「二月十九日水曜日、朝の占いだタコ。今日の第一位は……」
昨晩は、マサムネくんがくれたQRコードから限定動画を再生し、延々と見てしまった。再生回数が二桁だった動画が、いつの間にか三桁になっていたのは、僕の功績も大きいと思う。
マサムネくんのバンドは五人組で、ドラム、ベース、キーボード、そしてギターが二人。マサムネくんはサイドギターを担当し、ボーカルとして歌いながら演奏をする。
僕は、マサムネくんの声が好きだ。とっても好き。
中学一年で同じクラスになって初めて会話をしたときから、彼は既に声変わりをしていた。みんなより低く大人っぽい声は、格別に格好よかった。
だから、歌っているマサムネくんの声なんて、最高以外の言葉が見つからない。
「十二位の山羊座さんは、偶然の出来事に動揺しても逃げ出さないで!ラッキーカラーは黄色。ラッキーナンバーは3。落ち着いて行動するタコ」
「……十二位か」
占い初心者としては、十二位という順位にどれほど警戒すべきなのか、予測がつかない。
(占いの順位が悪いって、いい気分じゃないな)
僕は少しの緊張感を持って、家を出た。
昨日、ラッキーカラー白に影響され、母に頼み込み貸してもらった白いカシミアのマフラーを、今日も巻いている。
学校へ向かう乗り換え駅で、電光掲示板を眺める。
架線故障でダイヤが乱れているらしく、いつも乗る電車の表示は無かった。学校へと向かう電車は何路線かあるが、これだけ遅れが生じている場合、どの電車が早く到着するかは、運でしかない。
僕は少し悩んで、タコミンの占いに従うことを思いつく。
『ラッキーカラーは黄色。ラッキーナンバーは3』
ホームに入ってくる黄色い電車は、乱れたダイヤのせいで、酷く混んでいる。三号車に乗り込めば、寒いホームから一転、暖房と混雑による熱で、あっという間に汗ばんでくる。
三分ほどで隣の駅に到着し、ドアが開く。外気が車内に入り込み、ムシムシした暑苦しさから少しだけ解放された。
ホッとしたのも束の間、乗り込んできた人に押され、奥へと流される。その上、サラリーマンの通勤カバンがガツンと背中に当たり、ヨロヨロとよろけてしまう。
その時だった。
僕の手首を誰かが掴み、誘導するように引き寄せてくれる。既にバランスを崩している僕は、引っ張られるままに身体が動き、ぽっかりと空いた空間へ収まった。
助かった。ここなら空気も通るし、両足で踏ん張ることができる。発車ベルが鳴ってドアが閉まり、電車は再び動き出した。僕は顔をあげ、手首を掴んで引き寄せてくれた人にお礼を言おうとした。
「大丈夫か?」
先に声を発したのは、僕を誘導してくれた人だ。
「え?マサムネくん?」
冷静にこの状況を見渡せば、まるで壁ドンでもするようにして、マサムネくんが僕のためにスペースを作ってくれていた。
「あ、ありがとう。助かった」
僕より背の高いマサムネくんの心臓の音が聞こえてしまいそうな距離で、視線の置き所が無い僕は、俯いてしまう。
限定動画の感想を伝えたかったけれど、こんなに混雑した電車内ではとても無理だ。それよりなにより、僕の顔はきっと耳まで真っ赤で、心を落ち着けるだけで精一杯だった。
四駅先で、たくさんの人が降りていった。
電車は途端に空いて、座れなくとも、余裕を持って立つことができる。もうマサムネくんにガードしてもらわなくても大丈夫。改めてお礼を言わなくてはとドキマギしていると、横から誰かが話しかけてきた。
「よぉ、マサムネ。おはよ。すげぇ混んでたな、今朝の電車」
「おはよう、マサムネ。黄色いほうの電車に乗ってるなんて珍しいな。いつもはオレンジに乗るくせに」
マサムネくんと同じクラスの人たちだ。
「おぉ、おはよう」
僕は、さり気なくその場を離れようとする。
「あれ?えーと美術部の、カズオミだっけ?」
「カズミチ」
友達その1に、マサムネくんが訂正をしてくれる。
「めずらしい組み合わせだな。二人は友達だったんだ?」
「まぁな」
それで終わればよかったのに。友達その2が軽い感じで余計なことを言う。
「そういえば二人って、高一の頃、付き合ってるとか、キスしてたとか、噂されてなかった?」
