『明日は、いつもより少し早く学校へ行くよ』
俺たちはどちらかと言えば、時間に余裕を持って登校しているほうではない。
『俺もそうする。玄関ホールで待ち合わせしよう』
そんな返信をしたのは、昨日の夜だった。
自分たちの関係修復のために動こうとすると、物事はスムーズに進まない。けれど、アキラのためという大義名分があれば、上手く立ち回れるようだ。俺も、カズミチも。
アキラは顔が広い。所属していたラグビー部やクラスの奴らに限らず、できるだけたくさんの人から寄せ書きを集めてやりたい。
いつもより三十分早くアラームを鳴らし、三十分早く朝食を食べ始める。
いつもの時刻に母親からの定期連絡があった。
『お母さん、明日には帰るから』
『了解』と文字を打ちながら、ふと気がつく。
このままでは、今日、二月二十七日木曜日のタコミンの占いを見ることができない。いや、占いを信じているわけじゃないんだ。でも、二週間限定だというタコミンの占いを、ここまで見たのだ。残り二回なのに、このタイミングで見逃すのはちょっともったいない。
迷ったあげく、母へのメッセージに書き添えた。
『朝の番組で、いつも星座占いやってるチャンネル知ってる?』
『知ってるわよ。今も見てる』
『あのさ、今日の占いの山羊座の順位、スマホで撮って送ってくれない?』
『いいけど、なんで?めずらしいこと言うのね』
『今日、カズミチと待ち合わせしてて、いつもより早く学校行くんだ』
『あら、カズくんと!分かったわ。お母さんに任せなさい』
母が知りたかったのは、なぜ星占いなど気にするのか、ということだっただろう。でもそこを説明するのは面倒くさいから、これでよしとしてほしい。
家を出て駅までの道を歩いていると、母からメッセージと添付写真が届く。
『このタコ、前にカズくんと見に行った映画のキャラなのね』
母親というのは、こういうことを、いつまでも覚えているものだ。面倒くさく思い、『サンキュ』と簡単な返事のみを返す。
一呼吸おいて気持ちを切り替え、テレビ画面を撮影した画像を確認した。
今日の山羊座は四位。たくさんの人と会話することが吉。ラッキーカラーは黄緑色。ラッキーソングは少し前に流行った曲。
(えーと、タコミンからのメッセージは「頑張るタコ」か。ふーん)
頭の片隅に記憶して、電車に乗る前にコンビニへ向かった。グミの棚で最近気に入っている黄緑色のマスカット味を選び、購入する。
この味、きっとカズミチも好きだと思う。
朝のうちに、ラグビー部の元部長を廊下で捕まえ、休んでいるアキラの分の寄せ書きを集めていることを伝える。
「そっか。代わりに集めてやればよかったんだ。むしろ俺が思いつくべきだった。二人とも、ありがとな。アキラ、絶対喜ぶぞ」
昼休みに、Aクラスへ部員を集めてくれることが決まった。
その前後にも、アキラと仲がよかった人を見かけては声をかけ、寄せ書きを書いてもらう。俺が声をかけ、カズミチが書きやすいようにバンダナを広げる共同作業。
俺とカズミチが二人でいると、めずらしい組み合わせだと思われるが、アキラを中心に考えると、彼と仲良かった二人として、違和感がないようだ。
少しずつ埋まっていく空白を見て、カズミチはうれしそうにしていた。
それにしてもアキラの人望の厚さには、驚かされる。バンダナには、アキラが高校生活で築いた人間関係が集結するだろう。
昼休み。ガタイのいい男たちがクラスに集まってきた。
カズミチがバンダナの端を押さえ、一列に並んだ元ラガーマンが寄せ書きをしていく。
なぜかその横で、俺にも列ができていた。ほとんど喋ったこともない女子が「私にも書いて」と並んでいる。
断ろうとしたが、カズミチが「せっかくだもん。書いてあげるべきだよ」と小さな声で助言してくれた。
