イチゴの季節は終わって、六月中旬。
梅雨の季節はあっという間に過ぎたのか、最近は暑い日が続いている。
「やっべぇ!! これ体操服のズボンじゃなくてパンツじゃん!」
「アホ右田。隣のクラスから借りて来いよ」
パンツが紛らわしい色をしてんだ! と、右田くんは手に持っていたパンツを伊佐治くんに向かって投げた。
昼休みの次の授業が体育ということもあり、俺たちの教室では早めに着替えるやつらであふれかえっている。半裸で弁当を食べている猛者もいる。靴下が教室の天井あたりをポイポイと行きかい、誰かの弁当に落ちたのか悲鳴が上がった。
今日も男子校は変わらず元気で賑わしい。
「間中ぁ……ついてきてくれよ」
「え、一人で行きなよ」
「ぐぁああっ!! その、そのさげすむ目もいい……!!」
「右田ってアホだよな。アホオブアホ」
いきなり床に突っ伏したかと思えば、右田くんはグイッと口元の涎を拭い、息を荒くしながら親指を立てた。
俺は伊佐治くんと共に冷ややかな目で見下ろし、食べる前に着替えるかとシャツのボタンを外し始める。しかし、ボタンが小さくて少し外しにくく苦戦していると、伊佐治くんが俺に手を伸ばした。
「まーちゃん、俺が外してやろっか」
「一人でできるから大丈夫だよ」
そう言ったが、伊佐治くんは「まあまあ」と言って服を掴む。そのタイミングでピシャン! と教室の扉が開いた。
一応着替え中の生徒もいるということで廊下側の扉は締めてあるのだが、窓側のカーテンは開けっ放しだし意味がない。
食べていた人も、着替えていた人もその音にびっくりして後ろ扉のほうを見る。そこに立っていたのは西浦くんで、一瞬にして教室の空気がギスギスとしたものになる。
「西浦くん」
みんなが向けている目は多分嫉妬の目だ。
西浦くんが東西南北騎士団という、今年から寮に入った一年生四人の恋人持ちの集団の一人だからだろう。男子校で恋人持ちは勇者とか言われるが、一年生から恋人持ちだと見る目も変わるらしい。
ちなみに西浦くんには恋人がいない。俺だけが知っている情報だ。
「西浦ああああ!! ここ二年の教室だぞ!」
「先輩、今日は一緒に食べ……っ!?」
「おい、西浦無視しやがったな!」
先ほど倒れていた右田くんが西浦の侵入を食い止めようとするが、その横を西浦くんはなんてことない顔して通り過ぎていく。しかし、俺の前まで来てカッと目を見開いたかと思うと、その場でたじろいだ。
どうしたのだろうと、彼の顔を覗けばまた頬の下を少し赤らめていた。
西浦くんとは五月のイチゴアフタヌーンティー以降も、土日に二人で食べに行っている。時々、校舎裏で食べたり、それこそ二年生の教室に来て食べたり。食事を一緒に取ることが多くなった。
西浦くんは二年生の教室に来ても、周りを気にすることなく眉間にしわを寄せながらご飯を食べている。今は少しだけ険しくない顔で食べれるようになったようだ。
「西浦くんどうしたの?」
「あ、いや……着替え中……」
「この後体育の授業だから。ごめん、今日は一緒に食べれないかも」
「そうっすか……」
「右田! まーちゃんを守れ! こいつ、まーちゃんの裸に興奮してる!」
「なあ、なんだって!?」
「ふ、二人とも」
右田くんと伊佐治くんはボディーガードのように俺と、西浦くんの間に立った。
確かに、今は制服のズボンを脱いだので下はパンツだし、上のシャツが長いため下を履いていないようにも見えるが、裸ではない。それに、別にみられたって――
そう思って西浦くんを見ると、彼は見ないようにしつつも、チラチラと俺のほうに目を向けてきていた。その目がやたら気になって、俺はサッとシャツを下に引っ張り、もう片手で胸元あたりを隠した。
(に、西浦くんがそんな顔すると、俺まで恥かしくなってくるじゃん!!)
