「……暑い」
夏休みに入り、体内時計が狂ってしまった。
起きたのは、午前十一時。自室の窓に張り付いていた一匹の蝉が起きろと、目覚まし代わりに泣いていた。
まぶしい光に目を擦りながら上半身を起こせば、ポコンと昨日充電したスマホにメッセージが一件入る。
「あれ、東田くんからだ」
メッセージを送ってきたのは、西浦くんの友だちの東田くんで「先輩に頼み事!」と一言入っていた。
俺が既読をつけて「おはよう」とスタンプを返せば「おそよー」なんてアヒルのスタンプを返してきた。
夏休みに入ってからも、西浦くんと下調べしてからたくさんのお店を回った。
一週間に一回だったお出かけが二回になり、夏休みということもあっていつもより長めに一緒にいた。でも、俺の家にあれ以降誘っていないし、あの日みたいなアクシデントは起こっていない。むしろ、少し西浦くんから距離を感じる。
(俺があんな変なこと言ったからかな)
わざとじゃなかったとはいえ、キスしてしまえる距離にいた西浦くんに「キスしないの?」なんて聞いてしまった。
俺と西浦くんは、先輩後輩の関係で、恋人同士でもない。けれども、俺は西浦くんとならキスできたし、キスしたいと思った。
(俺、西浦くんのこと好きすぎるよね)
いつからだろう。いや、出会ったときから彼のことがかっこいいと思っていた。でも、関わるうちに外見だけじゃなくて内面にも惹かれていき、彼を知れば知るほど好きになっていった。
だから、あの日ちょっと期待してしまったのだ。
(けど、結果ちょっと避けられてるんだよね)
しかし、本当に避けられているのだとしたら一緒にお出かけなんていってくれないはずだ。俺が連れまわしているわけじゃないし、西浦くんから「今日はここに行きたいです」と場所を指定してくれることも多い。
西浦くんがどう思っているか分からないが、これ以上避けられるのは勘弁してほしかった。
東田くんからメッセージが返ってくるのを待っていると「西浦のことなんすけど」という一文と共にリンクが送られてくる。それは、この土曜日行われる夏祭りだ。
学校近くの神社で行われる地元の祭りで俺も、昔からおばあちゃんの家からよくいっていた。たくさんの出店が出て、最後には神社近くの河川敷で花火が打ち上げられるお祭りだ。
なぜ、寮生の東田くんが知っているのかはわからなかったが、その後「誘ってあげてくれませんか?」なんていう文言が来たため、首をかしげてしまった。
(何で東田くんからそんなこと)
俺も東田くんに言われるまで夏祭りのことはすっかり忘れていたが、彼から西浦くんを誘ってあげてなんてどういうことだろうか。
そのまま疑問を打ち込んで送信すれば、秒で「あいつ、ヘタレなんで」という言葉と共にクリスマスに食べるようなチキンのスタンプが送られてきた。それでも、ピンとこなくて悩んでいると、今度は電話がかかってきた。もちろん東田くんからだ。
「うわああっ、あ、東田くん。こんにちは」
『先輩びっくりしすぎっしょ。あーメッセージ見てくれてますよね』
「うん。でも、何で俺から西浦くんを……てか、何で、東田くんがそんなこと」
『う~ん、や、今本人いないんでいいんですけど。あいつ夏休み前から間中先輩のこと誘う、誘う詐欺してて。昨日聞いたらまだ誘ってないって言ってたんですよね』
「西浦くんが俺を祭りに誘おうってしてくれていたってこと?」
『まあ、本人まだって言ってたんで誘えてないですね。なんで、先輩から誘ってあげてくださいよ。あいつ、喜びますよ。喜んで尻尾ブンブン振りまくりますよ』
じゃ、なんて東田くんは用件だけ伝えるとブチッと電話を切ってしまった。電話が切れる最後、後ろから女の子の声が聞こえてきたから、デートの最中とかそんな感じだろうか。
俺は、スマホをベッドの上に置いて正座をする。それからゆっくりとメッセージ欄から西浦くんの名前を探してタップした。
(東田くんの言葉を信じていいなら、俺から誘っても断られないってことだよね)
今の今まで忘れていたが、西浦くんと夏祭りに行ったら楽しそうだ。
(……でも、また俺、西浦くんに変なこと言っちゃったり、しちゃったら)
そこまで考えて打ちかけたメッセージを消そうと指を置く。指は震えていたが、すぐにぶんぶんと首を横に振る。
(いや、誘おう。一緒に行きたい)
ここは男気を見せるときだ。勇気を振り絞らねば。うじうじしているなんて俺らしくない!
