○香月邸 午前中 曇天
屋敷の隅、使用人たちの作業部屋で、使用人たちに混じって見窄らしい着物で針仕事をしている一花/いちか。
一花は使用人たちが門の前に集まっていることに気がつき、針を置いて玄関のほうへ向かう。
一花は使用人たちの影からそっと様子を伺う。
ちょうど、「緋」の任務から帰ってきた一花の父と菖蒲/あやめが屋敷に戻るところであった。
使用人①「ごらんになって、旦那様のあの頼もしい面持ち」
使用人②「今日も帝都の平和を守ってくださったのね」
使用人③「菖蒲さまの凛として美しいことといったら」
使用人①「あの若さで、『緋』の部隊の一つを任されているのですって。さすがは名門夏月家の後継者よね」
憧れの眼差しで一花の父と菖蒲を見つめ、賞賛の言葉を贈る使用人たち。
一花もまた、憧れの気持ちを込めて二人を見つめていると、屋敷に入ってきた当主と菖蒲と目が合ってしまう。
慌てて深く礼をする一花。
一花「おかえりなさいませ、お父さま、菖蒲お姉さま」
当主「出迎えは不要だ。なるべく私たちの前に姿を現すな」
当主は深いため息をつき、そのまま屋敷の奥へ消える。
菖蒲も同じようにため息をついて、じろじろと一花を見つめる。
一花「お姉さま……もしよろしければ、お荷物をお持ちいたします」
弱々しく微笑みながら菖蒲に一歩近づく一花。
菖蒲は一花を冷たく睨みつけ、差し出された一花の手を振り払う。
菖蒲「私の持ち物の何にだって、お前に触れてほしくないの。離れにこもっていなさいと何度言えばわかるの?」
菖蒲は一花を冷たくあしらい、当主に続いてその場を後にする。
残された一花を見て、使用人たちはくすくすと笑う。
俯きながらふらふらと針仕事に戻ろうとする一花。
その一花の肩に使用人たちがわざとぶつかり、転ばせる。
一花は床に倒れ込みながら、使用人たちの嘲笑を聞く。
一花モノローグ(父と姉からは家族として扱われず、使用人たちから蔑まれる。これが私の毎日だ)
回想に切り替わる。
妖とそれと討伐する「緋」の姿。
一花モノローグ(この桜花国には、古来より人々を襲う妖が住んでいる。それを討伐するのが「神力」という特別な力に恵まれた人々で編成された部隊――「緋」だ。)
夏月家当主と一花の母・六花/りっか、菖蒲の姿。
一花モノローグ(「緋」に属する名家夏月家の次女として、私は生まれた。幼い頃より強大な「神力」を発現した姉と同じように、優柔な「神力」の使い手であることを期待されていた)
「神力」を発現する姉の隣で、呆然と掌を見つめる一花。冷たい当主の目。
一花モノローグ(だが、私は「神力」を使うことはできなかった。それがわかった日から、私は何の役にも立たない「落ちこぼれ」になった)
幼い一花の髪を撫でる優しい笑みの六花。
一花モノローグ(お母さまだけは「落ちこぼれ」の私にも優しかった。すてきな歌をいくつも教えてくれて、母さまと過ごす時間だけが私の楽しみだった)
布団の上で顔に白布を乗せられる六花の姿。泣き崩れる当主と菖蒲。
一花モノローグ(だが、体が弱かったお母さまは私が5歳のときに亡くなってしまった。私は気づかなかったけれど、私を産んでからどんどん弱っていたらしい。私を産んだせいでお母さまは亡くなったのだ)
一花を糾弾する菖蒲と当主の姿。
一花モノローグ(それから私は正真正銘のひとりぼっちになった。お母さまから教わった歌だけが、私の心の支えだった)
○夏月邸 縁側 やや曇り
夕暮れ、縁側で針仕事の続きを終えた一花。仕上がった着物を使用人に手渡す。