普段、みんなと同じように教室で着替えているし、右田くんや伊佐治くんに見られてもなんともない。でも、何故か西浦くんを前にすると恥ずかしいという気持ちがこみあげてきた。
西浦くんは、その間にも二人に背中を押され「帰った、帰った」と教室から締め出されてしまった。
俺は、その間にサッと体操ズボンを履いて呼吸を整わせた。
(何でだろ……西浦くんは俺の仲のいい後輩なはずなのに)
変に意識してしまうのは何故だろうか。
火照ってしまった頬に手を当て、きゅっと唇を強く噛み締めた。
◇◇◇
消えかけの白線の上を走りながら、昼に食べたものが腹の中で揺らされる感覚に顔をしかめる。
降り注ぐ真昼の太陽は熱くて、持ってきた二リットルの水筒もこの体育の授業で三分の二は飲み干してしまう。
「間中、いつの間に西浦のこと手懐けたの?」
「西浦くんは犬じゃないよ」
「いや、まあ、そーだけど」
「ほら、まーちゃんにやたら懐いてんなって。あいつ、後輩のくせによく一人で先輩の教室これるよな」
俺と並走している右田くんと伊佐治くんは口々にそんなことを言う。
一緒にご飯に行くうちに仲良くなった、と口が滑りそうになったが、西浦くんが甘党なのは二人の秘密なので必死に口を縫い付ける。
「昼ご飯一緒に食べてるからかな。一緒にご飯を食べたら仲良くなれる!」
「まーちゃんは、それで世界中の人と仲良くなれそうだよなー」
「ここは憎たらしいけど、完全伊佐治に同意」
うんうん、なんて二人は頷くがそれでも西浦くんのことはあまり気に入らない様子だった。何がそんなに気に食わないのかさっぱりわからない。
「てか、西浦は昼休み以外はいつもの寮メンバーといるじゃん」
「やっぱ、放課後はデートとかしてんのかなー羨まし~」
間中は知らない? と、何故か俺に質問が飛んでくる。そういえば、西浦くんが寮生と一緒にいるところはあれ以来見ていない気もする。
本人は仲がいいと言っていたが、休日に俺と食べに行くときは一緒じゃないし、呼ばないとも言っていた。まあ、他の三人には恋人がいるらしいので西浦くんも気を使っているのかもしれない。
(西浦くんのこと、もっと知りたいな)
最近は休日のお食事会と合わせてカラオケや、ボーリングも行く。けど、今後ももっといろんなところに行って、思い出を作って、たくさん美味しいものを食べたい。
そんなことを考えながら、知らないと首を横に振る。二人は「そっか……なんか弱みを握れたらよかったんだけどな」と下世話なことを言っていた。
グラウンドのトラックを走り終わり、三人で体操をする。
今月からの体育の授業はソフトボールになった。ちなみに、チームは二人と一緒だ。
右田くんはすでに学校の備品であるバットを振り回して「ケツに挟んだらケツバットだな」と笑って、伊佐治くんに頭を殴られていた。
そうこうしているうちに授業が始まり、俺は伊佐治くんとウォーミングアップでキャッチボールをすることになった。ちなみに右田くんは、伊佐治くんにじゃんけんで負けて先生とやっている。
「まーちゃん、ほんとに西浦と何もないの?」
「何もないって、何が?」
ポーンと飛んでくるボールをパシュッとキャッチする。
「ほら、まーちゃんさ。西浦といるときと、俺たちといるときとなんか雰囲気違うじゃん」
「先輩だから、後輩に優しくって」
「いやいや、そうじゃなくって。すげえ楽しそう」
「二人といるときも楽しいよ」
「じゃあ、あれか。恋?」
伊佐治くんがそう言いながら飛ばしたボールは、変な方向に行ってしまった。ごめん、と伊佐治くんは言って俺が取りに行かなきゃいけないボールを追いかける。
(恋……?)
伊佐治くんが返ってくる間、傷だらけのグローブを見て、西浦の顔を思い浮かべてみる。
すると、胸がきゅっとなるのを感じる。
戻ってきた伊佐治くんは「そんなわけないかー」と謝った。だが、存外外れてはいないような気もする。
(いやいや、でも、俺と西浦くんは先輩後輩だし)
西浦くんはかっこいいけど、かっこいいって憧れとかの意味だし。
いろいろと理由をつけてみるがどれもしっくりこなかった。確かに、どこか惹かれる部分はあり、西浦くんの前では頬が緩むような気もするのだ。
キャッチボールが終わり、俺たちはチームに分かれる。試合が始まれば、みんな目をぎらつかせる。真剣勝負だ。
俺もみんなで熱くなれる体育の授業が好きだ。
(けど――)
しかし、俺の番になると守備範囲がグッと狭まる。外野もなるべく前に来て守備を固める。どうやら、俺は打てないと思われているらしい。
バッターボックスに立ち、少し重いバットを握る。次の打者である右田くんが「かっ飛ばせー!!」と応援してくれている。
