四時間目の終わりを告げるチャイムが鳴った。
「はあ~つっかれた。飯!」
大きなお弁当箱を持って、俺のもとへふらふらとやってきた右田くんはその場にへたり込んだ。先ほどから異様な腹の音が聴こえており、彼の限界を感じさせる。
「お疲れ、まーちゃん。俺も相席いい?」
「うん。いいよ。伊佐治くん」
伊佐治くんは、近くにあった机を二つほどくっつけてお弁当箱を広げ始める。
この間のパン争奪戦から一週間ほどが経った。季節は五月に入り、ちょうどゴールデンウィークを過ぎたあたりだ。
俺も机の上に保冷バックを置いて中から中身を取り出そうとする。だが、直後教室の中がざわざわとし始めたので手を止める。
(なんだろう)
そう思ってふと教室の出入り口を見ると、見慣れた後輩が一人立っていた。その手にはあのくまちゃんパンが握られている。
(え、西浦くん?)
そこにいたのは西浦くんで、彼は教室を見渡したのち俺を見つけるとパチパチと目を瞬かせた。それから、何の迷いもなくこちらに近づいてくる。
「ゲッ、西浦じゃん。俺らのクラスに何の用だよ」
「なんかあいつ、目ぇ怖くねえ? ま、まさか、まーちゃん狙い!?」
「二人とも警戒しすぎだよ。彼は俺たちの後輩なんだから、そんな言い方――」
右田くんと伊佐治くんが言いたい放題死はじめた。まあまあと宥めようとすると、ふと「先輩」と低い声が上から降ってきたので顔をあげる。するとそこには俺を見下ろす怖い顔をした西浦くんがいた。
「あ、西浦くん。お久しぶり」
「お久しぶりです。先輩」
「えっと、西浦くん。ここに年生の教室だよ。何か用でもあった?」
俺がそう言うと「そーだ、そーだ」と二人がヤジを飛ばす。しかし、西浦くんに睨まれたのかすぐに静かになった。
二人とも何をやっているんだろう、と呆れながら彼に視線を戻す。西浦くんは何か言いたげに見つめてくる。ジトッとした黒目はやはり少し怖い。
何かしただろうかと思っていると。いきなり俺の目の前に「くまちゃんパン手に入れました」とあのパンを差し出した。
「す、すごい。争奪戦まだ始まったばかりじゃない?」
「今日は、俺のクラス早く終わったんで……その、よければ先輩、一緒に食べませんか」
「一緒に食べませんか?」
繰り返すと、こくこくと彼は頷く。
聞き間違いだと思ったが、どうやら本気らしい。
(何で俺と?)
西浦くんは友だちもいるはずだし、何より俺と食べる理由も分からない。
嬉しいけど、困惑が勝り頭がぐるぐると回りだす。すると、先ほど睨まれて静かになっていた右田くんが立ち上がった。
「間中と食べたいなら、俺たち倒してから行けよ! ここ、先輩の教室だぞ!」
「だから何ですか」
「ぐはっ!!」
「右田撃沈早すぎるだろ」
しかし、秒で西浦くんに論破され再び口を閉じた。
「先輩、一緒に昼飯どうですか」
「うん、分かった。でも、ここだと目立つし。君も先輩の教室で食べるのはちょっと気まずいでしょ? 場所変えようよ」
「俺はここでもいいですけど。できれば、先輩と二人きりがいいです」
西浦くんは、右田くんと伊佐治くんを見てそういった。やっぱり、シャイなのだろうか。
二人きりというのも、それこそちょっと気まずいんじゃないかと思った。だが、西浦くんから提案してくれたので断るわけにはいかないと「分かった」と返答する。それから、保冷バックを持って立ち上がり、場所を移動することにした。
「まーちゃん本当にいくの?」
「うん。せっかく後輩から誘われたんだもん。行くよ」
「……いや、まーちゃん気をつけなよ。なんか、西浦怖いし」
「怖くなんてないよ? それに、そんなこと言うの失礼だよ」
「はい、すんませんでした」
伊佐治くんも、しょもしょもと萎れて口を閉ざしてしまった。強く言ったつもりはなかったのだが、どうやら効いたらしい。
そんな二人に対し申し訳なく思いつつも、先ほどからずっと突き刺さる西浦くんの視線が痛かったので、とりあえず場所を移すことにした。
「それじゃあ、西浦くんいこっか」
俺は干からびてしまっている二人を横目に、西浦くんを連れて教室から出た。
◇◇◇
「てっきり、学食とか中庭のほうに行くと思ってました」
「その二つの場所は、校内で人気スポットだから今からいっても席ないと思うよ」
「そうなんですか。今後参考にします」
俺は、西浦くんと校舎裏に来ていた。
そこは、すでに花が散って、緑の葉をつけている大きな桜の木がある隠れスポットだ。
ここなら人はいないし、何より風通しと、木漏れ日のカーテンが美しい。お弁当を食べるのにぴったりな、お気に入りの場所だ。
俺は、校舎のコンクリート壁に背を預けその場に腰を下ろす。
西浦くんも同じように腰を下ろそうとして、目の前の石に目をやった。そして、それを退かしたいのか手を伸ばしたので「ダメ」と止めに入る。
「西浦くん、その石移動させちゃダメ」
「何でですか?」
「ダンゴムシがいるから」
「ダ、ダンゴムシ?」
「西浦くん、ダンゴムシ知らない?」
俺が訊ねると、西浦くんは「いや、知ってますけど」と何とも言えない表情でいう。
その石の裏には大量のダンゴムシがいるだろうと伝え、こっち側なら安全と俺の右側をポンポンと叩く。西浦くんは、俺のほうへやってきてゆっくりと腰を下ろし、それからまた石のほうに目をやった。
「何でダンゴムシいること知ってるんですか」
「入学したてのとき、校舎探検の時間に石をひっくり返したことがあったんだ。そのとき、びっしりダンゴムシがいたから」
「……聞かなかったことにします」
「西浦くん、虫苦手? カブトムシとかは?」
「あまり得意じゃないかもです」
つい変なことを聞いてしまったが、西浦くんが顔色を悪くしたのでそれ以上追及するのはやめた。
(うん、会話って難しいな)
右田くんや伊佐治くんは、虫の話をしたら喜んでくれるが西浦くんはそうじゃないらしい。
