
颯希(ついでに顔もいいな)
がぶっ、もぐもぐ、ごくん。
雪哉がおかずやごはんを口に運ぶ度に目を輝かせ、顔をとろけさせる颯希。
表情を変えず、一定のペースで食べ続ける雪哉。
颯希(新入生は、練習で疲れて食欲ないですってなりがちなのに。期待の新人だ!)
雪哉、最後の一口をごくんと飲み込む。
雪哉「あー、不味」
ぼそりと言う。
颯希(……さっきのなし)
呑気に期待した羞恥も相まって、顔に血が上る。
颯希「黒羽、今なんつったァ!?」
厨房を飛び出し、おたまを突きつける。
他の部員が固まる中、完食したトレイを下げるため立ち上がる雪哉。
169センチの颯希は178センチの雪哉に見下ろされる恰好になり、歳上なのに威圧感を感じてしまう。
雪哉「不味いって言いました」
颯希「どこがどう!」
雪哉「栄養バランス気にし過ぎて、味が犠牲になってます。特にマヨ抜きタルタルソースが微妙。ささみの食感もよくないし」
無表情で、冷静に指摘する。
颯希「み、みんなはそんなこと一言も言わなかったし、残さなかった。だから新入生の入寮一食目は、好評の勝負飯食べさせてあげようって……」
部員たち、苦笑いで目を逸らす。
雪哉の指摘に思い当たるところがある様子。
剣「颯希が毎日僕たちのためを考えてごはんつくってくれてるのは、よくわかってるよ」
おかずを口に運び、執り成してくれる。
知的な短髪と眼鏡、柔和な口調で説得力がある。
颯希「部長ぉ」
感極まる。
他の部員も「そうそう!」とばかりに、残りのおかずを頬張ってみせる。
颯希(でもそれ、遠回しに「美味しくはない」って言ってるも同然じゃないですか。誰もおかわりしてくれないし)
肩を落とし、よたよたテーブルの端の席に着く。
一セットだけ手つかずの夕食を食べ始める。
チキンをもちゃ、と齧り、表情がさらに曇る。
颯希「そう言われると、美味しくはないかも」
小声で敗北を認める。
トレイの横の、表紙に「レシピ研究」と書かれたノートを撫でる。
颯希(僕、気を遣われてたのか? 何のためにこの半年間……)
雪哉「つくるだけつくって、食べてなかったんですか」
颯希の自省を遮る形で、食堂を去り際に声を掛けてくる。学生がつくってたんだ、という顔。
颯希「僕はマネだ。選手優先が当たり前だろ」
雪哉「はあ」
思うところある様子で颯希を眺める。だが何も言わず去っていく。
その背中をじっと見つめる颯希。
颯希(あきらめない。絶対、あの塩対応新人に『美味いです先輩、おかわりください』って言わせてやる)
シーン②大山高校/朝
N「三日後」
厨房のカレンダーの四月七日の欄に、「入学式」の文字。
高校はその名のとおり自然に囲まれ、敷地も広大。
桜並木の下、ブレザーの胸に花をつけた新入生が体育館に入っていく。
雪哉、早速女子に「名前教えて」「中学どこ?」「スタイルいいね」とちやほやされている。寮での無表情が嘘のように、笑顔でファンサを返す。
中原「おーおー。アイドルみたいだなあ、黒羽」
颯希「口開いたら性格最悪ってすぐばれるぞ」
その様子を、三階建て校舎の二階の窓から眺める、颯希と中原(二年)。
颯希は頬杖を突き、不満げ。
颯希(表情筋生きてるじゃんかよ)
中原はすっきりした坊主にひょろりとした体型で、颯希と前後の席に座っている。
中原「『不味い』ってはっきり言うの、まだ駅伝部のやつらしか知らないもんなあ」
颯希「不味い……」
エコーつきで聞こえ、ジャブのようにダメージを受ける。
中原「あっ、ごめん」
颯希「おまえに悪気とデリカシーがないのはわかってるよ。一年間寮で共同生活した仲だ」
中原「ごめんって」
憎めない笑顔で切り抜ける。
中原「とはいえ、全国中学駅伝で区間記録出したエースで、期待の新人ではあるよな」
颯希「ふん。各中学のエースが集まるうちの練習に、ついてこれるか? 何たって!」
体育館の壁に吊るされた垂れ幕を得意げに指差す。「全国高校駅伝 十九年連続出場」の文字。
颯希「今年の冬は二十年連続出場がかかってる」
中原「いや、知らんで入部するやついないだろう」
颯希(……いたんだよな、ここに)
突っ込んでくる中原に、苦笑する。
昨年の入寮日、緊張しつつも昂揚した表情で整列する颯希と、驚き顔の部長がフラッシュバックする。
