夏休みが、あと一週間で終わる。
俺はあの日から、何事にもまったく集中できない、なんとも怠けた日々を送っていた。貴重な高二の夏休みをどぶに捨てたと言っても過言じゃない。
部屋のドアが急に開いたので、また泉が服を掻っ攫いにやってきたのかと思えば。
「おにぃ、小湊くんから電話」
「あーはい……えっ!?」
「なんで連絡先交換してないのよ。こんなのバレたら、あたしの立場やばいんだけどー」
すごく迷惑そうな顔で、泉がスマホを貸してくれた。ところが、ごめんね、と一言謝ったかどうか定かではないほど、俺の頭は大騒ぎだ。
手が震えている。声まで震えたらどうしようと、耳にあてたスマホに話しかけるのを躊躇(ためら)っていた。
「あの、岳さんですか?」
「……はっ、ハイ」
ああやっぱり。今日も第一声は裏返ってしまった。かっこわるい。
「今日、なにしてますか?」
「えっと、特になにも……家にいます」
「あの……ちょっと出てこれませんか? 夜ですけど」
「夜……? えっとあの……」
なんだかいてもたってもいられず、二階の部屋から一階に下りて、あちこちうろうろしながら話していた。
「西町花火大会、あるでしょ。よかったらそれ、一緒に行ってくれませんか?」
ちょうど冷蔵庫にマグネットで貼ってある、西町花火大会のチラシが目に飛び込んでくる。どくん、と心臓が跳ねあがった。
「は、花火……?」
隣町まで俺は自転車で行けるけれど、県の中心部に住んでいる小湊くんは、ひょっとしたら帰れなくなってしまうかもしれない。
「あの、すごく嬉しいんだけど、帰りバスあんまり本数ないと思うよ。小湊くん帰れなくな――」
「おにぃ、これ見て。今日はバス増発するんだよ。みんなそれで来るの。うじうじしてないで早くスマホ返してよ、あたしだって友達と花火の約束してるんだから!」
「あっ、なに、そうなの……? えっとじゃあ……」
なぜかいつの間にか手に持っていたボールペンを、ぎゅうっと握りしめた。息を整えたかったけど、泉に貧乏ゆすりで急かされて、ままならなかった。
「い、行きましょう」
声にしたら、じわじわ実感が沸いてくる。
花火大会、家族かスバくんたちとしか行ったことがなかったけれど、今年は違うんだ。
「やった! そしたら迎えに行きます、俺の連絡先、泉先輩に聞いといて?」
いくらか声のボリュームが上がっただけだと思う。まさかそれを喜んでくれているとか、浮かれているとか、そんなおこがましいこと、俺みたいなのが推し量っちゃだめだ。
けど言葉通りに受け取るなら、俺と花火大会に行けることを「やった」と言ってくれる人と、今年は一緒に花火を見れるってことだ。
「……あ、あの、泉~……?」
「ん? 小湊くんの連絡先なら、さっき送っておいたよ?」
「それは、うん、ありがとうなんだけど、それじゃなくてさ」
「……あぁ、いいよ。服でしょ、選んであげる。デートだもんね?」
「ちっちがっ! ちがうよ!」
「やだ、おにぃってそんな大きな声出せるんだぁ」
「ちょっと泉! 本当に違うってば!」
まったく似ていない双子の妹はとても察しがよく、みなまで言わずとも俺の今夜の服を決めてくれた。
似たような身長だから、服の貸し借りはよくしている……いや貸し借り、じゃない。借りられていくばかりか。
よく泉に掻っ攫われていく白いTシャツと、勧められるまま買ったけれど俺は一度も袖を通していない、水色のサマーベスト。ゆるいデニムのパンツは、誕生日に泉がプレゼントしてくれたものだ。
「へ、変じゃない?」
「当然。誰がコーディネートしたと思ってるの?」
「泉さまです……」
ははぁと跪きはしなかったけれど、気持ちの上ではそれくらい感謝している。