一花「あの……これで、今日はご飯をいただけますか」
弱々しく尋ねる一花。
使用人は一花におにぎり(笹に包まれたもの)を見せ、にやりと笑い、中庭に向かってそれを投げる。
使用人①「どうぞ、あれがお嬢様のお食事ですよ」
使用人①は意地悪く告げ、くすくす笑いながら他の使用人たちとともに立ち去っていく。
一花は悲しそうな顔をしながら、中庭に足袋のまま降りて、おにぎりをとりにいく。
笹に包まれたおにぎりをそっと開き、砂がついてしまったところを取り除きながら、黙々と食べる一花。
思わず泣きそうになり、咄嗟に母から教わった歌を歌う一花。
そこに、たまたま通りかかった菖蒲が血相を変えて一花に詰めより、一花の頬を思い切り叩く。
衝撃に耐えきれず、中庭に倒れ込む一花。
鼻血を出しながら驚いて菖蒲を見上げる。
菖蒲「その歌を歌わないでちょうだい……白雪を殺したことを忘れたの!?」
菖蒲は悍ましいものを見たような目で一花を見下ろしている。(菖蒲は一花の歌の神力を弱める作用を鋭敏に感じ取っており、心からぞっとしている)
幼い一花が綺麗な白い猫・白雪(菖蒲の飼い猫)に歌を聞かせてやる回想シーンのカット。
白雪はぐったりとして動かなくなり、目を閉じている。
菖蒲「お前の歌は生き物を長い眠りに誘う魔の歌よ。お前のせいで、お母さまだって……」
悔しそうに一花を睨みつける菖蒲。
菖蒲「お前さえいなければ、お母さまは今も生きていらっしゃったのに!!」
地面に膝をついたままぐ、と俯いて菖蒲の糾弾に堪える一花。
菖蒲「お前なんて、いなくなってしまえばいい」
菖蒲は吐き捨てるように告げて、使用人たちと共に屋敷の奥へ姿を消す。
地面に座り込んだまま、殴られた時に落ちてしまったおにぎりの残骸をそっとかき集める一花。
耐えきれず、ついに泣き出してしまう。
○丘 夕暮れ 晴天
泣きながら、思わず屋敷を飛び出す一花。
屋敷のそば、花畑が広がる丘の上まで衝動的に駆けていく。
涙を必死に拭いながら、夕焼けと夜が溶け合う空を見上げる一花。
一花「お母さま……私もお母さまのおそばに行きたいです。お母さまのお歌が聴きたい……!!」
ざあ、と風が吹き抜ける。泣きながら、母の最後の言葉を思い出す一花。
六花モノローグ(風がふいたら、一花のお歌を歌ってね。風が、きっとあなたの歌声をお母さまのもとまで運んできてくれるから)
それ以上泣くまいとするように、一花は目を閉じて歌い続ける。
一花(お母さま……聞こえていますか……)
やがて、歌い疲れた一花が目を開くと、目の前に見知らぬ美しい青年(千/ゆき)が立っていることに気づく。
驚いた一花は数歩後ずさり、さっと青ざめる。
一花モノローグ(どうしよう……歌を聞かれてしまった……?)
ぐったりとした白雪の姿のカット。
一花モノローグ(このひとまで白雪のようになってしまったら……!)
一花「あの……! ごめんなさい、わたし――」
一花が後ずさった分を埋めるように、ぐっと距離を縮める千。
千「今の歌……もっと歌ってくれないか。頼む……」
芝生の上に崩れ落ちながら懇願する千。冷や汗をかいており、尋常ではない様子。
一花モノローグ(具合が悪そう……きっとわたしの歌のせいだわ……)
一花の動揺には気付かずに、さらに距離を詰め一花の腕を掴む千。
千「頼む、さっきの歌をもういちど聞かせてくれ……」
息も絶え絶えに頼み込む千
一花(わたしの歌を聞いても、平気なのかしら……?)
