〈4.〉
エレファントバーガー三郷駅前店は今日も賑わっている。三郷第一高生の憩いの場。勿論、ときには他校の人間かやってくることもあるけれど──。
「今日はあの東陽山生来てないんだな」
ハンバーガーを両手に持った相馬は、城ヶ峰の定位置である席をひょいと覗き込んで言った。
普段ならこの曜日、この時間帯には必ずと言っていいほど城ヶ峰は店にいる。ちょうど部活の練習が休みのときと重なっているので、だから毎週のように顔を合わせることができるのだ。
しかし、今日はいつもの定位置にも、ほかの席にもあの目立つ男の姿は見えない。
「城ヶ峰さんなら、用事があって来れないって言ってたよ」
先週、城ヶ峰と会ったときにそう聞いた。答えたあと、仁木は相馬が食べているのと同じハンバーガーへとかじりついた。
城ヶ峰に会えるのは週に一度。このエレファントバーガーでの逢瀬だけが城ヶ峰との接点だから、ふつうなら次に会えるのは一週間後になる。寂しさや待ち遠しい気持ちがまったくないかと言えば嘘になるだろう。
ふたりでハンバーガーを食べ進めていると、相馬が「てかさ、東陽山生といえば」と切り出した。
「新谷さんが東陽山生と付き合ってるって知ってた?」
ふたりと同じクラスの女子生徒の名前を出して言う。華のある彼女の顔を思い出しながら、
「え? 俺はバスケ部の先輩に告白されて付き合ってるって聞いたけど」
「その人とは夏休みに別れたらしい」
おひれはひれのついた噂話ではなく、本人から直接聞いた話だから間違いないと相馬は言う。
誰と別れたとか、誰と付き合ってるとか、そういうことはプライベートな事情に関わるのであまり吹聴したくないと思う人も多いだろう。しかし、聞けば彼女の場合はどうも自らすすんでその話を触れ回っているようだった。
「舞い上がってるっていうか……相手が有名な東陽山生だってことで、まわりに惚気たいんじゃね? たぶん。年上の二年生でイケメンなんだと」
相馬が言い終わった瞬間、頷くことも相槌を打つこともできずに仁木は固まった。
東陽山生。二年生。イケメン。まさか、という思いが過る。
他校生との出会いの場は限られる。三郷第一と東陽山は距離が離れているし、学校間の交流もない。だから付き合う以前にどうやって知り合うかが問題になるが──ひとり、東陽山生で三郷第一高校の近くへよくやって来る人物がいる。彼なら三郷第一高校の生徒と知り合い、交友を深めていたとしても不思議はない。ほかでもない仁木がそうだからだ。
エレファントバーガーに通ううちに、城ヶ峰が仁木以外に誰か親しい相手を作っていたとしても、驚くには値しない。その相手がクラスメイトの女子生徒だったとしても。
──今日は用事があって来ることができないと言っていたけど、その用事とは何だったんだろう。恋人とのデートだったんじゃないか?
「おーい、早く食わないとポテト冷めるぞー」
「……あ、あぁ、うん」
黙り込んで考えに耽っていると、相馬はそう言ってフライドポテトを指した。一本手に取ってみるとまだほんのりと温かい。それを口に運ぼうとしたとき、遠くから「仁木くーん」と呼ぶ声が聞こえた。
見れば、トレーを持った二人の女子生徒がテーブルに近づいてくるところだった。三郷第一高校の制服を着て、肩にはスポーツブランドのロゴが入ったラケットバッグ。二人ともバドミントン部の二年生で、仁木にとっては先輩にあたる。
「先輩、お疲れ様です」
「練習お疲れ様です」
相馬とふたりで椅子から立ち上がる。
一年生は今日は部活が休みだったが、二年生と三年生は練習があったと聞いている。部活を終えて息抜きをしに来たのだろう先輩たちへと頭を下げる。
部活が同じというだけで、学年も違うし、交流はほぼない。彼女達にしたってたまたま見かけたからちょっと声をかけただけだろうと思っていた。すぐに立ち去り、どこか別のところに座る場所を見つけるだろうと。
ところが、ふたりは仁木達のいるテーブルのそばに留まった。どうしたのだろうかと思っていると、
「あのさ、東陽山の人と仲いいって聞いたんだけど……」
と、言った。もうひとりの女子生徒もそのあとに続き口を開く。
「ここでよく仁木くんがその人と話してるって一年の子が言ってて」
「あー東陽山の激メロ男ですか? 今噂の」
「あ、相馬くんも知ってる? 今日は来てないのかなー」
「残念ながら今日はいないみたいっすね」
相馬と先輩のやり取りを聞きながら、そういえば少し前にも似たようなことがあったと思い出す。前回は隣のクラスの女子。今度は先輩。城ヶ峰のことが噂になっているという話は本当だったのだ。
駅前のエレファントバーガーに現れる謎の東陽山生の噂は、当初一年生の間で広がっていたが、そこだけには留まらずいつのまにか学校中に広まりつつあるようだった。
前回は城ヶ峰に関するいくつかの質問に答えるだけで済んだが、今日は話はそれだけでは終わらなかった。ふたりの女子生徒はいつまでも立ち去らずに話し続け、やがてそのうちのひとりが「お願いがあるんだけど」と切り出した。
「その人に頼んで、誰か東陽山生紹介してもらえないかな?」
「いや、それは……」
