彼女が転校してきてから、三週間くらい。
その間に、彼女は勉強もスポーツもできる、まさに主人公みたいな人なのだとわかってきた。
転入試験というのは普通の入試よりもハードルが高いらしいし、それに受かったということは、ボーダーラインでぎりぎり入れた私よりもずっとずっと優秀なのは間違いない。
うそか本当かはわからないけれど、中学校のときに部活で県の優秀選手に選ばれたらしいとか、高校一年生のときに全国模試で100位以内に名前が載ったという話を聞いた。英語の発音がいいから、帰国子女だという噂もある。
そういう噂を古都さんに直接訊ねる人もいるけれど、古都さんは「ご想像にお任せします」と笑う。そういうところもかっこいい。
すごいなあ。きっとできないことなんてなんにもないんだろうな。
でも、古都さんのすごいところは、勉強やスポーツだけじゃない。
いつも余裕があって、周りのことがよく見えていて、困っていたらさりげなく助けてくれる。さっきの英語の授業みたいに。
昨日の美術で、みんなより大幅に遅れた私の絵を見て、彼女は『いい絵だね』と言ってくれた。
『えっ、どこが? まだ輪郭しか描けてないよ……』
私は驚いてそう答えたけれど、古都さんは『いい絵だよ』と笑った。
『私は美術に関して無知だけど、流奈さんの絵がいい絵だってことは見ればわかるよ。何より対象への愛を感じる。線も構図もいい。もっと時間をかけたら、もっともっとよくなる』
彼女は私を褒めてくれているのに、時間をかけたら、という言葉が私にはどうしても引っかかってしまった。だからすぐに反応できなかった。
『面倒くさがらず手を抜かず、時間と手間を惜しまず、対象を心ゆくまですみずみまで観察して描いてある。絵にとっていちばん大切な要素はそれでしょ』
『……ありがとう。でも、時間をかけなきゃいけないっていうのが、だめだよね……へへ』
私は虚しさをごまかすように笑った。すると古都さんは『どうして?』と怪訝そうに首を傾げた。
『時間をかけたらいけないなんてことがある? むしろ私は、たくさんの時間をかけられたことのほうが、丁寧に行われていていいと思うけど』
『……え?』
時間がかかっていたほうがいい? その言葉は、私のこれまでの人生で感じていたことの真逆で、すぐには呑み込めなかった。
『だって世間では、一晩おいて味の馴染んだカレーとか数日間煮込まれたラーメンのスープとか何十年前から継ぎ足されてきた焼き鳥のたれとか職人が手間ひまかけて作った雑貨とかが大変ありがたがられてるでしょ。それと何が違うの? 私はね、流奈さんのたくさん考えてたっぷり時間を使って惜しまず手間ひまかける姿勢は、とても好ましいと思うよ』
ラーメンや焼き鳥にたとえられるとは思いもよらなかった。
古都さんはすごく早口で流れるようにしゃべるので、耳から入ってくる情報の処理が特に遅い私は、その内容を理解するのに苦労する。ひとつひとつの単語をちゃんと拾い上げて理解したいのに、カレーとかラーメンとか予想外の単語が現れると、その異質さのほうに意識がいってしまって、理解にいつもよりさらに時間がかかってしまった。
でも古都さんは私の返事を気長に待ってくれている。他の人は、私がうまく反応できないでいると、気まずそうにだったり申し訳なさそうにだったり呆れたようにだったり笑うけれど、彼女は淡々と待ってくれている。
そういえば彼女は話が上手でいつも次々と言葉が出てくるというようにすらすらしゃべるけれど、相手の話を遮ったりはしない。相手に会話のターンがあるときは、言葉を重ねたりせず待つ。
何ものにも囚われず風のように自由で、だけど押しつけではない優しさも持っている。
待ってもらえていることに気づくと、私は少し気持ちを落ち着けることができて、だから思っていることをちゃんと言葉にできた。
『絵は……時間をかけてもいいかもしれないけど、私の場合、他のことも全部、人より時間がかかっちゃうから。授業中は板書も写しきれないし、テストも時間内に解き終わらないし……何してもだめだめなんだ』
こんな話をされても相手は反応に困るに決まっている。だから、叫びたいくらいに強く思っていても、誰にも、どこにも吐き出せなかった想い。
それを、古都さんは、まっすぐに受け取ってくれた。
『もしも私が板書だったら、やっつけ仕事みたいに雑に適当に書き写されるよりも、時間をかけて丁寧に写してもらえたほうが、丁重に扱われている気がして嬉しいな。もしも私がテスト問題だったら、一瞬で通り過ぎられるよりも、やっぱり時間をかけてじっくり向き合ってもらえたほうが嬉しいと思う』
