「あ、そうだ」
 僕がそう呟くと、2人が此方を向いた。
「つまみ兼ご飯兼〆でつみれ汁作ったんだけど、食べる?」
「食べます」
「食べたい。てかさ暁、日に日に料理の腕上がってない?」
「そうかな。つみれは買ってきたやつだよ、流石に」
「そこまで手作りだったら俺は暁にひれ伏さないといけなくなる」
 柿畑の独特なワードチョイスに、思わず笑ってしまう。
「先輩…あ、理央先輩。お皿これで良いですか」
 いつの間に移動したのか、夜猫が台所の食器棚から深めの陶器の器を取り出している。
「普通にお椀で良いんじゃない?」
「私もそう思ったんですが、昨日2人揃って食器洗うの忘れてたじゃないですか。どちらにせよ誰か1人はお椀足りなくなりますし、それなのに今から洗うのも面倒で」
 昨日の夜さっさと寝てしまって、今朝流しを見て「あ」と呟いたのを思い出した。
「そうだった。じゃ、それにしよう」
 そう言って立ち上がり、台所に向かう。それを柿畑はにこにこしながら眺めていた。はぁ、と満足気に溜息を吐いて、彼が笑う。
「落ち着くね、やっぱり。暁と鈴森ちゃんの掛け合いって」
「そうですか?」
 柿畑の方を振り向いた僕の横で、夜猫もそう言って彼の方を見た。
「うん。1週間前に振られて超傷心中だから、なんか楽しくなったの久々な気がする」
 え、と声を出したのは、僕だけではない。
「あの、ふわふわした感じの彼氏さん?」
「うん。うん? ふわふわしてるかな」
「私もなんかそういう印象ありました」
 一度だけ大学の構内で見かけたことがある、柿畑と一緒にいた彼の姿が、ぼんやりと頭の中に蘇る。でも彼の姿よりも、何だかいつもより優しく笑っていた柿畑の方が、印象に残っている。
 そこまで考えて、ふと気付いた。人の恋愛の話を聞いた経験が少ないから、どういう言葉を返したら良いのかが分からない。
「………それは……ご愁傷様?」
「すっごい溜めたね」
 柿畑が笑ったのを見て、少しだけ安心する。失敗しなかったらしい。と思った瞬間、夜猫にくんと袖を引っ張られた。
「先輩、ご愁傷様って固くないですか。お気の毒にぐらいにしておきましょうよ」
 お気の毒に、も割と固い表現だと思うんだけど。
 夜猫もどうやらこの手の話題は慣れていないらしく、静かにプチパニックを起こしているのが分かる。この場面が漫画になったら、きっと夜猫の目はパニックでぐるぐるになっているだろう。
「お二方、全部聞こえてるよ」
 僕らは揃ってびくっと肩を震わせた。
「あとさ、あんまり気を遣ってくれちゃうと悲しくなってくる」
「え、あ、ごめん」
「……あ、ごめんなさい」
 声を微妙に揃えて言った僕らを見て、柿畑がくすっと笑ったのが分かった。
「なんか、似てるね。2人って」
「そうですか?」
 夜猫が首を傾げる。柿畑はこくりと頷いた。
「ねぇ、それよりもさ。もうつみれ汁あったまってるんじゃないの?」
「あ、ヤバい忘れてた」
「忘れないでよ作った人」
 火を止めて、器にそれをよそって、夜猫と一緒に座卓に戻る。
「良い匂い」
 柿畑が安心したように笑ったのが見えた。
「じゃ、食べようか」
 僕の言葉に2人が頷いて、3人揃って手を合わせる。
「いただきます」

「そういえば、暁って恋人いるの?」
 食べ始めて間もなく、柿畑にそう問われた。聞き覚えがあるな、と思いながら、言葉を返す。
「この前夜猫にも訊かれたなそれ」
 つみれをそっと口に運ぶと、鰯の出汁と味噌の味がじんわりと沁みた。
「確かに訊きましたね」
 人参とつみれにふぅふぅと息を吹きかけながら、夜猫が口を挟んできた。
「へぇ。どうだった鈴森ちゃん?」
「理央先輩に訊いてくださいよ」
「どうなの暁?」
