その日の夜、しおれた気持ちでベッドに伏せる俺に、瑛人からメッセージが届いた。
そこには、やっぱり疲れてたのかもとか、ごめんなさいの文字が何度も出てきたけど、俺が聞きたいのはそういうことじゃないから、悲しかった。
『気にしないで』と返事を打って、用の済んだスマホを、ぽいと枕に投げ捨てる。それから布団にくるまって、きつく目を閉じた。
なにがあったのか言ってほしい――それは俺のエゴだ。瑛人が言いたくないのなら、言う必要なんてない。
けれど、瑛人の眉をああも引き下げてしまうなにかがあったのに、話すら聞かせてもらえないのは、素直にさみしいとも思う。
それから数日経っても、薄くもやのかかったそれは、なんとなく俺たちの心に停滞し続けたまま、けれど毎晩メッセージのやり取りだけは続けて、水曜日。
俺たちはいつもと変わらない、おだやかでゆるやかな時間をカフェで過ごし、お互いそれに触れることはなく解散した。
「ちゃんと……話さないとだよなぁ」
自転車を走らせる田んぼ道に、俺のひとり言がいくつも落とされていく。
あの日瑛人になにがあったか、よりも、話してもらえないことはさみしい、と伝えたかった。できれば力になりたいと思っていることも。
スバくんとこじれた苦い日々を思い起こすと、やっぱり瑛人には、自分の気持ちは伝えた方がいい気がしたんだ。
コンコンコン――泉の部屋のドアを三回ノックする。
「泉、起きてる?」
「なにー?」
部屋の中から声がしたので、俺はそっとドアノブを引いた。
「ごめんね、寝る前に」
「全然いいけど、めずらしいね。おにぃがあたしんとこ来るなんて。漫画?」
ベッドに寝転がっていたふわふわパジャマ姿の泉は、不思議そうな目で俺を見ている。
「いやちがくて……んーと、最近……どう?」
「……はぁ?」
当然、意味わかんないって顔が返ってくる。俺自身だってそうだ、なに聞いてんのか、意味わかんない。
「ごめん、そうじゃなくて……」
「……小湊くんか」
「え!?」
見事に言い当てられてしまうと、あまりにもわかりやすすぎる自分が恥ずかしくなってきた。
「あ、ご、ごめん、なんでもない!」
「ちょっと、まってまって! 気になるから最後まで言ってよ!」
慌てて部屋を後にしようとすれば、泉はそう引き留めてくれる。
こんなとき「なんでもないよ」と部屋を後にできるのがいい男であり、いい兄でもあると思うのだけれど。
「実はさ――」
俺はどっしり腰を据えて、泉に相談していた。
「――なら来ちゃえば? 土曜日」
「え?」
「文化祭だよ。おにぃが来たら絶対喜ぶでしょ、あの人」
――喜ぶ……か?
「そ、それはどうだろ、誘われたわけでもないのに、勝手に来たら怒るんじゃ……」
「平気でしょ、万が一怒られたら言ってやればいいんだよ。おまえじゃなくて泉に会いにきたんだーってさ」
自分をスケープゴートに使えと言ってくれる妹……頼りがいがありすぎる。
「きっとおにぃのこと見つけたら、小湊くんめちゃくちゃ破顔するよ。断言する」
「そんなことは……ない、と思うけど……」
「けど?」
泉はいじわるく俺を見つめ、次の言葉を急かしてくる。
「……けど……行、く」
ぎゅうっと握りしめたスウェットには、きっと汗が滲んでいると思う。
俺を見て笑顔になってくれるとは到底思えないし、むしろ引かれそうでちょっと怖いのが本音だけれど。
ぐずぐず家にこもっていても、ずっと心の中で気持ちをかき混ぜているだけでも、行動しないとなにも変わらないってことを、もう俺はよく知っている。
「おにぃ、変わったね。……なんかいいかんじだ、今のおにぃ」
じいっと品定めするように俺を見やって、泉は言う。
「そ、そうかな……」
「口調は相変わらずナヨくてやだけど」
「泉はきつすぎるって……!」
なら足して二で割ればちょうどいいのにね、なんて二人で笑い合う。
それから泉のお言葉に甘えて、文化祭に着ていく服を考えてもらったりしながら、その夜は更けていった。
『おはよー』『今日うち文化祭』『岳さんはなにしてんの?』
土曜日。今朝の瑛人からのメッセージに、既読はつけられなかった。
俺がなにしてるかって? いま、君の元へ向かっているところです――……なんて、ちょっとホラーだし。俺は結局言い出せないまま、文化祭当日を迎えてしまったのだ。
県の中心部にある瑛人たちの学校まで、バスに揺られること、一時間弱。
最寄りのバス停で降りれば、すぐにメルヘンチックな校門装飾が見えてきた。賑やかな雰囲気が、じりじりと俺の足元まで迫ってくる。
――……あれ……? な、なんか……。
近づけば近づくほど、違和感とBGMは大きくなる。
「こんにちはーっ!」
「ダンス部ステージ、間もなくですー! よかったらきてくださいー!」
「講義室でカラオケ喫茶やってまーす! よろしくおねがいしまーす!」
「……あぁ……ハイ……」
どうしよう、変な汗が、とまらない――。
まるでテーマパークにでも来たみたいだ。大音量で流行りの音楽が流れ、華やかな衣装を身に纏った生徒のみなみなさまは、俺のような根暗オタクにも、もれなく声を掛けてくれる。チラシを手渡してくれる。
「すご……」
他校の文化祭に来たのは初めてだから、比べられるのは自分の学校しかないのだけれど。俺の学校の文化祭は、こんなお祭り騒ぎではない。もっと質素だ。
こうだとわかっていれば、きっと俺は今日を選ばなかった。だけどもう、足を踏み入れてしまったのだから――汗で冷えた手で、決意の拳を握る。
俺は瑛人との間に、触れられないなにか、があるのは、いやだ。
――大丈夫、大丈夫、がんばれ、俺……!