思い立ったら即行動。しかし、メッセージを送る手前で人差し指を丸め込む。
「……やっぱり、電話にしよう!!」
自分でハードルを上げて受話器のボタンを押す。メッセージよりも生声のほうがきっと行きたいっていうこっちの気持ちが伝わるはずだ。
数回のコールでガチャリと電話がつながる。電話の向こうからまだ眠たげな声が聞こえてきた。
『間中先輩、こんな朝から――』
「に、西浦くん! 俺とこの土曜日、夏祭り行こ!」
『夏祭り』
「そ! 西浦くんと行きたい。たくさん一緒に食べよう! じゃ、じゃあ!』
本当はもっと待ち合わせ場所というつもりだった。でも、西浦くんのふにゃふにゃした聞き慣れない声を聞いたら恥ずかしくなって、そのまま電話を切ってしまった。今ので、気分を悪くしてないといいけれど。
俺は、またかかってくるのではないかとスマホを見ていたが、黒くなった画面に白いメッセージが一件とんでくる。
【夏祭り、行きましょう。一緒に行きたいです】
「西浦くん!!」
それは、彼からのOKの返事だった。
スマホを両手で握り、喜びで胸いっぱいのままコツンと自分の額にそれを押し当てたのだった。
◇◇◇
落ち着かない。
サンダルの上にバッタが乗ってきたので、それを足でちょいと退かし、彼が来るのを待っていた。
「間中先輩」
聞き慣れた低い声は息が上がっているようで、最後の音が半音上がっていた。
「西浦くん」
「……っ、先輩、浴衣なんですね」
「嫌だって言ったんだけど。おばあちゃんがこれ、着てけって」
「似合ってます。すげえ似合ってます」
やってきた西浦くんは軽装だった。肩から下げているバックは見慣れないものだったがとても似合っている。
彼は、俺の浴衣を見てべた褒めしてくれた。一人だけ浮いていないか、はしゃぎすぎていないかと心配だったから普通に嬉しい。でも、褒められてもなお、恥かしくてまともに顔が見えなかった。
俺の着ている黒い浴衣には、白いラインがおしゃれに何本も入っている。
おばあちゃんは着付け教室をやっているので、浴衣や着物といったものはたくさんあるらしい。その中でも俺に似合うものとこれを選んでくれた。さらには、下駄まで用意してくれたが履き慣れない靴で何かあって、西浦くんを困らせたくなかったのでサンダルを履くことにしたのだ。
「先輩、その、誘ってくれてありがとうございます」
「ううん、気にしないで。俺が一緒に行きたいって、朝から電話かけちゃってごめんね」
「間中先輩のモーニングコール……これからもしてほしいです。俺、朝弱くて」
「モ、モーニングコール!? そんなんじゃないよ。けど、うん。西浦くんがしてほしいっていうなら、毎日かけるよ」
思わぬことを言われてしまったが、俺がそう返すと「ほんとですか? 本気にしますよ?」と食い気味に聞いてくる。しまいには手まで握ってくる。
しかし、本人は俺の手を握った自覚がなかったらしく、俺が視線を手に落としてようやく慌てて手を離した。手を握ってくれていてもいいのに、と顔をあげれば、自分から手を離したのにしょぼんとした顔の西浦くんがいた。
「夏祭りの会場、人いっぱいだから手、つなごうよ」
「いいんですか!? じゃ、じゃなくて、ありがとうございます。気遣い」
西浦くんは慌てて言い直し、俺の手に目線を合わせる。
今日はなんだか西浦くんが分かりやすい。前々から大型犬のような愛らしさはあったものの、今日は一段とはしゃいでいるような気がした。
「じゃあ、ここからちょっと歩くけどいこっか」
「この地域の夏祭りって出店がたくさんあるんですよね。たくさん食べましょうね」
「もちろん、そのつもりだよ。ベビーカステラに、フランクフルトに、チョコバナナに、焼きそば……あと、りんご飴」
指を折って数える。最近は見慣れない出店も増えてきて、夏の楽しみになっている。
「全部食べましょう。今日、小銭いっぱい持ってきましたから」
「西浦くんもいっぱい食べてね。俺が食べてるの見てるだけじゃなくて」
「先輩が食べているのを見ながら食べます」
「俺、おかずじゃないんだけど」
そんな言い合いをしながら歩き始める。
会場についてから手をつなげばいいかと思っていたが、この際つないじゃえと彼の大きな手に触れる。すると、すぐにするっと彼は俺の指の隙間に自身の指を滑り込ませた。
(こ、恋人つなぎ!!)
パッと、西浦くんを見て見たが彼は気づいていないようだ。また無意識にこんなことをしたというのだろうか。
西浦くんの一つ一つの行動にドキドキしているというのに。西浦くんはそうじゃないのだろうか。
(指摘したらまた手を離されるかもだし。ここはこのまま――)
「先輩?」
「何でもないよ。西浦くん、さ、いこう」
強く握り返せば、少しだけ彼の大きな手が反応した気がした。彼の手のひらは熱くて、汗でべたべたしていた。でも全然嫌じゃない。俺が、彼のことを好きだからだろうか。
(歩幅、あわせてくれてるんだよね)
俺の一歩は小さくて、西浦くんとの靴のサイズも三センチほど違う。
彼は隣をゆっくりと歩いてくれていた。そんな小さな気遣い、もしかしたら無意識かもしれないが、それにすらドキドキと心臓を鳴らす。この心臓の鼓動が伝わって、西浦くんに聞こえたら……彼はどんな反応をするのだろうか。
(タイミング見計らって、聞いてみる?)