教師「はい、二年のおまえらは通常授業なー」
教室に男性教師が入ってきて、前に向き直る。
颯希(放課後の練習が楽しみだ。入学式をもって上級生と同じメニューになるからな。「助けてください」って縋ってくるかも)
再度、女子に愛想を振りまく雪哉を見下ろし、ふふんと鼻息を吐く。
シーン③大山高校外周~寮/放課後
颯希「……って」
高校の敷地の外周。
ウォータージャグなどを置いた一角で、ジャージ姿の女子マネージャーが声を上げる。
女子マネ「あと五周です!」
同じくジャージ姿で、ストップウォッチとノートを握り締める颯希。
ストップウォッチは斜めがけしている。
その前をザッザッと走り抜けていく駅伝部の一団。
N「外周走」
雪哉、先頭の部長のすぐ後ろを走っている。
颯希「けろっとメニューこなしてやがる――!」
予想が外れて悔しさを浮かべる。
マネの仕事がてら雪哉の走りを観察する。
颯希(いっちょ前にサングラスかけて。でも、ペース一定だ)
ラップタイムを記入する。
周りを気にせず、自分の走りに集中している雪哉。
その短パンから覗くしなやかな脚や、引き締まった臀部、体幹にくぎづけになる。
颯希(高校生になったばっかなのに、もう「走る身体」の基礎ができてる)
監督「ふむ。今年の一年は有望だな」
傍らで感心する様子。三十代の駅伝部OBで、普段はめったに褒めない。
颯希(いいなあ……)
うらやましがりかけ、はっと首を横に振る。
颯希(僕だって!)
颯希「このあとの水分補給とクールダウン補助、よろしくお願いします」
一~三年ひとりずつの女子マネに声を掛ける。
「うん」「はい」と連携の取れた反応。
颯希M「『栄養担当』の僕の本領発揮は、ここからだ」
一人、二階建ての駅伝部寮へ移動する。
高校から徒歩五分の距離で、背後に校舎が見える。
一階の厨房に入り、レシピ研究ノートを取り出す。付箋びっしりで使い込まれている。
颯希(一回のダメ出しでめげたりしない)
手を洗い、三角巾とエプロンを身に着ける。
手際よく、LLサイズの調理器具を並べていく。
調理スタッフのおばちゃん数名が、「お疲れさま、今日も可愛いわね」と厨房に入ってくる。
颯希(僕も厨房ではアイドルなんだよな。……それで美味くできてるって勘違いしちゃった)
苦笑いするも、時計を見て切り替える。
颯希「では。今日もよろしくお願いします」
頭を下げ、調理を始める。
颯希M「練習終了一時間半前に始まる、僕のタイムトライアル」
豚バラ肉にヨーグルトを塗り、冷蔵庫に入れる。
ミニさつきの解説M「肉がやわらかくなるよ!」
颯希M「選手の頑張りが、『走る身体』につながるように」
玉ねぎ、じゃがいも、にんじん、パプリカを切る。
颯希M「疲労回復と、明日の練習のためのエネルギー補給もできるように」
材料とスパイスを炒める。
颯希M「寮生活ならではのサポートだ」
大鍋の前で、キノコのボウルを抱えて考え込む。
颯希(この半年間やってきたことに固執したって、しょうがない。カレーに入れるのは半分にして、副菜に回そう)
思いきって切り替える。
カレーを煮込む間に、副菜の調理も進める。
ひと段落つき、おそるおそる味見してみる。
颯希「! きのこに負けてたボークの味が、ちゃんとする」
颯希(癪だけど、味付けに改良の余地があったのは確かだな)
時計は十八時五十分。
中原「腹減ったぁ……」
練習を終えた部員が、食堂にやってくる。
颯希、カウンター越しに、部員ひとりひとりにトレイを手渡しする。
颯希「はい!」
両手で、まるで駅伝の襷をつなぐような動作。
雪哉、無表情で受け取る。他の一年生はへろへろ。
一同、長テーブルにつく。
剣「いただきます」
N「~本日の夕食メイン:改良版ポークカレー~」
颯希、カウンターから切実な視線を送る。
部員たち、ポークの旨味を味わっている。
ほっとする颯希。
雪哉「……」
雪哉はポーカーフェイスで食べ続ける。
悔しいほどいい食べっぷり。
しっかり咀嚼し、副菜や果物まできっちり平らげ、空き皿をカウンターに持ってくる。
颯希(美味いですって言え)
颯希、窺うように見上げる。
何も言わずにトレイを渡す雪哉。
颯希(まだまだ、あきらめない!)