心の中で自分を鼓舞し続けて、いざ瑛人のクラスへ! と足を踏み出したときだった。
「小湊くんきたって! ね、はやくはやくっ!」
「まってまって! どうしよ緊張してきた!」
いつもより少しだけ勇敢になった俺の横を、バタバタと女の子たちが駆けていく。それも一人二人なんてものじゃない。あっという間に渡り廊下に花道ができて、「小湊くん」がやってくるのを待ち構えている様子が窺える。
「アイドルかっつうの」
女の子たちの間から窮屈そうに出てきた男子生徒の、言う通りだと思った。
まさしくアイドルの出待ちって、きっとこんなふうだ。呆気にとられ、いつの間にか勇敢さは溶けてなくなってしまった。
「きゃあーっ!」
甲高い悲鳴とともに、一層騒がしくなる渡り廊下。周りを固めるのは女の子ばかりだし、瑛人はとても長身だから、よく顔が見えてしまう。
「うわー、ここ通行の邪魔になるから一旦散らばりましょ」
「小湊くんっ、写真いいですかっ」
「通行の邪魔になっちゃうからあっちで」
「やばぁ! まじで顔面えぐぅ!」
「えぐいって褒め言葉じゃなくない?」
瑛人がにこっと微笑むだけで、あの子たちが恋に落ちる音が、ここまで聞こえてくるようだった。そっか、瑛人は王子様タイプなんだな。
「じゃあすみません、まだいろいろ仕事あって」
「えーっ!」
「俺よりおもしろい出し物、いっぱいあるから!」
瑛人は、俺もよく知っている笑顔で、ファンの子たちにそう言った。
ずっとお守りみたいに心の真ん中にある、優しい笑い方だ。
――……ん……?
細い針でちくちく、心臓を突かれてるみたい。痛くはない。けど、なんだかかきむしりたくなるような不快さ。
「……瑛人……」
大きな声で、瑛人の名前を呼べたらいいのに。あの輪の中に飛び込んで、手を引っ掴んで、それから走って連れ出して――って、なに考えてんだ、俺?
そんなことしてどうするつもりだ、というかそもそも、できるわけないだろ……。
にこにこと愛想を振りまく瑛人の姿を、じっと眺めていた――そのとき。
「……え」
思わず、声が漏れてしまった。
だって、瑛人が、こっちを見ている。
――お、俺か? いや、ちがうか……? いやでもあれ、俺を見てる……?
しばらく顔を見合わせて? 固まっていると、瑛人は視線はそのままに、耳にスマホをあてた。
「うわ、鳴ってる……!」
――やっぱり俺だったんだ……! どどどどうしよう……!
咄嗟に瑛人に背を向け、廊下の壁にめり込むようにぴったりくっつく。このまま壁と一体化してしまいたい。だって、予定ではもっと普通に声を掛けるつもりだったのに。これじゃあまるで、ストーカーみたいだ。
「やっぱり岳さんだ」
「うわぁっ!」
突如耳に降りかかる甘い声。
と同時に、崩される俺の膝――瑛人お得意の膝かっくんに、芯のない俺の身体は、そのままふらりと後ろに倒れそうになった。
「あぶなっ」
「え、瑛人っ! それびっくりするってば……!」
「ごめんごめん、なんか岳さん見るとやりたくなんだよね」
やりたくなんだよね、じゃないよ、もう……!