いや、ここは当たって砕けろと告白するべきだろう。
頭の中は賑わしく、少し歩いたところで聞こえてきたおはやしの音と混ざってカオスな状態になっていた。
◇◇◇
祭りの会場はごった返しており、赤とオレンジに彩られた神社の境内には絶えずおはやしの音が響いていた。
すでに会場に入ってから、綿あめと焼きそばを買って二人でシェアをした。綿あめは袋に入っていて取り出すごとに手がべ手下手になったが、これまた気を利かせた西浦くんが、持ってきたウェットティッシュで手と、ついでに口まで拭いてくれた。ここまでくると、俺は餌付けされているんじゃないか、至れり尽くせりだと、先輩の威厳……年上の威厳がなくなってくる。
(いやいや、西浦くんがすっごいい子ってことじゃん!!)
そんな西浦くんだからこそ、彼が共学行ってしまったらさぞかしモテただろうなと容易に想像ができてしまい、胸が痛んだ。
西浦くんの友だちには他校に恋人がいるようだけど、今も西浦くんはいないのだろうか。
俺たちは、人込みを避けるために屋台と屋台の隙間に身を寄せた。
それから、俺はフランクフルトを口に含んだまま西浦くんのほうを見る。彼はまた大きな肩を揺らし、首を四十五度くらい傾けた。
「どうしましたか? 間中先輩」
「西浦くんってまだフリー?」
「フリー?」
「…………恋人出来たりしてない?」
俺の質問に、西浦くんは目をぱちくりとさせる。それはどっちの反応なんだ、と見定めていると、西浦くんは恥ずかしそうに頬をかきながら口を開く。
「いませんよ。フリーです。でも、俺、好きな人……いたりします」
「え……?」
好きな人がいる――その言葉に、フランクフルトを掴んでいた手を離してしまった。そのまま口から落ちそうになったところを、西浦くんがフランクフルトについていた棒を支えてくれる。しかし、その拍子に少しだけ奥にフランクフルトを突っ込まれてしまい、むせ込む。
「す、すみません、先輩」
「んっ……げほっ、ん、いいよっ、大丈夫」
まだ食べ始めたばかりだったので、棒が喉に突き刺さるでもなく大丈夫だったが、一旦口から離す。フランクフルトには俺の唾液がべったりとついて、糸を引いていた。食べ物を粗末にしちゃったかも、食べ方が汚いかもしれない、そう思いながらもフランクフルトを握ったまま心を落ち着かせる。
(西浦くん好きな人いるんだ)
ツキンと胸が痛む。
それは、俺じゃないということだろか。聞く勇気もなく、もう一度フランクフルトにかぶりつく。
「――だから、安心してください。間中先輩」
「ご、ごめん。聞いてなかった」
西浦くんは少し傷付いたように「そうですか」とうつむいてしまった。何か、聞き逃しただろうか、と思っていたが俺は自分のことでいっぱいいっぱいになっていたのだ。
西浦くんに好きな人がいるという情報をゲットできたのに全然嬉しくない。むしろ、それは俺じゃないのではないかとマイナス思考に陥っていく。
でも、このままではいけない。好きな人がいるけど付き合っていないという状況なら、まだチャンスがあるかもしれない。
そんな考えにシフトチェンジをし、西浦くんに意識してもらうことから始めようと思い立つ。
「西浦くん」
「どうしましたか、先輩」
「西浦くんのこと、澪くんって呼んでいいかな」
「ど、どうして急に」
西浦くんは驚いたようにこちらを見る。
だが、ダメだといわないところを見ると名前呼びはいい可能性がある。
フランクフルトをパクパクと食べ終え、棒をぎゅっと握りしめながら西浦くんのほうを見た。
「俺たち付き合い長いでしょ」
「確かに、長いですね。俺が入学してからほとんど、先輩との思い出でいっぱいです」
「だ、だから。そろそろお近づきになったところだから、名前呼びしたいない。ダメかな?」
「……ダメじゃないです。じゃあ、俺も真緒先輩って呼んでいいですか」
もちろん嫌じゃなければ、と彼はワンクッション置いて言う。そんなのダメなわけがないと、首を縦に全力でふって親指を立てる。
「澪くん」
「真緒、先輩」
示し合わせたわけではないのに、俺たちは見つめあって名前を呼んだ。それが二人とも妙にツボって噴き出してしまう。
「今日から澪くんって呼ぶね」
「なんだか嬉しいです。先輩との距離が、また縮まった気がして。真緒先輩……すげえ、なんか言ってて幸せになります」
満面の笑みでそう言ってくれる西浦くんを見ていると、こっちまで嬉しくなってくる。
俺も何度も胸の中で「澪くん、澪くん」と繰り返し言ってみる。そのたび、頬が緩んできてしまってダメだった。これでは不審者だ。
そんなふうに二人でひとしきり笑い、また次のものを食べに行こうかという話になり、手をつなぎ次の屋台へと向かったのだった。
◇◇◇
「あらかた食べつくした感じですかね?」
舌の色が変わるかき氷も、十円パンも食べた。お腹はかなり膨れており、後は花火を見て帰るだけという状態になっていた。