紹介してほしいというのがどういう意味か、仁木にだってわかる。ただ新しい友達を作りたくて言っているのではない。要するに、付き合うことを前提とした恋人候補を紹介してほしいのだ。
なんとか断ろうとした仁木だったが、半ば押し切られるようにして了承せざるをえなくなった。先輩相手ではあまり強くは出られない。
気は進まないけれど、城ヶ峰にまた今度相談しなければ。
新谷の恋人の話もまだ頭の中でくすぶっている。ここにきて気が重くなるような出来事が重なり、小さく仁木はため息をこぼした。
「来週の土曜は、何か予定あるのか」
階段を下りていきながら、ふいに城ヶ峰は振り返った。片手は制服のポケットに入れ、もう一方の手は肩にかけた通学鞄のショルダーストラップを握っている。
真剣な顔。真剣な目。真剣な声。
なんだかいつもとは違う城ヶ峰の様子に、つられて仁木も表情を引き締める。
少し前まで相馬も一緒にいたのだが、仁木は勉強のためにもう少し残ると言い、相馬のほうは一足先に店を後にした。
一時間後、同じく勉強をしていた城ヶ峰が仁木のほうへやって来て、しばらく話をしたあとふたりで帰ることになったのだ。
先輩からの例の頼まれごとについても、新谷のことについても、どちらもまだ切り出せていない。タイミングを窺っているうちにいつのまにか店を出る時間になってしまっていた。そんな折、突然城ヶ峰の方から質問を投げかけられた仁木は瞬いた。
「……予定、ですか?」
一階に降り立ち、自動ドアをふたりでくぐりぬける。
唐突な質問に面食らいながら仁木が尋ね返すと、城ヶ峰は店先で立ち止まって「部活はないのか?」と口を開いた。
「部活の練習が土日にも入ることがあるって言ってただろ」
「あぁ、それは大会の前くらいで、今は普段通りの練習だけです。うちの場合はですけど。強豪校になるとまたちょっと違うかもしれないです」
「ほかの予定は? 友達と遊びにいくとか、家族と出かけるとか」
「来週の土曜は何もなかったと思います」
仁木がそう答えたとき、背後で自動ドアが開く音がした。数人のグループ客が一気にドアから出てくると、避けようとして仁木は身体を捻った。
「……っ」
避けようとしたときの体勢が悪かったのか、その拍子に足元の段差を踏み外しそうになり、仁木の身体は宙に投げ出された。
このままでは地面に倒れる──と、思ったそのとき、隣から伸ばされた腕が抱き留めた。
「あ、ありがとうございます。すみません」
城ヶ峰の腕から抜け出しながら小さな声で言う。こんなに城ヶ峰との距離が近づいたのは、いつかに壁際まで追い詰められた日以来だ。
東陽山のエンブレムが輝く灰色のブレザーに触れ、そっと身体を離す。まっすぐに立って仁木が顔を上げると、城ヶ峰もまた見下ろしまっすぐ視線を合わせた。
「……仁木の予定が空いてるなら、よかったら土曜に一緒に出かけないか?」
エレファントバーガーから出ていく客を横目に、邪魔にならないように端に寄りながら言う。
「行きたいところとか、やりたいこととかあれば教えてほしい」
行きたいところ。やりたいこと。城ヶ峰の言葉を頭の中で繰り返しているうちに、あるひとつの考えが閃いた。
「あっ、それなら──」
エレファントバーガー三郷駅前店には、テラス席がある。
通りに面した店の南側。ウッドデッキの上に四人掛けのテーブル席が三席設けられている。
トレーを手に仁木はウッドデッキの上に上がると、目の前の紅葉した街路樹を見上げた。
テラス席には誰もいなかった。屋根があるとはいえ屋外にあるので、テラス席はどうしてもその日の天候の影響を受けやすいし、前の道は人の行き来がそこそこあるので落ち着かない。一階、二階と席数も多いので、わざわざ外のテラスで食べようという人はそういない。
十月に入り、少しずつ冬らしい気温に変わりつつあるが、陽射しはまだ柔らかい。せっかくなので今日は気分を変えて外で、と仁木が言うと、城ヶ峰は賛同してくれた。
「今日はよろしくお願いします。城ヶ峰さん」
テーブル席のひとつに腰掛けながら仁木は言った。トレーを端に寄せ、空いたところに勉強道具を広げる。教科書、ノート、ペンケース、電子辞書。
「──にしても、休日にやりたいことが勉強とはな」
「部活の練習が忙しくて、なかなか勉強の時間が取れなくてですね……」
「はいはい、言い訳だな。部活のせいだけじゃないだろ?」
「……そうですよ、言い訳ですよ。相馬とエレファントバーガーで飲み食いしてる間に、勉強すればいいとは思いますよ、俺だって」
開き直って答えると、テーブルを挟み反対側に腰を下ろした城ヶ峰は、からかうようににやりと笑ってみせた。
「ま、息抜きも大事だからな。──って言っても、そんなに成績は悪くないんじゃないか?」
「科目によります。苦手科目の順位が下がってきてるので、今日はその対策がしたいんです」
話しながらノートを開く。
ついに迎えた土曜日。天候にも恵まれて、絶好の行楽日和である。が、今日のふたりの目的はピクニックでもハイキングでもなく、ずばり勉強だった。
