姿はなく、声を響かせることもない。
けれどよく笑い、よく怒って、たまに泣く、たったひとりの僕の友達。
彼の名前は、コウタと言う。
赤く染まった落ち葉を踏んで、雑多に人が行き交う駅前の通りを歩く。
(なあ、梓。ついでに漫画も買わないか?)
頭の中に、僕のものではない喋り声が浮かんで、毎日欠かさずにつけているマスクをつまんだ。
鼻の頭がすっぽり隠れるように位置を直し、目的の本屋があるショッピングモールへ入る。
(読みたい漫画でもあるの?)
歩きながら頭の中で言葉を返せば、コウタは(それは本屋で探す!)と元気よく答えた。
マスクの中で、思わず笑う。
高校2年生、人見知りで人付き合いが苦手な陰キャ男子、広田梓。それが僕だ。
学校へ行ってもクラスメイトとは一言二言話すだけ、一緒に遊ぶような仲のいい友達はいない。
目の上ギリギリまで伸びた、表情が読みにくいマッシュヘアも相まって、周りの人には暗いやつだと思われているだろう。
それでもかまわない。僕には、コウタというかけがえのない友達がいるから。
(藤乃が欲しがっていた本、タイトルはなんだったか。なんとか推理劇……)
(“絡繰り仕掛けの推理劇”だよ。まずはそっちを探さないとね)
土曜日の今日、ショッピングモールへ来たのは、2つ下の妹が今日発売の新刊を欲しがっていたからだ。
その妹は、今頃部活に打ち込んでいることだろう。
エレベーターに乗って2階に来た僕は、角にある本屋を目指して人混みの中を歩いた。
(そうだ、それだ。その小説も面白そうだよなぁ。藤乃が読み終わったら貸してもらわないか?)
(うん、そうだね)
コウタに同意したあと、本屋に入って小説コーナーを練り歩く。
並んだ背表紙のタイトルにざっと目を通していると、藤乃から送ってもらった画像と同じ表紙の本が棚に置かれていた。
見つかってよかったと思いながら手を伸ばし、1冊取る。
そのあとは、コウタの要望通り漫画コーナーに移動して、これが面白そうだ、と言い合いながら漫画を眺めた。
僕にコウタを紹介してくれたのは、おじいちゃんだった。
小学校に入って、友達ができないと泣いていた僕に、おじいちゃんが演じてみせてくれた、たったひとりの友達。それがコウタだ。
他人にも分かりやすく言うなら、イマジナリーフレンドというところだろう。
4年前におじいちゃんが病気で亡くなってしまったとき、僕の友達も当然のように消えてしまった。
大切な人を同時に失った僕は、色をなくした日常の中で、日々寂しさを感じながら、“コウタがいたら今、なんて言うだろう”と考え続けた。
考えて、考えて、考え続けた結果――。
(なあ、梓。暗い顔ばかりしているな。じいちゃんが心配して天国に行けないだろう?)
コウタは僕のもとに、帰ってきてくれた。
「いらっしゃいませ。……って、あれ、広田くん?」
「……え?」
藤乃に頼まれた小説と、コウタと選んだ漫画を1冊ずつ持ってレジへ来た僕は、店員さんに名前を呼ばれて顔を上げる。
カウンターの向こうでエプロンをしていたのは、同じクラスの杉中葉輔だった。
「あ……えっと」
「偶然だね。こっちの方に住んでるの?」
「……うん」
センター分けのミディアムヘアに、ぱっちりとした二重の瞳。
目元の印象がはっきりしている杉中は、薄い唇の端を上げて僕に笑いかけてくる。
(やばい、どうしよう、コウタ……まさかクラスメイトに会うとは思わなかった)
目を合わせたのは一瞬だけ。
すぐに視線を落とした僕は、心臓をバクバクさせながらコウタに話しかけた。
電車通学している生徒はそれなりにいるとは言え、同じ駅で乗り降りする人なんて見かけたことがなかったのに。
(落ち着け。ただのクラスメイトだろう。俺もついているんだし、そんなに緊張することはない)
コウタになだめられて、少しだけ落ち着く。
「そっか。僕は隣の駅なんだ。春からここでバイトしてるんだけど、会うのは初めてだね」
「あぁ……あんま、来ないから……」
「そうなんだ。あ、この小説、今日発売のやつだよね。広田くん、本好きなの?」
本のバーコードを読み取りながら、杉中は絶えることなく話しかけてくる。
きっと、人付き合いが得意なんだろう。
僕は乾燥したのどを震わせて、「や……」と声を発した。
「それは妹の代わりに、買いに来たやつで……」
「へぇ。妹さんは読書好きなのかな。広田くん、優しいね」
「そんなこと……」
あぁ、いつもこうだ。
話しかけられても、なんて答えればいいのか分からない。
そして、上手く答えられずにいるうちに、みんな離れていく。
(俺と話すみたいに、気楽に喋ればいい)
(コウタみたいになんて、無理だよ……)
コウタに弱音を吐きながら、なんとか杉中と話をして会計を済ませると、僕は「またね」という杉中に小さく挨拶を返して、そそくさと本屋を出た。



