「今日は……暇だな」
 王宮での午前の妃教育を終え、午後の勉強もいつもより早く終わったレオフィア――いや、レオノールは、自室の椅子に深く腰掛けながらぼんやりと天井を眺めた。
 そういえば、先日十二歳の誕生日を迎えたばかりだ。
 誕生日には盛大なパーティーが開かれ、王宮や貴族の人々が集まり、優雅な音楽と豪華な食事が振る舞われた。
 父や母はもちろん、婚約者であるヴァンツァーもいたが……彼の態度はどこかぎこちなかった。
「おめでとう」とは言われたものの、目を合わせることはほとんどなく、会話も形式的なものばかりだった。
(まあ、アイツとはあまり親しくなるつもりはないからいいけども……にしても、なんであんなによそよそしかったんだ?前はもう少し普通に接していたはずなのに)
 もともとヴァンツァーとはそこまで頻繁に顔を合わせるわけではないが、以前よりも距離を取られているような気がする。
(なにか気に障ることをしたかな?)
 ふと、パーティーの場面を思い出した。
 貴族たちはレオフィアを称賛し、口々に褒めそやしていた。
「レオフィア様はお若いのに本当に素晴らしいお方だ!」
「これだけの才覚をお持ちなら、この国も安泰ですな」
 そう言いながら、ちらりとヴァンツァーを一瞥する者もいた。
(ん? なんでヴァンツァーを見たんだ?)
 一瞬、不思議に思ったが、すぐに「単に婚約者だから気を遣っただけだろう」と納得する。
 それにしても、あまりに褒められすぎて、むず痒い気持ちになった。
(褒めすぎなんだよなぁ……っていうか、困る……婚約破棄したいのに)
 それに褒められるのというのは、完璧であることを求められ続けているようで正直、辛い。
 最近は常にそう見られることが当たり前になってしまっている。
 でも、否定するのも変だし、ただ笑って流すしかなかった。
 そう考えると、少し憂鬱になった。
(まあ、今さらどうしようもないか)
 気を取り直して立ち上がると、ふと自分の姿を見下ろした。
 今日もレオフィアとしてドレスを着ていたが、今の格好は式典や王宮向けのもので、動き回るには少々窮屈だ。
(せっかく時間ができたんだし……久しぶりに街へ出るか)
 気軽な気持ちで衣装棚を開ける。
 普段着よりも動きやすい、街歩き用のワンピースを取り出し、手早く着替えた。
 鏡の前に立ち、そっとスカートの裾をつまんで軽く持ち上げる。
「よし、完璧」
 帽子の角度を微調整し、軽く髪を指で梳きながら、鏡に映る自分を確認する。
(最近はもう、ドレスの扱いにも慣れたな)
 最初の頃は歩き方もぎこちなく、スカートを踏みそうになったり、妙に気を張ってしまったりしていたが、今ではスムーズに動けるようになった。
 歩く際の姿勢や、細かい所作の一つひとつも、今では自然にこなせる。
 すっかり慣れた仕草に、自分でも少し笑ってしまう。
 一人で屋敷を抜け出すのも、今ではすっかり慣れたものだ。
 最初はこっそり出るのに苦労したが、今では使用人たちの目を避けるコツも心得ている。
 どこへ行くか考えながら屋敷を出ると、いつものように慎重に使用人たちの目を避けながら裏門へ向かう。
「行ってきまーす」
 誰にも気づかれることなく、レオノール――いや、レオフィアは軽やかに王都の街へと消えていった。

◆      ◆      ◆

「ん~、どこ行こうかな」
 王都の石畳の道を歩きながら、レオノール――もとい、レオフィアは気ままに周囲を見回した。
(市場はもう何度か行ってるし……今日は雑貨屋とか巡るのもいいかもな)
 そう思いながら貴族街を歩いていると、ふと視界の隅に見覚えのある淡い亜麻色の髪が入った。
「あれ?」
 少し先、豪華な邸宅が立ち並ぶ通りの入り口で、何やら困った様子の少女が立っていた。
「ラフィーナ……?」
 レオノールは思わずつぶやいた。
 十二歳になったばかりのラフィーナ・エヴァレット。
 腰まで届く淡い亜麻色の髪に、慈愛に満ちた琥珀色の瞳。
 穏やかで優しい雰囲気を纏いながらも、どこか芯の強さを感じさせる少女だ。
 何度かレオノールとして会っているが、彼女は「レオフィア」としての自分には会ったことがない。
(どうしよう……いや、今はレオフィアだし……でも無視するわけにも……よしっ、普通に通りすがりの人として接してみるか)
 レオノールは軽く息を吸い込むと、まるで初対面かのようにラフィーナに近づいた。
「どうかしましたか?」
 優しく声をかけると、ラフィーナは驚いたように顔を上げ――そのまま、ぴたりと動きを止めた。
 琥珀色の瞳が、一瞬だけ見開かれる。
(……え?)
 レオノールは思わず警戒する。まるで、自分を知っているかのような反応だった。
 しかし、ラフィーナはすぐにハッとして、少し慌てたように手を振った。
「あっ、ごめんなさい! ちょっと友達に似ていたので……」
 動揺を隠すように、ぎこちない笑顔を浮かべる。
 レオノールは内心ヒヤリとしたが、動揺を見せないように微笑んだ。
「あら、貴方の友人に?」
「はい、男の子なんですけど、女の子みたいに綺麗なんです」
 ラフィーナは言いながら、どこか楽しそうな笑みを浮かべる。
(……いや、それってオレのことだよな?)
 レオノールは心の中で苦笑しつつ、平静を装った。
「へぇ、素敵なお友達なのね」
「はい! すごく優しくて、頼りになる人なんです。でも、時々ちょっと抜けてるところがあって……」
「ふふっ、そうなの?」
(抜けてる……? そんなことないと思うんだけどなぁ)
 ラフィーナがまさか自分について語るとは思わず、レオノールは内心くすぐったい気持ちになった。
 ただ、話しながらふと感じたことがある。
(……女の子として扱われるの、なんか不思議な感じだな)
 いつもはレオノールとして接していたラフィーナが、今はまったく違う目で見ている。
 声のトーンや仕草ひとつで、相手の反応が変わるのが少し面白くもあった。
 ラフィーナは少し恥ずかしそうに頬をかきながら続ける。
「でも、すごく大事な友達なんです。私、あの人といると、何だか安心するんですよね」
 その言葉に、レオノールの胸が少しくすぐったくなる。
(……なんか、嬉しいな)
 レオノールは笑みを浮かべると、親しげな口調で言った。
「それなら、そのお友達は貴方にとってとても大切な存在なのね」
「はい!」
 ラフィーナは力強く頷いた。その笑顔がまぶしくて、レオノールは少しだけ目を細める。
 だが、内心では少し複雑だった。
(友達として慕ってくれるのは嬉しいけど……いずれ、ラフィーナは"聖女"になるヒロインだ……今は余計なことを考えないでおこう)
 レオノールは意識を切り替え、いつものように微笑んだ。
「それなら、案内しましょうか? どこに行きたかったんです?」
「えっ、いいんですか?」
「もちろん。困ったときはお互いさまよ」
「ありがとうございます。私はラフィーナ、貴方は?」
「私は、レオフィアよ」
 こうして、二人の"女の子同士の時間"が始まった。