投手が少し強いボールを投げた。俺はそのボールを見定める。
(俺だって普通の男だし。かっこいい所見せたいし)
例えば、西浦くんに――
ボールが当たると、一気にバッドを握る手に重みが増す。だが、踏ん張りを聞かせてフルスイングで迎え撃つ。
カキン――ッ!! と、気持ちのいい音とともに白いボールが天高く飛んでいく。
「うおおおおおおお!! 間中すげえ! ホームランじゃん!」
打ち終わったころには、バットは手から離れていた。汗が頬を伝って落ちていく。
(俺、すご……)
過去一飛んで行ったボールを眺めながら、塁に走らなきゃと踏み出した。
◇◇◇
ホームランを二本打った。今日は、今までで一番調子がよかった日だ。
(……けど、なんかふらふらするな)
頑張ったからなのか、先ほどから水を飲んでも頭がぼーっとしていた。
「間中すっごい活躍だったな!! みんな、こーんなふうに口開けてみてたぜ」
後ろから肩を組んできた右田くんは、顎が外れるんじゃないかと思うくらい口を開けて見せた。そんな微々たる振動にも頭がガンガンと痛む。
俺はそんな右田くんに反応を返すことができなかった。愛想笑いをへらへらと浮かべて「そーだね」と消えそうな声で返す。
(早く着替えて椅子に座りたい……)
みんなはまだピンピンとしているのに、俺はまったく体力が残っていなかった。情けない気持ちと、でも頑張ったんだからいいよねと言う気持ちが交互に来る。
そんなことを思いながら、グラウンドから下駄箱へ続く坂を歩いていると、下のほうからぞろぞろと次の授業を受けるクラスの生徒たちがやってくる。
「間中先輩?」
そこで、聞き慣れた声にハッとふらふらしていた意識がクリアになる。
坂の下を見れば、西浦くんと前に見た東田くん。その他にも多分彼と同室の一年生が四人で固まっていた。
「あ、いつぞやのかわいい先輩じゃん」
「……東田、間中先輩だ」
「いや、だって俺名前知んねーもん」
西浦くんもまた東田くんに肩を組まれていた。西浦くんは終始嫌そうにしていたが、俺のほうを見ると小さく手を振る。
西浦くんが他の人と一緒にいるところは初めて見た気がする。
俺は、西浦くんに挨拶を返そうと思い口を開いたが、それよりも早く西浦くんがこちらへぐんぐんと向かって歩いてくる。
「西浦くんどうしたの?」
「先輩、保健室いきましょう」
「え?」
手を握るなりそう言った西浦くんの眼は本気だった。俺を心配してか、また眉間にしわが寄っている。
保健室なんて大袈裟な、と思ったし、右田くんも伊佐治くんも「間中体調おかしいの?」と聞いてくる。大丈夫だよと言って、手を振りほどこうとしたが、西浦くんは首を横に振った。
「先輩、顔真っ赤です」
「体育終わりだからじゃない?」
「頭フワフワしてるんじゃないですか。危険ですよ」
ギュッと力強く握られれば、鈍い痛みが手首に走る。
西浦くんから見てわかるくらい体調が悪かったのか。彼に言われても、未だに信じられず、掴まれていないほうの手で頬に当てる。確かに、少し暑い気がする。水を大量に飲んだのに、身体が水分を求めている気がした。動悸もなんだか激しい。
「じゃあ俺が連れてく。まーちゃんと同じクラスだし――」
「俺が連れてきます。先輩たち、間中先輩が体調悪いの気づいていなかったでしょう」
西浦くんは、伊佐治くんと右田くんにビシッと冷たく言うと「失礼します」なんて言って俺を抱き上げた。いわゆるお姫様抱っこだ。
「に、西浦くん、いいよ、歩ける」
「保健室までちょっと距離あります」
「数十メートルだよ」
みんなもなんだなんだ、と言って俺たちを見ている。そんな視線が恥ずかしくて、彼の腕の中で体を小さくした。
「西浦、なーに必死になってんの」
「東田、先生に遅れるって伝えてくれ」
「俺、西浦の伝言係じゃねえぞ? って、おい……聞いてねえし」
東田くんに何か伝えた西浦くんは、俺をお姫様抱っこしたまま坂を下りた。
そして、あっという間に保健室に連れていき、保健室のグラウンドから入れるほうの扉を叩いた。養護教諭が「扉が壊れちゃうでしょうが」と怒りながら出てくると、俺と西浦くんの姿を見て目を丸くした。やはり、お姫さまだっこは考えても目に付く。
「先生、先輩熱中症みたいで」
西浦くんは俺の状況を伝え、雑に靴を脱ぎながら保健室の中に入る。そして使われていないベッドのカーテンをシャッと引っ張り、ベッドサイドに下ろすと靴を脱がせてくれる。俺は、そこで自分で靴を脱げないくらい息が上がっていることに気づいた。
「あ、ありがと、西浦くん」
「いいえ。先輩、最近暑いので気を付けてください」
