楓は、類を顧問に紹介してから、年間の活動計画を説明した。
 と言っても、基本的には、自分の撮りたいものを撮り、写真展に出すだけだ。
「とりあえず、撮ってみようか」
 楓は誘った。
「はいっ!」
 即座に類がこたえた。
「じゃあ、カメラを」
 楓がロッカーを開けようとすると、
「これ、あります」
 類がスマホを見せた。
「それは駄目なの。部のカメラがあるから」
 楓はこたえて、棚の上を探った。
 あるはずなんだけど、予備のカメラ……。
 つま先立ちする楓の横から、類の腕が伸びてきた。
 肩がかすかに触れ合った。
「これっすか?」
 類がカメラを見せた。
「うん」
 いいな、類くんは大きくて。
 ちらりと見上げると目が合った。
 か―っと身体が熱くなる。
「そうだ、電池、入れなきゃ」
 楓は目をそらして、ごまかした。
「先輩」
 類がいった。
 先輩って、そんなふうに呼ばれる日が来るなんて……。
 楓は感動をかみしめた。
「あの……、せんぱい?」
「あ、はいはい」
「おれも、こういうの撮りたいっす」
 類が指さす先には弓をひく若菜の姿があった。
 なるほど。
「なら、撮りに行く?」
 突然だが、若菜は許してくれるだろう。
「これ、付けてね」
 写真部の腕章を渡す。
「へ~~、プロっぽいっすね」
 類はうれしそうだ。
「まあ、防犯上のこととか、いろいろあるから」

 弓道場につくと、部員はちょうど稽古をはじめるところだった。
「若菜ちゃ~~ん、ちょっと撮っていい?」
 楓はカメラを見せた。
 若菜と幼なじみでよかったと思うのはこういうときだ。
「部員、入ったんだね」
 若菜は近寄ってきた。
 ちらりと類に視線を向ける。
「おめでと~~」
 パチパチと拍手をして、若菜はもどっていった。
「オートにしとけば、シャッター押すだけでいいんだ」
 楓は類に教えた。
「顔にピントがくるように、気をつけてね。あとは、光だね。逆光はよくないんだ。顔が暗くなるから。そういう効果を狙うこともあるんだけど、普通はね、順光で狙って。写真は光の芸術なんだよ。光があって物が見えるんだから……」
「……」
 気づくと類の目が死んでいる。
「よしっ! 撮ってみよう」
 楓は声を張り上げた。
「おすっ!」
 類が息を吹きかえした。
 指示された角度で、類はシャッターを押した。
 パシャリ。
「あ、そうだ、連写モードあるんだ」
 楓は設定をいじった。
 再び類がシャッターを押す。
 バシャシャシャシャ……。
 カメラが派手な音をたてた。
「おおっ! すごいっすね」
「ちょっと、うるさいんだよね、このカメラ」
 やかましいわりに、連写速度はいまいちで、がんばってる感だけあるという残念な製品だ。
 顧問の選択なのだ。
 まったく、あの人は使えないもの選んで……。
 楓の低評価など関係なく、類はバシャシャシャシャ、バシャシャシャシャと撮りまくった。
「うお~~、先輩っ! ね、これ、撮れてます? オッケーすか?」
 類は長身のイケメンだ。そのうえ、バシャバシャ、ぎゃあぎゃあ騒がしいものだから、目立ってしょうがない。
「――だれ?」
「さあ……?」
 弓道部員がささやき合う。
 的前練習がはじまった。
 部員が位置につくと、ぴんと空気が張りつめた。
 若菜の番になった。
 すうっと流れるように弓をつがえ、引き絞る。
 きりっと視線は一点に注がれた。
「……」
 類はカメラをおろした。
 ひゅんっ。風を切り、矢は的の中心を突いた。
「――うおっ」
 一瞬の間をおいて、類は盛大に拍手をはじめた。
「ナイス、先輩!」
 類は叫ぶ。
「かっけ~~っ!」
 パチパチパチパチ……。
「――あの、類くん、写真」
 楓はそっとよびかけた。
「え? あ~~っ! 撮ってない! 若菜先輩! アゲイン! プリーズ! せんぱ~~い」
 つん。若菜は頬をそめて、顔をそむけた。