もう少しでこの楽しい時間も終わる。帰るのがちょっぴり寂しくて、この時間がいつまでも続けばいいと願う。
「先輩、心残りないですか?」
そう言われて、心残り……と会場を見渡す。そういえば、一つだけ食べていないものがあった。
「りんご飴……」
「りんご飴? いいですね。最後はそれにしましょ」
西浦くんが手を引っ張る。何度も屋台を往復したので場所はもうすっかり分かっているようだ。
彼の大きな手が俺の手首を掴んでぐんぐんと引っ張っていく。
俺が引っ張っていきたいのに、こうやって彼に強引に引っ張られるのも嫌いじゃない。
(俺、また受け身になってる)
嬉しいと同時に、俺は年上なんだから、先輩なんだから、という気持ちが押し寄せる。でも、男らしい西浦くんを前にすると、彼にすべてを委ねてしまいそうになるのだ。
だから、告白する勇気も出ないし、回りくどい真似しかできない。そんな自分が、みんなが言う「かわいいお姫さま」みたいな自分が、たまらなく嫌になる。
すぐにりんご飴の屋台につき、西浦くんに「どれにしますか?」と訊ねられる。屋台には、大玉のりんご飴と、姫リンゴ飴、イチゴ飴や葡萄飴といった変わり種が置いてあった。
それを一個一個凝視し、どれがいいかと選別する。
だが、このりんご飴には少し苦い思い出があった。
「小さいのにしよっかな」
「大きいのじゃないんですか? それともお腹いっぱい?」
「え? ああ、いや。前に、大きいの買って残しちゃったことがあったんだよ」
あれは二年前だっただろうか。
屋台で買ったにりんご飴を一日で食べれなくて三日とゆっくり食べていたら、いつのまにか中のリンゴが変色してカビが生えていた。もちろん、俺の管理に問題があったのだが、大きくて食べれない大玉のりんご飴には悔しい思い出があったのだ。でも、姫リンゴ飴と大玉のりんご飴ではやはり味が異なる。
説明し終えると、西浦くんは「俺が一緒に食べます。我慢しないでください」と言って、五百円玉を店主に渡した。それから「ゆっくり選んでくださいね」と俺に言ってくれる。
(澪くんはどこから、どこまで……)
俺は、十個ほど並んでいるりんご飴の中から気泡が少なくつるっとしたものを選んだ。
それからすぐに「もう少しで花火が始まりまーす」と運営の日との声がかかる。そこで、ハッと我にかえり、西浦くんの手を引いて押し寄せる人の波とは反対に歩き出した。彼の大きな手を握って絶対に離さないように心に近い人をかき分けて進む。
「先輩どこへ?」
「一番よく見えるとこ」
彼は引っ張られるまま一緒に歩いてくれる。しばらくして、俺たちは少し開けた場所に出た。ここが一番よく見える場所だ。
彼の手をパッと放し呼吸を整える。
「ここ、すごくよく見えるから。昔からここで見てて。明かりが少なくて……」
「そうなんですね。真緒先輩と二人きり……」
俺は、呼吸を整えつつ、ぺりぺりとりんご飴の袋をはがす。一緒に食べるといったから持って帰ってしまってはいけないだろう。あたりを見渡し、サクッと芝生の上に腰を下ろす。その横に、西浦くんも同じように腰を下ろした。
「もう少しですかね」
「多分そうだと思う。七時半って言ってたと思うから、後一分」
おはやしの音は遠くに聞こえ、変わりに蝉の泣き声が静かに響いていた。
明かりが少なく、空は快晴――満天の星空が広がっている。
(少し、寒い、かな)
昼間の暑さと比べると、少し冷える。そんな俺に気づいたのか、そっと西浦くんは近づいて肩を寄せた。
「真緒先輩寒いですか?」
「も、もう温かくなった。ありがとう」
「いえ……それに、近づかないと、りんご飴食べれませんから」
俺が口をつけている反対側にチュッと西浦くんは唇を当てる。りんご飴を挟んでキスをしているような位置関係になり、また手を離してしまいそうになる。だが、西浦くんがすかさずりんご飴の棒を持つ俺の手を握り込んだ。
「硬い、ですね」
「うん。小さいころ、歯持ってかれちゃった」
りんご飴から唇を離し答えれば、西浦くんも同じタイミングで唇を離した。暗いのに、彼の唇も赤くなっていることに気づき笑いがこみあげてくる。
「先輩、何笑ってるんですか」
「いや、澪くんの唇真っ赤になってるなって思って」
「先輩だって。同じもの食べてるんですから、そうなります」
りんご飴を握っている俺の手を離さずに西浦くんは言う。それから、また何か言いたげに唇を結び、ほどき、口を開く。
「真緒先輩、俺――」
彼が口を開いた瞬間にヒュードンッ!! と、花火が打ちあがる。彼の背中に咲いた大輪の花に俺は目を奪われてしまっていた。向きが反対だったな、なんて思いながら西浦くんに視線を戻せば、彼はふいっと顔を逸らしてしまう。
「澪くん?」
次から次へと打ちあがる花火の下、西浦くんはりんご飴にかじりついた後、俺から手を離す。かじられた部分は大きくて艶々としていた飴の部分にひびが入る。