仕方なし皆に同じ文言『卒業おめでとう・マサムネ』と書いていくと、それぞれが一言二言、言葉をくれる。
「卒業ライブ、すごくよかった。友達一緒に盛り上がれたこと、ずっと忘れないと思う」
「あの曲に、マサムネくんの声、とっても合ってた。あの曲聞くたびに、高校生活を思い出すと思う」
「大学行ったら音楽止めちゃうの?続けたほうがいいよ」
「知り合いがボーカル探してるんだけど、一度話を聞いてみない?」
自分が思っているよりもずっと、俺は軽音楽部のボーカルだと認識されていたようで、なんだか擽ったい。
カズミチと距離を置くために入部した軽音楽部だったけれど、ちゃんと俺という人間が高校生活を過ごした成果を残せていたようだ。
三年間で、アキラはたくさんの友達を得て、俺は人前で歌うという経験値を得た。カズミチにとっては、どんな高校生活だったのだろう。
俺が目を逸らし続けた二年半。カズミチにはどんなものが見えていたのだろう。彼は何を得たのだろう。
「………な、マサムネ!」
「え?あっ、ごめん。考え事してた」
「だからさ、やっぱりカズミチとマサムネが一緒にいるの見ると、ほっこりするよ」
ラグビー部の寄せ書きの列は最後の一人となっていて、彼は、俺たちと同じ中学の出身者だった。
たまたま俺の列にいた女子も、同じ中学の子で、「うんうん」と同意している。
「高校ではいつの間にか一緒にいるところを見なくなってたから、どうしたんだろ?って思ってた。でも、よかった。二人、仲良しのままみたいで」
「あぁ、幸せな顔したマサムネの横で、カズミチが笑ってるって、俺たちの間じゃ、デフォルトだからな」
そんなこと言ってくれる人もいるのかと、驚きつつもうれしく思う。
「ありがとう」
二人に、素直にそう告げると、カズミチも照れたようにコクリと頷いていた。
だからこそ、昼休みが終わるとき、俺は勇気を振り絞り、正面からカズミチの目を見て告げる。
「今日一緒に帰りたい。玄関ロビーで待ってる。たい焼き買って、池の畔で食べよ。どう?」
どう?っと問う声は、弱きな小さな声になってしまう。
それでもカズミチは躊躇わず「うん」と笑って頷いてくれた。
放課後、ロビーで待っていると渡り廊下の先にカズミチの姿が見えた。
手を上げて「こっちこっち」と呼ぼうとしたが、その直前で「ちょっといい?マサムネくん」と女子に呼び止められる。
こういうのは、雰囲気的に何を言われるのか分かるものだ。それにしてもタイミングが悪い。
「ねぇ、マサムネくん、彼女とかいるの?」
女の子の後ろでカズミチが歩みを止めたのが見える。
「彼女はいないよ。でもずっと好きな人がいるんだ」
カズミチにも聞こえるように、少し大きな声でハッキリと答える。ボーカリストらしくよく響く声は、きっと彼にも届いたはずだ。
「その人と付き合うの?」
「付き合いたいと思ってる。これから告白するつもり」
「へー、そうなんだ」
女の子は「呼び止めてごめんね」と走り去っていく。目元には涙が光っていた。
告白する隙も与えなかった俺は、酷い男かもしれない。でも、今は必死なのだ。余裕がない。だって俺の人生が掛かっているのだ。
改めてカズミチに「こっちこっち」と手を振った。
カズミチは、さっきの女の子が走り去ったほうを気にしながら、酷く不安そうな顔をして、俺のところへ来てくれた。
カズミチの表情は硬く、さっきの女の子のことを気にしているのが、よくわかった。
計画というのは、思い通りに行かないものだと痛感する。
二人で色んな話をしながらたい焼き屋に行き、それを食べながら池の畔に座って、思いを伝える、そんなつもりだったのに……。
でもまずは、カズミチの不安そうな顔を取り除かなくてはダメだと気が付く。
「屋上行こうか」
そう提案すると、コクリと頷いてくれた。