「う、うん。西浦くんも」
手にそっと触れた彼の指先は少し冷たかった。
ほどなくして西浦くんは保健室を出ていき、俺は放課後までベッドで休んでいるようにと養護教諭に言われた。
白いシーツにベッド。天井には黒いカビがぽつぽつとある。
そんな天井を見つめながら、ベッドのシーツを指先できゅっと引っ張った。
(ヒーローみたいだったな……)
すぐに駆けつけて、恥かしかったけどお姫様抱っこされて。
そんな彼の顔を思い出していると、突然睡魔が襲ってきたが、まだ心臓はドクンドクンといっていた。西浦くんのことを考えるといつもそうだ。
(西浦くんにはありがとうってお礼言わなきゃ)
そのためにはまずは、体調を回復することだ。俺は放課後までに体調を全快させようと、強く目を閉じた。
◇◇◇
「――……です」
「ん……」
誰かが何かを言っている気がした。それに、右手が熱い――
重たい眼を開くころには、すっかり真っ白だった保健室は夕焼け色に染まってた。
(どれくらい寝ていたんだろ……)
もしかしたら帰りのチャイムが鳴っているかもしれない、なんて体を起こそうとすると、俺の傍らでビクッ!! と何かが大きくはねる。
「に、西浦くん?」
「ま……間中先輩、起きたんですか?」
俺の声を聴くと、彼は慌てて立ち上がった。何やら驚いている様子で、また顔を染めている。
彼の足元には、はリュックサックが二つあり、一つは俺のだった。
「西浦くん、授業は終わった?」
「はい。もう少しで部活も終わる時間ですかね」
「……荷物も、ありがとう」
まだ起きたばかりで頭がポヤポヤしている。でも、昼間の息苦しさやだるさといったものはすっかりと抜けていた。それもこれも、あの時西浦くんが気付いてくれたからだ。
何からお礼を言ったものかと考えて西浦くんのほうを見る。
頼られる先輩でいたいという淡い思いは、今回の自己管理能力の低さでパラパラと崩れていく。西浦くんのほうがよっぽどかっこよくて素敵だ。
「ごめんね、かっこ悪い所見せちゃった」
「そんなことないですよ」
だって、と言うと西浦くんはまた口元を大きな手で覆い隠す。
「あの、先輩の友だちの声が大きいほう」
「右田くんのこと、かな?」
「多分……その人が、先輩がホームラン打ったとき叫んでたの聞いてました。すごくいい音でした。しかも、二回。俺、ソフトボール苦手なんで、先輩かっこいいと思いましたよ」
西浦くんはそう言ってギュッと目を閉じる。何故か恥ずかしそうにしていたのが不思議だったが、確かに右田君の声は良く響くと納得した。また、それを西浦くんはちゃんと聞いていたんだと。
(俺のことかっこいいって)
「西浦くんは何が得意なの?」
「俺ですか? 水泳、とか。スキーとか。体力には自信があるんですけど、球技はそこまで得意じゃないです」
「そうなんだ。西浦くんが泳いでいるところ見たいかも」
「いや、面白くないですよ」
頬をポリポリとかき、まんざらでもなさそうな顔をする。
「先輩はかっこ悪くないですよ。それに、体調不良になることは俺でもあります」
「後輩である君に言われるまで気づけなかったから」
「周りも気付いてませんでした。俺だけが気付きました。俺だけがちゃんと先輩のこと見てます」
西浦くん? と俺が言うと、彼は前のめりになり、再び俺の手を取った。先ほどは冷たく感じた彼の手のひらが、今度は火傷するくらい熱い。少しじんわりと汗がにじんだ手は、やっぱり骨ばっていて、大きくて男らしい。
「先輩は十分かっこいいです。俺は、どっちかって言うと、図体の割に臆病なところあるので。先輩は、初めて俺に付き合ってくれたとき、かっこいいこと言ってくれましたし。俺の中で先輩はすっげえかっこいいです」
「そ、そうかな」
「……あと、怒られるかもしれないんですけど。かっこよくて、すごくかわいいです」
ごめんなさい、と付け加えて西浦くんは顔を染めた。
普段、かわいいとか、守ってあげなきゃとか言われるのは、もやっとする。なのに西浦くんの言葉はストレートに胸に刺さった。
何かが違う、と俺は薄々感じ始めていた。
夕日に照らされて少し暗くなっている彼の顔。影が落ちると顔の輪郭やしゅっとした鼻がよりいっそ際立って絵画のようだ。
「――西浦くん、ありがとう」
「いや、俺は当然のことをしたまでというか。先輩がつらそうなのを見て見ぬ振りできなかったというか」
「あ、ああ、それもなんだけど。俺のこと大切にしてくれて。西浦くんなら、かわいいって言われても嫌じゃないかも。西浦くんもかわいいし」
「そんなこと初めていわれました」
「なんか、大型犬みたいで」
「…………犬じゃなくて、一人の男として見てほしいです」