「もお~~~、なんなの、あの子は」
 帰り道、若菜は楓に苦情をぶつけた。
「ごめん、若菜ちゃん」
「あれは、写真部って柄じゃないでしょ、どうみても」
「うん。そう思うんだけどね、ぼくも」
 どうして写真部にやってきたんだろう?
「う~~~ん」
 若菜はしばらく唸ってから、ぼそっという。
「タイプでしょ?」
「え、なに言ってんの」
 そう言いながら、楓は自分の耳が火照るのがわかった。
「やっぱりね~~」
 若菜はにやついた。
「なにがやっぱりなのさ」
「だって、ふーちゃん、ああいうのが好きだもんね、体育会系のかっこいい人」
 ずばり言い当てる。
「――自分にないものを求めるんだ」
「それね」
 若菜はさらっと流した。
「若菜ちゃんもかっこいいよ」
 楓は付けたした。
「でも、ときめかないでしょ?」
「そんなこと……」
「いいよ。気を遣ってくれなくて」
「ごめん」
「謝ることないって」
 イラついた声をだす。
「ま、よかったんじゃないの? 好みの子が入って」
 若菜は先に立ってずんずん歩いた。
「あ~あ、いっそ私も乗りかえるかな、類くんに」
「えっ」
「冗談」
 若菜はふりむいて笑顔をみせた。

 楓は授業がおわると即座に部室に向った。
 これまでは、いつだって、ひとりだった。でも。
 ゴゴゴゴゴ。
 引き戸をあけると、類がいた。
「先輩」
 ぱあっと類の顔が輝いた。
「類くん、はやいね」
 楓は定位置にバッグを置いた。
「せーんぱい。今日はどうします?」
 類は楓の心拍数上昇などおかまいなしに、背中にへばりつく。
「そ、そうだね……、じゃあ、写真の整理しようか」
 去年焼いた写真を引き出しに突っ込んだままだ。
 引っぱりだして、あたり一面にひろげる。
「うひょー、いっぱいありますね」
 類はがさがさと手当たり次第に写真をひっかきまわした。
「これ、全部、先輩が?」
「ん、まあね」
「へ~~~え」
 類はしばらく写真を眺めていたが、いきなりたずねた。
「ね、先輩の好きな写真家って誰っすか?」
「え?」
 類というのは、なぜ、こう、唐突なのか。
「あ、えっと、ロバート」
 言いかけて、楓は口ごもった。
「ロバート?」
「ロバート・キャパ、かな」
 類の顔に疑問符が浮かんだ。
「こういうの撮った人」
 楓はスマホで、倒れる兵士の画像をみせた。
「ああ、これ、見たことあります」
「有名だからね」
「けど、戦場とか、危なくないです?」
「いや、ぼくが行きたいとかじゃないんだよ。じゃなくて、記録写真として、すごいのがたくさんあるから」
 言えば言うほど、嘘っぽくなる。
 類は、しばらくすると、おもむろに一枚をとりあげた。
「せんぱい!」
「は、はいっ」
 楓の声は裏返った。
「これは、どうやるんです?」
 さしだされた写真は体育祭のときのものだ。
「走ってる人の後ろがさーーってなってるでしょう?」
「流し撮りっていうんだよ」
 リレーの走者が止まり、背景は流れている。
「こうやって」
 と、楓はカメラを構えた。
「人の動きにあわせてカメラを動かすんだ」
 さーーっと横に振ってみせる。
「うまくいくと、人が止まって、背景が流れたように映る」
「ほお~」
 類は目の玉をむき出しにして、立ち上がった。
「おれもやってみたいっす」
 即刻、いますぐ、なのだ。
「あ、うん」
 楓は急いで散らかした写真を集め、引き出しに放りこんだ。

