◯天宮邸 食堂 朝 晴天
千は心底驚いた様子で薫子を見つめる。
千「薫子……珍しいな、お前から顔を出すなんて」
薫子は千の姿をさっと確認した後、興味をなくしたようにため息をつく。
薫子「怪我をしたと尋から聞いたから見に来てあげたのに……なんともないみたいね。つまらないの」
千は薫子の態度を気にせずに一花に薫子を紹介する。
千「一花さん、彼女が僕の妹の薫子だ。結界術においては緋で一、二を争うほどの実力者なんだ。普段は尋と離れに住んでいるんだよ」
一花は慌てて立ち上がり、深々と礼をする。
一花「お初にお目にかかります、薫子お嬢さま。夏月家から参りました、夏月一花と申します」
薫子「……薫子よ。そんなにかしこまらないでちょうだい、面倒だから」
そっぽをむく薫子。
薫子「……いくわよ、ひろ」
尋を連れて食堂から出て行こうとする薫子。
だが、尋は薫子と千を見比べて、提案する。
尋「これから僕たちは桜並木を見にいくのですが、一花さまと千さまもご一緒にいかがですか?」
千と薫子の間の溝を埋めたい尋の提案に、一花は小さく微笑む。
一花「ちょうど、私たちも桜並木を見にいくお話をしていたところでした。賑やかで楽しそうですね」
大人数で出かけるのは初めてで、すこしだけはしゃぐ一花。
互いに断ろうとしていた千と薫子だったが、一花の微笑みを見て断りづらくなる。
尋「では、馬車を用意させます。甘いものも持っていきましょう」
作戦がうまく行ったことにしめしめと笑みを深める尋。
千と薫子は同じタイミングでため息をつき、互いに視線を逸らしあう。

◯街はずれ 桜並木 昼間 晴天
街外れの桜並木を観にやってきた一花、千、薫子、尋。
千と薫子は少しも会話をしない。
馬車に乗っている間も同じような様子だったため、さすがに違和感を覚えた一花が尋にそっと尋ねる。
一花「あの……つかぬことをお伺いしますが、千さまと薫子さまはあまり仲がよろしくないのでしょうか」
尋は大きなため息をついて距離を保って前を歩く千と薫子の後ろ姿を見つめる。
尋「仲良くない、なんて次元ではない程度には不仲でした。近ごろは少し和らいで、お互いにお互いのことは気にしているそぶりがあるし……僕としては、仲良くしていただきたいところなのですが」
溜息混じりに嘆く尋。
一花はくすりと微笑む。
一花「尋さんはおふたりに最も近い場所で支えていらっしゃいますものね」
先を歩いていた千と薫子が同じタイミングで一花と尋を振り返る。
千「一花さん、尋とばかり話していないでもっとこっちにおいで」
薫子「ひろ、いつまで私を一人で歩かせるの。気の利かない犬は嫌いよ」
一花も尋もそれぞれ千と薫子の元へ急ぐ。
あたりは花見客で賑わっている。
一花「わあ……すてきです。夏月の家にも桜はありましたが、こんなにたくさん咲いているのは初めて見ました……!」
きらきらと目を輝かせる一花。
千「気に入ってくれたようで何だか嬉しいよ。……僕も幼いころに来たきりだから、懐かしいな」
母や薫子と仲が良かった時代を思い出し、目を細める千。
ふと、何人かの若者たちが千や薫子とすれ違うたびに会釈をする。気さくに手を挙げる千の横で、何となく会釈をする一花。
千「ああ、気を遣わないで。みんな『緋』の術者たちだ」
一花に説明する千。
一花「あ、『緋』の……? これも、何かの任務なのですか?」
千「妖は夜に出現することがほとんどだけど、人が多いところに引き寄せられるようだから、こういう場では念の為見回りをしているんだよ。皆、家族や恋人を連れてきているからそう堅苦しいものではないけどね」
一花は辺りを見渡し、それから尊敬するように千を見上げる。
一花「『緋』の皆さんは、いつでも私たちを守ってくださっているのですね。ありがとうございます」
千と薫子に深々と礼をする一花。
千「そんなふうに固くならないで。……君だって僕を救ってくれているのだから、『緋』の任務に貢献してくれているも同然だよ」
甘く微笑む千。
一花は間接的にとはいえ、憧れていた「緋」に貢献できていると言われて嬉しく思う。