一週間前、城ヶ峰になにかやりたいことはないかと尋ねられ、仁木の頭にまず浮かんだのがそれだったのだ。部活だなんだと慌ただしく過ごすなかで、ついついおろそかになってしまう勉強。
苦手科目克服のために力を貸してほしい、と仁木は頼んだのだった。一年先輩の、それも有名進学校に通っている人に勉強を教えてもらえる機会などめったにない。貴重な機会だ。
「城ヶ峰さんの私服って初めて見ました。いつも制服だから、なんか……落ち着かない感じがしますね」
城ヶ峰の今日の服装を改めて見る。
黒色のゆったりとしたスウェットに、白のワイドパンツ。アクセサリーは手首のスマートウォッチだけ。髪型もいつもとは違い、普段はセンターパートにしている前髪を整髪料でかき上げるように固めている。
東陽山の制服を着込んでいるときよりもずっとカジュアルな印象を受けるが、それでもやっぱりどこか品のよさが漂っているように見える。
休日に会うのも初めてなら、私服姿を見るのも今日が初めてだ。
「確かにそうだな。学校帰りにしか会ってなかったから」
こんなに木漏れ日の下が似合う人もいないと思う。街路樹の木陰で頷く城ヶ峰に暫し見惚れそうになる。
「仁木が制服以外の服着てるとろこも、俺も初めて見た」
二階堂の視線を追って、仁木は自らの格好を見下ろした。柔らかな素材の無地のニットにチノパン。そんな風に注目されるとなんだかそわそわしてくる。
いやいや、今日は勉強しにきたんだろう。頭を振って余計な考えを追い払う。
「で、わからない科目は?」
「英語です」
「英語なら得意な方だから教えられると思う」
気を取り直して仁木は英語の教科書を開いた。反対側から城ヶ峰が覗き込む。
そうして、ふたりの勉強会が始まった。
正午過ぎ。昼食もかねて一度休憩を挟むことにし、テーブルの上に広げていた勉強道具一式はひとまず鞄の中へ仕舞い込んだ。食べ終わったらまた再開する予定である。
「城ヶ峰さんと同じ学校だったらな。それならもっとたくさん話せたのに」
注文したハンバーガーを半分ほど食べ進めたところで、仁木は予てから胸に抱いていた気持ちを呟いた。
自分が城ヶ峰と同じ灰色の制服を着ているところを想像してみる。意外と悪くないかもしれない。
学年は違っても、部活が違っても、同じ学校ならば。学校という同じ敷地の中にいる限り、廊下ですれ違ったり駐輪場で偶然会ったりすることがあるかもしれない。でも、学校が違えば──城ヶ峰が東陽山学園に通い、仁木が三郷第一高校に通っている限りそんなことは絶対にありえないのだ。
「──まぁ、そもそも東陽山は俺の頭じゃ受からないと思いますけど。ちょっと言ってみただけです」
ハンバーガーを持ち直し、笑いながらそう言って相手のほうを見ると、城ヶ峰は一瞬戸惑ったような表情を浮かべた。
大した話題ではないし、笑って「そうだな」と受け流されるだけだと思っていたのに。仁木もまた困惑して言葉を探しあぐねていると、ようやく城ヶ峰が口を開いた。
「……お前が俺と同じ学校だったら、見かけるたびに走って話しかけて来そうだな」
「そ、そんなことしませんよ」
「それに東陽山駅前のエレファントバーガーは、ここみたいに長居させてくれないらしいぞ」
「えっ、それは困りますね。でもお店に迷惑かけるわけにはいかないから……やっぱり三郷駅前店まで通って……」
そこで城ヶ峰はようやく笑った。そうしてからふいに真面目な顔になり、少しの間を空けて「あのさ」と言った。
「今度、お前に話しておきたいことがある。今日は勉強があるから、また次の機会に」
「あ、はい。わかりました」
やけに神妙な口調で言われ、居住まいを正しつつ仁木は了承した。話しておきたいこととは一体なんだろうか。
考えているうちに、ふと数日前の出来事を思い出す。そうだった、こちらもまた城ヶ峰に話さなければならないことがあったのだ。どうにも気が進まず、できるだけ後回しにしようとしているうちに忘れかけていたが、話さなければ。週明けにまた学校に行けば、あの件はどうなってるんだと詰め寄られるに違いない。
城ヶ峰さん、と仁木は思い切って身を乗り出して言った。
「何?」
「──実は部活の先輩から、東陽山の人を紹介してほしいって相談を受けていて……どうしてもって」
城ヶ峰とはそこまで親しい間柄というわけではないし、頼むのは難しいと話した。しかし、それでも相手は引き下がらずどうにか頼めないかと粘られてしまい、やむなく引き受けることになったのだった。
仁木がかいつまんで経緯を話すと、話を聞き終えた城ヶ峰は苦笑して首を振った。
「悪いけど紹介できそうな知り合いがいないから、ごめん」
「そうですか……」
来週になんと報告すればいいものか。想像するだけで胃のあたりが痛くなってくる。
うんうんと唸りながら考え込んでいると、「そんなに責任感じなくてもいいんじゃないか?」と城ヶ峰は言った。
「向こうはお前をダシにして東陽山生と出会おうとしたんだろ?」
「ダシにして、って……」
「うちは腐っても名門校だから。一応は」
どこか投げやりな口調になって城ヶ峰は言い、手許にあるストローの袋をぐしゃりと指で潰した。整った顔を伏せたままさらに強い力で圧し潰す。
