六月は文化祭の季節だ。
写真部も作品を展示する。
「今年はサロンでやるよ」
楓は意気込んで類に伝えた。
「……」
反応はない。
「あのね、サロンっていうのは……」
「食堂の横でしょ?」
「そう。でね……」
「サロンがいいんすか?」
「もちろんだよ!」
楓は力を込めた。
昨年度、部員一名の写真部は、展示場所さえ割り当てられず、部室に作品を並べただけで終わったのだ。あの屈辱……。
しかし今年は違う。
部員数も注目度も、文化部のなかではダントツだ。
「サロンはね、最上級ランクの展示スペースなの。動線も、広さも、申し分ない。とにかく、いっちばん目立って、一番いい場所なんだから」
「へえ~」
ようやく薄い反応が返る。
「そいじゃ、がんばって展示しなきゃ、ですね」
「うん」
楓は大きくうなずいた。
「サロン取れたのも類くんがいてくれるからなんだ。ありがとね」
「いや、自分なんて、そんな」
類はぶんぶんと首をふった。
女子部員たちもはりきった。
写真部のフォルダには、選ぶのに困るくらいの作品が集まった。
「展示テーマを絞った方がいいかな?」
楓は首をひねった。
「それとも、いろいろあった方がいいかな……。でもあんまりバラバラっていうのも、印象薄くなるし」
部員の趣味は様々だ。
人物、風景、花、動物……。どれかひとつというわけにはいかない。
「う~~ん」
唸っていると、類がやってきた。
「どうしたんです?」
楓の悩みをきくと、類は間髪入れず言った。
「かがやいて、未来」
「え?」
「きらめいて、青春、とか」
類はにこにこした。
「ああ」
なるほど。
そういう抽象的なテーマにしてしまえばいいのか。たしかに、どんな作品だって、輝いているし、きらめいているんだから。
「よし、そうだね。決まった」
「なんです?」
「ときめいて、世界」
「ん~~」
「宇宙の方がいいかな?」
「いや、それは……」
さきほどの発言は冗談だったらしい。
「やっぱり変かな……」
楓は顧問に相談に行った。
「いらんだろう、テーマは」
顧問の答えは簡潔だった。
写真を選び、印刷し、パネルにはる。タイトルと作者名を表示して、展示順を決めて……。
スペースが広いだけに、作業も膨大だった。
しかし、部員たちはおおいに盛り上がり、準備作業を楽しんだ。
類がいるからに違いない。
そして、いよいよ開幕、というときに事件は起きた。
早朝、楓は展示スペースに向った。
写真の並びを確認したかったのだ。
「やっぱり、花と動物が並んだ方がよかったかな」
展示順なんて、誰も気には止めないだろう。
でも……。
「せんぱい!」
渡り廊下から叫び声がした。
「早いっすね~~」
類だ。
「類くんだって」
「いや~、なんか、目が覚めちゃって」
満面の笑顔で駆けてきた。
「何してんです?」
「うん。ちょっと、展示の感じ、確認したくて」
「へえ~」
「一晩たつとさ、印象が変わるかもと思って」
「そういうもんすか」
類は不思議そうだ。
扉を開けた瞬間、目にした光景に、楓は凍りついた。
「え?」
写真が……。
作品は、みな、大きく切り裂かれていた。
カッターナイフで切りつけたのだろうか。
下地の木製パネルは無事のようだが、わからない。
「そんな……」
昨日、最後の点検をして、鍵を閉めた。
そして、いま、楓が開けるまで、この部屋に立ち入ったものはないはずだった。
鍵は職員室のキーボックスにしまわれている。
簡単に持ち出せるものではないのに。
「だれが、こんな……」
考えて、楓ははっとした。
最後の戸締りは類だった。
「……」
楓の後ろで類は無言だった。
白い顔で、動かない。
握りしめた拳がかすかに震えていた。
「よし。先生を呼ぼう」
楓は声をあげた。
「はりかえよう。きっと間にあうよ」
「ほお~。こりゃ、驚いた」
