すっかり冷え込むようになった十一月の最後の水曜日。
俺の姿を見つけて、ぱあっと笑顔になった瑛人の口元に、ほわんと白い息が生まれて消えていく。あの儚さが、瑛人は宇宙で一番似合うんじゃないかと思う。
「岳さん! ごめん、お待たせしました」
「お疲れさま、瑛人」
今日は水曜日だけど、瑛人の学校は開校記念日で休みなのだという。昼から二時間ほど本屋バイトのシフトに入っているというので、俺が学校帰りに本屋に寄ることにしたのだ。
本屋なんて何時間でもいられるから気にしなくていいのに……瑛人は自販機であたたかいコーヒーを買って、俺に渡してくれた。
「こんなのいいのに……」
と言いつつ、ありがたく受け取って。無糖コーヒーだったことに心がほっこり温まる。
「ありがとね、無糖にしてくれて」
「俺はごりごりのカフェオレっす」
「あは、さすが甘党~」
「ふふ……冬の岳さんかわいーな」
そんなのは瑛人のほうが――って俺、ちょっと頭がいつも以上にやばいな。お花畑じゃん。
「……っ、いこ!」
「はぁい」
気恥ずかしさをぶつけるように、勢いをつけて自転車のスタンドを蹴り上げたら、くすくす笑われた。相変わらず、年上の威厳とやらは俺にはないらしい……。
すっかり物寂しくなった田んぼ道には、自転車の車輪の回る音がカラカラと響く。
今日の俺たちは、小高い山の上にある、見晴らしのいい公園に向かっていた。
こっちのほうでどこか遊ぶ場所はあるか、と瑛人に聞かれたけど、あいにく山しかない。だから、面白みはないと思うけど……と断りを入れて、この公園を提案した。
この季節になればヘビや虫の心配もないし、整備されていて比較的歩きやすい道だと思う。
「十分くらいで着くからね」
上着のポケットに手を入れると、さっき瑛人が買ってくれた缶コーヒーのぬくもりにほっとする。
「ここ、岳さんがよく来てた場所なんですか?」
「うん、ス――すー……ごく小さい頃から……遊んでたかなぁ」
危ない。スバくん、という単語はひょっとすると瑛人を嫌な気持ちにさせてしまうかもしれないから自重した。たぶん言葉選びも変じゃなかった、と、思う。
「……へー、そっか。野生児だったんだ」
にまっと顔を覗かれ「ちがうちがう!」と首を振る。
野生児といえば運動神経が良さそうだし、ちょっとたくましい感じがするけれど、俺はまったくそんな子どもではなかった。
ヘビを捕まえて投げ捨てるのも、虫を追い払ってくれるのも、いつだって俺以外の誰かだったし。
「スバ――……らしい景色を、見に来てただけ、だよ……」
「ぶはっ」
瑛人は吹き出して、くしゃくしゃの顔で大笑いしている。
「すーごく小さい頃から、すばらしい景色を見に来てたの?」
だめだ、これバレてるな……。
「……ごめん、へたくそすぎて……」
うなだれると、瑛人の手が頭に伸びてくる。ぽん、ぽん、と二回、優しく手を置かれ、愛おしさで溶けそうになった。
「ありがと。俺こそすみません、気遣わせちゃって」
スパダリすぎる甘い顔に、「ほぉ……」と謎の声が漏れ出ていた。最近は瑛人を前にすると、いつもの三倍くらいぽんこつになる気がする。
「なに、その声」
ふふ、とやわらかな視線が向けられて、どく、と心臓が高鳴る。
「いてっ」
「わ、大丈夫、岳さん」
「大丈夫大丈夫……」
木の根の罠にかかった俺がつまずけば、すぐさま手を差し伸べてくれるスパダリ瑛人。
俺は瑛人のことが、好きだ。
文化祭の日、たしかにそう自覚した。
もうずっと前から好きだったのかもしれないし、どろどろとした初めての感情に溺れかけて気づいたのかもしれないし。そこらへんはまだ曖昧だけれど、茹だった頭でもわかるくらい、俺の真ん中には「瑛人が好き」という気持ちがあった。
それからの日々は、ずっとこの有様だ。
瑛人の一挙一動にドキドキするのは前からだけれど、気持ちを自覚してからは、ドキドキにぽんこつが上乗せされていると思う。
先週の水曜日も、似たような流れでショッピングモールの看板に体当たりしたばかりだし。
「岳さんって結構ドジっ子だよね」
「失礼すぎる……」
誰のせいだと思ってるんだ……。
「初めて家にお邪魔したときも、バケツにはまって転がってたし」
「わー! もうあれは忘れてよ!」
「あと俺の部屋でも押し倒されそうに……」
「だー! もうやめて!」
「あはは、岳さんって知れば知るほど好きになるわ」
ごく自然に、特別かっこつけるわけでもなく、瑛人はそう言ってくれる。
好き好き攻撃に慣れはしないけど、今ここには俺と瑛人しかいないから。まあいっか……なんて、素直に心臓を暴れさせてあげたくなった。
――俺も、好き、です。
心の中でうっかりそう返事をしたりして。
「……あの、瑛人……」
「ん?」
「あの……」
好き、です? 好き、なんだけど? 付き合ってください? だめだ、やっぱり今日も言葉が続いてくれない。
というかこういうのって、タイミングが難しい。顔を合わせた瞬間? それとも一息ついたところ? それとも帰り道……なんてうだうだ考えてしまって、結局今もまだ、俺は瑛人に気持ちを伝えられずにいる。
「……っはぁ……なにー、岳さん……?」
「……ん?」
口ごもっている俺の背後から、瑛人の声がする。あれ、さっきまで隣に並んで歩いていたのに――。
不思議に思って後ろを振り向くと、そこには息を切らして膝に手をつく瑛人がいた。
「え!? どうしたの、具合悪い!?」
駆け寄ると、瑛人は手のひらを俺に向けて「そうじゃない」と一言。
「坂が……っきつくねぇ……?」
「え」
「ちょい、休憩……」
はあ、と大きく息を吐いた瑛人は、腰に手を当て、空を仰いだ。
――え……えぇ……?
