(せき)国の華間(かかん)が好んで身にまとう赤系統の衣装。中でも旅用のそれは室内用よりも丈が短く、ふくらはぎの中ほどまでの長さしかない。そこから下は脚半(きゃはん)で覆う。靴は専用のものが用意されていたが、靴擦れが怖く、頼み込んで履き慣れたローファーのままにさせてもらった。

 そして額には、立羽(たては)に絶対外すなと念を押された変石(へんせき)という赤石のついたサークレット。これが真宵(まよい)の芳香を封じ、髪を赤く、肌を透けるように白く、目の色を赤茶に見せるらしい。つまりは、赤国の華間に擬態できるということだ。

 立羽の手によってすっかり身支度を整えられた真宵は、出発までの短い間、与えられた客室の窓から外を眺めていた。東の空から昇り始めた太陽が、第一禁門の向こうの市中を斜めに照らしている。

 朱塗りの軒が連なる町並み。浅い朝霧の中、あちらこちらの煙突からは白い煙が立ち上る。
 水汲みの娘が石畳を小走りに行く。

 まもなく真宵と似た旅装束を身につけた立羽がやってきて、「参りましょう」と言う。真宵は立羽について、紅葩宮(こうはきゅう)の内廊下を歩いた。

 立羽は嘘つきだ。赤女王のためなら迷いなく他者を騙す。それはわかっていたし、そのことに傷つき、深く憤っていたはずなのに……真宵は立羽のことを心から嫌うことができなかった。

 それにやはり、この珍妙な華界という世界において、元の世界に帰るために真宵が頼れる相手は立羽だけなのだ。
 (こと)に今は、言葉を発せられず文字を書けもしない真宵の意思を、読唇のできる立羽だけが、汲み取れる。



「華間様は、御年十四になられると成華とみなされます」
『人間でいう、成人みたいな?』
「そうです。ただし、ただ御年を重ねればよいというものではありません。成華とみなされるには蟲間(ちゅうかん)の存在が必要なのです」

 馬車に揺られて街道を行く。四人乗りの座席で、真宵の左隣には立羽、正面には網玲(もうれい)、斜め前には蜻迅衛(せいじんえ)が乗っていた。

 幼い網玲は揺れが心地よかったのか、馬車が動き出して一時間も経たないうちからうつらうつらし始めて、やがては蜻迅衛の膝に頭を乗せて眠ってしまった。
 普段は喧嘩ばかりしている網玲と蜻迅衛だが、こういうときは蜻迅衛が大人らしさを見せて網玲を受けとめてやるのだから感心する。
 だがそんな蜻迅衛も、気がつくと目を閉じて、何も喋らなくなっていた。

 だから真宵は唯一起きている立羽から、華界に生きる華間という存在について教わっていた。目下、気になるのは華間がなぜ白華山(はっかざん)で修行をしなければいけないのかということだ。
 それを尋ねてみたところ、成華うんぬんという話になった。

『じゃあ蟲間を持たない華間は成華として認められないの?』
「そうですね。そういった華間様にお目にかかることは、ほとんどありませんが」
『僕がそう?』
「……まあ」

 と、立羽は言いづらそうに頷き、鼓舞するような笑みをつくる。

「ですが、仕方のないことです。夜華君(やかぎみ)人界(じんかい)におられたのですから。蟲間は、今日からの修行の中で得ればよいのです。それに、蟲間を得て成華となれば、輪廻転生を他者に与える方法も、きっと思い出せましょう」
『上手くいくといいんだけど……』

 立羽が真宵に修行をさせたい理由はこれなのだ。何はともあれ、輪廻転生を与える力を真宵に思い出させたい。思い出させる、というのは『本当は知っているけれど忘れているだけだ』という立羽の言い分からくる言葉だが、要は立羽としては、真宵が赤女王に輪廻転生を与えられるようになれば、それでいいのだ。

 真宵としても、赤女王を輪廻転生させられたあかつきには、元気になった赤女王を通じて他の六国の王・女王から、真宵を七神のいる玄天(げんてん)へ送る推薦状を得られるかもしれない。今、病床に伏している赤女王にはとてもじゃないが他国との交渉を頼めそうにないため、ぜひとも生まれ変わってほしい。

