夏休みはあっという間に過ぎ、文化祭の季節に突入した。
今日は朝から集まって、九時から始まる文化祭に向けて最終調整が行われている。
「間中チョー似合ってる! これで、うちのクラスの集客は問題ないな!」
「みんなで頑張ったからたくさん人が来るといいね」
「他校からも人が来るチャ~ンス!! 間中メイドで集客して、接客中に連絡先交換して……よし、これならいける」
チャイナ服姿でガッツポーズした右田くんは朝からメラメラと燃えていた。
俺たちの文化祭の出し物は女装カフェだ。
カフェと言っても、かわいらしいグラスに市販の飲み物を入れて接客するという簡易的なサービスで、本格的な飲食を行うわけじゃない。
他のクラスには飲食に挑戦しているところもあり、PTAや地元の産業の広告もかねて屋台を出していたり、今年の文化祭もそれなりに盛り上がりそうだ。
他には、お化け屋敷や舞台で劇をするところもある。漫才なんかもプログラムに書いてあった気がする。
男子校とはいえ人学年のクラス数は多く、出し物もそれなりにあるから楽しめる。学校全部が文化祭の会場と言っても過言ではない。
「右田燃えてんな」
「だね」
右田くんはスマホで自分の姿を確認しつつ、少し内股に不気味な笑みを浮かべて接客の練習をしているようだった。
ちなみに、この女装カフェをやろうと言い出したのも右田くんだった。右田くんはクラスでもお調子者の立ち位置だが、ノリのいいクラスメイトはそんな彼に賛同していた。また「間中がいるから集客が見込める」と思ったのは、右田くんだけではないようで、たくさんの人に来てもらって女子との接点を作るのが目的だったりもする。
ちゃんと接客は接客でやってほしいなと思いながら、俺は伊佐治くんと右田くんの奇行を見守っていた。
「右田もああいってたけど、まーちゃんすごく似合ってる」
「ありがとう。でも、恥かしいな」
伊佐治くんは足がゴツゴツの女性警察官の服を着ている。
俺は、少し丈の短いメイド服でフロンドヘアのウィッグを被っている。フリルが多くて、履き慣れないワンピースに足元がスース―する。
クラスでメイクがうまい子が、メイクを担当してくれたのだが、かなりの時間がかかってしまい、他の人は自力でメイクをすることになって顔が大変なことになっていた。
クラスでの出し物でみんな助走をするという同じ条件なのだが、やはり恥ずかしい気持ちはあった。
「てか、まーちゃん、西浦とどうなったの?」
「え? どうなったって?」
「ああ、いや。仲いいからてっきり、そうなのかと……てか、今日の文化祭も俺らのクラスにくんじゃねえの? まーちゃん呼んでない?」
伊佐治くんは気まずそうにそう言って顔をそむけた。
何故彼が気にしているのだろうか、と不思議に思ったが、俺はあの夏祭り以来とくに西浦くんと進展はなかった。
いつも通り美味しいものを食べに行ったり、遊んだり。夏休み終盤は机に積んでしまっていた課題に追われていてそれどころじゃなかった。そして、今日にいたると。
(仲が悪くなったわけじゃないけど、何も進んでない)
今の関係が心地よくも思い、勇気も出ず、ずっと停滞したままだ。
あっちが違う気持ちだったら、と考えてしまうとすぐにマイナスな思考へと落ちていく。結局は、それが怖くて勇気を振り絞れずにいた。
こんな女々しい自分は嫌だと思うのに、初めて人を好きになったから、どうすればいいかもわからなくて、勇気が出ないのも事実だったのだ。
「今日、外部から人いっぱいくるし、それこそ女子もいっぱい来ると思う。西浦モテるだろうな」
西浦ってかあの四人、と伊佐治くんは付け加えて俺のほうを見る。
「澪くんモテるもんね。うん、知ってる。すごく目立つし……けど、本人は嫌だって」
「あれ? まーちゃん、西浦のこと名前で呼んでたっけ?」
「あ……」
伊佐治くんに指摘され、咄嗟に口を塞ごうとしたが、その前にガラガラと教室の扉が開く音が聞こえた。
「おっは~でございます! 先輩方ー!!」
「おい、東田やめろ」
元気のいいチャラ男ボイスが教室に響き、準備にあたふたとしていたクラスメイトは一斉にその声の主を睨みつけた。
教室の扉を開けたのはあの東田くんで、その後ろには西浦くんの姿が見えた。