俺はたぶん、にんまりほくそ笑んでいたと思う。こんなの意外すぎる。小学生……いや幼稚園児だって歩けるくらいの道のりで、瑛人はへばっているのだ。
そんなのかわいすぎる。なんでもできてしまう完璧スパダリなのに。勾配には弱いんだ。
「……あと少しだよ、瑛人」
「わ! ちょっと、岳さん!」
「いけるいける。がんばれ~」
俺は瑛人の後ろに回って、腰をぐいぐい押した。歩き出すしかなくなった瑛人は、ひぃひぃ言いながらも楽しそうな笑い声を聞かせてくれる。
「ねえ岳さん! どうせなら前がいいんですけど!」
「前~?」
「手ぇ引っ張ってくださいよ!」
そしたら手繋げるし、と瑛人は言葉を続けるものだから、俺は踏み出そうとした足を引っ込めた。
「……引っ張るほうが疲れるから、こっち、ね」
「えー、けちー!」
けち、じゃない。手繋げるとか、核心めいたこと言うからじゃん。そうじゃなかったら俺だって――じゃなくて。ほんとうに俺はこんなとこばっかり素直で困る……。
赤くなった顔を誤魔化せるように、俺はブルドーザーさながら、ぐいぐい、ぐいぐい、瑛人の腰を押し出して、やっと公園に着いた。
見晴公園という名前だけあって、ほんとうに見晴らしは素晴らしいのだ。遮るものはなにもなくて、遠くのほう……たぶん瑛人の住んでいる市街地のほうまですうっと見渡せる。
「わ、すげー」
俺に体重を預けまくっていた瑛人はけろっとした顔で、景色に目を細めている。俺はといえば、ぜえはあしながら「夕焼けもきれいに見えるよ」と返した。
「あは、岳さんのが疲れてんじゃん」
「だ、誰のせいで……!」
「ふふっ……ありがとーね、岳さん」
甘く優しく、そんなふうに笑いかけられたらもうお手上げだ。
「いいよ……もう……」
持て余す気持ちを隠すように、ポケットのなかで温めておいた缶コーヒーを、ぷしゅっと開けた。
「いただきます」
買ってくれた瑛人に会釈してから、真新しくなったブランコに座る。瑛人も隣のブランコに腰を下ろし、ぷしゅっと音がした。
「それで、よくここで遊んでたんですか?」
「うん? まあ……でもちょっと家から遠いから、小学校高学年とかになってからかなぁ」
「すーごく小さな頃から、の設定忘れてるよ」
「あ!」
うっかりしてた。俺が慌てていると、瑛人はにやっと笑って「いーよ別に」と言う。
「俺、知りたくて聞いてるから。岳さんが小さい頃、どんなとこで、誰と、なにして遊んでたのかなーって」
「そ、そんなの、普通だよ。あんまりおもしろい話もないし……」
「知りたいんだよ、岳さんのこと」
まっすぐ、瑛人の眼差しに射抜かれる。
べつにいたって普通の、なんの変哲もない俺の幼少期の話を聞いて、なにが楽しいんだろう。わからないけど。
けど、俺も同じように、瑛人の幼少期ってどんなふうだろうと気になるから、そういうことなのかな……なんておこがましい納得をした。
「……泉とか、スバくんとか、年齢も性別も関係なくね、近所の子たちみんなで遊んでた。あんまり子どもがいないからなのかな。それでドッジボールとか、ドロケーとか、一時期メディシンボールにハマったときもあった」
「メディシンボール!」
なつかしい! と瑛人の目が輝く。
「ここの公園来るくらいの年齢になってからは……なにしてたんだろう。漫画読んだり、昔は下に駄菓子屋さんがあったから、そこでお菓子買って食べたりとか?」
「駄菓子屋さん? もしかして前に言ってた、もんじゃの?」
「あ、そうそう! よく覚えてるね」
夏休み明け、一緒にもんじゃ焼きを食べに行ったときに、ちらっと話しただけなのに。とりとめもないそんな話を、瑛人は覚えていてくれた。
「忘れないですよ、岳さんから聞いたことは」
「……あ、ありがと」
一つ一つの言葉に、いちいち意味を探して、ときめいて。恋って、なんかすごいな。世界が、その人一色になっちゃうんだな。
「お、俺はそんなかんじ! 瑛人は? どんなことして遊んでたの?」