僕は頭が真っ白になる。マサムネくんはそのことを、絶対に秘密にしたいのだから。僕はそのために、できる限り、マサムネくんとの距離を置いて日々を過ごしてきたのだから。
「なんだよそのヤバい噂。マサムネが美術部部長と?確かにカズミチくんは可愛いけど。普通に、あり得ないだろ男同士とか」
「でも俺、カズミチくんとならチューできるかも。お肌すべすべだし」
「うわー、キショ。そんなのオマエの姉ちゃんが読んでるBL漫画の世界だけだぜ」
友達その3の発言に、その1とその2が「ゲイじゃあるまいし」と大笑いする。
「あのさ、」
棘のある声で、マサムネくんが友達たちに何かを言おうとした。俯いている僕には、彼の拳にギュッと力がこもったのが、よく見える。
あぁ、耳を塞いでしまいたい。分かっていても僕との関係を否定する言葉は聞きたくない。これじゃ、あの時と同じじゃないか。
すでに減速していた電車は、マサムネが言葉を続ける前に、学校の最寄り駅へと到着した。
僕は、マサムネくんやその友達たちを少しも見ずに、一番最初にホームへ駆け降りる。そしてそのまま走って改札を抜けた。
学校のある南口ではなく、北口に出て公園へと走り続ける。池の畔のお気に入りのベンチに向かったが、僕のベンチには知らないカップルが座って、いちゃついていた。
違うベンチを探そうと真逆に方向転換をした僕は、木の根っこに躓いて派手に転んでしまう。
痛い。ものすごく痛い。酷く打った膝も、ひねった足首も、そして心も痛かった。
さっきのカップルが「何あれ?」とクスクス笑っている。杖を付いたおばあさんに「大丈夫?」と心配される。
「だ、大丈夫です」
そう答えながらも蹲っていると、黄色い首輪をした犬が慰めるように近づいてきた。
「クゥン」
犬はペロリと僕の涙を舐めてくれる。
その犬を撫でてやりながら空を見上げれば、チラチラと白い雪が降り始めていた。
結局僕は、学校へ行かなかった。
足首も痛んだし、雪はこの後、強く降り続ける予報だったから。
早く帰った僕に驚く母に「転んじゃった」と、おどけて帰宅理由を告げる。
「あらあら。痛そうね」
(小さな頃はこんなことがよくあったな)
そう思うと、少しおかしくなって笑えた。母も「なんだか懐かしいわね」と笑ってくれる。
「足首、腫れてるわね。念のためレントゲン取ってもらいなさい」
言われるままに近所の整形外科に行くと、捻挫ということで痛み止めの飲み薬と、湿布をもらって帰ってきた。雪は積もり始めていて、足を引きずって歩くには、少ししんどかった。
そこからは、ベッドの上でただダラダラと過ごした。
夕方には学校から『明日は大雪予報のため臨時休校とします』とメールが届いた。
母はノックとともに現れ「大丈夫?」と、怪我のことだけじゃないだろう心配をしてくれた。
アキラくんからも『今日はどうした?』とメッセージがくる。
『転んじゃった』
母親に言ったのと同じことを送信する。
『怪我したのか?』
『捻挫だから心配しないで』
『マサムネも元気なかったけど、なんかあった?』
そりゃマサムネくんも元気ないだろう。卒業間近にまた僕とのことを蒸し返されてしまったのだから。
『なんにも。ありがとね』
『なんかあったら言えよ』
アキラくんのやさしさに、ニコニコと微笑む犬のスタンプを送信しておいた。
夜はあまり眠れなかった。
原因は足首が痛んだからだ。それと、あの後マサムネくんは友達になんと言ったのだろうと、気になってしまったから。
—
翌朝は学校が休みでも、痛み止めを飲むためにいつもと同じ時刻に起床した。
パジャマのまま朝ご飯を食べ、テレビを見る。
「二月二十日木曜日、朝の占いだタコ。今日の第一位は……」
タコミンの朝の占いは、画面の上に『大雪情報』とテロップが入る中、放送された。雪国育ちの母は「これが大雪?」と笑っているが、都心の交通は麻痺しているようだ。
「七位の山羊座さんは、無理は禁物。ゆっくり休んで身体と心を回復させよう!ラッキーカラーはオリーブ色。ラッキーファッションはパジャマ。大丈夫、少しずつ前進しているタコ」
朝食を食べた後は薬を飲み、タコミンの言うとおり、オリーブ色のカバーが掛かったベッドに潜り込んだ。寝不足のせいか、スーッと眠りに落ちていった。
僕は夢を見ている。これが夢だと分かっている。だって、とても幸せな気分だから。