恒例の水曜日も背中側をとられると、よくこれをやられる。けど、今日のは過去一綺麗に決まったな……。
バランスを崩した俺の身体をすっぽり受け止めてくれた瑛人は、あろうことかそのまま、背中をきつく抱き締めてきた。
「な、ちょ、ちょっと! 瑛人!?」
「なんでいるんですか、ねえ」
「あの、ごめ……ごめんだけど、離れないと……!」
瑛人は背が高いから、まるごと隠してもらえることだけは救いだけれど。このままじゃ、騒ぎになるのも時間の問題な気がする。こんなの絶対まずいのに。
「なんかこんなシーン、ありませんでしたっけ。文化祭でバックハグで隠れるやつ」
「え? あ……『キミが恋をダメにする』かな。いおさやの……」
「それそれ! キミダメだ!」
朗らかな声が耳元ですると、きゅうきゅうと喉が締め付けられた。
ついさっきまでたくさんの女の子に囲まれていた王子様は、今、俺と同じBL漫画のシーンを思い起こしている。それそれ! なんて同意をくれるんだ。
嬉しいのに、くるしい。瑛人といると、やっぱりそんな不思議な気持ちを抱えさせられる。
「ねえ岳さん。なんで来てくれたの?」
――会いたかった。会って話がしたかった。
瑛人を笑顔にできたらいいなと思ったから。
「……テスト……も、終わったことだし、みたいな……?」
「……ふふっ……やっぱ素直じゃないなぁ」
「ちがっ……!」
振り向いたら、視線が絡まる。俺のかわいくない謎の強がりも、やっぱり瑛人にはまるっとお見通しらしい。ふふん、という得意げな顔が俺を見つめて、それから。
「……会えて嬉しい」
下唇を噛みしめて笑う、俺の好きな笑顔。
それは今、ぜんぶ、俺だけのものだ。
「……俺も、嬉しい……」
瑛人が笑ってくれたこと。その笑顔が俺だけに向けられていることが、ただただ、嬉しい。嬉しくて、くるしい。
「あー……いおさやって、このあとキスしませんでしたっけ」
「は!? し、しないよ! 後夜祭でする……んだ、よ……」
「……へー……」
じとっとした目つきで見下ろされると、もう、身体のどこにも力が入らなかった……。
それから瑛人の案内で、クラスの出し物に連れて行ってもらうことになった。
「いらっしゃー……ってなんだ小湊かよ」
「なんだじゃねーよ、ほら、お客様っ!」
瑛人は俺の肩を抱き、メイド服の男の子たちを急かす。
俺は何度も何度も前髪のカーテンを揺らした。
「あー、すんません! おひとりさま――」
「ふたり、だろ、どう見ても」
「え?」
「ふ・た・り」
そう言って、自分と俺を交互に指差す瑛人。
「あれ、弟? おまえ弟いんだっけ?」
「弟なんかいねーよ、なに言ってんの? はやく案内してくんない?」
「えらそーだな!? どーこがみんなの王子様だよ! 暴君だわ、暴君!」
「ハイハイ、おふたりさま入りまーす」
とうとう瑛人が自ら声を張り上げると、メイド服の男の子たちは爆笑していた。
「はい、岳さん、メニュー。おすすめはチュロスね、イチゴ味」
「その顔で甘党なのまじで腹立つわぁ」
「さすがに言いがかりすぎ」
注文を取りにきてくれた男の子のメイドさんに、瑛人は目もやらずに返事をした。
――瑛人が甘党なことなんて、そりゃ友達はみんな知ってるよな……。
最近気づいた、瑛人の好み。選ぶとなればいつだって、その中で一番甘そうなものを選ぶ瑛人のことは、なにも俺だけが知っているわけじゃないらしい。
謎のしょげた気持ちに、自分が一番引いた。
「岳さんどうする? なににする?」
「あ、えと……じゃあ、」
瑛人おすすめのイチゴ味のチュロス、そう注文しようと視線を持ち上げると、クラスメイトの男の子はとても奇妙な顔をしていた。なにかおそろしいものでも見てしまったような、息を呑むような顔。
――ひょっとして、泉と俺が双子だって、気づかれた……?
「岳さん? どした?」
岳って名前、知られてたのかな。どうしよ、またバレて泉に迷惑かけたら――。
「いや小湊、おまえ……なんて声出してんだよ……」
――……ん?
「は? べつに普通だけど」
「そう、それが普通な。で、ガクさん? に、もっぺん話しかけてみ」
「岳さん?」
「きっしょぉ! ちょ、動画撮らせて、女子に売れる気がする」
「ふざけんな、だめだめ絶対むり」
な、なんだ……よかった……! ほっと安堵の息を吐く。俺が泉の兄だってことは、トップシークレットに値するからな。
「あの、チュロス、イチゴ味のでお願いします」
「ハイ、注文入ったよ! ほら、働け働け」
「おまえに言われたくなぁ!」
ぶつぶつ言いながらも、瑛人のお友達は、丁寧にお辞儀をしてくれた。
それから俺は、ずっと気になっていたことを聞いてみる。
「もしかして……瑛人もメイド服着るの?」
「着ないですよ。俺は実行委員の仕事あるから、クラスのほうは裏方にしてもらってる」
――な、なんだ、ちょっと残念……。
「なに残念そうな顔してんですか、かわいいから今すぐやめてください」
「か、かわ……? はぁ……!?」
あまりにしれっと言うものだから、つい反応が遅れた。あーあもう……。
それから瑛人は「どうせ客引きさせられるけど」なんて愚痴っぽくこぼしていた。
ついさっき、女の子たちに囲まれていたように。きっとたくさんの人が瑛人に惹かれて、ここへやってくるんだろうな。
また少しだけ、心臓がかゆくて、背中が丸まる。
「お待たせしましたー。チュロスでーす」
ちょうどそのタイミングで、瑛人のスマホのアラームが鳴る。実行委員の巡回の時間がきてしまったのだ。
「岳さん、このあと――、」
しょぼくれた俺に、瑛人がなにかを言おうとしてくれたとき。
「あれっ、おにぃ!?」
まさかの呼び名が、教室に響いた。
ぎょっとして黒板の方に目をやると、お揃いのクラスTシャツの集団の中に、泉の姿を見つける。
――な、なにがおにぃだって!?