教室には大小さまざまな舌打ちが飛び交っているが、東田くんは特に気にしていないようだった。それから、彼は俺を見つけるとずかずかと教室に入ってくる。西浦くんは彼に腕を掴まれたまま引きずられるようにして教室へ入ってきた。
「まーなか先輩。お久しぶりです……って、ちょーかわいいですね! イかしてます!」
「あ、ありがとう。東田くん」
相変わらずのテンションでグッと親指を立てた東田くんに、苦笑いを返すことしかできなかった。
その後ろにいる西浦くんは、何故か石のように固まっており微動だにしない。半開きになった口は三角になっていてなんだかちょっとかわいかった。
「れ、西浦くん」
「……っ、先輩。夏休みぶりです」
「うん、夏休みぶり。西浦くんのクラスは文化祭の出し物何するの?」
「俺らは劇っすよ~」
質問に答えたのは東田くんで、彼は西浦くんの手を離してビシバシと彼の背中を叩いていた。西浦くんはそれはもう面倒くさそうな顔をして西浦くんを睨みつけた後、俺のほうに視線を向ける。
彼のじっと見つめる黒い目に、羞恥心がこみあげてきて爆発しそうになる。そこを何とか堪えて、へにゃっと笑えば、彼は弾かれたように表情を変えた。
「ま、真緒先輩。すげえ、かわいいです……」
「ほんと? ありがとう」
「……誰にも見せたくないくらい、独り占めしていたいって思うくらい、す……き、かわいいです」
消え入るようにそういった西浦くんは、自分より小さい東田くんの後ろに隠れようとして、彼に叩かれてしまっていた。それから、東田くんに背中を押され「西浦~写真撮ってやんよ」と前にグッと押し出される。
「はいはい、後輩たち。お前ら、ここ営業前なの。金払え」
「ちょっと、右田くん」
「後払いとかいけるんすか、先輩」
「いや、俺は別に撮ってもいいよ」
むしろ、西浦くんとツーショットとれるなら嬉しい。
右田くんはブーイングを飛ばしていたが、伊佐治くんに宥められ、俺たちはホワイトボードの端のほうへと移動した。
東田くんにあれこれとセッティングしてもらいながら、俺と西浦くんは肩を並べる。
東田くんは「ポーズ、ポーズ」と促している。俺は西浦くんのほうを見た。
「ハ、ハートとか……どうですか」
「いいよ」
西浦くんの指定したポーズはハートだった。
しかし、スマホを構えた東田くんが「間中先輩、そこで親指ぐっと立てて」と言ったので、反射的にグッと親指を立ててしまった。その瞬間パシャリとシャッター音が響く。西浦くんの手はハートの半分の形をしており、俺がもう片方をつくらなかったことで不完全なハートが出来上がってしまった。
「おい、東田」
「ぶはっ~西浦、お前フラれてやんの」
「撮り直せ」
「それ、先輩に言えば?」
西浦くんは、東田くんにつかみかかる勢いで迫ったが、伊佐治くんが「はいはい、そういうのはちゃんと開店してからお願いしまーす」と後輩二人に注意していた。
なんだか申し訳ないことをしてしまったな、と思ったが、彼とのツーショットは欲しくて、ポケットからスマホを取り出して東田くんのほうを見る。
「東田くん、さっきの写真送ってくれる?」
「おっ、いいっすよ。先輩。いやあ、うまく撮れたんでホーム画面とかにしません?」
東田くんはそんな冗談を言いながら、シュッシュッと慣れた手つきで写真を送信する。
それを見ていた西浦くんは、何やら妙な目つきで俺と東田くんを見ていた。
「先輩、東田の連絡先持ってるんですか?」
いきなり飛んできた鋭い視線と、低い声に身体がビクッと反応する。見上げれば、西浦くんが不機嫌な表情を向けていた。
しかし、東田くんはそんな西浦くんを気にすることなく、俺に先ほどの写真を送信する。ポコンと、スマホに写真が送られてくる。
「うん。東田くんと連絡先交換したんだよ。でも、結構前だよ? 夏休み前とか」
「……俺以外の連絡先」
「西浦くん?」
彼はぼそりと何かを呟いたようだったが、その後何事もなかったかのように「東田、俺にも送れ」と強い口調で命令する。東田くんは肩をすくめ「五百円な」と割に合わない金額を提示していた。
そしてまたポコンと東田くんからメッセージが送られてくる。
【間中先輩、こいつ嫉妬】
(嫉妬……)
西浦くんの眼は終始怖くて、東田くんを睨みつけたままだった。それからしばらく、後輩二人の押し問答は続いていたが、さすがにこのまま居座られると準備ができないということになり帰ってもらうことになった。