戸惑いながらも、千の熱意に負けて歌を再開する一花。
明らかに雪の顔色が良くなり、息遣いも穏やかになっていく。
不思議に思いながらも、歌い続ける一花。
一曲を歌い終える頃には、見るからに青年の体調が良くなっている。
千「……信じられない、こんなことがあるなんて」
言葉通りに、一花を見つめて茫然とする千。
一花は何を言われているのかわからず、気まずそうに肩を縮める。
一花「あの……体調はもうよろしいのですか?」
千「ああ……君の歌を聞いたらすっかりよくなった。何をしても無駄だったのに……」
千は一花をまじまじと見つめる。
異性に免疫がない一花は、余計に縮こまる。
千「そういう『神力』なのか? きみの力のことを教えてほしい」
無我夢中で一花に迫る千。
一花は弱々しく微笑みながら首を横にふる。
一花「私に「神力」はございません。……体調が良くなったのは、きっと偶然でしょう」
千「いいや、そんなはずはない。気づいていないだけで君には何か特別な力があるはずだ」真剣な眼差しで一花を見つめる千。
一花は驚いて目を見開き、そうして弱々しく微笑む。
一花「お世辞だったとしても、そんなふうに言っていただけて嬉しいです。……それでは、私はこれで失礼いたします」
そのまま立ち去ろうとする一花。
その一花の手を掴んで引き止める千。
千「待ってほしい。君の名前は……?」
一花は落ちこぼれと呼ばれている自分が夏月の名を出すわけにいかないと思い、ためらったのちに一言だけ告げる。
一花「一花。一の花とかいて、一花です」
千「一花さん……姓は? 姓はなんていうんだ?」
一花を逃すまいと必死に問いかける千。
一花「……ごめんなさい、そろそろ帰らないと。さようなら」
一花の腕を掴む千の手をそっと解き、一花はその場から立ち去る。
◯夏月邸 納屋 夜 晴天
居住空間として与えられている納屋に帰ってくる一花。
千との出会いを思い出し、高鳴る胸をそっと押さえる。
一花モノローグ(なんだか夢を見ているような時間だったわ。……わたしの歌を聞いてくれるひとなんて、初めて)
久しぶりに自分の歌を聞いてくれる人がいたことが嬉しくて、ひとりはにかむ一花。
ささやかな喜びを宝物のように抱えて、そのまま粗末なボロ布の中で眠る。
◯夏月邸 縁側 昼間 晴天
数日後、夏月邸で使用人たちがが口々に噂している。
使用人①「ねえ、聞いた? あの天宮家からうちのお嬢さまに縁談が届いたのですって」
使用人②「『夏月家の御令嬢を、妻として迎え入れたい』っていうお手紙が届いたそうよ!」
使用人③「あの天宮家に菖蒲さまが嫁げば、夏月の名もまた上がるわねえ!」
使用人②「こんなにおめでたいことはないわ」
はしゃぐ使用人たち。
一花は掃き掃除をしながらその名前に考えを巡らせる。
一花モノローグ(「天宮家」……確か、代々「緋」の長を務める名家中の名家だわ。最近代替わりをして、お若いご当主になったのだっけ)
「緋」の制服を纏った千の姿のカット、顔は見えていない。
使用人③「でも、そうなったら夏月家はどなたが継ぐのかしら。まさか……」
使用人たちがちらりと一花を見つめる。
びくりと肩を跳ねさせる一花。
使用人②「神力の一つも使えないんじゃ、あれに後継は無理でしょうし、分家から養子をもらうのでしょうね」
使用人①「菖蒲さまのお従兄弟の綴さまなんてちょうどいいんじゃないかしら?」
一花をいないもののように噂する使用人たち。
一花は掃き掃除をしながら、俯く。
一花モノローグ(お姉さまが嫁いで、分家から他の方がいらっしゃったら……私はきっと追い出されてしまうわ)と暗い気持ちになる一花。
◯夏月邸 菖蒲の部屋 昼間
天宮家からの縁談を了承した夏月家。
使用人①「菖蒲お嬢さま、天宮さまからの贈りものです」
次々に天宮家から贈り物が届き、それを一つずつ開ける菖蒲。