「あのさ、カズミチ」
僕たちは中学校の学ランをきて、体育館のパイプ椅子に畏まって座っている。卒業式の真っ最中だ。
来賓の知らないおじさんの話が長すぎて、ザワザワと皆のお喋りが始まったところだ。出席番号が僕の一つ後ろのマサムネくんが、僕の耳のところに顔を近づけ、話しかけてくる。
「なに?」
僕も小さな声で返事をする。
「俺、カズミチのことが好きだよ。カズミチも俺のこと好きだろ?だから付き合おう」
僕は大して驚かない。いつ、どちらが言いだしてもおかしくないくらい、自然な流れだったから。たまたまマサムネくんが先に言ってくれ、たまたま卒業式の最中だっただけだ。
「うん。もちろんいいよ」
この夢を僕は天井からの目線で見ている。「付き合おう」と言ったマサムネくんも、「いいよ」と言った僕のことも見えている。
式典が終わってすぐ、二人でアキラくんのところに駆けていく。
「俺たち、付き合うことにしたんだ」
マサムネくんが自慢げにそう告げる。
「え?今更?」
「だって、高校行ったらさ、カズミチのこと狙ってくる奴とか現れるかもしれないじゃん。ちゃんと俺たち付き合ってますって、言っておけば安心だろ?」
この場では、アキラくんだけが不安そうな顔をしていた。たぶんアキラくんだけが世の中というものが見えていた。
僕たちは男同士であることを、あまりに意識していなかった。僕らの仲が良いのは中学一年の頃からずっとだったから、周りも自然に受け入れ過ぎていた。
たぶん、僕らに性的な雰囲気が漂っていなかったからだろう。
でも、高校生になる春休みに、僕らは初めてキスをした。
「付き合ってるなら、キスをしなきゃだろ」
そんなノリで始めたことだ。だけどそれが引き金になった。僕の中の性的なものが目覚め、目覚めたことをマサムネくんが感じとって、行為はエスカレートしていった。
僕ら二人を纏う空気は、あのときに一遍したのだと今ならばわかる。
あぁ、よく眠った。
幸せな夢から目覚めたとき、足の痛みはだいぶ良くなっていた。雪も、どうやら止んだようだ。
卒業式まであと九日。明日は学校へ行けると思う。
昨晩は、マサムネくんがくれたQRコードから限定動画を再生し、延々と見てしまった。再生回数が二桁だった動画が、いつの間にか三桁になっていたのは、僕の功績も大きいと思う。
マサムネくんのバンドは五人組で、ドラム、ベース、キーボード、そしてギターが二人。マサムネくんはサイドギターを担当し、ボーカルとして歌いながら演奏をする。
僕は、マサムネくんの声が好きだ。とっても好き。
中学一年で同じクラスになって初めて会話をしたときから、彼は既に声変わりをしていた。みんなより低く大人っぽい声は、格別に格好よかった。
だから、歌っているマサムネくんの声なんて、最高以外の言葉が見つからない。
「十二位の山羊座さんは、偶然の出来事に動揺しても逃げ出さないで!ラッキーカラーは黄色。ラッキーナンバーは3。落ち着いて行動するタコ」
「……十二位か」
占い初心者としては、十二位という順位にどれほど警戒すべきなのか、予測がつかない。
(占いの順位が悪いって、いい気分じゃないな)
僕は少しの緊張感を持って、家を出た。
昨日、ラッキーカラー白に影響され、母に頼み込み貸してもらった白いカシミアのマフラーを、今日も巻いている。
学校へ向かう乗り換え駅で、電光掲示板を眺める。
架線故障でダイヤが乱れているらしく、いつも乗る電車の表示は無かった。学校へと向かう電車は何路線かあるが、これだけ遅れが生じている場合、どの電車が早く到着するかは、運でしかない。
僕は少し悩んで、タコミンの占いに従うことを思いつく。
『ラッキーカラーは黄色。ラッキーナンバーは3』
ホームに入ってくる黄色い電車は、乱れたダイヤのせいで、酷く混んでいる。三号車に乗り込めば、寒いホームから一転、暖房と混雑による熱で、あっという間に汗ばんでくる。
三分ほどで隣の駅に到着し、ドアが開く。外気が車内に入り込み、ムシムシした暑苦しさから少しだけ解放された。
ホッとしたのも束の間、乗り込んできた人に押され、奥へと流される。その上、サラリーマンの通勤カバンがガツンと背中に当たり、ヨロヨロとよろけてしまう。