シーン④駅伝部寮/別日
寮の厨房にて、味付けを改良する日々。
颯希「うわっ、味濃すぎた!」
二日目、汁物の鍋に慌てて水を追加する。
颯希「追いバターしたら美味しくなるのは、僕もわかってる。でも美味しさはカロリーでできてて……」
三日目、フライパンの前で逡巡する。
颯希「副菜のカロリー減らしてプラマイゼロにできるか?」
レシピ研究ノートとにらめっこする。
四日目、カウンター越しにみんなの表情を観察する。
颯希(美味しくなってる?)
箸を口に運ぶ雪哉。ふうん、という顔になる。
七日目。
颯希(チキン南蛮のリベンジだ。チキンは皮取ったむね肉にした。タルタルには薄切りアーモンド混ぜて、パリッと食感を楽しめるようにしたつもりだけど)
カウンターから、もはや怨念じみた視線を送る。
ちょっと食べにくそうな部員たち。
雪哉、チキンをひと口噛むとパリッと音がして、お、という顔になる。
その後はマイペースに完食する。
空の皿越しに颯希と相対する。さらりと、
雪哉「先週のよりは美味いです」
颯希(! 「美味い」って、言った)
目標には足りないが「美味い」を引き出し、たちまち顔がほころぶ。
颯希「だろう。どんどん食え~」
胸を張る。
雪哉がふっと鼻で笑ったのも気づかない。
シーン⑤寮の廊下~部屋/同日夜
颯希、片づけを終え、るんるんと厨房を出る。
剣「颯希、ちょっといいかな?」
颯希「はい。メニューのリクエストですか?」
部長に呼び止められ、びしりと姿勢を正す。
剣「では、ないんだけど。黒羽のことで」
剣、少し困り眉になる。
颯希(あいつ。はじめて一年生らしい面出したと思ったら。僕の憧れの人を困らせるな)
雪哉への反感を抱えつつ、176センチの部長を見上げる。
剣「今、一人部屋だよね」
颯希「はい」
剣「今夜から黒羽と同室になってあげてほしい」
颯希「えっ? もう部屋割り替えるんですか」
目を丸くする。
廊下の先、着替えを手に風呂へ向かう部員二人連れ。
颯希M「寮は二人部屋。部屋替えは年二回、だけど?」
剣「ルール違反が多くて、同室の子が手を焼いてね。僕もずっと注意だけで済ますわけにいかない」
ミニさつきの解説M「うちは強豪の割に髪型自由だったり、自主性が尊重されてるよ!」
颯希(それをはき違えてるのか)
剣「颯希になら見張りと指導をお願いできるかなと」
颯希「!」
颯希、息を呑む。
寮のベッドで「できることがない。もうここにいられない」と声を殺して泣く、過去の自分が頭をよぎる。
颯希「任せてください」
力強く請け合い、自室へ向かう。
角を曲がってすぐ、厨房にいちばん近い102号室。
「緑野颯希」の下に「黒羽雪哉」のプレートが追加されている。
颯希(もう来てる)
扉を開ける。ハンガーラックつきベッド、棚つき机、ミニクローゼットの左右対称配置。扉の反対側に窓がひとつ。
雪哉、少ない私物を仕舞っている。Tシャツに、外着にもなるスウェットパンツ姿。練習中下ろしている髪を括り、刈り上げとピアスも見える。
颯希(挨拶なしかよ)
雪哉、顔も向けてこない。
颯希「黒羽」
雪哉の前に回り込む。
颯希「僕と同室になったからには、こっそり間食もスマホもお洒落も外出も、一切できないからな」
きっぱりと告げる。
颯希「うちは、遊びながら全国高校駅伝メンバーに選ばれるほど甘くないよ」
雪哉、「全国」の単語のタイミングで顔を上げる。
雪哉「あんたのつくる飯がいまいち美味くないの、そういう味気ない生活してるからじゃないですか」
颯希「は?」
予想外の方向から切り返され戸惑う。
颯希(いきなり何言い出すんだ。しかも「あんた」呼ばわり)
雪哉「恋、してないでしょ」
颯希「鯉、は捌いたことないな」
雪哉、一瞬面食らった表情をするも、
雪哉「じゃなくて、恋愛の恋です。飯づくりも恋も、相手を思うものなのに」
冷静な口調で続ける。
颯希(そうなのか……?)