顧問は冷静だった。
「まずは上に報告だな」
やってきた教頭は、さっと顔をこわばらせた。
「はりかえます」
顧問が言うのに、異議をとなえた。
教頭は顧問を部屋のすみに連れて行き、小声で話した。
意見が食い違うのだろう、顧問の表情が険しくなる。
「そんなことをしてたら、終わるでしょう」
顧問が声を荒げた。
「ですが、先生……」
「あとはおまかせします」
顧問は言い捨てた。
「ここが駄目なら、別のところにはります。この日のために準備してきた作品なんですから」
顧問は楓たちの方に戻ってきた。
「おい、はりかえるぞ」
顧問はずんずんと廊下を進んだ。
「用紙はあるか?」
顧問がきいた。
どうだろう。
ほぼ使い切っているのではないか。
「あるだけ、プリントしてくれ。あとは、上質紙を使うか」
つまり、普通のコピー用紙だ。
「いっそ、作品全部、印刷してもいいな」
そんなに大量に、どこに貼るつもりなのだろう。
楓の懸念をよそに、顧問はキビキビと身体を動かした。
この人って、こんなふうに動けるんだ……。
はじめてみる生き生きした顧問の姿だった。
「――せんぱい」
類が口を開いた。
白い顔は変わらない。
「大丈夫。なんとかなるよ」
楓は励ました。
「よし。片っ端から貼ってくぞ~」
顧問は目を輝かせた。
「どこにですか?」
「決まってるだろう。窓だ」
教室棟の廊下の窓にはりまくれと顧問はいった。
「え、でも」
窓への掲示物は堅く禁じられている。
テープ跡が残るし、景観を損ねるからというのが理由だった。
許可しはじめると、きりがないせいなのかもしれないが。
「これだな」
どん。
楓の前にテープの束が置かれた。
何の柄もない、白のマスキングテープが十巻、びっちりとパックされている。
「急げよ。止められたら、おれが許可したと言え」
こうなったら、やるしかない。
楓たちは、窓に印刷物を貼りつけてまわった。
「あら、先生、これ……」
「いやあ、アート、アート」
同僚の注意を、顧問は平気ではねかえした。
展示は間にあった。
「おお、やったな」
顧問は部員をねぎらった。
「おれです。最後にカギ閉めたの」
類が切り出した。
「ああ」
顧問は笑顔で返した。
「だが、窓の鍵が開いてたぞ」
「え」
「一か所。パネルの後ろのところが」
「え……」
閉めたかどうか、類は自信が持てないらしかった。
「いたずらだとしたら悪質だ。でもな、とりあえず、おまえらはよくやった。お疲れさん」
顧問は上機嫌だった。
「ああいう人だったんだね……」
ふたりきりになると楓は言った。
やる気のない万年平教師だと思っていたのだが。
管理職にたちむかい、写真部を救ってくれた。
「――だから出世しないっす」
ぼそりと類が返した。
視線を足元に落としたまま、楓を見ようとはしない。
「類くんのせいじゃないよ」
楓はくりかえした。
「ぼくが閉めたとしても、気がつかなかったよ、きっと」
「でも……」
「大丈夫。展示もできたんだし。ね?」
最大限に明るく返し、楓は類と別れた。
けれど、それきり類は部室に姿を見せなかった。
犯人は類ではないか。
どこからともなく、ささやきが拡がった。
楓は聞かないふりをつづけたが、類の耳にも入っているに違いなかった。
文化祭以来、類に会っていない。
放課後になると、楓が声をかけるまえに、姿を消してしまうのだ。
今日もダメか……。
楓は、ため息をつきながら部室に向った。
扉のむこうから、部員たちの話し声が聞こえた。
「やっぱ、そうかな?」
「じゃない?」
部員たちは類の関与をうわさしているのだった。
違う。それは絶対に。
「類くんはそんなことしないよ」
楓は割りこんだ。
「みんなの作品を壊すなんて。類くんはそんなこと絶対にしない」
部室はしんとなった。
じゃあ、誰が?