「西浦くん?」
彼の表情は固まっていた。そして、少しだけ悔しそうな、不満の滲む顔をしている。
「……っ、先輩。荷物俺が途中まで持ってきます」
「いいよ。そこまでしてもらわなくても」
「俺が持って行きたいんです。少しでも、先輩と長く一緒にいたい」
珍しく飛び出した力強い言葉に、俺は瞬きする。西浦くんの顔を覗き込もうとすれば、夕日に照らされた彼の顔がさらに真っ赤になっていた。
「西浦くんも熱中症?」
「……いえ、体育の授業で日焼けしただけです。今顔、あんま見ないでください」
「せっかくいい顔してるのに」
「よくないです」
西浦くんはそう言って両手で顔を隠してしまった。そんな顔をするとこちらまで恥かしくなってくる。つられ照れというやつだろうか。
二人の間に漂う空気はほんのちょっとだけ上昇して暑くなってしまったのは気のせいじゃないのだろう。
梅雨の季節はあっという間に過ぎたのか、最近は暑い日が続いている。
「やっべぇ!! これ体操服のズボンじゃなくてパンツじゃん!」
「アホ右田。隣のクラスから借りて来いよ」
パンツが紛らわしい色をしてんだ! と、右田くんは手に持っていたパンツを伊佐治くんに向かって投げた。
昼休みの次の授業が体育ということもあり、俺たちの教室では早めに着替えるやつらであふれかえっている。半裸で弁当を食べている猛者もいる。靴下が教室の天井あたりをポイポイと行きかい、誰かの弁当に落ちたのか悲鳴が上がった。
今日も男子校は変わらず元気で賑わしい。
「間中ぁ……ついてきてくれよ」
「え、一人で行きなよ」
「ぐぁああっ!! その、そのさげすむ目もいい……!!」
「右田ってアホだよな。アホオブアホ」
いきなり床に突っ伏したかと思えば、右田くんはグイッと口元の涎を拭い、息を荒くしながら親指を立てた。
俺は伊佐治くんと共に冷ややかな目で見下ろし、食べる前に着替えるかとシャツのボタンを外し始める。しかし、ボタンが小さくて少し外しにくく苦戦していると、伊佐治くんが俺に手を伸ばした。
「まーちゃん、俺が外してやろっか」
「一人でできるから大丈夫だよ」
そう言ったが、伊佐治くんは「まあまあ」と言って服を掴む。そのタイミングでピシャン! と教室の扉が開いた。
一応着替え中の生徒もいるということで廊下側の扉は締めてあるのだが、窓側のカーテンは開けっ放しだし意味がない。
食べていた人も、着替えていた人もその音にびっくりして後ろ扉のほうを見る。そこに立っていたのは西浦くんで、一瞬にして教室の空気がギスギスとしたものになる。
「西浦くん」
みんなが向けている目は多分嫉妬の目だ。
西浦くんが東西南北騎士団という、今年から寮に入った一年生四人の恋人持ちの集団の一人だからだろう。男子校で恋人持ちは勇者とか言われるが、一年生から恋人持ちだと見る目も変わるらしい。
ちなみに西浦くんには恋人がいない。俺だけが知っている情報だ。
「西浦ああああ!! ここ二年の教室だぞ!」
「先輩、今日は一緒に食べ……っ!?」
「おい、西浦無視しやがったな!」
先ほど倒れていた右田くんが西浦の侵入を食い止めようとするが、その横を西浦くんはなんてことない顔して通り過ぎていく。しかし、俺の前まで来てカッと目を見開いたかと思うと、その場でたじろいだ。
どうしたのだろうと、彼の顔を覗けばまた頬の下を少し赤らめていた。
西浦くんとは五月のイチゴアフタヌーンティー以降も、土日に二人で食べに行っている。時々、校舎裏で食べたり、それこそ二年生の教室に来て食べたり。食事を一緒に取ることが多くなった。
西浦くんは二年生の教室に来ても、周りを気にすることなく眉間にしわを寄せながらご飯を食べている。今は少しだけ険しくない顔で食べれるようになったようだ。
「西浦くんどうしたの?」
「あ、いや……着替え中……」
「この後体育の授業だから。ごめん、今日は一緒に食べれないかも」
「そうっすか……」
「右田! まーちゃんを守れ! こいつ、まーちゃんの裸に興奮してる!」
「なあ、なんだって!?」
「ふ、二人とも」
右田くんと伊佐治くんはボディーガードのように俺と、西浦くんの間に立った。
確かに、今は制服のズボンを脱いだので下はパンツだし、上のシャツが長いため下を履いていないようにも見えるが、裸ではない。それに、別にみられたって――
そう思って西浦くんを見ると、彼は見ないようにしつつも、チラチラと俺のほうに目を向けてきていた。その目がやたら気になって、俺はサッとシャツを下に引っ張り、もう片手で胸元あたりを隠した。
(に、西浦くんがそんな顔すると、俺まで恥かしくなってくるじゃん!!)