こんな大勢の前で、自らバラすなんて……俺の胸には、怒りにも似た感情が押し寄せた。
「ごめん、すっごいおっきい声でちゃった」
「ちょっと、なに、いいからもう……!」
俺の心配をよそに、友達を引き連れてくる泉にたじろぐ。こんなのきっとまずいことになる。そうとしか思えない。
「あらやだ、執着系男子~」
泉がふざけてそう言うと、瑛人は顔をしかめた。
「うっわ、至近距離の小湊くんやばっ」
「泉と並んで見劣りしないのさすがすぎる」
泉の友達たちは口々にそう言って、目は、すん、と据わっていた。気持ちはとてもよくわかる。美しすぎて、感情を失うよな、この二人をいっぺんに目に映すと。
「俺これから巡回あるんすけど、岳さん見ててもらえますか」
「なにその保護者みたいな言い方! 言われなくてもあたしのおにぃなので、ご心配なく」
「逃がさないでくださいよ、絶対」
「……おにぃ、ほんとにこれでいいの……?」
泉と瑛人の遠慮のない会話に、やっぱり胸がかゆくなる。なんなんだ、さっきから……。
俺の知らない瑛人の姿を知れるのは『嬉しい』のはずなのに。
「岳さん、迎えにきますから、ここにいてくださいね。移動するなら連絡して?」
「う、うん……わかった」
瑛人は教室を出て行く。取り残された俺と、泉と、お友達が他に三人。ぐるっと机を囲んで座った。
「他の席案内してもらいなよ、泉」
「え、だって執着男子に頼まれちゃったもん」
泉はちゅう、っとドリンクのストローを吸い上げて素知らぬ顔をする。
「お兄さん、小湊くんとお友達なんですか?」
まあるい目で尋ねてきた女の子に「あ……っと……」と言いあぐねていると、泉は「友達じゃないでしょ?」なんていじわるく囁いてくる。
「と、友達……」
友達……じゃ、ない、けど。
「まあなんか、タイプ違いますよね、お兄さんと小湊くん」
「てかやっぱ泉、付き合ってるでしょ? 雰囲気良すぎだわ」
「なんで言ってくんないのー!?」
会話はハイペースに進んでいくけど、泉はぴしゃりと「なわけないでしょ」とその流れを断ち切る。
俺はそれにうまく笑えていたかどうか、よくわからなかった。
誰がどう見ても、瑛人と泉はお似合いで。
俺と瑛人は、友達としてすら釣り合い取れてなくて。
それどころか、弟に間違えられたしな。俺のほうが年上なのに……。
――それでも瑛人は、俺だって言ってくれるんだから。
いつものネガティブがひょっこり顔を出さないよう、何度も何度も、心の中でそう呟きながら。瑛人が迎えにきてくれるのを、ただじっと待っていた。
「岳さんっ」
教室に駆けこんできた瑛人に、ふわっと色めきだつ空気。まだ約束の時間まで十五分以上あったけれど、瑛人は迎えにきてくれた。
「行きましょ」
そう言って自然に手を差し出され、俺もその手を取ろうとしたところではっとする。
――あ、あぶなっ……!
目の前には泉や、泉のお友達だっているのに。なにをしてんだ俺は。
「ちゃんとおにぃのこと捕まえときましたよー」
「ハイ、ありがとうございました」
「感情なっ」
ふりふりと手を振って俺たちを見送ってくれる泉の目は、すごく生温かかった。
それから瑛人のクラスを出て、並んで廊下を歩く。足取りが軽すぎて、自分でもびっくりだ。隣に瑛人がいてくれる――それだけで心が晴れ渡る。
「岳さん、チュロス食べないで待っててくれたの?」
「え? あ、うん、戻ってきてくれるって言ってたし……」
「ふふっ……さすがすぎる岳さん。す――」
「だめ!」
「なんでですかー」
「人たくさんいるでしょ……!」
よかった。今日は、瑛人の好き好き攻撃を回避できた。
こんな人混みで聞こえはしないだろうけど、とにかく瑛人は目立つからな。万が一にでも聞かれたら、瑛人の高校生活が終わってしまう。
「岳さん、どっか気になるとこありました? なければそれ――」
そう言って、瑛人の手がチュロスに伸びてきたときだった。
「あのっ! 小湊くん!」
かわいらしい声が、瑛人を呼ぶ。
声に振り向くと、そこには華奢な女の子が三人、立っていた。
三人で一人ってくらい、ぎゅうっとくっついて、勇気を振り絞って瑛人に声をかけたのが、なんとなくわかる。
上履きの色が瑛人とは違うから、学年が違うのかな。
「一緒に写真撮ってもらいたくて……最後に!」
「あのね、この子、来月転校しちゃうの! だから最後に一枚だけ――」
瑛人は俺に「いい?」とでも言うように目を合わせ、俺もこくりと頷いた。……のに、だ。
「ブースで撮ってもらえませんか!」
――ブース……?