使用人②「菖蒲お嬢様にお似合いになりますわ!」
菖蒲に美しい着物を着付け、はしゃぐ使用人たち。
菖蒲もまんざらではない様子。
菖蒲「天宮さまとは任務の時にお顔を拝見したことがあるけれど、こんなふうに気にしてくださっていたなんて知らなかったわ」
使用人③「お嬢様のお美しさは、ひと目見たら忘れられるはずがありませんもの」
使用人②「加えて旦那様にも匹敵するほどの強い『神力』の使い手であらせられますから、縁談が来るのも当然ですわ!」
その様子を眩しく思い、中庭から眺めている一花。
菖蒲は一花の姿を見つめるなり意地悪く微笑んで、わざわざ縁側まで姿を表して天宮から届いた着物姿を見せる。
着物は小さな花が無数に散っているような可憐な柄で、どちらかといえば菖蒲より一花に似合いそうなデザイン。
菖蒲「どう? 天宮さまから届いたの。綺麗よね?」
唇を歪め、一花に自慢する菖蒲。
一花は弱々しく微笑みながら頷く。
一花「はい、とってもお綺麗です、お姉さま」
菖蒲「お前は一生着られないような上等な着物よ。よく見ておきなさい」
菖蒲は意地悪く笑い、使用人たちと談笑しながら去っていく。
一花は菖蒲の後ろ姿を見ながら、思いを馳せる。
一花モノローグ(お姉さま、素敵だわ。私もいつか、あんなふうに殿方から求婚されてみたいけれど……)
千との出会いを思い出す一花。一花に詰め寄る千のカット。
だが、すぐに自分の見窄らしい着物を見て、まつ毛を伏せる一花。
一花モノローグ(私には、夢のまた夢だわ。「神力」にも恵まれず、お姉さまのように美しくもない私を望む方が、いるはずないもの)
箒を握り直し、掃き掃除を再開する一花。
◯夏月邸 正門 昼間 晴天
天宮の当主が縁談の挨拶に来る日になる。
夏月家の使用人たちも忙しく支度に追われ、一花も懸命に準備をする。
使用人一同で屋敷の前で天宮家当主を迎える。
一花は姿を見せることを許されなかったため、使用人たちの陰から様子を伺う。
派手ではないが上等な馬車から降りてきたのは、「緋」の礼服を纏った千だった。
思わず息を呑む一花。
一花モノローグ(あの方……丘の上で出会った……)
一花はちくりと胸が痛むのを感じる。
一花モノローグ(まさか、天宮の当主だったなんて……。お姉さまと婚約なさるのね)
当主「ご足労いただきありがとうございます。どうぞこちらへ」
夏月家当主が出迎え、菖蒲の待つ部屋に案内する。
その後ろ姿をどこか暗い気持ちで見送る一花。
◯夏月家 月の間 昼間 晴天
当主は千を月の間に案内する。
当主「お待たせいたしました。娘は今参ります」
当主は丁寧に挨拶をする。
やがて、静かに襖が開かれ、千から贈られた着物を纏った菖蒲が姿を現す。
その姿を見て、眉を顰める千。
千「夏月殿、なんの冗談でしょうか。私が縁談を申し込んだのは、この方ではないはずですが」
冷ややかに当主を睨む千。
菖蒲「お父様? どういうこと?」
動揺をあらわにする菖蒲。
当主は焦りながら弁明を始める。
当主「天宮さま、きっと思い違いをなさっておられます。確かに縁談状には一花の名前がありましたが……強い『神力』に恵まれた優秀な娘は、この菖蒲でございます」
千「そうです、私は一花さんに縁談を申し込んだんだ。この着物だって……一花さんに贈ったものです」
冷静に一花への求婚の意思をあらわにする千。
驚いて目を見開く当主。
当主「まさか……本当に一花を? 神力もなく、妖を見て怯えるような臆病な娘ですよ? 見目だって、菖蒲とは比較にならない……一体なぜ一花を?」
千「彼女は、私の苦しみを和らげてくれる唯一の存在ですから」
意味ありげに美しく微笑む千。
千「一花さんはどこです? 会わせてください」
◯夏月邸 納屋 昼間 晴天
納屋に戻ってきた一花は、淡い恋に似た感情があっけなく打ち砕かれたことに落胆し、肩を落とす。