「んー、ゲームかな。俺あんまり友達いなかったんですよ、小さい頃」
「え!? 瑛人が?」
「はい」
意外だ……。この間の文化祭では、男女問わず大の人気者だったのに。けど、だからあんなにゲームが上手いのか、と納得もした。
「目……目のせいだと思ってましたけど。今思うと、俺の性格もあんまり良くなかったかなぁって思ってます。言いたいことすぐ言っちゃうんで」
「それは瑛人のいいところだと思うけど……目、って、なに?」
「……色、ちょっとちがうでしょ」
瑛人の瞳はたしかに、俺なんかとは違う、色素が薄めの複雑な色をしている。けどよく見なければわからないし、宝石みたいに綺麗で、瑛人によく似合っているのにな。
「綺麗だから欲しくなっちゃうのかもね」
俺がそう言うと、瑛人が息を漏らしたのか、白いもやが横目に映る。
「……覚えてない? 岳さん」
「え……?」
低い声に吸い寄せられるように、俺は瑛人のほうへ顔を向けた。
複雑な色の瞳が、俺を映している。宝石みたいに綺麗で、それから――。
「……花火より、綺麗?」
瑛人の瞳がゆらりと揺れたのがわかった。
「やっぱり、あのとき……一緒に迷子になった、あの子が瑛人なの?」
花火大会の日から、ぼんやりと頭の片隅にあった疑惑。瑛人は本屋で見かけるより前に、俺たちは会ったことがあると言っていた。
けれど花火大会の日にそれとなく聞いたら、はぐらかされてしまったのだ。それから特に聞いてみたことはなかった。
瑛人はこくりと頷き、「お願いだから引かないで」なんて眉を寄せる。
「いまさら引くとかないでしょ……初対面で俺が買ったBLのタイトル羅列されたのが一番引いたよ……」
瑛人をなぐさめるための言葉じゃない。嘘偽りない、俺の本音だ。
あのときの不気味さに勝るものなんて、この世に一つだってない気がする。それを最初にぶつけてくるんだから、瑛人もなかなか変わり者だなと思う。
「……好きだよ、岳さん。ほんとに。意味はちがっても、ほんとにずっと好きだったんだ」
「す、すき……ずっと……」
また俺の思考回路はショートしそうになっている。けど、今ここでだめになるわけにはいかない。きっと今こそが、絶好のタイミング、ってやつだ。
空は茜色に染まり、公園には二人きり。しかも俺と瑛人の最初の出会いが知れて、瑛人が俺を「好き」と言ってくれた。
こんなの、またとないチャンスだ。「俺も」その一言でいいんだ、がんばれ俺……!
「俺――」
「岳さん」
「あ、ハイ」
瑛人の真剣な顔つきに、思わずぴっと背筋が伸びて言葉がどっかへ飛んでいく。
「俺、迷子になったあの日から一度も岳さんのこと忘れたことないよ。ずっと探してたんだ。また会いたくて、俺と友達になってほしくて……今は特別になりたいって思ってる」
「……うん……あ、お、俺――」
俺もだよ――と、言葉を続けたいのに。瑛人の声のほうが先だった。
「岳さんの笑った顔、お守りみたいにずっと心の中にあったんだ。だから俺は色んなこと、なんとかなった部分は絶対あって」
――お守りみたいに。
その一言に、胸がいっぱいになる。
それは、俺だって同じだから。
瑛人の笑顔が、いつも心の真ん中にある。それだけで、俺は少しだけ、ほんの少しだけ強くなれる。たとえば人目も憚らず、瑛人の手を引いて走り出してしまうくらいには。
「瑛人――」
「だからね、岳さん」
「ハイ……」
どうしてだ、今に限って、瑛人は俺の話を聞いてくれない……。
「いやだったら言って」
キィ、と耳障りな音のあと、瑛人はブランコから立ち上がって、俺の目の前にしゃがみこんだ。
それからいつもより遠慮がちに俺の手を握って、まっすぐ、目を見つめてくる。
――いやだったら言って……そのセリフ、五万回は読んだ。
心臓の音、うるさすぎて瑛人まで届いてないか心配になる。
「岳さん……」
俺は瑛人の手をぎゅっと握り返した。それから覚悟を決めて、唇の力をほんの少し緩めて、目を閉じ――。
「クリスマス、どっか行きませんか」
――……ん?