普段、みんなと同じように教室で着替えているし、右田くんや伊佐治くんに見られてもなんともない。でも、何故か西浦くんを前にすると恥ずかしいという気持ちがこみあげてきた。
西浦くんは、その間にも二人に背中を押され「帰った、帰った」と教室から締め出されてしまった。
俺は、その間にサッと体操ズボンを履いて呼吸を整わせた。
(何でだろ……西浦くんは俺の仲のいい後輩なはずなのに)
変に意識してしまうのは何故だろうか。
火照ってしまった頬に手を当て、きゅっと唇を強く噛み締めた。
◇◇◇
消えかけの白線の上を走りながら、昼に食べたものが腹の中で揺らされる感覚に顔をしかめる。
降り注ぐ真昼の太陽は熱くて、持ってきた二リットルの水筒もこの体育の授業で三分の二は飲み干してしまう。
「間中、いつの間に西浦のこと手懐けたの?」
「西浦くんは犬じゃないよ」
「いや、まあ、そーだけど」
「ほら、まーちゃんにやたら懐いてんなって。あいつ、後輩のくせによく一人で先輩の教室これるよな」
俺と並走している右田くんと伊佐治くんは口々にそんなことを言う。
一緒にご飯に行くうちに仲良くなった、と口が滑りそうになったが、西浦くんが甘党なのは二人の秘密なので必死に口を縫い付ける。
「昼ご飯一緒に食べてるからかな。一緒にご飯を食べたら仲良くなれる!」
「まーちゃんは、それで世界中の人と仲良くなれそうだよなー」
「ここは憎たらしいけど、完全伊佐治に同意」
うんうん、なんて二人は頷くがそれでも西浦くんのことはあまり気に入らない様子だった。何がそんなに気に食わないのかさっぱりわからない。
「てか、西浦は昼休み以外はいつもの寮メンバーといるじゃん」
「やっぱ、放課後はデートとかしてんのかなー羨まし~」
間中は知らない? と、何故か俺に質問が飛んでくる。そういえば、西浦くんが寮生と一緒にいるところはあれ以来見ていない気もする。
本人は仲がいいと言っていたが、休日に俺と食べに行くときは一緒じゃないし、呼ばないとも言っていた。まあ、他の三人には恋人がいるらしいので西浦くんも気を使っているのかもしれない。
(西浦くんのこと、もっと知りたいな)
最近は休日のお食事会と合わせてカラオケや、ボーリングも行く。けど、今後ももっといろんなところに行って、思い出を作って、たくさん美味しいものを食べたい。
そんなことを考えながら、知らないと首を横に振る。二人は「そっか……なんか弱みを握れたらよかったんだけどな」と下世話なことを言っていた。
グラウンドのトラックを走り終わり、三人で体操をする。
今月からの体育の授業はソフトボールになった。ちなみに、チームは二人と一緒だ。
右田くんはすでに学校の備品であるバットを振り回して「ケツに挟んだらケツバットだな」と笑って、伊佐治くんに頭を殴られていた。
そうこうしているうちに授業が始まり、俺は伊佐治くんとウォーミングアップでキャッチボールをすることになった。ちなみに右田くんは、伊佐治くんにじゃんけんで負けて先生とやっている。
「まーちゃん、ほんとに西浦と何もないの?」
「何もないって、何が?」
ポーンと飛んでくるボールをパシュッとキャッチする。
「ほら、まーちゃんさ。西浦といるときと、俺たちといるときとなんか雰囲気違うじゃん」
「先輩だから、後輩に優しくって」
「いやいや、そうじゃなくって。すげえ楽しそう」
「二人といるときも楽しいよ」
「じゃあ、あれか。恋?」
伊佐治くんがそう言いながら飛ばしたボールは、変な方向に行ってしまった。ごめん、と伊佐治くんは言って俺が取りに行かなきゃいけないボールを追いかける。
(恋……?)
伊佐治くんが返ってくる間、傷だらけのグローブを見て、西浦の顔を思い浮かべてみる。
すると、胸がきゅっとなるのを感じる。
戻ってきた伊佐治くんは「そんなわけないかー」と謝った。だが、存外外れてはいないような気もする。
(いやいや、でも、俺と西浦くんは先輩後輩だし)
西浦くんはかっこいいけど、かっこいいって憧れとかの意味だし。
いろいろと理由をつけてみるがどれもしっくりこなかった。確かに、どこか惹かれる部分はあり、西浦くんの前では頬が緩むような気もするのだ。
キャッチボールが終わり、俺たちはチームに分かれる。試合が始まれば、みんな目をぎらつかせる。真剣勝負だ。
俺もみんなで熱くなれる体育の授業が好きだ。
(けど――)
しかし、俺の番になると守備範囲がグッと狭まる。外野もなるべく前に来て守備を固める。どうやら、俺は打てないと思われているらしい。
バッターボックスに立ち、少し重いバットを握る。次の打者である右田くんが「かっ飛ばせー!!」と応援してくれている。
投手が少し強いボールを投げた。俺はそのボールを見定める。
(俺だって普通の男だし。かっこいい所見せたいし)
例えば、西浦くんに――
ボールが当たると、一気にバッドを握る手に重みが増す。だが、踏ん張りを聞かせてフルスイングで迎え撃つ。