仁木が頼まれたのは、城ヶ峰という東陽山生の知り合いがいるからだ。ふたりは「東陽山」にこだわっているように見えた。
頭がよくて、裕福で、お嬢様やお坊ちゃまが通う学校。そんなイメージが強い学校であることは間違いない。
──舞い上がってるっていうか……相手が有名な私立高校の東陽山生だってことで、まわりに惚気たいんだろ。
新しい恋人ができたクラスメイトについて、相馬もまたそんな風に言っていたことを思い出す。
「だからお前が東陽山生のお気に入りで、可愛がられてるって知れば、羨ましがるだろうな」
そう言ってなにか眩しいものを見るように目を細める城ヶ峰の顔を仁木はしばし呆然と眺めた。
自分のことを指して言っているのだと気づくのに、少々時間を要した。
──恋人がいるかもしれない人に、こんな風にときめいていいんだろうか。許されないんじゃないだろうか。
「城ヶ峰さんは、付き合ってる人っているんですか?」
先輩からの頼みごととは別に、もうひとつ城ヶ峰に聞いて確かめておきたいことがあった。
相馬から新谷という女子生徒の恋人について聞いてからというもの、その相手が城ヶ峰なのではないかという疑問が胸にくすぶり続けていた。城ヶ峰は彼女の恋人の特徴に当てはまる。
「付き合ってる人?」
「はい。休みの日はデートに行ったりすると思うので、その、今日みたいに時間を割いてもらうのは申し訳ないなと……思いまして……」
どんどん声が小さくなっていく。仁木は眉根を寄せ、食べかけのレタスとチーズがはみ出したハンバーガーを俯きがちに見下ろした。
自分がどうしてこんなにも城ヶ峰の恋人の有無を気にしているのか、本当はわかっている。休日に会ってもらうのが申し訳ないとか、そんな理由からではない。
城ヶ峰に惹かれていて、それも恋愛的な意味で惹かれていて、抱き締められたいとか、いつかにエレファントバーガーでカップルがしていたようなことや、それ以上のこともしたいと思っていて──。
だから、諦めるなら今の内にきっぱり諦めてしまいたい。恋人のいる相手を、それもヘテロセクシュアルの相手をずるずると想い続けていてもつらいだけだ。
「付き合ってる相手はいない」
城ヶ峰の返答に、顔を下向きに伏せたままほっと息を吐き出す。
まだ好きでいても大丈夫なのかもしれない。
城ヶ峰がどんな顔をしているのかは分からないけど、声色はいつも通りだった。プライベートに踏み込んだ質問だったので、嫌な気持ちにさせたかとひやひやしたけれど、ひとまずは安心していいだろう。
ほっとしたのも束の間、直後にその男は爆弾を落とした。
「本当は今日デートに誘ったつもりだったんだ」
結構勇気出して、とぽつりといつになく遠慮がちに言う低音が耳に届く。
デート。デート? 城ヶ峰は本気で言っているのか?
まったく想定していなかったその単語に思わず顔を上げる。仁木は激しく瞬きながら正面に座る男を見返した。城ヶ峰はいくらかきまり悪そうな笑みを浮かべて椅子の背凭れに身体を預けた。
「──デっ…………デ、デート?」
「そう」
「誰と?」
「お前と。やっぱり伝わってなかったか」
付き合ってる相手がいるかとか聞いてくるしと、おかしそうに笑う城ヶ峰の髪が、十月の爽やかな風に揺れている。セットされた前髪が風に吹かれて乱れて、城ヶ峰の額に垂れ落ちる。
つまりは、あの日城ヶ峰からデートに誘われていたのに、そんなことは夢にも思わず勉強を教えてほしいと答えてしまったのだ。ただ休日に友達を遊びに誘うように声を掛けられたのだと思い込んで。
──来週の土曜は、何か予定あるのか。
──仁木の予定が空いてるなら、よかったら土曜に一緒に出かけないか。
先週、帰り際に店先で言われた言葉を思い出す。
改めて思い返してみれば、「デート」という直接的な言葉こそ口にしなかったものの、ただの友達を誘おうとしているときよりも慎重な誘い方をしていたかもしれない。言われてみると、あのときの城ヶ峰の態度も普段とは少しだけ違っていたような──。
「デートのつもりだったのに、それがまさか勉強会になるとはな。しかもいつものエレファントバーガーで」
「──す、っすみません、俺気づかなくて……」
城ヶ峰といえばエレファントバーガーだ。城ヶ峰との出会いもエレファントバーガーだったし、それ以降も会うのは毎回エレファントバーガーだった。だから、エレファントバーガー以外で会うという発想がなかったのだ。
これでは普段と同じだ。なんら代わり映えのしない過ごし方である。デートだとわかっていたら、もっと別の場所で、別の過ごし方を提案したのに。おしゃれなカフェとか、人気のテーマパークとか、最近できたばかりの水族館とか。
──いや、いやいや、待てよ。そもそもの話、城ヶ峰さんは俺とデートがしたかったってことなのか。それってつまり──いや、でもやっぱり揶揄われてるだけかも──。
「俺の誘い方が分かりにくかったし、よくなかった。気にしないでくれ」
「でも……」
嬉しいやら、恥ずかしいやら、申し訳ないやら、様々な感情が入り乱れて何も言えずにいると、城ヶ峰は「それに」とまた口を開いた。
「それに、いつもの場所でふたりで勉強するのだって立派なデートだろ」
