「やっぱ、部活っていえば、合宿っしょ」
 またまた、類の爆弾発言だ。
「合宿?」
 写真部で?
「視野を広げることも大切ですから。新たな発見があるかも、でしょ?」
「それはそうだけど」
「いいから、いいから」
 類はガイドブックを広げた。
「このへんとか、どうです?」
 びしっと指さす。
 県北の温泉地だ。
「ね? お手頃でしょ? ほら、滝とかあって、景色よさそうだし。自然いっぱいっすよ。城もあります」
 類はぐいぐいと推す。
「温泉に泊まるの?」
 楓は首をかしげた。
 どうせ行くなら、女子はもっとおしゃれなところがいいのでは? 異人館とか、お菓子の家とか、きれいな夜景とか、よく知らないけど……。
「このへんはね、安い宿あるんで。部活だと」
「へ~~え、そうなの」
 楓には、部活動遠征に際しての宿泊事情など、全くわからない。
「類くん、よく知ってるね~。そういえば、類くんって中学では……」
「じゃ、決まりってことで」
 類はガイドブックをバンッと閉じた。
「一応、顧問に言っときます?」
 っていうか、顧問の引率が必要だ。
「ぼく言うよ。来月、県北で撮影合宿、だね」
「です!」
 やった~~っ! 先輩とおんせん~~~!
 類は踊っている。
 そんなの、いきなり、無理かも。
 楓は思ったが、
「お、いいぞ」
 顧問は簡単にこたえた。
 暇な人だ。
 バスの手配、宿の予約、部屋割り。予想外に、顧問は手慣れていた。
 出かけてみると、類の言ったとおり、新鮮な気持ちでカメラに向えた。
 山、川、滝。風景としては美しいが、切り取り方が難しい。
 普通に撮ると、ただきれいなだけになってしまう。
 水滴や枝先、思い切って細部にフォーカスした方がいいかも。
 楓は感じたが、そうするのに十分な機材は持ち合わせていなかった。
 マクロレンズは高いからな……。
 そんな楓の嘆きなど関係なく、類と女子たちは、「きれい~」と満足げにシャッターを切っていた。
 まあ、いいか。女子も楽しそうだし。
 散策後は、大広間でお膳を並べて夕食だ。
「うわあ、修学旅行みたい」
 声があがる。
 わいわいと食べ終えると、部屋に戻る。
 女子は五部屋に分かれ、顧問はひとり。
 類と楓は同室だった。
 部屋にはすでに布団が二組、並べて敷かれていた。
「うおっ、なんか新婚さんみたいっすね」
 類が身体をくねらせた。
「ぐっふっふ。先輩とふたりきりの夜! 楽しみっすね~~」
 どきり。楓の心臓が鳴った。
「大丈夫、襲いませんから」
 類が笑った。
「また、そんなこと言って……」
 楓は必死に平静を装った。
「先輩、風呂入らないすか?」
 類がきいた。
「あ、お先にどうぞ」
「え~~っ、露天風呂ですよ。一緒に入りましょうよ」
 いうなり、類はシャツを脱ぎ捨てた。
 そう、露天風呂。なんと、すべての部屋についているらしい。
 この宿の売り物だ。
「うっひょ~」
 叫んで類が風呂に飛び込んだ。
 どっぼ~~っ。激しくしぶきがあがる。
「ねえねえ、先輩も、はやく~~」
「ぼく、後でいいから」
 こたえる声も湯の音にかき消されてしまう。
「外が見える~~、ひゃ~、気持ちいい~」
 類は手足をばたつかせた。
 白い肌が、まぶしい。
「あ、先輩、撮っていいっすよ」
「え」
「そうだな~、どんなポーズがいいかな~? こんなの、どうです?」
 類はちらりと肩越しにふり向いたが、
「いや、やっぱ正面かな~」
 いうなり、ざばーっと立ち上がった。
 類の前面が、あらわになった。
「いや、類くん。そういう写真は使えないから……」
 楓は大急ぎで目をそらせた。
「え? いいじゃないっすか。旅の記念に、おれの裸体を激写しちゃってください」
「いや、それは……」
「ま、いいから、いいから。この美を永遠に印画紙に焼きつけてくださいよ」
 類は片手を首にあて、悩殺ポーズを決めた。
 いまどき、印画紙ってことはないんだけど。
「類くん、とりあえず、その……、湯に入ろう」
 楓は必死にことばを探した。
「え~~っ」
 抗議の声をあげつつも、類は湯に沈んだ。
「ふう」
 思わず楓はため息をついた。
「ほんとに、どうしてきみは写真部に」
 うっかり言葉がこぼれた。
 類は一瞬、真顔になった……ような気がしたが、すぐにもとどおり、ぬふふと笑った。
「新しいこと、したかっただけです」
 類はピッと親指を立てて見せた。
 