それから西浦くんは「ちょっと位置変えますね」と立ち上がり、花火が見える位置へと動く。
その間、かじられたりんご飴を見つめ、彼が何を言ったのだろうかとずっと考えていた。
「澪くんなんか言った?」
「いいえ、何にも。真緒先輩と夏祭りこれてよかったなって言ったんです」
「……そっか。俺もだよ、澪くん」
ここで好きだよ、と言える勇気がなく、彼に笑ってそう返すことしかできなかった。
りんご飴を握る手に力がこもり、俺は悔しさと情けなさを胸に秘めつつ、彼がかじった部分にわざとかぶりついたのだった。
夏休みに入り、体内時計が狂ってしまった。
起きたのは、午前十一時。自室の窓に張り付いていた一匹の蝉が起きろと、目覚まし代わりに泣いていた。
まぶしい光に目を擦りながら上半身を起こせば、ポコンと昨日充電したスマホにメッセージが一件入る。
「あれ、東田くんからだ」
メッセージを送ってきたのは、西浦くんの友だちの東田くんで「先輩に頼み事!」と一言入っていた。
俺が既読をつけて「おはよう」とスタンプを返せば「おそよー」なんてアヒルのスタンプを返してきた。
夏休みに入ってからも、西浦くんと下調べしてからたくさんのお店を回った。
一週間に一回だったお出かけが二回になり、夏休みということもあっていつもより長めに一緒にいた。でも、俺の家にあれ以降誘っていないし、あの日みたいなアクシデントは起こっていない。むしろ、少し西浦くんから距離を感じる。
(俺があんな変なこと言ったからかな)
わざとじゃなかったとはいえ、キスしてしまえる距離にいた西浦くんに「キスしないの?」なんて聞いてしまった。
俺と西浦くんは、先輩後輩の関係で、恋人同士でもない。けれども、俺は西浦くんとならキスできたし、キスしたいと思った。
(俺、西浦くんのこと好きすぎるよね)
いつからだろう。いや、出会ったときから彼のことがかっこいいと思っていた。でも、関わるうちに外見だけじゃなくて内面にも惹かれていき、彼を知れば知るほど好きになっていった。
だから、あの日ちょっと期待してしまったのだ。
(けど、結果ちょっと避けられてるんだよね)
しかし、本当に避けられているのだとしたら一緒にお出かけなんていってくれないはずだ。俺が連れまわしているわけじゃないし、西浦くんから「今日はここに行きたいです」と場所を指定してくれることも多い。
西浦くんがどう思っているか分からないが、これ以上避けられるのは勘弁してほしかった。
東田くんからメッセージが返ってくるのを待っていると「西浦のことなんすけど」という一文と共にリンクが送られてくる。それは、この土曜日行われる夏祭りだ。
学校近くの神社で行われる地元の祭りで俺も、昔からおばあちゃんの家からよくいっていた。たくさんの出店が出て、最後には神社近くの河川敷で花火が打ち上げられるお祭りだ。
なぜ、寮生の東田くんが知っているのかはわからなかったが、その後「誘ってあげてくれませんか?」なんていう文言が来たため、首をかしげてしまった。
(何で東田くんからそんなこと)
俺も東田くんに言われるまで夏祭りのことはすっかり忘れていたが、彼から西浦くんを誘ってあげてなんてどういうことだろうか。
そのまま疑問を打ち込んで送信すれば、秒で「あいつ、ヘタレなんで」という言葉と共にクリスマスに食べるようなチキンのスタンプが送られてきた。それでも、ピンとこなくて悩んでいると、今度は電話がかかってきた。もちろん東田くんからだ。
「うわああっ、あ、東田くん。こんにちは」
『先輩びっくりしすぎっしょ。あーメッセージ見てくれてますよね』
「うん。でも、何で俺から西浦くんを……てか、何で、東田くんがそんなこと」
『う~ん、や、今本人いないんでいいんですけど。あいつ夏休み前から間中先輩のこと誘う、誘う詐欺してて。昨日聞いたらまだ誘ってないって言ってたんですよね』
「西浦くんが俺を祭りに誘おうってしてくれていたってこと?」
『まあ、本人まだって言ってたんで誘えてないですね。なんで、先輩から誘ってあげてくださいよ。あいつ、喜びますよ。喜んで尻尾ブンブン振りまくりますよ』
じゃ、なんて東田くんは用件だけ伝えるとブチッと電話を切ってしまった。電話が切れる最後、後ろから女の子の声が聞こえてきたから、デートの最中とかそんな感じだろうか。
俺は、スマホをベッドの上に置いて正座をする。それからゆっくりとメッセージ欄から西浦くんの名前を探してタップした。
(東田くんの言葉を信じていいなら、俺から誘っても断られないってことだよね)
今の今まで忘れていたが、西浦くんと夏祭りに行ったら楽しそうだ。
(……でも、また俺、西浦くんに変なこと言っちゃったり、しちゃったら)
そこまで考えて打ちかけたメッセージを消そうと指を置く。指は震えていたが、すぐにぶんぶんと首を横に振る。
(いや、誘おう。一緒に行きたい)
ここは男気を見せるときだ。勇気を振り絞らねば。うじうじしているなんて俺らしくない!