はて、と思ったところで瑛人は歩み寄る足を止めていた。
「それ、時間かかるからちょっと今は無理です、すみません」
「すぐ終わらせるから! どこのブースでもいいの、並んでないとこで!」
「俺も約束あって……今はすみません」
瑛人がそう言っても、彼女たちはなかなか引かない。瑛人が受験生の頃からずっと憧れていたとか、親の転勤に泣く泣くついて行かなければならなくなったとか、とにかく、たくさんの気持ちを伝えていた。
「お願い、小湊くん!」
転校してしまうという彼女の目は、いよいよ潤み出したようにみえる。
「俺も今からやっと回れるとこなんで、ほんとすみません」
ず……ん、と重い空気。関係ない俺ですら逃げ出したくなっているのに、この場の誰も逃げないんだから、みんな肝が据わっている。
「すぐ終わらすってば、一枚くらいいーじゃんね」
その空気を切り裂いたのは、ポニーテールのお友達の、ちくっとした言葉だった。
「だってこの子、ほんとにずっと小湊くんに憧れてたのに」
綺麗な顔は、みるみる歪んでいく。
自分に言われたわけじゃないのに、なぜかキリキリ胃が痛んだ。
けれど瑛人は、毅然とした態度を崩さない。
「気持ちは嬉しいですけど、それを受け取る義務は俺にはないんで」
冷たくもなく、あったかくもない、フラットな言い方。
瑛人ってやっぱり人格者だなぁ――。
「……あの、ほんとにすぐ終わるんで……」
すると、なぜか今にも泣きだしそうなあの子の目は、俺を見捉えた。
「……ん、え?」
最悪、ばかっぽい声がでた。だってちょっと、びっくりした、突然のことで。
「は、勝手に話しかけないでくださいよ。ほんと、今は無理だからもういいですか」
埒あかないから行こう――そう言い捨てて、瑛人は俺の腕を引こうとした。その言い方はひどく冷たくて、鋭い。
とうとうあの子の涙が地面に落ちて、さいてー、なんなのあれ、なんて小さな棘が、瑛人の背中に飛んでくる。
――……あ、これ、知ってる。
すうっと心が冷えていくのを感じる。
「あ、あの、瑛人」
「ん?」
「……行って、あげたら」
「……は?」
「俺、待ってるから……ほら、すぐ終わるって言ってるしさ」
俺は唇の端を目いっぱい持ち上げて、渾身の笑顔を作った。
瑛人にまで迷惑をかけるのは、絶対だめだ。瑛人に影を落とす存在に、俺はなりたくない。
「お願いしますっ!」
息を吹き返した女の子たちが、頭を下げて。
「……ここで待っててください、ぜったい。勝手に帰ったら許しませんよ」
さみしげに眉を寄せた瑛人の声には、温度がなかった。
花壇の隅っこにうずくまって、俺は植栽に馴染む努力をした。
俺がしたこと、たとえば泉に話したら「バカだね」と一蹴される気がする。俺自身も、なにしてんだよ、とは思う。瑛人は俺との約束を守ろうとしてくれて、俺はその優しさを無下にしたんだから。
けどその理由は、べつにいつものネガティブとはちょっとちがう。
俺はそう思っているから、余計わからなくなるんだ。
瑛人の背中に投げつけられた刺々しい言葉を耳にしたとき、脳裏を過ったのは、忘れることのできない、苦い記憶だった。
中一のとき、俺は運動会のリレーで、派手にこけた。
たったそれだけのことに思えるけれど、泉をよく思わない女の子たちにとっては、格好の的だったらしい。「家族にあんなのいるとか汚点じゃん」だったっけ、あれは正直効いてしまった。
だってそれ、俺自身が一番よくわかっているから。
「ふざけんなっ! おにぃのなにを知ってんだよ!」
だけど、なにも言い返せなかった俺に代わって、泉はものすごく怒ってくれたんだ。その取っ組み合いを止めてくれたのは、スバくんだった。
「美園泉って、キレるとやべーんだろ?」
切り取られた部分だけが噂になって広がり、あげく、スバくんと仲がいいから遊び人だ、なんて言われ出した。
それを片っ端から潰していってくれたスバくんにだって、被害は飛び火しているのと同じだった。
「あんなの気にしなくていいよ」
「くだらなぁ、どうでもいいわそんなの」
泉もスバくんも、いつも俺を庇ってくれた。その背中に飛んでくる小さな棘から、大きな槍(やり)まで、俺は一つだって防いであげられたことなんてないのに。
二人は強いけれど、傷つかないわけじゃないのに。
もう俺は、自分のせいで大切な人を傷つけてしまうのは、いやだ。
だからなるべく目立たず、波風立てずに生きていこうと決めたんだ。
「……俺にはこれしかわかんないよ」
どうしたら大切な人を守れるのか、俺には他の方法がわからない。
自分さえいなければ、すべて丸く収まる気がしてしまう。
俯いて、ゆらゆら前髪のカーテンを揺らす。