俺は、保冷バックの中に入っていたおしぼりで手を拭きながら次の会話を考える。
まず、何で西浦くんは誘ってくれたのだろうか。
「西浦くん」
「先輩」
「あ、西浦くん。先いいよ」
「先輩が先言ってください……いや、やっぱり俺からいいですか?」
「うん。いいよ」
会話のリズムはやはりぎこちなかったが、彼の気遣いを感じることはできた。
西浦くんは、くまちゃんパンの袋の端を弄りながら時々俺のほうを見る。
「先輩の名前教えてください」
「俺の?」
「はい。あの日聞き忘れちゃったんで」
そういえば、俺は皆が『西浦』と言っていたから、彼の苗字は知っていたが、名前は知らなかったなと思い出す。
「俺は、間中真緒。西浦くんの下の名前はなんていうの?」
「澪、西浦澪って言います。間中先輩の呼びやすいように呼んでください」
「じゃあ、そのまま呼ぶね。西浦くん、今度は俺の番でいい? 何で、俺をお昼ご飯に誘ってくれたの?」
その質問に、彼は大きな肩をビクッと動かした。
そして、大きな身体をギュッと丸め、膝に顔を押し当てたのちこちらをちらっと見る。その頬はちょっと赤く染まっていた。
「……かわいくて」
「なんて?」
「この間、先輩にパンあげたじゃないですか。そのとき、先輩がすごくおいしそうに食べてるの見て、いいなって思って」
「う、うん」
「また、近くで先輩が美味しそうに食べる姿見たかったので昼、誘いました。なんか、気持ち悪くてすんません」
西浦くんはそう言うと、また顔を膝に押し当ててしまった。
(た、食べ方褒められたのは初めてかも)
でも、嫌な気はしなかった。
俺は、美味しいものを食べるとすぐに顔に出てしまう自覚はあったが、それを褒められたのは初めてだった。
「西浦くん!」
「何ですか、間中先輩」
「俺も、君にお礼が言いたいと思ってたんだ。ちょっと待ってね」
西浦くんに待ってもらいながら保冷バックから弁当箱を取り出す。それから、マイ箸を出して弁当箱の蓋をとりおひたしをスッと持ち上げた。
「何ですかそれ」
「お礼の春菊のおひたし」
「しゅん、ぎく……あの苦いやつですか」
「苦くないよ。これ、俺の手作りだし。おばあちゃんの秘伝のレシピで作ったから苦みが抑えてあって美味しい!」
「ほら」と差し出せば、少し困ったような表情で春菊のおひたしとにらみ合う。
だが、覚悟を決めたようにパクっとおひたしを口に含み、ゆっくりと咀嚼する。
「……ほんとだ、苦くない。美味しいです」
「でしょ? って、お礼に春菊って、ダメ、だったかな?」
くまちゃんパンの耳と春菊のおひたしが同等の価値を持つかわからなかった。でも、あの日のお礼をしたかったのは本当だ。
あわあわと目を泳がせていれば、西浦くんがもう一度「美味しかったです」と言ってくれる。彼の顔を見れば、すごく幸せそうでなんだかホッとしてしまった。
「先輩料理できるんですね。尊敬します」
「あ、ありがとう。春菊おひたし美味しいよね。うん。おばあちゃんのレシピは、おばあちゃんのお母さんから教えてもらったらしくて。でも、今アレンジして白ダシ使って……」
褒められたのが嬉しくてついつい話してしまったが、途中でハッと我に返る。
恥ずかしくなって西浦くんのほうを見て見るが、やっぱり彼は俺の話を真剣に聞いてくれていた。右田くんや伊佐治くんにこの話をしても「すげー」、「でも渋い」と言われて終わりだ。別に誉めてほしいわけじゃないけど、春菊のおひたしは俺の自慢の一品だったから、進めても食べてもらえなかったのは悲しかった。
彼が俺の春菊のおひたしを食べてくれた第一号だ。
「先輩って、食に一生懸命ですよね」
西浦くんは、くまちゃんパンの耳をちぎりながら言う。それから、ちぎったくまちゃんパンの耳を弁当箱の蓋の上に乗せてくれた。
「変かな」
「変じゃありません。むしろすごくいいなと思います」
「変じゃない」
「はい」
「……俺、そんなこと言われたの初めてだからびっくりしてる。けど、なんて言うんだろ。俺が食に一生懸命なのは自分でも自覚あるんだ」
春菊のおひたしだけじゃなくて、俺まで包み込んでくれるような優しい言葉をかけてくれた西浦くんなら、この話を聞いてくれるかなと思った。俺は別に人にべらべら自分のことを話すタイプじゃないのだが、何故か西浦くんに聞いてほしいと思ったのだ。
「先輩の話聞きたいです」
「え? いいの?」
「そこまで言われたら気になります」
そう言うと、もう片方のくまちゃんパンの耳まで俺にくれる。いいよ、と言っても「話を聞かせてもらう前払いです」なんて訳の分からないことを言う。
俺は、そんな西浦くんの行動に疑問符を浮かべつつ、くまちゃんパンの耳をくっつけながら言う。
「お、俺、通学組なんだけど、もともとは寮に入る予定だったんだ。でも、高校受験前にお母さんが倒れちゃって。それから、おばあちゃんの家に引っ越してさ。受験は無事に受かって、通学生として通うようになったんだ」
「お母さんはなんで?」
「俺の家、離婚してて。ずっとお母さん働きづめだったから。栄養失調で」
俺の両親は俺が小学校三年生のころに離婚した。理由は不倫だったような気もするし、もっと前から教育の方針が違うとかいろいろもめていたから、遅かれ早かれそうなっていたんだと思う。
離婚してからは女手一つでお母さんが俺を育ててくれたが、仕事を掛け持ちしたりしてろくに食事をとらない生活が続いていた。あるときはゼリーだけで済ませるなんてこともあった。
俺も、忙しいお母さんに「お腹空いた」なんて言えなくて、お腹がなっても「食べたよ」と言ってごまかしていた。お母さんも忙しかったし、そんな俺の言葉を信じ切って家と職場を行ったり来たりしていた。
そんな無理がたたって、中学三年生に上がるときに倒れてしまった。でも、ちょうど俺の家から車で四十分程度の場所におばあちゃんの家があり、そこに転がり込むような形で引っ越した。
