2025-10-03
『もう一度、会えるのなら』

「もう一度、会えるのなら」と題し
インスタで様々な意見を募集すると。

「亡くなった旦那に会いたい」とか
「亡くなった愛犬に会いたい」とか
「仲良かった友達に会いたい」とか。

どれもが出会えなくなった人に対しての
深く悲しみを帯びた思いなのだと知った。

もう会えないと分かり切っているから
表面的に悲しみを出していないだけで
誰もが心の奥で思い続けているのだと。

「亡くなった旦那に会いたい」と書いた女性は
「52年間もありがとう」と続けて書いていた。

その一言に全てが詰まっている気がした。

「仲良かった友達に会いたい」と書いた女性は
「会えなくて寂しい」とDMを通じて連絡が来た。

「会えないから育まれる愛もありますよ」と言うと
「育まれすぎて伝えたくなります」と返信があった。

その無邪気さに、愛おしさを感じた。

会えなくなってから気付くものばかり。
会っているときに気付けていれば多分。

ここまで後悔はしていなかっただろうに。
いや、たとえ気付いていても後悔はする。

伝えたい思いを伝えたいタイミングで
伝えたい相手に伝えることができても。

会えなくなってから伝えたい言葉が浮かぶ。
感謝の言葉も謝罪の言葉もその他の言葉も。

結局、人は愛がある限り後悔をし続けるのだと。
「もう一度、会えるのなら」誰を思い浮かべる?

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