誰にも見えない、透明人間になりたい気持ちだった。けどなれないから。俺はこの前髪のカーテンで人の目を遮るんだ。
視界に映るのは、ピンク色のチュロス二本。それだけ。
――ほんとは、これだけでいいのにな。
俺は帰りたくなった。
夏には冷房が効きすぎて少し寒いくらいだった瑛人の部屋でもいいし、BL漫画しか置いていない退屈な俺の部屋でもいい。
二人ではしゃいだショッピングモールのゲームセンターでも、ゆっくりおだやかな時間の流れるカフェでもいい。
もっと前、二人きりで手を繋いで歩いた、あの花火大会の夜だって。
とにかく、俺と瑛人。二人しかいなかった平和な世界に、帰りたい。
――会えて嬉しい。
朝聞いたばかりの甘い声が、俺の呼吸を浅くする。心の真ん中にある、やわらかな笑顔。その笑顔はついさっきまで、ちゃんと隣にあったのに。
勝手に帰ったら許さないと、さっきそう言った瑛人の顔は、さみしそうだった。凛々しい眉毛は八の字になってしまっていて、胸が痛んだ。
あんな顔、させたかったわけじゃないのにな。
俺だって瑛人に会えて嬉しくて、笑ってくれて嬉しくて、隣を歩いてくれるだけで、嬉しかったのに――なんで俺ってこうなんだろう。
うまく立ち回れない、そういう自分のことが、昔から大嫌いだ。
――俺は岳さんのことが好きなのに
――好きだよ、岳さん
――好き、ほんとに好き
……なのに瑛人って、やっぱりちょっと変わってる。こんな俺のこと、ずっと好き好きって言ってくれるんだもんな。ずっと隣で、こんな俺のことをさ――。
「…………ちがう、よ……」
自分の声が、ぼんやり耳に届く。心に、ぽっと瑛人の笑顔が浮かぶ。
俺はこんな自分のことが大嫌いで――だから、変わりたい。
あの花火大会の夜、瑛人のたくましい背中に守ってもらったとき、たしかにそう思った。
瑛人に言われなかったら、自分のほんとうの気持ちに気づけなかった。
瑛人が守ってくれなかったら、その気持ちを言葉にすることもできなかった。
そんな情けない自分のままじゃ、瑛人の隣に立てるわけないから――だから今日だって、なけなしの勇気を振り絞って、ここへ来たはずなのに。
長い前髪を、ぐしゃりと握りつぶす。目の前が、ぱっと明るくなる。
「俺まだ、なんにも伝えてないや……!」
自然と、足が動く。右も左もわからないけれど、それでも俺の足は、ちゃんと動く。瑛人のもとへと、まっすぐに。
瑛人の気持ちは嬉しかった、けど自分のせいで瑛人に迷惑をかけるのはいやだ、だから行ってきていいよと言ったけれど、ほんとうは――。
ひとつも、瑛人には届いていない、俺の気持ち。
気持ちは、言葉にしなきゃ伝わらないんだ。
誤魔化しているうちに、見失ってしまうものなんだ。
「あの、すみません!」
「はい?」
「ブース、って、なんか写真撮る? ブースって、どこにありますか……?」
在校生の子にブースの位置を聞いて、俺はその場所まで急いだ。
教えてくれた彼いわく、毎年写真部が出す写真セットのことだという。
どこに、どんなブースを設置するかは例年告知なしのお楽しみ、らしい。だから時間がかかるって瑛人は言ったのかも。
場所がわかるか心配だったけれど、それは杞憂だった。ブースよりも先に、人だかりが見えてくる。
――きっと、あそこだ。
案の定、その人だかりの真ん中に、瑛人はいた。さっきの女の子三人組とは違う、別の女の子たちに囲まれていた。
「ね、おねがい! ツーショじゃなくてもいいから~!」
そんな声が、ここまで聞こえてくる。
「俺、約束あるんですみません」
瑛人は笑顔を崩さず、一生懸命その輪を抜けようとしてくれていた。……それはきっと、俺のところへ戻るために。
ぎゅっと手のひらを結ぶ。
お守りみたいな笑顔を心に浮かべて、腹の底に力を入れて――。
「――……えいと」
喧騒に打ち消される、なけなしの勇気が惨めだ。
「瑛人……!」
呼びかけている間にも、瑛人は不意打ちで何枚も写真を撮られている。あれは盗撮という。
それさえ、やんわりとしか咎めないんだから、瑛人はやっぱり優しい。
けど俺は、瑛人があんなふうにされているのは、いやだ。
「瑛人っっ!」
鼻から大きく息を吸い込み、喉にいっぱい力を入れて、瑛人の名前を叫んだ。たぶん、やり方が間違っているんだろうな。焼き切れそうなほど喉が痛んで、ちょっとむせた。
「……岳さん……?」
目が合った瞬間、瑛人の顔から笑顔が消えた。まるで雨に濡れた子犬のようなしょぼくれた目が、俺へ向けられている。
「……っ、チュロス! 食べきれない……から……!」
ひっくり返った声に焦る。まてまて、ここで弱るな。がんばれ俺、がんばれ俺の喉――!