千「花見のために団子を持ってきたんだ。あの桜の下で食べよう」
千は一花を誘い、二人で桜の木の下に座る。続いて薫子と尋も少し離れたところで座る。
一花「……立ち入った質問になるかもしれませんが、千さまは、薫子さまとどうして不仲なのですか?」
一花は勇気を出して千に尋ねる。
千は微笑みを崩さぬまま、ぽつぽつと語り出す。
千「昔、僕が神力を十分に抑え込めなかったころ、よく神力を暴走させてしまっていてね。……ある時、暴走した神力で、そばにいた母の足を傷つけてしまった」
足に怪我を負った玲子のカット。激昂する父の姿。
千「母は、二度と歩けない足になってしまって……今では帝都から離れた別邸で父と暮らしているんだ。薫子は、それが許せなかったんだと思う。憎まれて当然だよ」
翳った瞳をする千。
一花「そんな、ことが……」
表情を暗くする一花。
一花モノローグ(千さまのお母さまも幼い千さまも……どれだけおつらかったかしら)
思ったより二人の間にある問題は大きそうだと気づき、戸惑う一花。
真剣に悩む一花の頭に、桜の花びらが舞い落ちる。
千はくすりと笑いながら、一花の頭に手を伸ばし、花びらを取る。
千「それより、一花さんの話を聞かせてよ。……母君とは仲が良かったんだろう? こうしてお花見もしたの?」
優しい千の問いかけに、一花は懐かしむように目を細め、こくりと頷く。
一花「庭の桜が咲いたときには、よく母とこんなふうにお花見をしました。あのときも母は、綺麗な春の歌を歌ってくれて……」
千「どんな歌だったの?」
千に尋ねられ、一花は思い出すようにしばらく考え込んだ後、目を瞑って歌い出す。
風に溶け込むような可憐な声に、千は目をつぶって聞き入っている。
一花の歌が終わると同時に、千は一花の肩にもたれかかり、ぽつりとつぶやく。
千「一花さん。……君の歌を聞いていると、なんだか許されているような気になるんだ」
一花モノローグ(そんなふうに、思っていたの……?)
一花はぐ、と胸が熱くなるのを感じながら、そっと千の髪を撫でる。
一花「そうですね……不思議と、私も同じような気持ちです。千さまに歌を聞いていただいている間は、生きていてもいいって……言ってもらえているような気がして……」
桜の花びらが舞い散る中で静かに寄り添いあう二人。
その様子を、はなれたところから菖蒲が忌々しそうに見ている。
菖蒲「できそこないの分際で……あんなに天宮様に馴れ馴れしくして……」
ぎり、と歯を食いしばる菖蒲。

◯桜並木 昼すぎ 屋台のある広場
お団子を食べ、桜をひとしきり見終えた一向。
尋「いい時期に来られてよかったですね」
一花「はい。賑わっていて、お祭りのようで楽しかったです」
にこにこと微笑む一花と尋を、千と薫子がそれぞれ眺めている。(ふたりとも連れ合いが楽しそうならそれで満足)
そこに、焦った様子の「緋」の部下が駆け寄ってくる。
部下①「千さま……失礼致します」
千「どうかした?」
部下は千に耳打ちする。
部下①「こんな昼間ですが、向こうで妖らしき何かの目撃情報があったようで……念の為ご同行願えますか」(一花の歌のせいで、妖が活性化している)
千は一花をちらりと一瞥する。
千「わかった。しかし、一花さんを一度屋敷に送り届けてから――」
薫子「――私が見てるわよ。行ってきたらいいじゃない」
薫子が千の顔も見ずにぽつりとつぶやく。
千「薫子……」
千は部下と一花を見比べてから申し訳なさそうに一花に告げる。
千「一花さん、すぐ戻るから少しの間だけ薫子と尋と待っていてほしい」
一花「はい、私のことはどうかお気になさらず。お気をつけていってらっしゃいませ」
深く礼をする一花。
後ろ姿を見送ってから、薫子にも礼をする。
一花「薫子さま、よろしくお願いいたします」
微笑みながら薫子の隣に座る一花。
薫子「……あなたも、変な人よね。何であんな人の婚約者になったの?」
薫子の問いかけに戸惑いながらも、微笑む一花。
一花「千さまは、とてもお優しい方です。千さまのおそばにいられて、とても幸せに思います」