「ク、クリスマス……?」
「今年、終業式早いじゃないですか。あ……岳さんとこはちがう?」
俺の学校も同じだ。大体クリスマス付近が終業式になるところ、今年はカレンダーのおかげで、すでに冬休みに突入している。
俺はぽかんとしながらも、首を横に振る。いっしょだ、と答える。
「……それ、一緒に出掛けてくれる、ってこと?」
「岳さんがよければ……」
「……そんなの……」
俺はたぶん、声が震えていたと思う。
「い、行きたいよ……!」
行きたいに決まってる。嬉しさで震えた。
同時に、どうして瑛人があんな前置きをしたのか、意味がわからなかった。
どう考えても嬉しくて、なによりも嬉しくて、這ってでも行くほど嬉しいのに。……だめだ、嬉しい以外の語彙がなくなってる。
「……はあぁぁ……よかったー」
どうして瑛人が安心したように息を吐くんだろう。
「……瑛人……」
「ん?」
好き――その一言が、どうして俺は出てきてくれないんだろう。
この人を不安にさせたくない。たしかに今、そう思ったのに。
「えと……」
俺がもたもたしている間に、瑛人のスマホに電話がかかってきてしまう。お母さんから、たまごを買ってくるようにとの指令だった。
「じゃ……かえろっか」
そう言って、俺はブランコから立ち上がり、瑛人はそんな俺の手を、当たり前のように繋ぐ。
「これからちょっとバイトのシフト立て込むと思うんで、水曜日会うの難しくなるかもしれないです」
「あ、そ、そうなんだ……」
絶好のタイミングを逃してしまった意気地なしの自分にしょげているところ、ダブルパンチだ。
「あれだね、テストもあるもんね」
「はい。テスト期間とあと……クリスマスも。シフト入れなくなったんで。その分詰めないとだから」
瑛人は繋いだ手をぶんぶん振り回した。
暗くなって表情はよく見えないけど、なんとなく浮かれ心地なのがわかる。俺もそれにちょっとだけ、気持ちが上向いた。
「……本屋、俺も行くから。会えるよ、水曜じゃなくても」
「……ん……ありがと」
やっぱり瑛人は、俺の気持ちの精いっぱいを笑わない。足りないと催促もしない。
ただ優しい声で、強い力で、包み込んでくれるだけなんだ。
――好き、だよ、瑛人。
山を下りて、バス停まで瑛人を送る帰り道。一つ前のバス停に、ヘッドライトが光るのが見えたとき。
――このままじゃ、いやだ。
「あの、瑛人……クリスマス……なんだけど……!」
自転車のスタンドを立てて、改めて瑛人に向き合った。
おそるおそる手を伸ばし、瑛人の人差し指だけを捕まえるのが、今の俺の精いっぱいで。
「クリスマス、話したいことが、ある……!」
とうとうバスが、俺たちの元へやってくる。ぱあっと視界が明るくなって、今ですか――なんてタイミングを恨んだ。
俺の顔、絶対赤い。思わず、最近はずっと開けっ放しだった前髪のカーテンを、さっと閉めてしまう。
バスのドアが開く音とともに、引っかけあった人差し指が、ゆっくり離れていく。名残惜しくて、俺は縋るような気持ちで瑛人の顔を見上げた。
「……期待、してていいの?」
そう言いながら、真っ赤な顔を手の甲で隠す瑛人の姿に、胸が痛いほど高鳴る。
今は言葉にできない、そんな自分は相変わらず嫌いだけど。
「………う、うんっ……!」
――期待、しててください……なんて。心の中で返事をして、走り去っていくバスを、いつまでも見送った。
それからの毎日は、俺にとって告白までのカウントダウンでしかなかった。
テストもそこそこに漫画を読み漁り、告白の極意を学んだり。いや、二次元を参考にしたって、やるのは俺だから、無理があるのはわかってるんだけど……他に頼るところがないので、しかたない。
それから、いつもなら新刊の発売日に合わせて本屋へ駆けこんでいたところ、十二月は瑛人がシフトに入る日に合わせて、数日遅れで買いに行ったりした。
「今日もありがとね、岳さん」
瑛人はほんとうに忙しそうで、それでも俺がただ本屋へ足を運ぶだけで、そうやって柔らかく笑いかけてくれる。
好きだな、と思う。
毎朝、毎晩、毎分、毎秒。どんどん好きが膨れていく。
――はやく、会いたいな。
そればかりが俺の心を埋め尽くしていた。
そうしてようやく迎えた、約束の日の朝。
まだ外は暗くて、ただ、向こうのほうに燃えるような赤い陽が顔を出したのがわかる。きっと天気は晴れだ。
「うんうん、いい感じだよ! おにぃだってちゃんとすればそれなりだって!」
俺の部屋で服装、および髪の毛の最終チェックをしてくれる泉。安易にかっこいい、とは言ってくれないところが信頼度高くて、俺はかえって安心できた。
「ありがと、泉」
「……いーねえ、おにぃ。あたしも恋したいなぁ~」
「泉なら今すぐにでも相手……」
「だれでもいいわけじゃないの! わかるでしょ、おにぃにだって!」
唇を尖らせて、泉はむくれる。
「ご、ごめん……わかる、よ、それは」
この期間に、何度も考えた。
瑛人は俺を受け入れてくれる。だから俺は、瑛人のことを好きになったのかなって。もしそれが瑛人じゃなかったら……瑛人じゃないその人のこと、好きになってたのかなって。
「うまく、言葉じゃ言えないけど……うん、わかる」
まるで自分に言い聞かせるみたいに。けど泉も、うんうん、と頷いて同意をくれた。