今日もよく晴れていて、遠くの山々まで見通せた。予報では、しばらく晴天が続くらしい。
卒業式も、アキラの見送りに行く日も、きっと晴れるだろう。
景色を眺めるカズミチの後ろ姿を見ながらタイミングを計っていると、彼が先に話し始めた。
「マサムネくん。あのね、僕、限定動画の感想を伝えそびれてた」
そういえば、その話をしていなかった。
「見せてくれてありがとね。僕、毎日見てるよ。繰り返し、繰り返し見てる。音だけは聴いてたんだ。体育館の外で。それでずっと想像してた。ギター持って歌うマサムネくんを。でも、想像より遥かに格好よかった」
後ろ姿のままのカズミチの言葉に、胸がギューッと苦しくなる。
「お昼休みに女の子たちが伝えてたライブの感想、僕も、そっかそっか、うんうんって思いながら聞いてた」
「ごめんな。本当にごめん。外で聴かせるようなことをして、本当にごめん。俺がちゃんと自分と向き合えなかったばっかりに、カズミチに辛い思いをさせた。周りの目ばっかり気にして、俺、自分のことばっかり考えてて……」
「謝らないでー!」
カズミチが振り返り、叫ぶ。
「否定しないで。この二年半を。お願いだから……、よくない期間だったみたいに言わないで」
予想外の力強い声に固まってしまう。
「僕たちが付き合ったままだったら、きっとマサムネくんは軽音楽部に入らなかった。僕だって、美術部に入って部長をやったりしなかった。僕は僕なりに、精一杯の二年間半を過ごしてきたんだ」
俺はすぐに言葉が出ない。でも、カズミチの言いたいことは、徐々に徐々に心に届いてくる。
しばらく二人とも黙っていた。穏やかな南風が頬を撫でるように吹いている。
カズミチの言葉がしっかりと全身に行き渡り、俺は自分のするべきことを思いつく。
屋上の真ん中に一人立ち、大きく空気を吸い込んだ。そして唐突に歌い始める。
そよぐ風が、俺の歌声を伸びやかに空へと連れていった。
三年前、二人で映画館へ観に行ったアニメ『大海原水中対戦』。ロックバンドが歌った主題歌がヒットして、あの頃の俺もよく口ずさんでいた。それをいつも横で聴いていたカズミチは、俺に言ってくれた。
「マサムネくん、バンドとか組んでボーカルやったらいいのに。その声、僕大好きだよ」
あの頃の俺は、そんな青春よりもカズミチとイチャイチャしているほうが楽しかった。だからハハハと笑っただけで受け流した。
でも結局、軽音楽部に入ったのは、その言葉を頭の片隅で覚えていたからだろう。
歌う俺をカズミチが真剣な目をして、見つめてくれている。
少しも見逃さないように、少しも聴きもらさないように、集中して、俺を見ている。
歌が終わると、大きな大きな拍手をしてくれた。そして、涙を制服のジャケットの袖でそっと拭った。
「カズミチ。今からの話をしよう。俺と付き合ってください。互いに違うキャンバスに通うけれど、俺が頑張れる源になってほしい。俺もカズミチの元気の源になりたい」
カズミチの顔がニッコリと笑って、コクリと頷いてくれた。
幸せな幸せな帰り道。ふと思い出し、通学カバンからグミを取り出す。
「食べる?」
「うん」
一粒取り出して渡すと、「美味しい!これ好きな味」と言ってくれた。カズミチもゴソゴソとカバンの中を探る。出てきたのは、黄緑色の飴玉だった。
もらって口に放り込めば、青りんごの味がした。やっぱり今日のラッキーカラーは黄緑色で間違いない。タコミンの占いはすごいと、改めて思った。
—
「二月二十八日金曜日、朝の占いだタコ。今日の第一位は……」
朝の占いコーナーがタコミンとコラボするのも、今日がラストだ。
「二位の山羊座さんは、そろそろ秘密に気付く頃でしょう。ラッキーカラーは赤。ラッキータイムは正午。幸せになるタコ」
占いコーナーの後には、しっかりと告知が続く。