一花モノローグ(なんて皮肉なのかしら……初めて気になった殿方が、お姉さまの婚約者だなんて)
わずかに涙ぐみながら、小声で歌を歌う。
目を瞑って歌い続けていると、がらりと納屋の扉が開く。
千「ああ……ここにいた。探しましたよ、一花さん。……やっぱり、素晴らしい歌だ」
美しく微笑む千。
驚いて目を見開く一花。
一花「あ、天宮さま……? どうしてここに? お姉さまとの縁談は?」
混乱する一花を、そっと抱き上げる千。
千「ここに来るのは当然だよ。――僕は、君との縁談を申し込みにきたんだから」
甘く微笑み、抱き上げた一花の顔を見上げる。
一花は驚きのあまり声も出ない。
千「どうか、僕の妻になっていただけませんか、夏月一花さん」
屋敷の隅、使用人たちの作業部屋で、使用人たちに混じって見窄らしい着物で針仕事をしている一花/いちか。
一花は使用人たちが門の前に集まっていることに気がつき、針を置いて玄関のほうへ向かう。
一花は使用人たちの影からそっと様子を伺う。
ちょうど、「緋」の任務から帰ってきた一花の父と菖蒲/あやめが屋敷に戻るところであった。
使用人①「ごらんになって、旦那様のあの頼もしい面持ち」
使用人②「今日も帝都の平和を守ってくださったのね」
使用人③「菖蒲さまの凛として美しいことといったら」
使用人①「あの若さで、『緋』の部隊の一つを任されているのですって。さすがは名門夏月家の後継者よね」
憧れの眼差しで一花の父と菖蒲を見つめ、賞賛の言葉を贈る使用人たち。
一花もまた、憧れの気持ちを込めて二人を見つめていると、屋敷に入ってきた当主と菖蒲と目が合ってしまう。
慌てて深く礼をする一花。
一花「おかえりなさいませ、お父さま、菖蒲お姉さま」
当主「出迎えは不要だ。なるべく私たちの前に姿を現すな」
当主は深いため息をつき、そのまま屋敷の奥へ消える。
菖蒲も同じようにため息をついて、じろじろと一花を見つめる。
一花「お姉さま……もしよろしければ、お荷物をお持ちいたします」
弱々しく微笑みながら菖蒲に一歩近づく一花。
菖蒲は一花を冷たく睨みつけ、差し出された一花の手を振り払う。
菖蒲「私の持ち物の何にだって、お前に触れてほしくないの。離れにこもっていなさいと何度言えばわかるの?」
菖蒲は一花を冷たくあしらい、当主に続いてその場を後にする。
残された一花を見て、使用人たちはくすくすと笑う。
俯きながらふらふらと針仕事に戻ろうとする一花。
その一花の肩に使用人たちがわざとぶつかり、転ばせる。
一花は床に倒れ込みながら、使用人たちの嘲笑を聞く。
一花モノローグ(父と姉からは家族として扱われず、使用人たちから蔑まれる。これが私の毎日だ)
回想に切り替わる。
妖とそれと討伐する「緋」の姿。
一花モノローグ(この桜花国には、古来より人々を襲う妖が住んでいる。それを討伐するのが「神力」という特別な力に恵まれた人々で編成された部隊――「緋」だ。)
夏月家当主と一花の母・六花/りっか、菖蒲の姿。
一花モノローグ(「緋」に属する名家夏月家の次女として、私は生まれた。幼い頃より強大な「神力」を発現した姉と同じように、優柔な「神力」の使い手であることを期待されていた)
「神力」を発現する姉の隣で、呆然と掌を見つめる一花。冷たい当主の目。
一花モノローグ(だが、私は「神力」を使うことはできなかった。それがわかった日から、私は何の役にも立たない「落ちこぼれ」になった)
幼い一花の髪を撫でる優しい笑みの六花。
一花モノローグ(お母さまだけは「落ちこぼれ」の私にも優しかった。すてきな歌をいくつも教えてくれて、母さまと過ごす時間だけが私の楽しみだった)
布団の上で顔に白布を乗せられる六花の姿。泣き崩れる当主と菖蒲。
一花モノローグ(だが、体が弱かったお母さまは私が5歳のときに亡くなってしまった。私は気づかなかったけれど、私を産んでからどんどん弱っていたらしい。私を産んだせいでお母さまは亡くなったのだ)