 輪廻転生が赤女王の心底の願いではないことは、つい昨日、本人から聞いたばかりなのだけれど。

 しかし、立羽の慕い具合や実際に会った雰囲気からして、赤女王は悪い女王ではないと真宵は思っていた。ならば、彼女が生まれ変わりを果たすことで彼女の治世が続くことは、赤国にとっても良いことではないか。
 女王個人の意思がどうであれ、国の利益になるのなら、女王は輪廻転生すべきなのだ。

「夜華君、もうじき白華山の麓に着きます」

 真宵は窓外に目を遣った。見えるのはのどかな田園風景ばかりだったはずが、いつの間にか林間に入り、白い霧が立ち込め始めている。

 立羽は正面の席で眠る二人の使()蟲間の頬を叩いた。網玲は涎を拭いながら、蜻迅衛は目をこすりながら覚醒する。

 やがて馬車が止まると、立羽が一番に降りた。そして続く真宵の手を取って丁重に降ろす。
 周囲は白い霧で視界が悪かった。首を上向けると雲を突き抜けるようにそびえる白華山の頂が見えるのだが、途中のあたりは白くけぶって得体が知れない。

「これから三日をかけて、白華山の頂上を目指します」

 立羽は馬車から下ろした荷を背負いながら言う。網玲と蜻迅衛も、馬車から下ろしたものを立羽以上に次々と身体に括りつけていく。

「夜華君、あなた様にはこの三日の中で、蟲や蟲間と戦う(すべ)を身につけていただきます」
『戦うって……僕が?』
「そうです。あなた様が戦闘向きではないことは重々承知でおりますが、それにしても無防備が過ぎます。相手を倒せとまでは申しませんが、せめてご自身の身を守って逃げるくらいはおできになれないと……」

「立羽様ぁ、出発の準備ができましたっ」

 身体の大きさの三、四倍はある荷を身体中に巻きつけた網玲が嬉々として言う。その隣で同じように大量の荷を背負った蜻迅衛も頷く。

『あの、僕も何か持ちます』

 ひとりだけ手ぶらで決まりが悪く、真宵は両手を差し出した。すると間髪入れずに「それでは」と横から立羽が何かを差し出す。

『これは、剣?』
「そうですよ」

 手渡されたそれは見た目以上にずしりと重かった。赤布を巻いた柄、赤漆の鞘。(つば)には金柑(きんかん)ほどの大きさの赤玉が一粒。

 真宵は立羽の手を借りてその剣を背負った。

 そして一行は、立羽を先頭にしてその後ろに真宵、さらに後ろに網玲と蜻迅衛が続くかたちで山道を上り出す。

 真宵の体感で一時間ほど歩き続けたころ、前方が開けて平らな地に出た。最前を行く立羽が足を止める。進み具合としては、頂上を十合目とするならば、まだ一合目の半ばを過ぎた程度だ。

 ようやく休憩だろうかと真宵は期待したが、その期待はすぐに打ち砕かれた。立羽は真宵を振り向いて言う。

「まずは剣の扱いに慣れていただきます。さあ、背中の剣を下ろして、鞘から抜いてご覧なさい」

 真宵はまず、この剣を自分が使うのだということに驚いた。立羽に手渡されたのだから、てっきり立羽の武器だと思っていた。

「ぼんやりなさいますな、さあ」

 急かされて、真宵は慌てて背から剣を下ろし、右手で柄を掴んで引いてみる。けれども、ずいぶん重い。たちまち片手で支えきれなくなり、左手で持った鞘を放った。そうして両手で柄を握っても、火炎のような赤黒い刀身は鉛のような重さだった。

「さて夜華君。聞こえていらっしゃいますか、あの羽音が」

 真宵は耳を澄ます。確かに立羽の言うとおり、林の奥から蟲の羽音のようなものが近づいてくる。

「やはり変石をつけていても、白華山の蟲の嗅覚は誤魔化せないか」
『ねえ立羽っ、何が来るの!?』
「あなた様の芳香に惹かれた野生の蟲です。その剣で退治なさいませ」
『ええっ!?』

 前方の林間から、複数の何かが飛び出してくる。
 それはバスケットボール大の巨大な金蚉(かなぶん)だった。