「いーよねぇ、運命ってかんじで。てか言いようだよね、何事も」
「え?」
「ずっとおにぃを探してました、って、純愛でもあり、ストーカー行為とも呼べるっていうか。執念やばいねってホラー話にもなるし、一途だねっておとぎ話にもなるみたいな」
泉の的確な物言いに、この子と付き合う人は大変だろうなぁなんていらない心配をしたりした。
「さすが泉だね……」
「なんか今のぜったい、いい意味じゃないでしょ!」
「そんなことないよ! ありがとね、色々と!」
もー! なんてかわいい声に見送られ、俺はそっと玄関を出る。
今日は、県外の遊園地へ行くことになっている。
現在時刻は朝の六時半。学校へ行くよりもずっと早い時間だ。
まだバスも走っていないので、待ち合わせの駅まで自転車を漕いだ。頬を突き刺す冷たい風だっていとわず、ぐんぐんスピードを上げて、俺はただひたすら瑛人のもとへと急ぐ。
――ちゃんと言うんだぞ、俺。
何度も何度も、言い聞かせていた。
タイミングはやっぱりわからないし、伝え方も、きっと今頭の中で想像している半分もうまくやれないと思う。
それでも、言いたい。伝えたいと思う。
俺は瑛人のことが好きだって。
「岳さん」
「瑛人! おはよ」
駐輪場から駅へ向かって歩く道すがら、瑛人が後ろからそっと声を掛けてくれた。背後を取られたけど、今日は膝かっくんされなくてよかった。
「おはようございます、寒いっすね」
「ねー……けど自転車漕いだし、今はちょうどいいかも」
そう言って首に巻いたマフラーを外すと、もわっと熱気が逃げていく。
まさか目に見えるほどの熱気ではなかったと思うけど、瑛人がじいっと俺の方を見ているのが横目にもわかった。
「……かわいい、今日も」
「へ」
「いやかっこいい、かっこかわいいです、今日も」
朝からフルスロットルだ……俺は唖然としながら「え、瑛人も……」となんとか言葉を絞り出す。
ゆるめの黒のスラックスに、ショート丈のウールのコートを羽織り、首元からはちらりと白いタートルネックが見えている。瑛人のスタイルの良さがいかんなく発揮されていて、お世辞じゃなく当然かっこいい。
俺はといえば、防寒重視の黒のダウンジャケットの下にはパーカーを着て、薄い色のだぼっとしたデニムを履いている。黒いパンツを履こうとしたら、泉に暗すぎるとアドバイスされたのだ。
それで足元は、ちょっと盛れるスニーカーにした。たくさん歩けるし、少しは背も高く見えるし。それでも瑛人の隣に立つと、中学生みたいだろうなとは思う。
そんなのでも、瑛人はかっこかわいい、なんて言ってくれるんだ。今日も瑛人は、スパダリすぎる。
「……たのしみですね、遊園地」
そっと前髪に触れる瑛人の指先がくすぐったくて、俺はとうとうダウンジャケットまで脱ぐ始末……ああ、先が思いやられる……。
目的の遊園地は、このあたりでは定番デートスポットの一つで、俺は小学校の遠足でしか来たことがなかった。
賑やかなBGMが流れ続け人波が絶えない光景は、まるで瑛人の学校の文化祭を彷彿とさせる。
「うわー、結構人いるね」
「ですね、やっぱクリスマスだし。みんな考えること一緒かー」
瑛人は笑っていたけど、俺はちょっと泣きそうになった。
まさか俺が、その『みんな』に含まれる日がくるなんて、想像したこともなかったんだから。
「高校生、二人です」
「はい、いってらっしゃいませー」
「え!?」
ゲートの入口で電子マネーの準備をしていたのに。瑛人はすっとそのゲートを抜けていく。
「ほら、岳さん。後ろ詰まっちゃうから」
手を差し伸べられ、言われるがまま、俺はそれに甘えた。
「チケット……なんで? 買ってくれてたの?」
「当然ですよ、誘ったの俺なんだし」
「そうだけど……そうじゃないのに……」
誘ってくれたのは瑛人だけど、俺だって一緒に過ごしたかった。そういう気持ちで言った言葉を、瑛人はわかってくれていたように思う。
「ま、じゃあ、あとでチュロスでも買ってください。ここの塩チョコ味うまいらしいですよ」
「そんなの十分の一にも満たないじゃん」
「岳さんわかってないなぁ。娯楽施設のチュロスは、文化祭価格とは違うんですよ?」
……瑛人の言う通りだった。通りかかった売店のチュロスは、ちょうど入園料の十分の一くらい。
「じゃあ瑛人、あれ十本食べなね」
「いらねーわ、そんなに!」
堪えきれず笑みをこぼせば、やっぱり瑛人も同じように笑ってくれるから。俺はもっと瑛人に笑ってほしくなる。瑛人が笑うと俺まで嬉しくなるなんて、なんか変な気がするけど。
――昔も、たしかにそう思ったんだよな。
「よし岳さん、何からいきますか」
瑛人は腕組みをして、きらきらの瞳で俺を見やる。
「えーと……じゃあ空いてるし、バイキングとか? フリーフォールもいいけど混んでるね」
「……絶叫系好きなんだ?」
一転ひそやかな声に、あれ、と聞けば瑛人は強がっていた。
「べつに大丈夫、あんまり乗らないってだけですから。ほらいこ、まずはメリーゴーランド」
「あっははは! やっぱ怖いんじゃん!」
かわいいな、瑛人。勾配に弱くて、絶叫系にも弱いんだ。また瑛人のこと、一つ知れたな。
それから俺たちは、おとぎ話のような空間に立ち並ぶ、メリーゴーランドやコーヒーカップ、安心安全のアトラクションを存分に楽しんだ。