「『大海原水中対戦2』明日から公開だタコ。大切な人と必ず見に来るタコ。前売券の発売は今日まで。購入すればラッキーな薔薇色の日々が始まるタコ」
今日は卒業式のリハーサルのみで、昼前に学校が終わった。
居残りで打ち合わせがあるというカズミチとは、池の畔のベンチで待ち合わせをした。
俺がたい焼きを買ってから公園へ行くと、ベンチにピンクのレジャーシートを敷いて、カズミチが座っていた。時刻はちょうど昼の十二時。
「わぁ、たい焼きありがとう。レジャーシート、返しそびれてたんだけど、使わせてもらったよ」
「あぁ」
俺の目は、カズミチの赤いマフラーに引き寄せられる。
「そのマフラー……。この前は白いマフラーをしてたよな?」
「ん?あぁ、この前の白いのは母さんの。赤はクローゼットから引っ張り出してきたの」
俺の首にも、赤のマフラーが巻かれている。
「マサムネくんも赤、めずらしいね」
同じように、普段は使っていなかった物を、引っ張り出してきた。
……。ようやく頭の中で何かが合致する。
(なんだ、そういうことか。占いが当たっていたわけじゃないんだ……。ハハハ)
俺たちの誕生日は一週間違い。つまり、二人とも山羊座なのだ。
占いによって物事が上手く運んでいたのではなく、同じ占いを見て、俺たちは同じような行動していたのだ。
俺がタコミンにしてやられたと笑っていると、まだ気付いていないカズミチが言う。
「このベンチから見える池の景色、僕、とても好きなんだ。マサムネくんも、よく見て」
「うん。見てる」
「明日、マサムネくんがバンドを頑張っていたように、僕が何を頑張っていたか分かると思う。それを、マサムネンくんに見てもらえるのが、楽しみなんだ」
なんのことか分からなかったけれど、カズミチの高校生活の成果が見られるなら、どんなことよりも楽しみだ。
その後、俺たちは二人で『大海原水中対戦2』の前売券を買いに行った。
俺たちはどちらかと言えば、時間に余裕を持って登校しているほうではない。
『俺もそうする。玄関ホールで待ち合わせしよう』
そんな返信をしたのは、昨日の夜だった。
自分たちの関係修復のために動こうとすると、物事はスムーズに進まない。けれど、アキラのためという大義名分があれば、上手く立ち回れるようだ。俺も、カズミチも。
アキラは顔が広い。所属していたラグビー部やクラスの奴らに限らず、できるだけたくさんの人から寄せ書きを集めてやりたい。
いつもより三十分早くアラームを鳴らし、三十分早く朝食を食べ始める。
いつもの時刻に母親からの定期連絡があった。
『お母さん、明日には帰るから』
『了解』と文字を打ちながら、ふと気がつく。
このままでは、今日、二月二十七日木曜日のタコミンの占いを見ることができない。いや、占いを信じているわけじゃないんだ。でも、二週間限定だというタコミンの占いを、ここまで見たのだ。残り二回なのに、このタイミングで見逃すのはちょっともったいない。
迷ったあげく、母へのメッセージに書き添えた。
『朝の番組で、いつも星座占いやってるチャンネル知ってる?』
『知ってるわよ。今も見てる』
『あのさ、今日の占いの山羊座の順位、スマホで撮って送ってくれない?』
『いいけど、なんで?めずらしいこと言うのね』
『今日、カズミチと待ち合わせしてて、いつもより早く学校行くんだ』
『あら、カズくんと!分かったわ。お母さんに任せなさい』
母が知りたかったのは、なぜ星占いなど気にするのか、ということだっただろう。でもそこを説明するのは面倒くさいから、これでよしとしてほしい。
家を出て駅までの道を歩いていると、母からメッセージと添付写真が届く。
『このタコ、前にカズくんと見に行った映画のキャラなのね』