エレファントバーガー三郷駅前店は今日も賑わっている。三郷第一高生の憩いの場。勿論、ときには他校の人間かやってくることもあるけれど──。
「今日はあの東陽山生来てないんだな」
ハンバーガーを両手に持った相馬は、城ヶ峰の定位置である席をひょいと覗き込んで言った。
普段ならこの曜日、この時間帯には必ずと言っていいほど城ヶ峰は店にいる。ちょうど部活の練習が休みのときと重なっているので、だから毎週のように顔を合わせることができるのだ。
しかし、今日はいつもの定位置にも、ほかの席にもあの目立つ男の姿は見えない。
「城ヶ峰さんなら、用事があって来れないって言ってたよ」
先週、城ヶ峰と会ったときにそう聞いた。答えたあと、仁木は相馬が食べているのと同じハンバーガーへとかじりついた。
城ヶ峰に会えるのは週に一度。このエレファントバーガーでの逢瀬だけが城ヶ峰との接点だから、ふつうなら次に会えるのは一週間後になる。寂しさや待ち遠しい気持ちがまったくないかと言えば嘘になるだろう。
ふたりでハンバーガーを食べ進めていると、相馬が「てかさ、東陽山生といえば」と切り出した。
「新谷さんが東陽山生と付き合ってるって知ってた?」
ふたりと同じクラスの女子生徒の名前を出して言う。華のある彼女の顔を思い出しながら、
「え? 俺はバスケ部の先輩に告白されて付き合ってるって聞いたけど」
「その人とは夏休みに別れたらしい」
おひれはひれのついた噂話ではなく、本人から直接聞いた話だから間違いないと相馬は言う。
誰と別れたとか、誰と付き合ってるとか、そういうことはプライベートな事情に関わるのであまり吹聴したくないと思う人も多いだろう。しかし、聞けば彼女の場合はどうも自らすすんでその話を触れ回っているようだった。
「舞い上がってるっていうか……相手が有名な東陽山生だってことで、まわりに惚気たいんじゃね? たぶん。年上の二年生でイケメンなんだと」
相馬が言い終わった瞬間、頷くことも相槌を打つこともできずに仁木は固まった。
東陽山生。二年生。イケメン。まさか、という思いが過る。
他校生との出会いの場は限られる。三郷第一と東陽山は距離が離れているし、学校間の交流もない。だから付き合う以前にどうやって知り合うかが問題になるが──ひとり、東陽山生で三郷第一高校の近くへよくやって来る人物がいる。彼なら三郷第一高校の生徒と知り合い、交友を深めていたとしても不思議はない。ほかでもない仁木がそうだからだ。
エレファントバーガーに通ううちに、城ヶ峰が仁木以外に誰か親しい相手を作っていたとしても、驚くには値しない。その相手がクラスメイトの女子生徒だったとしても。
──今日は用事があって来ることができないと言っていたけど、その用事とは何だったんだろう。恋人とのデートだったんじゃないか?
「おーい、早く食わないとポテト冷めるぞー」
「……あ、あぁ、うん」
黙り込んで考えに耽っていると、相馬はそう言ってフライドポテトを指した。一本手に取ってみるとまだほんのりと温かい。それを口に運ぼうとしたとき、遠くから「仁木くーん」と呼ぶ声が聞こえた。
見れば、トレーを持った二人の女子生徒がテーブルに近づいてくるところだった。三郷第一高校の制服を着て、肩にはスポーツブランドのロゴが入ったラケットバッグ。二人ともバドミントン部の二年生で、仁木にとっては先輩にあたる。
「先輩、お疲れ様です」
「練習お疲れ様です」
相馬とふたりで椅子から立ち上がる。
一年生は今日は部活が休みだったが、二年生と三年生は練習があったと聞いている。部活を終えて息抜きをしに来たのだろう先輩たちへと頭を下げる。
部活が同じというだけで、学年も違うし、交流はほぼない。彼女達にしたってたまたま見かけたからちょっと声をかけただけだろうと思っていた。すぐに立ち去り、どこか別のところに座る場所を見つけるだろうと。
ところが、ふたりは仁木達のいるテーブルのそばに留まった。どうしたのだろうかと思っていると、
「あのさ、東陽山の人と仲いいって聞いたんだけど……」
と、言った。もうひとりの女子生徒もそのあとに続き口を開く。
「ここでよく仁木くんがその人と話してるって一年の子が言ってて」
「あー東陽山の激メロ男ですか? 今噂の」
「あ、相馬くんも知ってる? 今日は来てないのかなー」
「残念ながら今日はいないみたいっすね」
相馬と先輩のやり取りを聞きながら、そういえば少し前にも似たようなことがあったと思い出す。前回は隣のクラスの女子。今度は先輩。城ヶ峰のことが噂になっているという話は本当だったのだ。
駅前のエレファントバーガーに現れる謎の東陽山生の噂は、当初一年生の間で広がっていたが、そこだけには留まらずいつのまにか学校中に広まりつつあるようだった。
前回は城ヶ峰に関するいくつかの質問に答えるだけで済んだが、今日は話はそれだけでは終わらなかった。ふたりの女子生徒はいつまでも立ち去らずに話し続け、やがてそのうちのひとりが「お願いがあるんだけど」と切り出した。
「その人に頼んで、誰か東陽山生紹介してもらえないかな?」
「いや、それは……」