元からおばあちゃんとは仲が良かったし、すぐに新しい生活にもなじみ、なんならおばあちゃんがご飯を作ってくれるからか成績もメキメキと上がった。
そして、今の学校に通うようになり、お母さんも栄養失調状態から回復して今は一つの仕事に専念している。
俺たちがつらい時におばあちゃんの料理に救われた。だから、俺は食べることが好きだし、料理も好きだ。
おばあちゃんに料理を習ううちにいろんなものが作れるようになった。
「――てことがあって。俺、食べることになると一生懸命になるかも」
目の前のくまちゃんパンの耳を弄りながら、ぐぅとお腹を鳴らす。恥ずかしいかったが、西浦くんには聞こえていなかったようだ。
「あ、ごめんね。あんまりおもしろくない話だったかも」
「いえ。先輩が、美味しそうに食べる理由が分かってよかったです」
「よかったのかなあ? けど、西浦くんの言う通り、俺は食べているときが一番幸せだよ。それに、その幸せをみんなと分かち合いたい」
恥ずかしいこと言ったかも、と慌ててくまちゃんパンの耳を口に突っ込む。
普段、後輩と話す機会なんてないのでつい饒舌になってしまった。
いつもは、右田くんと伊佐治くんが一方的に話すのをうんうんと聞いているだけだから、自分が話すタイミングを見失っている。
本当はもっと誰かとおしゃべりしたいし、俺の話も聞いてほしい。黙っているから、お淑やかだーとかお姫さまだーとか言われるのかもしれない。
「……間中先輩、急で悪いんですけど。良かったらなんですけど連絡先交換しませんか?」
俺がもう片方の耳をハムっと食べていると、西浦くんがポケットからスマホを取り出した。
俺は、口元についたクリームを舐めとりながら、こくりと頷く。
「いいよ」
「ありがとうございます……そういえば先輩っていつもあの二人といるんですか?」
「あの二人? ああ、右田くんと伊佐治くん?」
弁当箱の蓋を閉めてからスマホを取り出し、タップタップとメッセージアプリを開く。
西浦くんは「はい」と言って、QRコードをかざした。
「一年生からクラスが一緒で同じ通学生だから。なんか、あの二人といると俺、水戸黄門みたなポジションだなーって思ったりするんだけど」
「水戸黄門って。じゃあ、助さん、格さんって感じですか?」
「西浦くんわかるの!?」
この話が通じたのも西浦くんが初めてかもしれない。
俺は、西浦くんが送ってきた『ヨロ』とやる気のなさそうな人型のスタンプに、ペンギンのスタンプで返す。
「西浦くんも、あれだね……騎士団って言われてた」
「あーなんかみたいですね。俺以外、他校に恋人いるみたいで」
「西浦くんいないんだ。いそうなのに」
「はい、フリーです。なので、いつでも呼んでください。そのために連絡先交換したんですから」
トン、と西浦くんは俺の真っ暗になった画面を叩く。
きれいに切りそろえられた爪もきれいで、非の打ちどころのないイケメンとは彼のことを言うんだろうなと思う。
(西浦くんって、不思議な魅力があるな)
話していると、なんだか心地がいいし、もっと知りたいという欲求が膨らんでいく。
初めは怖い人かと思っていたけど、やっぱり優しい人で、かっこいい人だ。表情はあまり変わらないけど。
「西浦くんってモテそうだね」
「モテてもいいことないですよ。モテ自慢とか俺好きじゃないです」
「じゃあ、何が好き?」
俺が聞くと、西浦くんは少し間を置いてから「笑いませんか?」と言う。
「笑わないよ。何が好き? 知りたい、教えてよ。西浦くん」
「……っ、ち、近いです。えっと、しいて言えば……甘いもの、ですかね?」
その回答が俺の中では意外で、「甘いものいいよね」と反射的に反応してしまう。
「めっちゃ甘党です。誰にも言ってないので、内緒にしておいてください」
「どうして?」
「…………先輩と俺の秘密ってことにしましょう」
周りを見渡し誰もいないのを確認してから、西浦くんはこそっと耳打ちする。
なんでだろうと思ったが、俺は唇に一本指を立てて「秘密ね」と笑い返した。
◇◇◇
「間中~~~~大丈夫だったか!? 変なことされてないかあ!?」
「何で、右田くんがそんなに必死になってるの?」
「ぐはっ……」
昼休みが終わり教室に戻ると、真っ先に右田くんが迫ってきた。
オーバーにおいおいと泣きながら喚くものだから、周りが「まーたやってるよ」と生暖かい視線を向ける。
俺は何でそこまで心配するのかわからなくてそう返すと、右田くんは心臓を押さえながらその場に膝をついた。
「伊佐治君、これどういう状況?」
「まーちゃん心配して、食事も喉を通らない的な?」
「それ、病気じゃん」
「いやいや、病気じゃないし。てか、遅かったけど西浦と何かあった?」
「ご飯食べて、おしゃべりして、連絡先交換した」
床をだんだんと殴りつけている右田くんをよそに、伊佐治くんも何やら気になる様子で話しかけてきた。
別に何もなかったし、心配されるようなことは何もしていないはずだ。
(二人とも過保護すぎるよ)
俺だって、普通の男子高校生だし、そこまで友だちに心配してもらうようなことはない。
「マジ!? まーちゃん狙われてるんじゃね?」
「西浦くんいい子だったよ。話も合うし……」
「そうやって外堀埋める気だ。何だよあいつ。女子だけじゃなくて男子もいける感じかよ」
「さっきから何言ってるか分からないけど、次の授業の準備するね」
俺は右田くんと伊佐治くんの間を通り抜けて自分の席に着く。
男子校のノリは中学までの共学とはやはり少し違うような気がする。居心地が悪いわけじゃないが、女子に飢えている感じは否めない。それに、俺をかわいい花壇の花に見立てて接してくるような距離感は少し苦手だ。
自分の席に座り、政治・経済の教科書を机に広げる。そのタイミングでポコンとスマホにメッセージが入った。
(西浦くんからだ!!)
