コンコン、とドアを叩く。
 反応がない。
 コンコンコン。
「夜猫ー? ごはんだよ」
 コンコンコンコンコン。
 一向に動いてくる気配はない。でも、いくら同居人とは言え女子大生の部屋にずかずかと入っていくのは気が引ける。
 座卓の前に置いてあるテレビから、9時のニュースが聞こえてくる。僕はお腹が空いたよ。夜猫、起きようよ。
 はぁ、と息を吐いて、意を決してドアノブに手を掛ける。いつも結局はこうなるのだから、夜猫のあの遠慮のなさを少しは見習いたいものだ。時間が掛かって仕方ない。
「夜猫」
 ゔーんと唸り声が聞こえる。平日の僕も、大方こんな感じなんだろう。
「ごはんできたよ」
「………おはよう、ございます」
 やっと返事が返ってきて、彼女がむくりと起き上がる。目覚ましが鳴るとすぐに起きるのに、不思議なことに眠りが浅いわけではないらしく、何も予定がないような休日は間近で声を掛けるまで一向に起きない。僕は何があろうと8時には必ず目が覚めるけど、それより前に起きるのは本当に苦手だ。だからいつも、平日と休日で相手を起こす役が逆転する。
「今日のごはん何ですか?」
 すいません、寝坊しましたと言いながら夜猫が立ち上がったのを見届けて、「こっち来てからのお楽しみー」と冗談混じりに言いながら部屋を出る。お楽しみ、というほど大したものでもないけれど。

 5分後、身支度を済ませた夜猫がもそもそと座卓の前に座った。
「相変わらず身支度早いね」
「寝癖つかない髪質なので」
 羨ましすぎる(たち)をさらりと言ってのけるのに、嫌味ったらしくないのが不思議だ。
「羨ましいな。朝ごはん食べる?」
「食べます」
 即答する夜猫の声を聞きながら、台所に向かう。皿を両手に持って戻ってきた僕の手元を見て、夜猫の目がぱっと輝いた。
「あ、おにぎりだ。普段はお茶碗によそってるから新鮮ですね」
「確かにね。でも今日は誰かさんがなかなか起きてこなくてさ、手持ち無沙汰になっちゃったから」
「……ごめんなさい」
 しおしおと絵に描いたように小さくなる彼女に、思わず笑ってしまう。
「中身、何なんですか?」
 ころっと表情を元に戻して、夜猫が自分と僕の皿の上に其々(それぞれ)載った2つのおにぎりをしげしげと眺める。
「鮭と梅干し」
「……理央先輩、私が梅干し苦手なの知ってますよね」
 夜猫が真面目腐ってそう言うのを、僕は笑って受け流した。
「忘れてた。それに、前に買った梅干しが賞味期限近くなってたから」
 せっかくお互いの苦手なもの一覧を冷蔵庫に貼ってあるのに、と不平不満を垂れ流しながら、それでも夜猫がおにぎりに手を伸ばす。食べないという選択肢はないのが、いかにも彼女らしい。
「いただきます」
「どうぞ。いただきます」
 僕も自分の皿に載っているおにぎりを手に取って、口に運んだ。きゅっと身の縮むような酸っぱさは、渇いた身体を元気にしてくれる気がする。
「あ、鮭だ。美味しい」
 夜猫の声に顔を上げると、おにぎりを手に持ったままふわりと笑う彼女が見えた。この子が一番良い顔をするのは、ご飯を食べている時じゃなかろうか。
「海苔が巻いてあるおにぎり、久しぶりです」
「コンビニのとか大体巻いてあるじゃん。夜猫、コンビニおにぎり食べない人?」
 コンビニの棚を思い浮かべながら訊くと、夜猫は首を横に振った。
「いいえ。でも、一番安いから塩むすび1個で済ませる人です」
 もうひとつのおにぎりを手に取りながら、心配と呆れが混じった声で呟く。
「栄養不足で倒れても知らないよ」
 倒れませんよー、なんて全く信用ならないことを言いながらも、夜猫は既にひとつ目のおにぎりをぺろりと平らげていた。
「私は先輩と違って、セルフネグレクトするような心配はありませんよ」
「覚えがないことを言われても。あ、酸っぱ」
 僕の呟きに、夜猫が不思議そうに首を傾げる。
「え、先輩、梅干しのおにぎり幾つ作ったんですか?」
「ふたつ。夜猫、梅干し苦手だって言ってたからさ。優しい先輩が食べてあげてるんだよ」
「鮭と梅干しが入ってるって言ったじゃないですか」
「嘘はついてないでしょ」
 笑ってそう答えた僕を睨みながら、「不安になって損しました」と彼女が呟く。ごめんと言い終える前に、夜猫はふたつ目のおにぎりを口に運んでいた。
「うん、美味しい」
 さっきまでの不機嫌な表情が嘘のように、柔らかい笑顔を浮かべる。
「それは何より。……そういえば夜猫」
 彼女が顔を上げたのを横目で見ながら、僕は続けた。
「聞くの忘れてたけど、今日の予定は?」
「せっかくの休みですし、久しぶりに買い物にでも行こうかと。先輩も来ます?」
「ううん、僕はいいや。昼からバイトのシフト入ってるし。それまでは家にいるよ」
「……相変わらずインドアですね」
「あのさ、僕もずっとごろごろしてるわけじゃないからね。散歩行ったり買い出し行ったりちゃんと活動して」
「はいはい、分かってますって」
 僕の弁解を雑にあしらって、夜猫が空になった皿の前で手を合わせた。既に自分の皿を空にしていた僕も、彼女と一緒に手を合わせる。

「「ごちそうさまでした」」