そんな去り際、西浦くんが思い出したように俺のほうを振り返る。その表情は、先ほどの不機嫌そうな顔とは違いいつも通りの彼に戻っていた。
「真緒先輩、俺たちの劇、よければ見に来てください。明日、午後からです」
「わ、分かった」
それだけ言って西浦くんと東田くんは教室を出ていった。
俺たちの教室には再び、騒がしさが戻ってき準備が再開される。
「なあなあ、間中。あいつ、間中のこと真緒って名前で呼んでたくね?」
「右田、そういうのは突っ込まないっていうのが空気読める男だぞ」
マジ? と、右田くんは言いながら俺のほうを見る。
俺は、先ほど撮ってもらった写真を眺め、グッとスマホを握る手に力を込めた。
「まーちゃん、シフト確認する?」
「うん、ありがとう。伊佐治くん」
「……ま、俺はまーちゃんの味方だからな」
シフト表を持ってきてくれた伊佐治くんは、明日の午後のプログラムと照らし合わせ「ここ、まーちゃん俺と変わろ」と指さしてくれた。
◇◇◇
文化祭一日目は大いに盛り上がった。
俺たちのクラスは、男子校で女装カフェというのがウケたのか、かなりの人が訪れ、整理券を発行しまくる羽目になった。待ち列も多く、次から次へとやってくる人を裁くのは至難の業で、最初のほうは指名制だったがそれもできなくなり、とにかく回転率を上げることに必死になった。
途中でストッキングが破れたり、接客中にウィッグが外れたりと多々問題が発生したが、一日目はなんとか乗り切った。
「ふふっ」
「間中何笑ってんの?」
「わっ、びっくりした。右田くん人の後ろに勝手に立たないで」
「わ、わるぃ」
休憩中にスマホを見ていると、後ろから右田くんに話しかけられてしまった。俺はサッとスマホを切ったが「西浦?」と言われたため「それ以上言ったら口きかないよ」と一言ぴしゃりという。右田くんはその言葉に撃沈したらしく、床に突っ伏していた。
「あ、ごめん」
「いや今のは右田が悪いし。まーちゃん、時間大丈夫そう?」
「ギリギリまで接客しなきゃ。俺も、このクラスの一員だし」
「まーちゃんのそういうところ好きだわ」
伊佐治くんにありがとう、と言って休憩所から教室に戻ろうと外を見る。俺たちの教室には長い列ができており、店員である俺たちも入り込む隙間もない。
文化祭二日目も、クラスは大繁盛だ。
昨日西浦くんは二回も来てくれた。一回目はいつもの四人で、二回目は西浦くん一人で来てくれた。もちろん、俺を指名してくれて、西浦くんとのツーショットでフォルダーが埋まっていく。
それを眺めていたところを見られてしまい、ポッポッと顔が熱くなる。自分がどれほど西浦くんのことが好きなのか、日に日に彼への好きが加速していっている気もして心臓に悪い。
(でも、言えないまま)
今日こそは、といつも起きて鏡の前で告白の練習をするのに、彼を目の前にすると途端に喉の奥が締まって声が出なくなる。そして、家に帰って一人反省会をする日々。
「けど、いってあげなよ。西浦のやつ、舞台上からまーちゃんのこと探すだろうし。いなかったら、ちょっとかわいそうってか、そこは同情する」
「伊佐治くん?」
「まーとにかく、まーちゃん行ってきなよ。ここは俺らに任せて」
伊佐治くんはそう言って右田くんの首根っこを掴んでいった。右田くんは何が何だかといった感じだったが、伊佐治くんのご厚意に甘えさせてもらい休憩所を抜け出した。
廊下も人でごった返しており、いろんなクラスの人が看板を掲げて「うちのクラスの出し物は~」と集客をしている。一応、廊下で俺のクラスの女装男子にもすれ違った。
そうして、体育館につながる渡り廊下に出たとき、仮装をした集団とばったり出くわした。
「西浦くん?」
「真緒先輩……」
その仮装の集団は西浦くんたちのクラスだった。西浦くんは王子さまと思しき服を着ている。
そんな西浦くんの腕に白雪姫のドレスを着た小さな男の子がギュッと引っ付いているのが目に飛び込んでくる。腕を組んで身体も寄せて、まるでカップルのようにも見えるその姿にツキンと胸が痛む。
「ごめん、今移動中だった?」
「え、ああ、まあ。次が俺たちの番なので」
西浦くんは歯切れ悪くそういって、腕に引っ付いている男子に「離れろよ」という。しかし、その男子はぶんぶんと首を横に振ったあと、俺のほうを見た。