カキン――ッ!! と、気持ちのいい音とともに白いボールが天高く飛んでいく。
「うおおおおおおお!! 間中すげえ! ホームランじゃん!」
打ち終わったころには、バットは手から離れていた。汗が頬を伝って落ちていく。
(俺、すご……)
過去一飛んで行ったボールを眺めながら、塁に走らなきゃと踏み出した。
◇◇◇
ホームランを二本打った。今日は、今までで一番調子がよかった日だ。
(……けど、なんかふらふらするな)
頑張ったからなのか、先ほどから水を飲んでも頭がぼーっとしていた。
「間中すっごい活躍だったな!! みんな、こーんなふうに口開けてみてたぜ」
後ろから肩を組んできた右田くんは、顎が外れるんじゃないかと思うくらい口を開けて見せた。そんな微々たる振動にも頭がガンガンと痛む。
俺はそんな右田くんに反応を返すことができなかった。愛想笑いをへらへらと浮かべて「そーだね」と消えそうな声で返す。
(早く着替えて椅子に座りたい……)
みんなはまだピンピンとしているのに、俺はまったく体力が残っていなかった。情けない気持ちと、でも頑張ったんだからいいよねと言う気持ちが交互に来る。
そんなことを思いながら、グラウンドから下駄箱へ続く坂を歩いていると、下のほうからぞろぞろと次の授業を受けるクラスの生徒たちがやってくる。
「間中先輩?」
そこで、聞き慣れた声にハッとふらふらしていた意識がクリアになる。
坂の下を見れば、西浦くんと前に見た東田くん。その他にも多分彼と同室の一年生が四人で固まっていた。
「あ、いつぞやのかわいい先輩じゃん」
「……東田、間中先輩だ」
「いや、だって俺名前知んねーもん」
西浦くんもまた東田くんに肩を組まれていた。西浦くんは終始嫌そうにしていたが、俺のほうを見ると小さく手を振る。
西浦くんが他の人と一緒にいるところは初めて見た気がする。
俺は、西浦くんに挨拶を返そうと思い口を開いたが、それよりも早く西浦くんがこちらへぐんぐんと向かって歩いてくる。
「西浦くんどうしたの?」
「先輩、保健室いきましょう」
「え?」
手を握るなりそう言った西浦くんの眼は本気だった。俺を心配してか、また眉間にしわが寄っている。
保健室なんて大袈裟な、と思ったし、右田くんも伊佐治くんも「間中体調おかしいの?」と聞いてくる。大丈夫だよと言って、手を振りほどこうとしたが、西浦くんは首を横に振った。
「先輩、顔真っ赤です」
「体育終わりだからじゃない?」
「頭フワフワしてるんじゃないですか。危険ですよ」
ギュッと力強く握られれば、鈍い痛みが手首に走る。
西浦くんから見てわかるくらい体調が悪かったのか。彼に言われても、未だに信じられず、掴まれていないほうの手で頬に当てる。確かに、少し暑い気がする。水を大量に飲んだのに、身体が水分を求めている気がした。動悸もなんだか激しい。
「じゃあ俺が連れてく。まーちゃんと同じクラスだし――」
「俺が連れてきます。先輩たち、間中先輩が体調悪いの気づいていなかったでしょう」
西浦くんは、伊佐治くんと右田くんにビシッと冷たく言うと「失礼します」なんて言って俺を抱き上げた。いわゆるお姫様抱っこだ。
「に、西浦くん、いいよ、歩ける」
「保健室までちょっと距離あります」
「数十メートルだよ」
みんなもなんだなんだ、と言って俺たちを見ている。そんな視線が恥ずかしくて、彼の腕の中で体を小さくした。
「西浦、なーに必死になってんの」
「東田、先生に遅れるって伝えてくれ」
「俺、西浦の伝言係じゃねえぞ? って、おい……聞いてねえし」
東田くんに何か伝えた西浦くんは、俺をお姫様抱っこしたまま坂を下りた。
そして、あっという間に保健室に連れていき、保健室のグラウンドから入れるほうの扉を叩いた。養護教諭が「扉が壊れちゃうでしょうが」と怒りながら出てくると、俺と西浦くんの姿を見て目を丸くした。やはり、お姫さまだっこは考えても目に付く。
「先生、先輩熱中症みたいで」
西浦くんは俺の状況を伝え、雑に靴を脱ぎながら保健室の中に入る。そして使われていないベッドのカーテンをシャッと引っ張り、ベッドサイドに下ろすと靴を脱がせてくれる。俺は、そこで自分で靴を脱げないくらい息が上がっていることに気づいた。
「あ、ありがと、西浦くん」
「いいえ。先輩、最近暑いので気を付けてください」
「う、うん。西浦くんも」
手にそっと触れた彼の指先は少し冷たかった。
ほどなくして西浦くんは保健室を出ていき、俺は放課後までベッドで休んでいるようにと養護教諭に言われた。
白いシーツにベッド。天井には黒いカビがぽつぽつとある。
そんな天井を見つめながら、ベッドのシーツを指先できゅっと引っ張った。
(ヒーローみたいだったな……)
すぐに駆けつけて、恥かしかったけどお姫様抱っこされて。
そんな彼の顔を思い出していると、突然睡魔が襲ってきたが、まだ心臓はドクンドクンといっていた。西浦くんのことを考えるといつもそうだ。