紹介してほしいというのがどういう意味か、仁木にだってわかる。ただ新しい友達を作りたくて言っているのではない。要するに、付き合うことを前提とした恋人候補を紹介してほしいのだ。
なんとか断ろうとした仁木だったが、半ば押し切られるようにして了承せざるをえなくなった。先輩相手ではあまり強くは出られない。
気は進まないけれど、城ヶ峰にまた今度相談しなければ。
新谷の恋人の話もまだ頭の中でくすぶっている。ここにきて気が重くなるような出来事が重なり、小さく仁木はため息をこぼした。
「来週の土曜は、何か予定あるのか」
階段を下りていきながら、ふいに城ヶ峰は振り返った。片手は制服のポケットに入れ、もう一方の手は肩にかけた通学鞄のショルダーストラップを握っている。
真剣な顔。真剣な目。真剣な声。
なんだかいつもとは違う城ヶ峰の様子に、つられて仁木も表情を引き締める。
少し前まで相馬も一緒にいたのだが、仁木は勉強のためにもう少し残ると言い、相馬のほうは一足先に店を後にした。
一時間後、同じく勉強をしていた城ヶ峰が仁木のほうへやって来て、しばらく話をしたあとふたりで帰ることになったのだ。
先輩からの例の頼まれごとについても、新谷のことについても、どちらもまだ切り出せていない。タイミングを窺っているうちにいつのまにか店を出る時間になってしまっていた。そんな折、突然城ヶ峰の方から質問を投げかけられた仁木は瞬いた。
「……予定、ですか?」
一階に降り立ち、自動ドアをふたりでくぐりぬける。
唐突な質問に面食らいながら仁木が尋ね返すと、城ヶ峰は店先で立ち止まって「部活はないのか?」と口を開いた。
「部活の練習が土日にも入ることがあるって言ってただろ」
「あぁ、それは大会の前くらいで、今は普段通りの練習だけです。うちの場合はですけど。強豪校になるとまたちょっと違うかもしれないです」
「ほかの予定は? 友達と遊びにいくとか、家族と出かけるとか」
「来週の土曜は何もなかったと思います」
仁木がそう答えたとき、背後で自動ドアが開く音がした。数人のグループ客が一気にドアから出てくると、避けようとして仁木は身体を捻った。
「……っ」
避けようとしたときの体勢が悪かったのか、その拍子に足元の段差を踏み外しそうになり、仁木の身体は宙に投げ出された。
このままでは地面に倒れる──と、思ったそのとき、隣から伸ばされた腕が抱き留めた。
「あ、ありがとうございます。すみません」
城ヶ峰の腕から抜け出しながら小さな声で言う。こんなに城ヶ峰との距離が近づいたのは、いつかに壁際まで追い詰められた日以来だ。
東陽山のエンブレムが輝く灰色のブレザーに触れ、そっと身体を離す。まっすぐに立って仁木が顔を上げると、城ヶ峰もまた見下ろしまっすぐ視線を合わせた。
「……仁木の予定が空いてるなら、よかったら土曜に一緒に出かけないか?」
エレファントバーガーから出ていく客を横目に、邪魔にならないように端に寄りながら言う。
「行きたいところとか、やりたいこととかあれば教えてほしい」
行きたいところ。やりたいこと。城ヶ峰の言葉を頭の中で繰り返しているうちに、あるひとつの考えが閃いた。
「あっ、それなら──」
エレファントバーガー三郷駅前店には、テラス席がある。
通りに面した店の南側。ウッドデッキの上に四人掛けのテーブル席が三席設けられている。
トレーを手に仁木はウッドデッキの上に上がると、目の前の紅葉した街路樹を見上げた。
テラス席には誰もいなかった。屋根があるとはいえ屋外にあるので、テラス席はどうしてもその日の天候の影響を受けやすいし、前の道は人の行き来がそこそこあるので落ち着かない。一階、二階と席数も多いので、わざわざ外のテラスで食べようという人はそういない。
十月に入り、少しずつ冬らしい気温に変わりつつあるが、陽射しはまだ柔らかい。せっかくなので今日は気分を変えて外で、と仁木が言うと、城ヶ峰は賛同してくれた。
「今日はよろしくお願いします。城ヶ峰さん」
テーブル席のひとつに腰掛けながら仁木は言った。トレーを端に寄せ、空いたところに勉強道具を広げる。教科書、ノート、ペンケース、電子辞書。
「──にしても、休日にやりたいことが勉強とはな」
「部活の練習が忙しくて、なかなか勉強の時間が取れなくてですね……」
「はいはい、言い訳だな。部活のせいだけじゃないだろ?」
「……そうですよ、言い訳ですよ。相馬とエレファントバーガーで飲み食いしてる間に、勉強すればいいとは思いますよ、俺だって」
開き直って答えると、テーブルを挟み反対側に腰を下ろした城ヶ峰は、からかうようににやりと笑ってみせた。
「ま、息抜きも大事だからな。──って言っても、そんなに成績は悪くないんじゃないか?」
「科目によります。苦手科目の順位が下がってきてるので、今日はその対策がしたいんです」
話しながらノートを開く。
ついに迎えた土曜日。天候にも恵まれて、絶好の行楽日和である。が、今日のふたりの目的はピクニックでもハイキングでもなく、ずばり勉強だった。