くりくりと大きな目に小さな唇。彼もメイクをしているのか一見女子にしか思えなかった。
「澪、これは集客のためのプロポーションだって」
「だからって、さっきから歩きにくいんだよ。中野」
その男子生徒は声も高くて、西浦くんの腕に抱き着いているさまは俺でもちょっと愛らしく見えた。小動物男子のよう、と言ってしまったらその子――中野くん? は気を悪くしてしまうけど。
(俺も、かわいいって言われるのあまり好きじゃないのに)
西浦くんは特別だけど、他のみんなにお姫様扱いされるのは嫌だった。でも、西浦くんと腕を組んで、大きな男子に周りを囲われている様子はすごく絵になって微笑ましく思ってしまった。
「じゃあ、邪魔しちゃ悪いよね。劇、楽しみにしてる!」
「真緒先輩っ」
その場から逃げるように立ち去った。
集客のためにその姿で校内を練り歩いていたのだろう。俺たちも一緒だ。
(なのにどうして……)
胸が痛い。逃げてしまった。
自分の臆病さ加減を殴りたくなる。俺は、西浦くんに背を向け、すでに真っ暗な体育館に駆け込んだ。
◇◇◇
(はあ……)
西浦くんのことを避けてしまった。俺が悪いんだけど、と憂鬱な気持ちが胸の中に広がっていく。
男気のあるかっこいい人間になりたかった。でも、俺は好きな人に対してうじうじしてばかりだ。
真っ暗な体育館にアナウンスが流れる、次のクラス――西浦くんたちのクラスの準備ができたようだった。
着替えることもなく走ってきてしまったため、一般客用の席に座ることもできず、邪魔にならないように体育館の出入り口にそっと身をひそめる。
舞台の幕が上がり、彼らが脚色した『白雪姫』が始まる。もちろん、男子校なので演者は男子ばかり。白雪姫は先ほどのかわいい男子・中野くんで、魔女役の子はゴリゴリのオネエを演じている。ところどころ笑いもあり、会場がワッとなる
(歌もあるんだ)
原作リスペクトなのか、中野くんが天使のボイスで白雪姫が井戸で歌っているときの歌を歌う。そこに、西浦くんが登場して会場に黄色い歓声が沸いた。
相変わらず西浦くんの表情は無表情。むしろ眉間にしわが寄っているが、それでもそのクールさがいいのか、口数が少ないが王子としての完成度はとても高かった。
そして、劇は進んでいきクライマックスのシーン。
白雪姫が毒リンゴで倒れ、棺の中で眠っているところを王子さまが起こすシーンへと突入する。
俺は胸元のエプロンをギュッと握り、目を見開いてそのシーンを見ていた。目を離したいのに、西浦くんの洗礼された動きに見入ってしまった。棺の中は会場の人からは見えないような仕組みになっている。
棺の縁に手をかけ、王子さま役の西浦くんが棺の中へと顔を近づける。
(ダメ――ッ!!)
そこで見ていられなくなりきゅっと目を閉じてしまった。演技だと分かっていても、受け入れられなかったのだ。
手も足も震え、先ほどのかわいい中野くんとお似合いだった西浦くんの姿が脳裏に浮かぶ。
(違う、澪くんの隣は……澪くんの隣は俺だから――!!)
必死に、脳内で西浦くんと腕を組む俺を妄想する。虚しさで気がおかしくなりそうだったが、それを妄想にとどめておいてもいいのか、と自問自答した。
怖いなら行動して、その妄想を本当にすればいい。
胸に生まれた独占欲。西浦くんが誰かを好きになることも、キスすることも、俺以外見ることも嫌だ。
(俺は、澪くんが好きだから)
しばらくして、黄色い歓声とともに拍手が巻き起こり、いつの間にか劇は終わってしまったようだ。
次に目を開けたころにはカーテンが閉まるところだった。西浦くんはまた無表情で手を振っていた。だが、どうやら誰かを探しているようで舞台上からきょろきょろと会場を見渡している。
俺は、そんな西浦くんに見つけてもらいたくて胸の前で手を振る。けど、これじゃダメだと柄にもなく両手を大きく振ってみせた。
すると、舞台の上にいた西浦くんはぴたりと身体を止め、ホッとしたような柔らかい表情になる。俺たちは端から端という遠い距離にいる。でも、確かに俺は西浦くんと目が合った。
(澪くん、俺、決めたよ。ちゃんと君に伝える)
怖いけど、怖くない。
俺が全力でぶつかっても、西浦くんはちゃんと受け止めてくれる。そうじゃなかったとしても、この思いを伝えずに今日を終えることは嫌だと片手を振りながら、もう片方の手をぎゅっと胸の前で握り込んだのだった。