思い立ったら即行動。しかし、メッセージを送る手前で人差し指を丸め込む。
「……やっぱり、電話にしよう!!」
自分でハードルを上げて受話器のボタンを押す。メッセージよりも生声のほうがきっと行きたいっていうこっちの気持ちが伝わるはずだ。
数回のコールでガチャリと電話がつながる。電話の向こうからまだ眠たげな声が聞こえてきた。
『間中先輩、こんな朝から――』
「に、西浦くん! 俺とこの土曜日、夏祭り行こ!」
『夏祭り』
「そ! 西浦くんと行きたい。たくさん一緒に食べよう! じゃ、じゃあ!』
本当はもっと待ち合わせ場所というつもりだった。でも、西浦くんのふにゃふにゃした聞き慣れない声を聞いたら恥ずかしくなって、そのまま電話を切ってしまった。今ので、気分を悪くしてないといいけれど。
俺は、またかかってくるのではないかとスマホを見ていたが、黒くなった画面に白いメッセージが一件とんでくる。
【夏祭り、行きましょう。一緒に行きたいです】
「西浦くん!!」
それは、彼からのOKの返事だった。
スマホを両手で握り、喜びで胸いっぱいのままコツンと自分の額にそれを押し当てたのだった。
◇◇◇
落ち着かない。
サンダルの上にバッタが乗ってきたので、それを足でちょいと退かし、彼が来るのを待っていた。
「間中先輩」
聞き慣れた低い声は息が上がっているようで、最後の音が半音上がっていた。
「西浦くん」
「……っ、先輩、浴衣なんですね」
「嫌だって言ったんだけど。おばあちゃんがこれ、着てけって」
「似合ってます。すげえ似合ってます」
やってきた西浦くんは軽装だった。肩から下げているバックは見慣れないものだったがとても似合っている。
彼は、俺の浴衣を見てべた褒めしてくれた。一人だけ浮いていないか、はしゃぎすぎていないかと心配だったから普通に嬉しい。でも、褒められてもなお、恥かしくてまともに顔が見えなかった。
俺の着ている黒い浴衣には、白いラインがおしゃれに何本も入っている。
おばあちゃんは着付け教室をやっているので、浴衣や着物といったものはたくさんあるらしい。その中でも俺に似合うものとこれを選んでくれた。さらには、下駄まで用意してくれたが履き慣れない靴で何かあって、西浦くんを困らせたくなかったのでサンダルを履くことにしたのだ。
「先輩、その、誘ってくれてありがとうございます」
「ううん、気にしないで。俺が一緒に行きたいって、朝から電話かけちゃってごめんね」
「間中先輩のモーニングコール……これからもしてほしいです。俺、朝弱くて」
「モ、モーニングコール!? そんなんじゃないよ。けど、うん。西浦くんがしてほしいっていうなら、毎日かけるよ」
思わぬことを言われてしまったが、俺がそう返すと「ほんとですか? 本気にしますよ?」と食い気味に聞いてくる。しまいには手まで握ってくる。
しかし、本人は俺の手を握った自覚がなかったらしく、俺が視線を手に落としてようやく慌てて手を離した。手を握ってくれていてもいいのに、と顔をあげれば、自分から手を離したのにしょぼんとした顔の西浦くんがいた。
「夏祭りの会場、人いっぱいだから手、つなごうよ」
「いいんですか!? じゃ、じゃなくて、ありがとうございます。気遣い」
西浦くんは慌てて言い直し、俺の手に目線を合わせる。
今日はなんだか西浦くんが分かりやすい。前々から大型犬のような愛らしさはあったものの、今日は一段とはしゃいでいるような気がした。
「じゃあ、ここからちょっと歩くけどいこっか」
「この地域の夏祭りって出店がたくさんあるんですよね。たくさん食べましょうね」
「もちろん、そのつもりだよ。ベビーカステラに、フランクフルトに、チョコバナナに、焼きそば……あと、りんご飴」
指を折って数える。最近は見慣れない出店も増えてきて、夏の楽しみになっている。
「全部食べましょう。今日、小銭いっぱい持ってきましたから」
「西浦くんもいっぱい食べてね。俺が食べてるの見てるだけじゃなくて」
「先輩が食べているのを見ながら食べます」
「俺、おかずじゃないんだけど」
そんな言い合いをしながら歩き始める。
会場についてから手をつなげばいいかと思っていたが、この際つないじゃえと彼の大きな手に触れる。すると、すぐにするっと彼は俺の指の隙間に自身の指を滑り込ませた。
(こ、恋人つなぎ!!)
パッと、西浦くんを見て見たが彼は気づいていないようだ。また無意識にこんなことをしたというのだろうか。
西浦くんの一つ一つの行動にドキドキしているというのに。西浦くんはそうじゃないのだろうか。
(指摘したらまた手を離されるかもだし。ここはこのまま――)
「先輩?」
「何でもないよ。西浦くん、さ、いこう」
強く握り返せば、少しだけ彼の大きな手が反応した気がした。彼の手のひらは熱くて、汗でべたべたしていた。でも全然嫌じゃない。俺が、彼のことを好きだからだろうか。
(歩幅、あわせてくれてるんだよね)
俺の一歩は小さくて、西浦くんとの靴のサイズも三センチほど違う。
彼は隣をゆっくりと歩いてくれていた。そんな小さな気遣い、もしかしたら無意識かもしれないが、それにすらドキドキと心臓を鳴らす。この心臓の鼓動が伝わって、西浦くんに聞こえたら……彼はどんな反応をするのだろうか。
(タイミング見計らって、聞いてみる?)
いや、ここは当たって砕けろと告白するべきだろう。
頭の中は賑わしく、少し歩いたところで聞こえてきたおはやしの音と混ざってカオスな状態になっていた。
◇◇◇
祭りの会場はごった返しており、赤とオレンジに彩られた神社の境内には絶えずおはやしの音が響いていた。
すでに会場に入ってから、綿あめと焼きそばを買って二人でシェアをした。綿あめは袋に入っていて取り出すごとに手がべ手下手になったが、これまた気を利かせた西浦くんが、持ってきたウェットティッシュで手と、ついでに口まで拭いてくれた。ここまでくると、俺は餌付けされているんじゃないか、至れり尽くせりだと、先輩の威厳……年上の威厳がなくなってくる。
(いやいや、西浦くんがすっごいい子ってことじゃん!!)