素直に考え込む。その隙に、
雪哉「じゃあ、オレは三番目の彼女とデートなので」
颯希の横をすり抜け、窓を開ける。手に靴。窓枠に長い脚をかけ、無駄にキメ顔でひらりと飛び越える。
颯希「三? はぁあ!?」
一拍遅れて、窓に取りつく。結構な高さで、右足甲を気にして飛び越えられない。
颯希(くそ、部長に頼まれたのに)
颯希「無断外出したら、明日の朝飯抜きだぞ!」
雪哉「別にいいです」
あっと言う間に走り去られ、夜闇に見失う。
颯希「あっの問題児……! 何が恋だぁ~!」
颯希の悔しがる声が、二人部屋に響く。
M→モノローグ、N→ナレーションです
颯希M「ここは大山高校・男子駅伝部寮の食堂」
簡素な長テーブルに、Tシャツ&短パン姿の駅伝部員十四名が姿勢よく座っている。
壁の時計は十九時。
颯希M「そして僕の中継所、だった。あの男が現れるまでは――」
部長の剣(三年)が、凛とした所作で手を合わせる。
剣「いただきます」
全員「いただきます!」
わっと食べ始める部員たち。
N「~本日の夕食メイン:揚げないチキン南蛮~」
それを厨房のカウンターからにこにこ覗く、緑野颯希(二年)。
颯希(どんどん食べて。お米と味噌汁はおかわり自由だし)
ぽわぽわ茶毛を三角巾に収め、おかわり対応用のおたまを持っている。部員と同じくTシャツ短パン姿で華奢だが、あまり日に焼けていない。
颯希(「栄養担当マネージャー」の僕が、腕によりをかけてつくったから!)
ミニさつきの解説M「スポーツの三本柱は、練習・栄養・休養だよ。栄養大事〜」
カウンターの横に、カレンダーがかかっている。
四月四日の欄に、花丸マークと「新入生入寮&初練習!」という文字が力強く書き込まれている。
颯希(――あの一年生)
がぶっ、と大きな口でチキンにかぶりつく、黒羽雪哉に目が吸い寄せられる。
颯希(いい食べっぷり~!)
雪哉はさらさら黒髪で、耳上を刈り上げてツーブロックにしており、整ったアイドルフェイス。
颯希(ついでに顔もいいな)
がぶっ、もぐもぐ、ごくん。
雪哉がおかずやごはんを口に運ぶ度に目を輝かせ、顔をとろけさせる颯希。
表情を変えず、一定のペースで食べ続ける雪哉。
颯希(新入生は、練習で疲れて食欲ないですってなりがちなのに。期待の新人だ!)