今日は朝から集まって、九時から始まる文化祭に向けて最終調整が行われている。
「間中チョー似合ってる! これで、うちのクラスの集客は問題ないな!」
「みんなで頑張ったからたくさん人が来るといいね」
「他校からも人が来るチャ~ンス!! 間中メイドで集客して、接客中に連絡先交換して……よし、これならいける」
チャイナ服姿でガッツポーズした右田くんは朝からメラメラと燃えていた。
俺たちの文化祭の出し物は女装カフェだ。
カフェと言っても、かわいらしいグラスに市販の飲み物を入れて接客するという簡易的なサービスで、本格的な飲食を行うわけじゃない。
他のクラスには飲食に挑戦しているところもあり、PTAや地元の産業の広告もかねて屋台を出していたり、今年の文化祭もそれなりに盛り上がりそうだ。
他には、お化け屋敷や舞台で劇をするところもある。漫才なんかもプログラムに書いてあった気がする。
男子校とはいえ人学年のクラス数は多く、出し物もそれなりにあるから楽しめる。学校全部が文化祭の会場と言っても過言ではない。
「右田燃えてんな」
「だね」
右田くんはスマホで自分の姿を確認しつつ、少し内股に不気味な笑みを浮かべて接客の練習をしているようだった。
ちなみに、この女装カフェをやろうと言い出したのも右田くんだった。右田くんはクラスでもお調子者の立ち位置だが、ノリのいいクラスメイトはそんな彼に賛同していた。また「間中がいるから集客が見込める」と思ったのは、右田くんだけではないようで、たくさんの人に来てもらって女子との接点を作るのが目的だったりもする。
ちゃんと接客は接客でやってほしいなと思いながら、俺は伊佐治くんと右田くんの奇行を見守っていた。
「右田もああいってたけど、まーちゃんすごく似合ってる」
「ありがとう。でも、恥かしいな」
伊佐治くんは足がゴツゴツの女性警察官の服を着ている。
俺は、少し丈の短いメイド服でフロンドヘアのウィッグを被っている。フリルが多くて、履き慣れないワンピースに足元がスース―する。
クラスでメイクがうまい子が、メイクを担当してくれたのだが、かなりの時間がかかってしまい、他の人は自力でメイクをすることになって顔が大変なことになっていた。
クラスでの出し物でみんな助走をするという同じ条件なのだが、やはり恥ずかしい気持ちはあった。
「てか、まーちゃん、西浦とどうなったの?」
「え? どうなったって?」
「ああ、いや。仲いいからてっきり、そうなのかと……てか、今日の文化祭も俺らのクラスにくんじゃねえの? まーちゃん呼んでない?」
伊佐治くんは気まずそうにそう言って顔をそむけた。
何故彼が気にしているのだろうか、と不思議に思ったが、俺はあの夏祭り以来とくに西浦くんと進展はなかった。
いつも通り美味しいものを食べに行ったり、遊んだり。夏休み終盤は机に積んでしまっていた課題に追われていてそれどころじゃなかった。そして、今日にいたると。
(仲が悪くなったわけじゃないけど、何も進んでない)
今の関係が心地よくも思い、勇気も出ず、ずっと停滞したままだ。
あっちが違う気持ちだったら、と考えてしまうとすぐにマイナスな思考へと落ちていく。結局は、それが怖くて勇気を振り絞れずにいた。
こんな女々しい自分は嫌だと思うのに、初めて人を好きになったから、どうすればいいかもわからなくて、勇気が出ないのも事実だったのだ。
「今日、外部から人いっぱいくるし、それこそ女子もいっぱい来ると思う。西浦モテるだろうな」
西浦ってかあの四人、と伊佐治くんは付け加えて俺のほうを見る。
「澪くんモテるもんね。うん、知ってる。すごく目立つし……けど、本人は嫌だって」
「あれ? まーちゃん、西浦のこと名前で呼んでたっけ?」
「あ……」
伊佐治くんに指摘され、咄嗟に口を塞ごうとしたが、その前にガラガラと教室の扉が開く音が聞こえた。
「おっは~でございます! 先輩方ー!!」
「おい、東田やめろ」
元気のいいチャラ男ボイスが教室に響き、準備にあたふたとしていたクラスメイトは一斉にその声の主を睨みつけた。
教室の扉を開けたのはあの東田くんで、その後ろには西浦くんの姿が見えた。
教室には大小さまざまな舌打ちが飛び交っているが、東田くんは特に気にしていないようだった。それから、彼は俺を見つけるとずかずかと教室に入ってくる。西浦くんは彼に腕を掴まれたまま引きずられるようにして教室へ入ってきた。