子どものようにはしゃいでしまい、ガタンガタンと貧乏ゆすりをする。
そして、深呼吸したのちメッセージを開くと「お昼の春菊美味しかったです」と緑のハートスタンプが送られてきていた。俺は、ペンギンの「うれしー」のスタンプを返し、スマホを見ながらにやける。
虫が苦手なこととか、春菊のおひたしを美味しそうに食べてくれることとか、甘党なこととか。
喋るのは二回目なのに、俺の中で西浦澪くんという人間の輪郭ができていく。
(そういえば、あの寮って山側だったけど。西浦くん、虫苦手だったけど大丈夫かな)
スマホのフリック入力で「寮、虫、大丈夫」と打ったところで、全部文字を消した。いきなり虫の話をされても西浦くんも困るだろう。
じゃあ、何かメッセージのラリーができるような話がないかと思っているとチャイムが鳴る。
前扉から先生が入ってき、後扉からは慌てた様子でクラスメイトが教室に飛び込んでくる。
サッとスマホを机の中にしまい電源を切ろうと手さぐりに触る。すると、最後にポコンとまたスマホが鳴った。
『HR終わり、下駄箱で待っててください』
机の下を覗くようにしてスマホを確認すると、西浦くんからそんなメッセージが入っていた。
「誰だースマホきってないやつ」
「あ……」
俺は、そのメッセージに既読をつけたが返すことはできず、そのまま電源をOFにしたのだった。
◇◇◇
HRが終わると、教室に賑わいが戻ってくる。
部室に行くのが面倒なのか教室で着替えを始めるクラスメイトもいて、黄ばんだ白い靴下が宙を舞う。
「間中ー帰ろうぜー」
「ごめん、今日はちょっと用事があって」
すでにリュックを背負った右田くんと伊佐治くんが俺の机の周りに来る。
「下駄箱で待ってる」と西浦くんに返したスマホを隠しながら首を横に振った。二人は顔を見合わせ「用事って珍し」と言ってから去っていった。
彼らが帰ったころを見計らってから下駄箱に行こうと、と息を吐く。
(西浦くん何の用だろう)
昼休みに話忘れたことでもあっただろうか。それとも、次の昼休みも一緒に食べるという事前の誘いだろうか。
あれこれ考え始めると、また頬が緩んでいく。
それから、椅子に座って窓の外を見て二人が校門を出ていくのを観察する。しばらくすると、二人が自転車を二人乗りしながら校門を出ていくのが見えた。もちろん、そこに立っていた生徒指導の先生に止められ、伊佐治くんだけ逃亡する。
またやってるな、と思いながら俺もそろそろ行くかと立ち上がる。
階段のスロープを叩きながら、一段飛ばしで階段を降りる。すると、あっという間に下駄箱につき、そこにはすでに西浦くんの姿があった。
彼は俺に気づくとスマホをポケットに突っ込み「間中先輩」と名前を呼ぶ。
「西浦くん待った?」
「今来たところです。すみません、呼び出しちゃって」
「いいよ。それで何だった? 直接会って話したいこと?」
俺が訊ねると、西浦くんは先ほどしまったばかりのスマホを出してちらりとこちらを見る。
「先輩って、土日とかあいてたりします?」
「空いてるよ。俺バイトやってないし。部活もやってないから」
「そう……すか。じゃあ、その、ちょっと頼みごとというか」
口をもごもごさせた西浦くんは、これ、と自分のスマホを見せる。その画面は愛らしいピンク色に染まっており、その真ん中には『イチゴのアフターヌーンティー』と書かれている。
俺はそこで彼の顔を見た。どこか恥ずかしそうに視線を合わせようとしない西浦くんを見てピンとくる。
恥ずかしがらずに誘ってくれればいいのに。大きな体なのに、今は子熊のように見えた。
西浦くんは、サッとスマホをポケットに雑に突っ込む。だが、同時に俺の顔をまっすぐとみてくれた。
「間中先輩、甘いの大丈夫ですか?」
「俺、嫌いなものないよ。西浦くんってそんなに甘いもの好きなんだね」
「はい。だから、その……間中先輩。俺と甘いのに付き合ってください」
まるで告白するように西浦くんは、必死になってそう言った。
「はあ~つっかれた。飯!」
大きなお弁当箱を持って、俺のもとへふらふらとやってきた右田くんはその場にへたり込んだ。先ほどから異様な腹の音が聴こえており、彼の限界を感じさせる。
「お疲れ、まーちゃん。俺も相席いい?」
「うん。いいよ。伊佐治くん」
伊佐治くんは、近くにあった机を二つほどくっつけてお弁当箱を広げ始める。
この間のパン争奪戦から一週間ほどが経った。季節は五月に入り、ちょうどゴールデンウィークを過ぎたあたりだ。
俺も机の上に保冷バックを置いて中から中身を取り出そうとする。だが、直後教室の中がざわざわとし始めたので手を止める。
(なんだろう)
そう思ってふと教室の出入り口を見ると、見慣れた後輩が一人立っていた。その手にはあのくまちゃんパンが握られている。
(え、西浦くん?)