母親というのは、こういうことを、いつまでも覚えているものだ。面倒くさく思い、『サンキュ』と簡単な返事のみを返す。
一呼吸おいて気持ちを切り替え、テレビ画面を撮影した画像を確認した。
今日の山羊座は四位。たくさんの人と会話することが吉。ラッキーカラーは黄緑色。ラッキーソングは少し前に流行った曲。
(えーと、タコミンからのメッセージは「頑張るタコ」か。ふーん)
頭の片隅に記憶して、電車に乗る前にコンビニへ向かった。グミの棚で最近気に入っている黄緑色のマスカット味を選び、購入する。
この味、きっとカズミチも好きだと思う。
朝のうちに、ラグビー部の元部長を廊下で捕まえ、休んでいるアキラの分の寄せ書きを集めていることを伝える。
「そっか。代わりに集めてやればよかったんだ。むしろ俺が思いつくべきだった。二人とも、ありがとな。アキラ、絶対喜ぶぞ」
昼休みに、Aクラスへ部員を集めてくれることが決まった。
その前後にも、アキラと仲がよかった人を見かけては声をかけ、寄せ書きを書いてもらう。俺が声をかけ、カズミチが書きやすいようにバンダナを広げる共同作業。
俺とカズミチが二人でいると、めずらしい組み合わせだと思われるが、アキラを中心に考えると、彼と仲良かった二人として、違和感がないようだ。
少しずつ埋まっていく空白を見て、カズミチはうれしそうにしていた。
それにしてもアキラの人望の厚さには、驚かされる。バンダナには、アキラが高校生活で築いた人間関係が集結するだろう。
昼休み。ガタイのいい男たちがクラスに集まってきた。
カズミチがバンダナの端を押さえ、一列に並んだ元ラガーマンが寄せ書きをしていく。
なぜかその横で、俺にも列ができていた。ほとんど喋ったこともない女子が「私にも書いて」と並んでいる。
断ろうとしたが、カズミチが「せっかくだもん。書いてあげるべきだよ」と小さな声で助言してくれた。
仕方なし皆に同じ文言『卒業おめでとう・マサムネ』と書いていくと、それぞれが一言二言、言葉をくれる。
「卒業ライブ、すごくよかった。友達一緒に盛り上がれたこと、ずっと忘れないと思う」
「あの曲に、マサムネくんの声、とっても合ってた。あの曲聞くたびに、高校生活を思い出すと思う」
「大学行ったら音楽止めちゃうの?続けたほうがいいよ」
「知り合いがボーカル探してるんだけど、一度話を聞いてみない?」
自分が思っているよりもずっと、俺は軽音楽部のボーカルだと認識されていたようで、なんだか擽ったい。
カズミチと距離を置くために入部した軽音楽部だったけれど、ちゃんと俺という人間が高校生活を過ごした成果を残せていたようだ。
三年間で、アキラはたくさんの友達を得て、俺は人前で歌うという経験値を得た。カズミチにとっては、どんな高校生活だったのだろう。
俺が目を逸らし続けた二年半。カズミチにはどんなものが見えていたのだろう。彼は何を得たのだろう。
「………な、マサムネ!」
「え?あっ、ごめん。考え事してた」
「だからさ、やっぱりカズミチとマサムネが一緒にいるの見ると、ほっこりするよ」
ラグビー部の寄せ書きの列は最後の一人となっていて、彼は、俺たちと同じ中学の出身者だった。
たまたま俺の列にいた女子も、同じ中学の子で、「うんうん」と同意している。
「高校ではいつの間にか一緒にいるところを見なくなってたから、どうしたんだろ?って思ってた。でも、よかった。二人、仲良しのままみたいで」
「あぁ、幸せな顔したマサムネの横で、カズミチが笑ってるって、俺たちの間じゃ、デフォルトだからな」
そんなこと言ってくれる人もいるのかと、驚きつつもうれしく思う。
「ありがとう」
二人に、素直にそう告げると、カズミチも照れたようにコクリと頷いていた。
だからこそ、昼休みが終わるとき、俺は勇気を振り絞り、正面からカズミチの目を見て告げる。