その時だった。
僕の手首を誰かが掴み、誘導するように引き寄せてくれる。既にバランスを崩している僕は、引っ張られるままに身体が動き、ぽっかりと空いた空間へ収まった。
助かった。ここなら空気も通るし、両足で踏ん張ることができる。発車ベルが鳴ってドアが閉まり、電車は再び動き出した。僕は顔をあげ、手首を掴んで引き寄せてくれた人にお礼を言おうとした。
「大丈夫か?」
先に声を発したのは、僕を誘導してくれた人だ。
「え?マサムネくん?」
冷静にこの状況を見渡せば、まるで壁ドンでもするようにして、マサムネくんが僕のためにスペースを作ってくれていた。
「あ、ありがとう。助かった」
僕より背の高いマサムネくんの心臓の音が聞こえてしまいそうな距離で、視線の置き所が無い僕は、俯いてしまう。
限定動画の感想を伝えたかったけれど、こんなに混雑した電車内ではとても無理だ。それよりなにより、僕の顔はきっと耳まで真っ赤で、心を落ち着けるだけで精一杯だった。
四駅先で、たくさんの人が降りていった。
電車は途端に空いて、座れなくとも、余裕を持って立つことができる。もうマサムネくんにガードしてもらわなくても大丈夫。改めてお礼を言わなくてはとドキマギしていると、横から誰かが話しかけてきた。
「よぉ、マサムネ。おはよ。すげぇ混んでたな、今朝の電車」
「おはよう、マサムネ。黄色いほうの電車に乗ってるなんて珍しいな。いつもはオレンジに乗るくせに」
マサムネくんと同じクラスの人たちだ。
「おぉ、おはよう」
僕は、さり気なくその場を離れようとする。
「あれ?えーと美術部の、カズオミだっけ?」
「カズミチ」
友達その1に、マサムネくんが訂正をしてくれる。
「めずらしい組み合わせだな。二人は友達だったんだ?」
「まぁな」
それで終わればよかったのに。友達その2が軽い感じで余計なことを言う。
「そういえば二人って、高一の頃、付き合ってるとか、キスしてたとか、噂されてなかった?」
僕は頭が真っ白になる。マサムネくんはそのことを、絶対に秘密にしたいのだから。僕はそのために、できる限り、マサムネくんとの距離を置いて日々を過ごしてきたのだから。
「なんだよそのヤバい噂。マサムネが美術部部長と?確かにカズミチくんは可愛いけど。普通に、あり得ないだろ男同士とか」
「でも俺、カズミチくんとならチューできるかも。お肌すべすべだし」
「うわー、キショ。そんなのオマエの姉ちゃんが読んでるBL漫画の世界だけだぜ」
友達その3の発言に、その1とその2が「ゲイじゃあるまいし」と大笑いする。
「あのさ、」
棘のある声で、マサムネくんが友達たちに何かを言おうとした。俯いている僕には、彼の拳にギュッと力がこもったのが、よく見える。
あぁ、耳を塞いでしまいたい。分かっていても僕との関係を否定する言葉は聞きたくない。これじゃ、あの時と同じじゃないか。
すでに減速していた電車は、マサムネが言葉を続ける前に、学校の最寄り駅へと到着した。
僕は、マサムネくんやその友達たちを少しも見ずに、一番最初にホームへ駆け降りる。そしてそのまま走って改札を抜けた。
学校のある南口ではなく、北口に出て公園へと走り続ける。池の畔のお気に入りのベンチに向かったが、僕のベンチには知らないカップルが座って、いちゃついていた。
違うベンチを探そうと真逆に方向転換をした僕は、木の根っこに躓いて派手に転んでしまう。
痛い。ものすごく痛い。酷く打った膝も、ひねった足首も、そして心も痛かった。
さっきのカップルが「何あれ?」とクスクス笑っている。杖を付いたおばあさんに「大丈夫?」と心配される。
「だ、大丈夫です」
そう答えながらも蹲っていると、黄色い首輪をした犬が慰めるように近づいてきた。
「クゥン」
犬はペロリと僕の涙を舐めてくれる。
その犬を撫でてやりながら空を見上げれば、チラチラと白い雪が降り始めていた。
結局僕は、学校へ行かなかった。
足首も痛んだし、雪はこの後、強く降り続ける予報だったから。
早く帰った僕に驚く母に「転んじゃった」と、おどけて帰宅理由を告げる。
「あらあら。痛そうね」
(小さな頃はこんなことがよくあったな)
そう思うと、少しおかしくなって笑えた。母も「なんだか懐かしいわね」と笑ってくれる。