一週間前、城ヶ峰になにかやりたいことはないかと尋ねられ、仁木の頭にまず浮かんだのがそれだったのだ。部活だなんだと慌ただしく過ごすなかで、ついついおろそかになってしまう勉強。
苦手科目克服のために力を貸してほしい、と仁木は頼んだのだった。一年先輩の、それも有名進学校に通っている人に勉強を教えてもらえる機会などめったにない。貴重な機会だ。
「城ヶ峰さんの私服って初めて見ました。いつも制服だから、なんか……落ち着かない感じがしますね」
城ヶ峰の今日の服装を改めて見る。
黒色のゆったりとしたスウェットに、白のワイドパンツ。アクセサリーは手首のスマートウォッチだけ。髪型もいつもとは違い、普段はセンターパートにしている前髪を整髪料でかき上げるように固めている。
東陽山の制服を着込んでいるときよりもずっとカジュアルな印象を受けるが、それでもやっぱりどこか品のよさが漂っているように見える。
休日に会うのも初めてなら、私服姿を見るのも今日が初めてだ。
「確かにそうだな。学校帰りにしか会ってなかったから」
こんなに木漏れ日の下が似合う人もいないと思う。街路樹の木陰で頷く城ヶ峰に暫し見惚れそうになる。
「仁木が制服以外の服着てるとろこも、俺も初めて見た」
二階堂の視線を追って、仁木は自らの格好を見下ろした。柔らかな素材の無地のニットにチノパン。そんな風に注目されるとなんだかそわそわしてくる。
いやいや、今日は勉強しにきたんだろう。頭を振って余計な考えを追い払う。
「で、わからない科目は?」
「英語です」
「英語なら得意な方だから教えられると思う」
気を取り直して仁木は英語の教科書を開いた。反対側から城ヶ峰が覗き込む。
そうして、ふたりの勉強会が始まった。
正午過ぎ。昼食もかねて一度休憩を挟むことにし、テーブルの上に広げていた勉強道具一式はひとまず鞄の中へ仕舞い込んだ。食べ終わったらまた再開する予定である。
「城ヶ峰さんと同じ学校だったらな。それならもっとたくさん話せたのに」
注文したハンバーガーを半分ほど食べ進めたところで、仁木は予てから胸に抱いていた気持ちを呟いた。
自分が城ヶ峰と同じ灰色の制服を着ているところを想像してみる。意外と悪くないかもしれない。
学年は違っても、部活が違っても、同じ学校ならば。学校という同じ敷地の中にいる限り、廊下ですれ違ったり駐輪場で偶然会ったりすることがあるかもしれない。でも、学校が違えば──城ヶ峰が東陽山学園に通い、仁木が三郷第一高校に通っている限りそんなことは絶対にありえないのだ。
「──まぁ、そもそも東陽山は俺の頭じゃ受からないと思いますけど。ちょっと言ってみただけです」
ハンバーガーを持ち直し、笑いながらそう言って相手のほうを見ると、城ヶ峰は一瞬戸惑ったような表情を浮かべた。
大した話題ではないし、笑って「そうだな」と受け流されるだけだと思っていたのに。仁木もまた困惑して言葉を探しあぐねていると、ようやく城ヶ峰が口を開いた。
「……お前が俺と同じ学校だったら、見かけるたびに走って話しかけて来そうだな」
「そ、そんなことしませんよ」
「それに東陽山駅前のエレファントバーガーは、ここみたいに長居させてくれないらしいぞ」
「えっ、それは困りますね。でもお店に迷惑かけるわけにはいかないから……やっぱり三郷駅前店まで通って……」
そこで城ヶ峰はようやく笑った。そうしてからふいに真面目な顔になり、少しの間を空けて「あのさ」と言った。
「今度、お前に話しておきたいことがある。今日は勉強があるから、また次の機会に」
「あ、はい。わかりました」
やけに神妙な口調で言われ、居住まいを正しつつ仁木は了承した。話しておきたいこととは一体なんだろうか。
考えているうちに、ふと数日前の出来事を思い出す。そうだった、こちらもまた城ヶ峰に話さなければならないことがあったのだ。どうにも気が進まず、できるだけ後回しにしようとしているうちに忘れかけていたが、話さなければ。週明けにまた学校に行けば、あの件はどうなってるんだと詰め寄られるに違いない。
城ヶ峰さん、と仁木は思い切って身を乗り出して言った。
「何?」
「──実は部活の先輩から、東陽山の人を紹介してほしいって相談を受けていて……どうしてもって」
城ヶ峰とはそこまで親しい間柄というわけではないし、頼むのは難しいと話した。しかし、それでも相手は引き下がらずどうにか頼めないかと粘られてしまい、やむなく引き受けることになったのだった。
仁木がかいつまんで経緯を話すと、話を聞き終えた城ヶ峰は苦笑して首を振った。
「悪いけど紹介できそうな知り合いがいないから、ごめん」
「そうですか……」
来週になんと報告すればいいものか。想像するだけで胃のあたりが痛くなってくる。
うんうんと唸りながら考え込んでいると、「そんなに責任感じなくてもいいんじゃないか?」と城ヶ峰は言った。
「向こうはお前をダシにして東陽山生と出会おうとしたんだろ?」
「ダシにして、って……」
「うちは腐っても名門校だから。一応は」
どこか投げやりな口調になって城ヶ峰は言い、手許にあるストローの袋をぐしゃりと指で潰した。整った顔を伏せたままさらに強い力で圧し潰す。