「あの……こっち、きて、一緒にたべよ……!」
なんとか言い切ったものの、きっと全身は真っ赤になっていて、声はどんどん小さくなるし、こんなの陰キャ丸出しで全然かっこつかない。周囲の視線もちくちく刺さってイタイ。
「ふはっ……!」
けどそんなのって、案外どうでもいいんだなと思った。
「いま行く!」
人だかりから抜けて、くしゃくしゃの笑顔で駆け寄ってきてくれる瑛人を目に映すと、ほんとうにぜんぶ、つまらないことに思えたんだ。
「い、いこ!」
俺は瑛人の手を引いて、行先なんてわからないまま、ただ走った。
「どこ行くんですか?」
「え……わ、わかんない」
「……あはっ……岳さんってやっぱすごいわ」
主導権はあっけなく奪われ、瑛人は屋上へと続く非常階段に、俺を連れてきてくれた。きっとここは、在校生でも入ってはいけない場所だと思うけれど。
瑛人は黙って俺の手を引き、階段の影、ほんとうに誰にも見つからなそうな場所で、肩に頭をもたれてくる。
「ちょっともー……たまんないんだけど、どうしたらいい?」
首筋に、さらさらの黒髪が何度も何度も押しつけられる。くすぐったくて、瑛人の言葉を借りるなら「たまんない」と思った。
けれど、さっきから振り回されてばかりの哀れなチュロスを、そろそろ食べてあげないと、という冷静な自分もいる。
「えと、あのとりあえず、チュロスを……」
「そうだった。……せっかく岳さんが持ってきてくれたんだもんね?」
「い、言い方……!」
「うそうそ。わかるでしょ、泣きそうなくらい嬉しかったですよ」
ほんとうに、瑛人って大袈裟だ。俺がチュロスを持っていった、たったそれだけのことで。
「泣きそう、なんて、大袈裟だよ」
雨に濡れた子犬顔を思い出すと、うっかり口元が緩んでしまう。
身体が離れて、俺たちは階段に並んで座った。
ぱくりとかじりついたチュロスは、すごく甘い。これを飲み込んだら、言うんだ。俺が瑛人に伝えたかったこと。
「……あの、さっき、ごめん。ほんとは……行かないでほしかった」
絞りだした言葉は、聞こえたか不安になるほど小さくなってしまった。タイミングよく瑛人が咳込んで、さらに不安が募る。
「だ、大丈夫? 飲み物いる?」
瑛人は首を横に振る。
「急にそれはずるいわ……どうしちゃったんですか、岳さん……」
「え」
「……行かないでほしかったの?」
瑛人の上目遣いに、どっと心臓が脈打つ。伝わっていた安心感と同時に、ものすごく恥ずかしくなって、今すぐ逃げ出したいような気持ちだった。
けれど俺は、どうにか頷く。気持ちは、言葉にしなきゃ伝わらないから。
「あ、で、でも……俺のせいで瑛人が悪く言われるのは、嫌だったっていうか、」
「わかってますよ。俺のこと、守ってくれたんだよね」
「……へ……? や、そんな、」
結局ちっとも守れていないのに? 俺の意気地なしのせいで、瑛人の気持ちを踏みにじってしまったのに?
どうして瑛人は――……いつだって俺の気持ちを拾い上げてくれるんだろう。
なんだか喉が詰まって、うまく言葉が出てこなくなる。
「ちょっとくやしかったんですよ、また守られちゃったなって」
「……また、って?」
ん、と聞き返すと「まあまあ」と気のない返事が返ってくる。
よく意味はわからないけれど、とにかく今はそれよりも。
「……ごめんね。俺との約束守ろうとしてくれたのに、台無しにして……」
いつだって瑛人は俺の気持ちを、俺よりも大切にしてくれるのに。
俺はそれを返せたことが、きっとない。俺はいつも、瑛人に大事にしてもらうばかりだ。
「全然いいです。むしろ最高の気分なんで」
「大袈裟だってば、ほんとに……」
無邪気に笑いかけられると、申し訳なさと、ほんの少しの喜びで、胸がいっぱいになる。
なんだかそわそわしてしまって、気を紛らわすようにまた一口、チュロスにかじりついた。じゃりじゃりと、口のなかで甘い砂糖が溶けていく。
「ていうか、もしかして岳さんって、甘いの苦手?」
もぐもぐしながら、瑛人が首を傾げた。
「え? う、うん、得意ではないかな」
小さな頃から、誕生日ケーキくらいしか甘いものは食べない。最近は瑛人につられて、少し食べるようにはなったけれど……いまさらなんでそんなこと?