部員たちの疑念は消えていないのだ。
「仲間を疑うなんて、最悪だな……」
考えるよりさきに、言葉が出た。
「ぼくは類くんを信じてる。信じられないって言うんなら、やめてくれてもいいから」
ピリッと空気が張りつめた。
「――そんなんじゃないですけど」
別の部員が沈黙を破った。
「だったら、誰なのかって、あんなこと……」
語尾が震えた。
「また、何か、され、たら……」
涙であとが続かない。
隣の部員が背中をさすった。
そうか、みんな不安なんだ。
楓ははじめて気がついた。
楓と類をのぞけば、部員はみんな一年生の女子ばかりだ。
突然の破壊行為にショックをうけ、おびえているのだ。
「いや、大丈夫だよ。ぼくがみんなを守るから」
大きく出た楓の周囲に、微妙な空気がひろがった。
「それはいいですけど」
ひとりの部員が言った。
写真部も作品を展示する。
「今年はサロンでやるよ」
楓は意気込んで類に伝えた。
「……」
反応はない。
「あのね、サロンっていうのは……」
「食堂の横でしょ?」
「そう。でね……」
「サロンがいいんすか?」
「もちろんだよ!」
楓は力を込めた。
昨年度、部員一名の写真部は、展示場所さえ割り当てられず、部室に作品を並べただけで終わったのだ。あの屈辱……。
しかし今年は違う。
部員数も注目度も、文化部のなかではダントツだ。
「サロンはね、最上級ランクの展示スペースなの。動線も、広さも、申し分ない。とにかく、いっちばん目立って、一番いい場所なんだから」
「へえ~」
ようやく薄い反応が返る。
「そいじゃ、がんばって展示しなきゃ、ですね」
「うん」
楓は大きくうなずいた。
「サロン取れたのも類くんがいてくれるからなんだ。ありがとね」
「いや、自分なんて、そんな」
類はぶんぶんと首をふった。
女子部員たちもはりきった。
写真部のフォルダには、選ぶのに困るくらいの作品が集まった。
「展示テーマを絞った方がいいかな?」
楓は首をひねった。
「それとも、いろいろあった方がいいかな……。でもあんまりバラバラっていうのも、印象薄くなるし」
部員の趣味は様々だ。
人物、風景、花、動物……。どれかひとつというわけにはいかない。
「う~~ん」
唸っていると、類がやってきた。
「どうしたんです?」
楓の悩みをきくと、類は間髪入れず言った。
「かがやいて、未来」
「え?」
「きらめいて、青春、とか」
類はにこにこした。
「ああ」
なるほど。
そういう抽象的なテーマにしてしまえばいいのか。たしかに、どんな作品だって、輝いているし、きらめいているんだから。
「よし、そうだね。決まった」
「なんです?」
「ときめいて、世界」
「ん~~」
「宇宙の方がいいかな?」
「いや、それは……」
さきほどの発言は冗談だったらしい。
「やっぱり変かな……」
楓は顧問に相談に行った。
「いらんだろう、テーマは」
顧問の答えは簡潔だった。
写真を選び、印刷し、パネルにはる。タイトルと作者名を表示して、展示順を決めて……。
スペースが広いだけに、作業も膨大だった。
しかし、部員たちはおおいに盛り上がり、準備作業を楽しんだ。
類がいるからに違いない。
そして、いよいよ開幕、というときに事件は起きた。
早朝、楓は展示スペースに向った。
写真の並びを確認したかったのだ。
「やっぱり、花と動物が並んだ方がよかったかな」
展示順なんて、誰も気には止めないだろう。
でも……。
「せんぱい!」
渡り廊下から叫び声がした。
「早いっすね~~」
類だ。
「類くんだって」
「いや~、なんか、目が覚めちゃって」
満面の笑顔で駆けてきた。
「何してんです?」
「うん。ちょっと、展示の感じ、確認したくて」
「へえ~」
「一晩たつとさ、印象が変わるかもと思って」
「そういうもんすか」
類は不思議そうだ。
扉を開けた瞬間、目にした光景に、楓は凍りついた。
「え?」
写真が……。
作品は、みな、大きく切り裂かれていた。
カッターナイフで切りつけたのだろうか。
下地の木製パネルは無事のようだが、わからない。
「そんな……」
昨日、最後の点検をして、鍵を閉めた。
そして、いま、楓が開けるまで、この部屋に立ち入ったものはないはずだった。
鍵は職員室のキーボックスにしまわれている。
簡単に持ち出せるものではないのに。
「だれが、こんな……」
考えて、楓ははっとした。
最後の戸締りは類だった。
「……」
楓の後ろで類は無言だった。
白い顔で、動かない。
握りしめた拳がかすかに震えていた。
「よし。先生を呼ぼう」
楓は声をあげた。
「はりかえよう。きっと間にあうよ」
「ほお~。こりゃ、驚いた」