そこにいたのは西浦くんで、彼は教室を見渡したのち俺を見つけるとパチパチと目を瞬かせた。それから、何の迷いもなくこちらに近づいてくる。
「ゲッ、西浦じゃん。俺らのクラスに何の用だよ」
「なんかあいつ、目ぇ怖くねえ? ま、まさか、まーちゃん狙い!?」
「二人とも警戒しすぎだよ。彼は俺たちの後輩なんだから、そんな言い方――」
右田くんと伊佐治くんが言いたい放題死はじめた。まあまあと宥めようとすると、ふと「先輩」と低い声が上から降ってきたので顔をあげる。するとそこには俺を見下ろす怖い顔をした西浦くんがいた。
「あ、西浦くん。お久しぶり」
「お久しぶりです。先輩」
「えっと、西浦くん。ここに年生の教室だよ。何か用でもあった?」
俺がそう言うと「そーだ、そーだ」と二人がヤジを飛ばす。しかし、西浦くんに睨まれたのかすぐに静かになった。
二人とも何をやっているんだろう、と呆れながら彼に視線を戻す。西浦くんは何か言いたげに見つめてくる。ジトッとした黒目はやはり少し怖い。
何かしただろうかと思っていると。いきなり俺の目の前に「くまちゃんパン手に入れました」とあのパンを差し出した。
「す、すごい。争奪戦まだ始まったばかりじゃない?」
「今日は、俺のクラス早く終わったんで……その、よければ先輩、一緒に食べませんか」
「一緒に食べませんか?」
繰り返すと、こくこくと彼は頷く。
聞き間違いだと思ったが、どうやら本気らしい。
(何で俺と?)
西浦くんは友だちもいるはずだし、何より俺と食べる理由も分からない。
嬉しいけど、困惑が勝り頭がぐるぐると回りだす。すると、先ほど睨まれて静かになっていた右田くんが立ち上がった。
「間中と食べたいなら、俺たち倒してから行けよ! ここ、先輩の教室だぞ!」
「だから何ですか」
「ぐはっ!!」
「右田撃沈早すぎるだろ」
しかし、秒で西浦くんに論破され再び口を閉じた。
「先輩、一緒に昼飯どうですか」
「うん、分かった。でも、ここだと目立つし。君も先輩の教室で食べるのはちょっと気まずいでしょ? 場所変えようよ」
「俺はここでもいいですけど。できれば、先輩と二人きりがいいです」
西浦くんは、右田くんと伊佐治くんを見てそういった。やっぱり、シャイなのだろうか。
二人きりというのも、それこそちょっと気まずいんじゃないかと思った。だが、西浦くんから提案してくれたので断るわけにはいかないと「分かった」と返答する。それから、保冷バックを持って立ち上がり、場所を移動することにした。
「まーちゃん本当にいくの?」
「うん。せっかく後輩から誘われたんだもん。行くよ」
「……いや、まーちゃん気をつけなよ。なんか、西浦怖いし」
「怖くなんてないよ? それに、そんなこと言うの失礼だよ」
「はい、すんませんでした」
伊佐治くんも、しょもしょもと萎れて口を閉ざしてしまった。強く言ったつもりはなかったのだが、どうやら効いたらしい。
そんな二人に対し申し訳なく思いつつも、先ほどからずっと突き刺さる西浦くんの視線が痛かったので、とりあえず場所を移すことにした。
「それじゃあ、西浦くんいこっか」
俺は干からびてしまっている二人を横目に、西浦くんを連れて教室から出た。
◇◇◇
「てっきり、学食とか中庭のほうに行くと思ってました」
「その二つの場所は、校内で人気スポットだから今からいっても席ないと思うよ」
「そうなんですか。今後参考にします」
俺は、西浦くんと校舎裏に来ていた。
そこは、すでに花が散って、緑の葉をつけている大きな桜の木がある隠れスポットだ。
ここなら人はいないし、何より風通しと、木漏れ日のカーテンが美しい。お弁当を食べるのにぴったりな、お気に入りの場所だ。
俺は、校舎のコンクリート壁に背を預けその場に腰を下ろす。
西浦くんも同じように腰を下ろそうとして、目の前の石に目をやった。そして、それを退かしたいのか手を伸ばしたので「ダメ」と止めに入る。
「西浦くん、その石移動させちゃダメ」
「何でですか?」
「ダンゴムシがいるから」
「ダ、ダンゴムシ?」
「西浦くん、ダンゴムシ知らない?」
俺が訊ねると、西浦くんは「いや、知ってますけど」と何とも言えない表情でいう。
その石の裏には大量のダンゴムシがいるだろうと伝え、こっち側なら安全と俺の右側をポンポンと叩く。西浦くんは、俺のほうへやってきてゆっくりと腰を下ろし、それからまた石のほうに目をやった。
「何でダンゴムシいること知ってるんですか」
「入学したてのとき、校舎探検の時間に石をひっくり返したことがあったんだ。そのとき、びっしりダンゴムシがいたから」
「……聞かなかったことにします」
「西浦くん、虫苦手? カブトムシとかは?」
「あまり得意じゃないかもです」
つい変なことを聞いてしまったが、西浦くんが顔色を悪くしたのでそれ以上追及するのはやめた。
(うん、会話って難しいな)
右田くんや伊佐治くんは、虫の話をしたら喜んでくれるが西浦くんはそうじゃないらしい。
俺は、保冷バックの中に入っていたおしぼりで手を拭きながら次の会話を考える。
まず、何で西浦くんは誘ってくれたのだろうか。
「西浦くん」
「先輩」
「あ、西浦くん。先いいよ」
「先輩が先言ってください……いや、やっぱり俺からいいですか?」
「うん。いいよ」
会話のリズムはやはりぎこちなかったが、彼の気遣いを感じることはできた。
西浦くんは、くまちゃんパンの袋の端を弄りながら時々俺のほうを見る。
「先輩の名前教えてください」
「俺の?」
「はい。あの日聞き忘れちゃったんで」