泉の部屋の姿見に映った俺は、いつもよりちょっとおしゃれだ。素材が素材なので馬子にも衣装ってかんじではあるけれど、それでも普段のくたびれたTシャツ短パン姿より、ずっといいはず。
「楽しんでおいでね。小湊くんのファンの子たちに囲まれないように、気をつけて!」
「かっ囲まれる……!?」
去り際におっかないことを言って、泉は一足先に家を出た。
そわそわ、そわそわ、一階と二階を行ったりきたりして、歯を三回も磨いて待機していると、スマホに通知が届く。
靴、汚ったなぁ……。慌てて靴箱にしまってあるもう一足のほうのスニーカーを選んで、玄関を飛び出た。
ドアを開けた瞬間、むわっとした熱気が全身に襲いかかってくる。その熱い空気を肺いっぱいに吸い込んで、
「こ、こんばんはっ」
門扉の向こう側に立つ、たくましい背中に声を投げかけた。
「こんばんは。岳さん」
振り向いた小湊くんの爽やかな笑顔は、肌にまとわりつくじめじめを一瞬で吹き飛ばしてしまった。とはいえ八月の終わりなので、あっという間にむせ返るような暑さに見舞われるのだけど。
「暑いねぇ……」
言いながら、鍵を締める手がおぼつかない。うわ、俺、緊張してるんだ……。
「よし、じゃあ行こっ……あ」
と小湊くんの顔を見て、はっとする。例年の癖で、無意識に軒下の自転車を走らせようとしていたのだ。
「ごめん、ちがうよね、バスで行こっか。それかまあ、歩けなくもないけど!」
俺が慌てて自転車を片付けていると、ちょうど小湊くんの後ろを、二人乗りしたスバくんが通りかかるのが見えた。
荷台に乗っているのは、ロングヘアーの派手な髪色の女の子。顔はよく見えないけど、スバくんの新しい彼女だろうか。
「あれ、岳ー! 今日花火行かねーの?」
「い、行くよ! いまから!」
「……んえ、男二人で?」
けたけた、いつものスバくんの陽気な笑い声が聞こえてくる。
俺は慌てて自転車の鍵を締め直し、門扉を飛び出た。
「なにか問題ありますか?」
「あっ小湊くん、大丈夫大丈夫、ね」
ファミレスでの一件のせいか、なんとなくあの二人は混ぜるな危険、な気がして、慌てて止めに入る。
「え、もしかして彼氏? てか……あれ? この間のファミレスの?」
彼氏、という単語を聞いてか、さっきまで無関心を貫いていた彼女らしき女の子は、スバくんの背中からひょいと顔を覗かせ、俺と小湊くんを交互に見やった。
案の定、小湊くんにはうっとりした視線を送ったあと、俺にはふうん、という、なんともいえない顔を向けてくる。そりゃそうだよね、と心の中で頷くと、ちく、と胸が痛んだ。
「あ、えっと、彼氏ではないけど――」
その続きは、言えなかった。
小湊くんが自分の背中に俺を追いやって、好奇の目から守るみたいに盾になってくれたから。
きゅうっと胸がくるしくなる。
――こんなの、慣れっこなのに。小湊くんはやっぱり優しい子だ。
俺はうっかり前髪のカーテンを全開にして、小湊くんの背中を眺めた。大きくてたくましい、男の子の背中。まばたきするのすら惜しかった。
「え、ごめんごめん! ガチのやつか! ちょっとからかったつもりだったんだけど」
「からかうって、なんですか? そんなにおかしなことですか?」
「おかしくない、おかしくない! ごめんて!」
スバくんはやっぱり、いつもの笑い方で小湊くんをたしなめようとしている。
「なんで笑うんですか? 岳さんも俺も、なにも変なことしてませんけど」
「いやいやいや、こえーって岳の彼氏! めっちゃ詰めてくんじゃん! べつに俺らの間じゃふつーだよな、岳?」
「あ、う、うん……」
俺はへらっと頷いて、小湊くんに引き下がってもらおうとしたのだけど。
「……岳さん。無理に笑う必要ないですよ」