疲れた……。
 楓は、ぐったりと布団に横たわった。
「電気消します?」
 類がきいた。
「あ、小さいの、つけといて」
 恥ずかしながら、真っ暗が怖いのだ。
「了解っす」
 灯りは常夜灯だけになった。
「はあ~~っ」
 どーーーんと類は布団に転がった。
「やっぱ、畳って気持ちいいっすね。日本人の心ってやつですかね」
「ははは」
 楓は力なく笑った。
「ん~~。静かっすね~~。あ、そーだ、怖い話でもします?」
 いまにもはじまりそうだ。
「あ、待って。ぼく、そういうのは」
 あわてて楓はさえぎった。全然だめなのだ。トイレにも行けなくなってしまう。
「じゃあ、何しますかね……」
 寝ればよいのでは?
 そう思ったが、口には出さなかった。
 合宿ってのは、そんなもんじゃないっすよ。類なら言うだろう。
「ね、先輩。先輩と若菜先輩って、ほんとのとこ、どうなんです?」
「どうって……。近所の幼なじみだけど」
「そっすか? でもな~~、若菜先輩はそれだけじゃなさそうっすけどね~~」
 類の言葉に、楓はまた、ドキリとする。
 類くん、どこまでわかってるんだろう。
 ぼくが好きなのは、類くん、きみなのに。
 世界で一番好きだって、言ったのに。
「類くんこそ、どうなの? めっちゃ、もてるでしょ?」
「あ~~、おれは、そういうの、どうでもいいっす」
 モテ男は強気だ。
「先輩、寝る時もメガネっすか?」
 類がきいた。
「いや、外すよ。でも、外すと、ほんと見えないから」
「全然?」
「全然」
「へ~~~~」
 すーーっ。
 類の腕がのびてきて、楓のメガネをとった。
「どう? 見えます? おれの顔」
「あ、うん、まあ、それは」
「じゃ、これは?」
 類の唇が無音で動いた。
(せ・ん・ぱ・い)
「うん」
(だ・い・す・き)
「……」
 類がこちらをみつめている。まっすぐなまなざしで。
「ん~~、やっぱり、よく見えないね~~」
 ごまかして、楓はメガネに手を伸ばした。
 その手を、類につかまれた。
「先輩って、メガネ外すと、美形ですね」
 みつめられて、楓は目をそらした。
「そ、そうかな?」
 そんなこと言われたの、はじめてだけど。
「かわいいっすよ、とっても」
 類の顔が迫ってきた。
「髪さらさらで、色白くて、小っちゃくて。素敵です」
 類は言った。
「食べちゃいたいくらいって、こんな感じですね」
 目が真剣だ。
「え……?」
 食べる? ぼくを? 類くん、人間じゃなかったの? 吸血鬼?
「先輩、怖いですか? おれが」
「あ、あの、何の話?」
「食っちゃうかもって、話です」
「あの」
 そうだ、吸血鬼には十字架とにんにくだ。
 いつか、若菜ちゃんから借りたマンガに描いてあった。
 でも、いま、どっちも持ってないんだけど……。
「い、いいよ、類くんなら」
 こうなったら仕方ない。類くんに食われるなんて、しあわせだ。
 でも……。
「で、でも、一気にやってよ。ちょっとずつかじられたら、痛いから」
 楓は訴えた。
 しーーーん。
 しばしの沈黙。
 次の瞬間だ。
「ぎゃははは」
 類が爆笑した。
「せんぱいってば」
 ひーひーと、類は腹を押さえた。
「いや、大丈夫、食ったりしませんって。も~~、サイコー」
 ぎゃはぎゃはと、類はしばらく騒いでいたが、やがて、笑いつかれたのか、静かになった。

 隣で類はぐうーーーっと気持ちよさそうに眠っている。
 けれど、楓は眠れなかった。
 まさか、こういう展開になるとは。
 いや、正直に言うと楓だって期待していた。
 でも、それは、着替え姿が見られるかも、というかわいらしいものだったのだ。
 それなのに、裸で撮影を迫られたあげくに、寝床でからかわれるとは……。
 ふふ。思いだして、楓は笑った。
 ほんとに、困った子だ、類くんって。
 楓はじっと類の寝顔をみつめた。
 類が好きだ。楓は自分の気持ちを認めた。
 あの時、追い抜きざまにあいさつされたあの時に、楓の心は類にさらわれた。
 会うたびに類に惹かれていく。止めることはできなかった。
 類が好きだ。いつまでも見ていたい。触れたい、口づけたい。そして、類の胸に抱かれたい……。
 でも、その気持ちは自分の胸の内にしまっておく。これからも、ずっと。
 先輩と後輩。それだけで十分に楓は幸せだった。

「で、どうだった?」
 若菜は若干、声量を落とした。
「どうって」
「その……、進んだの? ちょっとは」
「ええっ、そんなこと」
 楓は顔を赤くした。
「だって、泊ったんでしょ、ふたりで」
「いや、みんなもいるし、それに、ちょっと、神々しすぎてさ」
「じゃ、なーーんにもなし?」
「まあ」
「え~~っ」
 ありえん、そんなの。若菜はひとしきり驚きと抗議の声をあげた。
 しかるのち、きっと楓の顔を見据えた。
「ふーちゃん」
「は、はい」
「わたしが何のために協力したと思ってるの。類くんなら、そう思って……」
 若菜の声が湿った。
「どんな思いでクッキーづくり手伝ったと思ってんの。ふーちゃんが類くんにとられちゃうってわかってて、でも、ほっとけなくて、バカみたいで……。ふーちゃんはわたしじゃダメ。わかってても好きなんだからね!」
「ごめん、若菜ちゃん、ごめん、ほんとに」
 若菜ちゃん、かっこいい。楓は感動した。
 自分が女好きなら、もちろん、若菜ちゃんで決まりだ。
「――いろいろしたいよ、ぼくだって。できるんなら」
 あんなこともこんなことも。想像の中でしか知らないあれこれが楓の脳裏にうかんだ。
「でも、類くんはさ、まだ、よくわかんない感じだから。ぼくは、その……、そっちの趣味だっていうのは、自分でよーーくわかってる。でも、彼はさ、実際にいろいろして、みたいなの、どうなのかな? まだ男女の違いも分かってない感じがするよ?」
「うーーん、まあね」
 若菜は否定しなかった。
「じゃあさ、ふたりでいつも何してんの?」
「そりゃあ、写真の話とか、写真の話とか、写真の話とか……」
「もう、いいよ」
 若菜に笑顔が戻った。