「今日一緒に帰りたい。玄関ロビーで待ってる。たい焼き買って、池の畔で食べよ。どう?」
どう?っと問う声は、弱きな小さな声になってしまう。
それでもカズミチは躊躇わず「うん」と笑って頷いてくれた。
放課後、ロビーで待っていると渡り廊下の先にカズミチの姿が見えた。
手を上げて「こっちこっち」と呼ぼうとしたが、その直前で「ちょっといい?マサムネくん」と女子に呼び止められる。
こういうのは、雰囲気的に何を言われるのか分かるものだ。それにしてもタイミングが悪い。
「ねぇ、マサムネくん、彼女とかいるの?」
女の子の後ろでカズミチが歩みを止めたのが見える。
「彼女はいないよ。でもずっと好きな人がいるんだ」
カズミチにも聞こえるように、少し大きな声でハッキリと答える。ボーカリストらしくよく響く声は、きっと彼にも届いたはずだ。
「その人と付き合うの?」
「付き合いたいと思ってる。これから告白するつもり」
「へー、そうなんだ」
女の子は「呼び止めてごめんね」と走り去っていく。目元には涙が光っていた。
告白する隙も与えなかった俺は、酷い男かもしれない。でも、今は必死なのだ。余裕がない。だって俺の人生が掛かっているのだ。
改めてカズミチに「こっちこっち」と手を振った。
カズミチは、さっきの女の子が走り去ったほうを気にしながら、酷く不安そうな顔をして、俺のところへ来てくれた。
カズミチの表情は硬く、さっきの女の子のことを気にしているのが、よくわかった。
計画というのは、思い通りに行かないものだと痛感する。
二人で色んな話をしながらたい焼き屋に行き、それを食べながら池の畔に座って、思いを伝える、そんなつもりだったのに……。
でもまずは、カズミチの不安そうな顔を取り除かなくてはダメだと気が付く。
「屋上行こうか」
そう提案すると、コクリと頷いてくれた。
今日もよく晴れていて、遠くの山々まで見通せた。予報では、しばらく晴天が続くらしい。
卒業式も、アキラの見送りに行く日も、きっと晴れるだろう。
景色を眺めるカズミチの後ろ姿を見ながらタイミングを計っていると、彼が先に話し始めた。
「マサムネくん。あのね、僕、限定動画の感想を伝えそびれてた」
そういえば、その話をしていなかった。
「見せてくれてありがとね。僕、毎日見てるよ。繰り返し、繰り返し見てる。音だけは聴いてたんだ。体育館の外で。それでずっと想像してた。ギター持って歌うマサムネくんを。でも、想像より遥かに格好よかった」
後ろ姿のままのカズミチの言葉に、胸がギューッと苦しくなる。
「お昼休みに女の子たちが伝えてたライブの感想、僕も、そっかそっか、うんうんって思いながら聞いてた」
「ごめんな。本当にごめん。外で聴かせるようなことをして、本当にごめん。俺がちゃんと自分と向き合えなかったばっかりに、カズミチに辛い思いをさせた。周りの目ばっかり気にして、俺、自分のことばっかり考えてて……」
「謝らないでー!」
カズミチが振り返り、叫ぶ。
「否定しないで。この二年半を。お願いだから……、よくない期間だったみたいに言わないで」
予想外の力強い声に固まってしまう。
「僕たちが付き合ったままだったら、きっとマサムネくんは軽音楽部に入らなかった。僕だって、美術部に入って部長をやったりしなかった。僕は僕なりに、精一杯の二年間半を過ごしてきたんだ」
俺はすぐに言葉が出ない。でも、カズミチの言いたいことは、徐々に徐々に心に届いてくる。
しばらく二人とも黙っていた。穏やかな南風が頬を撫でるように吹いている。
カズミチの言葉がしっかりと全身に行き渡り、俺は自分のするべきことを思いつく。
屋上の真ん中に一人立ち、大きく空気を吸い込んだ。そして唐突に歌い始める。
そよぐ風が、俺の歌声を伸びやかに空へと連れていった。