「まーなか先輩。お久しぶりです……って、ちょーかわいいですね! イかしてます!」
「あ、ありがとう。東田くん」
相変わらずのテンションでグッと親指を立てた東田くんに、苦笑いを返すことしかできなかった。
その後ろにいる西浦くんは、何故か石のように固まっており微動だにしない。半開きになった口は三角になっていてなんだかちょっとかわいかった。
「れ、西浦くん」
「……っ、先輩。夏休みぶりです」
「うん、夏休みぶり。西浦くんのクラスは文化祭の出し物何するの?」
「俺らは劇っすよ~」
質問に答えたのは東田くんで、彼は西浦くんの手を離してビシバシと彼の背中を叩いていた。西浦くんはそれはもう面倒くさそうな顔をして西浦くんを睨みつけた後、俺のほうに視線を向ける。
彼のじっと見つめる黒い目に、羞恥心がこみあげてきて爆発しそうになる。そこを何とか堪えて、へにゃっと笑えば、彼は弾かれたように表情を変えた。
「ま、真緒先輩。すげえ、かわいいです……」
「ほんと? ありがとう」
「……誰にも見せたくないくらい、独り占めしていたいって思うくらい、す……き、かわいいです」
消え入るようにそういった西浦くんは、自分より小さい東田くんの後ろに隠れようとして、彼に叩かれてしまっていた。それから、東田くんに背中を押され「西浦~写真撮ってやんよ」と前にグッと押し出される。
「はいはい、後輩たち。お前ら、ここ営業前なの。金払え」
「ちょっと、右田くん」
「後払いとかいけるんすか、先輩」
「いや、俺は別に撮ってもいいよ」
むしろ、西浦くんとツーショットとれるなら嬉しい。
右田くんはブーイングを飛ばしていたが、伊佐治くんに宥められ、俺たちはホワイトボードの端のほうへと移動した。
東田くんにあれこれとセッティングしてもらいながら、俺と西浦くんは肩を並べる。
東田くんは「ポーズ、ポーズ」と促している。俺は西浦くんのほうを見た。
「ハ、ハートとか……どうですか」
「いいよ」
西浦くんの指定したポーズはハートだった。
しかし、スマホを構えた東田くんが「間中先輩、そこで親指ぐっと立てて」と言ったので、反射的にグッと親指を立ててしまった。その瞬間パシャリとシャッター音が響く。西浦くんの手はハートの半分の形をしており、俺がもう片方をつくらなかったことで不完全なハートが出来上がってしまった。
「おい、東田」
「ぶはっ~西浦、お前フラれてやんの」
「撮り直せ」
「それ、先輩に言えば?」
西浦くんは、東田くんにつかみかかる勢いで迫ったが、伊佐治くんが「はいはい、そういうのはちゃんと開店してからお願いしまーす」と後輩二人に注意していた。
なんだか申し訳ないことをしてしまったな、と思ったが、彼とのツーショットは欲しくて、ポケットからスマホを取り出して東田くんのほうを見る。
「東田くん、さっきの写真送ってくれる?」
「おっ、いいっすよ。先輩。いやあ、うまく撮れたんでホーム画面とかにしません?」
東田くんはそんな冗談を言いながら、シュッシュッと慣れた手つきで写真を送信する。
それを見ていた西浦くんは、何やら妙な目つきで俺と東田くんを見ていた。
「先輩、東田の連絡先持ってるんですか?」
いきなり飛んできた鋭い視線と、低い声に身体がビクッと反応する。見上げれば、西浦くんが不機嫌な表情を向けていた。
しかし、東田くんはそんな西浦くんを気にすることなく、俺に先ほどの写真を送信する。ポコンと、スマホに写真が送られてくる。
「うん。東田くんと連絡先交換したんだよ。でも、結構前だよ? 夏休み前とか」
「……俺以外の連絡先」
「西浦くん?」
彼はぼそりと何かを呟いたようだったが、その後何事もなかったかのように「東田、俺にも送れ」と強い口調で命令する。東田くんは肩をすくめ「五百円な」と割に合わない金額を提示していた。
そしてまたポコンと東田くんからメッセージが送られてくる。
【間中先輩、こいつ嫉妬】
(嫉妬……)
西浦くんの眼は終始怖くて、東田くんを睨みつけたままだった。それからしばらく、後輩二人の押し問答は続いていたが、さすがにこのまま居座られると準備ができないということになり帰ってもらうことになった。