小湊くんの背中が、半分、俺のほうを向く。スバくんに向けていた淡々とした声からは想像もつかないほど、心配そうに俺を見ている。
――見た目だけじゃなくて、心まで綺麗なんだな、小湊くんは……。
俺にとっては「ふつー」のことしか起きていないのに。心配、してくれるんだ、この子は。
小湊くんの綺麗な瞳を見つめていると、どうしてだろう、大丈夫だよって言いたい気持ちがどこかから湧いてきて、腹の底に力が入った。
「……あの……スバくん……」
「ん? つか俺もう行くわ――」
「か、からかうの、やめてほしいっ……!」
慣れないことするものだから、情けなく声がひっくり返った。
それでも、やっと、やっと言えた――たった一言、ずっと言えなかった言葉。
「はぁ? 岳なに? そんなガチトーンで言うこと?」
やっぱりスバくんは「そんなの大したことじゃねーよ」って笑い方で俺に言う。
あの力の抜けた笑い方に、何度も何度も助けられてきた。それは本当のことだけど、傷ついた俺がいたのも、本当のことだったんだ。
「……いつもスバくんが笑い飛ばしてくれるとね、本当に大したことじゃない気がしたんだ。それに助けてもらったことたくさんあったけど、でも俺は……俺の気持ちだけは、笑ってほしくなかった」
俺が腐男子だってこと、それから、スバくんに恋愛感情があるんだということ。すべてをうまく誤魔化せなかった中学二年生のあの日、俺のほんとうの気持ちを聞いても、スバくんはいつもと同じように笑ってくれた。
次の日からだって、なにも変わらずそばに置いてくれたこと、たしかに嬉しかったはずなのに。
俺はたぶんずっと、本当はずっと、悲しかったんだ。
俺は、俺の好きを笑わない人と出会いたい。そういう人と恋をしてみたい。
だから、ここから逃げて東京へ行きたいと思った。
「べつに俺、岳のこと本気でバカにしたつもりないんだけど……まあいいわ、もう時間やばいし。彼氏とお幸せになー?」
「だから彼氏じゃないってば……まだ……」
スバくんはいつものように笑っていたけど、なんとなく、去っていくその後ろ姿に思った。
あの自転車の荷台に俺が乗ることは、きっともう、ない。
スバくんだけが悪いんじゃない。誤魔化し続けて、やめて、悲しいよと言えなかった俺のほうが、きっとずっと悪い。
「岳さん、大丈夫?」
「あ……ご、ごめんね、なんか巻き込んじゃったね」
いつのまにか俺の手は、小湊くんのシャツの裾を力いっぱい握りしめていた。手を離したら、お尻のあたりに、くちゃっと皺がついてしまっている。
俺はこの背中に守ってもらって、ようやくやっと、自分の気持ちを言えたんだ。そんなのってほんとう、情けなくてどうしようもないな。
「ごめんね、皺に……」
この皺が手アイロンで伸びるわけないことくらい、わかってる。わかってるけど、まだ離したくなくて。俺は小湊くんのシャツの裾を、一生懸命手のひらで撫でた。
「いいよ、そんなの」
その手を取るように、小湊くんの長い指が、一本一本、じっくり俺の指に絡んでくる。
きっと、振り払うべきだ。
俺たちは付き合っているわけでもないし、まして今俺の手には、じっとり嫌な汗が滲んでいる。自分でも不快に思うほどなのに、きっと小湊くんだって後悔しているに違いない。
……けど俺は、そういうことには一切気づいていないようなふりをして、ほんの少しだけ、小湊くんの手を握り返した。
「……それより俺、気になったことあって。聞き間違いなら、ごめんなさいなんですけど」
「ん……? なに?」
「さっき、彼氏じゃないよ、『まだ』って言いました?」
「え? う、うん?」
言ったけど、それが……? と頭にハテナを浮かべた次の瞬間。
――……あっ……!