三年前、二人で映画館へ観に行ったアニメ『大海原水中対戦』。ロックバンドが歌った主題歌がヒットして、あの頃の俺もよく口ずさんでいた。それをいつも横で聴いていたカズミチは、俺に言ってくれた。
「マサムネくん、バンドとか組んでボーカルやったらいいのに。その声、僕大好きだよ」
あの頃の俺は、そんな青春よりもカズミチとイチャイチャしているほうが楽しかった。だからハハハと笑っただけで受け流した。
でも結局、軽音楽部に入ったのは、その言葉を頭の片隅で覚えていたからだろう。
歌う俺をカズミチが真剣な目をして、見つめてくれている。
少しも見逃さないように、少しも聴きもらさないように、集中して、俺を見ている。
歌が終わると、大きな大きな拍手をしてくれた。そして、涙を制服のジャケットの袖でそっと拭った。
「カズミチ。今からの話をしよう。俺と付き合ってください。互いに違うキャンバスに通うけれど、俺が頑張れる源になってほしい。俺もカズミチの元気の源になりたい」
カズミチの顔がニッコリと笑って、コクリと頷いてくれた。
幸せな幸せな帰り道。ふと思い出し、通学カバンからグミを取り出す。
「食べる?」
「うん」
一粒取り出して渡すと、「美味しい!これ好きな味」と言ってくれた。カズミチもゴソゴソとカバンの中を探る。出てきたのは、黄緑色の飴玉だった。
もらって口に放り込めば、青りんごの味がした。やっぱり今日のラッキーカラーは黄緑色で間違いない。タコミンの占いはすごいと、改めて思った。
—
「二月二十八日金曜日、朝の占いだタコ。今日の第一位は……」
朝の占いコーナーがタコミンとコラボするのも、今日がラストだ。
「二位の山羊座さんは、そろそろ秘密に気付く頃でしょう。ラッキーカラーは赤。ラッキータイムは正午。幸せになるタコ」
占いコーナーの後には、しっかりと告知が続く。
「『大海原水中対戦2』明日から公開だタコ。大切な人と必ず見に来るタコ。前売券の発売は今日まで。購入すればラッキーな薔薇色の日々が始まるタコ」
今日は卒業式のリハーサルのみで、昼前に学校が終わった。
居残りで打ち合わせがあるというカズミチとは、池の畔のベンチで待ち合わせをした。
俺がたい焼きを買ってから公園へ行くと、ベンチにピンクのレジャーシートを敷いて、カズミチが座っていた。時刻はちょうど昼の十二時。
「わぁ、たい焼きありがとう。レジャーシート、返しそびれてたんだけど、使わせてもらったよ」
「あぁ」
俺の目は、カズミチの赤いマフラーに引き寄せられる。
「そのマフラー……。この前は白いマフラーをしてたよな?」
「ん?あぁ、この前の白いのは母さんの。赤はクローゼットから引っ張り出してきたの」
俺の首にも、赤のマフラーが巻かれている。
「マサムネくんも赤、めずらしいね」
同じように、普段は使っていなかった物を、引っ張り出してきた。
……。ようやく頭の中で何かが合致する。
(なんだ、そういうことか。占いが当たっていたわけじゃないんだ……。ハハハ)
俺たちの誕生日は一週間違い。つまり、二人とも山羊座なのだ。
占いによって物事が上手く運んでいたのではなく、同じ占いを見て、俺たちは同じような行動していたのだ。
俺がタコミンにしてやられたと笑っていると、まだ気付いていないカズミチが言う。
「このベンチから見える池の景色、僕、とても好きなんだ。マサムネくんも、よく見て」
「うん。見てる」
「明日、マサムネくんがバンドを頑張っていたように、僕が何を頑張っていたか分かると思う。それを、マサムネンくんに見てもらえるのが、楽しみなんだ」
なんのことか分からなかったけれど、カズミチの高校生活の成果が見られるなら、どんなことよりも楽しみだ。
その後、俺たちは二人で『大海原水中対戦2』の前売券を買いに行った。