(西浦くんにはありがとうってお礼言わなきゃ)
そのためにはまずは、体調を回復することだ。俺は放課後までに体調を全快させようと、強く目を閉じた。
◇◇◇
「――……です」
「ん……」
誰かが何かを言っている気がした。それに、右手が熱い――
重たい眼を開くころには、すっかり真っ白だった保健室は夕焼け色に染まってた。
(どれくらい寝ていたんだろ……)
もしかしたら帰りのチャイムが鳴っているかもしれない、なんて体を起こそうとすると、俺の傍らでビクッ!! と何かが大きくはねる。
「に、西浦くん?」
「ま……間中先輩、起きたんですか?」
俺の声を聴くと、彼は慌てて立ち上がった。何やら驚いている様子で、また顔を染めている。
彼の足元には、はリュックサックが二つあり、一つは俺のだった。
「西浦くん、授業は終わった?」
「はい。もう少しで部活も終わる時間ですかね」
「……荷物も、ありがとう」
まだ起きたばかりで頭がポヤポヤしている。でも、昼間の息苦しさやだるさといったものはすっかりと抜けていた。それもこれも、あの時西浦くんが気付いてくれたからだ。
何からお礼を言ったものかと考えて西浦くんのほうを見る。
頼られる先輩でいたいという淡い思いは、今回の自己管理能力の低さでパラパラと崩れていく。西浦くんのほうがよっぽどかっこよくて素敵だ。
「ごめんね、かっこ悪い所見せちゃった」
「そんなことないですよ」
だって、と言うと西浦くんはまた口元を大きな手で覆い隠す。
「あの、先輩の友だちの声が大きいほう」
「右田くんのこと、かな?」
「多分……その人が、先輩がホームラン打ったとき叫んでたの聞いてました。すごくいい音でした。しかも、二回。俺、ソフトボール苦手なんで、先輩かっこいいと思いましたよ」
西浦くんはそう言ってギュッと目を閉じる。何故か恥ずかしそうにしていたのが不思議だったが、確かに右田君の声は良く響くと納得した。また、それを西浦くんはちゃんと聞いていたんだと。
(俺のことかっこいいって)
「西浦くんは何が得意なの?」
「俺ですか? 水泳、とか。スキーとか。体力には自信があるんですけど、球技はそこまで得意じゃないです」
「そうなんだ。西浦くんが泳いでいるところ見たいかも」
「いや、面白くないですよ」
頬をポリポリとかき、まんざらでもなさそうな顔をする。
「先輩はかっこ悪くないですよ。それに、体調不良になることは俺でもあります」
「後輩である君に言われるまで気づけなかったから」
「周りも気付いてませんでした。俺だけが気付きました。俺だけがちゃんと先輩のこと見てます」
西浦くん? と俺が言うと、彼は前のめりになり、再び俺の手を取った。先ほどは冷たく感じた彼の手のひらが、今度は火傷するくらい熱い。少しじんわりと汗がにじんだ手は、やっぱり骨ばっていて、大きくて男らしい。
「先輩は十分かっこいいです。俺は、どっちかって言うと、図体の割に臆病なところあるので。先輩は、初めて俺に付き合ってくれたとき、かっこいいこと言ってくれましたし。俺の中で先輩はすっげえかっこいいです」
「そ、そうかな」
「……あと、怒られるかもしれないんですけど。かっこよくて、すごくかわいいです」
ごめんなさい、と付け加えて西浦くんは顔を染めた。
普段、かわいいとか、守ってあげなきゃとか言われるのは、もやっとする。なのに西浦くんの言葉はストレートに胸に刺さった。
何かが違う、と俺は薄々感じ始めていた。
夕日に照らされて少し暗くなっている彼の顔。影が落ちると顔の輪郭やしゅっとした鼻がよりいっそ際立って絵画のようだ。
「――西浦くん、ありがとう」
「いや、俺は当然のことをしたまでというか。先輩がつらそうなのを見て見ぬ振りできなかったというか」
「あ、ああ、それもなんだけど。俺のこと大切にしてくれて。西浦くんなら、かわいいって言われても嫌じゃないかも。西浦くんもかわいいし」
「そんなこと初めていわれました」
「なんか、大型犬みたいで」
「…………犬じゃなくて、一人の男として見てほしいです」
「西浦くん?」
彼の表情は固まっていた。そして、少しだけ悔しそうな、不満の滲む顔をしている。
「……っ、先輩。荷物俺が途中まで持ってきます」
「いいよ。そこまでしてもらわなくても」
「俺が持って行きたいんです。少しでも、先輩と長く一緒にいたい」
珍しく飛び出した力強い言葉に、俺は瞬きする。西浦くんの顔を覗き込もうとすれば、夕日に照らされた彼の顔がさらに真っ赤になっていた。
「西浦くんも熱中症?」
「……いえ、体育の授業で日焼けしただけです。今顔、あんま見ないでください」
「せっかくいい顔してるのに」
「よくないです」
西浦くんはそう言って両手で顔を隠してしまった。そんな顔をするとこちらまで恥かしくなってくる。つられ照れというやつだろうか。
二人の間に漂う空気はほんのちょっとだけ上昇して暑くなってしまったのは気のせいじゃないのだろう。



