年が明け、殿井はどっと疲れていた。
普段会うことのない親族郎等が一堂に会し、さらに祖父母と両親の仕事関連の人間が年賀の挨拶にやってくる。
その度に殿井は呼ばれ、部屋から出て挨拶をしなければいけなかった。これがおよそ一週間続く。

棚田たちに、初日の出を見に行こうと誘われたが、飛鳥は来ないというので断った。殿井はずっと、飛鳥のことで頭がいっぱいだった。菜園もあまり作業はなく、行く必要はなかった。

夏の子ども会で少しだけ撮れた写真をパソコンの画面上で見た。これでもう12回目だった。
飛鳥の目を見て話せるように、写真を見ながら練習をしていたのだった。

さらに脳内の「アスカフォルダ」を出して、殿井はうだうだと飛鳥のことを考えていた。
学校がなく会う機会がないと、最近はいつでもどこでも飛鳥の姿が目の前に現れる。完全に妄想の世界に足を踏み入れていた。

冬休みに入ってから、どこに出るわけでもなく、ずっとこの調子だった。その姿を見た両親が、暇なのだろうと積極的に息子を部屋から出し、挨拶させていたことにも気がつかなかった。
このままでは何か禁断症状が出るのではないかというとき、飛鳥からメールが来た。初詣行こう、という内容だった。

約束の時間よりもだいぶ早くついた殿井は、飛鳥に会える嬉しさと緊張で、意味もなく大鳥居のまわりをぐるぐると歩き回りながら待っていた。
10時になり、飛鳥の姿がひとり見えて、殿井は驚いた。
「……あれ?今日って、ふ、ふたりだけで……?」
「だってタナたち、一日に行ってるだろ」
みんなで遊ぶ中で初詣に行くのだと思いこんでいた殿井は焦った。

殿井家は、毎年多額の寄付をしているこの古い大社で、年始の祈祷をしてもらうのが恒例行事だった。三が日のうちに、祖父母・両親とも和装で参拝する。殿井は制服姿だったが、当然お参りしてはいた。だが飛鳥の手前、黙っていることにした。

「あの、アスカは、忙しかったの?」
「あーバイト!年末年始は手当もつくし、稼ぎどきなんだよ!」
明るく言う飛鳥の姿に、殿井は少しほっとした。

「最近さ、そんなに畑もやることないしさ。でもさー、ふたりでどっか行くなんて、初めてだよな!だいたいいつも誰かがいんじゃん。あと遊馬とかさ」
飛鳥は明るく言って殿井の肩を叩いて笑った。なんだ、普通にできるじゃん、と飛鳥は思った。殿井とふたりでいて、自分はなにを思うのか、ちゃんと確かめようと思った。だから、声をかけた。
殿井は思わず赤面し、「じゃお参りしようか」と掠れた声で言った。

本殿の前には、いつもよりはるかに大きい賽銭箱が設置されている。ふたりは黙って並び、手を合わせた。
こうやってふたりでいるだけで、殿井は幸せだった。

「現状維持でお願いします」と手を合わせ、一礼して去った。飛鳥はまだ目を閉じている。何を願ったのか、知りたいような、知りたくないような、変な気分だった。
ふたりはなんとなく神社の参道を歩いて、大通りに出ることにした。

もう6日だが、まだ参拝客は多く、広い参道いっぱいに人が歩いている。飛鳥が殿井の腕を叩いて、左側を指さした。松の並木が並ぶ参道沿いに、行列ができている。

「有名なのかなーここ。人めっちゃ並んでる」
飛鳥がキョロキョロと店先を見て、殿井を振り返った。殿井は眉間にシワを寄せ、団子を焼く店内の様子をガラス越しに離れたところで見ていた。

「食う?食う?」
飛鳥が目を輝かせている。殿井はその様子をちらっと見て、黙ってうなずいた。
「団子って並んで買うんだ……」
「うまいのかな?でも寒い中神社で食うのがいいんじゃね?」
飛鳥は手を擦り合わせながら足踏みをし、寒さをこらえた。殿井は微動だにせず、姿勢よく立って行列に並んでいた。
殿井を見れば、街でよく見かけるダウンジャケットを着ている。飛鳥はその値段を知らなかったが、高そうだということだけはよくわかった。

「ケイってさー、服ってどうしてんの」
ほとんど私服を持たず、また興味もなさそうなわりには、おしゃれな格好をしている。
「あー……親父の服買うとき、ついでに母親が買う」
へーっと飛鳥は目を丸くした。
一応、好みもあるだろうと母親が希望を聞くが、なんと言えばいいのかもわからない。
面倒だった殿井は、ファッション誌をいくつか書い、よさそうな服に丸をつけておいた。すると同じものかそれに似た服が家に届けられる。それですべて事足りた。

