「サクラ、チル」
向陽学園高校三年生、写真部部長の吉田楓は、校庭の桜をみあげ、つぶやいた。
前部長を見送ってから、一年と一か月、楓はひとりで写真部を守ってきた。
今年こそは、何としてでも、部員を獲得しなければ。
しかし。
入学式から一週間も経つというのに、写真部の部室を訪れる新入生は皆無だった。
今年も駄目? ダメなのか?
終わったな。
楓が卒業すれば、いよいよ休部の危機だ。
先輩、ごめんなさい。
楓は心の中で謝った。
歴代の先輩の中には、土門拳賞の受賞作家さえいるというのに。
輝かしい伝統を誇る写真部、ぼくが潰すんだな……。
楓はとぼとぼと校門へ向かった。
教室棟の昇降口から校門まで、すでに部活動勧誘の列ができている。
「ふう」
ため息をついて、楓は列に加わった。
声をだす気力もなく、写真部の看板を掲げたまま、通過する一年生を眺める。
こんなに大勢いるのに。
一クラス四十人、八クラスあるから三百二十人だ。
ひとりくらいは、「写真部にしてみようかな~、ラクそうだし」と考えてもよさそうなものなのに。
なぜ誰も来てくれないんだろう?
部室が校舎の端っこだから?
それとも、顧問の顔が怖いから?
「ふーちゃんっ!」
いきなり声をかけられて、楓はびくりと身体を震わせた。
「若菜ちゃん……」
弓道部主将、河本若菜(こうもと・わかな)、幼なじみの同級生だ。
袴姿が決まっている。
「どう、そっち?」
若菜がたずねる。
「ん~~」
楓は両腕でバツを作った。
「ファイト!」
若菜は拳を突きだすと、駆けていった。
サァーーっと風が起こる。
ファイトっていってもなぁ……。
自分も若菜ほどかっこよければ。楓は思った。
若菜は、明るく、優しく、面倒見がよい。成績だって優秀だ。
校内には非公認ファンクラブが存在するくらいの人気者だ。
そんな若菜が、地味な楓をかまってくれるのは、奇跡だ。
ご近所さんで、幼稚園からのつきあいでなければ、あり得ないことだろう。
のび太としずかちゃんって感じかな。
楓は自分の頼りなさを十分に自覚していた。
もっと言えば、この頼りなさを若菜が気に入ってくれていることも。
部紹介の日がやってきた。
体育館に集合した新入生に、各部の部長が活動内容を紹介し、勧誘する。
これがラストチャンスだぞ。がんばれ、楓!
楓は自分に気合を入れると、勧誘の言葉を繰り返し、脳内で再生した。
若菜を相手に何度もリハーサルした言葉だった。
「きみは、まだ、自分を知らない。写真でみつける、あたらしい自分」で締める。
絶対に響くはずだ。
若菜ちゃんだって、そう言ってくれた。
でも、この体育館のステージっていうのが、どうも、緊張するんだよね……。
順番が迫ってくる。
新入生で埋まったフロアを見ていると、心臓がバクバクと喉元にせりあがってきた。
まずい。緊張してきた。去年の部紹介は悲惨だったからな~。練習したのにセリフを忘れちゃって……。
「次は写真部の紹介です。部長、吉田楓さん」
アナウンスが入る。
「あ、はいっ!」
いきなり声が裏返った。
うわっ、やばっ。落ち着け、落ち着け。
自分に言い聞かせるが、膝がガクガクと震えた。
一歩、二歩。進みかけて、すぐに、楓はつまずいて、壇上に転がった。
マイクのコードを貼りつけてある養生テープに引っかかったらしい。
コード? いまどき? ワイヤレスじゃないの?
と、原因を確かめている場合ではなかった。
「あ……」
楓はメガネをなおし、立ち上がった。
そそくさと演壇に向うが、顔が真っ赤なのが自分でわかった。
「あの、えっと……」
言うべき言葉は、転んだ瞬間、吹き飛んでいた。
「え~~、写真部は、えっと、いまは、僕ひとりですけど、楽しい部活です。みなさん、ぜひ入ってください」
何を言ってるんだ、おれは~~っ!
結果は、昨年以上に悲惨だった。
剥げかけた緑の養生テープが、楓をあざ笑うように揺れた。
「もう、駄目だ……」
放課後になると、楓は部室にこもった。
写真部の部室は校内でもとりわけ奥まったところにある。
旧校舎の特別教室棟だった場所だが、現在では「長屋」と呼ばれていた。
木造の建物は、文化財級に古い。
室内は一年中薄暗く、木の床は傾き、すきま風がふきこんだ。
趣深い。ただそれだけだ。
いや、文句は言うまい。部室があるだけ、まだましなのだから。
しかし、静かだ。ここは。
緊張の反動か、疲れがどっと襲ってきた。
ねむ……。
「はっ」
気づくと目の前に紙切れがあった。
「よろしくです!
1―8 水無月 類」
ノートを破りとったような方眼紙に、それだけが書いてある。
「これは……」
入部希望? いや、まさか。
では、何?
妖精のしわざなのだろうか?