そんな去り際、西浦くんが思い出したように俺のほうを振り返る。その表情は、先ほどの不機嫌そうな顔とは違いいつも通りの彼に戻っていた。
「真緒先輩、俺たちの劇、よければ見に来てください。明日、午後からです」
「わ、分かった」
それだけ言って西浦くんと東田くんは教室を出ていった。
俺たちの教室には再び、騒がしさが戻ってき準備が再開される。
「なあなあ、間中。あいつ、間中のこと真緒って名前で呼んでたくね?」
「右田、そういうのは突っ込まないっていうのが空気読める男だぞ」
マジ? と、右田くんは言いながら俺のほうを見る。
俺は、先ほど撮ってもらった写真を眺め、グッとスマホを握る手に力を込めた。
「まーちゃん、シフト確認する?」
「うん、ありがとう。伊佐治くん」
「……ま、俺はまーちゃんの味方だからな」
シフト表を持ってきてくれた伊佐治くんは、明日の午後のプログラムと照らし合わせ「ここ、まーちゃん俺と変わろ」と指さしてくれた。
◇◇◇
文化祭一日目は大いに盛り上がった。
俺たちのクラスは、男子校で女装カフェというのがウケたのか、かなりの人が訪れ、整理券を発行しまくる羽目になった。待ち列も多く、次から次へとやってくる人を裁くのは至難の業で、最初のほうは指名制だったがそれもできなくなり、とにかく回転率を上げることに必死になった。
途中でストッキングが破れたり、接客中にウィッグが外れたりと多々問題が発生したが、一日目はなんとか乗り切った。
「ふふっ」
「間中何笑ってんの?」
「わっ、びっくりした。右田くん人の後ろに勝手に立たないで」
「わ、わるぃ」
休憩中にスマホを見ていると、後ろから右田くんに話しかけられてしまった。俺はサッとスマホを切ったが「西浦?」と言われたため「それ以上言ったら口きかないよ」と一言ぴしゃりという。右田くんはその言葉に撃沈したらしく、床に突っ伏していた。
「あ、ごめん」
「いや今のは右田が悪いし。まーちゃん、時間大丈夫そう?」
「ギリギリまで接客しなきゃ。俺も、このクラスの一員だし」
「まーちゃんのそういうところ好きだわ」
伊佐治くんにありがとう、と言って休憩所から教室に戻ろうと外を見る。俺たちの教室には長い列ができており、店員である俺たちも入り込む隙間もない。
文化祭二日目も、クラスは大繁盛だ。
昨日西浦くんは二回も来てくれた。一回目はいつもの四人で、二回目は西浦くん一人で来てくれた。もちろん、俺を指名してくれて、西浦くんとのツーショットでフォルダーが埋まっていく。
それを眺めていたところを見られてしまい、ポッポッと顔が熱くなる。自分がどれほど西浦くんのことが好きなのか、日に日に彼への好きが加速していっている気もして心臓に悪い。
(でも、言えないまま)
今日こそは、といつも起きて鏡の前で告白の練習をするのに、彼を目の前にすると途端に喉の奥が締まって声が出なくなる。そして、家に帰って一人反省会をする日々。
「けど、いってあげなよ。西浦のやつ、舞台上からまーちゃんのこと探すだろうし。いなかったら、ちょっとかわいそうってか、そこは同情する」
「伊佐治くん?」
「まーとにかく、まーちゃん行ってきなよ。ここは俺らに任せて」
伊佐治くんはそう言って右田くんの首根っこを掴んでいった。右田くんは何が何だかといった感じだったが、伊佐治くんのご厚意に甘えさせてもらい休憩所を抜け出した。
廊下も人でごった返しており、いろんなクラスの人が看板を掲げて「うちのクラスの出し物は~」と集客をしている。一応、廊下で俺のクラスの女装男子にもすれ違った。
そうして、体育館につながる渡り廊下に出たとき、仮装をした集団とばったり出くわした。
「西浦くん?」
「真緒先輩……」
その仮装の集団は西浦くんたちのクラスだった。西浦くんは王子さまと思しき服を着ている。
そんな西浦くんの腕に白雪姫のドレスを着た小さな男の子がギュッと引っ付いているのが目に飛び込んでくる。腕を組んで身体も寄せて、まるでカップルのようにも見えるその姿にツキンと胸が痛む。
「ごめん、今移動中だった?」
「え、ああ、まあ。次が俺たちの番なので」
西浦くんは歯切れ悪くそういって、腕に引っ付いている男子に「離れろよ」という。しかし、その男子はぶんぶんと首を横に振ったあと、俺のほうを見た。
くりくりと大きな目に小さな唇。彼もメイクをしているのか一見女子にしか思えなかった。