「俺なんか適当に自分で買うよ」
その言葉にまた殿井ははっとした。こういうところから金銭感覚の違いがあるのではないか。
「とりあえず決められた予算で自分で買い物してみれば」という、春山のアドバイスを思い出した。
協力してやるという春山に最初は半信半疑だったが、アドバイス自体は普通だったので素直に聞いている。

「みたらし二個で」
気づけば順番がまわり、飛鳥がさっさと注文しているた。
殿井は慌てて百五十円を財布から出し、飛鳥に渡した。
行列に並び、なにかを買う。さらに買い食いである。どちらも殿井の人生初のことだった。

飛鳥が湯気の出るみたらし団子を持ち、かぶりついた。
「うわめっちゃ伸びる!伸びる!餅だ!」
「……うまい」
団子を店先で食べながら、飛鳥をちらっと見た。幸せそうに団子を頬張っている。殿井はそれを見ただけで、腹がいっぱいになった。
「考えたらさー、もう昼近いもんな!腹減ったー」
飛鳥が言った。

結局ぶらぶら歩きながら、大通りにあるファミレスに入った。
棚田も春山も、遊馬も竜太もいない、飛鳥とのふたりだけの昼ごはんだ。殿井は、これまでファミレスに入ったことはない。メニューを見て料理の多様さに驚いた。

眉間にシワを寄せ、真剣にメニューを見つめる殿井に、飛鳥が声をかけた。
「ケイってファミレス来たことある?」
「……ない」
やっぱりなー、と言って飛鳥が笑った。

「俺のおすすめはこれだな。安くて腹いっぱいになる」
半分に切られたハンバーグの中から、黄色いものが溢れる写真を指さした。チーズ入りハンバーグだった。
「安いのかこれ」
そもそも高いか安いのかもわからなかった。

「安いよーだってサラダとスープとごはんついてこの値段だもん」
「おいしいの?」
「味はまあまあだな。……ケイってさ、やっぱり超高い店で食ってんの?」
「え?……いや、外食ってほとんどしないから……」

外食の多い両親は、永田さんの手料理を楽しみにしていたため、外食は年に数回だった。それも親族が集まったときに毎年行く同じ料亭かホテルだ。

結局、あっさりしたものの好きな殿井は大根おろしのかかったチキン定食にした。
「どう?」
「うまいよ」
殿井はナイフとフォークで鶏肉を小さく切りながら口に運び、付け合せのレタスを器用に食べた。
その様子はどこか育ちのよさを感じさせ、飛鳥は思わず見惚れた。付け合わせのコーンをボロボロ落とす自分とは大違いだ。

殿井はふと目を上げて、正面に座る飛鳥を見た。飛鳥はナイフとフォークを手にしたまま、殿井を凝視している。
そんなにファミレスでの様子がおかしかったのだろうか。殿井は顔が赤くなり、俯いてひたすら無言でチキンを食べた。

「このあとどうする?」
「本屋行きたい」と殿井が言って、二人で駅前の大型商業ビルに入っている書店に向かった。殿井は競馬雑誌を買うと、参考書コーナーで問題集をパラパラとめくる飛鳥に声をかけた。そしてそのあとは結局殿井の家に寄ることになった。

ふたりで歩いている途中、飛鳥は前のようにあれこれずっと殿井に話し続けた。殿井はたまに赤くなったり俯いたりしながら、いつものように話をひたすら聞き続け、たまに飛鳥のほうを見てちょっと笑った。

飛鳥は、家ではいつもみんなの聞き役だった。弟たちのバカ話、妹の勉強や部活の悩み、母親の仕事の愚痴、それらをすべて聞いていた。飛鳥が自分の話を家ですることはあまりない。お兄ちゃんとして頼られ、誰かを横から支える。そうするのが当たり前だと思っていた。

でも、殿井といるときは、飛鳥が中心で、好きなように話ができる。
そうやって自分の話を聞いてくれる殿井との時間は楽しい時間だったのだと、飛鳥は話しながら気がついた。

春から秋まで、畑で朝一緒に作業して、たわいない話をしているときが、一番好きだった。
殿井の隣で歩きながら、飛鳥の胸が締め付けられた。

年始の冷たい空気が、肺の奥深くまで入って、飛鳥はそれを押し出すように深く息を吐いた。

もし殿井に告白されたら、こんなふうに過ごせるのだろうか。
友達でいる今は、こんなに楽しい。もしそれ以上の関係になったら、もっと楽しいのだろうか。
でも。

今のままじゃ、いけないのだろうか。ずっとずっと、一番の友達でいたら、駄目なのだろうか。
断っても、もし受け入れても、今の関係は変わるだろう。
だから、殿井の気持ちを聞きたくなかった。時間稼ぎをしたかった。ずっとこのまま、こうしていられればいいのにと思った。