一花を糾弾する菖蒲と当主の姿。
一花モノローグ(それから私は正真正銘のひとりぼっちになった。お母さまから教わった歌だけが、私の心の支えだった)
○夏月邸 縁側 やや曇り
夕暮れ、縁側で針仕事の続きを終えた一花。仕上がった着物を使用人に手渡す。
一花「あの……これで、今日はご飯をいただけますか」
弱々しく尋ねる一花。
使用人は一花におにぎり(笹に包まれたもの)を見せ、にやりと笑い、中庭に向かってそれを投げる。
使用人①「どうぞ、あれがお嬢様のお食事ですよ」
使用人①は意地悪く告げ、くすくす笑いながら他の使用人たちとともに立ち去っていく。
一花は悲しそうな顔をしながら、中庭に足袋のまま降りて、おにぎりをとりにいく。
笹に包まれたおにぎりをそっと開き、砂がついてしまったところを取り除きながら、黙々と食べる一花。
思わず泣きそうになり、咄嗟に母から教わった歌を歌う一花。
そこに、たまたま通りかかった菖蒲が血相を変えて一花に詰めより、一花の頬を思い切り叩く。
衝撃に耐えきれず、中庭に倒れ込む一花。
鼻血を出しながら驚いて菖蒲を見上げる。
菖蒲「その歌を歌わないでちょうだい……白雪を殺したことを忘れたの!?」
菖蒲は悍ましいものを見たような目で一花を見下ろしている。(菖蒲は一花の歌の神力を弱める作用を鋭敏に感じ取っており、心からぞっとしている)
幼い一花が綺麗な白い猫・白雪(菖蒲の飼い猫)に歌を聞かせてやる回想シーンのカット。
白雪はぐったりとして動かなくなり、目を閉じている。
菖蒲「お前の歌は生き物を長い眠りに誘う魔の歌よ。お前のせいで、お母さまだって……」
悔しそうに一花を睨みつける菖蒲。
菖蒲「お前さえいなければ、お母さまは今も生きていらっしゃったのに!!」
地面に膝をついたままぐ、と俯いて菖蒲の糾弾に堪える一花。
菖蒲「お前なんて、いなくなってしまえばいい」
菖蒲は吐き捨てるように告げて、使用人たちと共に屋敷の奥へ姿を消す。
地面に座り込んだまま、殴られた時に落ちてしまったおにぎりの残骸をそっとかき集める一花。
耐えきれず、ついに泣き出してしまう。
○丘 夕暮れ 晴天
泣きながら、思わず屋敷を飛び出す一花。
屋敷のそば、花畑が広がる丘の上まで衝動的に駆けていく。
涙を必死に拭いながら、夕焼けと夜が溶け合う空を見上げる一花。
一花「お母さま……私もお母さまのおそばに行きたいです。お母さまのお歌が聴きたい……!!」
ざあ、と風が吹き抜ける。泣きながら、母の最後の言葉を思い出す一花。
六花モノローグ(風がふいたら、一花のお歌を歌ってね。風が、きっとあなたの歌声をお母さまのもとまで運んできてくれるから)
それ以上泣くまいとするように、一花は目を閉じて歌い続ける。
一花(お母さま……聞こえていますか……)
やがて、歌い疲れた一花が目を開くと、目の前に見知らぬ美しい青年(千/ゆき)が立っていることに気づく。
驚いた一花は数歩後ずさり、さっと青ざめる。
一花モノローグ(どうしよう……歌を聞かれてしまった……?)
ぐったりとした白雪の姿のカット。
一花モノローグ(このひとまで白雪のようになってしまったら……!)
一花「あの……! ごめんなさい、わたし――」
一花が後ずさった分を埋めるように、ぐっと距離を縮める千。
千「今の歌……もっと歌ってくれないか。頼む……」
芝生の上に崩れ落ちながら懇願する千。冷や汗をかいており、尋常ではない様子。
一花モノローグ(具合が悪そう……きっとわたしの歌のせいだわ……)
一花の動揺には気付かずに、さらに距離を詰め一花の腕を掴む千。
千「頼む、さっきの歌をもういちど聞かせてくれ……」
息も絶え絶えに頼み込む千
一花(わたしの歌を聞いても、平気なのかしら……?)