意味がわかって、思わず絡めていた手を引っ込めようとしたけれど、小湊くんの反射神経はすばらしい。さっきまでとは違い、今度はぎゅうっと力強く握られて、ほどけなくなってしまった。
「あ、あの、あれは――!」
「まだ、なんですか?」
「いやだから、まだ、っていうのは……」
「まだってなに? その含みはなんなの?」
「あ、圧が強すぎるよ、小湊くん……!」
弁解の余地を与えてくれない小湊くんは、すごく真剣な顔で俺を見つめている。だから俺も、きちんと応えたいと思うけど。
「とにかく……まずは花火行こう? 歩きながら話そう?」
もう会場までは歩いたら間に合わない。近くの高台でよく見える場所があるから、俺はそこへ小湊くんを連れて行くことに決めた。
スバくんは自転車に乗っていたから、きっと会場まで行ったはずだ。鉢合わせる可能性もないと思う。
俺たちはゆるりと手を繋いだまま、人気のない田んぼ道を歩く。
街灯すら満足にない田舎町にも感謝したし、夜が暗くてよかったとも思った。
「……あの、さっきさ、ありがとうね。小湊くん、俺のために怒ってくれるんだね」
「そりゃそうでしょ、好きな人なんだから」
「……すきなひと……」
俺が誰かの『好きな人』になれるだなんて、夢に見たこともなかったな。
スバくんに対してもそうだ。昔から女の子が大好きな人だし、まさか同じ気持ちになってほしいなんて願ったこともなかった。BL漫画さえ見つからなければ、その気持ちは生涯胸の奥にしまっておくつもりだった。
隣を見上げると、小湊くんはまた、心配そうな顔で俺を見つめてくれている。
――大切に……したいなぁ。
きゅうっと身が縮んでいくような、そんな気持ち。
「……俺なんかのどこをっていうのは、まだ思ってる。信じられない気持ちも、正直あるし……。けど、小湊くんが俺を好いてくれてることは、わかってるつもり。そんなの本当におこがましいことだけどさ……」
「もう、本当に枕詞ばっかり挟むな、岳さん」
「そ、そんなの、しかたないじゃん! 信じてるけど、信じられない気持ちなんだから」
小湊くんの気持ちは信じてる。信じるしかないくらい、たくさんもらってるから。
けど自分の身に起きたこととして信じられるかっていうのは、また別の問題だ。俺みたいな平凡を極めた凡人に、こんな奇跡があっていいわけないって思う。
思うけど、奇跡を信じたい気持ちだって、たしかにある。
「小湊くんは、俺の好きを笑わないでしょ。それが……うん、すごく俺は、嬉しくて。けど俺、まだ小湊くんのことよく知らないから……の、『まだ』……です」
人に自分の気持ちを伝えるのは、やっぱり苦手だ。話しているうちに、だんだん何を伝えたかったのか、わからなくなってしまう。
「あの……伝わってる?」
おそるおそる、足を止めた小湊くんの顔を見上げる。
「……うん」
俺の気持ちの精いっぱいを、やっぱり小湊くんは笑わない。足りないと催促したりもしない。
ただじっと、やわらかな眼差しで、見つめてくれるだけ。
嬉しくて、くるしい。小湊くんといると、自分じゃどうしようもない気持ちを抱えさせられる。
「ちゃんとわかるよ。俺も、岳さんのこともっと知りたいと思うし、俺のことも、もっと知ってほしい。それでできれば、好きになってほしい」
「……う、うん」
どこまでもまっすぐで濁りのない言葉が、俺の顔をかっかと火照らせていく。なのに小湊くんは、まだ攻撃の手を緩めてはくれない。
「これから時間かけて、ゆっくりわからせるから。俺がどれだけ岳さんを想ってきたか」
わ、わからせるから――?
その殺し文句に、俺の頭はとうとうショートした。
それは二次元でしか許されないセリフだ。三次元で使っていいセリフじゃない。なのに、小湊くんが言うのは全然いける。どっかの俳優が言うよりずっとかっこいい。俺の目、ハートになっちゃってないかな、ちょっと本気で心配。
「おーい、岳さん? 聞いてるー?」
暗闇から伸びた指先が、俺の頬をつっつく。それがスイッチとばかりに、俺の頭はようやく再起動してくれた。
「あ、ご、ごめん。ちょっとあっちの世界にいってた」
「あっちってどっち?」
小湊くんは、下唇を少し噛んで、とても無邪気に笑った。
小湊くんが笑うと、なんだか俺まで嬉しくなる。不思議な気持ちで、胸がいっぱいになる。
「あの、さ。まずは小湊くんの名前を……教えてほしいんだけど……」
さっき小湊くんのIDを追加するとき、ふと気づいたんだ。小湊くんが登録している名前は『小湊』だけで、俺は彼の下の名前すら知らないんだって。
「瑛人、だよ。小湊瑛人」
「瑛人くん、か」
「瑛人でいいよ。ていうか聞いたの岳さんなんだから、絶対下の名前で呼んでくださいね」
「なっ……なんで、聞いてみただけ――」
「だめです。絶対。必ず。マストで」
「だから圧が強すぎるって……!」
たじろぐ俺のことを、からかうような目で見つめる小湊くん……じゃなかった、瑛人、?