仁木が頼まれたのは、城ヶ峰という東陽山生の知り合いがいるからだ。ふたりは「東陽山」にこだわっているように見えた。
頭がよくて、裕福で、お嬢様やお坊ちゃまが通う学校。そんなイメージが強い学校であることは間違いない。
──舞い上がってるっていうか……相手が有名な私立高校の東陽山生だってことで、まわりに惚気たいんだろ。
新しい恋人ができたクラスメイトについて、相馬もまたそんな風に言っていたことを思い出す。
「だからお前が東陽山生のお気に入りで、可愛がられてるって知れば、羨ましがるだろうな」
そう言ってなにか眩しいものを見るように目を細める城ヶ峰の顔を仁木はしばし呆然と眺めた。
自分のことを指して言っているのだと気づくのに、少々時間を要した。
──恋人がいるかもしれない人に、こんな風にときめいていいんだろうか。許されないんじゃないだろうか。
「城ヶ峰さんは、付き合ってる人っているんですか?」
先輩からの頼みごととは別に、もうひとつ城ヶ峰に聞いて確かめておきたいことがあった。
相馬から新谷という女子生徒の恋人について聞いてからというもの、その相手が城ヶ峰なのではないかという疑問が胸にくすぶり続けていた。城ヶ峰は彼女の恋人の特徴に当てはまる。
「付き合ってる人?」
「はい。休みの日はデートに行ったりすると思うので、その、今日みたいに時間を割いてもらうのは申し訳ないなと……思いまして……」
どんどん声が小さくなっていく。仁木は眉根を寄せ、食べかけのレタスとチーズがはみ出したハンバーガーを俯きがちに見下ろした。
自分がどうしてこんなにも城ヶ峰の恋人の有無を気にしているのか、本当はわかっている。休日に会ってもらうのが申し訳ないとか、そんな理由からではない。
城ヶ峰に惹かれていて、それも恋愛的な意味で惹かれていて、抱き締められたいとか、いつかにエレファントバーガーでカップルがしていたようなことや、それ以上のこともしたいと思っていて──。
だから、諦めるなら今の内にきっぱり諦めてしまいたい。恋人のいる相手を、それもヘテロセクシュアルの相手をずるずると想い続けていてもつらいだけだ。
「付き合ってる相手はいない」
城ヶ峰の返答に、顔を下向きに伏せたままほっと息を吐き出す。
まだ好きでいても大丈夫なのかもしれない。
城ヶ峰がどんな顔をしているのかは分からないけど、声色はいつも通りだった。プライベートに踏み込んだ質問だったので、嫌な気持ちにさせたかとひやひやしたけれど、ひとまずは安心していいだろう。
ほっとしたのも束の間、直後にその男は爆弾を落とした。
「本当は今日デートに誘ったつもりだったんだ」
結構勇気出して、とぽつりといつになく遠慮がちに言う低音が耳に届く。
デート。デート? 城ヶ峰は本気で言っているのか?
まったく想定していなかったその単語に思わず顔を上げる。仁木は激しく瞬きながら正面に座る男を見返した。城ヶ峰はいくらかきまり悪そうな笑みを浮かべて椅子の背凭れに身体を預けた。
「──デっ…………デ、デート?」
「そう」
「誰と?」
「お前と。やっぱり伝わってなかったか」
付き合ってる相手がいるかとか聞いてくるしと、おかしそうに笑う城ヶ峰の髪が、十月の爽やかな風に揺れている。セットされた前髪が風に吹かれて乱れて、城ヶ峰の額に垂れ落ちる。
つまりは、あの日城ヶ峰からデートに誘われていたのに、そんなことは夢にも思わず勉強を教えてほしいと答えてしまったのだ。ただ休日に友達を遊びに誘うように声を掛けられたのだと思い込んで。
──来週の土曜は、何か予定あるのか。
──仁木の予定が空いてるなら、よかったら土曜に一緒に出かけないか。
先週、帰り際に店先で言われた言葉を思い出す。
改めて思い返してみれば、「デート」という直接的な言葉こそ口にしなかったものの、ただの友達を誘おうとしているときよりも慎重な誘い方をしていたかもしれない。言われてみると、あのときの城ヶ峰の態度も普段とは少しだけ違っていたような──。
「デートのつもりだったのに、それがまさか勉強会になるとはな。しかもいつものエレファントバーガーで」
「──す、っすみません、俺気づかなくて……」
城ヶ峰といえばエレファントバーガーだ。城ヶ峰との出会いもエレファントバーガーだったし、それ以降も会うのは毎回エレファントバーガーだった。だから、エレファントバーガー以外で会うという発想がなかったのだ。
これでは普段と同じだ。なんら代わり映えのしない過ごし方である。デートだとわかっていたら、もっと別の場所で、別の過ごし方を提案したのに。おしゃれなカフェとか、人気のテーマパークとか、最近できたばかりの水族館とか。
──いや、いやいや、待てよ。そもそもの話、城ヶ峰さんは俺とデートがしたかったってことなのか。それってつまり──いや、でもやっぱり揶揄われてるだけかも──。
「俺の誘い方が分かりにくかったし、よくなかった。気にしないでくれ」
「でも……」
嬉しいやら、恥ずかしいやら、申し訳ないやら、様々な感情が入り乱れて何も言えずにいると、城ヶ峰は「それに」とまた口を開いた。
「それに、いつもの場所でふたりで勉強するのだって立派なデートだろ」