戸惑いながらも、千の熱意に負けて歌を再開する一花。
明らかに雪の顔色が良くなり、息遣いも穏やかになっていく。
不思議に思いながらも、歌い続ける一花。
一曲を歌い終える頃には、見るからに青年の体調が良くなっている。
千「……信じられない、こんなことがあるなんて」
言葉通りに、一花を見つめて茫然とする千。
一花は何を言われているのかわからず、気まずそうに肩を縮める。
一花「あの……体調はもうよろしいのですか?」
千「ああ……君の歌を聞いたらすっかりよくなった。何をしても無駄だったのに……」
千は一花をまじまじと見つめる。
異性に免疫がない一花は、余計に縮こまる。
千「そういう『神力』なのか? きみの力のことを教えてほしい」
無我夢中で一花に迫る千。
一花は弱々しく微笑みながら首を横にふる。
一花「私に「神力」はございません。……体調が良くなったのは、きっと偶然でしょう」
千「いいや、そんなはずはない。気づいていないだけで君には何か特別な力があるはずだ」真剣な眼差しで一花を見つめる千。
一花は驚いて目を見開き、そうして弱々しく微笑む。
一花「お世辞だったとしても、そんなふうに言っていただけて嬉しいです。……それでは、私はこれで失礼いたします」
そのまま立ち去ろうとする一花。
その一花の手を掴んで引き止める千。
千「待ってほしい。君の名前は……?」
一花は落ちこぼれと呼ばれている自分が夏月の名を出すわけにいかないと思い、ためらったのちに一言だけ告げる。
一花「一花。一の花とかいて、一花です」
千「一花さん……姓は? 姓はなんていうんだ?」
一花を逃すまいと必死に問いかける千。
一花「……ごめんなさい、そろそろ帰らないと。さようなら」
一花の腕を掴む千の手をそっと解き、一花はその場から立ち去る。
◯夏月邸 納屋 夜 晴天
居住空間として与えられている納屋に帰ってくる一花。
千との出会いを思い出し、高鳴る胸をそっと押さえる。
一花モノローグ(なんだか夢を見ているような時間だったわ。……わたしの歌を聞いてくれるひとなんて、初めて)
久しぶりに自分の歌を聞いてくれる人がいたことが嬉しくて、ひとりはにかむ一花。
ささやかな喜びを宝物のように抱えて、そのまま粗末なボロ布の中で眠る。
◯夏月邸 縁側 昼間 晴天
数日後、夏月邸で使用人たちがが口々に噂している。
使用人①「ねえ、聞いた? あの天宮家からうちのお嬢さまに縁談が届いたのですって」
使用人②「『夏月家の御令嬢を、妻として迎え入れたい』っていうお手紙が届いたそうよ!」
使用人③「あの天宮家に菖蒲さまが嫁げば、夏月の名もまた上がるわねえ!」
使用人②「こんなにおめでたいことはないわ」
はしゃぐ使用人たち。
一花は掃き掃除をしながらその名前に考えを巡らせる。
一花モノローグ(「天宮家」……確か、代々「緋」の長を務める名家中の名家だわ。最近代替わりをして、お若いご当主になったのだっけ)
「緋」の制服を纏った千の姿のカット、顔は見えていない。
使用人③「でも、そうなったら夏月家はどなたが継ぐのかしら。まさか……」
使用人たちがちらりと一花を見つめる。
びくりと肩を跳ねさせる一花。
使用人②「神力の一つも使えないんじゃ、あれに後継は無理でしょうし、分家から養子をもらうのでしょうね」
使用人①「菖蒲さまのお従兄弟の綴さまなんてちょうどいいんじゃないかしら?」
一花をいないもののように噂する使用人たち。
一花は掃き掃除をしながら、俯く。
一花モノローグ(お姉さまが嫁いで、分家から他の方がいらっしゃったら……私はきっと追い出されてしまうわ)と暗い気持ちになる一花。
◯夏月邸 菖蒲の部屋 昼間
天宮家からの縁談を了承した夏月家。
使用人①「菖蒲お嬢さま、天宮さまからの贈りものです」
次々に天宮家から贈り物が届き、それを一つずつ開ける菖蒲。
使用人②「菖蒲お嬢様にお似合いになりますわ!」
菖蒲に美しい着物を着付け、はしゃぐ使用人たち。
菖蒲もまんざらではない様子。
菖蒲「天宮さまとは任務の時にお顔を拝見したことがあるけれど、こんなふうに気にしてくださっていたなんて知らなかったわ」
使用人③「お嬢様のお美しさは、ひと目見たら忘れられるはずがありませんもの」