「……えいと……?」
「お、呼んでくれた」
声に出したら、やっぱりなんとなく、俺の口はその名前を呼んだことがある気がした。
笑うとき、下唇を噛む癖があるのかな。それがいたずらっ子みたいで、ちょっとかわいくて。瞳の色は、今は暗がりでよく見えない。けど、覚えてる。少し色素の薄い、印象的な瞳。
おぼろげな記憶が、頭に流れ込んでくる。
八歳の夏、俺は西町花火大会の会場で見事迷子になった。
何度も母さんに言われていたとおり、はぐれた場所から動かず、迎えにきてくれるのをじっと待っていたんだ。
そのときちょうど、同じ年頃の男の子が、泣きながら歩いてきた。
俺は道行く人たちに知っている顔を探していたから、その子にすぐ気がついた。
わんわん泣き喚いているのに、その泣き顔がすごく綺麗で――俺が守ってあげなきゃって、なんとなくヒーロー気取りしちゃった気がする。
その子の瞳は、なんだかまるで、宝石みたいだった。だから「花火よりきれーだね」みたいなことを、言ったんだと思う、たしか。
そしたら、さっきまで泣きじゃくっていたその子は、下唇を噛んで、くしゃっと笑ってくれて。
その子が笑ってくれると、なぜか俺まで嬉しくなって、不思議な気持ちだった。
一人きりで花火を見るのがさみしかった俺は、この子が迷子になってくれてよかったー、なんて不謹慎なことを思った気もする。
――俺と岳さん、本屋じゃないところでも会ったことあるんですよ。
いつだか、瑛人が俺にそう言ったことがある。さらっと流れてそれ以上聞いたことはないけれど、たしかにあった。
まさか、ないだろうけど。その子の名前「えいと」だったような……。
「あのー……小湊くん」
「瑛人でしょ」
「あっ、瑛人……は、西町の花火大会、来たことある?」
「ありますよ。七歳の夏から、毎年欠かさず」
「ま、毎年!?」
県の中心部に住む瑛人が、特別大規模なわけでもない、この田舎町の花火大会に毎年来てた?
そんなのちょっと、おかしい……いや、それも人それぞれか。ひょっとすると、この花火大会に推しの花火師さんでもいるとか、なにか理由があるのかもしれないし。
一つ年下の瑛人が七歳のとき、俺は当然八歳で。……うん、計算は合ってしまったけど。さすがに偶然だよな、きっと。
いつのまにか、夜空に咲く大輪の花が、まっくらな田んぼ道を明るく照らし出していた。和太鼓を思い切り打ち鳴らすような音が、腹の底にずしんと響き渡る。
「岳さん、きれーだね。ここからでもよく見える」
そう言ってわざわざ顔を覗き込んでくれた瑛人の甘い顔のほうが、俺はずっとずっと綺麗だと思った。月並みな言葉だけれど、花火よりもずっと。
俺は前にも、似たような気持ちを抱いたことがある。
花火よりもずっと綺麗な、宝石みたいな瞳を見たときに。
「瑛人さー……もちろん、ないとは思うんだけど、花火大会で迷子になったこと、ある……?」
乱れ打ちの花火を背負った瑛人は、少しの間のあと、にっこり笑った。
「……どうだったかなぁ?」
――あ、あれ……? 俺の見間違いかな……?
きっとそうだ。だってあんなふうに悪い顔で笑う瑛人、俺は知らない。
――俺はまだ、瑛人のこと、よく知らないんだ。
――……知ったら、俺、どうなっちゃうのかな。
俺が胸を張ってあの二文字を言える日まで、どうか瑛人が隣にいてくれますように。そんな願いを込めて、今度は俺のほうから、さりげなく手に触れてみると。
「大丈夫だよ、もう絶対離さないから」
囁くような低い声に、ぞくりと、どきりが入り混じる。
俺はこれから一体、なにをわからされるんだろうか……。