雪哉、最後の一口をごくんと飲み込む。
雪哉「あー、不味」
ぼそりと言う。
颯希(……さっきのなし)
呑気に期待した羞恥も相まって、顔に血が上る。
颯希「黒羽、今なんつったァ!?」
厨房を飛び出し、おたまを突きつける。
他の部員が固まる中、完食したトレイを下げるため立ち上がる雪哉。
169センチの颯希は178センチの雪哉に見下ろされる恰好になり、歳上なのに威圧感を感じてしまう。
雪哉「不味いって言いました」
颯希「どこがどう!」
雪哉「栄養バランス気にし過ぎて、味が犠牲になってます。特にマヨ抜きタルタルソースが微妙。ささみの食感もよくないし」
無表情で、冷静に指摘する。
颯希「み、みんなはそんなこと一言も言わなかったし、残さなかった。だから新入生の入寮一食目は、好評の勝負飯食べさせてあげようって……」
部員たち、苦笑いで目を逸らす。
雪哉の指摘に思い当たるところがある様子。
剣「颯希が毎日僕たちのためを考えてごはんつくってくれてるのは、よくわかってるよ」
おかずを口に運び、執り成してくれる。
知的な短髪と眼鏡、柔和な口調で説得力がある。
颯希「部長ぉ」
感極まる。
他の部員も「そうそう!」とばかりに、残りのおかずを頬張ってみせる。
颯希(でもそれ、遠回しに「美味しくはない」って言ってるも同然じゃないですか。誰もおかわりしてくれないし)
肩を落とし、よたよたテーブルの端の席に着く。
一セットだけ手つかずの夕食を食べ始める。
チキンをもちゃ、と齧り、表情がさらに曇る。
颯希「そう言われると、美味しくはないかも」
小声で敗北を認める。
トレイの横の、表紙に「レシピ研究」と書かれたノートを撫でる。
颯希(僕、気を遣われてたのか? 何のためにこの半年間……)
雪哉「つくるだけつくって、食べてなかったんですか」
颯希の自省を遮る形で、食堂を去り際に声を掛けてくる。学生がつくってたんだ、という顔。
颯希「僕はマネだ。選手優先が当たり前だろ」
雪哉「はあ」
思うところある様子で颯希を眺める。だが何も言わず去っていく。
その背中をじっと見つめる颯希。
颯希(あきらめない。絶対、あの塩対応新人に『美味いです先輩、おかわりください』って言わせてやる)
シーン②大山高校/朝
N「三日後」
厨房のカレンダーの四月七日の欄に、「入学式」の文字。
高校はその名のとおり自然に囲まれ、敷地も広大。
桜並木の下、ブレザーの胸に花をつけた新入生が体育館に入っていく。
雪哉、早速女子に「名前教えて」「中学どこ?」「スタイルいいね」とちやほやされている。寮での無表情が嘘のように、笑顔でファンサを返す。
中原「おーおー。アイドルみたいだなあ、黒羽」
颯希「口開いたら性格最悪ってすぐばれるぞ」
その様子を、三階建て校舎の二階の窓から眺める、颯希と中原(二年)。
颯希は頬杖を突き、不満げ。
颯希(表情筋生きてるじゃんかよ)
中原はすっきりした坊主にひょろりとした体型で、颯希と前後の席に座っている。
中原「『不味い』ってはっきり言うの、まだ駅伝部のやつらしか知らないもんなあ」
颯希「不味い……」
エコーつきで聞こえ、ジャブのようにダメージを受ける。
中原「あっ、ごめん」
颯希「おまえに悪気とデリカシーがないのはわかってるよ。一年間寮で共同生活した仲だ」
中原「ごめんって」
憎めない笑顔で切り抜ける。
中原「とはいえ、全国中学駅伝で区間記録出したエースで、期待の新人ではあるよな」
颯希「ふん。各中学のエースが集まるうちの練習に、ついてこれるか? 何たって!」
体育館の壁に吊るされた垂れ幕を得意げに指差す。「全国高校駅伝 十九年連続出場」の文字。
颯希「今年の冬は二十年連続出場がかかってる」
中原「いや、知らんで入部するやついないだろう」
颯希(……いたんだよな、ここに)
突っ込んでくる中原に、苦笑する。
昨年の入寮日、緊張しつつも昂揚した表情で整列する颯希と、驚き顔の部長がフラッシュバックする。
教師「はい、二年のおまえらは通常授業なー」
教室に男性教師が入ってきて、前に向き直る。
颯希(放課後の練習が楽しみだ。入学式をもって上級生と同じメニューになるからな。「助けてください」って縋ってくるかも)
再度、女子に愛想を振りまく雪哉を見下ろし、ふふんと鼻息を吐く。
シーン③大山高校外周~寮/放課後
颯希「……って」
高校の敷地の外周。
ウォータージャグなどを置いた一角で、ジャージ姿の女子マネージャーが声を上げる。
女子マネ「あと五周です!」
同じくジャージ姿で、ストップウォッチとノートを握り締める颯希。
ストップウォッチは斜めがけしている。
その前をザッザッと走り抜けていく駅伝部の一団。
N「外周走」
雪哉、先頭の部長のすぐ後ろを走っている。
颯希「けろっとメニューこなしてやがる――!」
予想が外れて悔しさを浮かべる。
マネの仕事がてら雪哉の走りを観察する。
颯希(いっちょ前にサングラスかけて。でも、ペース一定だ)
ラップタイムを記入する。
周りを気にせず、自分の走りに集中している雪哉。
その短パンから覗くしなやかな脚や、引き締まった臀部、体幹にくぎづけになる。
颯希(高校生になったばっかなのに、もう「走る身体」の基礎ができてる)
監督「ふむ。今年の一年は有望だな」
傍らで感心する様子。三十代の駅伝部OBで、普段はめったに褒めない。
颯希(いいなあ……)
うらやましがりかけ、はっと首を横に振る。
颯希(僕だって!)