「言ってくださいよ、そしたら絶対イチゴ味じゃないほうが……ていうかチュロスじゃないほうがいいじゃん」
瑛人はぺろっと唇を舐めて言う。
「……あれ、言ってなかったっけ?」
「知らない知らない。炭酸苦手なのは知ってますけど」
ああそっか。俺、あまりに当たり前のことで、瑛人に話していなかったのか。
毎週水曜日の放課後に会うようになってから、ぐんと距離が近づいたような気がしていたけれど。まだまだ俺たちには、知らないことがたくさんあるんだな。
「俺も瑛人が一人っ子ってこと、さっき知ったし……まだ知らないこと、いっぱいあるね」
俺がそう言うと、瑛人は最後のひとかけらを口に含んで、包み紙をくしゃくしゃにする。
「うん。だから、もっと話してほしいですよ、いろいろと」
「ん……そうだよね」
「残り、ちょうだい?」
手から奪われていくチュロスを見送り、俺は上を向いて頭を振った。
この長い前髪が、邪魔だと思った。
瑛人は、どんなにたどたどしい俺の気持ちも、まっすぐに受け取ってくれる。だから俺も、どんなにへたくそでも、誤魔化したり、隠れたりせずに伝えたい。そう思った。
「あの、さ――」
「ん?」
カーディガンの袖を握りしめる。それから小さく息を吸って、何度も頭の中で練習してきた言葉を紡ぐ。
夕暮れのショッピングモールで、瑛人が落ち込んでいた、あの日のこと。
「前……瑛人が帰っちゃった日のことなんだけど……」
すう、はあ。
深呼吸で息を整えてから。
瑛人はやっぱり黙ったまま、言葉の続きを待っていてくれた。
「俺はこんなふうだから……ちょっと頼りないかもしれないんだけど。瑛人になにかあったら、俺だって少しは力になりたいって思うよ、そのー……えっと」
だめだ、へたくそすぎる。そんな自分が嫌になるけど、でも、どうしても伝えたい気持ちがあるんだ。もう、誤魔化したりしたくないんだ。
「さみしい……瑛人が一人で悩んでたら、俺はさみしいよ」
くしゃ、と包み紙を丸める音がしたあとすぐ。
思い切り身体を引き寄せられて、俺は瑛人に抱き締められた。
視界も、思考も、俺のすべてが瑛人でいっぱいになる。
俺も瑛人の背中に腕を回して、しがみついた。なんだかそうしないといられなかった。
「……ごめんなさい。俺この間の態度わるかった」
「謝らなくていいよ、俺が勝手に気にしてるだけだから……でも、そういうこと、言わないのはちがうかなって。瑛人が教えてくれたから」
「え?」
「自分の気持ち、誤魔化さなくていいんだって。花火大会の日、瑛人が言ってくれたでしょ。それで俺、ちゃんとスバくんにも自分の気持ち伝えられたし、今日も……瑛人に会いに行こうって思えたんだ」
不思議だな。こんなにドキドキしているのに、瑛人の腕の中のほうが、すらすら言葉が出てくるなんて。
「……俺、あの日、嫉妬したんですよ」
「うん……ん?」
しっと?
「スバサンにも、岳さんがとろけそうな目で見つめてる漫画にも。やばいですよね、付き合ってるわけでもないのに、重すぎて」
「しっと……しっと……? ……え、嫉妬!?」
「反応悪いっすね、相変わらず」
ふ、と息を漏らした瑛人はさっきよりも力強く、俺を抱きしめてくれる。
くるしくて、正直嬉しい。妙な心地だった。
「だ、だってそんな、俺なんかに嫉妬、する、のか……」
「こら」
咎めるように、額に、瑛人の額が押しあてられる。
ああ心臓、とまったな、俺――。
「好きなんです、ほんとに。好きなんて言葉じゃ軽すぎるくらい、好き」
「……う、ん……」
もうずっと、瑛人はまっすぐに気持ちを伝え続けてくれているから。さすがの俺だって、わかってるけど。
まさか嫉妬なんて――……ああ、『嫉妬』。それだ。
「俺も……今日たくさん嫉妬した」
瑛人の笑顔が、ファンの子にも向けられていたこと。瑛人が甘党だって話を、当然のようにクラスメイトの子がしていたこと。ブースに連れて行かれるその背中にも、正直に言えば泉にさえ。
俺は、嫉妬したんだ。
そんなの初めてだ。スバくんには抱いたことのない、ちょっとどろどろした気持ち。
「……なにを言ってんですか、岳さん……? 俺のこと、どうする気?」
「へ?」
「これ以上好きにさせてどうすんの?」
――……に、二次元、だ……。
ちゃんと考えたい。考えて、答えたかったけれど。無理な話だった。
服越しに伝わる瑛人の温もりと、自分の鼓動の大きさ、それを包み込むチュロスの甘い香り――もう頭がぐらぐらしていた。
「……後夜祭、岳さんも出れればよかったのにね」
「え? なん……」
――いおさやがキスするのは、後夜祭だよ。
今朝、会ったとき。そんな話をした。
まばたき一つせず、じいっと俺を見つめる、ぎらぎらとした視線。
「え、えい、と……」
縋るような情けない声に、瑛人は、やっと少しだけ目の力を緩めてくれる。
「まあ……まだ、しませんけど。ちゃんとしたいから」
瑛人の親指が、じっくりとその形を覚えるかのように、俺の唇をなぞる。
「でも『まだ』ですからね」
吐息が混ざり合う、あと数センチの距離。甘い視線が、とうとう思考回路を爆破させた。
――だめだもう、なにも、わからない……。
ぐるぐる回る頭の中で、たった一つだけ揺らがないもの。真ん中にあるもの。
――あー……好き、だ、俺。
俺は、瑛人のことが、好きなんだ。