「岳さん、まじでいいよ、行こうよ絶叫系」
「いいよいいよ、べつにどうしてもってほどじゃないし」
「えー、でもこれじゃあ小学生と遊園地きたみたいじゃないですか」
「全然? カエルのフリーフォールも楽しかったよ」
「うそつけ!」
びょん、びょん、と間の抜けた音で上下するミニフリーフォールも、ちゃんと楽しかった。全然嘘じゃないのに。
「嘘じゃない、楽しいから。お昼食べようよ」
そう言うと、瑛人はふにゃっと力の抜けた顔で笑ってた。
「瑛人、ほんとに大丈夫……? いいんだよ、無理しなくて」
「だからぜんぜんですよ、なに言ってるのかわかんない」
「強がり……」
昼ごはんをレストランで食べるのに四十五分並び、そのあとのこと。
遊園地の見どころである観覧車と展望デッキは、丘の上にあった。そこまで登山道を歩いて登ることももちろんできるけれど、リフトで行くのが一般的みたいだ。
しかもここのリフトは二人乗りなので、カップルに人気――と、ネットの特集記事で読んだ。
けど瑛人は、どうやら高いところも苦手らしい。俺だって観覧車にどうしても乗りたいわけじゃない。もう一度カエルのフリーフォールだっていいし、くまの人形劇を見たっていいのに。瑛人と一緒なら、なんだって。
「……俺……瑛人と一緒なら、なんでもいい、よ」
一時間半待ちのリフトに並びながら、小声で勇気を振り絞った。気持ちは、言葉にしないと伝わらない。
「またそういう……岳さん悪いわ」
「わ、悪いって、」
「ありがと。でもほんとに大丈夫、岳さんと一緒なら」
さりげない視線に俺は頷いて、万が一瑛人が落っこちそうになったら、俺が下敷きになって受け止めようと決意した。
「はい、じゃあ足跡のとこに立ってねー」
ようやくリフトの順番がきて、係りのおじさんが俺たちにそう案内してくれる。
地面に印刷された足跡マークに足を揃えて、俺たちは「せーの」と声を合わせた。
「わ、わ!」
「乗れた乗れた!」
膝の裏にリフトがあたると、まるで瑛人に膝かっくんされたときのような感覚に陥った。自然と身体が後ろに倒れて、俺たちは無事リフトに乗ることに成功した。
瑛人は右手でバーにしっかり掴まり、左手は俺の手を固く握っている。俺がうっかりぷらっと足を遊ばせると、本気で怒られた。
「ねえ落ちたらどうすんの? ねえ、ねえ」
「ごめんって! 落ちないよ、それにほら、意外と高くないよ?」
「高いよ、じゃなきゃリフトの意味ない――」
と、瑛人に捲し立てられていると、ふ、とリフトの動きが止まる。
きっと、乗り降りがうまくいかなかったのだろう。
「な、なな、なに!? 止まった!?」
けれど瑛人は、大パニックである。ただでさえ大きな瞳がくわっと見開かれて、目からぽろりと落ちてしまいそうだ。
「落ち着いて、瑛人。すぐ動くから、ね」
「いやこれ、動くときの反動で落ちたりしない? ねえ岳さん、ちゃんと掴まってよ!」
「わかった、わかった……瑛人、大丈夫だってば」
ほんとうに怖がっているから、かわいいを通り越して、安心させてあげたくなる。俺は瑛人の手をぎゅうっと握り、何度も「大丈夫だよ」と繰り返した。
「……岳さんの大丈夫って、なんかすごい」
「え、そう……?」
だって絶対すぐ動くってわかってるしな……。
「迷子になったときもそうだった。岳さんずっと大丈夫、大丈夫、って言ってくれて」
「そうだったっけ」
俺はあのときのことに思いを馳せたいのだけど、自分がなにをしたのかについては、あまり思い出せなくて。
泣き顔の綺麗な瑛人のこととか、泣き顔が笑顔に変わったときの不思議な気持ちとか、あと、一人きりで花火を見るのはさみしかったから、瑛人が迷子になってくれてよかった、なんて最低なことを思った、気持ちの欠片しか思い出せなかった。
「よく考えれば岳さんだって迷子なのに、なにが大丈夫なんだろうってかんじだよね」
「……それはそうだ」
「でもあのとき、岳さんの言ってくれる大丈夫は、ほんとうに大丈夫って思えちゃったんだよなぁ」
いつもの余裕たっぷりとはいかないけれど、少し落ち着きを取り戻した様子の瑛人は、にこにこ嬉しそうに笑っていた。リフトが動き出したから、かな。
「ね、大丈夫だったでしょ」
「はい、取り乱してすみません」
固く結んだ手が、ほんの少し緩んで、俺はちょっとさみしかったりして。瑛人が安心できたなら、そのほうが絶対いいのにな。
リフトはゆっくり、ゆっくり、けれど確実に、上へ上へと上っていく。
思えば俺の気持ちもそうだった。瑛人への気持ちはゆっくり少しずつ、けど確実に、上へ上っていくばかりだった。
恋はジェットコースターなんていうけれど、全然。瑛人への気持ちはぐんっと加速して上ることはあっても、落ちることはなかった。
たまに少しだけ、止まってしまいそうになるときもあったけど、またすぐに動き出した。瑛人の存在が、俺を動かしてくれたから。
ゆっくりとしか動けない俺のことを、瑛人はずっとこうして、隣で待っていてくれたんだよな。
「――――好き」
「……え?」
きりっとした横顔が、ゆっくり俺のほうを向く。瑛人は怪訝な目つきで、俺を見つめている。
「……あ……?」
――俺いま、声に出てた!?