 グラウンドに行けば、誰かが走っているはずだ。
 被写体はすぐに見つかった。
「じゃ、やってみるよ」
 楓は走者のひとりを狙って、すっとカメラを振ってみせた。
「ね?」
 カメラを類に渡す。
「はいっ」
 類はうなずき、楓をまねてカメラを構えた。
「ちょっと一緒にやってみようか」
 楓は類の横からカメラに手を伸ばした。
「いいかな?」
 手を添えようとすると、どうしても類の手に触れてしまう。
「あ、はいっ」
 こころなしか類の耳が赤くなった。
 類の手に楓の手が重なった。
「いくよ」
 せーの、で動かす。
「ね? こんな感じで」
 走者はぴたりと止まっていた。
「へえ~、すごいっすね~~、先輩って」
 大声で言われ、楓は逃げ出したくなる。
「いや、慣れなんだよ。ものすごい回数練習してるから」
「じゃあ、車も止まります?」
「うん。まあね」
「新幹線!」
「まあ、だいたいは」
「え? マジっすか」
 類が驚くのも無理はない。
 自分でも驚くのだから。
 ほんとに、どれだけ練習したんだろう。
 そんな時間があれば勉強しろと、親が知れば言うだろう。
「よしっ! おれも止めて見せます。人くらい」
 類は再びカメラを構えた。
 この手は当分、洗わずにおこう。
 楓は思った。

 あっという間に「写真部の類くん」は有名になった。
 部室には続々と入部希望の一年生が訪れた。
 全員、女子だ。
「先輩、おれが面接しますんで」
 入部届の束をべしべしと机に叩きつけて、類は言った。
「え? いや、そんなこと……。入りたい人は入ってくれていいよ」
 たとえ、全員、類が目的であったとしても。
「いい加減な奴はダメっす。写真への情熱がないと」
 類はぴしゃりと言いかえした。
「う、うん」
 類くんが、それを言う?
 もちろん全員入部した。
 古ぼけた部室は急ににぎやかになった。
 女子はいくつかの仲良しグループにわかれているらしい。
 それぞれで集まって座り、きゃあきゃあと盛り上がった。
 女の子のかたまりって、誰が誰だか、わからないなあ……。
 楓がぼんやりとながめていたときだった。
 ガゴゴゴゴ。盛大な音をたてて戸が開いた。
「うるせーぞ! おまえら」
 類だった。
「しゃべるんなら、帰れ!」
 言い放って、仁王立ちしている。
 しーーーん。
 一瞬で部室は静まり返った。
「撮影の準備するぞ」
 指示してから、付け加えた。
「先輩の邪魔はするなよ。先輩は、おれの先輩だからな」
 類は、にらみをきかせて強調した。
 女子はきょとんとしている。
 おれの先輩? 「おれの」?
 楓はひとりで赤くなった。
 類は気づく様子もなく、女子を引き連れて、校内撮影の旅に出ていった。
 けっこうな人数だ。
 うろついていれば目立つこと、このうえなかったが、類は平気らしい。
「どうも~~」
 軽く頭を下げ、どこの部にでもずかずかと入りこみ、バシャシャシャシャと連写の音をたてた。
 女子たちはみんな、自前のカメラを用意していた。立派な一眼レフだ。楓のより、よほど立派だ。
 腕章は、十分に在庫があった。華やかなりし頃の写真部がしのばれる。
 さぞかし迷惑だろうと思うのだが、不思議と苦情はなかった。
 むしろ、撮ってもらうとやる気が出る、調子が上がるといった、前向きな声の方が多かった。
 ま、そういう学校なんだよな、ここ。
 それに類くん、あの子はなんだか憎めないもんな~。
 部室で留守番しながら楓は思った。