そういえば、俺は皆が『西浦』と言っていたから、彼の苗字は知っていたが、名前は知らなかったなと思い出す。
「俺は、間中真緒。西浦くんの下の名前はなんていうの?」
「澪、西浦澪って言います。間中先輩の呼びやすいように呼んでください」
「じゃあ、そのまま呼ぶね。西浦くん、今度は俺の番でいい? 何で、俺をお昼ご飯に誘ってくれたの?」
その質問に、彼は大きな肩をビクッと動かした。
そして、大きな身体をギュッと丸め、膝に顔を押し当てたのちこちらをちらっと見る。その頬はちょっと赤く染まっていた。
「……かわいくて」
「なんて?」
「この間、先輩にパンあげたじゃないですか。そのとき、先輩がすごくおいしそうに食べてるの見て、いいなって思って」
「う、うん」
「また、近くで先輩が美味しそうに食べる姿見たかったので昼、誘いました。なんか、気持ち悪くてすんません」
西浦くんはそう言うと、また顔を膝に押し当ててしまった。
(た、食べ方褒められたのは初めてかも)
でも、嫌な気はしなかった。
俺は、美味しいものを食べるとすぐに顔に出てしまう自覚はあったが、それを褒められたのは初めてだった。
「西浦くん!」
「何ですか、間中先輩」
「俺も、君にお礼が言いたいと思ってたんだ。ちょっと待ってね」
西浦くんに待ってもらいながら保冷バックから弁当箱を取り出す。それから、マイ箸を出して弁当箱の蓋をとりおひたしをスッと持ち上げた。
「何ですかそれ」
「お礼の春菊のおひたし」
「しゅん、ぎく……あの苦いやつですか」
「苦くないよ。これ、俺の手作りだし。おばあちゃんの秘伝のレシピで作ったから苦みが抑えてあって美味しい!」
「ほら」と差し出せば、少し困ったような表情で春菊のおひたしとにらみ合う。
だが、覚悟を決めたようにパクっとおひたしを口に含み、ゆっくりと咀嚼する。
「……ほんとだ、苦くない。美味しいです」
「でしょ? って、お礼に春菊って、ダメ、だったかな?」
くまちゃんパンの耳と春菊のおひたしが同等の価値を持つかわからなかった。でも、あの日のお礼をしたかったのは本当だ。
あわあわと目を泳がせていれば、西浦くんがもう一度「美味しかったです」と言ってくれる。彼の顔を見れば、すごく幸せそうでなんだかホッとしてしまった。
「先輩料理できるんですね。尊敬します」
「あ、ありがとう。春菊おひたし美味しいよね。うん。おばあちゃんのレシピは、おばあちゃんのお母さんから教えてもらったらしくて。でも、今アレンジして白ダシ使って……」
褒められたのが嬉しくてついつい話してしまったが、途中でハッと我に返る。
恥ずかしくなって西浦くんのほうを見て見るが、やっぱり彼は俺の話を真剣に聞いてくれていた。右田くんや伊佐治くんにこの話をしても「すげー」、「でも渋い」と言われて終わりだ。別に誉めてほしいわけじゃないけど、春菊のおひたしは俺の自慢の一品だったから、進めても食べてもらえなかったのは悲しかった。
彼が俺の春菊のおひたしを食べてくれた第一号だ。
「先輩って、食に一生懸命ですよね」
西浦くんは、くまちゃんパンの耳をちぎりながら言う。それから、ちぎったくまちゃんパンの耳を弁当箱の蓋の上に乗せてくれた。
「変かな」
「変じゃありません。むしろすごくいいなと思います」
「変じゃない」
「はい」
「……俺、そんなこと言われたの初めてだからびっくりしてる。けど、なんて言うんだろ。俺が食に一生懸命なのは自分でも自覚あるんだ」
春菊のおひたしだけじゃなくて、俺まで包み込んでくれるような優しい言葉をかけてくれた西浦くんなら、この話を聞いてくれるかなと思った。俺は別に人にべらべら自分のことを話すタイプじゃないのだが、何故か西浦くんに聞いてほしいと思ったのだ。
「先輩の話聞きたいです」
「え? いいの?」
「そこまで言われたら気になります」
そう言うと、もう片方のくまちゃんパンの耳まで俺にくれる。いいよ、と言っても「話を聞かせてもらう前払いです」なんて訳の分からないことを言う。
俺は、そんな西浦くんの行動に疑問符を浮かべつつ、くまちゃんパンの耳をくっつけながら言う。
「お、俺、通学組なんだけど、もともとは寮に入る予定だったんだ。でも、高校受験前にお母さんが倒れちゃって。それから、おばあちゃんの家に引っ越してさ。受験は無事に受かって、通学生として通うようになったんだ」
「お母さんはなんで?」
「俺の家、離婚してて。ずっとお母さん働きづめだったから。栄養失調で」
俺の両親は俺が小学校三年生のころに離婚した。理由は不倫だったような気もするし、もっと前から教育の方針が違うとかいろいろもめていたから、遅かれ早かれそうなっていたんだと思う。
離婚してからは女手一つでお母さんが俺を育ててくれたが、仕事を掛け持ちしたりしてろくに食事をとらない生活が続いていた。あるときはゼリーだけで済ませるなんてこともあった。
俺も、忙しいお母さんに「お腹空いた」なんて言えなくて、お腹がなっても「食べたよ」と言ってごまかしていた。お母さんも忙しかったし、そんな俺の言葉を信じ切って家と職場を行ったり来たりしていた。
そんな無理がたたって、中学三年生に上がるときに倒れてしまった。でも、ちょうど俺の家から車で四十分程度の場所におばあちゃんの家があり、そこに転がり込むような形で引っ越した。
元からおばあちゃんとは仲が良かったし、すぐに新しい生活にもなじみ、なんならおばあちゃんがご飯を作ってくれるからか成績もメキメキと上がった。
そして、今の学校に通うようになり、お母さんも栄養失調状態から回復して今は一つの仕事に専念している。