「切り替え早。いないよ」
「そうなんだ。願望はある人?」
「……ないかな。そういう感情を抱かないわけじゃない気がするけど、恋人になりたいとかはないかも」
「へぇ。鈴森ちゃんは? 恋人いるの?」
 にこにこしながらそう問うた柿畑に、夜猫はにこりともせずに言葉を返す。
「いませんよ。恋愛感情自体がぴんと来ない人間です」
「ふぅん、なぁんだ。どっちか1人でも恋人いたら妬んでやろうと思ったのに」
 ドラマでも聞いたことがないような台詞を呟く柿畑に、「酷いな」と呟いて笑った。構わず箸を口に運んだ彼の双眸がほっとしたように細まるのを見て、何だか嬉しくなる。
「そういえばコタロー先輩。今日のこれ、本当に私たちで良かったんですか? 先輩は理央先輩と違って人脈広いから、もっと適当に騒いでくれそうなご友人いそうですけど」
「待って、僕に思わぬ流れ弾が」
「うーん、なんかね」
 僕の言葉を無視して、柿畑が夜猫に言葉を返す。
「揶揄いも慰めもしない人って、2人以外思いつかなくて」
 箸を持ったまま夜猫と目を合わせて、首を傾げた。
 柿畑がふっと笑って、続ける。
「馬鹿騒ぎして欲しいわけでもすごい慮って欲しいわけでもないけど、何となく一緒にいて欲しい時ってあるじゃん?」
「うん」
「2人なら、美味しいご飯食べて、くだらない話して、騒ぐわけでもないけどなんか楽しめそうだなって思って」
「それは……嬉しいですけど」
 夜猫が少し戸惑ったように言う。それを見て、柿畑がまたにっこりと笑った。
「うん。だからね、俺が今日求めてたのは、まさにこんな空気。ありがとう鈴森ちゃん、暁も」
「僕は……何にも」
 改まってお礼を言われて、僕も戸惑ってしまう。そんな僕に、夜猫が深皿を傾けながら言った。
「先輩は料理してるじゃないですか」
「鈴森ちゃん、それすっごいブーメランなの自覚ある?」
「だし巻き卵は料理と呼べるほどのものでは」
「全国のだし巻き卵専門店に謝れ」
「え、そんなのあるんですか?」
「あるらしいよ。今度食べに行く?」
 僕の言葉に、珍しく夜猫がポカンとしている。『超インドアな先輩と?』という声が聞こえてきそうだ。
「理央先輩は超インドアだから、コタロー先輩と行きます」
「あのさ夜猫、僕は不要な外出をほとんどしないだけで、外に出られないわけじゃないんだけど」
 ははっと声を上げて、柿畑が笑った。
「良いね鈴森ちゃん、行こうよ」
「僕も食べたい」
 小さい子供みたいに大袈裟に拗ねて見せると、夜猫と柿畑が声を上げて笑った。
「はぁ、ありがとう。元気出た」
「そんなすぐに元気になる必要もないと思うけどね。のんびりいけば」
「わぁ暁優しい」
 柿畑が冗談半分といった口調でそう返してくる。「はいはい」と呟いてちょっと笑って、ゆっくりと手を合わせた。
「ごちそうさまでした」

「ありがとう、楽しかった」
 柿畑がそう言って立ち上がる。
「此方こそありがとう、僕らも楽しかった」
「また気が向いたら遊びに来てくださいね、遅刻はしないで欲しいですけど」
 夜猫がにこにこしながらそう言った。うわぁ鈴森ちゃんまだ根に持ってる、と言って、彼はちょっと困ったように、でもすごく楽しそうに笑った。
「気を付けて帰ってね」
 廊下を抜けて、玄関に立った柿畑にそう声をかける。くるりと振り返って、彼はまた笑った。もう、来た時みたいな不自然な明るさはそこには無かった。
「ありがとう。お邪魔しました」
「また来てくださいね」
 この数分で、夜猫のこんな台詞を3回は聞いた気がする。憎まれ口を叩いたり世話を焼いたり色々していた夜猫も、何だかんだ心の底から楽しんでいたようだ。
 何だかそれが妙に、嬉しかった。