ぎょっとしたところで、頂上が見えてきてしまった。
「え、えっと、あの……!」
「はーい、まだねー、まだよー」
係りのおじさんの単調な声が、右から左へ抜けていく。
「え、えいと――」
「はい、せーの!」
足跡マークに足をおろして、だだだっと斜めへ駆け抜けるはずだったんだけど……。
「ちょっ、岳さん!?」
ビーッという警告音で、リフトを止めてしまったのは――もちろん、俺。
「す、すすすみません!」
「大丈夫大丈夫~よくあるからね~」
おじさんはそう言って励ましてくれたけれど、恥ずかしくて消えたい。
俺は瑛人のことで頭がいっぱいで、足跡マークの上に突っ立ったまま、リフトに押しだされるようにして、こけた。
「なにやってんの、まじで!」
瑛人は爆笑している。俺がどんなにぽんこつでも、瑛人がここまで大笑いすることってなかったのに。
――さ、最悪だ……雰囲気とかタイミングとか、それ以前の問題……!
「かわいすぎてずるいな」
「いやどこが……!?」
「痛いとこない? 大丈夫?」
そんなふうに優しく心配されてしまうと、もう完全に立場がない。こくりと頷いた俺の顔は、きっと真っ赤だ。吹きつける冷たい風が、心地よく感じてしまうもんな。
展望デッキの上には、人がたくさんいた。
たくさんいすぎて逆に、誰も見ていないような気がした。
もう、どうせかっこつかないんだ。今言うしかない――咳払いを三度くらいして。覚悟を決める。
「瑛人……あのさ」
「……はい?」
ゆっくり、瑛人が俺の顔を覗き込む。ごく、と生唾をのんで、俺も視線を持ち上げ、瑛人の綺麗な瞳を見つめた。
いつから、なんで、どうして――聞かれたら答えに迷う。
文化祭で自覚したあの瞬間? それとも毎週水曜日の放課後のどこかで? もっと前、花火大会の日から? わからない。
出会った瞬間からイケメンだなぁと素直に憧れたし、同時に不気味だなとも思った。
何度も何度も瑛人の気持ちを疑ったし、同じくらい信じたいとも思って。
けど俺にはそれが難しかった。どうしても、俺なんかが、そう思ってしまう癖がある。
それでも瑛人は、どんな俺にも、ずっと――ほんとうにずっと、隣で気持ちを伝え続けてくれたんだ。俺の気持ちのぜんぶを、笑わず受け入れてくれた。
だから好きになったのかと聞かれたら、うんとも、ううんとも、言えない。
もし瑛人じゃない誰かが同じことをしてくれたとして、俺はその人を好きになったかといえば、きっとそうじゃないと思うから。
俺は、小湊瑛人が、好きなんだ。
「瑛人のことが、好き」
声に出したら、喉の奥が焼けるように熱い。
胸の奥からじわじわと気持ちが溢れてきて、なんだか手が震えてた。
「……ほんとに?」
丘の上では風が吹き荒れ、俺も瑛人も髪の毛はぐしゃぐしゃだ。
だからよく見えた。瑛人の綺麗な色の瞳が、ゆらゆら揺れていること。きっと同じように、真っ赤に茹だっている俺の顔も丸見えだろうけど。
「ほんとだよ……ずっと待っててくれて、ありがとう」
凛々しい顔はふにゃふにゃになって、とろけそうに甘く俺を見つめて、俺はそれを好きだなと思う。好きだなと真っ直ぐ思える自分を、少しだけ褒めてやりたくなる。
どう見ても不釣り合い、そんなのずっとわかってるし。
俺が誰かの特別になれるだなんて、信じられない気持ちだってあったのに。
俺は真っ直ぐに瑛人を好きだと思えるようになった。
隣に立ちたいと、そんなおこがましい気持ちを大切にできるようになった。
「瑛人……あの……俺とつきあ――」
「それは俺から」
瑛人の大きな手のひらが、ゆっくりと伸びてくる。頬にそっと添えられると、なんだか妙にしっくりくる気持ちになった。
注がれ続ける熱い視線に応えたくて、じっと見つめ返したりして。もう三秒以上、そうしてる。
「岳さん。俺と付き合ってください」
小さく震える声、じわじわと赤く潤んでいく瞳。俺はきっと一生、この光景を思い出して「ムフッ」とか「グフッ」って顔をするんだと思う。
けど瑛人はそれを好きだと言ってくれるんだから、どんどん、そういう顔をしていこうと誓った。
「……よ、よろしくおねがいします」
控え目にお辞儀をすると、頬に添えられていた手はするする降りていき、俺の指を絡め取っていく。
「じゃあ……こっからが初デート、ね」
――ス、スパダリ降臨……!