顧問は冷静だった。
「まずは上に報告だな」
やってきた教頭は、さっと顔をこわばらせた。
「はりかえます」
顧問が言うのに、異議をとなえた。
教頭は顧問を部屋のすみに連れて行き、小声で話した。
意見が食い違うのだろう、顧問の表情が険しくなる。
「そんなことをしてたら、終わるでしょう」
顧問が声を荒げた。
「ですが、先生……」
「あとはおまかせします」
顧問は言い捨てた。
「ここが駄目なら、別のところにはります。この日のために準備してきた作品なんですから」
顧問は楓たちの方に戻ってきた。
「おい、はりかえるぞ」
顧問はずんずんと廊下を進んだ。
「用紙はあるか?」
顧問がきいた。
どうだろう。
ほぼ使い切っているのではないか。
「あるだけ、プリントしてくれ。あとは、上質紙を使うか」
つまり、普通のコピー用紙だ。
「いっそ、作品全部、印刷してもいいな」
そんなに大量に、どこに貼るつもりなのだろう。
楓の懸念をよそに、顧問はキビキビと身体を動かした。
この人って、こんなふうに動けるんだ……。
はじめてみる生き生きした顧問の姿だった。
「――せんぱい」
類が口を開いた。
白い顔は変わらない。
「大丈夫。なんとかなるよ」
楓は励ました。
「よし。片っ端から貼ってくぞ~」
顧問は目を輝かせた。
「どこにですか?」
「決まってるだろう。窓だ」
教室棟の廊下の窓にはりまくれと顧問はいった。
「え、でも」
窓への掲示物は堅く禁じられている。
テープ跡が残るし、景観を損ねるからというのが理由だった。
許可しはじめると、きりがないせいなのかもしれないが。
「これだな」
どん。
楓の前にテープの束が置かれた。
何の柄もない、白のマスキングテープが十巻、びっちりとパックされている。
「急げよ。止められたら、おれが許可したと言え」
こうなったら、やるしかない。
楓たちは、窓に印刷物を貼りつけてまわった。
「あら、先生、これ……」
「いやあ、アート、アート」
同僚の注意を、顧問は平気ではねかえした。
展示は間にあった。
「おお、やったな」
顧問は部員をねぎらった。
「おれです。最後にカギ閉めたの」
類が切り出した。
「ああ」
顧問は笑顔で返した。
「だが、窓の鍵が開いてたぞ」
「え」
「一か所。パネルの後ろのところが」
「え……」
閉めたかどうか、類は自信が持てないらしかった。
「いたずらだとしたら悪質だ。でもな、とりあえず、おまえらはよくやった。お疲れさん」
顧問は上機嫌だった。
「ああいう人だったんだね……」
ふたりきりになると楓は言った。
やる気のない万年平教師だと思っていたのだが。
管理職にたちむかい、写真部を救ってくれた。
「――だから出世しないっす」
ぼそりと類が返した。
視線を足元に落としたまま、楓を見ようとはしない。
「類くんのせいじゃないよ」
楓はくりかえした。
「ぼくが閉めたとしても、気がつかなかったよ、きっと」
「でも……」
「大丈夫。展示もできたんだし。ね?」
最大限に明るく返し、楓は類と別れた。
けれど、それきり類は部室に姿を見せなかった。
犯人は類ではないか。
どこからともなく、ささやきが拡がった。
楓は聞かないふりをつづけたが、類の耳にも入っているに違いなかった。
文化祭以来、類に会っていない。
放課後になると、楓が声をかけるまえに、姿を消してしまうのだ。
今日もダメか……。
楓は、ため息をつきながら部室に向った。
扉のむこうから、部員たちの話し声が聞こえた。
「やっぱ、そうかな?」
「じゃない?」
部員たちは類の関与をうわさしているのだった。
違う。それは絶対に。
「類くんはそんなことしないよ」
楓は割りこんだ。
「みんなの作品を壊すなんて。類くんはそんなこと絶対にしない」
部室はしんとなった。
じゃあ、誰が?
部員たちの疑念は消えていないのだ。
「仲間を疑うなんて、最悪だな……」
考えるよりさきに、言葉が出た。
「ぼくは類くんを信じてる。信じられないって言うんなら、やめてくれてもいいから」
ピリッと空気が張りつめた。
「――そんなんじゃないですけど」
別の部員が沈黙を破った。
「だったら、誰なのかって、あんなこと……」
語尾が震えた。
「また、何か、され、たら……」
涙であとが続かない。
隣の部員が背中をさすった。
そうか、みんな不安なんだ。
楓ははじめて気がついた。
楓と類をのぞけば、部員はみんな一年生の女子ばかりだ。
突然の破壊行為にショックをうけ、おびえているのだ。
「いや、大丈夫だよ。ぼくがみんなを守るから」
大きく出た楓の周囲に、微妙な空気がひろがった。
「それはいいですけど」
ひとりの部員が言った。