颯希「このあとの水分補給とクールダウン補助、よろしくお願いします」
一~三年ひとりずつの女子マネに声を掛ける。
「うん」「はい」と連携の取れた反応。
颯希M「『栄養担当』の僕の本領発揮は、ここからだ」
一人、二階建ての駅伝部寮へ移動する。
高校から徒歩五分の距離で、背後に校舎が見える。
一階の厨房に入り、レシピ研究ノートを取り出す。付箋びっしりで使い込まれている。
颯希(一回のダメ出しでめげたりしない)
手を洗い、三角巾とエプロンを身に着ける。
手際よく、LLサイズの調理器具を並べていく。
調理スタッフのおばちゃん数名が、「お疲れさま、今日も可愛いわね」と厨房に入ってくる。
颯希(僕も厨房ではアイドルなんだよな。……それで美味くできてるって勘違いしちゃった)
苦笑いするも、時計を見て切り替える。
颯希「では。今日もよろしくお願いします」
頭を下げ、調理を始める。
颯希M「練習終了一時間半前に始まる、僕のタイムトライアル」
豚バラ肉にヨーグルトを塗り、冷蔵庫に入れる。
ミニさつきの解説M「肉がやわらかくなるよ!」
颯希M「選手の頑張りが、『走る身体』につながるように」
玉ねぎ、じゃがいも、にんじん、パプリカを切る。
颯希M「疲労回復と、明日の練習のためのエネルギー補給もできるように」
材料とスパイスを炒める。
颯希M「寮生活ならではのサポートだ」
大鍋の前で、キノコのボウルを抱えて考え込む。
颯希(この半年間やってきたことに固執したって、しょうがない。カレーに入れるのは半分にして、副菜に回そう)
思いきって切り替える。
カレーを煮込む間に、副菜の調理も進める。
ひと段落つき、おそるおそる味見してみる。
颯希「! きのこに負けてたボークの味が、ちゃんとする」
颯希(癪だけど、味付けに改良の余地があったのは確かだな)
時計は十八時五十分。
中原「腹減ったぁ……」
練習を終えた部員が、食堂にやってくる。
颯希、カウンター越しに、部員ひとりひとりにトレイを手渡しする。
颯希「はい!」
両手で、まるで駅伝の襷をつなぐような動作。
雪哉、無表情で受け取る。他の一年生はへろへろ。
一同、長テーブルにつく。
剣「いただきます」
N「~本日の夕食メイン:改良版ポークカレー~」
颯希、カウンターから切実な視線を送る。
部員たち、ポークの旨味を味わっている。
ほっとする颯希。
雪哉「……」
雪哉はポーカーフェイスで食べ続ける。
悔しいほどいい食べっぷり。
しっかり咀嚼し、副菜や果物まできっちり平らげ、空き皿をカウンターに持ってくる。
颯希(美味いですって言え)
颯希、窺うように見上げる。
何も言わずにトレイを渡す雪哉。
颯希(まだまだ、あきらめない!)
シーン④駅伝部寮/別日
寮の厨房にて、味付けを改良する日々。
颯希「うわっ、味濃すぎた!」
二日目、汁物の鍋に慌てて水を追加する。
颯希「追いバターしたら美味しくなるのは、僕もわかってる。でも美味しさはカロリーでできてて……」
三日目、フライパンの前で逡巡する。
颯希「副菜のカロリー減らしてプラマイゼロにできるか?」
レシピ研究ノートとにらめっこする。
四日目、カウンター越しにみんなの表情を観察する。
颯希(美味しくなってる?)