「澪、これは集客のためのプロポーションだって」
「だからって、さっきから歩きにくいんだよ。中野」
その男子生徒は声も高くて、西浦くんの腕に抱き着いているさまは俺でもちょっと愛らしく見えた。小動物男子のよう、と言ってしまったらその子――中野くん? は気を悪くしてしまうけど。
(俺も、かわいいって言われるのあまり好きじゃないのに)
西浦くんは特別だけど、他のみんなにお姫様扱いされるのは嫌だった。でも、西浦くんと腕を組んで、大きな男子に周りを囲われている様子はすごく絵になって微笑ましく思ってしまった。
「じゃあ、邪魔しちゃ悪いよね。劇、楽しみにしてる!」
「真緒先輩っ」
その場から逃げるように立ち去った。
集客のためにその姿で校内を練り歩いていたのだろう。俺たちも一緒だ。
(なのにどうして……)
胸が痛い。逃げてしまった。
自分の臆病さ加減を殴りたくなる。俺は、西浦くんに背を向け、すでに真っ暗な体育館に駆け込んだ。
◇◇◇
(はあ……)
西浦くんのことを避けてしまった。俺が悪いんだけど、と憂鬱な気持ちが胸の中に広がっていく。
男気のあるかっこいい人間になりたかった。でも、俺は好きな人に対してうじうじしてばかりだ。
真っ暗な体育館にアナウンスが流れる、次のクラス――西浦くんたちのクラスの準備ができたようだった。
着替えることもなく走ってきてしまったため、一般客用の席に座ることもできず、邪魔にならないように体育館の出入り口にそっと身をひそめる。
舞台の幕が上がり、彼らが脚色した『白雪姫』が始まる。もちろん、男子校なので演者は男子ばかり。白雪姫は先ほどのかわいい男子・中野くんで、魔女役の子はゴリゴリのオネエを演じている。ところどころ笑いもあり、会場がワッとなる
(歌もあるんだ)
原作リスペクトなのか、中野くんが天使のボイスで白雪姫が井戸で歌っているときの歌を歌う。そこに、西浦くんが登場して会場に黄色い歓声が沸いた。
相変わらず西浦くんの表情は無表情。むしろ眉間にしわが寄っているが、それでもそのクールさがいいのか、口数が少ないが王子としての完成度はとても高かった。
そして、劇は進んでいきクライマックスのシーン。
白雪姫が毒リンゴで倒れ、棺の中で眠っているところを王子さまが起こすシーンへと突入する。
俺は胸元のエプロンをギュッと握り、目を見開いてそのシーンを見ていた。目を離したいのに、西浦くんの洗礼された動きに見入ってしまった。棺の中は会場の人からは見えないような仕組みになっている。
棺の縁に手をかけ、王子さま役の西浦くんが棺の中へと顔を近づける。
(ダメ――ッ!!)
そこで見ていられなくなりきゅっと目を閉じてしまった。演技だと分かっていても、受け入れられなかったのだ。
手も足も震え、先ほどのかわいい中野くんとお似合いだった西浦くんの姿が脳裏に浮かぶ。
(違う、澪くんの隣は……澪くんの隣は俺だから――!!)
必死に、脳内で西浦くんと腕を組む俺を妄想する。虚しさで気がおかしくなりそうだったが、それを妄想にとどめておいてもいいのか、と自問自答した。
怖いなら行動して、その妄想を本当にすればいい。
胸に生まれた独占欲。西浦くんが誰かを好きになることも、キスすることも、俺以外見ることも嫌だ。
(俺は、澪くんが好きだから)
しばらくして、黄色い歓声とともに拍手が巻き起こり、いつの間にか劇は終わってしまったようだ。
次に目を開けたころにはカーテンが閉まるところだった。西浦くんはまた無表情で手を振っていた。だが、どうやら誰かを探しているようで舞台上からきょろきょろと会場を見渡している。
俺は、そんな西浦くんに見つけてもらいたくて胸の前で手を振る。けど、これじゃダメだと柄にもなく両手を大きく振ってみせた。
すると、舞台の上にいた西浦くんはぴたりと身体を止め、ホッとしたような柔らかい表情になる。俺たちは端から端という遠い距離にいる。でも、確かに俺は西浦くんと目が合った。
(澪くん、俺、決めたよ。ちゃんと君に伝える)
怖いけど、怖くない。
俺が全力でぶつかっても、西浦くんはちゃんと受け止めてくれる。そうじゃなかったとしても、この思いを伝えずに今日を終えることは嫌だと片手を振りながら、もう片方の手をぎゅっと胸の前で握り込んだのだった。



