2025-10-21
『そこにいるよ』

つい先日、娘がとある歌を口ずさんだ。
僕はそれを聴いたときに少しゾッとし。

「どうしてその歌を知っているの」と訊いた。
先月7歳になったばかりの娘は僕の方を見て。

「ママのお腹の中にいるとき聴いた」
「パパの優しい声も聞こえていたよ」

世間的に有名ではない子守唄を気に入った妻は
毎日のようにお腹の中にいる娘に聞かせ続けた。

だから知っていたのだろうけれど
こうして娘に言われるとは思わず。

「凄いな、他にはどんなのを聴いた?」
娘が聴いたものを知りたくなっていた。

「うーん、何だろうな」と困った表情をしている。
まるで冗談を言った僕に対して困った妻のような。

「ふふーん、ふふ、ふふー」と口ずさむ娘。
「これも聴いたことがあるよ」と僕に言う。

どうにも、言葉が出なかった。
その歌は妻との思い出の曲だ。

好きなアーティストが同じという理由で
様々なライヴへと行く関係へとなりゆき。

いつしか、両思いとなった。

そしていつも話していた会話の1つとして
「その歌を子供にも聞かせたいね」だった。

娘の出産は難産だった。

「奥さんかお子さん、選んでください」
失望している僕に対して医師が告げる。

選ぶことのできない選択に対して
「2人とも救ってほしい」と懇願。

無事、娘は健康に生まれたのだけれども。
妻は帰らぬ人へとなってしまったわけで。

「全力を尽くしましたが」と医師が言う。
「ありがとうございます」と僕は言うが。

大切な人を亡くした悲しみは大きい。
大切な子供が生まれたことは嬉しい。

そして今、目の前にはすくすくと育ち
7歳になったばかりの大切な娘がいる。

「それね、僕とママの思い出の曲なんだよ」
「聴いていたんだね、ママもきっと喜ぶよ」

僕は涙を堪えながら言った。
娘は涙を流す素振りもせず。

ただ、僕の背後に向かって手を振った。
そして「ママ、そこにいるよ」と言い。

僕に笑顔を向けてくる娘。

まるで初めて会ったときの妻みたいで
「ママ、いるね」と言いながら抱いた。

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