そんな西浦くんだからこそ、彼が共学行ってしまったらさぞかしモテただろうなと容易に想像ができてしまい、胸が痛んだ。
西浦くんの友だちには他校に恋人がいるようだけど、今も西浦くんはいないのだろうか。
俺たちは、人込みを避けるために屋台と屋台の隙間に身を寄せた。
それから、俺はフランクフルトを口に含んだまま西浦くんのほうを見る。彼はまた大きな肩を揺らし、首を四十五度くらい傾けた。
「どうしましたか? 間中先輩」
「西浦くんってまだフリー?」
「フリー?」
「…………恋人出来たりしてない?」
俺の質問に、西浦くんは目をぱちくりとさせる。それはどっちの反応なんだ、と見定めていると、西浦くんは恥ずかしそうに頬をかきながら口を開く。
「いませんよ。フリーです。でも、俺、好きな人……いたりします」
「え……?」
好きな人がいる――その言葉に、フランクフルトを掴んでいた手を離してしまった。そのまま口から落ちそうになったところを、西浦くんがフランクフルトについていた棒を支えてくれる。しかし、その拍子に少しだけ奥にフランクフルトを突っ込まれてしまい、むせ込む。
「す、すみません、先輩」
「んっ……げほっ、ん、いいよっ、大丈夫」
まだ食べ始めたばかりだったので、棒が喉に突き刺さるでもなく大丈夫だったが、一旦口から離す。フランクフルトには俺の唾液がべったりとついて、糸を引いていた。食べ物を粗末にしちゃったかも、食べ方が汚いかもしれない、そう思いながらもフランクフルトを握ったまま心を落ち着かせる。
(西浦くん好きな人いるんだ)
ツキンと胸が痛む。
それは、俺じゃないということだろか。聞く勇気もなく、もう一度フランクフルトにかぶりつく。
「――だから、安心してください。間中先輩」
「ご、ごめん。聞いてなかった」
西浦くんは少し傷付いたように「そうですか」とうつむいてしまった。何か、聞き逃しただろうか、と思っていたが俺は自分のことでいっぱいいっぱいになっていたのだ。
西浦くんに好きな人がいるという情報をゲットできたのに全然嬉しくない。むしろ、それは俺じゃないのではないかとマイナス思考に陥っていく。
でも、このままではいけない。好きな人がいるけど付き合っていないという状況なら、まだチャンスがあるかもしれない。
そんな考えにシフトチェンジをし、西浦くんに意識してもらうことから始めようと思い立つ。
「西浦くん」
「どうしましたか、先輩」
「西浦くんのこと、澪くんって呼んでいいかな」
「ど、どうして急に」
西浦くんは驚いたようにこちらを見る。
だが、ダメだといわないところを見ると名前呼びはいい可能性がある。
フランクフルトをパクパクと食べ終え、棒をぎゅっと握りしめながら西浦くんのほうを見た。
「俺たち付き合い長いでしょ」
「確かに、長いですね。俺が入学してからほとんど、先輩との思い出でいっぱいです」
「だ、だから。そろそろお近づきになったところだから、名前呼びしたいない。ダメかな?」
「……ダメじゃないです。じゃあ、俺も真緒先輩って呼んでいいですか」
もちろん嫌じゃなければ、と彼はワンクッション置いて言う。そんなのダメなわけがないと、首を縦に全力でふって親指を立てる。
「澪くん」
「真緒、先輩」
示し合わせたわけではないのに、俺たちは見つめあって名前を呼んだ。それが二人とも妙にツボって噴き出してしまう。
「今日から澪くんって呼ぶね」
「なんだか嬉しいです。先輩との距離が、また縮まった気がして。真緒先輩……すげえ、なんか言ってて幸せになります」
満面の笑みでそう言ってくれる西浦くんを見ていると、こっちまで嬉しくなってくる。
俺も何度も胸の中で「澪くん、澪くん」と繰り返し言ってみる。そのたび、頬が緩んできてしまってダメだった。これでは不審者だ。
そんなふうに二人でひとしきり笑い、また次のものを食べに行こうかという話になり、手をつなぎ次の屋台へと向かったのだった。
◇◇◇
「あらかた食べつくした感じですかね?」
舌の色が変わるかき氷も、十円パンも食べた。お腹はかなり膨れており、後は花火を見て帰るだけという状態になっていた。
もう少しでこの楽しい時間も終わる。帰るのがちょっぴり寂しくて、この時間がいつまでも続けばいいと願う。
「先輩、心残りないですか?」
そう言われて、心残り……と会場を見渡す。そういえば、一つだけ食べていないものがあった。
「りんご飴……」
「りんご飴? いいですね。最後はそれにしましょ」
西浦くんが手を引っ張る。何度も屋台を往復したので場所はもうすっかり分かっているようだ。
彼の大きな手が俺の手首を掴んでぐんぐんと引っ張っていく。
俺が引っ張っていきたいのに、こうやって彼に強引に引っ張られるのも嫌いじゃない。
(俺、また受け身になってる)