箸を口に運ぶ雪哉。ふうん、という顔になる。
七日目。
颯希(チキン南蛮のリベンジだ。チキンは皮取ったむね肉にした。タルタルには薄切りアーモンド混ぜて、パリッと食感を楽しめるようにしたつもりだけど)
カウンターから、もはや怨念じみた視線を送る。
ちょっと食べにくそうな部員たち。
雪哉、チキンをひと口噛むとパリッと音がして、お、という顔になる。
その後はマイペースに完食する。
空の皿越しに颯希と相対する。さらりと、
雪哉「先週のよりは美味いです」
颯希(! 「美味い」って、言った)
目標には足りないが「美味い」を引き出し、たちまち顔がほころぶ。
颯希「だろう。どんどん食え~」
胸を張る。
雪哉がふっと鼻で笑ったのも気づかない。
シーン⑤寮の廊下~部屋/同日夜
颯希、片づけを終え、るんるんと厨房を出る。
剣「颯希、ちょっといいかな?」
颯希「はい。メニューのリクエストですか?」
部長に呼び止められ、びしりと姿勢を正す。
剣「では、ないんだけど。黒羽のことで」
剣、少し困り眉になる。
颯希(あいつ。はじめて一年生らしい面出したと思ったら。僕の憧れの人を困らせるな)
雪哉への反感を抱えつつ、176センチの部長を見上げる。
剣「今、一人部屋だよね」
颯希「はい」
剣「今夜から黒羽と同室になってあげてほしい」
颯希「えっ? もう部屋割り替えるんですか」
目を丸くする。
廊下の先、着替えを手に風呂へ向かう部員二人連れ。
颯希M「寮は二人部屋。部屋替えは年二回、だけど?」
剣「ルール違反が多くて、同室の子が手を焼いてね。僕もずっと注意だけで済ますわけにいかない」
ミニさつきの解説M「うちは強豪の割に髪型自由だったり、自主性が尊重されてるよ!」
颯希(それをはき違えてるのか)
剣「颯希になら見張りと指導をお願いできるかなと」
颯希「!」
颯希、息を呑む。
寮のベッドで「できることがない。もうここにいられない」と声を殺して泣く、過去の自分が頭をよぎる。
颯希「任せてください」
力強く請け合い、自室へ向かう。
角を曲がってすぐ、厨房にいちばん近い102号室。
「緑野颯希」の下に「黒羽雪哉」のプレートが追加されている。
颯希(もう来てる)
扉を開ける。ハンガーラックつきベッド、棚つき机、ミニクローゼットの左右対称配置。扉の反対側に窓がひとつ。
雪哉、少ない私物を仕舞っている。Tシャツに、外着にもなるスウェットパンツ姿。練習中下ろしている髪を括り、刈り上げとピアスも見える。
颯希(挨拶なしかよ)
雪哉、顔も向けてこない。
颯希「黒羽」
雪哉の前に回り込む。
颯希「僕と同室になったからには、こっそり間食もスマホもお洒落も外出も、一切できないからな」
きっぱりと告げる。
颯希「うちは、遊びながら全国高校駅伝メンバーに選ばれるほど甘くないよ」
雪哉、「全国」の単語のタイミングで顔を上げる。
雪哉「あんたのつくる飯がいまいち美味くないの、そういう味気ない生活してるからじゃないですか」
颯希「は?」
予想外の方向から切り返され戸惑う。
颯希(いきなり何言い出すんだ。しかも「あんた」呼ばわり)
雪哉「恋、してないでしょ」
颯希「鯉、は捌いたことないな」
雪哉、一瞬面食らった表情をするも、
雪哉「じゃなくて、恋愛の恋です。飯づくりも恋も、相手を思うものなのに」
冷静な口調で続ける。
颯希(そうなのか……?)
素直に考え込む。その隙に、
雪哉「じゃあ、オレは三番目の彼女とデートなので」
颯希の横をすり抜け、窓を開ける。手に靴。窓枠に長い脚をかけ、無駄にキメ顔でひらりと飛び越える。
颯希「三? はぁあ!?」
一拍遅れて、窓に取りつく。結構な高さで、右足甲を気にして飛び越えられない。
颯希(くそ、部長に頼まれたのに)
颯希「無断外出したら、明日の朝飯抜きだぞ!」
雪哉「別にいいです」
あっと言う間に走り去られ、夜闇に見失う。
颯希「あっの問題児……! 何が恋だぁ~!」
颯希の悔しがる声が、二人部屋に響く。
M→モノローグ、N→ナレーションです