「足首、腫れてるわね。念のためレントゲン取ってもらいなさい」
言われるままに近所の整形外科に行くと、捻挫ということで痛み止めの飲み薬と、湿布をもらって帰ってきた。雪は積もり始めていて、足を引きずって歩くには、少ししんどかった。
そこからは、ベッドの上でただダラダラと過ごした。
夕方には学校から『明日は大雪予報のため臨時休校とします』とメールが届いた。
母はノックとともに現れ「大丈夫?」と、怪我のことだけじゃないだろう心配をしてくれた。
アキラくんからも『今日はどうした?』とメッセージがくる。
『転んじゃった』
母親に言ったのと同じことを送信する。
『怪我したのか?』
『捻挫だから心配しないで』
『マサムネも元気なかったけど、なんかあった?』
そりゃマサムネくんも元気ないだろう。卒業間近にまた僕とのことを蒸し返されてしまったのだから。
『なんにも。ありがとね』
『なんかあったら言えよ』
アキラくんのやさしさに、ニコニコと微笑む犬のスタンプを送信しておいた。
夜はあまり眠れなかった。
原因は足首が痛んだからだ。それと、あの後マサムネくんは友達になんと言ったのだろうと、気になってしまったから。
—
翌朝は学校が休みでも、痛み止めを飲むためにいつもと同じ時刻に起床した。
パジャマのまま朝ご飯を食べ、テレビを見る。
「二月二十日木曜日、朝の占いだタコ。今日の第一位は……」
タコミンの朝の占いは、画面の上に『大雪情報』とテロップが入る中、放送された。雪国育ちの母は「これが大雪?」と笑っているが、都心の交通は麻痺しているようだ。
「七位の山羊座さんは、無理は禁物。ゆっくり休んで身体と心を回復させよう!ラッキーカラーはオリーブ色。ラッキーファッションはパジャマ。大丈夫、少しずつ前進しているタコ」
朝食を食べた後は薬を飲み、タコミンの言うとおり、オリーブ色のカバーが掛かったベッドに潜り込んだ。寝不足のせいか、スーッと眠りに落ちていった。
僕は夢を見ている。これが夢だと分かっている。だって、とても幸せな気分だから。
「あのさ、カズミチ」
僕たちは中学校の学ランをきて、体育館のパイプ椅子に畏まって座っている。卒業式の真っ最中だ。
来賓の知らないおじさんの話が長すぎて、ザワザワと皆のお喋りが始まったところだ。出席番号が僕の一つ後ろのマサムネくんが、僕の耳のところに顔を近づけ、話しかけてくる。
「なに?」
僕も小さな声で返事をする。
「俺、カズミチのことが好きだよ。カズミチも俺のこと好きだろ?だから付き合おう」
僕は大して驚かない。いつ、どちらが言いだしてもおかしくないくらい、自然な流れだったから。たまたまマサムネくんが先に言ってくれ、たまたま卒業式の最中だっただけだ。
「うん。もちろんいいよ」
この夢を僕は天井からの目線で見ている。「付き合おう」と言ったマサムネくんも、「いいよ」と言った僕のことも見えている。
式典が終わってすぐ、二人でアキラくんのところに駆けていく。
「俺たち、付き合うことにしたんだ」
マサムネくんが自慢げにそう告げる。
「え?今更?」
「だって、高校行ったらさ、カズミチのこと狙ってくる奴とか現れるかもしれないじゃん。ちゃんと俺たち付き合ってますって、言っておけば安心だろ?」
この場では、アキラくんだけが不安そうな顔をしていた。たぶんアキラくんだけが世の中というものが見えていた。
僕たちは男同士であることを、あまりに意識していなかった。僕らの仲が良いのは中学一年の頃からずっとだったから、周りも自然に受け入れ過ぎていた。
たぶん、僕らに性的な雰囲気が漂っていなかったからだろう。
でも、高校生になる春休みに、僕らは初めてキスをした。
「付き合ってるなら、キスをしなきゃだろ」
そんなノリで始めたことだ。だけどそれが引き金になった。僕の中の性的なものが目覚め、目覚めたことをマサムネくんが感じとって、行為はエスカレートしていった。
僕ら二人を纏う空気は、あのときに一遍したのだと今ならばわかる。
あぁ、よく眠った。
幸せな夢から目覚めたとき、足の痛みはだいぶ良くなっていた。雪も、どうやら止んだようだ。
卒業式まであと九日。明日は学校へ行けると思う。