嬉しいと同時に、俺は年上なんだから、先輩なんだから、という気持ちが押し寄せる。でも、男らしい西浦くんを前にすると、彼にすべてを委ねてしまいそうになるのだ。
だから、告白する勇気も出ないし、回りくどい真似しかできない。そんな自分が、みんなが言う「かわいいお姫さま」みたいな自分が、たまらなく嫌になる。
すぐにりんご飴の屋台につき、西浦くんに「どれにしますか?」と訊ねられる。屋台には、大玉のりんご飴と、姫リンゴ飴、イチゴ飴や葡萄飴といった変わり種が置いてあった。
それを一個一個凝視し、どれがいいかと選別する。
だが、このりんご飴には少し苦い思い出があった。
「小さいのにしよっかな」
「大きいのじゃないんですか? それともお腹いっぱい?」
「え? ああ、いや。前に、大きいの買って残しちゃったことがあったんだよ」
あれは二年前だっただろうか。
屋台で買ったにりんご飴を一日で食べれなくて三日とゆっくり食べていたら、いつのまにか中のリンゴが変色してカビが生えていた。もちろん、俺の管理に問題があったのだが、大きくて食べれない大玉のりんご飴には悔しい思い出があったのだ。でも、姫リンゴ飴と大玉のりんご飴ではやはり味が異なる。
説明し終えると、西浦くんは「俺が一緒に食べます。我慢しないでください」と言って、五百円玉を店主に渡した。それから「ゆっくり選んでくださいね」と俺に言ってくれる。
(澪くんはどこから、どこまで……)
俺は、十個ほど並んでいるりんご飴の中から気泡が少なくつるっとしたものを選んだ。
それからすぐに「もう少しで花火が始まりまーす」と運営の日との声がかかる。そこで、ハッと我にかえり、西浦くんの手を引いて押し寄せる人の波とは反対に歩き出した。彼の大きな手を握って絶対に離さないように心に近い人をかき分けて進む。
「先輩どこへ?」
「一番よく見えるとこ」
彼は引っ張られるまま一緒に歩いてくれる。しばらくして、俺たちは少し開けた場所に出た。ここが一番よく見える場所だ。
彼の手をパッと放し呼吸を整える。
「ここ、すごくよく見えるから。昔からここで見てて。明かりが少なくて……」
「そうなんですね。真緒先輩と二人きり……」
俺は、呼吸を整えつつ、ぺりぺりとりんご飴の袋をはがす。一緒に食べるといったから持って帰ってしまってはいけないだろう。あたりを見渡し、サクッと芝生の上に腰を下ろす。その横に、西浦くんも同じように腰を下ろした。
「もう少しですかね」
「多分そうだと思う。七時半って言ってたと思うから、後一分」
おはやしの音は遠くに聞こえ、変わりに蝉の泣き声が静かに響いていた。
明かりが少なく、空は快晴――満天の星空が広がっている。
(少し、寒い、かな)
昼間の暑さと比べると、少し冷える。そんな俺に気づいたのか、そっと西浦くんは近づいて肩を寄せた。
「真緒先輩寒いですか?」
「も、もう温かくなった。ありがとう」
「いえ……それに、近づかないと、りんご飴食べれませんから」
俺が口をつけている反対側にチュッと西浦くんは唇を当てる。りんご飴を挟んでキスをしているような位置関係になり、また手を離してしまいそうになる。だが、西浦くんがすかさずりんご飴の棒を持つ俺の手を握り込んだ。
「硬い、ですね」
「うん。小さいころ、歯持ってかれちゃった」
りんご飴から唇を離し答えれば、西浦くんも同じタイミングで唇を離した。暗いのに、彼の唇も赤くなっていることに気づき笑いがこみあげてくる。
「先輩、何笑ってるんですか」
「いや、澪くんの唇真っ赤になってるなって思って」
「先輩だって。同じもの食べてるんですから、そうなります」
りんご飴を握っている俺の手を離さずに西浦くんは言う。それから、また何か言いたげに唇を結び、ほどき、口を開く。
「真緒先輩、俺――」
彼が口を開いた瞬間にヒュードンッ!! と、花火が打ちあがる。彼の背中に咲いた大輪の花に俺は目を奪われてしまっていた。向きが反対だったな、なんて思いながら西浦くんに視線を戻せば、彼はふいっと顔を逸らしてしまう。
「澪くん?」
次から次へと打ちあがる花火の下、西浦くんはりんご飴にかじりついた後、俺から手を離す。かじられた部分は大きくて艶々としていた飴の部分にひびが入る。
それから西浦くんは「ちょっと位置変えますね」と立ち上がり、花火が見える位置へと動く。
その間、かじられたりんご飴を見つめ、彼が何を言ったのだろうかとずっと考えていた。
「澪くんなんか言った?」
「いいえ、何にも。真緒先輩と夏祭りこれてよかったなって言ったんです」
「……そっか。俺もだよ、澪くん」
ここで好きだよ、と言える勇気がなく、彼に笑ってそう返すことしかできなかった。
りんご飴を握る手に力がこもり、俺は悔しさと情けなさを胸に秘めつつ、彼がかじった部分にわざとかぶりついたのだった。