まさか板書やテスト問題の気持ちになって考えてくれるとは予想外だった。
『まあ、テストの時間制限については難しい問題だけど、たとえ時間が足りなくってテスト中に解けなくても、本質的にはちゃんと理解できてるなら問題ないんじゃないかな。勉強の本来の目的はテストで高得点をとることじゃなくて知識を身につけることなんだから、その本来の目的を達成できてるなら問題ない。あ、受験のことを心配してるなら、大量の設問を出して時間内に解かせることを重視するタイプの入試問題を出す大学じゃなくて、二時間かけて大問五つとかの少ない問題を深く深く奥の奥まで考えさせるような入試をする大学に照準を合わせるという手もある』
『な、なるほど……』
たしかに高校受験と違って大学受験ではいろんな選択肢があるから、そういう大学もあるのかもしれない。
『あと板書については、スマホで写真を撮ったらいいんじゃない? そしたらゆっくり写せるし、焦らなくていいでしょ』
『えっ、でも、授業中にスマホ出しちゃいけない……』
『別にスマホで遊ぶんじゃなくて勉強のために写真撮るだけなんだから、いいんじゃない? 心配なら先に許可をとればいい。それで許可しなかったり怒ったりする先生がいたらそっちが間違ってるよ。授業中のスマホ禁止のルールがなんのために作られたかわかってないってことだから。生徒を勉強に集中させるっている目的を達成するための手段がスマホ禁止なのに、本来の目的を失念して手段そのものが目的になってしまってるってことでしょ。それに、少しでもしっかり勉強したいっていう真面目な生徒の気持ちを踏みにじるなんて、教師がやっていいわけがない。だから流奈さんは堂々と板書の写真を撮ればいい』
古都さんの話を聞いていたら、私が今までずっと悩んでいたこと、人生を左右するくらい大きいと思っていた私の短所は、工夫さえすればなんとかなること、のような気がしてきた。
きっと本当はそんなに簡単には解決できない問題なのだけれど、そのせいで人生が終わるというほどひどいことではないのかもしれない。
ふわりとそよ風に吹かれたみたいに、ずっとずっと、何年も沈んでいた気持ちが、軽くなった。
その間に、彼女は勉強もスポーツもできる、まさに主人公みたいな人なのだとわかってきた。
転入試験というのは普通の入試よりもハードルが高いらしいし、それに受かったということは、ボーダーラインでぎりぎり入れた私よりもずっとずっと優秀なのは間違いない。
うそか本当かはわからないけれど、中学校のときに部活で県の優秀選手に選ばれたらしいとか、高校一年生のときに全国模試で100位以内に名前が載ったという話を聞いた。英語の発音がいいから、帰国子女だという噂もある。
そういう噂を古都さんに直接訊ねる人もいるけれど、古都さんは「ご想像にお任せします」と笑う。そういうところもかっこいい。
すごいなあ。きっとできないことなんてなんにもないんだろうな。
でも、古都さんのすごいところは、勉強やスポーツだけじゃない。
いつも余裕があって、周りのことがよく見えていて、困っていたらさりげなく助けてくれる。さっきの英語の授業みたいに。
昨日の美術で、みんなより大幅に遅れた私の絵を見て、彼女は『いい絵だね』と言ってくれた。
『えっ、どこが? まだ輪郭しか描けてないよ……』
私は驚いてそう答えたけれど、古都さんは『いい絵だよ』と笑った。
『私は美術に関して無知だけど、流奈さんの絵がいい絵だってことは見ればわかるよ。何より対象への愛を感じる。線も構図もいい。もっと時間をかけたら、もっともっとよくなる』
彼女は私を褒めてくれているのに、時間をかけたら、という言葉が私にはどうしても引っかかってしまった。だからすぐに反応できなかった。
『面倒くさがらず手を抜かず、時間と手間を惜しまず、対象を心ゆくまですみずみまで観察して描いてある。絵にとっていちばん大切な要素はそれでしょ』
『……ありがとう。でも、時間をかけなきゃいけないっていうのが、だめだよね……へへ』
私は虚しさをごまかすように笑った。すると古都さんは『どうして?』と怪訝そうに首を傾げた。
『時間をかけたらいけないなんてことがある? むしろ私は、たくさんの時間をかけられたことのほうが、丁寧に行われていていいと思うけど』
『……え?』
時間がかかっていたほうがいい? その言葉は、私のこれまでの人生で感じていたことの真逆で、すぐには呑み込めなかった。