俺たちがつらい時におばあちゃんの料理に救われた。だから、俺は食べることが好きだし、料理も好きだ。
おばあちゃんに料理を習ううちにいろんなものが作れるようになった。
「――てことがあって。俺、食べることになると一生懸命になるかも」
目の前のくまちゃんパンの耳を弄りながら、ぐぅとお腹を鳴らす。恥ずかしいかったが、西浦くんには聞こえていなかったようだ。
「あ、ごめんね。あんまりおもしろくない話だったかも」
「いえ。先輩が、美味しそうに食べる理由が分かってよかったです」
「よかったのかなあ? けど、西浦くんの言う通り、俺は食べているときが一番幸せだよ。それに、その幸せをみんなと分かち合いたい」
恥ずかしいこと言ったかも、と慌ててくまちゃんパンの耳を口に突っ込む。
普段、後輩と話す機会なんてないのでつい饒舌になってしまった。
いつもは、右田くんと伊佐治くんが一方的に話すのをうんうんと聞いているだけだから、自分が話すタイミングを見失っている。
本当はもっと誰かとおしゃべりしたいし、俺の話も聞いてほしい。黙っているから、お淑やかだーとかお姫さまだーとか言われるのかもしれない。
「……間中先輩、急で悪いんですけど。良かったらなんですけど連絡先交換しませんか?」
俺がもう片方の耳をハムっと食べていると、西浦くんがポケットからスマホを取り出した。
俺は、口元についたクリームを舐めとりながら、こくりと頷く。
「いいよ」
「ありがとうございます……そういえば先輩っていつもあの二人といるんですか?」
「あの二人? ああ、右田くんと伊佐治くん?」
弁当箱の蓋を閉めてからスマホを取り出し、タップタップとメッセージアプリを開く。
西浦くんは「はい」と言って、QRコードをかざした。
「一年生からクラスが一緒で同じ通学生だから。なんか、あの二人といると俺、水戸黄門みたなポジションだなーって思ったりするんだけど」
「水戸黄門って。じゃあ、助さん、格さんって感じですか?」
「西浦くんわかるの!?」
この話が通じたのも西浦くんが初めてかもしれない。
俺は、西浦くんが送ってきた『ヨロ』とやる気のなさそうな人型のスタンプに、ペンギンのスタンプで返す。
「西浦くんも、あれだね……騎士団って言われてた」
「あーなんかみたいですね。俺以外、他校に恋人いるみたいで」
「西浦くんいないんだ。いそうなのに」
「はい、フリーです。なので、いつでも呼んでください。そのために連絡先交換したんですから」
トン、と西浦くんは俺の真っ暗になった画面を叩く。
きれいに切りそろえられた爪もきれいで、非の打ちどころのないイケメンとは彼のことを言うんだろうなと思う。
(西浦くんって、不思議な魅力があるな)
話していると、なんだか心地がいいし、もっと知りたいという欲求が膨らんでいく。
初めは怖い人かと思っていたけど、やっぱり優しい人で、かっこいい人だ。表情はあまり変わらないけど。
「西浦くんってモテそうだね」
「モテてもいいことないですよ。モテ自慢とか俺好きじゃないです」
「じゃあ、何が好き?」
俺が聞くと、西浦くんは少し間を置いてから「笑いませんか?」と言う。
「笑わないよ。何が好き? 知りたい、教えてよ。西浦くん」
「……っ、ち、近いです。えっと、しいて言えば……甘いもの、ですかね?」
その回答が俺の中では意外で、「甘いものいいよね」と反射的に反応してしまう。
「めっちゃ甘党です。誰にも言ってないので、内緒にしておいてください」
「どうして?」
「…………先輩と俺の秘密ってことにしましょう」
周りを見渡し誰もいないのを確認してから、西浦くんはこそっと耳打ちする。
なんでだろうと思ったが、俺は唇に一本指を立てて「秘密ね」と笑い返した。
◇◇◇
「間中~~~~大丈夫だったか!? 変なことされてないかあ!?」
「何で、右田くんがそんなに必死になってるの?」
「ぐはっ……」
昼休みが終わり教室に戻ると、真っ先に右田くんが迫ってきた。
オーバーにおいおいと泣きながら喚くものだから、周りが「まーたやってるよ」と生暖かい視線を向ける。
俺は何でそこまで心配するのかわからなくてそう返すと、右田くんは心臓を押さえながらその場に膝をついた。
「伊佐治君、これどういう状況?」
「まーちゃん心配して、食事も喉を通らない的な?」
「それ、病気じゃん」
「いやいや、病気じゃないし。てか、遅かったけど西浦と何かあった?」
「ご飯食べて、おしゃべりして、連絡先交換した」
床をだんだんと殴りつけている右田くんをよそに、伊佐治くんも何やら気になる様子で話しかけてきた。
別に何もなかったし、心配されるようなことは何もしていないはずだ。
(二人とも過保護すぎるよ)
俺だって、普通の男子高校生だし、そこまで友だちに心配してもらうようなことはない。
「マジ!? まーちゃん狙われてるんじゃね?」
「西浦くんいい子だったよ。話も合うし……」
「そうやって外堀埋める気だ。何だよあいつ。女子だけじゃなくて男子もいける感じかよ」
「さっきから何言ってるか分からないけど、次の授業の準備するね」
俺は右田くんと伊佐治くんの間を通り抜けて自分の席に着く。
男子校のノリは中学までの共学とはやはり少し違うような気がする。居心地が悪いわけじゃないが、女子に飢えている感じは否めない。それに、俺をかわいい花壇の花に見立てて接してくるような距離感は少し苦手だ。
自分の席に座り、政治・経済の教科書を机に広げる。そのタイミングでポコンとスマホにメッセージが入った。
(西浦くんからだ!!)