薫子「あなたの歌が欲しくてそばに置いているとは思わないの?」
さりげなく気にしていたことを指摘され、言葉に詰まる一花。
尋「薫子お嬢さま……」
尋はさりげなく薫子の言葉を注意する。。
薫子はふい、と視線を逸らして膝を抱える。
薫子「だってあの人は、お母さまを歩けなくするような危ない人で……笑い方だって気持ち悪くて……そんな人が、誰かを愛するなんてこと、あるはずないもの」
薫子は膝を抱えたまま、悲しげにつぶやく。
薫子「あなたとお兄さまが、もっと早く出会っていたら良かったのに。そうしたらお兄さまの神力は暴走せずに済んで、お母さまは今も元気に歩けていたかもしれないのに」
一花は薫子の気持ちを汲み、弱々しく微笑む。
一花「そうですね……私ももっと早く千さまに出会えていれば、どれだけ幸せな人生だったろうと思います」
いまだに袖の下に残る折檻の後の傷跡を着物の上からさすりながら、まつ毛を伏せる一花。
薫子は一花の言葉の意味を追求しようとするが、三人の前に着物姿の菖蒲が現れる。
菖蒲「あら、ごきげんよう、一花」
一花「おねえ、さま……?」
びくりと肩を揺らす一花。慌てて立ち上がる。
菖蒲「これは天宮の薫子お嬢さま。一花がお世話になっております。夏月家の菖蒲と申します」
薫子「……聞いたことがあるわ。優秀な神力の使い手なんですってね」
薫子も立ち上がり、愛想笑いをする。(薫子は一花が虐げられていたことを知らない)
薫子「夏月家は二人姉妹なんでしたっけ。じゃあ、菖蒲さんは一花さんのお姉さまなのね」
菖蒲「はい、妹は天宮家で無礼を働いていないでしょうか」
薫子「一花さんはうまくやっていると思うわ。お兄さまはずいぶん一花さんに夢中になっているわよ」
一花が大切にされているという話に、菖蒲はぴくりと眉を動かす。
事情を知っている尋だけが心配そうに薫子と菖蒲のやりとりを見ている。
菖蒲「それは一花には身に余る光栄です。……一花、久しぶりにふたりで話をしましょう。薫子さま、かまいませんか」
薫子「ええ、もちろん。ゆっくりお話しするといいわ」
薫子は好意で一花と菖蒲をふたりきりにしようとする。
尋「薫子さま、それは……」
一花を庇うため、口を挟めようとする尋。
薫子は尋を視線で黙らせ、愛想笑いを浮かべる。
薫子「私の従者がごめんなさいね。お気になさらないで」
菖蒲「ありがとうございます、薫子さま。……一花、いくわよ」
菖蒲に手を引かれ、その場を離れる一花。

○桜並木の外 昼すぎ 曇天
菖蒲に手を引かれ、桜並木を外れ人気のないところまで連れて来られる一花。
そばには小さな崖がある。
崖の手前で思い切り突き飛ばされ、地面に手をつく一花。
菖蒲「……この間はよくも私に恥をかかせてくれたわね」
縁談上の相手として自分が指定されていたことは知らなかった一花。
恐る恐るではあるが、菖蒲を見つめ返す。
一花「お姉さま……私、そんなつもりはありませんでした」
菖蒲「うるさい! 落ちこぼれの分際で口答えしないで!!」
菖蒲は憎悪をあらわにして叫び、一花の頬を平手で殴る。
俯く一花の首に、菖蒲は鈴が連なった鎖を括り付ける。
一花「っ……お姉さま、やめて……」
菖蒲「神力のないお前にはわからないかもしれないけれど、その鈴は呪物なの。妖を呼び寄せると言われる、曰く付きの鈴よ。手に入れるのに苦労したんだから」
さっと青ざめる一花。
菖蒲はくすくすと笑いながら、桜並木の方を眺める。
菖蒲「お前がこのまま戻れば、大勢の人たちを巻き添えにしてしまうわね? そんなこと、天宮の婚約者ともあろう人間がするわけないわよね?」
一花「……っ!」
恐怖で顔を引き攣らせる一花。
その一花を、菖蒲は再び殴り倒す。鈴がしゃらしゃらと鳴る。
菖蒲「いい気味だわ。神力もないくせに、『緋』で一番優秀で家柄のいい男をものにして、私を愚弄するなんて……」
菖蒲は蔑むように一花を見下ろし、にいっと笑みを深める。
菖蒲「お前なんて、妖に喰われて死んで仕舞えばいいのよ。初めから、生まれて来なければ良かった命なんだから」