『だって世間では、一晩おいて味の馴染んだカレーとか数日間煮込まれたラーメンのスープとか何十年前から継ぎ足されてきた焼き鳥のたれとか職人が手間ひまかけて作った雑貨とかが大変ありがたがられてるでしょ。それと何が違うの? 私はね、流奈さんのたくさん考えてたっぷり時間を使って惜しまず手間ひまかける姿勢は、とても好ましいと思うよ』
ラーメンや焼き鳥にたとえられるとは思いもよらなかった。
古都さんはすごく早口で流れるようにしゃべるので、耳から入ってくる情報の処理が特に遅い私は、その内容を理解するのに苦労する。ひとつひとつの単語をちゃんと拾い上げて理解したいのに、カレーとかラーメンとか予想外の単語が現れると、その異質さのほうに意識がいってしまって、理解にいつもよりさらに時間がかかってしまった。
でも古都さんは私の返事を気長に待ってくれている。他の人は、私がうまく反応できないでいると、気まずそうにだったり申し訳なさそうにだったり呆れたようにだったり笑うけれど、彼女は淡々と待ってくれている。
そういえば彼女は話が上手でいつも次々と言葉が出てくるというようにすらすらしゃべるけれど、相手の話を遮ったりはしない。相手に会話のターンがあるときは、言葉を重ねたりせず待つ。
何ものにも囚われず風のように自由で、だけど押しつけではない優しさも持っている。
待ってもらえていることに気づくと、私は少し気持ちを落ち着けることができて、だから思っていることをちゃんと言葉にできた。
『絵は……時間をかけてもいいかもしれないけど、私の場合、他のことも全部、人より時間がかかっちゃうから。授業中は板書も写しきれないし、テストも時間内に解き終わらないし……何してもだめだめなんだ』
こんな話をされても相手は反応に困るに決まっている。だから、叫びたいくらいに強く思っていても、誰にも、どこにも吐き出せなかった想い。
それを、古都さんは、まっすぐに受け取ってくれた。
『もしも私が板書だったら、やっつけ仕事みたいに雑に適当に書き写されるよりも、時間をかけて丁寧に写してもらえたほうが、丁重に扱われている気がして嬉しいな。もしも私がテスト問題だったら、一瞬で通り過ぎられるよりも、やっぱり時間をかけてじっくり向き合ってもらえたほうが嬉しいと思う』
まさか板書やテスト問題の気持ちになって考えてくれるとは予想外だった。
『まあ、テストの時間制限については難しい問題だけど、たとえ時間が足りなくってテスト中に解けなくても、本質的にはちゃんと理解できてるなら問題ないんじゃないかな。勉強の本来の目的はテストで高得点をとることじゃなくて知識を身につけることなんだから、その本来の目的を達成できてるなら問題ない。あ、受験のことを心配してるなら、大量の設問を出して時間内に解かせることを重視するタイプの入試問題を出す大学じゃなくて、二時間かけて大問五つとかの少ない問題を深く深く奥の奥まで考えさせるような入試をする大学に照準を合わせるという手もある』
『な、なるほど……』
たしかに高校受験と違って大学受験ではいろんな選択肢があるから、そういう大学もあるのかもしれない。
『あと板書については、スマホで写真を撮ったらいいんじゃない? そしたらゆっくり写せるし、焦らなくていいでしょ』
『えっ、でも、授業中にスマホ出しちゃいけない……』
『別にスマホで遊ぶんじゃなくて勉強のために写真撮るだけなんだから、いいんじゃない? 心配なら先に許可をとればいい。それで許可しなかったり怒ったりする先生がいたらそっちが間違ってるよ。授業中のスマホ禁止のルールがなんのために作られたかわかってないってことだから。生徒を勉強に集中させるっている目的を達成するための手段がスマホ禁止なのに、本来の目的を失念して手段そのものが目的になってしまってるってことでしょ。それに、少しでもしっかり勉強したいっていう真面目な生徒の気持ちを踏みにじるなんて、教師がやっていいわけがない。だから流奈さんは堂々と板書の写真を撮ればいい』
古都さんの話を聞いていたら、私が今までずっと悩んでいたこと、人生を左右するくらい大きいと思っていた私の短所は、工夫さえすればなんとかなること、のような気がしてきた。
きっと本当はそんなに簡単には解決できない問題なのだけれど、そのせいで人生が終わるというほどひどいことではないのかもしれない。
ふわりとそよ風に吹かれたみたいに、ずっとずっと、何年も沈んでいた気持ちが、軽くなった。