子どものようにはしゃいでしまい、ガタンガタンと貧乏ゆすりをする。
そして、深呼吸したのちメッセージを開くと「お昼の春菊美味しかったです」と緑のハートスタンプが送られてきていた。俺は、ペンギンの「うれしー」のスタンプを返し、スマホを見ながらにやける。
虫が苦手なこととか、春菊のおひたしを美味しそうに食べてくれることとか、甘党なこととか。
喋るのは二回目なのに、俺の中で西浦澪くんという人間の輪郭ができていく。
(そういえば、あの寮って山側だったけど。西浦くん、虫苦手だったけど大丈夫かな)
スマホのフリック入力で「寮、虫、大丈夫」と打ったところで、全部文字を消した。いきなり虫の話をされても西浦くんも困るだろう。
じゃあ、何かメッセージのラリーができるような話がないかと思っているとチャイムが鳴る。
前扉から先生が入ってき、後扉からは慌てた様子でクラスメイトが教室に飛び込んでくる。
サッとスマホを机の中にしまい電源を切ろうと手さぐりに触る。すると、最後にポコンとまたスマホが鳴った。
『HR終わり、下駄箱で待っててください』
机の下を覗くようにしてスマホを確認すると、西浦くんからそんなメッセージが入っていた。
「誰だースマホきってないやつ」
「あ……」
俺は、そのメッセージに既読をつけたが返すことはできず、そのまま電源をOFにしたのだった。
◇◇◇
HRが終わると、教室に賑わいが戻ってくる。
部室に行くのが面倒なのか教室で着替えを始めるクラスメイトもいて、黄ばんだ白い靴下が宙を舞う。
「間中ー帰ろうぜー」
「ごめん、今日はちょっと用事があって」
すでにリュックを背負った右田くんと伊佐治くんが俺の机の周りに来る。
「下駄箱で待ってる」と西浦くんに返したスマホを隠しながら首を横に振った。二人は顔を見合わせ「用事って珍し」と言ってから去っていった。
彼らが帰ったころを見計らってから下駄箱に行こうと、と息を吐く。
(西浦くん何の用だろう)
昼休みに話忘れたことでもあっただろうか。それとも、次の昼休みも一緒に食べるという事前の誘いだろうか。
あれこれ考え始めると、また頬が緩んでいく。
それから、椅子に座って窓の外を見て二人が校門を出ていくのを観察する。しばらくすると、二人が自転車を二人乗りしながら校門を出ていくのが見えた。もちろん、そこに立っていた生徒指導の先生に止められ、伊佐治くんだけ逃亡する。
またやってるな、と思いながら俺もそろそろ行くかと立ち上がる。
階段のスロープを叩きながら、一段飛ばしで階段を降りる。すると、あっという間に下駄箱につき、そこにはすでに西浦くんの姿があった。
彼は俺に気づくとスマホをポケットに突っ込み「間中先輩」と名前を呼ぶ。
「西浦くん待った?」
「今来たところです。すみません、呼び出しちゃって」
「いいよ。それで何だった? 直接会って話したいこと?」
俺が訊ねると、西浦くんは先ほどしまったばかりのスマホを出してちらりとこちらを見る。
「先輩って、土日とかあいてたりします?」
「空いてるよ。俺バイトやってないし。部活もやってないから」
「そう……すか。じゃあ、その、ちょっと頼みごとというか」
口をもごもごさせた西浦くんは、これ、と自分のスマホを見せる。その画面は愛らしいピンク色に染まっており、その真ん中には『イチゴのアフターヌーンティー』と書かれている。
俺はそこで彼の顔を見た。どこか恥ずかしそうに視線を合わせようとしない西浦くんを見てピンとくる。
恥ずかしがらずに誘ってくれればいいのに。大きな体なのに、今は子熊のように見えた。
西浦くんは、サッとスマホをポケットに雑に突っ込む。だが、同時に俺の顔をまっすぐとみてくれた。
「間中先輩、甘いの大丈夫ですか?」
「俺、嫌いなものないよ。西浦くんってそんなに甘いもの好きなんだね」
「はい。だから、その……間中先輩。俺と甘いのに付き合ってください」
まるで告白するように西浦くんは、必死になってそう言った。