使用人②「加えて旦那様にも匹敵するほどの強い『神力』の使い手であらせられますから、縁談が来るのも当然ですわ!」
その様子を眩しく思い、中庭から眺めている一花。
菖蒲は一花の姿を見つめるなり意地悪く微笑んで、わざわざ縁側まで姿を表して天宮から届いた着物姿を見せる。
着物は小さな花が無数に散っているような可憐な柄で、どちらかといえば菖蒲より一花に似合いそうなデザイン。
菖蒲「どう? 天宮さまから届いたの。綺麗よね?」
唇を歪め、一花に自慢する菖蒲。
一花は弱々しく微笑みながら頷く。
一花「はい、とってもお綺麗です、お姉さま」
菖蒲「お前は一生着られないような上等な着物よ。よく見ておきなさい」
菖蒲は意地悪く笑い、使用人たちと談笑しながら去っていく。
一花は菖蒲の後ろ姿を見ながら、思いを馳せる。
一花モノローグ(お姉さま、素敵だわ。私もいつか、あんなふうに殿方から求婚されてみたいけれど……)
千との出会いを思い出す一花。一花に詰め寄る千のカット。
だが、すぐに自分の見窄らしい着物を見て、まつ毛を伏せる一花。
一花モノローグ(私には、夢のまた夢だわ。「神力」にも恵まれず、お姉さまのように美しくもない私を望む方が、いるはずないもの)
箒を握り直し、掃き掃除を再開する一花。
◯夏月邸 正門 昼間 晴天
天宮の当主が縁談の挨拶に来る日になる。
夏月家の使用人たちも忙しく支度に追われ、一花も懸命に準備をする。
使用人一同で屋敷の前で天宮家当主を迎える。
一花は姿を見せることを許されなかったため、使用人たちの陰から様子を伺う。
派手ではないが上等な馬車から降りてきたのは、「緋」の礼服を纏った千だった。
思わず息を呑む一花。
一花モノローグ(あの方……丘の上で出会った……)
一花はちくりと胸が痛むのを感じる。
一花モノローグ(まさか、天宮の当主だったなんて……。お姉さまと婚約なさるのね)
当主「ご足労いただきありがとうございます。どうぞこちらへ」
夏月家当主が出迎え、菖蒲の待つ部屋に案内する。
その後ろ姿をどこか暗い気持ちで見送る一花。
◯夏月家 月の間 昼間 晴天
当主は千を月の間に案内する。
当主「お待たせいたしました。娘は今参ります」
当主は丁寧に挨拶をする。
やがて、静かに襖が開かれ、千から贈られた着物を纏った菖蒲が姿を現す。
その姿を見て、眉を顰める千。
千「夏月殿、なんの冗談でしょうか。私が縁談を申し込んだのは、この方ではないはずですが」
冷ややかに当主を睨む千。
菖蒲「お父様? どういうこと?」
動揺をあらわにする菖蒲。
当主は焦りながら弁明を始める。
当主「天宮さま、きっと思い違いをなさっておられます。確かに縁談状には一花の名前がありましたが……強い『神力』に恵まれた優秀な娘は、この菖蒲でございます」
千「そうです、私は一花さんに縁談を申し込んだんだ。この着物だって……一花さんに贈ったものです」
冷静に一花への求婚の意思をあらわにする千。
驚いて目を見開く当主。
当主「まさか……本当に一花を? 神力もなく、妖を見て怯えるような臆病な娘ですよ? 見目だって、菖蒲とは比較にならない……一体なぜ一花を?」
千「彼女は、私の苦しみを和らげてくれる唯一の存在ですから」
意味ありげに美しく微笑む千。
千「一花さんはどこです? 会わせてください」
◯夏月邸 納屋 昼間 晴天
納屋に戻ってきた一花は、淡い恋に似た感情があっけなく打ち砕かれたことに落胆し、肩を落とす。
一花モノローグ(なんて皮肉なのかしら……初めて気になった殿方が、お姉さまの婚約者だなんて)
わずかに涙ぐみながら、小声で歌を歌う。
目を瞑って歌い続けていると、がらりと納屋の扉が開く。
千「ああ……ここにいた。探しましたよ、一花さん。……やっぱり、素晴らしい歌だ」
美しく微笑む千。
驚いて目を見開く一花。
一花「あ、天宮さま……? どうしてここに? お姉さまとの縁談は?」
混乱する一花を、そっと抱き上げる千。
千「ここに来るのは当然だよ。――僕は、君との縁談を申し込みにきたんだから」
甘く微笑み、抱き上げた一花の顔を見上げる。
一花は驚きのあまり声も出ない。
千「どうか、僕の妻になっていただけませんか、夏月一花さん」