願わずとも俺の顔は、さぞかし不気味な「グフッ」顔になっていることだろう……。
それから観覧車はまさかの三時間待ちで断念して、俺たちはアスレチックで年甲斐もなく本気で遊んだりした。
瑛人の手足の長さはずるかったけれど、汗が滲むくらいの本気のタイムトライアルをしたりして、すごくたのしかった。
「岳さん、足跡マークで突っ立ったままじゃだめですよ、わかりました?」
「わかってるよ! さっきはちょっと……その……あれだっただけ!」
「あれ」
綺麗な顔が涼やかに笑うと、かなりいじわる味が増すな……。
「瑛人だってリフト止まってガクブルしてたくせに……」
「なんてー?」
「ちょ、ちょっと! 瑛人!」
ぐぐっと顔を寄せられて、やっぱり俺の負けだ。いや勝ち負けとかないかもしれないけど。でも先に降参の白旗を上げるのは、いつも俺のほうだ。
「え、瑛人さーん……?」
いつもなら俺の降参を受け入れて、すんなり引いてくれるのに。瑛人の綺麗な顔は、まだ俺の目の前にある。
「はい、おにいちゃんたちー。足跡マークのとこに立って待っててねー」
「あ……は、はい」
係りのおじさんが声を掛けてくれて助かった気持ちと、ちょっと残念な気持ちと。まったく、やましいやつだ、俺はやっぱり……。
せーの、の掛け声でふわりとリフトに座らされると、俺たちはまた、手を繋ぐ。
「下りのほうが怖いじゃないですか!」
「ね、俺も思った」
「目ぇつぶってようかな……」
「そのほうが怖くない? なんか話してればすぐ着くって」
そうは言ったものの、気の利いた話題は思いつかず、瑛人が話を振ってくれた。
「ここ、温泉ありましたね。あとグランピングとか」
「ね、あったね。イルミネーションも見えるらしいよ」
この遊園地の目玉は、何万個のLEDを光らすイルミネーションで、あと数時間で点灯時刻になる。
その素敵なイルミネーションが見える温泉だとかグランピング施設があると、ネットにも載っていた。
「次来るときは、泊まりで来ようね」
瑛人はさらっと言ったけど、手がぴくりと動いたのがわかる。
「ん……そ、そうだね……泊まりで、ね……」
俺の思考回路は、今日一日よくがんばったと思う。もうショートしても許してやりたい。
――次……が、あるのか。と、泊まり……お泊りで……。
『下心』でかでかとそう書かれたTシャツを着たもう一人の自分が、頭をめちゃくちゃにしている気がした。
「わっ、まただ!」
ぴた、っと止まったリフトに瑛人は文句を言う。
「岳さんみたいな人がいたんだな、きっと」
「ちょっと……! よくあるっておじさんも言ってたじゃん!」
「あは、ごめんごめん」
ふわっと白い息がたくさん生まれて、消えていく。俺のと、瑛人のと。
動かないリフトに並んで座る俺たちは、視線を絡ませ固まっていた。
「……岳さん」
それを合図みたいに、どちらからともなく顔を寄せる。瑛人の長いまつ毛の本数が数えられそうなくらい、すぐそこにあって――。
「……だからさぁ、岳さん」
「……へ?」
「逃げてくれないと」
「なっ……!?」
――ここまでしておいて!?
さすがの俺も怒ってやりたかったのにな。
「とろけそうな顔の岳さん、誰かに見せんのは無理だから」
そっぽを向いた瑛人の言葉で、はっとした。
斜向かいで同じように止まったリフトに乗っているお客さんたち、後ろにだってもちろん人が乗っている。
――お、俺……今キス、期待して……全然周り見えてなかった……!
「ちゃんと味わいたいから、まだ、しない」
けど、ちら、と俺を見やるその瞳が、今のはやっぱり、期待したの俺だけじゃないでしょ――なんて図々しい想像をさせてくる。
……図々しい、と、思うけれど。
「ま……まだ、だからね」
俺は瑛人のことが好きで。瑛人も俺のことが好き……なんだから。
きっと、これでいいんだ。
すると瑛人は、見たことのない幸せそうな顔で笑ってくれた。
「ん、約束です」
そう言いながら互いの小指を絡めて、瑛人がぷらりと足を揺らす。
「わ! やば!」
「ふはっ、自分でやったんじゃん」
俺たちはそうやって何度も何度も、くだらないことで笑い合う。そのたびにリフトは揺れて、繋いだ手を何度も握り締めた。
「せーの!」
声を揃えて、今度は無事、リフトを降りられたのだけど。
あまりに力んでいて、駆け抜けたまま、思いきり瑛人の胸に飛び込んでいた。
「ゲットー」
けれど瑛人はご機嫌な声で、しっかりと俺を受け止めてくれたから。
「……あは……ははっ」
そこかしこにいる人の目なんて一つも気にせず、俺はもう一度抱きついたりして。
きっと明日になれば……いやもうすでに。恥ずかしくてごろごろ転がってしまいたいくらいだけど。俺は今日のことを、一生忘れないと思う。
好きな人に好きだと言えた記念日。好きな人が付き合おうと言ってくれた記念日。本気で汗を流して遊んだ記念日だし、それから、キスの予約をした記念日――。
ひとつひとつ数えたらキリがないな。まとめて言うならつまり。
生まれて初めて恋人と過ごした、特別なクリスマス、だ。