くすくすと笑いながら、一花の胸ぐらを掴み、崖から落とす準備をする。
菖蒲「運が良ければ天宮の誰かが助けてくれるかもね? それじゃあね」
菖蒲は躊躇いなく一花を崖から突き落とす。
一花はしゃらしゃらと鈴を鳴らしながら崖の下まで転がり落ちる。(即死するほどの高さではない)

○崖の下 昼過ぎ 小雨
しばらくの間、意識を失っていた一花、
がさがさという物音で、目を覚ます。
妖が苦手な一花は、涙目になって震える。
一花「やだ……嫌だ……」
ついに妖が姿を現す。
ぼろぼろと泣きじゃくる一花。
一花「や……っ」
思わず庇うように頭を抱える。
震える一花の前に、颯爽と現れる人影がある。
それは、髪と瞳の色を変えた夜雨の姿だった。
夜雨は神力を使うふりをして睨みをきかせ、妖を追い払う。
妖を追い払ってから、一花に向き直る夜雨。
夜雨「大丈夫ですか、お嬢さん」
穏やかな夜雨の声に、恐る恐る顔を上げる一花。
一花「あ……ありがとうございます」
夜雨「ずいぶん怪我をしている。まさか、この崖から落ちたのですか?」
一花はおずおずと頷く。
夜雨が怪我の具合を確認すると、一花の足首が大きく腫れている。
夜雨「これはひどい。折れていないといいですが……」
夜雨は心配そうな顔で呟き、懐から液体の薬を取り出す。
夜雨「失礼しますよ」
夜雨は一花の足袋を脱がせ、腫れている足首に液体を振りかける。
一花「あの……あなたはお医者さまなのですか?」
夜雨「ちょっとした薬師のようなものです。薬はよく効くと評判なんですよ」
夜雨は微笑み、薬をふりかけた一花の足首を布で押さえる。
一花はなぜか初対面のはずの夜雨の前で緊張せずに話せていることに気づき、微笑む。
一花「薬師さんは人を安心させる力に長けているのですね。……初対面なのに、何だか安心してしまいました」
夜雨は穏やかな表情の中にわずかに驚きを滲ませる。
そこに、ばたばたと駆けつける数人分の足音がある。
はっとして足音のする方を見やれば、ひどく焦ったような千が一花の前に駆けつける。
千「一花さん!!」
慌てて一花の前にしゃがみ込む千。
千の姿を見て気が緩み、ほっと息をつく一花。
一花「千さま……申し訳ありません、姿を消したりして……」
千「尋から話は聞いている。夏月の人間には気をつけるよう、僕から薫子に言うべきだった。僕の落ち度だ……」
ひどく悲しげな顔をして一花を抱きしめる千。
千「ひどい怪我だ。かわいそうに、すぐに屋敷へ戻ろう」
一花「いいえ……今、薬師さんが手当てしてくださったので、痛みはそれほど――」
先ほどまで夜雨がいた場所を見遣る一花。
だが、そこに夜雨の姿はもうない。
一花「あれ……?」
千「薬師? 人の気配はしないが……」
一花「でも、腫れていた足首に薬をつけてくれたのです」
足首を千に見せる一花。
足首の腫れは跡形もなく引いている。
一花「……腫れがない」
千「落ちた衝撃で混乱していたんだろう。おいで、屋敷で医者に見てもらおう」
一花「そう、ですね」
混乱しながら、曖昧に微笑む一花。
千は神力で一花の首についた鎖を外し、そのまま一花を抱き上げる。
一花「……千さま? そんな、歩けます」
千「そんな状態の君を歩かせるなんて、冗談じゃない。いいからこのまま身を委ねて」
一花「……はい」
大人しく千に体を預ける一花。
一花は最後にもう一度だけ薬師のいた方を振り返って千とともにその場を後にする。

○桜並木のはずれ 大樹 夕暮れ 晴天
遠ざかる一花と千の様子を、木の上から眺める夜雨。
夜雨「天宮の婚約者に選ばれたって言うからどんな子かと思ったけど、思ったより普通だったなあ」
面白がるようにくすくすと笑う夜雨。
夜雨「それにしても、あの子が名門夏月家の落ちこぼれで、天宮の婚約者、か。……傑作だな。まあ、仲が良くて何よりだ」
にいっと意味ありげに笑みを深める夜雨。
夜雨「その調子でどんどん天宮を堕としてよ、一花ちゃん。――君たちの恋の成就が、妖の時代の幕開けになるんだから」
ざあ、と風が吹き抜け、桜の花びらが舞う。
その中で穏やかに微笑みあう一花と千の姿がある。