翌朝、楓はいつもの通り、若菜とともに登校した。
「ねえ、若菜ちゃん」
楓は呼びかけた。
「はい?」
若菜は足を止めずにこたえた。
「英語のワーク、どこまで進んだ?」
「え~~? さあ」
「第二課、終わった?」
「終わった」
「じゃあさ、答え、ある?」
「あるけど……?」
語尾が疑わし気に消えた。
「貸してくれない? ちょっとだけ。ね、お願い」
楓は手のひらを合わせて、若菜を拝んだ。
「え~~、そんなの」
「わかる。いけないってことは。でも、緊急事態なんだ。今日の授業で提出しなきゃ、まずいんだよ。ね」
「答えを写したって、できるようにはならないんだから」
「知ってる。よーーく、わかってる。僕だって自分でやるつもりだったんだ。でも、気づいたら寝ちゃってて。だからさあ……」
哀願しているときだった。
「おはようございます!」
背後から、挨拶とともに追い抜いていく男子がいた。
声も大きいが、身体も大きかった。
「お、おは、おは……」
楓がこたえる前に、広い背中は遠ざかっていく。
「――だれ?」
若菜がきいた。
「さ、さあ……。弓道部?」
「え~~、いないよ、あんな子」
若菜は首をかしげた。
楓にも覚えがなかった。
一瞬、見ただけだが、あの顔なら、一度会えば忘れない。
ファッション誌のモデルみたいだ。
見送る楓の顔を、若菜はじっとみつめた。
「――なに?」
「なんでもない」
若菜はそういうと、すたすたと自分の昇降口に向った。
「あ、若菜ちゃん、ワーク……」
楓は慌ててよびかけた。
「だ~~~めっ!」
若菜はあっかんべして笑った。
放課後、楓はまっすぐに部室に向った。
ここで課題などして時間をつぶし、若菜を待つのが習慣だ。
「やれやれ」
どっこいしょ、と定位置に腰かけたときだった。
「ちわっす!」
掛け声とともに、たてつけの悪い戸がごとんと動いた。
「ん~~~」
少しずつ拡がるすき間から、顔がのぞいた。
今朝のあいさつの主だった。
「一年八組、水無月類です。よろしくお願いします!」
きちっと九十度に腰が曲がった。
「こ、こちらこそ」
楓は急いで立ち上がった。
がったーーっん!
派手な音をたてて椅子が倒れた。
「あ……」
楓が動くより先に、類はさっと椅子をおこした。
「おれ、写真はじめてなんで、よろしくお願いします」
爽やかに笑った。
「あ、うん」
染まった頬を隠すように楓はうなずいた。
向陽学園高校三年生、写真部部長の吉田楓は、校庭の桜をみあげ、つぶやいた。
前部長を見送ってから、一年と一か月、楓はひとりで写真部を守ってきた。
今年こそは、何としてでも、部員を獲得しなければ。
しかし。
入学式から一週間も経つというのに、写真部の部室を訪れる新入生は皆無だった。
今年も駄目? ダメなのか?
終わったな。
楓が卒業すれば、いよいよ休部の危機だ。
先輩、ごめんなさい。
楓は心の中で謝った。
歴代の先輩の中には、土門拳賞の受賞作家さえいるというのに。
輝かしい伝統を誇る写真部、ぼくが潰すんだな……。
楓はとぼとぼと校門へ向かった。
教室棟の昇降口から校門まで、すでに部活動勧誘の列ができている。
「ふう」
ため息をついて、楓は列に加わった。
声をだす気力もなく、写真部の看板を掲げたまま、通過する一年生を眺める。
こんなに大勢いるのに。
一クラス四十人、八クラスあるから三百二十人だ。
ひとりくらいは、「写真部にしてみようかな~、ラクそうだし」と考えてもよさそうなものなのに。
なぜ誰も来てくれないんだろう?
部室が校舎の端っこだから?
それとも、顧問の顔が怖いから?
「ふーちゃんっ!」
いきなり声をかけられて、楓はびくりと身体を震わせた。
「若菜ちゃん……」
弓道部主将、河本若菜(こうもと・わかな)、幼なじみの同級生だ。
袴姿が決まっている。
「どう、そっち?」
若菜がたずねる。
「ん~~」
楓は両腕でバツを作った。
「ファイト!」
若菜は拳を突きだすと、駆けていった。
サァーーっと風が起こる。
ファイトっていってもなぁ……。
自分も若菜ほどかっこよければ。楓は思った。
若菜は、明るく、優しく、面倒見がよい。成績だって優秀だ。
校内には非公認ファンクラブが存在するくらいの人気者だ。
そんな若菜が、地味な楓をかまってくれるのは、奇跡だ。
ご近所さんで、幼稚園からのつきあいでなければ、あり得ないことだろう。
のび太としずかちゃんって感じかな。
楓は自分の頼りなさを十分に自覚していた。
もっと言えば、この頼りなさを若菜が気に入ってくれていることも。
部紹介の日がやってきた。
体育館に集合した新入生に、各部の部長が活動内容を紹介し、勧誘する。
これがラストチャンスだぞ。がんばれ、楓!
楓は自分に気合を入れると、勧誘の言葉を繰り返し、脳内で再生した。
若菜を相手に何度もリハーサルした言葉だった。
「きみは、まだ、自分を知らない。写真でみつける、あたらしい自分」で締める。
絶対に響くはずだ。
若菜ちゃんだって、そう言ってくれた。
でも、この体育館のステージっていうのが、どうも、緊張するんだよね……。
順番が迫ってくる。
新入生で埋まったフロアを見ていると、心臓がバクバクと喉元にせりあがってきた。
まずい。緊張してきた。去年の部紹介は悲惨だったからな~。練習したのにセリフを忘れちゃって……。
「次は写真部の紹介です。部長、吉田楓さん」
アナウンスが入る。
「あ、はいっ!」
いきなり声が裏返った。
うわっ、やばっ。落ち着け、落ち着け。
自分に言い聞かせるが、膝がガクガクと震えた。
一歩、二歩。進みかけて、すぐに、楓はつまずいて、壇上に転がった。
マイクのコードを貼りつけてある養生テープに引っかかったらしい。
コード? いまどき? ワイヤレスじゃないの?
と、原因を確かめている場合ではなかった。
「あ……」
楓はメガネをなおし、立ち上がった。
そそくさと演壇に向うが、顔が真っ赤なのが自分でわかった。
「あの、えっと……」
言うべき言葉は、転んだ瞬間、吹き飛んでいた。
「え~~、写真部は、えっと、いまは、僕ひとりですけど、楽しい部活です。みなさん、ぜひ入ってください」
何を言ってるんだ、おれは~~っ!
結果は、昨年以上に悲惨だった。
剥げかけた緑の養生テープが、楓をあざ笑うように揺れた。
「もう、駄目だ……」
放課後になると、楓は部室にこもった。
写真部の部室は校内でもとりわけ奥まったところにある。
旧校舎の特別教室棟だった場所だが、現在では「長屋」と呼ばれていた。
木造の建物は、文化財級に古い。
室内は一年中薄暗く、木の床は傾き、すきま風がふきこんだ。
趣深い。ただそれだけだ。
いや、文句は言うまい。部室があるだけ、まだましなのだから。
しかし、静かだ。ここは。
緊張の反動か、疲れがどっと襲ってきた。
ねむ……。
「はっ」
気づくと目の前に紙切れがあった。
「よろしくです!
1―8 水無月 類」
ノートを破りとったような方眼紙に、それだけが書いてある。
「これは……」
入部希望? いや、まさか。
では、何?
妖精のしわざなのだろうか?
翌朝、楓はいつもの通り、若菜とともに登校した。
「ねえ、若菜ちゃん」
楓は呼びかけた。
「はい?」
若菜は足を止めずにこたえた。
「英語のワーク、どこまで進んだ?」
「え~~? さあ」
「第二課、終わった?」
「終わった」
「じゃあさ、答え、ある?」
「あるけど……?」
語尾が疑わし気に消えた。
「貸してくれない? ちょっとだけ。ね、お願い」
楓は手のひらを合わせて、若菜を拝んだ。
「え~~、そんなの」
「わかる。いけないってことは。でも、緊急事態なんだ。今日の授業で提出しなきゃ、まずいんだよ。ね」
「答えを写したって、できるようにはならないんだから」
「知ってる。よーーく、わかってる。僕だって自分でやるつもりだったんだ。でも、気づいたら寝ちゃってて。だからさあ……」
哀願しているときだった。
「おはようございます!」
背後から、挨拶とともに追い抜いていく男子がいた。
声も大きいが、身体も大きかった。
「お、おは、おは……」
楓がこたえる前に、広い背中は遠ざかっていく。
「――だれ?」
若菜がきいた。
「さ、さあ……。弓道部?」
「え~~、いないよ、あんな子」
若菜は首をかしげた。
楓にも覚えがなかった。
一瞬、見ただけだが、あの顔なら、一度会えば忘れない。
ファッション誌のモデルみたいだ。
見送る楓の顔を、若菜はじっとみつめた。
「――なに?」
「なんでもない」
若菜はそういうと、すたすたと自分の昇降口に向った。
「あ、若菜ちゃん、ワーク……」
楓は慌ててよびかけた。
「だ~~~めっ!」
若菜はあっかんべして笑った。
放課後、楓はまっすぐに部室に向った。
ここで課題などして時間をつぶし、若菜を待つのが習慣だ。
「やれやれ」
どっこいしょ、と定位置に腰かけたときだった。
「ちわっす!」
掛け声とともに、たてつけの悪い戸がごとんと動いた。
「ん~~~」
少しずつ拡がるすき間から、顔がのぞいた。
今朝のあいさつの主だった。
「一年八組、水無月類です。よろしくお願いします!」
きちっと九十度に腰が曲がった。
「こ、こちらこそ」
楓は急いで立ち上がった。
がったーーっん!
派手な音をたてて椅子が倒れた。
「あ……」
楓が動くより先に、類はさっと椅子をおこした。
「おれ、写真はじめてなんで、よろしくお願いします」
爽やかに笑った。
「あ、うん」
染まった頬を隠すように楓はうなずいた。
